4 異世界で派遣契約
よろしくお願いいたします。
「では説明しようか。相田ゆかりさん、君は前世で様々な職場の課題を解決してきた実績を買われて、異世界での派遣業務を任されることになった。今回はパン屋のドニさんの店を立て直すことが課題だったのだが」
課長さんが私を見つめてにっこりと微笑む。
「期待以上の結果で、満足している」
「…ありがとう、ございます?」
評価されたようなので、お礼を言うと、課長さんはちょっと目を見開いたが、すぐに細めて
「そう、その順応性が君の最大の武器だ。素晴らしい」
と続けた。
課長さん、役所の面接でも思ったけど、切れ長の目に眼鏡で髪にちょっと寝癖がついていてそこがラフでいい。背が高く声は低くて聞いていて心地良い。一緒に働くのを楽しみにしていたのだけれど、こういうのは予想していなかったなと思う。
「この世界に送った時に、君にはなんの情報も与えなかったけれど、君は自分の置かれた状況とドニの記憶を元に彼の抱える問題を把握し、解決に向けて行動した。
それだけでなく特に今回はドニの店で今後作ることができそうな新しいパンのレシピを考えてきたことと、ミシェルとの仲を深めることまでしてくれたことがさらに高評価につながった。これでここでの君の仕事は終了だ」
「…はぁ…そうですか。でも、ドニさんの中から私が抜けてしまって、この後大丈夫なんでしょうか」
「…君には本当に…この状況にあって、自分のことではなくドニの心配をするなんて。本当に、君は…逸材だ!」
課長さんはなんだか感動しているようだが、私としては、ドニとして生きていくのだろうと考えてそのための環境を改善したのに、とやや不満を感じていた。しかも先程の質問にも応えてもらえていない。
「で、ドニさんはこれからどうなるんですか?」
「ああ、彼は君が入っていた時のことはちゃんと覚えている。君が考えたことやしたこと、そういうのは彼が自分で考えてしたような気がしているんだ。そしてその記憶を持ってこれからの人生を生きることができる。だから心配はいらない。店の経営の工夫や片付け、レシピ、彼女への愛の伝え方、そういったものは今後彼の人生を助けてくれるだろう。あ、でも君自身の記憶はないから大丈夫だよ、君の人生の秘密は守られている」
「…そうですか。まあ、ドニが幸せになるなら…良かったです」
昨日感じたミシェルへの愛が、この先自分の中で成就することはないのかと思うと、ちょっぴり切なくなった。おでこを合わせた時のあの瞳、キラキラと輝く緑の宝石のようだったな。
「説明しなかったのは申し訳ないが、この仕事への耐性を見るために必要だったんだ、許してほしい。でも、今の君の様子を見ても今後仕事を続けることになんら問題はないようなので、すぐに次の仕事へ向かってほしいのだが、いいかい?」
課長さんが笑顔でそう言ったので、待ったをかける。こっちはようやく慣れてきた世界から引き剥がされ、ミシェルとも別れ、傷心だというのに。しかもまだすごい二日酔いで、問題だらけだ。
「ちょっと、待ってください。そもそも異世界に派遣って、どういうことなんですか?どうして私がその仕事に就かなければならないのでしょうか」
「お、やっとその質問がきたか。聞かないままで受けるかと思ったけど」
「そんなわけ、ないですよね」
「ふむ?じゃあ説明しようか。異世界転生というのは小説やマンガで流行しているから聞いたことがあるだろう?そういうものも含めて、創作物としての異世界がたくさんできたことはいいのだが、設定が適当というか、まあ主人公周りだけが詳細で他は適度にいい感じで、みたいなのが多くてね。そのせいで、それぞれの世界で生まれた者の中に、どうにも可哀想な者たちが出てきてしまった。そういう者を助けて人生を少しだけラクにしてあげるのが君の仕事だ」
「…その人たちだけが苦労しているわけではないですよね。他にも苦労している人はたくさんいるはずなのに、なぜですか。なぜ今回はドニさんだったんでしょうか」
「うーん、なかなか鋭いね。いいだろう、ドニのことで言えば、ドニは主人公が平民だった頃によく行っていたパン屋の息子という設定だった。仲良くもしていたさ。
でも主人公は男爵家に養女に入り、結局この街には戻ってこなかった。物語の都合上ドニの両親は亡くなったし、その後のフォローもなかったせいであの状態だ。
つまり、主人公が幸せになるためだけの存在で、謂わば踏み台、だな。そういう人がどの異世界にもいるんだよ。他の人はそれぞれの生活をしていて苦労もまあその人なりというか、君がいた世界と同じで、いろんな人がいる中で苦労が多かったり少なかったり、お金があったりなかったりだ。
でも彼らは違う。主人公やその仲間たちのためだけに設定されて、用がなくなったら放り出される。捨てられるんだ。そんなこと、あってはいけない。救済の必要があるんだ、本人にはどうにもならないことで不幸せにされている彼らには」
「…なるほど、わかりました。いえ、いろいろと納得できないこともありますが…」
「どんなことだい?」
「そもそもそういう異世界があるってことですかね」
「ああ、そういう。でもドニがいただろう?」
ドニのいた世界での生活を思い出すとあれが夢だったとは思えない。そして記憶の中にあった友達のうちの1人の女性、あれが主人公だったんだと理解できることで課長さんの話に嘘がないことを感じる。
「…そうですね、まあ。では、なぜ私なんでしょう」
「あー、先に私が質問してもいいかな。君はなぜこれまで正規職員で長く働くことを選択しなかったんだい?生活基盤をしっかり整えて自立することだって君の能力なら可能だっただろうに、なぜぼんやり…まあ言葉はよくないが、実家でダラダラ…ゲフンゲフン…暮らしてきたんだ?」
…なにげに酷いことを言われているが話を進めたいので目をつぶる。
「…そうですね、それは…うまくいっているところ、楽しくすごせるようになったところにいると、落ち着かないと言うか…自分はそこに必要ないような気がするから、ですかね…居心地が悪いと言うか…断言はできませんが…あとは、家が十分楽しくて自立する気がおきなかったというのもありますかね…」
そういうつもりはなかったのに、これまで、あまり直視してこなかったことに向き合うことになってしまった。いつもなら自分も含めてうまくはぐらかしてきたような気がするのに、ああ、全く、二日酔いのせいに違いない。
「ふむ、ではこの世界に来て、ドニの店の状況を改善し、ミシェルとの仲を深めた経験は、君にとってどんなものだった?」
「…楽しかったです」
「ほら、そういうことだよ」
そうだ、この数日間は楽しかった。ドニの課題を見つけ、解決する方法を考えて一つ一つやってみる。少しずつ物事がうまくいくようになっていくのはとても気分が良かったし達成感があったし、ドニのためになっていることが嬉しかった。ドニ=自分ではあるけれど、同化しているドニが喜んでくれているような、そんな感じがしていたのだ。何の変哲もない私が、役に立っている、そんな嬉しさが。
「でも!それは私がこの世界で生きていかなくてはならないと思ったから必死になっただけで、最初からそれが仕事だと思ったらそれは荷が重いです」
「じゃあ、やめるかい?」
「…」
「今なら戻してあげられるよ」
「戻れるんですか?私は死んじゃったとかではないということですか?」
「あー、まあ、だいぶいろいろしなくてはならないがね」
「いろいろって?」
「まず、ドニのことは忘れてもらう」
「そんな!」
「だって、こんな仕事があることなんて知られたら大変だよ」
「何故ですか?」
「ここではないどこかへ行きたいと思っている人は君が思っているよりもずっと多いから」
「…」
「どうする?」
答えは決まっているのに、素直に受け入れるのは癪だった。なので答えにくそうなことを聞いてみる。
「あなたが、私の上司になるんですか?報酬はどうなりますか?契約満了の条件は?それから、あなたは役所で面接をした人と同じ人に見えますが、どういうことでしょうか?」
ふむ、と手で口元を覆って少し考え込む様子を見せた後、課長さんが言った。
「上司は私だ。仕事の内容や必要なことは私から伝える。でも、基本的にはドニの時と同じで、転生というかその人の中に入って融合しながら課題を見つけてもらうので前情報はないと思ってくれ。
最終的な契約満了は君が十分に満たされた時。そうなったら終了。つまりこれは君のためでもある仕事ということだ。実家でだらだら過ごしてきた君が生きる楽しみを感じ、見つけられるんだ、いい話だろう?
報酬はこれから君が決めればいい。仕事をしていく中で本当にほしいと思うものが見つかったら言ってくれ。どうにかできるよう努力する。
それから私は最後に君が面接官だと認識した人の形をとっている。他に質問は?」
「…ありません」
「結構。ああ、転生の条件は君が達成感をもって酒を飲み、二日酔いになることだ。そうなるとそこでの仕事は終わり。やけ酒とか、ただ飲んで酔っ払ったとかでは転生しない」
「え゛!」
「すごい声だな。さあ、そういうことでこれから次の仕事に向かってもらう。いいね?」
「え、そ、そんな急に?」
「本当は説明しないで送っても、君ならなんとかなるだろうと思ったけど、それも何かと思って寄ってもらっただけだから。じゃあ、あ、そうだ。転生先でパートナーと結ばれると、満たされたと見做されてそこでその世界に定着するから、そこはよく考えて決心してくれ。では健闘を祈る」
「ええっ?ちょっと待って、何それ、結ばれるって、何?そうだ!私はこの先どちらの性別になるんですか?え?ちょっと?課長さん!」
「長い期間過ごすと転生先の相手に同化しすぎて感情のコントロールが難しくなるから、仕事は手早くな!」
「って、課長さん!あなたは何なんですか?そうよ、あなた、そもそも人間?ちょっと!!」
課長さんはニッコリと微笑んだが、答えはなく、私の叫びは虚しく暗闇に吸い込まれ、気が付くとこれまでとは違う場所にいたのだった。
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