一章 だからお願いこの手を掴んで(2)
「あのな、シェレネエラリスさん」
「お前にはシェレネと呼ぶことを許そう」
「あ、それはどうも」
頭を下げてからエミリオはなんかおかしいことに気付いた。しかし本人はそうは思っていないらしく胸を張った。
「うむ、光栄に思え」
やたらと尊大な態度といい、人間離れした美貌といい、本当にシェレネエラリスではないかと錯覚しそうになる。そんな馬鹿な。とりあえずエミリオはこれ以上、彼女の正体については言及しないことにした。話が進まない。重要なのは彼女が何者かではなく、自分の命の恩人だということだ。
「じゃあ、シェレネさん。えーっと……お礼をしたいところなんだけど、今はその、持ち合わせもないし、クロワのことも気がかりだし、一端落ち着いてから改めてお礼に伺ってもよろしいでしょうか?」
「よかろう」
「重ね重ねありがとう」
もう一度頭を下げて、エミリオは立ち上がった。眩暈は起きない。身体に異常も見当たらなかった。これがいわゆる癒しの力によるものだとすれば大したものだ。緩んでいた帯を締め直して洞窟から顔を出す。
太陽は丁度空のてっぺんに到達していた。釣りをしに家を出たのは朝だった。急いで戻らなければ、四日後には最終決戦を控えている。
「ああ、そう言えば」
エミリオは振り返った。
「どうして私の名を?」
質問の意図を探るように自称シェレネエラリスは愁眉を顰めた。
「エミリアって呼んだよね? それを知っているのはファリスやクロワ達くらいなんだけど……」
「余を誰だと思っている」
「守護神シェレネエラリス様に知らないことはないわけですか」
至極当然のように自称シェレネエラリスは頷いた。はったりもここまでくれば大物だ。
「では、ひとまずお暇させていただきます」
「余はしばらくここにいる」
端整な顔に陰りが生まれる。憐れむような眼差しはエミリオに向けられていた。
「どうせすぐに戻ってくるだろうしな」
エミリオは首を捻った。意味がわからない。しかし、はやる気持ちが微かな違和感を打ち消した。今はとにかく、クロワの安否を確認しなければ。そして、自分を襲ったカトゥルの連中がどこまでこの国に侵攻しているのかを調べなければならない。
決戦を前にして、やるべきことは山のようにあった。