追跡と逃走
配信検知システムが警告音を響かせたのは、定時巡回の最中だった。
モニターに赤い点滅。未認証配信者――座標VAS-789-45、廃墟地区。
人格ID:NULL。出演者:未登録。
今週で三度目。同じパターン、同じ座標、同じNULL違反者。
「……またか」
俺は椅子から立ち上がり、制服のボタンを確認する。
その横で、眼鏡の副官--VA-238105が冷静にログを確認していた。
「対象、例の"NULL"です。人格ID未発行、複数回の逃走歴あり」
「分かっている」
「今回も私たち二人だけで?」
「当局の指示だ。十分だろう」
「了解しました。センサーワイヤの配置位置、確認済みです」
彼女はそれ以上意見せず、眼鏡を押し上げた。
事前準備の徹底さ、冷静な状況判断――信頼できる相棒だ。
「行くぞ、VA-238105」
「了解です、VA-431047」
互いに番号で呼び合うのが当然の礼儀。
名前など、この組織には存在しない。
---
廃墟の3階。割れた窓の向こうで、彼女が歌っていた。
夕闇に浮かぶ小柄な影。ドローンが舞い、光の粒が踊る。
「……くだらん」
俺は深呼吸し、部屋へ踏み込んだ。
「VA管理局特別捜査課だ!即座に行動を止めろ!」
彼女が振り返る。驚いた顔――だが怯えはない。むしろ「お、来たな」という顔だった。
「ごめんねみんな、今日のライブはここまでみたい。また執行官さんたち来ちゃったから」
彼女の右に展開されたホログラムのチャット欄が一斉にざわめく。
『恒例イベントきたw』
『お約束助かる』
『逃げろかんな!』
『執行官さん仕事熱心すぎでは』
---
「違反者NULL、拘束する」
俺が踏み込むと同時に、彼女は窓枠に飛び乗り、外へ跳んだ。
「NULLじゃないよ私は、か・ん・っ――おわぁ!!??」
彼女が名乗り切る前に、俺は素早く手を伸ばしIDスキャナーをかざす。
光が彼女の肩をかすめ、バランスを崩させる。
「……待って聞き終わってからにしてよ!?レディに対してつれないなぁ!」
「犯罪者の話を最後まで聞く必要はない」
チャット欄が沸き立つ。
『名乗りすら許されないw』
『つれなさSSSランク』
『NULLじゃなくて“かんな”ですぅ!のくだり草』
彼女は笑いながら、鉄骨の梁を伝って走る。
VA-238105が横で短く言う。
「追走します」
「ああ」
---
彼女は梁を軽やかに駆け抜け、配管から窓へと飛び移る。
チャット欄は実況で沸き立つ。
『追いかけっこ草』
『執行官さんジャンプ力あるやん』
『BGMつけろwww』
「ねぇ執行官さん!名前とかないの?」
彼女が振り返りざまに叫ぶ。
「俺はVA-431047だ。名前などない」
アクロバットを続けながら数秒の沈黙。彼女が次はVA-238105に声を投げる。
「じゃあメガネのおねーさんは?」
VA-238105は無言のまま視線を前に固定していた。
「……つれないなぁ~!」
彼女は口を尖らせ、舌を出してまた梁を飛び越える。
チャット欄がざわつく。
『名前聞いてて草』
『メガネさんスルーww』
『恋の三角関係始まったか?』
「くだらん。最も――仮に名前があったとしても、犯罪者に名乗りなどしないがな」
かんなは振り返りざまに舌を出し、梁をひょいと飛び越える。
「わっ、キザ!でもそれ言いたかっただけでしょ!」
---
彼女が廃墟を軽やかに駆け抜ける。
片足を崩壊しむき出しになった鉄骨にかけ、身をひねって反対側へ飛び移ろうとした――その瞬間。
俺は指先で小さく信号を送った。
カチリ。
仕掛けておいたセンサーワイヤが反応し、周囲の空間に光が奔る。
ホロケージの格子が火花を散らしながら展開し、まるで虫かごのように彼女の全方位を塞いだ。
エネルギー消費が激しく、持続時間は限られているが――今は十分だ。
彼女の目が見開かれる。
「えっ……!?なにこれ、完全に狙ってたじゃん!反則でしょ!」
彼女は慌てて体勢を崩しかけながらも、かろうじて足を止める。
いつものひょうひょうとした余裕が消え、代わりに驚きと戸惑いが滲んでいた。
足を止めた彼女の表情に、観客も異変を察した。
チャット欄が一斉に色めき立つ。
『【悲報】かんな、敗北』
『管理局有能すぎる』
俺は一歩前に出て、ホロケージの光に照らされた彼女を見据える。
「ちょ、ちょっと待って!やっぱり話し合おう?ね?女の子をこんなピカピカ檻に閉じ込めるとか、絵面ひどいでしょ!」
彼女は両手をひらひらさせ、にこっと笑ってごまかそうとする。
「命乞いのつもりか?無駄だ」
「えっ!?ちょ!私、命奪られるの!?ほんとに!?そんなガチなやつ!?!?」
彼女は両手をばたばた振り回し、必死に叫ぶ。
「あわわわわわ、まままだ歌いたいのいっぱいあるし!配信も途中だし!ファンのみんなも見てるし!やだやだやだーっ!!」
チャット欄が大荒れになる。
『かんなガチ焦りwww』
『泣きそうで草』
『16歳そこらで人生終了宣告は重すぎるw』
---
俺は鼻で笑い、ゆっくりとジャケットの胸ポケットへ手を伸ばした。
観客も彼女も、その仕草に一瞬固まる。
チャット欄がざわつく。
『……え、まさか撃つのか?』
『やばいやばいやばい』
『これ笑えないやつだろ』
『終わった、完全に詰んだ』
だがその瞬間――
ガンッ!
頭上の鉄骨が崩落し、ホロケージを直撃。
火花を散らして、光の檻は跡形もなく消えた。
「なっ……!」
「えっ……!?」
俺と彼女の声が重なる。VA-238105も息をのんだ。
古びたパイプが破裂し、濃い蒸気が一気に吹き出す。
視界が白に塗りつぶされ、音だけが反響する世界に変わった。
---
「……外部協力者、か」
拳を握りしめる俺に、VA-238105が低く言う。
「作戦が漏れている可能性も」
「……ああ。だが次は逃がさん」
蒸気の中、俺たちは廃墟を後にした。
VA-238105がふと問いかける。
「ところで……本当に、命を奪るつもりだったのですか?」
「何を言っている。さすがにそれは適法ではない。執行官は法を越えない」
俺は胸ポケットから銃ではなく、冷たい金属の手錠を取り出して見せた。
「安心しました」
……俺のことをなんだと思っているのだろうか。