王子、両親を敵に回す
「結婚したい子がいます」
と、王子が初めて口にしたのは八歳の時でした。初等学校に通い始めて数年。まだ幼気な子どもは、真っ直ぐに両親である国王夫妻を見上げました。
「あらあら」
「そうかそうか」
と、彼の両親は大変喜びました。
「学校の子かい?」
「はい」
「お前も、そんな事を思う歳になったのか」
国王は息子の頭を撫でてこう言いました。
「その気持ちはとても尊く、素敵なものだよ。大切にしなさい」
「はい」
それでこの話は終わりました。
その一年後。
「婚約をしたいです」
と、王子は言いました。学年の上がった四月。麗らかな春の事。
「あらあら」
と、王妃は一年と同じ返事をしました。微笑ましい。可愛い息子だこと。と、その表情には表れています。
「婚約なんて、どこで覚えたのかしら。調べたの?」
「はい。結婚する前には約束するって教えてもらいました」
「そうね。でも結婚できるようになるまでには凄く時間がかかるから、約束はもう少し後になさい。人の気持ちは変わる事もあるのよ」
「変わりません」
「あなたの気持ちは変わらなくても、相手の気持ちが変わる事もあるわ」
「…」
その言葉に、王子は悲しそうに眉を下げます。
その立場上、誰かを縛ってしまえば相手の負担になってしまう。それを知っている優しい王妃は、自分の子どもに我慢する様に言いました。
「大丈夫」
泣きそうな息子の肩に手を置いて、王妃は優しい声で言いました。
「約束をしなくても、運命の相手なら必ず結ばれるから」
「やっぱり結婚がしたいです」
「まだ早いかな」
「じゃあ婚約」
「だから、まだ早いかな」
それから毎年四月にはこのやり取りが繰り返されました。最初こそ丁寧に答えていた国王と王妃は、王子の年齢が上がるにつれて説明することもできなくなり、さらりとかわす術を覚えたようです。もう自分で分かるよね? と、そういう気持ちでいました。
「ちょっと」
そう。そういう年齢になってしまったのです。
「もう待たなくていいですよね。結婚。せめて婚約」
「…」
「…」
王子十八歳の春。そう言われた国王と王妃は絶句しました。今年も来た。そういう目で仁王立ちした王子を見上げています。
確かにこの年齢になれば、婚約をしたとしても相手の負担にはそんなにならないかもしれません。相手の歳にもよりますが、相手ももう自分で判断ができるでしょう。
でも。
国王と王妃には色々と思うことがありました。王子がこの事を最初に言ってから、実に十年も経っていたのです。
まず、落ち着きなさい。座りなさい。と、対面に王子を座らせて、一度しっかり話をしようと国王と王妃は腹を括りました。
「少し話をしようか」
「はい」
「まず…十年同じ事を言い続けているが、それは同じ相手なのか?」
「はい」
「…」
「…」
ここで国王と王妃はちょっと引きました。相手をとっかえひっかえされても困りますが、まさかずっと一人を思い続けていたとも思っていなかったからです。
でも、それは純粋な愛情なのかもしれない。そう前向きに捉えて二人は話を進めました。
「相手はどこのお嬢さんなの?」
王子はその問いに、すらすらと答えました。名前はエリミア。国王と王妃も覚えのある上流貴族の令嬢でした。でも、その家の事を二人は多く知りませんでした。その家の堅実な働きを管理している部署は認識していましたが、二人まで上がってくる話ではなかったのです。問題のない、ただの一貴族に過ぎませんでした。
だからそこに娘がいる事すら二人は知らなかったのです。勿論、この頃には呪われた令嬢として家に引きこもっていたせいでもありましたが、その下世話な噂は、この時は二人まで届くことはありませんでした。
さて。
「そのお相手の方は何て言っているの?」
「まだ、その話をしていません」
「応じてもらえそうなのか?」
「分かりません」
「…」
「…」
仮にも王子の申し出を受け入れて貰えるか分からないなんて、むしろ駄目な匂いしかしないんだけど。そういう共通認識をもって国王と王妃は息子に聞きました。
「どのくらいお付き合いされているの?」
「付き合ってはいません」
え…。
その回答に、国王と王妃は再び絶句しました。付き合ってない? 付き合ってもない相手と結婚したいと言っているのか。この息子は。
「頻繁に会ってはいるのか?」
「いえ。全然」
ええ…。
会ってない? 会ってないって? どういう事?
「あなた一体、どういうお付き合いされているの? そのご令嬢と」
「全く付き合いはありません」
えええ…。
二人は同時に思いました。ヤバい。ヤバいし何を言ってるのかさっぱり分からない。この先の話を聞くのが怖かったのですが、親の努めとして二人は先に進みました。
「じゃあ、何も知らない相手と結婚したいと言っているのか?」
「知らなくはありません。時々人伝に様子は聞いています」
それは女神様が王子の暴走を抑えるために致し方なくエリミアの情報を差し障りのない程度に教えて上げていた事を言っているのですが、二人にそれが分る筈もありません。
ええええ…。
二人は、それはもうドン引きしました。怖。全く付き合いのない令嬢の様子をこっそり伺っているのか。この息子は。と、当然の事ながらそう思い、今度は息子を止めようとします。
「ちょっと待ちなさい。お前、言っていることもやっていることも全部おかしいぞ」
「何がおかしいですか」
この頃には女神様にもドン引かれつつ、それでも懇意にしていた王子はむっとして言い返しました。王子にしてみれば、こんなにちゃんと我慢をしている。エリミアに釣り合う男になる為の努力もした。女神様の裁量で受け取っている情報に文句を言われる筋合いもない。そういう気持ちでいたのです。もういい加減、我慢の限界でした。
「とにかく、もう待てません。こんな事をしている間に誰かに取られたらどうしてくれるんですか」
そうなった方が良いのでは。と、息子ではなくその令嬢の為に二人はそう思いましたが、それを言う訳にもいきません。どうしよう。と、思いながら二人はできるだけ情報を収集しようと努めました。
「そのお嬢さんは、どんな方なの?」
王妃のその言葉に、王子は先程までの激昂を抑え、静かな声で答えます。
「とても素敵な女性です。優しくて、慎ましくて、本当に可憐な令嬢です」
「…」
「…」
すらすらと答えたその王子の言葉に、二人は同時に固まりました。本気で息子はその令嬢に惚れ込んでいるようだと気付いたからです。この場合においては気苦労が増えるだけの要素でしかありません。
どうやって諦めさせよう。
早々にそんな事を考え始めた両親に王子は言います。
「あと、きらきらしています」
「…きらきら?」
「もう本当に、眩しいくらいに輝いています」
「…会ってないんだよね?」
「会ってなくても分かります」
あ。駄目だ。
これは何としてでも令嬢を守らないと。国王と王妃は全力で息子の恋路を邪魔する決意をしました。