第39話:蠱毒の術、あるいはクロガネの復讐の旅路
「はぁっ……はぁ……」
俺は肩で息をする。
『蠱毒の壺』の中は、ひどく血の匂いが充満していた。ドームに空気穴は開いているのか知らないが、換気が良くないのは確かだ。
血の匂いは……苦手だ。頭が酔ったようにぼうっとする。
「ほう、やはり生き残ったのは俺達だけか」
……?
頭がうまく働いていないせいか、クロガネの声がやけに大人びて聞こえた。
「――見つけた! 斬れ、斬鬼!」
「おう、真っ二つだ!」
斬。
突如、空中から巨大な風刃がステージごとドームを真っ二つに切り裂いた。
俺とクロガネが切り裂かれたステージの対岸に立っている形だ。
風刃の周りから発せられる風に髪を押さえながら空を見ると、黒竜――おそらく鈴だ――に乗った店長と斬鬼。
「……これはひどい」
店長は顔をしかめた。
二つに割られたステージの上は、妖怪の死骸と血で彩られていた。硝子のようなドームにも返り血がついている。
向こうも本気だったから仕方なかった。生きるために殺さなければならなかった。
それにしても、このみなぎる力はなんだろう?
「やっと来たか、アヤカシ堂」
笑いを含んだクロガネのその声は、やはり成熟した男性のものだった。
「ハッ、随分いい男に成長したじゃないか」
店長の言葉は正しい。クロガネはあの身長を気にしていた少年の姿から、だいぶ背の伸びた青年の姿に変わっていた。
「虎吉まで巻き込んで、今回は何を企んでいるんだ?」
「なに、子供の姿じゃどうしても不利だからな。大量の妖力が欲しかっただけさ」
「天馬、虎吉の様子が変だ」
斬鬼の言葉に、店長が俺を見る。
このときの俺はほとんど意識がなかった。肌は浅黒くなり、髪は腰まで伸び、耳は尖り、目の色が紅く染まっていく――妖怪化。鋭い牙をむき出しにして、フーッフーッと息を漏らす。
「クロガネと同じく、大量の妖気を浴びすぎたか……!」
ぬかった、と言いたげに、店長は顔を歪ませる。
「さあ、選べよ聖なる魔女! 俺がこの吸血鬼のなり損ないを殺すのを眺めるか、お前がここに降りてきてこの正気を失った吸血鬼もどきに血を搾り取られるか!」
「――そんなの、選択肢になっていない」
店長は黒竜の背中からふわっとステージに降り立った。俺の前に立ち、首筋を見せる。それはあまりにまぶしく――美味しそうな白い肌だった。
「ウ、ウウ、ウ、」
俺はよだれが止まらなかった。口を開けると、上の牙と下の牙の間に銀の糸が引いていくのがわかった。
店長の首筋に、俺の牙が迫る――
――が、ひとかけらの理性が、人間の心が、そのとき無意識に働いたのかもしれない。
俺の牙は、自らの腕を噛んでいた。
「フーッ、フーッ……」
腕には牙が食い込み、血が流れていく。黒竜の翼と斬鬼の起こす風で血の匂いもだいぶ吹き飛ばされて、俺の気持ちも落ち着いてきた。
「よくがんばったな。よく人間の心を失わなかったな」
店長は俺の耳元で優しく囁いた。
「――どうやら選択肢はまだあったようだ。ここで私と戦え、クロガネ。私の店員を吸血鬼のなり損ないだの吸血鬼もどきだのと侮辱した罪、決して許さぬ」
「上等だ! 結局俺たちは殺し合う定めよ!」
クロガネは凶悪な笑顔を浮かべて刀を握り直す。店長との戦いすらも楽しんでいるようだった。
「ちょっと待ちなさいよ! 蠱毒の術を壊された上に勝手なことされたら困るんだけど!?」
メアは放送席でマイクを持って怒鳴る。
「クロガネ! あんた最初から私に嫁ぐ気なんてなかったわけ!?」
「当たり前だろう、猫又族なんて辺境の部族に興味ないわ」
ハン、とクロガネは鼻で笑う。
「俺は誇り高き猫宮一族。復讐のために蠱毒の術を利用させてもらったに過ぎない」
「なんですって……!」
メアはギリリと歯を食いしばる。
「おかげさまでこのみなぎる力はなんだ! お礼にメア、お前で試し斬りしてもいいか?」
クロガネも妖力を浴びすぎて、多少理性を失っているらしかった。
刀を構えて、放送席へ突っ込んでいく。
「メア様、お下がりください!」
セバがメアをかばうように前に立ったが、このままでは彼も死んでしまう。
「セバ!」
メアは見ていられない、というように固く目を閉じる。
ガキィン。
俺はクロガネと、メア・セバの間に立って、クロガネの刀を如意棒で受け止めた。
「……いい加減にしろよ……」
俺は顔を伏せたまま、目だけはクロガネをにらみつける。
「店長に恨みがあるのかなんだか知らねえが、復讐のためなら誰を巻き込んでもいいのかよ……」
「誰が巻き込まれようが知ったことか! 俺はかたきを討つためなら手段は選ばない!」
クロガネの脳裏に、『あの日』の記憶が蘇る。
血溜まりの中に倒れ伏す父と母。その傍らに立ち尽くす天馬百合。シロガネに手を引かれ、泣きじゃくりながら人間の魔の手から逃げる自分。
――アヤカシ大戦は、何をきっかけに始まったんだったか?
もうあの泣くことしか出来なかった自分とは違う。どんな手段を使っても妖力を増し、必ず天馬百合を殺す。
「……そういえば、お前を殺せば蠱毒の術は完成するのか? お前の死に顔を見たら、天馬百合はどんな顔をするかな?」
クロガネは歪んだ笑みを浮かべる。俺は背すじがゾッとした。
「そこまでよ」
メアの硬く冷たい声がする。
「蠱毒の壺が破壊された以上、儀式は失敗したわ。虎吉を殺してもこれ以上妖力が高まることはない。そして、私に婿入りするつもりがないのなら、私もあんたにはもう用はない。この村から出ていってもらう」
クロガネは大柄な猫又たちに囲まれていた。
「クロガネ様、どうやらここいらが潮時のようですな」
観客席に座っていたシロガネが声をかける。隣にはコガネもいた。
「……フン、そうだな。引き揚げるぞ」
「はーい」
クロガネはさっと踵を返す。
「……天馬百合に対抗するための妖力は手に入れた。あとはあの女を殺すための武器を手に入れる」
「最後までお供いたします、クロガネ様」
「俺も俺もっ!」
クロガネ、シロガネ、コガネの復讐の旅路。
何が彼らをそこまで駆り立てるのか、俺には知る由もないが。
――誰が巻き込まれようが知ったことか!
その考え方だけは間違っていると、俺は思ったのである。
〈続く〉




