3話
なろうが嫌いだ。正直言って気に食わねぇ。
「アレはエロ漫画のと一緒なんだよ。似たような話ばっかで売れるのは気に入らん」
例の本屋のレジ台を向かいに俺はそんなことをぼやく。最近は、共有出来ないその気持ちに自信が沸いていた。挙句の果て、後輩にまでこうやって話すほどに。
翻車魚は文章の節々からなろうを嫌煙していた。
向き合う逃走と忘れる逃走。翻車魚は他とは違う、向き合ってるんだ。
「まぁ、でも俺のが書籍化したってそう上手くはいかないんだろうな」
「自分の本を棚に上げて、言い訳を重ねたって事実売れているんです。あるってことは刺さってる人が多いんですよ。中途半端に終わったアナタとは違う」
顔が赤くなっているのが分かる。
……でも、そもそもコイツは俺の小説も見てない。
というか、ただただ正論なんだ。俺がありもしない未来でイキッてるだけなんだ。
「うっせ。一緒にすんな」
*
国崎則人。出版社の編集者らしい。雲雀ヶ丘が連絡を取り合ってくれた。
「すません。お邪魔しまーす」
一軒家。リビングには食卓を囲む温かいダイニングテーブル。嫁らしき女性はキッチンに立って――日曜の昼に来たもんだから、シチュ相まって幸せに苛まれる。
「マンボウ? あぁ、佳奈ちゃんに渡したね。逃げたい逃げたいって言ってたから」
ダイニングテーブルを中心に相対する俺と国崎さん。優しい見た目……。というよりは疲れが顔に出ている。眼鏡の奥の瞳がわずかに曇っていた。
俺は聞かずにいられなかった。
「……この本の作者って」
「四季ちゃん。俺の幼馴染」
……答え。それが、名前?
「し、四季ちゃん……」
「いちよう俺、出版の編集だからさ、彼女の要望でこれを書籍化させたってわけ」
「えっと、どこにい!?」
舌がもつれた。「どこにいるんですか」なんてスッと出なかった。
幼馴染の作者? 彼女の要望で書籍化させた? ……眼鏡。
俺は息を飲む。呼吸も浅くなるほどに。
疑問が俺の中を取り巻いている。
「……この本って——」
息も絶え絶え、なんとか言えた。
もしそうなら、俺が思ってる以上に作者は……。
「——病院にいる、本人に聞きな」
*
金沢病院。翌朝、俺は受付で彼女の名前を口にした。
行くのが怖かった……現実が殴りかかって来た。
理想が、恐怖に塗り替えられている。
カッカッと廊下に響く足音は腹まで響く。
昂る心音と重なって体が重くなる。
病室の扉を目の前にすると自分がどれだけ馬鹿だったか分かった。
――ガラガラ
軋んだ扉。
ゆっくり。ゆっくり。
開ける刹那まで躊躇って、何をどう話そうか考え付かなかった。
「則人から聞いたよ、ファンなんだって? 嬉しいなぁ」
ベッドに横になった姿。開け放たれた窓と溢れる太陽の光。
弱々しい白い肌、肩辺りまで伸びた髪は反射している。
雲雀ヶ丘の奇形という話はあながち間違いじゃなかった。
「……足が」
彼女には、足がなかった。
「この本は、私が高校生のときに書いたんだ。事故で足を失って、だから書いた。ここに一人縛られた私に残された、私を残す方法がそれしかなかったから」
思念の籠った呪い。ずるずると受け継がれるその正体は承認欲求なんて単語じゃ片付けられそうにない。
なぜそこまでして本を広めたかったんだ?
安易なファンタジーじゃない、この作品。何かメッセ―ジはあるはずだ。
眼鏡。幼馴染。きっと、それだけじゃない。
あの人が答えられなかった答えがあるんだ。
「一つ、聞きたいことがあるんです。この本は……実体験ですよね?」
「うん。どうやって分かったんだ?」
「……眼鏡」
そっくりなんだよ……。
「……マンボウは足を失って置いて行かれた私。主人公は、私の好きな人さ」
*
毎日視界にチラつくマンボウ。おかげで明らかに精神は衰弱していた。
何を考えているか分からない、ただ俺をジーっと見ている。目は赤く充血していて、それはまるで地獄から這って来た死神のように見えた。
「君に付いてくるのは理由があるんだろうな」
皐月は徐々に俺を自白させるように追いこむ。
理由なんて、コイツの正体だって、俺は最初から分かってるさ。
そこから……僕は?
放課後、校舎裏で告白された。高校に入って初めてだった。
どこに惚れたのか、心は冷静にそんなことを考える。
「ごめん。付き合えない」
俺は、幸せになれない。
自業自得だ。
皐月は彼女を弔うと言った。僕の過去を知った皐月は、きっと僕を――。
皐月に連れられるのは彼女と過ごした思い出の場所。
なぜ巡っているのか、追い込まれる感覚だけが僕の胸で膨らんでいく。
「——マンボウ、彼女は元は女の子だったんだね」
赤く充血したマンボウ。瞳は潤んで、落ちた一滴の涙に何かが決壊した。
嫉妬。あの子が消えたって、僕がどうこうなる訳じゃない。
ずっと、ずっと独りだったから、何かがズレて――本当に馬鹿だ。
「……僕が殺したんだ! 小学校のとき、あの交差点で! だから!」
皐月は僕を優しく抱いてきた。
骨ばった腕、優しさはあっても、温かみは感じなかった。
「彼女が嫌っているのは、このまま忘れられることだよ。別に幸せになって欲しくない訳じゃないんだ。でも、寂しいだろ? 一人先に行ったって何もないんだ」
「……どうすれば」
皐月は、僕の耳元で囁く。
「……死んだ女の子がマンボウになると思うか?」
「え……」
僕は気付いてないらしい。全て幻覚。マンボウも、皐月も存在しない。小学校のとき、あの小さい背中を押したのは事実で……それ以外は全て虚構。
それでも、僕にはマンボウが、彼女が見えていて……。
*
「足を失ったのは高校の頃だけど、この物語に、私の気持ちに間違いはない」
脳内は翻車魚のシーンを断片的に映す。
私が、マンボウ。
やっぱり、マンボウなら……。
「国崎さんが、アナタの足を?」
一瞬、躊躇ったような。彼女の息がたわむ。
「……自分さ。ずっと、ずっと独りだったから何かがズレたんだろうな。則人の隣にいたのに、則人は私以外を選ぼうとしていた。……気を引きたかったのかな」
それは思った以上に素直で――屈託のない清々しい表情だった。そんな彼女を前に俺は、どんな顔をすればいいのか……何もかも分からなくなった。
「なんで、そんなことを!」
俺は声を荒げる。彼女の無い足を見て。布団にまで顔を乗り出して。
「別にいいんだ。こうやって一人でいるのも悪くない。私の中に則人は生き続けているんだ。……告白したって、彼が振り向かないのは知ってるからね」
結婚、知らないのか?
生きる呪いのようだった。これは物語なんかじゃない。ただの脅迫状だ。
そう分かったとき、俺に広がった彼女への興味は失せた気がして、持ち合わせていた好意がポロポロと落ちていく気がした。
俺と同じだ、俺と同じじゃねーか。
学校も行かず小説を書いて、自分の中に閉じこもってる俺と一緒。
ただただ後悔と不満しかない現状を嘆くように文章を考えて――。
「それで……なんで私に?」
はにかんだ表情。
純粋に笑みも受け取れない。……けど。
「いや……なんでも、ないっス」
俺にはない。潔さがあの本にはあった。
本の、さらに奥にある作者の度量に魅られた。カッコよかった。