王国は既に堕ち
王国は既に堕ちていた。
ふと、月夜に白刃が煌めき、美しい肌を照らした。
「ああ、こんなに汚して。お母様に叱られてしまうわ」
第一王女、クレアドール=ラ=ファイカデルは困ったように自らの頬を撫でた。
白に映える赤。鮮血は尚もこびりつき、華美なドレスをもべたりと汚している。
「……王家相伝の剣術。存在は知っていたが、ここまでの手練れとは」
クーデターの黒幕である老魔術師、ゴス=レイは、戦いの最中でありながら美しい王女の振る舞いに、思わず見惚れていた。
外は乱戦の喧騒。闇夜の中、王国は煌々と燃え盛り、末期の輝きを見せている。
王座の間で対峙する二人の周囲は、双方の陣営、死屍累々。
クーデター側の死体は、そのほとんどが胴体を斜め、あるいは垂直に両断されている。王女が持つ名刀、"為国"によって。
対して王国軍の死体はほぼ、ゴスの致命魔術によって外傷なく死に至らしめられ、地に臥している。
「侮りましたか?」
王女の凄絶な、それでいてどこか幼子じみた微笑み。
王女は残心を崩さず、剣先をゴスに向けている。それでいて体を左右に自然体で開き、不意打ちにも備えている。
「尋常な果し合いであれば……いや……」
老魔術師は言葉を切った。
民を苦しめる圧政を敷く王家。
打ち滅ぼされなければならぬ。
その血、最後の血、ここで絶やす。
天の雲は恐れ慄き、足早に流れていく。
大きな月は不気味なほど輝き、暗闇を晴らし、生きた二人のみを照らす。
「御命、頂戴仕る」
老魔術師が太く低い声で宣言し、
「まあ。そんなに素敵な誘われ方、初めて」
王女は微笑み、軽やかに舞った。
「はぁあっ!!」
裂帛の気合。
目にも止まらぬ速さで王女が奔り、火花が散る。
三歩、いや四歩か。
剣士には不利な間合いを、一瞬にして詰める魔術的体さばき。
王女の迷い無き上段斬りを、老魔術師は魔術障壁で受け止めた。
「ぬぅんっ!!」
否、受け止め切れない。
王女が更なる剛力を発揮し、障壁をガラスの如く切り裂く。
「くっ」
老魔術師は三歩遠くに瞬間移動した。魔力消費が激しく、何度も使える術ではない。
その右肩が避け、流血する。
それでも魔術師は素早く右腕を水平に構え、杖先を王女に向けた。
「"避け得ぬ波よ"!」
不可視の死の波動。
生物に死を想起させる波状の伝播。
避ける術などない。
「"この一刀にて"!」
対するは活人剣。
魔力にて神速を欲しいままにする王女の七斬が、辛くも術を霧散せしめた。
余人には七人の王女が見えたか、何も見えなかっただろう。
想像だにせぬ絶技。
老魔術師は苦笑を隠せなかった。
「戦場に生きればよかったものを!」
絶技の直後を隙と見て、老魔術師は奥の手を放つ。
「"天蓋の狂い"!」
王女を中心として、この世ならざる紫を帯びた暗黒の球体が発生する。
王女は刹那、上下左右の感覚、空気を失った。
「ぐぅっ、はっ!?」
王女はたちまち喀血する。
其れは異界の漆黒。外なる忌避すべき小宇宙。
一度入れば逃れること叶わぬ狂気の裡檻。
「"この一刀にて"!」
死極の十二斬。効無し。
無残に空を斬る。
王女の犯されざる四肢が、内外から圧を受け変形していく。
「あがきなさるな。苦しむだけですぞ」
忠告しながら、老魔術師は膝をつき、一歩も動けない。魔力を真に使い果たしたのだ。明日には死ぬだろう。
「っ、っ、っ」
王女は最早言葉もなく。
老魔術師は目を疑った。
王女の余りにゆるやかな、構えの換え。
刀身を垂直に立て、刀は右に寄せ。
左足を前に出したその姿、なんと見事な八相の構え。
「……」
老魔術師は目を見張り、動きようもない。
全ての音は止み、時は止まる。
「──王威流秘伝。"空穿ち"!!」
涼やかな風が吹き抜けた。
在り得ざる闇を斬ち。
老魔術師の心の臓まで、鮮やかに両断し。
生命の限りを尽くしたその一刀を為した格好のまま、王女は絶命した。
「見事」
老魔術師も、王女に叩頭したかの如き姿のまま、後に続いて絶命した。
外世界の喧騒が戻る。
動くもののいない王宮の中で、"為国"は月夜に輝く。
王国は既に堕ちていた。