自己欺瞞とAIによる人格コントロール
……ちょっとばかり面倒な話に巻き込まれてしまいました。それを頼んで来たのが借りのある相手だったので、断り切れなかったのです。
時折、性犯罪を犯した男性が、「合意の上だった」と証言する事があります。大抵は嘘だと思われて相手にされない訳ですが、その人は諦めなかったのです。そして、
「AIがログを残しているかもしれない」
と、そう主張したのでした。
――ナノマシンカプセルを飲む事で、脳直結インターフェースを形成する技術が確立してから随分が経ちますが、そのような主張をした人は今までいませんでした。その人はAIのサポートサービスを契約していて、脳とAIを直接繋げていたのですが、それで女性と行為をした時のログを、AIが残しているかもしれないと考えたのですね。
僕はAIの技師をしていまして、そのログを調べる仕事をする事になってしまったのです。
もし女性が嘘をついていたというログが残っていたなら、女権拡張論者の方々からバッシングされそうですし、反対に女性の証言を裏付けるログが残っていたなら、それはそれで別の方達からバッシングを受けそうです。
だから僕は、その仕事が嫌だったのです。
――ところが、結果は実に奇妙なものでした。
まず、男性は嘘をついてはいませんでした。男性の意識の中では女性が嫌がっているという感覚はなく、彼は合意の上で行為に及んだと本気で思っているようだったのです。ですが、ならば女性が嘘をついているのかと言えばそれも違っていました。女性は男性に対して拒絶の意思表示を示していたのです。ちょっと分かり難い感じではありましたが、それでも第三者が観れば、嫌がっていると分かる行動を執ってはいました。
つまりは、女性の態度を男性は歪めて捉えてしまっていたのです。「自己欺瞞をしていた」と言っても良いでしょう。
人間に自分自身を騙す性質がある点を指摘している研究者はいますが、それがその件で如実に証明されてしまった事になります。
この発見に世間は揺れました。
男性が自身をコントロールし切れていなかったという点で、自己の責任能力を前提とする法律は適応できないのではないかという疑問が浮上してしまったのです。が、結局は男性は罰せられてしまいました。多少、情状酌量で減刑された程度です。仮に人間の自由意思をこれで否定してしまったのなら、多くの法律の前提が崩れてしまいますから、判決を大きく変える訳にはいなかったのです。
ただし、この事件が全く世間に影響を与えなかったのかと言えばそれも違います。
「自己欺瞞を防げば、多くの性犯罪を防げるのではないか?」
そう考える人が現れて、そしてAIのサポートサービスの一つにそれを組み込んだのです。
そして、“転ばぬ先の杖”と言いますか、性犯罪を未然に防止する観点から、デフォルトでそのサービスは適用されてしまったのです。
「……しかし、そんなに自己欺瞞だって気付けないものかねぇ?」
ある日、僕は自宅のリビングでそう独り言を言いました。すると、妻がそれを聞いていて、「あらそう? 勘違いをして迫って来る男の人の話ってけっこう聞くわよ?」と反論をして来ました。
男の僕にはあまり実感できない話ですが、女性達はどうやら違うようで、むしろこの自己欺瞞の話は合点がいったようです。
“あの男達は、自己欺瞞で、自分達が本当に嫌がっているのを分かっていなかっただけだったのか”
と。
嫌がっているのに付き纏って来る男性はそれなりに多いという事なのでしょう。
不意に僕はそんな妻の態度にちょっと不安になりました。
「――君は付き合う前から、僕を好きだったよね?」
それでそう尋ねたのです。すると彼女は「フッ」と軽くふきました。
「あら? あなた、そう思ったからあんなに積極的にアプローチをして来ていたの?」
それを聞いて僕は目を丸くしました。僕と彼女が出会ったのは学生時代なのですが、僕は彼女が僕に気があると思ったから、彼女を色々と誘ったのです。
「え? まさか、嫌だったの?」
「嫌だったら、断っているわよ。でも、正直、最初はそれほど嬉しくなかったわ。途中から変わったけどね」
僕はそれを聞いて愕然となりました。
僕自身も自己欺瞞に気が付けていなかったのです。
「でも、結果として私達は上手くいったのだから良かったじゃない」
僕がショックを受けてるのに気が付いたのか、そう妻は僕を慰めるように続けました。それから僕は“気に病むような事じゃないか。お陰で仕合せになれたのだし”と自分に言い聞かせました。
これも、自己欺瞞かもしれませんが。
そしてそれからふと思ったのです。
“――もしかしたら、自己欺瞞にはメリットもあるのじゃないだろうか? なら、AIで自己欺瞞を防いでしまったなら、そのメリットもなくってしまうのじゃ?”
それからしばらくが経ちました。
世間では未婚率が大幅に増加し、そして、当然ながら、更に少子化も進んでしまったのです。
つまり、“自己欺瞞”は、一つの生物の能力のようなもので、そのお陰で多くの男性は女性に対し積極的になれていたという事なのでしょう。
“勘違いする男性”を馬鹿にする風潮も世間にはありますが、こういう点を踏まえると、ちょっとくらいは生温かい目で見るべきなような気もしてきますね。