表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
かんな  作者: 可湳
4/16

邂逅

さっきの鉄骨が落ちた音。次の瞬間、白いものが一気にひろがって――

視界がぜんぶ、牛乳みたいに真っ白に染まった。


熱じゃない。湿った金属のにおいと、甘い薬みたいな匂いが混ざる。

目がしみて、喉がキュッと縮む。せっかく息を吸ったのに、咳になって飛び出していく。


「げほっ……なにこれ、ちょ、ま――」


床の感触がぐにゃって遠くなる。肩口にひやっとした何かが触れて、カチン、と軽い音。

手首が勝手に重くなる。磁束の輪っか、かな。そういう嫌な予感だけは当たる。


足音。執行官のブーツの音じゃない。もっと静かで、やわらかい足音。


「だいじょう……ぶ……」


言いきる前に、あたまの中のスイッチが、ふっと落ちた。


---


目が覚めたら、天井に黄色い付箋が貼ってあった。「牛乳買う」「プロトコル修正」「植木に水」って、誰かの字。


鼻の奥に、コーヒーと消毒薬がまざった匂い。

遠くで小さくブーンと回る機械音。

壁際には透明のカーテンつきのたぶんフードがあって、中に青い手袋がぶら下がってる。

棚には手書きラベルの瓶と、逆にラベルがない瓶。

机の端でノギスとピンセットが重なって、ケーブルはほどけかけのまま。

ベッド脇の床には、片方だけ転がったスリッパ。


……ここ、研究室……かな?それにしては、めっちゃ生活感ある。


片側には白いボード。

数式と、私みたいな棒人間の落書きが混ざってる。

机の上はコーヒーの輪っかがいくつも印をつけてて、空きマグと工具と、カップ麺のフタが本のしおりになってる。

窓辺の観葉植物には「ななし」とマジックで書かれた札。

かわいい。


私は簡易ベッドの上。

片側だけ薄く沈んだシーツ、枕にはコーヒーの香りが少ししみてる。

毛布の端は、手ぐせで丸められたみたいに柔らかい癖。

手首には薄い磁気の輪っか。

引っ張ると、ピッて低く鳴ってやめなさいと言われる。

足は自由。

毛布がふわっといい匂い。


パァン!

「うわっ!?」

乾いた破裂音。紙吹雪がぱらぱら降って、私の胸の上に一枚の星が落ちた。

机の端から、小さな丸い皿みたいなものがピョコンと飛び出してきて、

紙吹雪だけをふうっと吸い込んで戻っていく。

「なにそれ!」

「フブキくん(β)」

ひょうひょうとした男の声が、どこからともなく降ってきた。

知らない声だ。

「……あ、ちょっとまずいかも」

ぼん!

「うぎゃあ!?」

皿がもごっと膨らみ、さっき吸い込まれて圧縮された紙吹雪の塊が、

私の顔の右を弾丸みたいにかすめて飛んだ。

ベッドの金属フレームに当たって「ピン」と鳴り、そこだけ少し曲がる。

小さな煙の輪っかと金色の紙吹雪を一枚だけ、遅れて吐き出した。

「あぶな!!」

「仕様。たぶん」

「それ、仕様って言い張るの強すぎない!?」

「起きたね」


声がして、振り向くと、人が座っていた。


白衣でもスーツでもなく、くたっとしたカーディガン。

袖口に半田の焦げ跡と薬品っぽいシミ。

眼鏡はフレームが少し曲がってて、レンズの内側に細い傷が光る。

三日くらい伸ばした無精ひげが頬から顎に影を作って、髪は雑に後ろでひとつに留められてる。

前は撫でつけられてオールバックみたいになってるけど、こめかみのあたりから逃げた触覚が二本、ぶら下がってる。

マグカップを手で包んで、湯気の向こうで目だけがよく笑っていた。


「ここは……?」


「はーい、お目覚め記念。まずは呼吸、ゆっくり。

ここは……まあ、安全寄りの場所。そういうことにしとこう」


「執行官さんたちは?」


「ここには来ません。少なくとも、今日のぶんはねぇ」


短く、それだけ言う。嘘っぽい言い方じゃない。けど、全部は言ってない感じ。


私は手首の輪っかを見せる。

「それ、外してくれたら、だいぶ安心するんだけど?」


「承りました。では、ぱぱっといきましょうか〜」

彼が腰を上げると、思ったより大きく見えた。天井の光が肩でひとつ切れて、影がふっとかぶる。ひと呼吸ぶんだけ胸がこわばった。

彼がひょいと近づいて、ペンみたいな細い棒を一振りする。輪っかがするりと解けた。


「ありがとう!」

ベッドから立ち上がり、しびれた手をぶんぶん振って血の巡りを確かめる。ひと歩き近づくと、自然と見上げる角度になった。女子の中では高いほうの私でも、彼の肩は天井の光を一枚切る位置で、目線は鎖骨のあたりに引っかかる。

「あ、自己紹介!私はかんな。NULLだけど、かんな。あなたは?」


男の人は、わざとらしく咳払いしてから言った。

「いや〜自己紹介タイムですね。僕、識別はVA-510219で通ってます」


「名前はないの?」


「僕も名前がなくなった後の時代の生まれでして」


「ふーん……お仕事は?」


「研究と運用をちょいちょい。機械の片付け、書類の片付け、あと片付け全般をですねぇ〜」


片付けが多くない?

彼が指先で机の上の小さな立方体をコトンと転がすと、

空気がすこしだけ甘くなくなった。消毒薬っぽい匂いが薄まる。

「それは?」

「クーキまるくん」


いちいち発明品(?)がちょっとかわいい。


「そういえば!さっきの、もくもくのあと、私……」


「いやぁ、あの時はですねぇ〜、白いのがドバッと出まして。これはイケナイ!って思いましてね、安全第一で、ちょいと固定して、びゅっと移動を。クラッカーのほうが性に合ってるんですけどねぇ」

彼は指を鳴らす。天井の角で、小さな紙の旗がひらっと出て「WELCOME」とだけ書かれて消えた。

旗を支えていたちいさなポールは消えずに、鼻先をすっとかすめて落ちる。

「おっと」

「それは!?」

「アイサツくん」


「連れてきたのは、執行官さんじゃなくて、あなた?」


「そうでしてねぇ」


即答。胸の中で、何かがコトリと転がる。助かった、とは言えない。だって私はちゃんと、つかまって、ここにいる。


「危ないことはしませんよ〜。驚かすのは、ついクセになっちゃってて。」


「ふむ」

私は彼の机の上にある付箋を見つめる。「牛乳買う」が二枚ある。大事なんだ、牛乳。


「それで、VA-ご…510……あれ、510219? ごめん、噛んだ。長いし名前ないなら私がつけちゃっていい?」

「やった~!かんなサンにつけてもらえるなら僕なんでも使いますよ!」


口が先に動いた。

「じゃあ、今日からあなたは『佐々木』でどう?」


男の人――いや、佐々木は少しだけ目を瞬いた。


「……理由は?」


「似合う。いま思いついた。あと、ささっと動く感じ。佐々木。ね?」


私が笑うと、彼も小さく笑った。


「採用で〜す。かんなサンがそう呼ぶなら、今日から私は佐々木で〜す」


「やった」

私は親指を立てる。


「で、佐々木は、私になにをしてほしいの?」


「いや〜、わたくしこと佐々木は、かんなサンの歌声に感動を受けましてねぇ!これはぜひ僕も支援したい!って思ってたんですよ〜。だから差し出がましくも、まずは安全第一、歌える場所の確保と、ちょっと見つかりにくい通り道の整備、それから機材の面倒をさせていただきたいな、と。」


彼は机の上を指でトントン。

透明の付箋がふわっと三枚、空中に浮いた。

一枚目には『歌える場所』と手書き。防音、ノイズカット、夜でもOK。

二枚目『見つかりにくい経路』。ミラー配信、遅延、切り替えルート。

三枚目『機材と生活』。マイク、インイヤー、予備電源、ごはん、寝る場所。


「それって、支援?」


「そうですね。まずはここから」


「見返りは?」


「ない」


一拍。彼はマグを口に運んで、コーヒーをひと口、ふくむだけで飲まなかった。


怪しい。めっっちゃ怪しい。けど、嫌いじゃない。むしろ、ちょっと嬉しい。だって、ここ、あたたかいし。


「暴力とか、する?」


「できるだけしない。趣味じゃない」


即答。そこだけは、ちょっとホッとする。


「でも、さっきは、私、こう……」

手首の輪っかの真似をしてみせる。


「必要最低限の固定はします。安全のためでしてねぇ」


「ふむふむ。正直者だ」

私はニヤッとして、ベッドから降りた。足、ちゃんと動く。


「ここ、いいね。植物かわいいし、付箋いっぱいだし。『ななし』ってセンス好き」


「お、そういってもらえると柄にもなくがんばった甲斐がありますね。」


彼が窓辺のパイプをツンと触ると、観葉植物の上にだけ小さな霧がふわっと落ちた。

霧の粒が一つだけ弾かれて、コンセントの方へぴゅっと飛ぶ。

彼が手のひらをひらりと振ると、粒は方向を変えて鉢に吸い込まれた。

「なにそれ!」

「ナナシレインくん」


「それと、もうひとつだけ、いい?」

私はくるっと振り返る。

「私ね、歌うことのほかに、もう一つやりたいことがあって――自分のルーツ、知りたいんだ。全然昔のこと覚えてなくて……こっちも協力してくれないかな?」


佐々木の手が、ほんの少しだけ止まった。マグを口に運ぶ。コーヒーを、口に含む。


「……調べてみましょう。でも、いいんですか?いきなり会ったアヤシイ人に自分の過去探らせちゃって」


目は笑ってるのに、湯気の向こうで、言葉だけが少し重い。


彼はマグをそっと置いて、目の笑みを戻した。

「まずは、ここでの暮らしを整えましょう。話はゆっくりで」


「うん!」

私は笑って、彼の机の付箋を一枚、指でトントンした。「牛乳買う」

「これ、私の分も入れといてね。あとで一緒に買いに行こ」

佐々木が指をぱちん。棚の小さなランプが一つだけ点いて、低い電子音が短く鳴る。

「いま、在庫に“かんな分”を足しました!これからよろしくお願いします~~!」

「これからよろしく!佐々木!」


そういった瞬間、さっきのランプが合図だったみたいに、

ピッ、ピピッ。天井の隅でミニホイッスルが鳴って、

ぼふっ。棚の奥から小さな空気砲が一つ、二つ、三つ。

ぽふっ、ぱんっ、と連鎖して、書類と透明付箋がふわっと舞い上がる。

さっきのランプの下で、小さな装置が点滅して、紙吹雪をひとつかみだけ撒いた。

観葉植物の札「ななし」がぴらりと揺れ、アクリルのクリップが私の耳横をかすめて落ちる。

「わぁ、きれい……って、挨拶の圧つよ!これは!?」

「カンゲイくん(自動)」

胸の奥が、ぱっとあたたかくなる。歓迎されてる――そう思った。


見た目は、くたっとしたカーディガンに無精ひげのエンジニア系お兄さん。なのに、口を開くと祭りの司会者みたいにひょうひょうとしてて――そのギャップが、ちょっとおかしくて、ちょっと安心する。


外はまだ、どこかでサイレンが鳴っている。ここだけ、静かで、ちょっと変な匂いがして、でも、悪くない。


新しい物語の始まり――。


---


……ひと呼吸おいて、部屋を見渡す。

舞い上がった書類は、散乱というより、元より増えたみたいに机の端に積もっている。透明付箋は壁まで泳いでいって、勝手に「歌える場所」「経路」「機材と生活」の欄に一枚ずつ貼り足されていた。

ああ、だから“片付け”が業務の大半を占めるのか。ちょっとだけ納得。


評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ