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第2章:心の隙間に触れる手



オフィスの窓から見える夜景が、まるで星の海のようだった。22時を回り、ほとんどの同僚が帰ったフロアは静寂に包まれている。私はノートパソコンに映る提案書の修正箇所を睨みながら、ため息をついた。クライアントの無茶な要求に振り回され、頭がパンクしそうだった。

「高梨さん、まだ頑張ってるんだ」

その声にハッと顔を上げると、神崎さんがコーヒーの紙カップを二つ持って私のデスクに近づいてきた。スーツのジャケットを脱いだ彼は、いつもより少しラフで、シャツの袖をまくった腕が妙に目に入る。

「神崎さん……ありがとう。こんな時間にまだいるなんて珍しいね」私はカップを受け取りながら、つい彼の顔をまじまじ見てしまった。柔らかい笑顔と、どこか深みのある瞳。こんな時間に二人きりなんて、なんだか落ち着かない。

「君が残ってるって聞いたから、ちょっと気になってね。ほら、休憩しないと倒れちゃうよ」彼は私の隣の椅子に腰かけ、まるで昔からの友達みたいに自然に話しかけてくる。

「倒れるなんて大げさだよ。締め切りが近いだけ」私は笑ってごまかしたけど、コーヒーの温かさが手のひらに染みるのを感じて、なぜか胸がざわついた。


---


「この部分、クライアントの要望に合わせるなら、データより感情に訴えるビジュアルを入れた方がいいかも」

神崎さんが私のパソコン画面を覗き込みながら言う。彼の肩が私の肩に近くて、ほのかに香るコロンの匂いにドキッとする。

「う、うん、そうだね……でも、時間がないから、どうやってまとめるか」私は焦ってキーボードを叩こうとしたけど、指がうまく動かない。

「焦らなくても大丈夫。ほら、こうやって」

彼は私の手をそっと押さえて、マウスを握る。え、ちょっと、近すぎる! 彼の指が私の手に触れた瞬間、電流みたいなものが走った気がした。

「ご、ごめん! 自分でやるから!」私は慌てて手を引っ込め、顔が熱くなるのを隠すように画面に目を戻した。

神崎さんは小さく笑って、「悪い、びっくりさせたかな。でも、君、緊張しすぎだよ。もっと肩の力抜いてもいいんじゃない?」

その言葉に、私はなぜか反発したくなった。「肩の力って……仕事なんだから、ちゃんとやらなきゃ」

「うん、知ってる。君の真面目なとこ、嫌いじゃないよ」

彼の声は穏やかで、まるで心の奥に滑り込むようだった。嫌いじゃない、って何? そんな風に言われたら、意識しないわけにいかないじゃない!


---


その夜、資料の修正を終えた私たちは、エレベーターで一緒に下りた。オフィスビルのロビーはガラス張りで、外の街灯がキラキラと反射している。

「高梨さん、いつもこんな遅くまで頑張ってるんだね。なんか、応援したくなるよ」神崎さんがポケットに手を入れながら言う。

「応援って……別に、普通に仕事してるだけだよ」私は照れ隠しに笑ったけど、彼の言葉が胸のどこかをくすぐる。

「普通じゃないよ。君の資料、細かいとこまで心がこもってる。まるで、誰かを救おうとしてるみたいに」

またその話。前に資料室で言われた言葉を思い出し、私は少しだけ勇気を出して聞いてみた。

「神崎さんって、なんでそんな風に言うの? 救うとか、光とか……なんか、特別な意味があるみたいに聞こえる」

彼は一瞬、夜空を見上げるように目を細めた。首元の十字架チャームが、街灯の光を小さく反射する。

「特別な意味、か。昔、僕がどん底だったとき、誰かが言ってくれたんだ。『どんな暗闇でも、光は必ずある』って。それから、誰かの頑張ってる姿を見ると、思うんだ。その人の中にも、光があるって」

彼の言葉は、まるで静かな祈りのように私の耳に届いた。光。キリスト教の話なのか、それともただの例えなのか。わからないけど、なぜかその一言が、私の心にぽっかり空いた穴にそっと触れた気がした。


エレベーターのドアが開き、私たちはビルの外に出る。肌寒い夜風に、私は思わず身を縮めた。

「寒いね。ほら、これ」

神崎さんが自分のマフラーをほどいて、私の首にふわりとかけてくれた。え、ちょっと、待って! 彼の匂いがするマフラーに包まれて、心臓がバクバクする。

「い、いいよ、こんなの! 風邪引くよ、神崎さんが!」私は慌てて外そうとしたけど、彼は笑って私の手を止めた。

「大丈夫、僕、風邪強いから。君が冷える方が心配だよ」

その瞬間、彼の指が私の手にまた触れた。さっきのマウスとは違う、柔らかくて温かい感触。顔を上げると、彼の瞳がすぐ近くにあって、まるで時間が止まったみたいだった。

「高梨さん、君、ほんと真面目で可愛いよね」

「か、可愛いって何!?」私は思わず声を上げて後ずさり。頭が真っ白になって、逃げるように駅の方へ走り出した。

「待って、冗談だって!」神崎さんの笑い声が背中に響くけど、振り返る余裕なんてなかった。

家に着くまで、心臓はドキドキしっぱなし。鏡を見たら、顔が真っ赤で、首にはまだ彼のマフラーが巻かれたままだった。

「もう……何これ」

私はマフラーをぎゅっと握りしめて、ベッドに倒れ込んだ。神崎悠真、なんなの、あの人! こんな気持ち、久しぶりすぎて、どうしていいかわからないよ!


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