第1話:巫女と怪物、あるいは物語の始まり
――なんなんだ、あれは!
俺は雪降る深夜、コンビニに行きたくて家を出た。
コンビニへの近道に、いつも中を通って行く公園を、今日も俺は通った、ただそれだけなのに。
公園に入る東西南北の出入り口と、公園をぐるりと一周する小道があって、俺は公園の西口から東口へ、その道を通っていただけだ。
すると歩いていた目の前にあった南口から、女が走って公園に入ってきたのだ。
俺の眼はその女に惹きつけられた。こんな夜中に公園に人が入ってきたことも勿論だが……その女は巫女服を着ていたからだ。
あの、上が白くて下は真っ赤な袴の着物は、夜でも見まごうことなく巫女服だと分かった。公園の街灯に照らされて、後ろに一本結びされた黒い髪が跳ねる。まさしく濡れた鴉の羽の色というのか、つやがあって美しい髪だった。
しかし巫女さんが、深夜の公園に何の用があるというのか。
俺は白うさぎを見つけたアリスのように、ほとんど反射的に巫女さんを追いかけていた。
好奇心は猫を殺すと言うが、あのとき女を追いかけずに真っ直ぐコンビニに行っていれば、俺はあんな目に遭うことは無かっただろう。そして同時に、彼女と知り合うことも無かっただろう。……それが不幸なのか幸運なのかは、俺には判断しがたいのだが。
女に気付かれずに(女も急いでいた様子で、そんな余裕がなかったのだろうが)追った先は、公園のちょうど中心にある噴水だった。噴水の中にライトが仕込んであって、光を反射して輝く水が美しく、夕方とかもっと早い時間には、ちょっとしたデートスポットになる場所だ。
その噴水の手前に、何か黒いものがうずくまっていた。噴水のライトが逆光になって、その詳細は見えない。
巫女さんの目当てはその黒いやつだったらしく、それを見つけると一メートルほどの距離で立ち止まった。俺に背を向ける形になる。
「――やっと追い付いた」
はあ、と息を吐いて、女が一声を発した。どうやら、俺が公園に入る前に、あの黒いのは公園に入り込んでいたらしい。
一方、謎の黒い生物は何も言わない。大型犬くらいの大きさの輪郭は分かるのだが、どうにも見たことのないシルエットだった。犬にしては耳が大きく、頭の横についているようだった。猿にしても腕がトゲトゲしていた。なんというのか、両腕がコウモリの羽のような形をしている。
深夜の公園で対峙する、巫女と珍獣。全くもって異様な光景だった。
「……観念しろ」
巫女さんが呟いて、黒い珍獣に歩み寄る。珍獣は低く、グルルル、とうなった。どうやら獰猛な生き物らしい。
ふと、珍獣の視線を感じた。顔は見えないのに、俺を見て、にやりと笑った、ような気がした。
次の瞬間、黒い塊が、巫女さんの肩を飛び越えて、俺に迫った。
「!?」
俺も、そして巫女さんも、驚愕したようだった。俺は黒い獣に押し倒されたことに、巫女さんは俺が背後にいたことに。
そして、俺はやっと黒い生物の顔を見た。顔には目がなく、メロンのように血管が頭を覆っていた。コウモリのようにとがって大きな耳が頭の横についていて、俺の身体を押さえつける腕はコウモリの羽を太く大きくしたようなものだった。頭の形と胴体は人間の幼児のようだったが、犬でもなく猿でもなく、ただの化物だった。
そいつが口を開けて、鋭い牙が目の前に迫る――。
俺の意識は、そこで途切れた。
〈続く〉