一章 だからお願いこの手を掴んで(1)
嗚咽が聞こえる。
小さい子供のしゃくりあげる声だ。涙を堪えきれない、が、それでも堪えようとする。あまりにも必死な様子が伝わってきて、エミリオは苦笑した。
意地張るなよ。堪えなくたっていいじゃないか。
エミリオはその子供に手を伸ばした。
岩に叩きつけられる波の音でエミリオは覚醒した。背中には硬い岩の感触。頬には生温かい潮風。ずいぶん長いこと闇の中を漂っていたような気がする。霞がかかったかのように思考がまとまらない。
釣りをしようと約束して、でもクロワの姿がなくて海岸沿いをつぶさに探し歩いていたら、どういうわけか彼は溺れていて――エミリオの脳裏に目を見開くクロワの顔が鮮明に蘇った。それに伴い、記憶が流れ込む。
矢で射抜かれたのだ。とっさに肩を押さえたが、痛みはおろか痺れのも無かった。傷一つない。だが、夢ではないことを誇示するかのように服には穴が開いていた。ちょうど矢じりの大きさだ。位置といい、射抜かれた事実に間違いはない。
「エミリア」
澄んだ声。エミリオは顔を向け――そして、百を数えるほど固まった。
絵画から抜け出たような絶世の美女がいた。それ自体が光を放っているような髪は輝く黄金色。薔薇のように深紅の唇。真珠を溶かしたような肌は日焼けとは無縁なもののように思えた。
「……シェレネエラリス」
感嘆の息とともに女神の名前がエミリオの口から零れ落ちた。彫像かと思われた美女はその愁眉を僅かに顰めた。
「よく余の名がわかったな」
「は?」
「今、呼んだではないか。シェレネエラリス。余の名だ」
どことなく尊大な態度もこの美女なら許されるような気がした。エミリオは額に手を当てた。これは夢の続きか。
「まさか、自分がこの国の守護神のシェレネエラリスだとかは言わないよね?」
「守護神になんぞなった覚えはないが、この海一帯を統べるシェレネエラリスとは余のことだ」
「人をたばかるなら、まずはまともな名を考えるといい。うちのガキどもだってもう少し信憑性のあることを言うよ」
しかし所詮、十かそこらの子供が考えることだ。エミリオには大抵お見通しだった。どっかの子供と喧嘩して泣かせたとか。いい歳しておねしょだとか――ああ、そう言えばクロワはどうなった。こんなところで非現実に浸っている場合じゃない。
「私と一緒にいた男の子は知らないか?」
「知らぬ。余が拾ったのはお前だけだ」
「海に落ちたのを助けて毒消しして怪我も跡形もなく治してくれたんだ。それはどうもありがとう」
エミリオは頭を下げた。
「ところで、どうやって?」
「余を誰だと思っている。傷を癒すなど造作もない」
「まあ神様なら傷を治すくらい簡単にやってのけそうだけど、私はあなたがどうやってやったのかが気になる」
「実際、容易いことだった。何しろ余は神だからな」
真顔で言ってのける自称シェレネエラリス。エミリオは会話が全く噛み合っていないことに疲れを覚えた。