妻が不愉快と言った話
今は亡き親友『ゴメンナサイスト綾重十一』著者 エザキカズヒトに捧ぐ
「川田さん電話ですよ。川田さん!」
大家のおばちゃんの甲高い声が耳に届いた。
「すいません。風呂に入っているので伝言貰って下さい。お願いします。」
健治は浴室の窓を開放ち、大声で答えた。
ここは家賃月二万円也の貧乏学生長屋。風呂とトイレ、洗面所、洗濯場は全て共同、勿論電話も無かったが、緊急の連絡は隣接した大家さんの家で取り次いでくれた。
大学に入学して、まだ二月が過ぎたばかりの六月初旬だった。
たぶん電話は親父からだろう。
両親は彼が十五歳の時に離婚した。実家から通える大学が受かったにも関わらず、わざわざ名古屋の大学に追い出されたのは、父親が再婚していたからだ。
健治は親元から離れたばかりだったが、既に天涯孤独の身の上だと思っていた。
四時限目の講義が終わり、真っ直ぐ下宿に戻るとすぐに共同風呂を沸かし、いの一番で飛び込んだので時刻はまだ午後六時前だ。
火急の知らせでも無い気がするが、いくら考えてもこれといった要件は思い当たらない。
どうでもいいやと小さく呟いた健治は、ざぶりと湯船に潜って天井を見上げた。ゆらゆらと揺れる湯に夕日が反射して、いつもはカビに黒ずんだ浴室室の壁が綺麗な薄桃色に光って見えた。
風呂からあがり自分の部屋に戻った健治は、日に焼けて茶色に変色した古畳の上に寝転がり、夕暮れて茜色に染まる空を薄汚れた窓越しにぼんやり眺めていた。
大家さんの所へ伝言を聞きに行くのは、どうにも億劫だった。
大学の学食から拾ってきた週刊誌をパラパラとめくり、グラビアのページの水着姿やヌードのおねえちゃん達を見つめながら、この子は不合格、こっちは合格と不毛な審査員を続けていると、思っていたよりも早くドアの外から声が響いた。
「川田君、電話忘れちゃったの。伝言どうするのよ」
大家のおばちゃんは、今時珍しい世話焼きな人だった。下宿生には身内みたいな接し方をする。娘さんが二人とも下宿生と結婚したからなのだろうか、全員義理の息子位に思っている。
実の両親が居ないに等しい健治にとっては、親戚のおばちゃんみたいな存在だ。ありがたいが少しうっとうしい。でも肉親というのは大抵そういうものだ。
世の中は不思議だ。今は赤の他人の下宿先のおばちゃんが、健治にとっては唯一の身内の様になっていた。
「ちょっと、川田君居るんでしょ。入るわよ」
そう言い終わらないうちに、小柄な大家のおばちゃんは、勝手にドアを開け健治の部屋に上がり込んできた。そしてちょこんと畳に正座して座ると、いかにも人柄の良さそうな愛嬌のある顔をわざと厳しくしかめてみせた。
ドアには一応鍵がついている。でも、健治は使った記憶は皆無だ。ゴキブリも逃げ出す貧乏長屋だと、他の下宿生も自嘲している程の見事なボロ屋だ。バブル景気真っ盛りのこのご時世に空き巣なんか入るはずがない。よほど間抜けな空き巣が盗みに入ったところで、目ぼしいものと言えば拾ってきたエロ本位しかない。
「すいません。忘れていました」
悪びれず健治は寝転がったまま謝った。
「嘘おっしゃい。知っていて来なかったんでしょ。まあ、気持ちは分かるわよ。でもお父さんにちゃんと連絡しているの?」
健治の家庭の事情を、入居した折に親父から聞いていたおばちゃんは、同情して何かと心配する。世の母親って奴は大体こんなものなのかも知れない。
健治は母親の情愛を知らない。彼の母親殆ど家に居ることは無く、四六時中遊び歩いていた人だった。親子らしい会話すらした覚えがない。子供の頃は気に食わないことがあると鼻血が出るまで殴られて、しょっちゅう家から放り出された。朝まで近所の物置小屋で過ごした回数は思い出せない程だ。夏は朝まで蚊に刺され続け、冬は寒さに震えつづけた。
母親は精神に異常をきたした、哀れな人だったと思っている。しかし、被害者は加害者に同情などしない。両親が離婚した後四年が経つが健治は一度も会っていない。もう二度と顔すら見たくなかった。
不倫した母と、不倫した父は欲深い似たもの同士がお互いに罵り合って円満に離婚したが、健治が父親の元に行ったのは、少なくとも虐待を受けた記憶が無かったからだ。しかし、今はどちらも他人だと思っていた。
「時々電話しています」
お説教が始まると面倒だったから、健治はいつも通り嘘を付いた。
「それならいいけど、親は誰だって子供の事心配しているのよ。さっきの電話だけど、お父さんからで、おばあさんが亡くなったそうよ」
「えっ?婆ちゃんが死んだ?」
健治は一瞬混乱した。
それは強烈なデジャヴだった。
婆ちゃんは二ケ月前の四月に死んだ。
豪快な婆ちゃんで、激怒のあまりろくでなし親父の頭を傘でぶん殴った光景は、今でも鮮明に覚えている。
あれは実に爽快だった。
そんな竹を割った様な性格の祖母だったが、孫の健治にはずっと優しいお婆ちゃんだった。もっとも、生まれも育ちもちゃきちゃきの下町子で、飛び出すセリフは遠慮なんか一切ない強烈なものではあったが、いつも心の温かい祖母だった。
春先に少し咳が止まらないと言っていたが、心配する間も無い位あっさり肺癌で亡くなった。逝き際も見事にさっぱりした婆ちゃんだった。
祖母から教えられた処世訓は、偉そうなことを言う奴は全部嘘だから一切信じるな。周りがそんな奴ばかりになったら黙って我慢しろ。その内、全部焼け野原になって偉そうなことを言う奴は居なくなる。それから、お前の親父はそのクダラナイ奴らの一人だ。それってあなたの息子ですよねと健治が言うと、婆ちゃんは歯の抜けた口を大きく開けいつも豪快に笑った。そして婆ちゃんは、健治はあのろくでなしに似なくて良かったと嬉しそうな顔をする。それでも親父を勘当するわけでもなく、健治も合わせて金銭的な面倒も全てみていた。健治にとって婆ちゃんは最期まで婆ちゃんだった。
本人曰く、若い頃は小町って呼ばれて随分モテたもんだと自慢していたが、小町というよりは圧倒的に巴御前。
健治にとっては、月に二、三度会うだけの巴御前が父であり母であった。
そしてそれで十分だった。祖父は小学校に上がる前に亡くなっていたので、おぼろげな記憶すらない。
顔も見ないまま嫁いだこの祖父を婆ちゃんは嫌っていた。思い出話の一つも聞いたことが無い。唯一聞いた話は、ろくでなし親父が似ていることだ。死んだら同じ墓には入りたくないと、いつも恨みがましく言っていた。それでも、祖父の死に水も取って、七人の子供達を育て上げたのだからなかなか立派な婆ちゃんだと思う。
葬儀の出棺の時は無意識の内に涙が流れた。
そしていつまでも止まらなかった。これで自分の肉親は誰も居なくなったのだと健治は思った。
「ご不幸が立て続けにあって大変ね。でも、おばあさんは孫より先に逝くものなのよ。気を落とさないで。電話番号聞いたからここメモ置いておくよ。うちの電話使っていいからちゃんと連絡しなさいね」
そっとメモを畳の上に置いた大家のおばちゃんが部屋を出て行って、健治はようやく気が付いた。
「そうか、あの婆さんが死んだのか」
呟いてみて、漸く顔が浮かんできた。それは上品で美しい顔立ちのもう一人の祖母の姿だった。
健治は深くため息をつくと、仕方なく身体を起こし週刊誌を放り投げた。
死んだと聞いて直ぐに思い当たらない程、母方の祖母とは疎遠だった。母親が異常だったからではない。父親も同じ位嫌悪していた。だが、健治にとっての祖母はあの豪快な巴御前一人きりだ。
母方の祖母は信心深い静かな人だった。そして、誰からもいい人だと言われていた。だが、それは少し薄気味悪い事だと健治は思っていた。お釈迦様でも提婆達多という従兄が敵役として存在したのだ。真実誰一人敵の居ない人間など、この世に存在するはずがない。
健治は祖母が自分を敬遠している事に、物心ついた頃から気付いていた。
目を合わせないどころか、顔さえもろくに見ない。近寄れば自然と離れる。父母の愛情が薄かった健治は、幼心にそれを母方の祖母にも求めたが、冷たく拒絶され続けた。何故か頑なに婆ちゃんになる事を拒否した人だった。
驚いたことに、健治の名前すらちゃんと憶えていなかった。名前で呼ばれた記憶が殆ど無いが、呼ぶとその名は健太だったり健也だったり必ず間違っていた。痴呆が始まっていたわけでも、気が変になっている訳でも無い。他のいとこ達には普通の婆ちゃんだったと思う。しかし、祖母は健治を徹底して敬遠した。
大学入学後、母方の実家が同じ県内だったこともあり、一度挨拶に行ったが、健治に会うなり、にこやかに微笑しながら具合が悪いと言ってすぐに引き籠もってしまった。その時が四年振りの再会だった。
それからわずか二ケ月で死んだと聞いても、何の感慨も湧かない。感傷に浸ろうにも何一つ思い出が無い。会話すらまともにした記憶が無かった。飼っていた犬か猫が死んだ方がまだ数段悲しい。
健治は気が重くなった。聞かなかったことにして済ませてしまいたかった。
親父は何でわざわざ知らせて来たのだろう。あいつにとってはどうでもよい赤の他人のことではないか。きっと自分の母親が婆ちゃんだった様に、母方の祖母も同じだろうと余計な気をまわしたに違いない。いい加減な親父にしては珍しい心遣いだが、とんでもなく的外れだった。
自然とため息が出た。厄介なのは大家のおばちゃんだ。自分の祖母が死んだと聞いてふて寝してれば間違いなく説教される。それも一回では済まないだろう。世間では至極普通の事だ。しかし健治にとって両親と同じく母方の祖母は当たり前の存在ではなかった。
健治は不機嫌に立ち上がり、部屋の隅につくねてあったジャージのズボンを拾い上げ渋々足を突っ込んだ。
電話を借りに大家さんの家に行くにしてもトランクス姿ではさすがに気が引ける。このくらいの常識はもちろん持っている。
「もしもし、ああ、健治君か。元気そうだね」
電話に出た相手がいとこの博史さんだったので、健治はほっと胸をなでおろした。
「博史さんですか。お久しぶりです。婆さんが亡くなったって親父から連絡が入ったんですが・・・」
大家のおばちゃんから言われた手前、公衆電話に行くわけにもいかず、大家さんの家の玄関にある電話を借りていた。気にせず使いなさいと言われていても、なんとなく気が引けるので、要件は早く済ませてしまいたい。相手が話の早い従兄の博史さんで本当に助かった。
「そうか、健治君には親父さん経由で連絡が入ったのか。これから通夜だけど、どう、来れそうかな?」
博史さんとは両親が離婚して以降、一度も会う機会は無かったが、従兄では唯一の男で歳も近く気安かった。健治と母親の関係もそれとなく知っている。京都の大学に進学して今は四年生だったはずだ。
「今から下宿を出れば、多分一時間後には着くと思うけど、博史さんはよく間に合いましたね」
「俺はちょうど就職活動で家に戻ったところでね。まあ、こんな言い方したら不味いけど、タイミングが良かったよ」
ずいぶんさばさばした物言いだった。健治は自分ほどではなかったが、祖母は内孫の彼にもどこか冷たかった事を思い出した。理由は分からないが、博史さんにとっても祖母は婆ちゃんでは無かったようだ。
「え?博史さん地元で就職するの?僕はてっきり東京に行くものだと思っていたけど」
「うん、まあ、親が色々煩いからな」
電話口から聞こえてくる博史さんの言葉は、どことなく歯切れが悪かった。
「博史さんの大学ならどこだってOKでしょ。でも、ミュージシャンになるんですよね」
一瞬、受話器の向こうで博史さんが沈黙した。
アマチュアとはいえ彼は有名なバンドマンだった。名古屋の大学でも、ちょっとギターを弾いている程度の連中でさえ知っているのだから相当なものだ。大学で知り合った友人は、まるで雲の上に居る憧れの存在みたいに話していた。
従兄だよと話すと、目を丸くして凄いと言われた。だが、健治はギターどころかアルトリコーダーだってろくに吹けない。従弟だから当然お前も?と勘違いされては困る。もしバンドに誘われたらどう断ろうか真剣に悩んだ位だ。そんな事もあって、健治は博史さんがプロのミュージシャンになるものと思い込んでいた。
「とにかく、電話で話していてもしょうがない、すぐこっちに来いよ。一時間後でも通夜には十分間に合うから」
「分かった。でも、お袋が絡んで来たらちょっと頼みますよ。婆さんの通夜で親子喧嘩始める訳にもいかないので」
「任せてくれ。ちゃんと俺が間に入る。とりあえず気を付けて来てくれ。駅で待っている。この辛気臭い空気は好きじゃないから丁度良かった。健治君迎えに行きますって今から家を出るわ。じゃあね」
博史さんはどこかほっとしたような声で電話を切った。とにかく家を出る口実が出来て助かったのだろう。健治にもその気持ちはなんとなく分かった。
でも、自分はもっと嫌だ。博史さんが居るから何とか躱せるだろうが、四年前に決別した母親とは口を利くどころか、顔も見たくもなかった。
「電話使わせて貰いました。ありがとうございます」
ため息をついて受話器を置いた健治は、大家さんの家の奥に向かって大声を上げた。
「気を付けて行ってらっしゃい」
すぐにおばちゃんの人の好い声が返ってきた。
心配して聞き耳を立てていたのだろう。「行きません」なんて言っていたら間違いなく説教だった。色々気にしてくれるのはありがたいが、自分の家庭の事情を詳しく知らないから説明するだけでも面倒だ。電話に出たのが博史さんで本当に良かったと健治はこの偶然にほっと胸を撫で下ろした。
健治は街中をゆっくりと自転車で走りながら、まだ明るい空を見上げ、祖母の家までの電車賃が痛いなと思った。
仕送りが三万円、バイトの収入が五万円。合計八万円で月の生活は遣り繰りが結構大変だった。今日は偶然休みだったが、週に四日、午後六時から九時まで三時間ビル清掃のアルバイトをしている。電車賃なんて往復しても二千円に満たないが、それでも結構痛い出費だ。
世はバブル景気真っ盛り。他の学生連中と比べたら、かなり慎ましい暮らしではあったが、物心ついた頃から両親のどちらか絶えず居ない不安定な生活しか知らない健治は、それもさして苦にならなかった。
だが、身に染み付いた貧乏性は恐ろしいもので、気が付けばけち臭く胸の内で小さな算盤を弾いていた。
もっとも巴御前の婆ちゃんの葬儀には、大枚はたいて新幹線で駆けつけた。
だが、母方の祖母は通夜に行く電車賃が勿体ない。
随分ひどい孫なのかも知れないが、健治にとって祖母の存在はその程度のものだった。
人の心とはそういうものだ。与えた分しか得られない。日々値上がりを続ける株式市場と人は違うのだ。高騰もしなければ暴落もしない。祖母は健治が僅か二千円も惜しいと思う、その位で丁度の情しか彼に与えなかった。
地下鉄の駅は下宿先から自転車で二十分程の場所にあった。普段は全く縁が無い場所なので、駅に来たのはこれが三度目だ。一度目は駅前にあるハンバーガーショップでバイトの面接。二回目は駅前の書店で専門書を購入するためだった。この駅から地下鉄に乗るのは今回が初めてだ。
自転車置き場を探してウロウロしているうちに面倒になり、駅前パチンコ店の駐輪場に自転車を放り込むと、Tシャツ姿の健治はジーパンのポケットに手を突っ込んで、痩せた長身を揺らしながらメトロの降り口に入って行った。
地の底に向かう長い階段を下り、灰色のタイル張りの通路を眺めながら俯き加減に歩いていると、この先はあるのは駅ではなく、古代ローマのカタコンベじゃないだろうかと思えてきた。
ついでにそこで祖母の埋葬が出来れば手っ取り早くていいのにと、健治が不謹慎な事を考えていると、白々と蛍光灯に照らされた改札口が見えてきた。券売機に小銭を放り込み切符を買いながら、何気なく地下鉄利用の注意事項が記載された看板を眺めると、持ち込み禁止物一覧の中に、ガソリン、危険物、犬猫に並んで死体の文字が明記されている。
死体?地下鉄で死体を運ぶなんて、とんでもないことした奴が本当に居たのだろうかと信じられなかったが、彼自身今しがたこのカタコンベに祖母の埋葬を考えていたのだから、案外実行した人間も居たのだろう。人は死んだ瞬間モノになるのだ。地下鉄で運んでもおかしなことでは無い。
自動改札を通り、そこを葬列が静々と進んでいくシュールな景色を想像しながら健治がエスカレーターでホームに降りるのと同時に、ステンレスボディの地下鉄車両が滑り込んで来た。
銀色に鈍く光る無機質な車両は、そのままモダンアートの棺桶と言っても通用しそうだ。ため息をついて軽やかに開いたドアから車内に乗り込むと、既に座席は乗客で一杯だった。
時刻は夕方のラッシュアワーだったが、まだ都心に向かう車内は息もつけない様なすし詰め状態ではない。
健治は車両中程の吊革にぶら下がってぼんやり車窓を見つめていた。
地下鉄には何故窓があるのだろう。景色なんて灰色のコンクリート壁しか見えない。脱出用?こんな穴倉の中で万一があっても、窓から逃げ出す余地なんかどこにもない。ふと気が付けば、健治はガラスに張り付いた自分の間の抜けた顔を眺めつづけていた。そうか、この窓は映った自分の顔を見てウンザリする為についているんだと結論が出た。顔色の悪い自分が吊革から痩せた身体をぶら下げているのを見ているだけで、ズルズルと気力が無くなってくる。
健治はこのまま下宿に戻りたくなった。車窓の効果は抜群だ、人々はガラスに映る己の姿を眺め、偶然あったかもしれない爽快な気分や充実した意欲を減退させながら職場や学校に向かい、今度は擦り切れた自分の姿に同情しながらねぐらに戻るのだ。
確かに車内の乗客は窓を見ていない。誰もが見たくないのだ。都市の生活とはこんな日常の積み重ねなのだろう。
そして、いつしか人は目を臥せて歩くようになる。無意味で灰色の日々だ。ここがカタコンベだと思ったのはあながち間違いでは無かった、死体を持ち込んだ奴は、運ぶのではなく、やはり埋葬するつもりだったに違いない。健治が一応の結末に至ると同時に、地下鉄は広いプラットホームの大きな駅に到着した。
車内からどっと吐き出された人並みに紛れ、健治は迷路のように枝分かれした地下道の階段を何度も上り下りした挙句、案内看板に導かれ目当てのホームに辿り着いた。
ここで郊外に向かう私鉄に乗り換える。
帰宅ラッシュで満員の車内から、乗り換え客がまとめて降りた直後に飛び込んだ健治は、運良く空いたシートに座ることが出来た。
思わずほっと溜息が出る。健治はまるで群体生物の一部になってしまった様に感じる人ごみは苦手だった。
汚れてくすんだ赤色の快速列車が、電子音の発車ベルと共にホームを離れ、モーターの唸りと共に徐々に加速し始める。
車窓のガラス越しに外を眺めれば、ちゃんと街の景色が見える。
地下鉄よりは数段ましな乗り物だと思った。
宵闇の帳が降り始めた街には、茜色の夕日に替わり冷たい人工の光がチラチラと瞬きだしている。白く輝く蛍光灯が天井にズラリと並ぶオフィスビルはすっかり中身をさらけ出し、全てのフロアがまるで演劇の舞台のようだ。きらびやかにネオン管を点滅させるパチンコ店は、光の靄がかかり白い繭の様に見える。歓楽街を歩く人々の姿は静止した人形だ。鉄道模型のジオラマの様に生命感の無い風景を本物の電車の中から見つめていると、健治は全てが偽物の様に思えて来る。街の景色に本物など無いのかも知れない。
赤色の電車は市街の光を切り裂いて走り続けた。
現れては去ってゆく繁華街を幾つも通りぬけ、規則正しく黄色い街灯が連なる静かな住宅街を過ぎると、急に町が小さくなり濃紺の宵空が大きくなった。
そして電車は轟々と音を立て長い鉄橋を渡る。
庄内川だ。
健治は名古屋市の西境を流れるこの川を眺める度にいつもメコンデルタを妄想する。
橋の下には薄茶色のどろりと淀んだ水が重く横たわり、濃緑の葦に覆われたその川岸はまるで巨大な生物の様に絶えず風にうねっている。そして、川を渡れば視界いっぱいに広がった水田と畑の中に古い日本家屋の農家がポツリポツリと点在する鄙びた風景に変わる。
この景色に健治は子供の頃に見たベトナム戦争映画のワンシーンを思い出す。
それは、米軍騎兵師団の武装ヘリ部隊が海岸から上陸し、農村に潜むベトコンを攻撃する場面だった。
その映像がいつも頭の中でシンクロした。丁度、庄内川の葦原の向こうから米軍のUH1ヘリが編隊を組んでぬっと姿を現す。その先には延々と続く水田、点在する粗末な農民の家、その納屋から突如重機関砲が猛烈に火を噴き、熾烈な戦闘が開始される。
次々とヘリから発射された五インチロケット弾が、白い筋を曳き整然と並んで緑の上を走っていく。編み笠姿の農民が逃げまどう中、榴弾やナパームが農家や納屋を吹き飛ばす。紅蓮の炎が上がり黒煙が沸き立つ。農民に混じったベトコンがAK47を乱射し、ヘリボーン作戦で降下した米兵達をなぎ倒す。同じ撮影がここでも十分出来るのにと思った。
ほんの五十年ほど前、ここも同じく米軍が攻撃した。しかしフランシス・コッポラの撮った映画程生々しい戦いではない。グァム基地から飛び立った戦略爆撃機のB29が名古屋市街に幾度となくカーチス・ルメイ発案の焼夷弾をばら撒き、工場や駅に向けて巨大な爆弾を何発も叩きつけた。
そして時折、爆撃機は残った爆弾を一、二発この農村地帯に捨てて飛び去っていった。今でもその爆発跡が池になり畑の中に点在している。死人の数はベトナムの比ではない。そしてベトナムは勝ったが、日本は徹底的に負けた。その詳細は歴史学者の分析に任せればよい。多分、日本人の方が欲深かったのだろう。
勿論、戦後の高度成長期の終わりに生まれた健治は、そんなことを知る由もない。受験科目では日本史を履修したが、現代史は教科書の終わりを流し読みした程度の知識しかない。誰かにとって都合が悪くなることを学校教育では教えない。
彼は国宝第一号の名古屋城が焼け落ちた名古屋大空襲すら知らなかった。大きな戦争があって、日本中の都市が爆撃された。だから、きっと名古屋も燃えたのかな?である。戦後生まれた日本人は、誰しも健治と変わらない。
快速列車はプラットホームと小さな改札だけの無人駅をいくつか通り過ぎ、途中本線と支線に分かれる駅に一度停車した後、二十分ほどで祖母の家のある町の駅に到着した。
列車が駅に停車すると、車内の乗客がばらばらとホームに降りて行った。ここは、一遍上人の踊念仏の法会で少し名は知れた古刹があり、古くから門前町として栄えてはいたが、つい最近まで駅前に稲藁を積んだ軽トラックが停まっているような田舎くさいところだった。ところが、都市部からの通勤圏に入る立地条件と昨今の地価高騰の影響で、いつの間のかあちこちに建売住宅が立ち並ぶベットタウンに生まれ変わっていた。
コンビニエンスストアが組み込まれた真新しい駅舎を出ると、駅前には大きなショッピングモールのビルが建ち、開店したばかりの新しい飲食店やファーストフード店、レンタルビデオ店、ゲームセンターなどが建ち並んでいた。先日四年振りに挨拶で来た時は、健治もその変貌ぶりに驚いたが、二度目の今日は近郊都市のありふれた光景に何の感慨も湧かない。駅前のロータリーにはいわゆるチバラギッタ族風の車が二台停まっていたが、これも最近の定番だった。農地が住宅地に変わり、土地を売った百姓には大金が転がり込んだ。金を得た代償に彼らはするべきことを失った。そして、仕方なく毎日祭りをすることになったのだ。駅前に並んで爆音を鳴らしているのは平成の珍妙な山車だった。
家路に向かう通勤族が駅の改札を潜り抜け、三々五々あちこちに散っていく。その人ごみに混じって押し出された健治は、駅前広場を見回して迎えに来ているはずの博史さんの姿を探した。
だが、自分によく似た背格好の従兄の姿はどこにも見当たらない。首をかしげて歩き出すと、一台の車が駅前ロータリーに走り込み、健治の目の前に停まった。それはパールホワイトに輝くカッコいい最新モデルのツードアクーペだった。
颯爽とドアを開け放ち、運転席から姿を現したのは博史さんだった。
「健治君、久しぶり」
四年振りに会う博史さんは、ミュージシャンらしく長髪を後ろに垂らし、細身のチノパンとポロシャツ姿がなんだかあか抜けて物凄くスマートに見えた。
もしかすると、博史さんが低いルーフに手を掛けている車が格好良かったからなのかもしれない。
「お久しぶりです。すいません、わざわざ迎えに来てもらって。博史さんすごく変わりましたよね」
テレビCMのワンシーンから抜け出した様な情景に、一瞬目を丸くして見とれた健治が慌てて挨拶を返した。
「健治君の方が変わったよ。前会った時はまだ坊主頭の中坊だったからね。随分身長が伸びたなあ。とりあえず車乗ってよ」
促されるままに健治は長い助手席のドアを開けて、おずおずと新車の中に乗り込んだ。電車の固いバネの座席に比べて、しっかりと身体を包み込むバケットシートの据わり心地は天と地の差だった。
京都の有名私大でミュージシャンとしても有名な博史さんが、最新のクーペを運転する姿は、まるで別世界の人の様に思えた。
今まで健治は中古のママチャリ以外運転した事が無い。まだ、自動車の運転免許さえ持っていないどころか、取得する予定も無い。
車内のセンターコンソールに内蔵された鮮やかに輝くCDプレーヤーからは、聞いたこともないミュージックが流れていた。音楽的センスが皆無の健治にもなんだかすごくいい曲に思えた。
殆どエンジン音を感じないまま、ツードアクーペは静かに走り出した。乗り心地も抜群に良かった。
「博史さん。この車買ったんですか?」
「まあね、でも買ったのは俺じゃない。就職するなら車の一台位持たないと不便だろうって親父が勝手に買ったんだ。実家に戻らせるためにぶら下げたニンジンみたいなもんだよ。俺も喜んで乗っているわけじゃない」
「それじゃあ東京に行かないのですか。てっきり僕はミュージシャンになるものだと思い込んでいたから」
「そのつもりだったけど・・・なかなか辛いな。この車だって二百万以上するらしい。そんな金があるなら、俺はギター、エフェクター、欲しいものが沢山あるんだよ。猫に小判、豚に真珠って奴で全くの無駄金だ」
両手でハンドルに寄りかかって上体を屈めると、博史さんはウンザリした様に顔をしかめた。
「でも、家で男は俺一人だし、姉さんは嫁いでいる。親父とお袋から帰ってきてくれって言われたら、嫌ですなんて簡単に断れない。大学だって四年間親のすねかじって好きにさせてもらったし、親父だってただの勤め人で、こんな金使ってまでって思うとね。ましてここが山奥の田舎なら馬鹿馬鹿しいって言えるけど、名古屋なら大学の同窓も何人か就職決めているからな」
相槌を打ちながらも健治は複雑な気持ちがした。自分は帰って来るんじゃないと釘を刺されて実家を出た。仕送りも満足に無い。二百万以上もする新車なんて何が起きようが買ってもらえる訳もない。その前に運転免許を取得する金をなんとかしなきゃならない。でも人生は全て自分で決められる。完全な自由だ。博史さんみたいに親の気持ちを思いやる必要なんて何一つない。でも、自由っての奴は結構大変だ。第一金が無い。
「名古屋でミュージシャンってわけにはいきませんか?」
「それは無い。音楽で飯食うなら東京へ出ないと駄目だ」
健治の思いつきのセリフに、こいつは何にも知らないぞと博史さんは驚いた顔をした。
「難しいですね」
何故なのかさっぱり分からない健治は、とりあえず深刻そうに頷いてその場は誤魔化した。
「この車売り払って、その金で東京出ようかなって時々思うよ。名義は俺だから。でも、そうすれば二度と家には戻れない。後二,三か月の内には決めなきゃならん。就職活動始めたらこの髪だってバッサリ切らなきゃならない。でも、切った時が俺と音楽が切れる時だって気がしてさ。健治君どう思う?」
答えの無い質問に健治は黙り込んだ。博史さんの悩みを自分に当て嵌めてもあり得ない状況に思考が全くシンクロしなかった。無論当人には深刻な事態なのだろう。
「すまん。馬鹿馬鹿しい話だな。忘れてくれ」
健治の口ごもる様を見て、それと気づいた博史さんはすぐに話を打ち切った。
「それで、婆さんはいつ死んだんですか」
「婆さんが死んだのは昨日の夜だ。分かったのは今朝。誰も朝まで気付かなかった」
二人とも婆さんだった。その位離れた存在だった。だが、その不自然さをお互い全く意識していなかった。
「急に悪くなったんですね。やっぱり脳溢血とか心筋梗塞ですか?」
「うん、まあ、それは後で話すよ」
言葉を濁した博史さんは、なんとなく不機嫌そうに唇を歪めた。
祖母の家に着くと既に通夜は始まっていた。忌中提灯の下げられた玄関には人影がいくつか見えた。多分近所の親しい人達がお悔みに駆けつけたのだろう。
彼らの挨拶が一通り終わり中に入ったのを見届け、健治は博史さんに促され家に入った。
祖母の家は博史さんの親父さん、つまり伯父さんが近くの電機メーカー工場に勤めている関係で建てたものだ。
バブル景気と同時に、雨後の筍の如く建ち始めた洋風の新興住宅や大きな農家の屋敷と違い極々普通の日本家屋だった。周りはちょっとした住宅街になっているが、ほとんどが同じ工場で働いている人の家なのだそうだ。
「ごめん下さい、こんばんわ。この度は誠にその、あの・・・」
玄関で弔問客の対応をしていた伯母さんに、何と言えばいいか分からずまごついていると、
「健治君は孫なんだからそんな挨拶はいいのよ。よく来てくれたわね。時間は大丈夫だったの。ほら入ってお婆ちゃんに会ってらっしゃい。」
伯母さんは健治の背中を押すように玄関に上げた。
はっきりした気性の伯母が祖母とそりが合わず、今まで色々あったのは知っていたが、俯いたその顔はどことなく悲しそうだった。少なくとも、孫の自分より他人の伯母さんの方が悲しそうにしている事が健治には奇妙に感じた。
博史さんは先に上がって玄関横の居間に入って行った。その後を追うようにして読経の聞こえる部屋に入ると、八畳間と六畳間の襖を取り払った部屋には一番奥に祭壇が設えてあり、その前に十人ほどの弔問客が座っていた。そして、白髪の初老の男が一人祭壇の前で数珠を手に読経していた。
「帰命無量寿如来、南無不可思議光、法蔵菩薩因位時、在世自在王仏所・・・」
健治は奇特な信心深いおっさんがいるなと思ったが、後で聞いたら坊さんだった。祖母の信仰していた浄土真宗の僧侶は剃髪せず、布教使ともいわれ一般的な坊さんのイメージとは少しかけ離れていた。
通夜に来てくれた坊さんは普通の勤め人で、仕事の帰りに通夜に来てくれたそうだ。なるほどよく見ればスーツの上に方から首に帯の様なものを掛けている。後で博史さんに教えて貰ったが、どうやら略肩衣というものらしい。
婆ちゃんの時は、禅宗の剃髪した坊さんが袈裟を着て来ていたから一目でそれと分かった。婆ちゃんは毎度忌々しい迷信だと文句を言いながら、彼岸や盂蘭盆会などの行事は律儀にしていたので、健治は坊さんとも顔見知りだった。
婆ちゃんが平気で「この生臭坊主」と呼んでいた訳あって一度嫁さんを取り替えた坊さんだった。巴御前の立派なところは陰口を一切叩かないところだ。面と向かってはっきりものを言う。敵も多かっただろうが、その度に薙刀を振るって戦ったのだろう。
この坊さんも良く分かった人で、色々事情もあったのだろうが、婆ちゃんにそう呼ばれる度、にこにこして「はいはい」と返事をしていた。狭量な坊主ならきっと怒る。健治の方がその度に婆ちゃんの隣で恐縮していた。ただ、婆ちゃんは白は白、黒は黒、長いものには巻かれるなと人生に於いて大事な事を教えてくれた。
部屋の中を一瞥すると、母が居た。
健治は反射的に目をそらした。
虐待の記憶しかない母親だ。
重い嫌なものが喉の奥に落ちて胃の辺りに居座る感じがした。一瞬、やはり来るのは間違いだったと思ったが、親族用の一番離れた座敷の隅に座ると、約束通り博史さんが盾になって隣に座ってくれた。
親族の焼香が始まり、健治は博史さんに促されて仏前で手を合わせた。ほんの二ケ月に婆ちゃんの葬儀で一通り経験していたので、まごつくことも無く焼香を終える事が出来た。
一通り通夜が終わると後は親族だけが残り、その場で配られた店屋物の稲荷寿司と巻き寿司のパックを開けて食べ始めた。
そこでようやく健治は自分が空腹だった事に気が付いた。下宿先を出たのはまだ晩飯前だった。気を利かせた博史さんが寿司のパックをお茶と一緒に渡してくれた。
健治は母親の居る方を一切見ないよう、背を向けてパックの折詰を開けて食べ始めた。
もちろん母親は健治が嫌悪しているのは知っている。その原因が自分にある事は全く自覚していないが、単純に健治の暴力の可能性を警戒して近づいてこなかった。あからさまに盾になって間を動かない博史さんのおかげもあるのだろう。
二人が肩を並べて晩飯代わりの賄を食べ終えた頃、これ見よがしに母親が声を上げ誠二伯父さん相手に話し始めた。
「本当に大学なんて行って勉強すると、屁理屈ばっかり言って親のいう事なんか一切聞かなくなるからろくな事ないわね。子供は工業高校でも行って真面目に工場で働いてくれるのが一番いいのよ」
明らかに自分への当てつけだ。健治は聞こえるように舌打ちをして隣の博史さんに視線を移すと、自分と同じように苦い顔をしていた。確かに大学を卒業して実家に戻るか否かの選択を迫られている博史さんにとっても嫌な物言いに違いない。
同意しているかどうか分からないが、誠二伯父さんは低い声で何やら受け答えしている。
勉強しなさい、お前の様な出来の悪い子供を持って私は恥ずかしい、お前なんか死んでしまえと言い続けたのはあんただろうが。健治は腹が立った。勉強を一切しなかったのは母親が嫌いだったからだ。こんな奴のいう事は一切聞いてやるものかと思っていた。自分の為にようやく勉強が出来るようになったのは、両親が離婚してからだ。学ぶことは全て自分の為だ、誰かの飾りの為なんかじゃない。真面目に工場で働けばいいだって?それも全部己の都合じゃないか、子供の為なんてこれっぽっちも考えてない。子供は親の奴隷じゃないんだ。忘れかけていた嫌な思い出が次々と脳裏を過り、かっと頭に血が昇った健治が一発殴ってやろうと立ち上がると、それを察した博史さんが素早く立ち上がって肩を叩いた。
「ちょっと婆さんの顔見て、最後の挨拶しよう」
そこでようやく健治もここが祖母の通夜の席で、しかも伯父の家だと思い出し、湧き上がった憤りを無理やり胸の奥へ押し込んだ。
「そうか、婆さんそこに居るんだよな」
居ると言うのも妙な気がしたが、祭壇の後ろには布団が敷いてあり、そこには祖母の遺骸があった。
博史さんに促されるままその横に座った健治は、祖母の顔の上に被せられた白布をそっと引き上げた。
確かにそれは祖母だ。薄灰色に固まった祖母の顔だった。しかし、それはモノでしかない。健治は巴御前の婆ちゃんがモノに変わった姿を目にした時には強烈な衝撃と悲しみを覚えたが、祖母の抜け殻には何の感慨も覚えなかった。只、ああ、死んでいるなと思っただけだ。
「実はさっき話さなかった婆さんの死因なんだが・・・」
博史さんは小さな声でぼそぼそと話し始めた。
「首を括ったんだよ」
「え・・・自殺?」
「そうだ」
健治の驚きの言葉に博史さんは頷いた。確かに祖母の死に顔はやつれた感じが全く無く不自然な程綺麗に整っている。肺がんだった婆ちゃんはげっそり肉が落ちていた。
「なんで自殺なんか?」
「分からない。病気抱えていた訳でも無いし、戦死した祖父さんの恩給もあったから金銭で困るようなことも無いだろ。家族で揉めている事なんか無いし、俺は大学入学から家を出ているから詳しくは知らないけど、最近は念仏仲間と寺通ってのんびりやっていたはずだ。でも、ここ一ヶ月くらいはどこか変だったらしい」
「変って?」
「聞いた話だけど、私は重い病気だからもうすぐ死ぬって言い出して、慌てて病院に連れ出して検査したけど問題は何もなかったって」
健治はもう一度祖母の死に顔を覗き込んでみた。だが、もちろん何も思い当たらない。物心ついてから碌に話した事もないのだから当然だ。二ケ月前に会ったのが四年振りの極めて疎遠な関係だ。
自殺と聞いてもさしたる感慨も湧かなかった健治は、とりあえずつまみ上げていた白布をそっと元に戻した。
死んだ人間は静かなだけだった。
「さあ、駅まで送るよ。親父には挨拶無しでいいから」
そう行って博史さんは横の襖を開けて廊下に出た。健治が母親と顔を合わさない様に気を使ってくれたようだ。
「すいません。お言葉に甘えます」
「明日の本葬はどうする?気づまりなら来なくてもいいよ。親戚連中には俺から適当に説明しておくから」
「いや、来ますよ。僕も孫だし、そんな事で博史さんに面倒掛けられません」
「そうか、すまん。また駅まで迎えに行くよ」
少しほっとした表情を浮かべた博史さんはポケットから車のキーを取出し、玄関で靴を履き始めた。
「ところで茂伯父さんは来ていませんよね?」
「茂伯父さん?」
思い出したように呟いた健治の言葉に、博史さんは少し首を傾げた。
「僕は会った事無いですけど、茂さんって伯父さんが居るって聞いていたんですけど」
「ああ、長男だったって人だよな。俺も随分昔に家を出てそれきり戻ってないって聞いているだけで会った事は無いな。でも、婆さんが死んだことは一応連絡したみたいだぞ。兄貴も頑固だって親父が愚痴言っていたから多分、来ないと思う」
「何かあったのですかね?」
「さあ、親父に聞いてないから分からないな。兄弟仲は良かったから、時々会ってもいるみたいだけど、大阪で結構大きな商売しているって聞いている。京都に居る内に一度会って来いって言われたけど何かと面倒でね」
博史さんは少し複雑な表情をした。何かを知っているが、健治に言うべきではないと判断した感じだった。
会ったこともない茂伯父さんの事はそれ以上詮索しても意味が無いと、すぐに割り切って健治は黙り込んだ。
薄暗い廊下の奥を振り返り、襖の向こうにある祖母の姿を思い浮かべてみた。
だが、健治にその死の理由など分かる訳もなかった。
「バンザーイ!バンザーイ!バンザーイ!」
日の丸の小旗を振る人々が辺りを埋めていた。
昭和十六年三月のある日、雲一つなく晴れ渡った青空の下、名古屋市内の街角では在郷軍人会、青年団、国防婦人会の人々が辺りに詰めかけ、出征兵士達の奉告祭と送別式を行った後の見送りを行っていた。
日中戦争開戦から四年、国家総動員法施行を経て三年、日米開戦の八か月前とはいえ、日本中で兵士の見送りはすっかり見慣れた光景となっていた。
出征軍人の襷を掛けた田辺幸吉は、同じ町内から入営する五人ほどの若い召集兵達を代表して一歩前に立った。
それは彼が町内の召集者の中で一番年上の三十二歳であった事と、後備兵役上等兵であった為だ。
幸吉は家具職人の家に生まれた三男坊で、十年前に二年間の兵役を務めていた。得意な水練で鍛えた身体は十二分に頑強で体格も至極優れていた為、徴兵検査は文句なく甲種合格だった。
大日本帝国建国以来、建前上は国民皆兵と言うものの、全男性を徴兵していたら国家予算は破綻してしまう。その実態は選抜徴兵制だった。特に都市部では町内毎に甲種合格者の中からくじ引きで入営を決めていたが、二人の兄が近眼で第一乙種合格だった事もあり、幸吉は一家の男子代表として志願して兵役に就いた。
昭和四年に第三師団に入営した幸吉は、実直な性格で人望もあり高等小学校では中学進学を強く勧められた程頭も良く、機転も利いたので上官達から高く評価された。順調に兵役を務め上げ、二年後の除隊と同時に昇任した優秀な営門上等兵だった。上官からは下士官として軍に残る道も進められたが、射撃に支障を来たす近視が始まっていた事を気にしていた幸吉は除隊を選んだ。
しかし、今は所帯を持ち子供も二人いる家長である。除隊後の五年四か月の予備役もとうに終わり、年齢もそろそろ古参兵に相当する。戦況を考えれば召集されるにはまだ少し早かった。
勤め先の材木問屋でも番頭の一人として重要な仕事を任されており、幸吉の働きを認めていた店主は今回の召集をひどく残念がった。彼を弟の様に目を掛けていた大番頭からは、近視が悪くなっていると報告すれば召集が取り消されるからと強く勧められたが、幸吉は首を縦には振らなかった。
二年前に新設の第三十八師団で下士官候補となる兵が必要だった為、幸吉に白羽の矢が立ったのが召集の理由だった。
幸吉は所属していた在郷軍人会の前に立ち敬礼すると、
「行ってまいります」
と力強く一声を上げた。
「バンザーイ!バンザーイ!バンザーイ!」
見送りの人々から一斉に三唱が沸き起こった。
彼は一度軽く黙礼すると、白割烹着に国防婦人会と墨書した襷を掛けた女性たちの前に歩み寄った。
その幸吉の前に一人の若い女性が飛び出した。五歳年下の妻の君江だった。彼女はすらりと均整のとれた姿と美しい顔立ちで人目を引いた。そのおかげか、国防婦人会に入ってからは絶えず注目され、格好の宣伝材料として新聞取材などで活躍するうちに、今は分会の副会長に祭り上げられていた。
そして、それを彼女自身大変得意にして喜んでいた。
幸吉はその有様をあまり快く思っていなかったが、妻の為と思い、また在郷軍人会の一員として様々な婦人会活動の場面で手助けをしてきた。
喜び勇んだ子犬のように黒い瞳をせわしなく動かして、晴れがましく自分の前に立つ妻の姿を目の当たりにした瞬間、幸吉は何か大きな失敗をしたような心持がした。
君江のおなかは白割烹着の上からでも分かるほど大きくなっていた。三か月後には三人目の子供が生まれる。
「後は頼む。おなかの子供もしっかり育ててくれ」
「はい、貴方に心配を掛けぬよう、お国の為にちゃんと育てます」
明らかに自らの立居振舞を意識して背を伸ばした妻が、端正な顔を引き締めて答えた。その有様をどこかの記者が写真に撮っている。新聞か会報の記事に使われることを思い浮かべると、幸吉はやはり不愉快だった。
「では、行ってまいります」
他に言うべき事が沢山ある気もしたが、自分が今どこかの宣伝材料になっているかと思うと、幸吉は紋切り型の言葉しか出てこなかった。
「はい、銃後の守りは私たちに任せ、お国の為に立派に名誉ある戦死をなさってください」
君江は周りの人々に聞こえるようはっきりとした声で答えた。
その言葉に一瞬硬直した幸吉であったが、無言のままゆっくりと腕を引き上げ敬礼した。
妻に敬礼して出征する兵などまず居ないだろう。しかし、その時彼は他に何をすべきか分からなかった。
この瞬間の写真がきっと良い宣伝記事になるだろう。幸吉にとってこれが妻への餞なのだと思った。出征する者が見送る者への餞など本末転倒なのだが、結局幸吉にとって君江はそんな存在になっていた。
「見よ東海の空明けて、旭日高く輝けば~!」
どこからか愛国行進曲が流れ出し、人々の騒めきに混じって切れ切れに幸吉の耳に届いた。
手渡された慰問袋を背嚢に仕舞った幸吉は、人垣の中に見つけ出した七歳になったばかりの長男とその手に引かれた四歳の次男の小さな姿に一瞬笑顔を見せると、激しく振られる日の丸の小旗を眺めながら他の出征兵達と歩き始めた。
壮年の男たちが整然と足を運び、晴天が続き乾いた道には薄白く埃が立った。
出征兵たちは時折振り向き、手を上げ、硬直した顔に笑みを浮かべ、耳に届く愛国行進曲を口ずさみながら死が待つ戦場に向かって進んでいった。
そして、幸吉は彼らの先頭に立ったまま、一度も振り返る事はなかった。
「君江さん、あなた立派だったわ」
同じ国防婦人会分会の敏子が真っ先に声を掛けてきた。
「いえ、そんな私はとても立派な事なんて。国防婦人会の婦徳、国防における夫人の努めと国防の礎たる努め。それだけの事ですわ」
少し頬を紅潮させた君江は得意げに胸を張り答えた。
「とんでもない、私は修身で習った水兵の母を思い出したわ。君江さんは陸兵の妻ね」
しきりに敏子は感心して見せた。年頃も君江と同じ彼女の夫はまだ召集されていなかった。旋盤工の第二補充兵役だったので、内心召集は無いだろうと安心していた。
「でも、敏子さんは弟さんが海軍で頑張っているじゃありませんか」
君江の言葉に敏子はふっと表情を曇らせた。
「ほんとにあの子はお調子者なんだから。志願水兵なんかになって、私がどれだけ心配しているかも知らないで・・・あらやだ!」
そう呟いて慌てて手を振った敏子は無理やり笑顔を浮かべ、またしきりと君江を褒め始めた。
同じ国防婦人会に入っている君江に、弟の海軍志願入営を反対していたなんて思われるわけにはいかなかった。下世話な話だったが敏子には分会副会長の君江と昵懇にしていれば、何かと便宜を図ってもらえるかも知れないという思惑もあった。
この時、まだ国内は物資の窮状は始まっておらず、贅沢品とされた一連の製品が七・七禁令により統制を受け、女性のパーマネントが禁止されている程度だった。それでも、街中には「日本人ならぜいたくは出来ないはずだ!」の標語看板が設置され、国防婦人会では会員が「ぜいたくは敵だ」のタスキがけをして街頭指導を始めたりしていた。街角に立って禁令に該当する衣類や製品を身に着けた人々を指導するのがこの活動の趣旨だったが、この女性の方向を見失った社会進出が、後戻りできない総力戦に世間の空気を変えていく一助になる。
この後一年も経たないうちに食塩、ガス、味噌醤油、衣料品が統制品として配給割り当て切符制になっていく。主食の米配給制もその後すぐに始まる。しかし、日中開戦から総力戦が始まってはや四年、何かと統制立法が増えてきた事は新聞、ラジオで誰もが知っているご時世だ、少しでも世知に長けた女性ならばそれなりの振る舞いを始める頃だった。
「君江さん、ちょっとこちらに宜しいですか」
少し甲高い声を上げて彼女を呼んだのは、分会会長の千代だった。
「はい、伺います」
君江は敏子に軽く会釈して離れると、背広姿の男を数人従えた分会会長の元に向かった。
国防婦人会分会会長の千代は、白割烹着に襷姿も様になるどっしりとした体型の如何にもおかみさん然とした女性だった。歳は四十、国防婦人会も名古屋で結成された当初の六年前から会員になっている。夫が第三師団への被服納入業者だった事もあり、陸軍省が国防婦人会拡大を後押し始めると同時に活動を始めた創成期メンバーであった。会長の安田せい女史とも親しく話す間柄と、周りから一目も二目も置かれる女性であった。
君江は彼女から大変目を掛けられていた。その見栄えの良さと子供の様に純真な盲目さに価値があったのかもしれない。だが、子供の純真さとは、その欲望の素直な表れに他ならない。
「こちらに新聞社の記者の方が、国防婦人会一員の立派な振る舞いを記事にしたいと仰っているので、少しお話を宜しいかしら」
「私なんか、とてもそんな大役は出来ません」
新聞記者に会釈をしながら君江はそれとなく遠慮してみせたが、その口元には晴れがましさが滲み出ていた。
彼女は嬉しかった。山深い田舎で生まれ育ち、女学校も出ていない自分が立派な日本の婦女として、今世間に認められている。何事も無ければ平々凡々と家に縛られ、子育てと家事だけの、おさんどんと何も変わらない人生であったはずだ。
それが、国防婦人会で真面目に活動するうち、広告塔としては最適な容姿を持った彼女には、一生涯あり得なかっただろう様々な機会が与えられた。
並み居る各界女史の講演を聞くことなど、市井の一主婦に過ぎない自分に許されるとは思っていなかった。それが変わった。君江はその全てがこの素晴らしい聖戦のおかげだと感謝した。講演の内容は良く分からなかったにせよ、自分がその場に集まる選ばれた女性達の一人である事が何よりも誇らしかった。
君江は自分が思い描く正しい日本婦女の社交辞令的慎ましさで取材を固辞すると、いつもの如く分会長の千代が彼女の後押しをする。
「何を仰います。国防婦人会を代表して、お国の為に今夫を立派に見送った一人としてお話しなくてはならないのはあなたです」
促すように大きく頷いた千代の表情をちらりと窺った君江は、そこで自信を持って胸を張り、少し媚を含んだ笑みを口元に浮かべると滔々と話し始めた。
「銃後の守りは夫人の努めと心得、日々皇謨の聖恩に・・・」
今まで何度も繰り返して答えてきた定型詩の様なセリフを、君江は真面目な顔で話し始めた。
彼女は自身、自分が何を言っているのか、本当のところは良く分かっていない。全て婦人会幹部と、後援する陸軍省の人たちからこのように話しなさいと教えられた通り、一生懸命オウムの様に繰り返し鳴いているのだ。
万が一「きみ死にたまふことなかれ」と言ってみたところで、紙面に載る記事では紋切型のセリフに変わっているだろう。人の心の声が集団圧力によって押しつぶされる時代になっていた。
君江は全く自覚することなく押しつぶす側に立っている人間だった。そして、自分はお国の為にとても立派な事を言っているのだと固く信じていた。
一通りの取材も終わり、何枚かの写真撮影の後、君江は国防婦人会の面々からご苦労様ですと労いの言葉を次々と投げ掛けられながら意気揚々と家路についた。
その後ろを七歳になる長男の茂が四歳になる弟も手を曳いて、とぼとぼとついて行く。
「母ちゃん。父ちゃんは兵隊さんになったんだよね」
国民学校一年になったばかりの茂が、拙い言葉づかいで話し掛けた。
「そうですよ。昔父ちゃんは立派な兵隊さんだったの。だから、またお国の為に兵隊さんに戻って戦いに行くのよ。それも上等兵なんだから大変立派です。茂も誇りに思いなさいね」
「うん、父ちゃんはいつ帰って来るの」
「そうね。日本がこの戦争に勝ったらもっと立派になって帰ってくるわ。楽しみね」
凱旋する夫を出迎える自分の姿を空想した君江は、西に傾いた茜色の太陽を目を細め眺めながらうっとりと答えた。
「うんと何日も先なの?父ちゃんがまた相撲取ってくれるのはいつなの?」
茂は少しべそをかきながら弟の手を強く引っ張った。茂はいつも大げさに転んで負けてくれる父ちゃんとの相撲が大好きだった。父の留吉は何度も茂に負けて見せた後、決まって「そら!東京が見えるか?富士山は見えるか?」と言って両手で茂を高く持ち上げた。その度に茂は必死に首を伸ばして「見えない。まだ見えない」ときょろきょろ辺りを見回すのだった。留吉はその度に楽しそうに笑い、「大きくなった見えるぞ茂。早く大きくなれ」そう言って彼をいつまでも持ち上げた。
「すぐよ。すぐ帰って来るわ。茂が良い子にしていれば、きっとすぐに戻って来る。茂は父ちゃんがお国の為に命懸けで頑張っているのに負けないくらい、一生懸命勉強しなさい。分かった?」
「うん、分かった。父ちゃんが帰ってくるまで勉強頑張る。我儘も言わない。弟の面倒もちゃんと見る」
茂の答えも模範的な少国民だった。まだ幼い少年はそれが自分の本当の心の声ではない事が分からなかった。
赤く熟した太陽が滴り落ちるようにゆっくりと家並の向こう側に消えていった。ピンク色に変わった空の下、誰そ彼時の街並みの中を、今しがた夫を、父を戦地に見送った母と子の三つの影が夕闇に溶け込んでゆく。
人々は加速度的に狂気に向かって走り始めた。
その先には晴れやかで楽しい事しか無いという幻想を信じて。
そして君江はその先頭に立っていた。
田辺幸吉は南支那方面軍第三十八師団に入営すると、僅か六か月で伍長勤務の兵長に進級した。今では当たり前のように語られる、十歳年下の現役兵にいじめられて涙を?んだ云々の逸話は幸吉には当てはまらない。
彼らは三十歳を超えて召集され、初年兵になった国民兵、第二補充兵といった過去に兵役につかなかった人々の事だ。当然、精鋭部隊には配属されなかったので、復員者も多く、戦後彼らの証言が帝国陸軍のイメージとなっていった。
対して、幸吉の様な日中戦争が始まる以前に十分な訓練を現役兵で受けた予備役者達は、再招集後精鋭として常に最前線に立ち、激戦区を転戦し続けた。そして復員者は極端に少なかった。
米英軍が太平洋戦争当初に於いて、激しく苦戦したのは主に彼ら精鋭との戦いである。そして、米軍をして下士官と兵は世界最高水準言わしめた。
彼らは規律正しく士気も高い勇敢な下士官、兵達だったが、致命的な問題もあった。幸吉は入営後まず初めに軽機関銃分隊の弾薬手となったが、その能力が認められ射手も務め歩兵小火器を熟知した兵として退役していた。だが、退役後十年経って入営するといまだに彼が現役兵だった時に使用していた十一式軽機関銃(大正十一年正式化)が配備されていた。この国産初の軽機関銃は何かと作動不良が多く、扱いには熟練を要した。正式化されてから既に二十年を超える旧式兵器だった。欧米列強と戦うには全ての装備が古かった。有名な三十八式歩兵銃(明治三十八年正式化)も然りで、歩兵の装備の近代化は欧米に対して一歩も二歩も遅れていた。これが最終的には精神主義に進まざるを得ない状況を生み出してゆく。一発必中の小銃は、敵百発一中百丁の機関銃より強しの論法である。
入営後、幸吉の所属部隊が中国大陸に渡る準備を進める内に、中国戦線の局面は次々と変わり、僅か二ケ月で南支那方面軍は廃止され、第三十八師団は新設の第二十三軍に編入された。
そして、昭和十六年十二月八日、帝国海軍連合艦隊による真珠湾奇襲攻撃により、遂に米英蘭豪との太平洋戦争が勃発する。
既に大陸に渡っていた幸吉の所属する第三十八師団は、同日より香港占領戦に突入した。
この香港攻略戦は、独断専行で攻撃を行った第二百二十八連隊の奇襲によって始まり、僅か六日間で九龍半島を占領。更に、香港島の英軍もその十日後に降伏した。
幸吉はこの戦闘の後、ジャワ島攻略戦へと転戦し、華々しい戦果を上げる一連の戦いに絶えず第一線で参加していた。そして、規律正しく部下を統制し人望も厚く、分隊の成績も優秀だった為、兵長進級後僅か一年で伍長に進級した。
幸吉が優れた兵士であったことは事実だが、この昇進スピードは異例である。第三師団現役時代の小隊長だった下級士官達が、中隊、大隊長に昇進しており、彼らが幸吉の優秀で実直な人物であることを覚えていた事も大きい。勿論配属は精鋭の歩兵第二百二十八連隊だった。
しかし、それ以上に中国戦線での八路軍、国民党軍との熾烈な戦闘によって、陸軍歩兵では優秀な下士官が消耗しきっていた事による理由が大きい。
戦争は狂気の世界である。その中で厳格に兵に規律を厳守させ、士気を高く維持させるのは下士官の重要な役目だった。国民皆兵とはいえ、乏しい国家予算では、平時は甲種合格者の一部しか現役兵として徴兵出来なかった為、正規教育を受けた下士官の数はすぐに激減した。
特に教育召集を受けただけの中等学校以上学卒者の下士官達は、そのほとんどが兵として自ら規範を示すことが出来ず、兵士達の掌握が出来なかった。後に略奪、虐殺、婦女暴行の悪名を被る事になる帝国陸軍の多くの事例は、これら劣化した即席の士官、下士官の元で統制を失い、兵士からただの人間に戻ってしまった人々が欲望の赴くまま突き進んだ結果だった。士気の低いこれらの兵は弱かった。上官が真っ先に最後尾に下がる部隊が戦に強いわけがない。
幸吉は温厚で誠実な人柄である。部下の兵達に日常的な鉄拳制裁を加えるような上官ではない。しかし、戦闘の場面では猛烈な敵の攻撃にも決して怯まず、指揮に忠実に従い、勇敢に最前で戦った。そして軍規を頑なに守り、それを部下の誰もが良く知っていた。その結果強い分隊が出来上がった。人間を捨て軍規に従い機械の如く忠実に働く。それが戦争に於いて兵士達に最も求められる唯一の特質だ。彼はそれが出来る人間であり、また其の為に十分な訓練を受けた兵だった。
そして、昭和十七年十一月、幸吉は南太平洋の激戦地ガダルカナル島へ転戦する。
どこを向いても冷たい濃緑色の壁、幸吉はそう思っていた。
生まれも育ちも下町の彼にとって、この熱帯雨林のジャングルは全く思いもよらない世界だった。今まで体験したことも無い、物質的にさえ感じられる猛烈な蒸し暑さが苦痛だった。押せば動かせるのではないかとさえ思い、何度か顔の前で手を振ってみたが、身体にまとわりつく熱気は微動だにしない。
足元には様々な植物の根が這い、土は硬く歩きづらい。既に軍靴では役に立たず足袋に履き替えていたが、一歩進むごとに体力を削られた。島に上陸してから一週間で正規の糧食は尽きた。飲料に適する水もそう易々とは手に入らない。渇きに喉がひりつく。
ジャングルは後に兵達から緑の砂漠と言われるほど過酷な自然だった。一見緑豊かな豊穣の大地に思える熱帯雨林だが、実情は荒野そのものだ。
航空機で空から一瞥するだけの作戦参謀達は、日本の温帯林よりも更に十分すぎるほど食料も水も自給出来るものと浅慮に思い込んだ。しかし、その実態は極端に痩せた厳しい大地だった。
熱帯雨林の特徴は木々の高い樹冠にある。植物たちの生存競争により、木はより高く天に伸び、枝を広げて少しでも陽光を受けようと空を覆い尽くす。細い幹でもより高く伸びる為、木々の根元は板根という特殊な形状となる。幹の周りを板状の根が四方から支えるような形態だ。そして根を広く地表に張り巡らせる。
太陽の光は地表には届かず、大量の雨さえも直接落ちては来ない。草も生えない地表は痩せた土だけになり岩の様に硬い。熱帯雨林の豊かな生態系は樹高十五メートル以上に存在する。植物は樹木の他は蔦植物だけになり、木々に巻きついて樹上に伸びる。密林はその名もシメコロシ科の蔦植物が代表するように、草も木も苔さえも隙あらば互いを栄養として取り込もうと、虎視眈々と狙い合う過酷な生存競争の世界だった。そして、森の動物たちは全てこの高みに暮らしている。つまり豊富な木々からの恩恵にあやかれる樹上生活者となる鳥類、哺乳類では猿達だけがジャングルの主役なのだ。
遙か太古に猿から進化してしまった人間は、ただひたすらに豊かな遙か高みを見上げつつ、所々にシダ植物が繁茂するだけの、砂漠の如き地表を這い回るしかない。
それの過酷な状況下においても幸吉は部下を励まし、薄暗い密林の一角に一応の守備陣地を築き上げ戦いの時に備えていた。
彼の守備する地点が第三十八師団の最前線であった。いや、既に奪還すべきヘンダーソン飛行場は遙か彼方にあり、撤退命令は発せられていなかったが、アウステン山を後ろに後退し続けている現状では、後退し続ける師団の殿を受け持っていると言った方が的確だ。
いつの間にか彼と行動を共にする兵の数は増えていた。
十一月十日第三十八師団の先遣隊がガダルカナル島に上陸し、続いて十四日には主力部隊の輸送がトラック諸島から開始された。しかし、同時に行われた第三次ソロモン海戦では戦艦比叡、霧島を失った帝国海軍があっけなく米海軍に敗北し、既に周辺海域での制海権、制空権を失っていた。
第三八師団兵の乗船した輸送船十一隻の内七隻が、上陸地点へ辿り着く前に米海軍の艦載機攻撃によって撃沈された。精鋭の陸兵達といえども海の上では全くの無力である。幸吉達は自身の乗った輸送船が、只々爆撃されない事を祈るしかなかった。
結局、島に上陸出来た兵士は二千人と師団の三分の一以下にまで減っていた。更にガダルカナル島では一陣の一木支隊が壊滅、続く川口支隊、第二師団もヘンダーソン航空基地攻撃に失敗し壊滅状態だった為、基地から飛来した米軍機の爆撃、機銃掃射により、ようやく辿り着いた輸送船四隻も全て撃破された。揚陸出来たのは僅かな食料と弾薬にとどまり、戦術的に必要な重機関銃、歩兵砲、戦車などの重火器は一切皆無であった。
その後少ない兵力で敢行した夜襲も失敗し、度重なる米軍機の空襲により第三十八師団も壊滅に近い状態になっていた。
幸吉の所属する小隊の指揮官も、更には中隊長までが米軍機の機銃掃射で戦死していた。これは、日本軍の士官がジャングルに入らず、揚陸地点の資材集積地に溜っていた為である。この結果、指揮系統が著しく混乱した。
同じ小隊の先任軍曹も、隊から離れ大便をしている最中に米海兵隊に狙撃され戦死した。密林の中にはあちこちに集音器が設置され、飛行場守備に徹する米海兵隊は、日本兵が単独になる用便時を狙い襲撃する戦術が常套化していた。
これは決して卑怯な戦術ではない。米軍は日本兵を事細かく研究していた。そして、的確にその弱点を突き、不利な状況下においても勇敢に戦った。日本兵の優れた夜襲攻撃には陣地を堅守し、攻撃には十字砲火を徹底して行い、米兵達は突入してきた日本兵にも怯むことなく白兵戦を挑み、見事にヘンダーソン飛行場を守り切った。
戦いの当初、米軍は物資弾薬にも乏しく、制海権も制空権も決定的には掌握してはいなかった。しかし、一度も負けなかった。
そして、幸吉達が上陸した時は既に日本軍は圧倒的に不利な状況に陥っていた。その後は兵や物資の供給は、全て鼠輸送と呼ばれる駆逐艦、もしくは潜水艦だけの少量補給となり、それらもしばしば航空機の攻撃により撃破された。全ての敗因は帝国陸軍参謀本部の稚拙な戦術と指揮にあった。
上陸後既に二十日が過ぎ、糧食が乏しい状況が続いていた。密林を抜け海岸線に出れば椰子の実や椰子の木の芽など僅かに食料は手に入ったが、陽のあるうちは必ず米軍の航空機による機銃掃射を受ける為、深夜闇にまぎれて採りに行くしか方法は無い。それでも少しでも音を立てればどこからか機銃掃射を受けた。だが、兵達は戦闘を継続する為、必死に食料と水の確保に努めていた。
海岸線の浜辺には、どす黒く変色し腐敗を始めた日本兵の遺体が、打ち寄せられた木屑の様に幾つも転がっている。
その後、米軍は敗軍となって後退を続ける日本兵へ航空機、戦車、重火器によって掃討戦を行った。
敵兵と会い見えることなく打倒されていく兵達の最大の敵はいつしか疫病と飢餓になっていった。
そして、昭和十八年二月一日、捲土重来の頭文字をとって「ケ号作戦」と命名されたガダルカナル島の日本軍撤退が始まったが、既にその作戦名は滑稽でさえあった。
戦いの中、幸吉は困難な撤退戦の中、敵機銃弾を受け戦死した。
飢餓や病気で死んでいった戦友達よりは苦しみが短かったかもしれない。しかし、その死に救いは無かった。
ガダルカナル島戦で投入された日本軍の兵力三万二千人はほぼ四個師団に相当する。そして僅か四ヶ月で二万一千人の兵が死んだ。その内実に一万六千人の兵達は戦うことなく飢餓と疫病によって命を落としていた。
太平洋戦争で日本陸軍がその実力を露呈し、初めて完膚なきまで叩きのめされた負け戦がこのガダルカナル島の戦いだった。その後、帝国陸軍は一度として局地戦ですらも勝利を得ることは無い。
この大規模な撤退に転進と言う意味不明な言葉が使われたのも、この戦いが最初である。
内地ではガダルカナル島戦は、実情を知る大本営発表は消極的であったが、新聞やラジオ放送は、米英軍に強烈な一撃を加えた戦いであったと、大きく事実を捻じ曲げ広く報じられた。
君江の元に幸吉の戦死告知書が届いたのは、あの出征の日から二年後の事だった。
県知事名で記されたその書面には、マタニカウ川下流西岸にて胸部銃創にて戦死と記されていた。
白布で包まれた木箱に入り、田辺幸吉は英霊となって妻君江の元に戻ってきた。
大敗戦を隠蔽する為に、大本営はマスコミを通じて大々的にガダルカナル戦を飾詐した。ガダルカナル戦に投入された陸軍兵士を神兵と呼び、ジャワ島占領作戦に匹敵する扱いで華々しく欺瞞に満ちた報道を行った。その一連の報道はまるで転進を勝利と同意義に思わせる程である。
国民は喝采を上げた。
人間は真実ではなく、己の信じたいことのみを信ずるのだ。例え心のどこかにほんの僅かな疑念があったとしても。
日中戦争激化から既に五年、そして太平洋戦争開戦から一年半が過ぎ、中国戦線や南方戦線での戦死者は続々と増加し続けていた。どこの町内でも一人、二人、更に多くの男達が白布の木箱に姿を変えて帰還していた。
大戦当初は、慰霊祭を地区ごとに大々的に行い、戦死者を出した家は誇らしげにその旨を記した紙を玄関に張り出したりしていたが、その数が増えるに従いそれらの狂騒的な行為も沈静化していった。
しかし、太平洋戦争開戦後初めての陸海戦共に大敗を期したこのガダルカナル島戦での戦死者の扱いは、事実を糊塗する意図もあってか聖戦での尊い犠牲者という大げさな扱いになっていた。
英霊となった幸吉の慰霊祭も町内会総出で執り行われ、沢山の弔意、弔電が寄せられ、天皇・皇后名の祭祀料まで下賜された。名誉の戦死によって軍曹に進級した幸吉への恩給、扶助料も与えられた。
そして、白布に包まれた空の木箱を手に、毅然とした姿で慰霊祭に参列した君江を人々は褒め称えた。
君江は得意だった。
勿論、戦死報告を受けた時は悲しみに呆然となった。
自然と涙が溢れ出た。それは幸吉という誠実な夫を失った妻として至極当たり前の感情だった。そして母として、まだ幼い子供を三人抱えこれから生きていく事に大きな不安を覚えた。
ところが夫の戦死によって、思いもよらない名誉と、人々の賞賛、そして軍部の意向に沿った政府の手厚い対応がもたらされた。
既に米の配給制が始まり、鉄道の切符すらなかなか手に入らなくなっている状況にも関わらず、靖国神社への合祀祭にまで行くことが出来た。
日中戦争開戦当初に戦死者家族弔問の為に頻繁に行われた靖国神社への招待である。これは東京見物も含んだ慰問旅行だった。
先年、君江の所属していた国防婦人会は愛国婦人会と合併して大日本婦人会に再編されていた。愛国婦人会は上流階級の夫人が所属する組織であり、国防婦人会とは反目しあう組織であったが、既に総力戦も極限に近づきつつあった状況下では、婦人会の縄張り意識など構ってはいられず、遂には内閣の閣議決定により国内全ての婦人会組織は一本化された。
各都市部では幾度となく防空訓練が大々的に実施され、国防婦人会の制服だった白割烹着もモンペに変わっていた。かつての女性社会活動の枠では収まらない程に、日本の置かれた戦況は逼迫していた。
地方名士や、資産家の夫人が会員の愛国婦人会との統合は、君江から分会副会長の地位を奪い取っていたが、幸吉が神兵として活躍し田辺軍曹という英霊になって帰還してくれたおかげで、君江は再び副会長に返り咲き、更には銃後の婦徳の模範であると祭り上げられた。それには、記事にもなったあの「お国の為に立派に名誉の戦死なさって下さい」という彼女の言葉が、見事に伏線となって役立った事は言うまでもない。
配給、割り当てになった様々な物資も特別に恩恵を受けた。衣料切符は通常百点のところが二百点に融通され、米、味噌、醤油、油等々の切符も多く手に入れる事が出来た。金属保有状況申告も監視する立場となった君江は、会員達の申告をつぶさに精査しながら、全く悪びれることなく自分の家の物は半分の申告に留めた。
何故なら神兵として名誉の戦死をした英霊が居る家なのだ。その位の恩恵はあって当たり前の事と硬く信じ込んでいた。それがお国の為という大義名分から逸脱した行為だという認識は彼女には無かった。
君江は夫の戦死に心底感謝していた。
年も改まった昭和一九年の一月、名古屋市内ではしみ込むような強い寒さの中で本格的な防空演習が行われていた。
昭和十八年末には都市疎開実施要項が閣議決定され、大本営では既に大規模な都市空襲を想定し始めていた。全国の動物園では空襲による猛獣脱走に備え薬殺処分が始まっていた。
バケツリレーや負傷者の救護、炊き出し等を行ったかつての国防婦人会の一大行事だった防空演習も、在郷軍人会や青年団、婦会員夫人だけでなく、町内総出で行うようになっていた。婦人会の女性達の服装も白割烹着姿は禁止され、モンペにズック靴、防空頭巾姿で、火消し棒などを使った焼夷弾対策の本格的な訓練だった。
「先日、うちの主人にも臨時召集令状が来ました。これから本当にどうなるんでしょうね」
大日本婦人会の一員として演習に参加していた敏子は、不安な表情を露わに君江に声を掛けた。
「それはおめでとうございます」
君江の嬉しそうな返答に思わず敏子はぎょっとした。
「でも主人は兵隊に行ってないのよ。三十二歳で初年兵なんてあるのかしら。それに腕のいい旋盤工だから今だって立派にお国の為になっているのよ。召集されることは無いと思っていたわ。兵隊に行ったら日々のお手当は無くなるし、どうやって生活していけば・・・」
既に戦死した夫の恩給がある君江に言っても仕方ない愚痴と気付いた敏子はそこで言葉を濁した。
「旋盤のお仕事も大丈夫。工場の生産は学生さんたちが勤労動員されると聞いていますし、敏子さんのご主人も戦地でお国の為に立派に戦われると思いますわ。もちろん物資も配給はちゃんとされます」
まるで新聞を朗読しているかの如き君江の言葉を聞きながら敏子は内心不快だった。既に米は外国米を交えた配給制となり、補助食料として麦、甘藷の配給も行われている。しかもその量も十分とは言えず、街では闇での食料品調達をしなくては暮らしが成り立たなくなりつつあった。
しかし、模範的銃後の寡婦を見事に演じ続けていた君江は、米の配給でも何かと便宜を受けていた。
「でもお米は玄米だし、配給も減る一方よ。子供達だってお腹空かしているし。町内で出征した男の人は二年経っても、三年経っても誰一人帰ってこないわ。君江さんのご主人は立派に英霊になられたけど、うちの人はどうなるか分かったもんじゃないわ」
「でも、敏江さんの弟さんも立派に戦って、英霊になって帰られたじゃありませんか」
「あの子は本当に私の気も知らないで海軍なんか志願して・・・這い這いしていた頃から子守していたのは私なのよ。ろくに私のいう事も聞かないで、挙句まだ二二歳なのに死んでしまうなんて。姉を悲しませる弟なんてありません」
敏子は、はにかんだ笑みを浮かべ行ってまいりますと家を出て行った、まだ少年の面影を残す弟の姿を思い出し目を伏せた。
戦地から届く手紙はいつも海軍のラムネは美味いだの、南の島でこのまま暮らしてみたいだのと、子供じみた他愛のない事ばかり面白おかしく書いてあった。きっと姉に心配を掛けまいと思っての事だと敏子は読み返すたびに涙が溢れた。
そして、同じ思いを夫にもしなくてはならないのかと思うと堪らなかった。まるでお祭りの様に国防婦人会の活動に喜んで参加していた自分が、今は愚かしく思えて仕方なかった。どんな結末だろうが敏子はこの戦争が早く終わってほしかった。
「敏子さん、そんな弱い事を言っていたら敵の思うつぼよ。この聖戦に勝つために立派に英霊となった弟さんじゃありませんか。銃後を守る私たちがしっかりしなくてはなりません。弟さんの戦死が無駄になってしまうわ」
端正な顔を引き締めて君江は強く声を上げた。この時、彼女の背中を強く支えるモノは大東亜共栄、興亜奉公、銃後の美談、聖戦、皇国、英霊、そしてその後ろに隠れた己の虚栄心だった。
「弟の戦死を無駄にしない為にうちの人も出征するの?聖戦だからって勝っても弟は生きて戻ってこないわ。君江さん、あなた幸吉さんが戦死して悲しくないの。私は弟が死んで気がおかしくなりそうな位悲しいわ。もし主人が戦死したらって思うだけで何もかも考えられなくなる。あなたは何ともないの。子供達のお父さんは二度と帰ってこないのよ。おかしいわ。あなたはおかしいわよ」
周りを憚って小声で答える敏子は、それでも感情が抑えきれずに俯いたまま涙を流していた。
「敏子さん、弟さんの戦死は誇らしく思わなくてはいけないわ。あなたの言っていることは非国民の言葉です」
そう冷たく言い放った君江は目を細めて敏子を睨みつけた。
「あなたの発言はとても大日本婦人会の一員とは思えない。婦道に反します。それはお分かりになりますか」
君江の言葉には敏子との共感など微塵も無かった。もっとも、共感などすれば彼女が作り上げてきた全ての虚構が崩壊してしまう。
「私も主人が戦死したことは大変悲しい。でも、同じくらい誇らしく思っています。立派にお国の為になったのです」
君江はまるで演壇に立って講演しているような口調で、敏子に話しかけると、その様を自分で確かめるように何度もうなずいて見せた。
確かに幸吉の死はお国では無く君江の為になった。だが自己陶酔の中でのみ生きている彼女がそれに気付はずもなかった。
敏子は一瞬君江の顔を窺うと、血の気の失せた唇を震わせて黙り込んだまま丁寧に頭を下げた。それが今彼女に出来る精一杯の皮肉だった。
この時、日々の暮らしは厳しさが増し、社会を覆い始めた逼迫した空気によって人々は徐々にではあったが、長く続けていた自己欺瞞から覚めつつあった。
しかし、全ての日本人が盲目的に欲望のまま突き進んだ愚かな道は、後戻りできないところにまで来てしまっていた。
昭和十八年、日本軍はブナ島全滅、ガダルカナル島戦敗北、アッツ島全滅、マキン島全滅、タラワ島全滅と太平洋域全ての戦闘に於いて壊滅的な敗北が始まっていた。
この時から大本営発表は全滅を玉砕、餓死は栄養失調と言葉を変換して報じられるようになる。
言葉をどう変えようが、現実に起きている事象は、徹頭徹尾悲惨な負け戦であった。そして、大本営は転進を連呼しながら絶対防衛圏をマリアナ、カロリン諸島、西ニューギニアに変更し、南太平洋域の戦線を大きく後退する。
翌十九年、名古屋市では防空法に基づき疎開命令が発せられた。
予測を覆し、大本営の唱える絶対防衛圏は驚くべき早さで後退を続け、同年七月インパール作戦完敗と時を同じくして、米軍戦略爆撃機B二十九の日本本土への爆撃が可能となるサイパン、グァム両島の日本軍が民間人二万五千人を道連れに全滅した。
そして、米戦略空軍によって日本本土への大々的な空襲が始まる。
名古屋市では昭和十九年十二月十三日の三菱重工業大幸工場への精密爆撃を皮切りに、翌二十年三月から焼夷弾による市街地への無差別爆撃が始まった。
三月十二日、十九日、五月十四日の深夜に行われた大規模な無差別空襲の他、断続的に空襲は続けられ、B二十九来襲機数は延べ二千六百に達し、投下された爆弾総量一万四千トン、死者八千人、負傷者一万人以上、焼失家屋は十四万に達した。
そして、名古屋市街は全くの焼け野原に変わった。
黒々と焼け落ちた瓦礫に覆われ、そこかしこに消し炭になった死骸が転がったそこは、もはや人の生きる世界では無い。
六階建ての近代的な真新しい名古屋駅、市民の誇りだった国宝第一号名古屋城、そして霊験あらたかな天叢雲剣が鎮座する熱田神宮さえも焼け落ちた。
だが君江はこの様を見る事も無く、また敏子の様に降り注ぐ焼夷弾の中、子供達の手を曳いて燃え盛る街中を逃げまどう事も無かった。
彼女は疎開命令が出ると早々に名古屋市を離れ、実家のある岐阜県山間部へと疎開していたのだ。
街中では大東亜戦争の狂騒が徐々に下火になり、君江の自尊心を満足させる機会が少なくなっていた。そして、今まで手心が加えられていた食料の配給も少なくなっていた。
彼女は兄三人、姉一人の五人兄弟の末っ子だったが、実家は小さいとはいえ耕作地を持った自作農である。食料の入手に窮して転がり込めば子供三人連れていても十分に養ってもらえる目算があった。農作業は嫌だったが、婦人会会報では農業生産増に女性の力をと大々的に取り上げており、これも全てお国の為ですと見送りに集まった婦人会の面々を前に大見得を切って名古屋を出発した時は久々に気分が晴れた。
お国の為では無く、全て己の為である。その事実に戦争の道化となっていた彼女は気付くことさえ叶わなかった。だが、見送りの人々はそんな彼女の滑稽な様を笑う余裕などなく、只々食料が十分に手に入る田舎に実家がある事を羨んだ。
岐阜県奥美濃地方の山間部は、長良川に注ぐ一支流の川筋に沿って僅かな平地に作られた水田が上流に向かってなだらかなに続いている。
谷に沿った山の斜面には幾重にも畑が作られ、その中に藁葺き屋根の農家がポツリポツリと点在していた。
水田の稲は初夏の白い陽光を受け鮮やかな翡翠色に輝き、谷筋を駆け下りる澄んだ風にさわさわとその身を揺らしていた。石垣に連なる段々畑ではカボチャが黄色い花を咲かせ、そこかしこを虻や蜂達がせわしなく飛び回っている。谷を包む山々は杉や檜の青葉を茂らせ、雲一つない晴れ渡った群青の空を持ち上げていた。
大きな瀬音を空に響かせ、滔々と流れる澄んだ水面には、今年も変わらず沢山の若鮎達が跳ね飛び、流れの中にポツリポツリと浮かんだ川原石の上にはアオサギが時を止めて佇んでいる。
眺めれば眠気を誘うほどのどかな山村の景色だった。
ここには戦争の影すら微塵も無い。
時折、濃尾平野辺縁部にある航空機工場への爆撃に飛来したB二十九の編隊が、遙か上空に白い筋を曳いて走ってゆくだけである。
高射砲陣の激しい砲声が響く事も無ければ、空襲警報も鳴らず、灯火管制も無い、もちろん艦載機の機銃掃射も、艦砲射撃の砲弾も爆弾も焼夷弾も降ってくる事など一度として無かった。そこは、日々焼夷弾の劫火に包まれた都市部では考えられない程静かな別天地だった。
大きな変化は続々と届く白布に包まれた英霊と言う呼び名の木箱と、近頃目立ち始めた学童疎開の痩せた子供達の姿だけだ。
「名古屋市が空襲で全部燃えてしまったらしいわ。本当に恐ろしい」
トウモロコシ畑で黙々と受粉作業を続ける君江に向かって、姉の清子が話し掛けた。
君江は手を休めると、首に巻いた手拭いで額に浮いた汗を拭った。
農村部では働き手の男たちが根こそぎ動員されており、農作業の主力は老人と女子供に変わっていた。
同じ村の農家に嫁いでいる姉は、時折疎開してきた妹を心配して実家の手伝いを口実に様子を見に来てくれていた。
「本当に大変だわ。皆さんは無事かしら」
そう答えてみたものの、名古屋市の家も借家で家財道具もあらかた処分して疎開してきた君江にとって、空襲の話は現実味が乏しかった。
彼女の中で聖戦と言う名の戦争はもう終わっていた。国防婦人会での部隊視察旅行、映画鑑賞会、靖国参拝、出征見送り、傷病兵の病院慰問、街角での精神運動、廃品回収、日中戦争初期には楽しい活動が目白押しだった。しかし、太平洋戦争が始まり、戦局が逼迫するにつれ国婦の象徴だった純白の割烹着は灰色のモンペ姿に変わり、楽しい婦人活動はつまらない単純労働の勤労奉仕に変わっていった。
君江にとっては幸吉の戦死による葬礼が最後の晴れ舞台であった。
八紘一宇、大東和共栄圏、王道楽土、なんだか良く分からないがきっと楽しい事が沢山始まるものと純粋に信じていた。
だが、どんな祭りも必ず終わる。大きければ大きいほどその後に訪れる虚脱感は強いのだ。山車の飾りがゴミになって道端に転がり、夜店も無くなった灰色の参道脇には燃え尽きた松明が黒い消し炭に変わっている。祭りの翌日はそんな景色しかない。
今度のキチガイじみた祭りはあまりにも巨大すぎた。
女子供は高らかに鳴り響く祭り囃に楽しく踊り、鮮やかな晴着を競い合った。そして君江の立派な晴着は幸吉だった。威勢の良い掛け声と共に神輿を担ぎ、山車を引き、次々と海に飛び込んでいった鯔背な男たちは皆何処かへ行ってしまった。
祭りが終わってみれば道端には死体が累々と転がり、街そのものが燃え尽きた黒い消し炭になっていた。
そして、逞しい軍服姿の男達は白布の木箱に姿を変えて次々と戻って来た。
「あなたは名古屋で国婦の地区分会副会長だったんでしょ。同じ分会のお友達も大変な事になっているんじゃないの。お見舞いに一旦戻ってもいいのよ。子供達は私が面倒見るから」
姉の清子は妹を気遣って話し掛けたが、君江はどこか浮かない顔で少し俯いただけだった。
「もういいのよ。疎開する時に名古屋の分会は退会しているし・・・仲間の人達も疎開が多いからきっと誰も残ってないわ。それに、名古屋は婦人会より隣組が主になっていたから、今更行ってみても会そのものが無くなっているかもしれないし」
「そう、それならいいけど。こんなご時世だから義理を欠くようなことはなるべくしない方がいいわ。皆助け合いですからね」
歯切れの悪い君江の答えに、清子は納得いかない表情のままうなずいた。
村にも当然国防婦人会はあった。総力戦が出口の無い暗いトンネルに突入すると同時に、政府主導に切り替わった婦人会は国策の一環になっていた。それも清子も含めて全村民の女性が参加していた。しかし、任意参加の街の国防婦人会と異なり、農村部では村落婦人会の名称が国防婦人会に変わっただけなので、その実態は全く異なるものだった。農作業の互助、英霊の村葬手伝い、出征見送りは元々村落の婦人会は総出で行う共同作業だった。しかし、精動活動や行動活動で慰問袋を送り、傷病兵の病院慰問、街角での千人針のお願い、出征兵士の歓待等の活動は全く行っていなかった。
村の女性達は国防婦人会が他の婦人会と統合して大日本婦人会となった事すら理解していなかった。何故ならば、農村の婦人会は昔から何ら変わらない極々当たり前の互助組織だったからだ。
君江も疎開後は村の婦人会の一員となったが、街とははなはだ勝手が違っていた。ガダルカナル島戦の神兵として戦った夫を亡くし、英霊の寡婦となったと言っても村の女性たちの反応は淡々としたものだった。街に比べて兵の召集は農村部の方が断然早かった。そして、村には既に夫を戦争で亡くした寡婦が多かった。君江が英霊田辺幸吉軍曹の妻という肩書をもってしても、何一つ注目されるようなことは無かったのだ。
まして、村の女たちは彼女が己の美貌を頼りに街へ出て行ったことを十分承知している。そして大きな材木問屋の若番頭と結婚して街で何不自由ない暮らしをしていたことも。街での国婦での精動活動を語ってみても、耳を傾ける者は無く、夫の戦死に同情の言葉など誰一人掛けてはくれなかった。
一緒に涙してくれたのは姉の清子だけだった。
君江にとって楽しみの無い婦人会などもはや何の価値もない。
「本当にこの先どうなるのかしらね。家のひとも兵隊に取られてしまった・・・宗助さんも戦死してしまって・・・」
ぐったりと肩を落とした清子は思いつめた様にため息をついた。そして日に焼けた頬にぽろぽろと涙を流した。
「宗助兄さんも・・・」
君江はそこで声を詰まらせ、姉と目を見合わせたまま同じように涙を浮かべると蹲って泣き始めた。
歳が近い一番下の兄宗助は、幼い頃よく君江と遊んでくれた。彼女が餓鬼大将に虐められれば、真っ先に助けてくれた優しい兄の戦死はとてつもなく悲しかった。
彼女は夫幸吉の戦死報告にも涙したが、思い出して泣き崩れるような事は無かった。
しかし、兄の戦死は思い出すだけでも涙が止まらなくなった。何故こんなに気持ちが違うのか彼女には分からい。防空演習の日、敏子が弟の死がやりきれなくて君江に詰め寄った感情がようやく理解できたような気がした。
敏子の夫が戦死したら彼女は私と同じ気持ちになるのだろうか。君江は残酷な気持ちでそれを知りたいと思った。
彼女にとって幸吉は愛する夫であり、かわいい子供達の大切な父親だった。それが婦人会の一員として嬉々として振る舞う内に、いつしか一個の金鵄勲章に変わっていた。金鵄勲章は悲しむものではない。胸に煌びやかに飾って誇るものだ。
哀れな事であったが、君江それに気付いていない。
「今日中にこの畑は全部済ませてしまえ」
トウモロコシ畑で涙する二人の背に、低くしわがれた声を掛けたのは背の高い痩せた初老の男だった。
「あら、お父さん田んぼの草取りは終わりましたか。ご苦労様です」
いそいそと涙を拭いた清子と君江はお辞儀をした。
父の茂吉は無言のまま二人に背を向けると、少し右足を引きずりながら母屋の方へ歩いて行った。
茂吉は日露戦争の傷病兵だった。奉天戦で右足付け根に受けた盲管銃創が歳をとってから時折痛む様になった。
最近は始終不機嫌に顔をしかめていた。娘達はそれを足が痛むものと気遣っていたが、茂吉にとって古傷などどうでもよかった。
日々黙々と山仕事をこなし、田畑を耕し、養兎をし、川で網を打ち、山で猪や鹿を撃つ。厳しい自然の中で生きるために誠実に働いてきた彼にとって身体の痛みなどさしたる問題では無い。しかし、この戦争で息子を喪い、娘は夫を喪い、孫たちは父親を喪った。
どんな好景気に湧こうが、どれほど楽しいお祭りであろうが、結局戦争とはそれ以外の何物でもない事を茂吉は身に染みて知っていた。
それが分からぬ娘の姿が茂吉は悲しく辛かった。しかし、彼は黙したまま何も語らない。祭りに踊る人間に何を言っても仕方がないと知っていたからだ。そして日々不機嫌に仕事に打ち込むのであった。
「さあ、お父さんに怒られない内にこの畑を済ませてしまいましょう」
「ええ」
清子の掛け声に頷いた君江は、再びトウモロコシの受粉作業に没頭していった。
白い日差しは厳しかったが、山から駆け下りる初夏の風は冷たく心地よかった。
この年、観測史上まれな猛暑となる特別な夏がこの国に訪れる。
楽しかった戦争と国防婦人活動は終わり、夫が戦死し、苦しい戦争が始まり、大好きな街を離れ田舎の実家に疎開して嫌いな農作業を朝から晩まで行う毎日。村の男との再婚話も出たが、君江はこんな田舎で農婦として埋もれて暮らすことなど真っ平ごめんだった。
彼女は一日も早く何かが起こって大きな変化が始まる事を心から願っていた。
昭和二十年三月硫黄島守備軍全滅。同月東京大空襲にて十万人死亡。四月沖縄本島へ連合軍による上陸作戦開始。六月沖縄守備軍が民間人九万五千人を道連れに全滅し、沖縄本島は連合軍によって占領される。
そして同年八月広島市、長崎市に相次いで原子爆弾が投下されおよそ三十万人の市民が死亡した。
しかし、君江達は何も知らない。
本土決戦をやかましく煽り立てるラジオ放送も、どこか遠い別の国の話の様に思えた。
日に日に街から買い出しに訪れる人たちが増えて行った。村の女たちはこの時とばかりに優越感に浸ることが出来た。
元々大した耕作地を持たない貧乏農家だが、茂吉は出来る限り自家用分の食料を削って買い出し者に作物を工面していた。それが嬉しかった君江は、やはり自分は街の人間なのだと思った。
昭和二十年八月十五日猛暑の中、村役場からの重大発表ありの通達に従って、村社に集まった人々は正午より始まった玉音放送を耳にする。
「朕深ク世界ノ大勢ト帝国ノ現状トミ鑑ミ・・・」
ホワイトノイズと共に聞こえた昭和天皇の敗戦の詔は、君江を含め殆どの村人がその意味を理解できなかったが、人々の騒めきの中に聞こえる言葉から戦争に負けた事が分かった。
頭を垂れながらも君江は只々嬉しかった。嫌な戦争がこれでやっと終わった。街に戻れると思った。かつては楽しい戦争だった事などすっかり忘れていた。そして、兄や夫の戦死は全くの無意味であった事も。
昭和一二年の日中戦争開戦から昭和二十年の敗戦までの八年間で実に三百二十万人の日本人が戦死、餓死、焼死、被曝死した。
そして人々の欲望によって造り上げられた巨大な地獄がようやく崩壊した。
昭和二十三年の初春、大東亜戦争敗戦から二年半が過ぎ、GHQによる占領政策が一段落ついた頃、日本は多数の餓死者を出した飢餓状態から漸く脱し、空襲により壊滅した都市部の復興が徐々に始まった。
同年五月に日本国憲法が施行され、教育制度も改められた。戦後日本の体制が占領下で徐々に固まりつつあった。更に六十万人のシベリア強制労働の抑留者引き上げが六万人の犠牲者を出しながらも少しずつ始まっていた。
未だ経済復興状況は開戦前の五十パーセントに満たなくとも、人々は自らの未来に僅かばかりの光明が差し込み始めた事を感じていた。
そして、日本国民は自分たちが始めたあの戦争を忘れる為に、再び日々の生活に没頭するようになっていた。
「茂、誠二ちょっとこっちに来なさい」
君江はどこか嬉しそうな様子で、晩御飯を食べ終えた二人の息子を部屋に呼んだ。
名古屋からの疎開後、実家の六畳一間を間借りして母子四人で暮らすようになってはや四年が過ぎようとしていた。
父幸吉の出征を見送ったあの日七歳だった茂は一三歳の新制中学一年になっており、兄の手に引かれてトボトボと歩いていた弟の誠二は十歳の小学四年生になっていた。二人とも田舎の生活にすっかり馴染み、茂は父親似のすらりと背が高い逞しい少年に成長していた。
幸吉の出征後生まれた六歳の勝子は、母の横に座ってまだ幼げに綾取りをして遊んでいた。
「二人ともよく聞いてちょうだい。皆で名古屋に戻りましょう」
唐突な母の言葉に、分別の付き始めた茂は怪訝な表情を浮かべた。
「名古屋に戻る?そんな事出来る訳無いだろ。家だって空襲で焼けてないし。それに働くところだって無い。どうやって暮らすの」
すぐに弟の誠二は兄の言葉が正しいとばかりに頷いた。
「僕は嫌だよ。友達と別れたくない」
「誠二の言う通り、俺も友達と別れたくない。それにここでじいちゃんの畑手伝っていればご飯もちゃんと食べられる。街はまだ食料が中々手に入らないって聞いている。去年東京で食糧寄越せって大きなデモがあったじゃないか」
息子二人から正面切って反対されると思っていなかった君江は少し鼻白んだ。
「何言っているの、茂も誠二も名古屋にも友達が沢山居るじゃない。それに空襲で焼けた街だって、もうずいぶん復興しているそうよ。食料だって大丈夫。最近は買い出しに来る人も見掛けなくなったでしょ。それに名古屋の中学校なら、茂がやりたい野球もきっとできるわよ」
ここで茂が反対すれば、街に戻るせっかくの機会を失うと感じた君江は必死になってかき口説いた。
実際、名古屋はまだ焼け跡にバラック小屋が立ち並び、未だ食料供給も闇市が頼りのかつての姿とは程遠い有様であった。しかし、彼女は街が元に戻っているはずだと己の希望のみを信じていた。
「野球か・・・勝っちゃん、幸ちゃん元気かな」
茂は思わず引き込まれた。山の小さな中学校では好きな野球は出来なかった。そして、小学校四年生まで名古屋で暮らしていた彼にとって思い出す友達も多かった。
まだ少年の茂にとって野球の一言は心を動かす大きな魅力だった。
「だけど、どうやって暮らすの。俺だって新聞配達位は出来るけど、街はまだ仕事も無くて色々大変だって話は先生から聞いているよ」
一家の長男としての責任感で、すぐに名古屋での現実的な生活を想像した茂は、今度はそこでの暮らしをいかに立てるのか、表情を硬く引き締め彼なりに真剣に考え始めた。
以前は父の仇を打ち、お国の為に立派な航空兵になろうと心に決めていた軍国少年だった茂も、今ではこれから新しく変わっていく世の中に、若者らしく希望を見つけ出そうとしていた。茂の心の中では堅実に大地を耕して生きていく今の生活の延長線にある自分の将来と、街に出て何か大きな可能性に掛けてみたい夢との強い葛藤があった。
「大丈夫よ。茂も新聞配達なんてしなくていいの。ほらこれを御覧なさい」
そう言って君江は嬉々として一枚の手紙を開いて見せた。
「お父さんの働いていた材木問屋さんが復興景気で大変忙しいらしいのよ。それで、旦那さんから女中に出てくれないかって手紙が来たの。随分心配してくれていたみたいでね。これも戦死したお父さんが立派な人だったからよ。住むところもちゃんと用意しますって言ってくれているの」
ありがたく拝むように手紙を持つ母の姿を見て、茂はもう頷かない訳にはいかなかった。
確かに祖父の家とはいえ、伯父さん夫婦と子供の居る中での居候は、何かと肩身は狭かった。それに母の君江が田舎暮らしを嫌っていることも茂は重々承知していた。
「じいちゃんは何て言っているの」
それでも茂は祖父の判断次第だと思っていた。
「子供たちが賛成するなら好きにしなさいって言ってくれたわよ。ここだって小さな農家で色々大変でしょ。私たちが名古屋に出れば助かるし、頑張れば仕送りだって出来るわ。いつまでもお世話になりっぱなしにはいかないもの」
君江は嘘を付いていた。父親の宗助は名古屋に戻る事をはっきり反対した。昨年から始まった農地改革のおかげで僅かばかりとはいえ農地も増え、暮らしの目処もそれなりに立っている。それ以上に娘の君江の街に依存する心持が危ういと思っていたからだ。
だが茂は母親が嘘を言っていると疑うはずもない。全ての言葉をそのままに信じて大きく頷いた。
「分かった。それなら俺は名古屋に行ってもいい。誠二もいいだろ?友達は向こうにも居るし、国民学校の同級生も皆疎開先から戻っているはずだからまた会える。それに、こっちの友達とはじいちゃんの所へ帰省した時にまた会えるじゃないか」
茂がそう促すと、少しばかり逡巡した誠二はしばらく下の畳を見つめていたが、子供らしくすぐ気持ちを切り替えて兄を見上げた。
「うん、僕も名古屋に行く」
君江はぱっと顔を輝かせると、もう全て決まった事とばかりに手紙を手にして立ち上がった。
「それじゃ、お母さん若旦那さんの所へ急いでお願いしますって返事の手紙を書くわ。あなた達の学校も新学期に編入するのが一番良いと思うからね。勝子も新しい小学校に最初から入学出来るわ。茂と誠二は自分たちの荷物を早いうちに整理してまとめておきなさい」
「街に行けば甘いお菓子が沢山食べられるのよねえ」
不意に綾取りで遊ぶ手を止めた勝子が、あどけない表情で母に聞いた。
「そうそう、街に行けば甘い羊羹もおまんじゅうも、金平糖も色んなお菓子が食べられるわよ。勝子ちゃん良かったわね」
君江は嬉しそうに何度もうなずいてみせると足早に部屋を出て行った。
茂は母の妙に浮かれた様にどこか釈然としないものを感じたが、まだ十三歳の少年にそれが何なのか見極める事が出来なかった。
辺りを取り囲む山々の頂には鹿の子まだらに雪が白く残り、谷筋を吹きぬける風も身を切るほどに冷たい三月中旬、君江達母子四人は村を出た。
見送りは姉の清子だけだった。父の宗助は勝手にしろと怒鳴りつけたが、それはもう勘当と同じことだった。
以後、君江は二度と村には戻らなかった。
長良川沿いの鉄道駅舎まで十キロの砂利道を、リヤカーに荷物を積んで皆で押しながら歩き続けた。
麦の葉が伸びた田んぼは若草色に染まり、冷たい初春の風を受けのびやかにうねっている。道沿いにある村社の境内では甘い芳香を放つ薄紅色の梅の花が咲き、メジロが何羽も梢に止まって美しくさえずっていた。
山村の初春の景色は美しく清涼だった。
茂は途中から足が痛いとぐずり出した勝子を自分の引くリヤカーに乗せ、辺りの山並みを眺めながら歩いていた。
街に出れば野球が出来るかもしれない。その希望に淡く心躍らせながらも、自分が育った四年間の山村の暮らしも忘れ難かった。こうして美しい自然を見ながら歩くことも、これでしばらく無いのかと思うと少し寂しい気持ちがした。
弟の誠二もしばらく前から道筋に流れる清流を見つめていた。夏になればまたヤスで鮎突きが出来たのに。自然の中で遊んだ友達との楽しい日々を思い出しながらトボトボと歩き続けた。彼の母親に似た大きな二重の瞳は少し涙が浮かんでいた。母子四人の中で山間ののどかなこの村を離れるのが一番辛かったのは誠二なのかもしれない。兄の茂と違って国民学校に入学する前の名古屋の友達の事など、誰一人顔も浮かばないくらい記憶が淡くなっていた。
「ようやく汽車の切符も手に入る様になって本当に良かったわね」
清子がしみじみと話し始めた。
戦後しばらくはGHQが鉄道を接収しており、またインフラの復旧についてもストップを掛けていたので、戦中よりも更に鉄道の使用が困難な状況が続いていたが、昭和二十三年になって漸く接収も解除され、国民の鉄道利用が満足にできるようになっていた。
「もう東海道線も中央線も普通に乗れるそうよ。名古屋はすっかり元通りになっているらしいわ」
もはや戦争の事などきれいさっぱり忘れてしまった君江の胸の内は期待に満ちていた。
気が遠くなる程厳しい酷暑の中の農作業や、氷の張った水を使った水仕事も街では無いはずだ。婦人会での視察旅行や慰問旅行の様な楽しい行事もきっとまた始まるに違いない。人々がその楽みを沢山満喫したいが為だけに戦争を始めてしまった事など彼女は知る由も無かった。
この国の殆どの人々があの戦争を始めた当事者が自分であるとは自覚していなかった。いや、気付いていても必死に誤魔化し、忘れようとしていた。あの戦争はどこからかやって来た疫病や蝗旱の様に思い、愚かしい行いの代償を支払いながらも反省の余地などどこにもない事にしていた。
山道を下る彼らの側をごおごおと白く飛沫を立て、雪代で水嵩が上がった長良川が力強く流れている。
その堤沿いに続く線路の脇の申し訳程度に作られた小さなプラットホームに昇り、リヤカーから降ろした荷物を山の様に背負った親子四人の姿は、後ろに伸び上る濃緑の山々と大川の流れに挟まれて、まるで小さな布屑の様に見えた。
そこへ白煙を吐きつつ小さな蒸気機関車が現れ、甲高いブレーキの軋みを立てながら停車した。彼らは三両連なった古びた木製の客車の内に荷物を押し込むと次々に乗り込んでいった。
「お達者でね!」
少し心配そうな表情を浮かべる姉の清子に笑顔で手を振って答えた君江は、子供達を空いた座背に座らせいそいそと荷物をまとめ始めた。
「母さん。名古屋に着いてからはどうするか決まっているの」
不安げな茂の問いかけにも笑顔を浮かべたまま君江は頷いた。
「電報を打ってあるから大丈夫。駅まで若旦那さんが迎えに来てくれるそうだわ。住むところだってちゃんと準備してあるそうよ」
「それならいいけど・・・」
茂はこの山間の暮らしを捨て街に戻る事に、言いようのない一抹の不安を感じていた。祖父の宗助は、茂にだけ出発の前夜に思うところがあればいつでも戻って来いと言った。何かを見通しているような祖父の言葉が茂にはまだ腑に落ちなかった。
ガタガタとせわしなく音を立てる車窓から外を眺めると、空のリヤカーを引き道を戻っていく清子の姿が芥子粒の様に小さくなっていく。
そこで初めて茂は気が付いた。悠々と流れゆく長良川と奥深い山々、そこから見上げる美しく澄んだ青空、厳しく逞しいこの自然と闘って暮らす日々が自分は好きだったことを。
その全てを振り払うように彼は強く目を閉じた。
小さな汽車は川に沿って走り続け、いくつもの小さな駅を通り過ぎ、次々と青い山並みを後ろに追いやると、濃尾平野の辺縁にある地方都市の駅に辿り着いた。
ここで中央線へ乗り換えれば、後はそのまま名古屋へ到着する。
航空機エンジンの生産工場があったこの町は、まだ空襲によって破壊された無残な姿をそこかしこに残していた。
本格的な本土空襲が始まる前に実家の山村に疎開していた君江母子が初めて目にした戦争の代償だった。
「ここはずいぶん酷く街が焼けているけど、名古屋の街はどうなっているのだろう」
「大丈夫よ。しっかり元に戻っているはずだわ。この辺はまだ田舎だから復興が遅れているのよ」
走り始めた汽車の車窓から垣間見る空襲被害の酷さに茂は驚き、改めて不安を感じた。
母の膝の上では勝子がすっかり眠りこけ、弟の誠二もいつしか彼の隣で眠り込んでいた。
日の出と共に家を出発し、今は既に昼を過ぎている。重い荷物を背負い、人ごみの中汽車を乗り換え、線路を踏む車輪の単調な響きを耳にするうちに、溜まった疲れが瞼を重くし、茂はいつしかウトウトとまどろみ始めていた。
どれ位時間が過ぎただろうか、茂は不意に揺り動かされて目を覚ました。彼の肩を細い腕で掴んでいたのは弟の誠二だった。
「兄ちゃん。名古屋に着いたよ」
ぼやける視界のまま顔をもたげると、荷物を肩に背負った母が妹の勝子を起こしているところだった。
いつの間にか満員になっていた車両から乗降客に押され名古屋駅のプラットホームに降りると目の前には六階建ての駅舎ビルが建っていた。昭和十二年に竣工したこの巨大な駅舎は茂も良く覚えていた。
空襲で焼けたとは聞いていたが、しっかり駅の建物は残り、既に復旧している様を見て彼は少し力づけられた。
名古屋の街は元に戻っているかもしれない。そう思って駅舎を出た彼らの希望はすぐに裏切られる。
目の前に広がる街の景色は、空襲から三年が過ぎた今も殆どがまだ焼け落ちたままだった。
家はバラック建て、焼け残ったものを辛うじて補修したもの、そして中には防空壕舎さえも。人々はそこで暮らしていた。ところどころに残った鉄筋コンクリートのビルもその殆どが黒々と焼けただれたままであり、復興の実状はほぼ手つかずの状態と言っても良い有様だった。
実際、名古屋市への引揚者入植者の転入制限が解除されたのは僅か二ケ月前の事である。市民生活の復興はまだその端緒に付いたばかりであった。
その日君江母子四人が腰を落ち着けたのは、半焼した家を補修した廃屋に近いところだった。それでも市内の罹災者達が一軒当たりに三、四世帯も同居しているのがザラだったことを考えると、かなり恵まれた条件だったと言える。
それも全て闇資材の商売でぼろ儲けしていた材木屋の手引きだからこそ出来る事であった。新円発行によって通貨の信用が大きく損なわれ、いまだに食料も闇でしか満足に手に入らない状況だったが、君江達は食料も十分に手配され、何不自由なく暮らすことが出来た。
材木屋の大旦那はかつての幸吉の働きに報いるつもりも多分にあっただろう。そして、哀れに思い救いの手を差し伸べたつもりだったのかもしれない。
だが、闇商売で店を大きくしたのは徴兵を逃れ入営すらしなかった若旦那だった。大旦那が隠居に追いやられ、若旦那が社長と名乗り出す頃には闇商売で設けた潤沢な資金を元手に材木問屋も大きくなっていた。
そして、君江の行き着いた先は女中仕事と取り繕ってはみたものの、その実態は材木屋の若旦那の妾だった。他に能が無かったと言えば君江には少し酷なのかもしれないが、事実はそうである。
例え戦争で夫を喪っていたとはいえ、彼女は他に生きていく道を選ぶことも出来たはずだ。しかし、君江は己の美貌を最大限生かしたもっとも安易な生き様を従容として選んだ。
名古屋に戻る事を反対していた父宗助は、娘の辿るそれらすべての道筋を予見していたのだろう。
当初は焼け残りの家もいつしか新築の小奇麗な妾宅に変わり、朝鮮特需でようやく暮らしが安定する庶民を数歩先んじて、君江達母子四人は豊かな戦後生活を享受するようになっていった。
昭和二十八年三月、GHQの占領下からサンフランシスコ講和条約締結を経て日本が再び独立国家となって二年。朝鮮戦争特需の恩恵にもあやかり、名古屋市は戦争の始まる前以上に豊かに復興していた。
「大学合格して本当に良かったわ。茂さんが優秀で母さん本当に鼻が高いわ。名古屋大学に受かるなんて近所でも他に居ないもの。旦那さんも大変褒めてくれて、学費の事は心配しないで、しっかり勉強なさいですって」
外出先から戻ってきた君江が部屋で本を広げる茂を見つけると、興奮気味にまくしたて心底嬉しそうに笑みを浮かべた。
髪にパーマネントを当て、薄く化粧をした彼女は本来の美しさも相まってとても三十半ば過ぎとは思えない程若々しく見えた。
「大学は行かないよ」
君江の狂喜する様を冷たく一瞥した茂はポツリとつぶやき、また手に持った本に目を落とした。
「え?なんですって」
思いもよらない茂の言葉に一瞬ぽかんと口を開いた君江が慌てて聞き返した。
「だから、大学には行かないと言ったんだ」
面倒くさそうに一言答えて茂は黙り込んだ。
「茂さん、一体あなた何を言ってるの。帝国大学の試験に受かって行かないなんて事がありますか。世の中そんな幸運にめぐり合える人なんて滅多に居ないのよ。学費に掛かるお金だって心配しなくてもちゃんと工面してあります。世の中に出て偉くなるためにまだまだ勉強しなくちゃダメでしょ。皆も喜んでいるし、お母さんもこんな親孝行は無いって思っているのよ。ありがたく思わなきゃだめよ」
茂の意図がさっぱりわからないまま、君江はせっかく手に掴んだ自分の幸せを逃すまいと必死に捲し立てた。
その母親の姿を半ば呆れるように眺めていた茂は、我慢ならなくなった様に一言吐き捨てた。
「帝国大学なんて日本にはもう無い。そして俺は旦那の男妾になるつもりもない。あんたとは違う」
「一体何を言い出すの。大体、茂さんが妾になんてなる訳が無いでしょ。どう思っているのか知らないけど、母さんだってあなた達の為にこうして頑張っているのよ。少しは親孝行を考えたらどうなの。分からないの、全てはあなたの為を思ってしていることでしょ」
目を吊り上げて声高に話し始めた君江の顔を静かに一瞥した茂は、おもむろに本を閉じて座りなおした。彼の表情は冷たく何の感情もあらわしては居なかった。
「旦那さんとやらが、学費を出すってことは大学を卒業したらあの材木屋で働くことになるんだろ。そんな事、俺は御免だ。俺の為にだって?それは違うよ母さん。全てがあんたの為だ」
「私の為なんかじゃないでしょ。大学に行かせたいのはあなたのこれからの幸せを願ってのことです。何を訳の分からないこと言っているの」
「俺は覚えている。あんたが親父に死んで来てくれって頼んでいたのを。自分の為に死んで来いって確かに言った。真面目な親父は確かにあんたの為に戦死してくれた。良かったな。でも俺はあんたの為に何もするつもりは無い」
君江は絶句した。茂の言葉は確かに彼女の心の奥底を見透かしたものだった。
「母さんはそんな事これっぽっちも思っていません。あれはそういう時代だったのよ。あなたは小さかったからそれが分からなかっただけなの。私が幸吉さんの戦死にどれだけ悲しんだか茂さんだって知っているでしょ」
もちろん茂は知っていた。誰もが夫に立派に死んで下さいなどと言わなかった事を、そして夫を喪った悲しみがいつしか大げさな自己陶酔に変わり、悲劇のヒロインとして自分を飾りたてる勲章に変化していたことも。
「お願いだから、母さんの言うこと聞いてちゃんと大学に行ってちょうだい。あなた大学に行かないで何をするつもりなの。行く気も無いのに試験を受けたりするわけがないでしょう。」
半ば懇願になった君江の言葉にもまるで聞く耳を持たないように茂は無表情のまま座り込んでいた。
「野球も諦めて、アルバイト続けていたのもこの時の為だ」
「あれだけ好きだった野球を辞めたのって、肩を壊したからじゃないの?」
「それは嘘だよ。旦那さんとやらのお情けで生きていることを知ってから俺はずっと考えていた。大学受験したのも理由がある。これからどうするか決めてあったから試験を受けたんだ」
「決めていたって、あなた一体何をするつもりなの」
「今まで黙っていたけど、もう大阪の会社に就職先は決めてある。そこには社内奨学金制度があって、仕事しながら大学の夜学に行くことが出来る。会社の奨学金受けるにはそれなりの結果を出しておかなくちゃならない。その為に俺は大学を受験した。もう、向こうの会社では俺に奨学金を出してくれることが決まっている」
一言、一言、自分に言い聞かせるように茂は言葉を吐き出した。
「それじゃ茂さん、皆を置いてあなたこの家を出て行くって言うのね」
「俺は自分の人生を生きる。だから誰にも頼らない。母さんとは違う。誠二や勝子の学費は仕送りをする。それがまともな人間の生き方だと思っている。でも母さんの為に何かをするつもりはない。俺は誠二や勝子とは違う。父さんを殺した母さんを今でも許せない。大阪には来週出発する」
そう言い置くと茂は立ち上がって居間を出て行った。
君江は長身の息子の後ろ姿を眺めながら呆然と佇んだ。幸吉の戦死によって手に入れた勲章はもう錆びついて今は何の価値も無い。そして、新しく光り輝く勲章をまたこの胸に誇らしく飾る事が出来ると喜んだのもつかの間、それは彼女の目の前からあっけなく消え去っていこうとしていた。
しかし君江は気付かなかった。全ての思考の帰結が自分の為だけであることを露程も疑わなかった。彼女は計算高い悪女では無い、己の欲望に純粋なだけだ。お国の為、夫の為、子供達の為、絶えず無意識に自己暗示を掛けながら自分を騙し続けて生きてきた。心のどこかで自分が人からの恩恵を受ける事が当たり前のことと思っていた。それは君江が女優の様だと人から言われるほどの美貌を持ち合わせいたからこそであり、またそれを有効に使う術をいつしか身に着けていたからなのかも知れない。
「あんな子に育つなんて思わなかった。母さんは少しでも偉くなって、立派な世の為になる人間にしようと思って必死に育ててきたのに。あなた達は茂の様な親不孝者になっては駄目よ。」
茂が家を出て行った後、事ある毎に君江は息子の誠二と娘の勝子に言い続けた。
大阪の会社で勤労学生となった茂は毎月きちんと仕送りを送ってきた、弟や妹が旦那さんとやらの金で教育を受ける事が本当に我慢ならなかったのだろう。
時々届く手紙は全て弟の誠二や妹の勝子宛てだった。彼は母親との関係を断絶していた。
朝鮮戦争特需が終わり、高度経済成長期になると国内で消費される木材はすぐさま輸入された南洋材に切り替り、大手旧財閥系の材木商社が一手にその商権を握ると、既存の材木商は次々と傾いて行った。
商売が厳しくなってきた材木屋の旦那から、まとまった手切れ金を渡された君江は暇を出された。歳と共に容姿は衰え、四十歳半ばに至った彼女に最早妾としての価値は無かった。
家と幾ばくかの蓄え、そして幸吉の軍人恩給を受けていたので、生活に窮することは無かったが、いつも私は不幸だと君江は嘆いていた。
家を出た茂は大阪で順調に暮らしを立てている。だが、頑なに彼女には一切の音信を寄越さなかった。
君江は夫の幸吉同様に息子の茂も亡くした。
誠二は兄の茂とは違いどこかのんびりとした性格で、勉強もあまり得意では無かった。それでも私立の高校を卒業し、何とか大金をはたいて私立大学に入学させたもののいつの間にか勝手に中退してしまい。旦那の材木屋に就職し、しばらくして暖簾分けの様に店を出したが、商売が気質的に向かない誠二は身を入れて働くことなく、これもすぐにたたんでしまった。
それからしばらく誠二はぶらぶらとのんきに過ごしていたが、材木屋の旦那の紹介で見合いをして嫁をもらうと、ようやく何かを決心した様に新しく出来た電機会社の生産工場で工員として働き始めた。
誠二にとっては愚直に生産ラインで働く仕事が一番性に合っていた。
もちろん君江はその有様が不満だった。彼女にとって立派な人間とは例えそれがペテン師であっても背広を着てネクタイを締めた者であり、菜っ葉服を着た労働者は思うところの立派な人ではない。
その事を知ってか知らずか、誠二の母親に対する態度も日に日によそよそしくなっていく。必然的ではあったが兄の茂同様に、誠二も母のお前の為と言う虚言を一切聞かなくなっていた。
娘の勝子は母親の美しさに、父幸吉の体格を受けついだすらりと背の高い如何にも現代風な女性になっていた。
お嬢様学校と言われる私立女子高に通わせ、あらゆるコネを使ってと大手企業に就職させたが、結局君江は娘の勝子からもあからさまに嫌悪されることになる。
実際君江の性格を一番色濃く受け継いだのは勝子だった。苦労らしい苦労を味わうことなく育った勝子は、その美しさとほどほどの知性によって驚くほど傲慢な人間なっていた。
全て君江が無意識の内に己の為に良かれと思い、あなたの為だと言い続けて積み重ねた行いが生み出した結果である。
勝子は母親が妾であった事を蔑み、しかも精一杯ソフィスティケートした陳腐な言葉で罵り続けた。
子供達は鋭く、そして素早く母の不徳を見抜くものだ。
そして、母と同じ価値観を持つことになった勝子は、己の肉体と美貌を駆使して見事に立派なペテン師と結婚し、子供を産み、君江と同じようにあなたの為だからと言い続け己の欲望を満足させる為に奔走し、結果離婚して息子も失った。
ただ母君江との違いは夫が幸吉ではなく、くだらないペテン師だった事だ。夫は勝子の欲望の為の犠牲にはならず、己の欲望にのみ猛進した。
そして一人息子は兄の茂同様に勝子と決別した。
君江がその要因が自らにある事を気付かぬまま不幸になっていった様に、娘の勝子も同じ道を進んでいった。
勝子はその度に己の全てを棚に上げ、母の不貞が全て悪いのだと辛辣に攻め立てた。
君江は己に訪れた思いもよらない数々の不幸を嘆き、全ては夫の幸吉を戦争で亡くした事が原因である確信した。あれほどまでに熱狂的に協力したあの戦争を被害者として心底憎んだ。
加害者が自分を被害者と思い込むことは至極簡単だった。
そしていつしか信仰に救いを求めていった。
争いを憎み、平和を望み、慈悲をもっとも大切な功徳と信じ、誰にでも笑顔で親切な信心深い老女となっていった。
翌日は朝からジトジトと陰鬱な雨が降り続いていた。
健治は薄っぺらな煎餅布団の中から、窓ガラス越しに灰色の空を見つめ、大きくため息をついた。
「めんどうくさい」
雨音を聞きながら、本葬に出るなど言わなければ良かったと後悔していた。
運の悪い事に今日は土曜日だった。大学の講義も無い。
いつもなら午後からハンバーガーショップでビーフパテを焼き、フライヤーでポテトを揚げるバイトなのだが、昨晩店長に葬式がある旨を連絡し休みにしてある。
日曜日も終日ハンバーガーショップでバイトシフトが入っているので、大学入学以来健治には休日が無い。
ここでえいやっと布団を被って目を閉じてしまえば、丸一日久しぶりの休みが満喫できる。
いっそ睡魔の甘い誘惑に身を任せてしまおうかと健治は逡巡したが、博史さんが浮かべたほっとした表情を思い出し、布団を跳ね上げ勢いよく立ち上がった。
そして、黙々と身支度を始めた。
葬式に出るならば、フォーマルな格好をしなくてはならないと着替えの途中で気が付いたが、貧乏学生の彼にスーツなど一着もない。
下宿の連中に聞いて回って借りようかと思ったが、この貧乏長屋でスーツを持っていそうな奴はいくら考えても思い当たらない。一人だけいる四回生の先輩ならリクルートスーツ位はあるだろうが、生憎健治と体格が違いすぎた。
少し迷った後、捨てずに持っていた学生服のズボンとカッターシャツを着こんでとりあえずこれでよしとした。靴はスニーカーだが色が黒だったのが救いだった。
ビニール傘を引っ張り出して近所のバス停までぶらぶら歩いて行くと、運良く路線バスが停まっていた。
雨のせいでまた余計な金がかかると内心文句を言いながら、市営バスに乗り込み終点の地下鉄駅に向かう。
雨に濡れる灰色の街並みを見つめながら、健治は死んだ祖母の事を考えた。
だが、散々考えてみたものの何一つ肉親らしい出来事も会話さえも記憶が無い。
ただ始終辛気臭く「なんまんだぶ、なんまんだぶ」と唱えていたことは覚えている。
それだけ。
健治が習いたての仏語で言えばC‘EST TOUTだ。健治にとって祖母はその程度の希薄な存在だった。
昨日と同じくカタコンベに向かう薄暗い地下道を歩き、自動改札を潜って地下鉄に乗り込む。
世間では週休二日制が始まってまだ間もないとはいえ、街中に向かう車内はかなり混んでいた。バブル景気の恩恵なのか、遊びや買い物に出かけるらしい華やかな装いの若者が多かった。
仏頂面で吊革にぶら下がった健治は、昨日と同様、車窓に映る自分の姿を眺めながら真剣に後悔し始めた。
俺は馬鹿だ。学生服のズボンなんて穿いてくるんじゃなかった。襟付きのシャツとジーパンにすれば良かった。これじゃ大学生なのに高校生のコスプレしている変な奴じゃないか。やっぱりスーツの一着は欲しいな。でも金が無い。
健治はぶつぶつ心の中で呟きながら、周りの若者達の目が気になって仕方がない。つい三カ月前まで正真正銘の高校生だったのだから、本人が気にする様な違和感は全くない。むしろスーツ姿の方が、思春期の殻が尻に引っかかったままの彼には多分に不釣り合いだっただろう。
でも若者は少しでも背伸びがしたいのだ。
それからは何やら無性に恥ずかしくなって、外の景色を眺める余裕もなく、絶えず俯いたまま電車に揺られているうちに、健治は祖母の家のある町の駅に到着していた。
改札を通り駅舎を出た健治が駅前ロータリーを見回したが、博史さんの姿ははまだなかった。健治が少し早く着き過ぎたと後悔し始めた時、不意に後ろから声を掛けられた。
「もしかしたら、君は健治君かな」
驚いて振り向くとそこには中年の男性が立っていた。年の頃は五十代半ば位だろうか、黒の礼服姿を見なくても、その背格好と雰囲気からすぐに健治は自分の親族だと気が付いた。
「ええ、健治ですけど」
「そうか、やっぱりそうか。一目見て分かったよ。いや、これは驚いたな」
頻りに感心して一人頷く中年の男は、そこではたと気が付き慌てて居住まいを正し健治に笑いかけた。
「いやすまん、突然驚かせて申し訳ない。私の紹介がまだだった。名前くらいは聞いていると思うが、はじめまして茂です」
「えっ!やっぱり茂伯父さんでしたか。僕もビックリしました。あの、何て言うか、初めてなのにどこかで会った事があるような気がして」
我ながら変な事を言ってしまったと健治が後悔していると、茂伯父さんは自然に彼の両肩を手で掴んで何度も嬉しそうに頷いた。
「そうだろう。私も初対面には思えなかったよ。一目見てピンっときた。うちは娘しか居ないが息子が居たら健治君みたいだろうと思っていたところだ。しかし、驚いた。誠二が言っていた通り本当に良く似ている。会えて嬉しいよ。今は確か大学生だったね。」
「今年から名古屋の大学に通っています」
茂伯父さんの言った「良く似ている」がいったい誰となのかが分からなかったが、多分若い頃の伯父さんなのだろうと一人合点した健治は、照れくさそうに答えた。
「そうか、勉強頑張らないとな。ところで、眼鏡掛けているけど、やっぱり近視かね。」
「ええ、近視と乱視もあって、嫌なんですが・・・」
「なに私も同じだ。それも我が家の立派な血統だよ」
何かを確かめるように健治の肩を掴んだまま、茂伯父さんは親しげに笑った。
不自然なほど喜ぶ茂伯父さんに驚きながらも、健治はなんだか悪い気がしなかった。自分の存在を心底喜んでくれる人に久しぶりに出会った様に思えた。
丁度その時、博史さんの運転するツードアクーペが静かに駅前ロータリーへ滑り込んで来た。
「あっ、博史さんが迎えに来てくれましたよ。もちろん茂伯父さんが来るのも知っているんですよね」
健治が車に向かって足早に歩き出すと、ハザードランプを点灯した車から降りた博史さんが彼に向かって軽く手を振った。今日は礼服姿だったが、やっぱり長髪にスーツは似合わないなと健治は妙な感心をした。
「ああ、健治君を迎えに来る時間を教えて貰っていたから、今朝の新幹線で大阪から来たんだ。あれが博史君か、大きくなったな。実は昔一度会っているんだが、博史君はもう覚えてないだろう。なんせ彼が幼稚園に入る前だったからね」
茂伯父さんは懐かしそうに眼を細め、博史の挨拶に軽く会釈をして答えた。
「茂伯父さんですよね。初めまして博史です。背格好は父から聞いていましたが、一目で分かりましたよ。せわしなくてすいませんが本葬が十時からなので急ぎましょう」
博史さんに促されるまま車に乗り込んだ茂伯父さんは、ほらやっぱり覚えてないだろと、笑顔のまま健治に目配せをした。
七十五歳になる祖母の兄弟はあらかた鬼籍に入っており、親戚筋の会葬者も少なかったので、本葬は寺ではなく祖母の家で執り行われていた。
健治たちが到着すると、既に僧侶の読経が始まっていた。
取り敢えず部屋の一番隅に座り込んだ健治は、一刻も早く坊さんの唸り声が終わってくれる事を願って神妙に祈り始めた。
一番の気掛かりだった母親は一番前に座り、時折握りしめたハンカチで目元を抑えていたが、健治にはその様がなんとも空々しく思え無性に腹立たしかった。
健治は母だろうが父だろうがあの世に逝ってくれた暁には、清々したと遺影に向かってにっこり笑って見せるが、悲しみの涙など一滴も流さない自信がある。
でもこれだって親子の情だ。少なくとも憎しみや恨みという人間としての生々しい感情を両親に持っている。
だが、祖母の死は遺影を見上げても、なるほど確かにこれは祖母の顔だと思った他には取り立てて何の感情も湧いて来ない。
それから後は痺れ始めた足を気にしながら、ひたすらに正座を崩そうか我慢しようか迷い続けた。それが、読経が終わるまでの小一時間の内に、健治が真剣に考えた唯一の事だった。
今まで幾度となく会ってきた十八歳の孫と祖母の関係でこの有様は異常だった。だが、それは全て祖母が意図的に作り上げたものだった。
祖母の君江はその素振りにはかけらも見せなかったが、極々当たり前の祖母として、否、当たり前以上に孫の健治が可愛かった。
だが、その事を健治はおろか、葬儀に参列した誰一人として知る者は無かった。
そして葬儀が終わり出棺の時となった。
最後に祖母の顔を拝むよう促されたが、乾いた感情しかない健治は二度も死体は見たくないと断った。
火葬場に向かう葬儀屋が手配したマイクロバスも、母親と同乗するのがどうしても嫌だと断り、博史さんに我儘を言って車を出して貰うことになった。
祖母の家から十五分ほどで到着した火葬場は、降りしきる小雨の中、灰色の空を背景に大きな煙突が高くそびえる巨大な鉄筋コンクリートの施設だった。
堤防沿いに立つ建物は周りを水田に囲まれ、青々と葉を茂らす稲達の強い生命感と相反し、それは無機質な鉱物の塊に見えた。
健治が火葬場の中に入ると、既に祖母の遺骸を入れた棺は炉の中に入れられ焼かれ始めていた。三つ並んだ火葬用の炉の真ん中だけが低くゴーと唸り音を立てており、寒々とした場内はコンクリートの灰色と会葬者の喪服の黒、そして火葬炉のくすんだ銀色だけの陰鬱な暗色の世界だった。そして、その中にポツリと供えられた仏花の鮮やかな彩色が強く目に焼き付いた。
小声で話し合う会葬者達のざわめきが高い天井に響いている。
まるで小学校の社会科見学で行ったゴミの焼却場の様だ。極力母親の視界に入らないよう離れた場所を選び、ひやりと冷たい壁に背を寄り掛けた健治はぼんやりと思った。
結局人間は死ねば生ごみと同じだ。放置すればすぐに腐る。土に埋めれば生ごみ同様微生物が分解して肥料になる。でも街では埋める場所もない。焼いて灰にするのが一番だ。火葬は仏教の教えと共に日本に渡来した死体処理法らしいが、非常に合理的な方法だと思った。死の概念を遙か彼方に見やる若者の特権を十二分に駆使して、健治は何の感傷も無く祖母の遺骸が焼かれる火葬炉を見つめていた。
ほんの二月前、婆ちゃんの火葬の時は親戚や従兄と思い出話をしながら、生きていた人間が消えていく悲しみに浸っていた健治だったが、その時と比べてあまりにかけ離れた自分の感情は驚きだった。それ程彼にとって婆ちゃんと祖母の存在には大きな隔たりがあった。
「健治君、この後どうする」
所在なくポケットに手を突っ込み、淡い光が差し込む高窓を見つめていた彼の横に、いつの間にか従兄の博史さんが立っていた。
「火葬の後、家の近くの料理屋で昼食になるけど一緒に来るかい」
「すいませんが遠慮します」
逡巡なく健治が答えると、予想していた通りだと苦笑を浮かべて博史さんは頷いた。
「了解。親父には俺から適当な理由を考えて説明するから任せてくれ。この後すぐに駅まで直接送るよ。本当は俺も会食なんか面倒だから健治君と駅前のファミレスでランチにしたいけど、内孫で長男だとそうもいかないよなあ」
ウンザリした様に眉根をしかめて見せた博史さんが会葬者の集まりに戻ると、誠二伯父さんに何か話し始めた。
それを横で聞いていた母親が健治の方に向かって歩き始めたが、すぐさまその前に回った博史さんが何とか宥めすかして押しとどめてくれた。
母方の従兄とは祖母同様に疎遠だった健治だったが、博史さんの心遣いはありがたかった。自分にとってこの場で唯一味方だと分かる身内が居た事は嬉しかった。
健治と博史には祖母を接点として、可愛がられなかった孫同士の奇妙な連帯感が出来ていた。
祖母の遺骨を拾うつもりもなかった健治は、母との厄介事が始まっては博史さんの好意に申し訳ないと思い、火葬場からそっと抜け出すと足を忍ばせてロビーに向かった。
今日は他に火葬者も無かったらしく、白いリノリウム張りのロビーは人影も無く閑散としていた。
取り敢えず博史さんが出て来るまでここで待つことに決めた健治は、自動販売機で買った缶コーヒーを手にぽつんと一人ベンチに腰掛け、ガラス張りの大きな窓越しに降り続く雨を所在無げに眺めていた。
「よかった、健治君はここにいたのか。」
ほっとしたような響きの声と共に、明らかに彼を探していたらしい茂伯父さんがベンチに並んで座り込んだ。
「いや、今日はよく来てくれたね。事情は誠二から聞いていたし、さっき博史君とも話したから気にしなくていい。勝子はあんな性格だから折り合いが悪いのは私も分かる。あれがまだ小学校も卒業しない内に家を出てしまった私に責任があると思っている。結局、私は母親が死ぬまで一度も家には戻らなかったからね」
口ごもる健治に茂伯父さんは小さく頭を下げた。
「ところで健治君はお祖母さんの死因を聞いているかい」
「ええ、博史さんから聞きました。でも、何で自殺なんか」
「そうか、分からないか」
健治の顔を一瞥すると茂伯父さんは少し俯き、合わせた両手を口元にあてがい何か深い記憶を探り出すように黙り込んだ。暫くして、思い詰めたように大きく息を吐き出した彼はおもむろに話し始めた。
「君はお祖父さんの事は知っているか」
「戦争に行って亡くなったと昔母から聞きました。確か南方のどこかの島で戦死したって。母も会った事がないと言っていましたが。僕が知っているのはそれだけですけど」
深刻な表情で考え込む伯父の沈黙が気づまりだった健治は、ようやく始まった会話にほっとした。
「私はまだ七歳だったが戦争に行った父の事はよく覚えている。優しい親父だった。それに親父を知っている人は皆立派な人だったと言っていた。子供だったから何が立派なのか私には分からないが、とにかく伯父さんも伯母さんもそう教えてくれた。もうずいぶん昔に亡くなったが、君の曾祖父だな。私のお祖父さんが言っていたよ。あの戦争で立派な男達は皆死んでしまったってね」
いきなり始まった祖父の思い出話に戸惑いながらも、健治はもしかして祖母の自殺の理由は戦死した祖父にあるのかもしれないと思った。
それでも会った事の無い祖父と祖母の間に何があったかなど、想像さえ出来なかった。
「健治君はお婆さんが亡くなる前に会えたのかな」
「ええ、二ケ月前にこっちの大学に通い始めてすぐに挨拶に来て、会うのは四年振りでしたがまさかこんな事になるなんて」
「私はもう三十年以上会っていなかった。知っているかも知れないが、理由は君と同じなのかな。でもそうか、健治君は会えたのか。それは良かった」
そこでまた茂伯父さんは額に拳を当て、難しい表情のまま静かに俯いた。そして何かに踏ん切りをつけた様にゆっくりと頷いた。
「今日は健治君に会えてよかった。ずいぶん迷ったが、来た甲斐があったよ。近い内に一度私のところへ博史君と一緒に遊びに来てくれないか。大阪の街を案内するよ。それと少ないけど、これで本でも買って勉強に役立ててくれ」
折り畳んだ紙幣を健治の胸ポケットに差し込んだ茂伯父さんはベンチから立ち上がった。慌てて健治が紙幣を引っ張り出すと一万円札が十枚。ありがたい。これでしばらく余裕が出来る。じゃない、こんな大金さすがに気が引ける。
「すいません。こんな大金貰う訳にはいきません」
健治は反射的に立ち上がって紙幣を返そうとしたが、茂伯父さんは笑ってその手を押し戻した。
「入学祝だよ。遅くなって申し訳ないけどね。気にしないで取っておいてくれ」
一瞬もう少し何か言いたげな表情を浮かべ、健治の顔をじっと見つめた茂伯父さんは、どこか暗い面持ちのまま、ゆっくりと火葬場に戻っていった。
殆どそれと入れ代りのタイミングで博史さんがロビーに飛び込んで来た。
「ごめん、健治君もう行こう。俺、やっぱりこんな辛気臭いのは嫌いだ」
喪服のネクタイを荒々しく引き解きながら、憮然とした表情の博史さんは健治を急き立て火葬場のロビーから外に飛び出した。二人の若者は小雨の降る中駐車場まで一気に走って車に飛び乗った。
「お悔みの言葉ってのも何だか空々しくて嫌なもんだね。俺は社交辞令って奴はどうにも苦手でね」
ドライビングシートに座って礼服の上着を後部座背に放り込んだ博史さんが、後ろで縛った長髪を振りほどくと心底ウンザリした様に大きくため息をついた。
同感とばかりに何度もうなずいて相槌を打った健治は、その様を見てやっぱり博史さんはミュージシャンになるんだろうなと思った。どう考えたってサラリーマンが性に合う人じゃない。
「そう言えば、さっき茂伯父さんから博史さんと一緒に遊びに来いって言われましたよ」
「ああ、俺も言われた。今も早く健治君を送ってあげなさいって、あの場所から逃がしてくれたのが茂伯父さんだよ。話の分かる人で良かった。親戚連中はごちゃごちゃ就職どうなるのとか五月蠅かったけど、伯父さんだけは自分で決めた事を頑張れって言ってくれたし。秋になったら一度一緒に行こう。車代だってお金も貰っちゃったからね。ついでに京都の街も案内するよ」
ほっと一息ついて車をスタートさせた博史さんは、軽快にリズムをとってハンドルを叩きながらそう答えた。
「その時は宜しくお願いします。何だか楽しみだなあ。茂伯父さん色々話したそうでしたし、そういえば婆さんの自殺の事も聞かれました」
「うん、俺も言われた。思い当たる事はあるかって。でも、何にもありませんって答えるしか無かった。ここ一年は実家に戻ってないから。」
「なんで自殺なんか・・・」
彼らはそこで押し黙った。
無論答えは無い。
健治はフロントウインドウを拭うワイパーを目で追いながら、ただ早くこの陰鬱な雨が止まないかと思っていた。
健治にとって祖母は最期まで婆さんだった。
ああ、この子はやっぱり幸吉さんだ。
一目見ただけで息が止まるかと思った。
君江は目を閉じると一心に念仏を唱えた。
夫の幸吉を喪ってからずっと不幸だった。
自慢の息子だった茂は私を捨ててどこかに行ってしまった。次男の誠二は何一つちゃんと出来なかった。娘の勝子は離婚した挙句、何もかも全部私が悪いと攻め立てる。皆の為に良かれと思って沢山苦労してきたのに、私は何一つ報われなかった。
恐ろしかった。君江はもうこれ以上何も失いたくないと思っていた。孫の健治が可愛かった。それが何故なのかも気付いていた。だから必死になって話さないように見ないように抱きしめないように、失いたくないからずっと我慢し続けてきた。怖かった。失う事が本当に恐ろしかった。
それは、君江がある時から予感していた事だった。でもやっぱりあの子は幸吉さんだ。また戦争に取られて亡くしてしまう。きっと私はもっと不幸になる。嫌だ嫌だ、私はこれ以上大事なものを失くして悲しい思いばかりして生きていくのはもう耐えられない。
彼女の思惑通り健治は気付かなかった。
彼を一番愛していたのは祖母だった。