騒がしい同居人とパンケーキ
海波奏汰は大学から徒歩十五分の古ぼけたアパートに住んでいる、ごく普通の大学二年生である。
「奏汰君、また一人で喋っていたねぇ」
「そうだねぇ。ここに越してきてから一年経つけど、地元が恋しいのかねぇ」
「心配だねぇ。今度、肉じゃがでも持って行ってあげようかしら」
「それがいいわ。私も何か持っていくことにするわ」
今日も隣人たちである奥様方の、奏汰の部屋に関する話題は尽きない。それもそうだろう。一人暮らしをしている大学生の部屋から、昼夜を問わず誰かと話している声が聞こえてくるのだから。
「あぁ!もう、何すんだよ!」
そして今日も、奏汰の叫び声は住人たちの耳へ届く。
「心配ねぇ…」
「心配だねぇ…」
そんな奥様方の心配など知らずに、奏汰は今日も騒がしい同居人との生活を送っていた。
ちなみに先ほどの奏汰の叫びは、その同居人に叩き起こされことによるものである。そのためか、今日の奏汰は一段と不機嫌であった。
「かーなーたー。パンケーキが食べたいよー」
洗濯機を回し始めたところで、同居人から新たな注文が入る。
「お前、食べられないだろ」
「そんなこと言わないでよ。朝にソファで寝てたところを叩き起こしたのは謝ったじゃん。かわいい同居人のお願いだよ?それにさ、奏汰だって朝ごはん食べてないでしょ?私に朝ごはんを作ることで、奏汰も朝ごはんをちゃんと食べることができて、一石二鳥でしょ?」
「本当にかわいい人は、自分のことを『かわいい』と言わない。それに生憎だが、俺は朝からパンケーキなんて洒落たものを作って食べる体力と胃は持ち合わせていない。食いたいなら駅前のカフェにでも行け」
「言い方酷くないっ⁉私が部屋から出られないの分かって言ってるでしょ⁉」
もちろん理解した上で言っている。この自称『かわいい』同居人である音満渚沙は、奏汰の住んでいるこの部屋から一歩たりとも出ることが出来ないこと。さらには、自身でパンケーキを作るどころか、原稿用紙一枚すら掴むことができないことを。
彼女はこの部屋に住む自縛霊だ。今は俺が住んでいるこの部屋に住んでいた住人らしい。
「それに客観的に見ても、私って結構かわいいと思うんだけど」
「さあな」
「奏汰だって出会った頃とか、ちょっとはドキッとしたんじゃない?」
「…してない。お前みたいな我が儘なやつは、苦手だ」
そこまで言うと、渚沙は頬を分かりやすく膨らませる。
「作ってくれないと、奏汰の寝室に忍び込むから」
「ズルくないかっ⁉」
「先にいじわるしてきたのは奏汰だもん」
渚沙は目を細めて、ふいっとそっぽを向く。その行動は、幼い子どもがふてくされている様子そのものだ。ドキッとするよりも先に、いい年した大人がなにやっているんだと呆れてしまう。ひとまず渚沙の機嫌を直さなくては。寝室に忍び込まれたら洒落にならない。
「わ、分かった。作ってやるから、寝室を覗くのだけはやめてくれ」
両手を上げて降参すると、渚沙は目を細めたまま口角を上げ、薄ら笑いを浮かべる。
「やったー、さすが奏汰だね! それにしても、そんなに必死に拒むなんて、よっぽど見られたくないものでもあるのかな?」
「——っ」
嫌な言葉だ。俺の、嫌いな言葉。
「あーあ、やっぱり作る気が失せてきたなー」
渚沙から放たれたその言葉に悪寒を感じつつ、平然を装う。
「調子乗りました!ごめんなさい!」
男子大学生の寝室に見られたくないものがあることは別におかしいことではない。そもそも一人暮らしをしているはずの家に、こんなにも人懐っこい地縛霊が居ることの方が普通ではないのだ。
「作ってほしけりゃ、座って待ってろ」
「はーい」
溜め息をつきながら言うと、渚沙の元気な返事が返ってくる。朝から元気な渚沙に少し呆れながらキッチンへ向かい、冷蔵庫の横にかけてあるエプロンをつけて、卵や小麦粉、砂糖などの材料を用意し、食材を眺めてからもう一度溜め息を一つ。
(なんで俺、朝からパンケーキを作る生活してんだろ……)
別に不動産会社に騙されたわけじゃない。俺自身で決めたことだ。家柄も決して裕福ではなく、一人暮らしをしたいという俺の我が儘を両親に聞き入れてもらったため、少しでも安い物件を探した結果、ここに住むことを決めたのだ。何があったのかは聞いているし、別にホラーとか怪奇現象とかを信じているわけでもなければ、あったとしてもあまり恐怖を感じることはないだろう。少し不可解な現象が起こるくらいなら問題ないという考えで住み始めた。その考えが甘かったのだ。
引っ越しの作業も終わり、二週間が経ったころだっただろうか。俺はスーパーで夕飯の食材を買って帰宅した。親の手伝いをしていたためか、家事を毎日こなすことも苦ではなかった。一人暮らしにも少しずつ慣れてきて、学校の帰りに近所のスーパーで食材を買って、部屋に帰る。このサイクルが日課となり始めていた。しかし、その『いつも通り』は何の前触れもなく奪われた。
「あっ、帰ってきた!おかえりー!」
「え?」
白いワンピースを着た女の子が一人。当たり前のようにソファでくつろいでいた。
「すみません、部屋を間違えたみたいです。」
自分が持っている鍵を使って開けたのだから、間違えたなんてことはないのだが反射的にそう言って、部屋から出ようとする。
「ちょっと、待ってよ!」
女の子がこっちに向かってくる。やばい、通報される。なぜかそう考えてしまい、逃げようとしたが、足が震えて動けない。女の子は目の前に迫り、俺は覚悟を決めて目を瞑る。
「通報だけは勘弁してください!」
「君、私のことが視えてるの⁉」
頭を深々と下げて謝ると同時に投げかけられたのは、不思議な言葉だった。見えているかって、そりゃあ見えていますとも。首だけ前を向いてゆっくりと目を開けると、女の子は大きく目を開き、キラキラとした眼差しで俺を見ていた。明るめの茶色、セミロングで少し外に跳ねた髪。二重でぱっちりとした、髪色と同じくらい明るい茶色の大きな目、幼さが残る顔つきで、純白のワンピースがそれをさらに際立たせていた。一言で表せば、とてもかわいらしい女の子だった。
「み、見えてますけど」
そう答えると、女の子の目はさらに大きく開かれ、向日葵のような笑顔が咲いた。
「やっぱり!視えるんだね!今まで私の存在を感じ取ってくれる人は居たけど、みんなすぐ出ていっちゃうし。目を見て会話もできる人が来るなんて、遂に私にも運が巡ってきたのかな!」
何なんだ、この子は。こっちの戸惑いにもお構いなしで、一人で嬉しそうに飛び跳ねている。滅茶苦茶に跳んでいるように見えるのに、音がまったくしない。器用だなぁ。
「あのー、嬉しそうにしているところ申し訳ないんですけど、誰ですか?ここ、俺の家なんで出てってもらえないようなら、警察呼びますよ?」
危うく流されそうになったが、ようやく冷静さを取り戻せた。そうだ、ここは俺の部屋だ。どうやって入ったかは知らないが、出て行ってもらわねば非常に困る。女の子はしばらくキョトンとしていたが、突然何かを理解したような顔になった。
「あれ、君。何も知らないでここに住み始めたわけじゃないよね?」
「えっ」
そこまで聞いて、俺はさっきまで疑問に感じていたことと、この女の子の発言をまとめる。
「見えていることに対する喜び。飛び跳ねているのに足音がしない。鍵は閉まっていたのに部屋の中にいる。知らないで住んでいたわけじゃない……」
すぐに一つの結論が浮かび上がる。ここに住む前に不動産屋さんが言っていたことだ。
「数年前に亡くなったっていう学生?」
女の子がにっこりと笑ってウインクをする。
「ピンポーン!つまり君は今、幽霊とお話しできてるってわけ」
なんとびっくり、幽霊でした。なんてあっさり信じられるわけがない。
「幽霊って実態ないだろ?本当に幽霊だっていうなら、証明して見せろよ」
さっきまでは驚きのあまり敬語を使っていたが、少し強めの口調で言ってみる。
「いいよ?私の手の上に何かおいてごらんよ」
「え?」
まさかの返答だった。そんな自信たっぷりに言われると、逆に不安になってくる。
「あ、ただし落としても大丈夫なものにしてね。受け止められる自信は皆無だから」
「わ、分かった」
自分から切り出したことなのに、不安が積み重なっていく。一方で女の子は両手で受け皿の形を作り、早く乗せなさいと言わんばかりの顔で見てくる。とりあえず手に持っていたこの部屋の鍵を手の上に置いてみたが——チャリン、と俺の手から離れた鍵は見事、女の子の手のひらをすり抜けてカーペットの上に落ちた。
「ねっ?これで信じてくれた?」
女の子はこれ以上ないほどのドヤ顔を見せる。あっという間に証明されてしまった。
「ってことで、ここは君の部屋であり私の部屋。私は幽霊の音満渚沙。よろしくね!」
「マジかよ…」
そうして、幽霊との生活が始まった。
今まで奏汰に霊感などというものはなかった。高校時代には友人と心霊スポットに行ったが、見えたり聞こえたりするどころか、まったくと言っていいほど何も感じなかった。そんな人間が、大学生になって一人暮らしを始めて一週間で幽霊を見ることになるとは夢にも思わなかっただろう。というか、夢であってほしかった。なんだかんだで、一年以上過ごしてきたが、渚沙の騒々しさに慣れることはなかった。
「—た?奏汰ってば!」
渚沙との出会いを思い出していたら、いつの間にか背後に立っていたご本人様に呼ばれた。
「なんだよ、座って待ってろって言っただろ?」
「焦げてるよ⁉」
「えっ?」
フライパン上のパンケーキ生地からは黒い煙が昇り始めていた。
「あっ」
(やっちまったー)
テーブルの上には白いお皿に片面が真っ黒に焦げたパンケーキが一枚。向かい合った席には同じく白いお皿に綺麗に焼けたパンケーキが一枚。
「はぁ…」
「おいしい!」
素材は同じはずのパンケーキを食べながら(?)、溜め息をつく男子大学生が一人と歓喜の声を上げる地縛霊が一人。
「焦げたのは奏汰の責任なんだから、奏汰が食べるべきだよ」
というので、もう一枚焼き直すことになってしまった。二枚目を焼いている間、渚沙は「見守り」という名目で「監視」をしていたため、二枚目を焦がすことはなかった。というか、今までで一番の出来になったと思う。
「一生パンケーキ焼いてろー」
と、焼いている笑顔で言われてムカついたけれど、不注意で焦がしたことは事実なので何も言えなかった。
甘みと苦みの微妙なハーモニーを堪能しながら失敗したパンケーキを完食すると、向かい側に座る地縛霊はにこっと笑って
「じゃあ、私はお腹いっぱいだから食べといてね。ごちそうさまでした!」
完璧にできたパンケーキを丸々一枚、差し出した。渚沙が言うことには、幽霊は本当に匂いで満腹になるらしい。実際に食べた感覚もあるそうだ。
「はいはい、分かったよ」
渚沙は皿を動かすこともできないので、自分で皿を寄せる。パンケーキは意外と一枚で満腹になる。少食の奏汰は尚更満腹だった。今日も大学の授業が午前中からあるので、そろそろ家を出ないと間に合わない。
「やっぱり、帰ったら食べるわ」
そう言ってラップをかけて、冷蔵庫に入れる。メープルシロップもかけず、テーブルに置いておくだけで、かけた状態と同じ味になるらしいので、何もかかっていないからこそ後で食べることが出来るというのが、せめてもの救いだった。
「今日の夜ご飯は?」
洗濯物を干し終えたところで渚沙から声を掛けられる。こいつ、相変わらずエネルギーの変換効率が悪すぎるだろ。
「今、食べて「お腹いっぱい」とか言ってただろ。食ったもの、どこにいったんだよ」
「だって、奏汰のごはん、おいしいんだもん」
まったく、この幽霊は。純粋かどうかは分からないが、ストレートにそういうことを言われると憎めないのが悔しい。
「スーパーで安売りしてたもので決める」
「分かった!」
「いいか?寝室は絶対覗くなよ?」
「分かってるって。毎日言わなくてもいいのに」
「何か気に入らないことがあると、同居人の誰かさんが毎回それを駆け引きに出してくるからなぁ?」
「ごめんなさーい」
こんなくだらないやり取りも、ほぼ毎日繰り返している。渚沙の大声で叩き起こされ、洗濯物を干し、ご飯を作る。最後に、俺の寝室へ入らないように忠告してから家を出る。これが一人暮らし三週間目から現在に至るまで続く、俺の新たな『いつも通り』だ。
「じゃあ、行ってくる」
「はい、行ってらっしゃい!」
俺はしっかりと鍵を閉めて、大学へ向かった。




