第35話:ビーチと水着と狼男・前編
「ひゃー、湿気がムワッとしてすごい熱気ですね姉さん!」
「なんで因幡さんまでここにいるの……?」
「姉さんの行くところ、僕ありです」
「ナチュラルに怖い」
約束の日。俺たちは『トロピカルビーチ』というレジャー施設に来ていた。
流れるプールから波の出るプール、ウォータースライダーから普通のプール施設にあるような二十五メートルプールまで、一日中遊び尽くせるほどのプール三昧である。
今日は乙姫ちゃんとデート相手のために貸し切りらしいが、俺たちも招待客として特別に入れてもらった。
俺、店長、鈴、幽子さん、そして呼んでない因幡さん。招待とはなんだったのか。まあ海人がいいと言ったのでいいのだろう。
「幽子さんって普通に人間の姿にもなれるんですね……」
俺は幽子さんをしげしげと眺める。今日の幽子さんはあのキツネ顔は変わっていないが、狐耳も尻尾もついていないし、足も普通の人間のものである。ちなみに水着はセクシーな黒ビキニ。
「まあ、うちはクラウドにレベルを合わせとるだけやし? あの子はホンマに変化がヘッタクソやからなあ」
「ああ、だから今回呼ばれてないんですか」
「『やだやだ俺も行く』言うて駄々こねとったけど、獣の毛がプールに入ったら掃除大変そうやしなあ」
と、愉快そうにケラケラ笑う。
まあ俺としても、「百合姉、百合姉」とベッタリしているクラウドを見るのは不快だったのでラッキーではある。
クラウドを見ると不快感が湧くのは、奴が狼男だからだと思っていたが、それだけでなく、単純に嫉妬だったのだろうと最近気づいた。
「それにしても、百合ちゃんは相変わらず可哀想になるほどの絶壁やねえ」
店長はキャミソール型のトップスとショートパンツという、水着としては露出が少ないものであるが……なんというか、起伏がない。スリムなだけ。
「私は全然気にしてないがな。私は全然気にしてないがな」
「なんで二回言ったんですか?」
「いま姉さんをバカにしたのか、そこの獣臭い女」
因幡さんが怒りに染まった目を幽子さんに向ける。
「変化がいくらお上手でも獣の臭いが抜けきっていらっしゃらないようですね。どうせその胸も変化でしょう?」
「おっ、ぽっと出の新キャラさんやないの。自称弟登場でテコ入れか?」
「幽子さん、それ違うところにもダメージ行ってます」
バチバチと火花を散らす天使と狐、弟と親友。
そんな二人をよそに、店長は浮き輪を借りる手続きをしていた。
「さあ、鈴。これに乗っていれば溺れないからな」
「わぁ……! おっきな浮き輪!」
「鈴は可愛いなあ」
鈴の水着はワンピースタイプの可憐な少女らしいデザイン。浮き輪というよりボートのようなそれにちょこんと乗っている姿に癒やされる。
「姉さん、ちゃんと話を聞いてください! 姉さんの女神としての沽券に関わることなんですよ!」
「なんだ、いま写真を撮るのに忙しいからあとにしてくれ……」
店長は防水仕様のデジタルカメラで鈴の撮影会を始めていた。完全にここに来た目的を忘れている。
「姉さん、貴女は変わってしまった。神の身でありながら地上に堕ち、こんな薄汚い半妖やら妖怪やらと戯れて何がしたいんです」
「白兎、お前は何も変わっていないな。天界こそ神々は堕落し、お前たち天使を使って何を企んでいる」
「その答えが知りたければ一緒に天界に戻りましょう」
「断る。私が一度天界に戻れば二度と地上に返す気はないのだろう」
「返すも何も、天界こそが貴女の帰るべき場所なのですから」
「これだから神の造った天使は話が通じない……」
台詞だけ見ればシリアスだが、その光景は店長に近寄ろうとして幽子さんと取っ組み合っている因幡さんと、妖怪の幼女を撮影しまくる女神とやらである。
というか、「薄汚い半妖」ってさり気なく俺もけなされなかったか?
この頃になると、もう因幡さんは学校以外では素の自分を隠さなくなっていた。
「あの、お話はそのくらいでいいですか? 撮影も一旦やめていただいて……」
声のする方を見ると、海人が歩いてくるところだった。
「そろそろ妹と妹の婚約者が到着するので、皆さんは二人の監視をお願いします」
「へえ、乙姫ちゃん婚約したのか」
「……要は政略結婚さ」
俺の言葉に、海人は少し悲しそうな顔をする。あっ言わなきゃよかったかな、と思ったがもう遅い。
「一応貸し切りだったものを僕が招待客を呼んだというていにしてあるので、皆さんは普通にレジャーを楽しんでいるフリをしてそれとなく監視してください。飲食物も好きに注文していただいて結構。お代は全部僕が持ちます」
「いえーい! タダ飯最高!」
「幽子、もう少し本音をしまえ」
関西弁の狐はやはりお金に目がないらしかった。店長に軽く頭をチョップされる。
「ええやんええやん、そりゃ弁天様は金運の神様やからお金には困ってないかもしれへんけど~? もらえるもんはもらっとき! 何頼む? 何頼む~?」
「トロピカルジュースには興味があるな」
なんだかんだでメニュー表を見ながら幽子さんと店長は盛り上がる。割り込む隙間が見当たらず歯を食いしばる因幡さん。
「鈴、流れるプールにでも行こうか」
「うん!」
俺は戦禍から逃れるように、鈴を浮き輪に乗せたまま流れるプールまで運ぶ。
浮き輪についた紐を引いて、馬車の御者のように先導した。
プールの水流に身を任せると、一旦外に出るコースがあって、この施設のシンボルとなっているマーライオンが水を吐き出している。マーライオンの滝を避けながら、しばらく流されているとまた室内に戻るゲートが見える。
ふと、頭上に影ができた気がして上を見上げると、マーライオンの頭の上に何かがしゃがんで、こちらをじっと見ていた。
全身毛むくじゃら、人間のような体つきで、頭は犬――
いや、狼だ。
「!?」
俺が咄嗟に身構えると、その狼男はヒュンとマーライオンから跳び下りて、姿を消した。
「店長! てんちょー!! なんか変なやつがー!!」
俺と鈴が店長に報告に戻ると、
「ああ、こちらでも妖気を感じた」
店長は口いっぱいにホットドッグを詰め込んでいたので、とても威厳がなかった。
「狼男……ってことは、またクラウドが裏切ったんでしょうか?」
「いや、それはあらへん」
俺の言葉を、幽子さんは即座に否定した。
「それはない……って、どうしてそう言えるんですか? 実際アイツ一回裏切ったでしょ」
「――クラウドは、狼男にはなれへん狼男なんや」
「……意味がわかりません」
クラウドは狼男である。狼の姿に変身したアイツを、俺は見ている。
「クラウドは、あの人間に狼の耳と足と尻尾が生えただけみたいな中途半端な姿と、狼にしかなれへん。虎ちゃんの見たような完全な『狼男』にはなれんのや」
「それをウルフェンが『失敗作』と断じ、処分されそうになったところをピクシーに引き取られた……」
店長が重い表情で言葉を継ぐ。
「は? ま、待ってください、ウルフェン、って……」
「ウルフェンとピクシーは、共同研究者だったんだよ。『不老不死』に関する研究の」
点と点が繋がった。
「ピクシー博士は、その……悪いやつ、だったんですか?」
「世の中のものを善か悪かだけで判断するのは危険だぞ、虎吉よ。……まあ、ウルフェンは悪いやつだが、ピクシーはそれほどでもない。クラウドと幽子を引き取って共同研究を打ち切った――まあ要するに逃げた側だからな」
「うちもクラウドのマネして変化が下手くそなフリして逃げ出したからよかったんやけど、あの研究所に取り残されてたらどんな目に遭わされたか……お~こわ」
幽子さんはブルッと身を震わせた。
「そういう意味でも父ちゃんには感謝してもしきれへんわ。……で、何の話やったっけ?」
「あ、そう! その変な狼男ですよ!」
「プールで狼男、ねえ? まさか水飲みに寄り道……なんてことはなさそうやけど」
「……乙姫お嬢さんの婚約者……なーんか、嫌な予感するなあ」
店長が悪寒がするとでも言いたげに重苦しそうな顔をする。
「店長さん、鳥肌立ってるけど大丈夫? 寒いのかな? 抱きしめて温めてあげようか……?」
「ギャアァァァッ!」
突然何者かに背後から抱きしめられ、耳元で囁かれた店長は絶叫しながら見事な体捌きで謎の痴漢の脇腹に肘鉄を食らわせ、相手の側頭部に回し蹴りを食らわせながら距離をとった。
「ゲハッ……」
痴漢――イービル・ダークは脇腹と頭を押さえて呻いた。
「やっぱりお前絡みか! 乙姫お嬢さんに何をするつもりだ変質者!」
「店長さん、胸がないみたいだけど、もしかしてボク、男に恋しちゃったのかな」
「お前殺すぞ」
店長から放たれるストレートな殺気。殺る気満々。
「ははは、いやあ、うちの弟がすみません」
呑気な笑い声をあげながら、ルナール・ダーク――イービルの実の兄であり、魔界の王子様――がゆっくりと歩いてきた。
その三歩後ろをついてくるのは、俺の記憶の中と遜色ない、顔立ちは幼いながらも美しい姿の竜宮乙姫であった。プールということで白ビキニとパレオ姿である。
「えっ……もしかして、乙姫ちゃんの婚約者って、ルナールさん!?」
「なぁるほど、これは百合ちゃんルナールはんと結婚できひんわぁ」
驚く俺に、納得した表情の幽子さん。
店長も乙姫ちゃんも比較できない美貌なのだが、まあどちらも美しいなら若い方を取るだろう。乙姫ちゃんが海人の言う通り海竜王の娘なら権力的な関係もあるだろうし。
「にしたって、若すぎでしょ。たしか乙姫ちゃんまだ十四歳……」
「ええ、ですから結婚適齢期になるのを待って結婚する予定です」
ルナールさんは全く動揺していない。
「魔界の王子様に海竜王のご令嬢……なるほど、政略結婚と言われても仕方ない」
「まあ事実そのような形にはなってしまいましたが、別に愛情がないわけではないんですよ?」
店長の言葉に、ルナールさんは恥ずかしげもなく微笑み、乙姫ちゃんはポッと顔を赤く染めている。
「で、あなた方がここにいるのは……海人お義兄様の心配性、でしょうか?」
見抜かれている。海人は「えへへ……」と照れくさそうに笑う。
それにしても、おそらく海人より遥かに年上のはずのルナールさんが海人を「お義兄様」と呼ぶのも奇妙な気分だった。
「だが、どうやらその心配は別の方向で当たったみたいだぞ?」
「どういう意味ですか?」
店長の言葉に、俺は疑問を呈する。
「君も知っていると思うが、吸血鬼と狼男は天敵だ」
「あんな野蛮な獣、好敵手とすら言えませんがね」
ルナールは肩をすくめる。どうやら吸血鬼というのは思ったとおりプライドが高いらしい。
「そして、海竜王とつながりをもって更に魔界での権力を高めようとする吸血鬼を、狼男が放置するわけがない」
グルル……と何処からともなく獣の唸り声が聞こえる。
「おまけに施設を貸し切って本来二人きりで楽しむはずだった、となれば暗殺者が来てもおかしくはないよな?」
プール内はいつの間にか狼男の集団に囲まれていた。
〈続く〉




