第十六話:棒振り
マサエールは庭に植えられた楡の大木の前に立ち、気息を整える。
手には身の丈ほどの長さの棒。彼女はそれを構えて地を蹴る。
「……はっ! ……やっ! ……とう!」
右上からの振り下ろし、左下の足払い、右の胴抜き。
棒が相手に当たった衝撃を利用して棒や身体を回し、逆の部位を打突する棒術の技法。澱みない連撃は一朝一夕になされるものではなく、熟練の技を感じさせた。
半刻ほどは鍛錬を続けたであろうか。
背後から拍手を打つ音が響いた。
「お見事です」
「インスラですか。……嫌だわ、見てたの?」
マサエールは控えていたメイドに棒を渡し、乱れた髪を手で直した。
「美しく打つ様を堪能させていただきましたよ」
もう、とマサエールは頬を膨らませる。
メイドたちがマサエールの汗を拭ったり、水を渡したり、風を送ったりと世話を始めた。マサエールは気にせず言葉を続ける。
「それで、何か御用かしら?」
「いえ、何もありませんよ」
「そう」
「マサエール様は練兵場は使われませんので? マサエール様がいらしたら兵たちの士気もあがりましょう」
こうしてひっそり庭で鍛錬する必要もないのではと言っているのである。
「兵たちもやりづらいでしょう。それに女が行くとどうしても見学になりがちですから」
マサエールは笑った。
「よろしければ共に鍛錬できるよう図らいますが」
「それこそやりづらいのではなくて?」
女、主家の姫に模擬戦とはいえ攻撃はできまい。
「それはそうかもしれませんが、マサエール様ほどの腕前がおありなら」
インスラの言葉を遮るようにマサエールは首を横に振る。
「所詮は形稽古のようなものです。試合でなら勝ちを拾えたとしても実戦ではとても」
マサエールが棒術に天賦の才を有することは明らかである。
だが女性は非力だ。有効打突を加えた側が勝利するという試合でなら勝てたとしても、実戦では体格と膂力で勝る男性に、棒を打ち合った時に押し込まれれば膝をつくしかない。
「……ううむ、勿体無い」
実のところマサエールは兵士たちから人気がある。練兵場に連れてくれば実際、兵たちは喜ぶだろう。
だが、とインスラは思い直す。こうして動いて汗を流す彼女の姿を兵士たちに見せたくもないなと。そんな独占欲にも似た気持ちを覚えていた時であった。
「お姉様! 大変です!」
この場に女性が駆け込んできたのは。
「あっ、インスラ卿もいらしたんですね! ……お邪魔でしたか?」
「大丈夫よ、ジュノー。どうしたの?」
ジュノーはマサエールの妹の一人である。昨夜はラディクスの城で夜会があったはずだが、夜会終わりにそのまま駆けてきたらしい。先日のポーラの様に。
ジュノーはマサエールの手を取って、叫ぶように言った。
「タートリア様が、お姉様のことを悪し様に言っておられたのです!」
「む……」
「あら」
インスラは顔を顰めたが、マサエールは涼しげな表情である。
「夜会の場でということね? なんと言っていたか聞いたの?」
ジュノーは頷く。
「マサエール様が不出来な嫁であったと。それ故に離婚されて自分が後添えになったのだと」
インスラが舌打ちを一つ。明らかに不機嫌な気配を放ちはじめたので、マサエールは彼の手を撫でる。
不穏な気配は引っ込んだ。
「ヨーリオム様はどうされていましたか?」
「その発言があった時には離れていらして」
夜会は男女が共に動くのが基本ではあるが、男たち、女たち同士の会話をする状況も当然ある。
この状況であれば、タートリアがあえてヨーリオムの離れた時にそう言ったとみて間違いあるまい。
ジュノーは続ける。
「ただ、おそらくはラディクス家の家中のどなたかがヨーリオム様に報告に走られたのでしょう。すぐにやってきたヨーリオム様がお言葉をたしなめていらっしゃいました」
ふむ、とマサエールは頷き続きを促す。
「ヨーリオム様はなんと?」
「マサエール様は不出来ではない。病を得たために身を引いたのだと否定されていました」
「それを聞いたタートリア様はどうだったのかしら」
「その場では謝っていらっしゃいましたが……ヨーリオム様が離れた後に、『病で夫を支えられないなんて、それも不出来と言えるのでは?』と」
再びインスラから不穏な気配が流れ、ジュノーの瞳からは涙が溢れる。
マサエールは再びインスラの手を撫でてからジュノーを抱きしめた。
「ありがとう。わたくしのために怒ってくれて嬉しいわ。でも大丈夫よ」
「うー……お姉様……」
ぽんぽん、とマサエールの手があやすように背中を叩く。
「わたくしの名誉をある程度貶めるのは仕方ないの。これは必要なことなのよ」
「なぜですか!」
「わたくしに全く瑕疵がないのなら離婚できないもの。だからね、そう言われることはお互い折り込み済みなのよ。そのためもあってボレアリスはラディクスから多額の慰謝料を貰っているわ」
厳密にはグッリッジからもラディクスを通じてかなりの額が払われているはずである。そのあたりは当主筋に丸投げしたので細かい話はマサエールは知らない。だが、既にボレアリス領の金回りが良くなり始めているのは、屋敷から表に出ないマサエールにだってわかるのだ。
「しかしそれではお姉様の名誉が!」
「今更傷ついたところでというのはあるけれども」
ヨーリオムはできるだけマサエールの瑕疵が少ないことにしたいだろう。一方、タートリアはそれが多いことにしたいはずであり、そこは彼らの社交の問題である。マサエールはそれに関与しない。
「うう、これを見過ごさねばならないのですか……」
にっこりとマサエールは笑みを浮かべた。
「もちろん、踏み越えてはならない一線はありますけどね。また何かあったら教えて頂戴」
ξ˚⊿˚)ξまた主要人物が棒振ってる……。





