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かんな  作者: 可湳
1/16

歌声が響く廃墟で

私以外、誰もいない廃墟の天井から差し込む夕日が、舞い上がる埃に琥珀色の筋を描いていた。

天井はところどころ抜け、薄い雲の流れがそのまま見える。切れ目から落ちる光は、屋内なのに外の広さを連れてくる。

湿ったコンクリートの匂い。冷たい床の感触。

けれど胸の奥では、今夜も特別な時間が始まる予感が脈打っていた。

今夜は、番号の海から一人でも多くの『名前』をすくい上げる。


私は手首のブレスレットを二度タップする。

淡いブルーの操作パネルが宙に浮かび上がり、「配信開始」のボタンがやわらかく光る。


指先で押すと、カメラドローンが羽音のような低い音を立てて浮上。

私を一周し、音響システムが短い確認音を響かせる。


「配信開始まで、10秒」


パネルのカウントダウンが落ちていく砂粒のように進む。

私は髪を直し、深く息を吸った。


「3、2、1……配信開始」


赤いランプが灯り、私の姿が世界に解き放たれる。


---


「みんな!」


両手を大きく広げる。

画面越しに伝わる熱が、胸を押し上げる。


廃墟の奥で、小さな光が揺れた。

VAへのブレインダイバーを可視化する簡易ホログラム――RAからのアクセスだ。


チャット欄が一気に溢れ出す。


『準備OK!!』

『きたああああ!』

『かんなちゃーーん!推し!!!!』

『仕事サボって見てるw』

『音割れ待機』


その中に、見覚えのある名前があった。


『今夜も盛り上がろうぜ! ― 高橋』


そのコメントと共に、浮かんでいた小さな光が点滅し高く舞い上がった。

やっぱり。あの光は高橋くんだ。


三ヶ月前まで、彼はただの「RA-7834921」だった。

けれど私が「番号じゃなくて、名前で」と呼びかけた夜、彼は震える声で名乗った。


「……高橋です」


今の彼は、当時が嘘のように陽気で、誰よりも場を盛り上げてくれる。


---


「今夜の最初の歌は――」


半透明のチャット欄が、期待で一斉に息をのんだように静まる。

光の粒子が文字を形作り、宙にゆらめいている。


「『名前を呼んで』」


ブレスレットが淡く光を放ち、音響システムが低く起動音を鳴らす。

カメラドローンが生き物のように宙を舞い、最適な角度を探す。


---


息を吸い込む。

廃墟は橙色の夕闇に沈み、まるで時が止まったように音を失っていた。

頭上の抜けた空が高い。息が伸びる。


かすかに届くのは、遠い街のざわめき。

古びた配管を抜ける風の吐息。


張り詰めた静寂は、深い水底のように重く、私の心臓の鼓動さえ響き渡る。

その中心に立つ私が、ここから世界を変える。――ここが私のステージ。


指先で宙に円を描く。

楽曲データが呼び出される。


――静寂が裂けた。


透明感のあるシンセベースが廃墟と私の身体を震わせ、きらめくハーモニーが崩れかけた壁に反響する。

開いた天井から風が降り、音は空へ抜けていく。埃まみれの空間が、一瞬で音楽の舞台に生まれ変わった。


---


私は歌い始める。


```

遠い空の向こうで 誰かが呼んでる

忘れかけた声を もう一度抱きしめて

```


静かなAメロが、崩れた壁の隙間に溶け込んでいく。

声に応じて光の粒子が舞い、空間が淡い彩りを纏った。


チャット欄の文字は止まり、まるで世界全体が耳を澄ませているようだった。


```

数字の海に沈んで 見失ったままの僕

探してる いまもずっと

```


切ない旋律が鉄骨を震わせる。

Bメロに入ると、音は少しずつ厚みを増し、ホログラムの光が天井から雨のように降り注ぐ。


朽ちた廃墟が、宝石の箱のように輝き始める。


---


そして――サビ。


```

名前を呼んで 名前を呼ばれて

ぬくもりの光を確かめたい

番号じゃない あなただけの

美しい響きが ここにある

```


感情が爆発する。

私の声は震え、光は限界まで明るく燃え上がる。


音楽はさらに高まり、ラスサビへ。

重いビートが廃墟を揺らし、床に光の波紋が広がる。


一歩進むたびに、光が足元で跳ねた。

まるで光の中を踊っているような錯覚。


光の粒子が爆発するように広がり、天井から降り注ぐ光のカーテンが私を包む。

一拍、息をためる。胸の奥で音が軌道を変える。


```

名前を呼んで 名前を呼ばれて

私たちは ここに生きている

一人じゃない 繋がってる

愛を込めて 呼び合おう

```


私の声が、かつてないほど高く、強く、温かく廃墟に響き渡った。


---


歌が終わると、音と光は静かに消えていく。

残ったのは――息を潜めるような静寂。


しばらくして、チャット欄に歓声の洪水が押し寄せる。


『鳥肌』

『声がバチクソ刺さる』

『お前ら泣くなwww』

『神曲確定』

『RAでこれ流して大丈夫かよ…』


最高潮の熱が、まだ肌に残っている。さっきの一曲は、私のなかの「最高」を更新した。

歓声が廃墟の壁で跳ね返り、画面越しでも頬に温度が移る。胸がいっぱいになる。

――けど、私はここで止まらない。もう一歩、踏み込む。私たちが本当に欲しい呼び方へ。


「みんな、ありがとう。でも……番号じゃなくて、名前で呼び合おう」


先ほどの熱狂から一転、チャット欄の空気が変わる。


『本名出すの?』

『そもそもVA民には名前なくない?』

『規約違反じゃ?』

『やめとけ危ないって』


そして――


『俺は高橋だ!』


私は笑みを浮かべる。

「高橋くん!ありがとう!」


それを合図に、ぽつぽつと名乗りが飛び込む。


『美香です…緊張する』

『モモです…!推してます!』


私は一人ずつ名前を呼んでいく。

そのたびに、光が揺れ、廃墟が温かさで満ちていく。


画面端で健全性スコアが黄色に変わる。見なかったことにして息を吸う。


---


次の歌では、即興で名前を織り込む。


「高橋くん、ありがとう!」

「美香さん、緊張しないで!笑顔になってくれると嬉しいな!」

「モモさん、今夜も一緒に!」


チャット欄は爆発する。


『呼ばれたあああ!!』

『RAうらやまww』

『推しに名前呼ばれるとか昇天するわ』

『名前、結構いいな』


『マジで大丈夫なのこれ…?』


歌うほどに、距離は縮まる。


高橋くんのコメントが目に入った。

『最高!』


同時に、奥で揺れる小さな光が跳ねる。

まるで歓声を上げているかのように。


名前には、人を変える力がある。

そのたびに、私の胸は熱くなる。


---


配信を終え、夕日の最後の光を見上げる。

奥に漂う光へ声をかける。


「高橋くん」


返ってきた声は元気いっぱい。

「今夜も最高だった!」


声とともに光が弾む。

三ヶ月前の怯えた彼を思えば、信じられないほどの変化だ。


けれどこれは始まりにすぎない。

もっと多くの人に、名前を呼び合う喜びを届けたい。


……ただ、胸に手を当てると、説明できない空白感が疼く。

思い出そうとすると、霧がかかったように遠ざかる。


私は出口へ歩き出す。

明日もまた、誰かの名前を呼ぶために。


夜風に歌を乗せ、小さく口ずさんだ。


```

名前を呼んで 名前を呼ばれて

私たちは ここに生きている

```


歌声は夜空に溶け、未来への予感を運んでいく。抜けた天井の四角に、小さな星がひとつ滲んだ。


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