第29話:『女神の血』
一方、ホテルの部屋では。
部屋のドアを開けて、百合はイービルを突き飛ばすように部屋に押し込む。
「店長さん……?」
イービルは事態が把握できない様子で百合を不思議そうに見る。
「脱げ」
「!?」
「その気持ち悪いTシャツを脱いで待ってろ」
百合はそれだけ言い残し、部屋を出た。
イービルはぽーっとした顔で閉ざされたドアを眺めていた。
――脱げって、『そういうこと』だよね?
やだ、店長さんったら積極的。まだデート始まったばかりなのに。
イービルは顔を赤らめて、Tシャツを脱ぎ始めた。
ところ変わって、ホテル前に戻る。
俺たちが戸惑っているうちに、店長はすぐにホテルから出てきた。早足で近くの服屋に入っていく。
しばらくして、店長は服が入っていると思われる紙袋を抱えて店から出てくる。そしてまたホテルに入る。
その一連の動きで、なんとなく店長の思惑は察した。
「……店長って、なんだかんだ面倒見いいよな」
俺は呆れた顔をしていることだろう。おそらくはすぐホテルから出てくるだろうし、黙ってことの成り行きを見守ることにした。
またホテルの一室に戻る。
百合はバンッ、と乱暴にドアを開ける。
イービルは――バスローブ姿で待っていた。髪が濡れている。
「店長、さん……」
潤んだ目でこちらを見るイービルに、百合はゴミを見るような目を向ける。
「お前、私が服屋を駆け回っている間に、呑気にシャワーなんか浴びてたのか? ――ほら、これを着ろ」
紙袋をイービルの顔めがけて投げつける。
「これ、なに?」
「服屋を駆け回ったってさっき言っただろう。あの悪趣味な服はここで捨てて新しいのに着替えろ」
紙袋の中を覗いていたイービルは、幸せそうな顔で百合を見る。
「これ、これって店長さんからの初めてのプレゼントってことだよね!?」
「ハァ? 何を勘違いしてんだ間抜けが。買った分の金はお前が私に返せ」
百合は服屋の領収書をイービルに突きつけるが、イービルは笑顔を変えない。
「へへ、店長さんが服を選んでくれたって事実は変わらないもんね~。――はい、お金」
「チッ……」
とろけた笑顔を浮かべるイービルを、百合は忌々しそうに睨みつけ、彼が差し出した代金を奪うように受け取った。
「着替えたらすぐここを出るぞ」
「え~? もう少しくつろいでいってもいいんじゃない? せっかくバスローブなんだし、店長さんもシャワー浴びてきたら――」
「それ以上近づいたら消し炭にするぞ」
百合はどこからか隠し持っていた御札を広げて臨戦態勢である。
「部屋の外で待っているから着替えたらさっさと出てこい」
「ちぇ~」
またバンッと乱暴に閉ざされたドアをすねた目で見つめながら、イービルは百合が選んでくれた服に袖を通すのであった。
ホテル前。
思ったより時間はかかったが、店長とイービルはホテルから出てきた。イービルはさっきの視覚テロから一転、マトモな服を着ればマトモにイケメンに見えた。服の力ってすごい。
「手を繋ごうよ」
「私に触れるな」
店長の様子から見るに、妙なことはされていない様子である。俺は安堵した。
店長とイービルの歩く速度に合わせて、俺と鈴は尾行を開始する。
そこからは普通のデートのようだった。ワゴン販売されているクレープを買って食べてみたり、ゲーセンで二人で協力プレイできるゲームで遊んだり。
ちなみに完全な吸血鬼が日中行動できることに疑問を感じる読者もいるかもしれないが、イービルは日傘をさしているうえにかなり強力な日焼け止めを塗っていたようである。
かつて店長が「吸血鬼は太陽の光が弱点なのに、太陽の光を反射しているはずの月の光が平気なのは何故か知っているか?」と俺に問うたことがある。
「ピクシーの研究によると、太陽の光には含まれていて月の光には含まれていないある種類の紫外線がある。その紫外線こそが吸血鬼を消滅させる成分ということになるのだろう」
そして、魔界ではその紫外線をシャットアウトする日焼け止めが売られているということだ。吸血鬼に限らず、魔界には人間界の日中には行動できない種類のアヤカシが多い。そういうアヤカシ向けに日焼け止めが売られているわけである。
そして、妖怪は純血に近ければ近いほど、その特徴が色濃く現れる。吸血鬼の場合は、能力が高い代わりに弱点もさらに効きやすくなる。魔界の王子様とかいう肩書を持ったイービルはさぞかし純度の高い血が流れていることだろう。逆に俺は血の純度が低いがゆえに、普通の人間より少し強い程度だが吸血鬼としての弱点はほとんど効かない。どちらも一長一短といった感じだ。
それにしても、イービルと店長を見て周囲の人間がやけにざわついている気がする。まあマトモな服を着たイービルはよく見ればイケメンだったし、店長も性格さえ見なければ極上の美女なので容姿としてはふたりともめちゃくちゃ目立つ。その時はそのせいだろうと思っていた。
やがて日が沈み、妖怪であるイービルが過ごしやすい時間帯となった。彼は折りたたみ式の日傘をしまい、ふたりは海浜公園へ足を運ぶ。
「海きれいだねえ、店長さん」
「そろそろいいんじゃないか?」
海に見惚れるイービルに、店長が話を切り出す。
「え? 何の話?」
「いい加減、お前のペットとやらの情報を聞かせてもらおうか」
「なーんだ、覚えてたんだ。今日一日楽しい思いをすれば忘れるかなと思ってたのに」
眉間にシワを寄せる店長に、イービルはあっけらかんと言う。
「ふん、その情報をエサにされなければ、お前とのデートなんて応じなかった」
店長は吐き捨てるように言った。
「ボクの飼ってた犬――ヴァン・ダークって名前だったんだけど、前も言ったとおりウルフェン博士が造った人造妖怪だよ。まあ他の実験体とは違って、ペット向けに知性は低めにしてもらったんだけど。まさか店長さんが殺してたなんてねえ。運命感じちゃう」
倫理観もへったくれもないような台詞を、イービルは吐き出していく。
「詳細はウルフェンに直接聞いたほうが早いだろうけど、一応遺伝子情報とか詳しい内容はこの書類に書いてあるよ。どうせヴァンの死体もピクシー博士に預けてあるんでしょ? 多分彼にこれを見せればだいたいのことは分かると思う」
イービルは日傘をしまったバッグから、紙の束を取り出して店長に預ける。そのままその手を、書類を受け取った店長の手に滑らせていく。
「はぁ……店長さん、待ち合わせのときから美味しそうな匂いがしてて、もう我慢出来ない……」
店長が御札を構える時間もなかった。
イービルは素早く首筋に顔をうずめ、その鋭い牙を突き立てる。
「ッ――!」
吸血鬼に血を吸われたとき、吸われた人間は快楽を感じるという。店長は身をよじった。
「店長!」
俺が茂みから助けに向かおうとした、その刹那。
「ぐっ……あぁ……ッ!?」
突然、血を吸っていたイービルが苦しみだす。ジュウゥ……と肉の焼ける音と匂い、黒煙がイービルの口から吐き出された。
「口の中が……喉が、胃袋が……痛い……焼ける……ッ! 痛い、痛い痛い痛い! くそ、とんだゲテモノじゃないか、『女神の血』……!」
イービルは霧になって消えてしまった。おそらくは逃げたのだろう。
店長は牙によって穴を開けられた首筋を押さえてうずくまっていた。
「店長! 大丈夫ですか!?」
「……私の血が吸血鬼を浄化するとしたら……もしかしたら……」
心配で声をかける俺をよそに、店長は何やら考え込んでいる。
やがて何事もなかったように立ち上がり、
「虎吉、ピクシーのもとに行くぞ」
「え? 今からですか?」
「どうせ多くのアヤカシの活動時間は夜だ。おそらくピクシーもこれからの時間帯が一番活発に動いている」
そうして、俺達はピクシー博士の棲み着いている稲荷神社に向かったのである。
〈続く〉




