一章 初めて見る生活 2
「やあ、ライド。昨夜ぶり」
広間に呼ばれたのは昼も近い時間だ。ディーンとキャシーが広間にいた。その横でトフソーが憮然とした表情で立つ。
キャシーが1人「暴動」と騒いでいるが、ディーンはキャシーの頭を叩いて「そんな大ごとじゃない」と静かにさせる。
ここは昨夜、目の細い壮年の男や金の刺繍の女が護衛を従えていた場所だ。教会の応接間はここだけらしい。
「計画変更だよ。ライド。地下に退避したい。何と、外では人攫いが教会で匿われてるって噂になってるよ」
開口一番、そう挨拶するディーンは楽しそうに話す。人攫いの人相は褐色肌の若い大男だと。
「安らぎであるべき教会が巻き込まれるとは。人々の不安は深い」
「教会がソドム殿の所有権を王都に主張しようとしているからだと思いますよ。セリーヌ様からの依頼がなければ、領主様の元にソドム殿をご案内するところです。どうもソドム殿の件はそんな思惑が通じるほど単純ではなさそうですが」
「どういうことか? アズール様が到着されればソドム殿は領主様に預けられる。その手筈だ」
「セリーヌ様は私に教会以外に渡すな。とご依頼です。王都への目的は聞かされていませんか?」
「司祭様とセリーヌ様では見解が異なっている」
トフソーは「何故拘られるのか」と首を振る。
「僕はセリーヌ様のお陰で昨日から徹夜ですよ。領主様の御子息にも捕まってね。人攫いの仕掛け人は捕まるでしょうが、それまで教会は衛兵に連絡をとって時間を稼いで下さい。彼等は闇の中で肌の色が見えたり、助けも呼ばずに傍観していたり、言うことが雑です。そもそも誘拐が起きたのは野営地ではないそうで。小物の発想です。今朝の教会への侵入者も連動している可能性が高い。内側から集団を迎え入れる計画だったと思います。人助けで目立ってしまって逃げましたが」
ディーンは、調査隊の帰還を狙った動きは他にもあるという。今朝、城壁でも騒ぎがあったそうだ。
「互いの計画が干渉しあって潰れてくれると助かりますがね」
言葉か途切れると、キャシーは再び飛び跳ねるように提案する。
「今ならまだ私達の居住区を通れるわいな! あっちは塀の人の集団は歩き難いわいなっ」
「それはさっきも聞いた」
ディーンは腰に手を当て、呆れ声を上げる。相変わらず帽子のせいで口元しか見えない。
「ハリー殿はどちらに?」
「商隊の護衛です。既に地下に入っているでしょう」
「良いでしょう。彼のことはお願い致します。神の御加護を」
トフソーの言葉に、ライドは「はい。わかりました」と一礼する。トフソーは違うと首を振る。
「ライド。無事に戻ってくるように」
トフソーに見送られ教会を後にする。
ライドは〈知覚〉で微かに掴める程度の弱い反応を探る。教会に向かう集団は40人程度か? ライドの故郷なら大人数だが、この塀の中では数千分の1だ。見てみたいところだが、とても〈歪〉は届かない。人の密度が高すぎる。
外は朝の霧が晴れ、白く強い光で満たされる。実式の灯りに色合いは近いが、遥かに強く、明るく、周囲の彩りを豊かに照らし出す。かつてライドが見た色鮮やかな景色そのものだ。空も澄み渡り、鮮やかな青色を見せる。ずっと見ていたい。そう思えわせる吸い込まれそうな青だ。
思わず足を止めると、キャシーに急げと背中を押される。残念だ。
朝トフソーが呟いだ通り、外は暑く蒸し始めた。
ライドは目立たぬように早足で歩くキャシーとディーンを追いかける。
大きな通りからは威勢の良い呼び込みが聞こえる。身なりはバラバラだ。布を沢山使った格好の者は、男女共に布が少なく地味な者を従えて歩く。格好に差があり過ぎる。汚れて擦り切った布を被り、頭に大きな荷物を乗せて裸足で歩く子供や大人もいる。裸足で歩く者は、一様に汚れ、周りに向ける視線が強い。
見回すと崩れた建築物や表面が焦げた跡が目立つ。前に起きた暴動の跡か。
まるで集落同士の生死を賭けた争いの跡のようだ。
これが塀の人の暮らしか。
「ハッシュベル駐屯地にいた連中は情報提供者だらけだ。小遣い稼ぎになるよ」
「目的は?」
「御遣い、時越えの人、発掘品、ジュヌ教、商会。絞りきれないな」
ディーンは首を振って苦笑する。ライドは後ろから頭の大きなその帽子を見て歩く。
御遣いが空に川のように現れた時、空から「全てを平等に」と声が頭に響いたという。しかし、今広がっているのは人々が全て平等にと文言だ。キャシーはこの点を気にしている。人為的な災害の可能性があると。
何にせよ。この言葉は平民に力を与えた。貧富の差から生まれる不平等に怒りを示した。しかし、これは領主が意を汲むべき内容ではない。
貴族は人の命には差があると考えている。平民の主張は今更だ。しかし、ローレンで起きた暴動では、同じ平民のはずの商人が襲われた。
「周辺の野盗も暴動に参加したんだ。衛兵が手引きしたり、賄賂を受け取ったりしてね。結果、ローレン周辺は綺麗になったよ。領主様は容赦なく鎮圧したからね」
しかし、この時の扇動者は捕まっていない。領主が鎮圧に動く頃には残る品々には目もくれず、別の塀の中に移動したと言う。逃亡先と目されるのは城塞都市ミラジ。ローレン領主は引き渡しを要求したらしいが、ミラジの〈簒奪者〉商人ロドニドからは梨の礫だという。〈簒奪者〉自身が裏で糸を引いていたのか、賄賂の力なのか、今も不明だ。
領主が鎮圧し、捕まえられたのはお零れで財を手にした小物が殆どで、初期に模倣した頭の回る者は、扇動者と同様に逃げ切ったと見られている。
結果、商人が自衛の為に武力を求め、それを持つ犯罪組織への資金の流れが生まれる羽目になった。
ライドは川に掛けられた橋を通る時、〈歪〉で教会に向かう集団を覗けないかと立ち止まる。拓けた風通しの良い場所だ。立ち止まるとすぐにキャシーに急げと背中を押される。ライドは教会に向かう集団を見つけるがすぐに見えなくなった。流石に人の密度が高い。
「門の方が騒がしい?」
ライドは別方向の騒ぎに気が付き、ディーンに片言で尋ねる。ディーンはぶつぶつと誰かと話しながら歩いていたが、そのことについて話をしていると、ライドの質問を止める。ディーンが手に持つのは破かれた象形図の片割れの紙だ。遠話の最中のようだり
天気が良いとはいえ、屋外で実式の遠話を熟す姿は羨ましい。キャシーがそう口を尖らせる。
「妖魔が現れたらしい。小鬼が16匹。4匹逃げられたって。衛兵の討伐隊が巣穴探しに向かったよ。今ローレンはその分手薄だ」
妖魔と聞いて、キャシーが顔を嫌悪に染める。ソドムにも反応がある。
ライドだけがわからない。初めて見聞きする動物は〈ようま〉だけでは無い。〈とり〉〈うま〉〈いぬ〉〈ぶた〉。どれもライドは初見だった。辛うじて猫と牛は似た生き物に心当たりがあるが、大きさも形も随分違う。特に空を飛び回る〈とり〉には大きな衝撃を受けた。
生き物は全て〈かみ〉が創り出したと聞く。それがこの地の常識だ。その生き物をライドは知らない。大っぴらにはできない事実だ。
キャシーやディーンがライドの反応を待っている。〈ようま〉について、明らかに同調の用意をしている。
しかし、それは無理だ。仕方なく尋ね返す。知ったかぶりは難しい。まるでわからない。
「それは何だ。〈こおに〉との繋がりは?」
「小鬼は妖魔の種類の一つだわな。頭に角があって、下顎が大きくて、上向きに歯が生えてる緑肌の人っぽい奴のことだな。ライドは故郷で何て呼んでたな?」
キャシーの言葉に首を傾げる。ライドもだ。どれもライドの記憶には引っかからない。ディーンがライドの困惑顔に笑い声をあげ、冗談みたいな雰囲気になるが、本気で通じていないと知ると、ソドムまでが驚愕の声をあげる。
説明を受けた妖魔という動物は種族として成り立っていなかった。疫病の類に思える。
1つ。妖魔の性別は男だけ。
2つ。妖魔は共通して頭に前と両脇に小さな角を持ち、下顎が発達、上向きに牙がある。手が二本、足が2本の直立歩行する。妊娠期間は10日前後。生涯身体が成長し続け、母体が人の場合、成人男子並みになるまで5年。3m級まで10年。5m級まで30年。10m級まで100年かかるらしい。人を母体とする妖魔が最も多く、知恵もある為問題視される。小さいうちは〈小鬼〉と呼ばれ、大きくなると〈食人鬼〉〈巨人〉と名称を変える。また、4足歩行の生き物を母体としても2足歩行になる。肉食獣を母体とする場合、同じ大きさでは元の肉食獣より弱いそうだ。
3つ。妖魔の知能は母体に依存する。母体が人の場合、生まれてすぐに幼児並の知能を持つ。生殖機能が備わるのは1ヶ月程後。成人並みの知能を持つまでは100年以上とか。また、稀だが、森の人を母体として生まれる妖魔は、初めから成人並に頭が良く、精霊術を扱うと言う。
4つ。妖魔は理性が低く、自制が弱い。反面、物欲と性欲の塊で被害妄想が強い。これは数百年を経なければ抑制できないとか。その場だけの約束以外、役に立たないが、交渉はできる。〈物〉が集まる人の集落が狙われ易く、妖魔は体躯の関係で人や豚、犬を生殖相手として狙うのだとか。年月を経た妖魔は体も大きく、牛や馬が被害に遭う。
因みに数百年を経た〈妖魔〉は歴史上数体しか居ないという。
身長は30〜50m。逸話の中には100m超える話もあるとか。ちなみにソドムにも有名な2つの個体に覚えがあるそうだ。
100mを超える獣となると、ライドも多くは知らない。しかも人型となれば片手の指に収まる。
5つ。妖魔は常に塀の人、土の人、森の人にとって駆除対象だ。ソドムも同じ認識であることから、500年以上駆逐出来ていないことになる。
妖魔からの被害は、まず家畜や人が拐われるところから始まり、略奪に発展する。壁の外の集落は領主に助けを求めるが、兵を出したとしても間に合わず、傭兵だと報酬が合わない。それに傭兵は素行が悪い者が多く、敬遠されがちらしい。結果、被害は収まる気配がないとか。
冗談みたいな現実だ。しかし、ライドは自分が生活していく道として、この情報は心に留める。
「巨人はいた」
ライドがそう答えると、キャシーは逆立った髪を揺らし、それだ!と喜ぶ。ライドも同調するが、その巨人の頭には角はないし、生き物より死者に近い。故郷では死風と共に現れる者。そう呼ばれた。しかし、そこは濁しておく。
「何処なんだろうな。ライド君の故郷って。興味あるなっ」
「謎だよ」
ディーンはそう見解を述べる。ソドムの話では700年前でも地上で人が生活する状況は変わらないし、言葉も同じだと述べる。
ライドの身体はおそらく自前のものだ。しかし、自前の体は長い時間耐えられないというのが時越えの人の常識らしい。考えられるのは運搬だが、場所が場所だ。つまり、ライドは故郷に帰ろうにも当てがない。乾いた笑いが口元に張り付く。
「言葉は神が人に与えたもの、どの教会、そして貴族でもそう教える。告げ口の心配はしなくていい。言った本人の頭を疑われる。ライドが今の言葉が使えれば問題ない」
ディーンの見解はここ数日、考えた上でのものだろう。
『私も参加していいかい?』
ソドムの声にキャシーとディーンが奇声をあげる。目立つぞとのライドの指摘に、ディーンが咳払いで誤魔化す。
ソドムは近場の相手に触れるようになったらしい。昨夜の訓練の成果だ。
「おめでとうございます。ですが見た目が悪いですね。青虫の触手みたいですね。蜘蛛の糸を希望します」
『ご期待にそえるように精進するよ』
「ですが、ご質問は後に。周りから変な目で見られそうです」
ディーンにそう言われて、ソドムは渋々と引き下がる。周りから見れば、ソドムの声は聞こえない。虚空に呟く危ない人にしかならない。
「話は変わるんだけどな。ライド君に頼まれた戦棍は100日位待って欲しいな」
「普段の仕事と並行だもんね。そのくらいかかるか。でも黒鉄を打てる程の腕利きが良く引き受けたね」
内容を知るディーンが、驚いた、とつけ加える。
「弟にゴリ押したなっ。ねぇちゃんの恩人の頼みが聞けないかって。作品としては無しだけど、装飾としてはありだって。柱に7本の細棒を組み合わせる最上級の丈夫さを要求しといたな」
「斧槍の技術を使うのか。短い戦棍で。それは確かに無駄に丈夫だね。しかも黒鉄だ。悪目立ちする」
ディーンは半分呆れた顔でライドを見上げる。ライドは曖昧に頷いて返す。
技術には仰ぎ見る程の差がある。感想を求められても困るが丈夫そうだ。キャシーに礼を述べる。
たどり着いた土の人の居住区は、岩壁をくりぬいて日差しが入るように整えた立体的な区画だ。上下の階段が多く道は狭く、脇にはライドでは入れない小さな四角い建屋の入り口があり、布を垂らされる。無用心に感じるが、無闇に立ち入らないのが土の人の作法らしい。それが徹底されるのは大した抑制だ。建屋の上からは、四角い管が岩壁の外に伸び、中央を走る太い管に合流する。炊事や鍛治の煙を排出する煙突だと言う。
しかし、狭い道だ。ライドが通るとすれ違えない。キャシーはこれでも大通りだと言う。
暗い岩の間に掘られた立体的な集落だ。一定間隔て灯りが並び暗くはない。その燭台からは煙は上がらず、光を囲うように上に被せられた銀の傘が光を下に反射し、広範囲を照らしている。液体ではなく固体燃料らしい。また上下に柵のない吹き抜けがある。上も下も住居だ。落ちれば死ぬが、巫山戯ていても土の人が落ちることはないという。意識はしていないようだが、〈知覚〉が日常で使われている。キャシーが地下で〈歪〉を初見で認識したのも頷ける。
その道中、ディーンから毒殺への注意を受ける。
「ライドはゆっくり近づく気配に無防備たよね」
いつの間にか試されていたらしい。毒を盛れると実演されたようだ。ゾッとする。ディーンの指摘の通り、戦士は自分に近づく〈力〉には敏感だ。しかし、弱い〈力〉や離れる〈力〉は無視する癖がついている。情報は全てを認識しては頭がおかしくなる。
話は戻るが毒は危険だ。即効性のものより、地下で聞いた蓄積型の毒が特に厄介だという。毒を体内で無効化する内向きの〈力〉はあるが、気がつかなければ試しもしない。効果が出た時には身体が損傷していては、毒の目的は達成される。
ディーンの話では、毒は簡単に手に入り、思考力を落としたり、眠らせたり、生殖機能を壊したり、色々な使われ方をするらしい。体の一部を痙攣させたり、骨を変形させる毒は気がついた時には解毒しても異常は残るとか。
「でも、毒は濃度を変えれば薬や痛み止めにもなるんだよ。ライドの腕に使われた秘薬も材料は毒だ」
ライドは頷く。毒は〈力〉で消せるが薬としての効果も消える。つまり、身体の異常を治す為、薬に別の毒を混ぜられれば見分けはつかない。それは故郷でも同じ常識だ。今回の治療にも毒がなかったとは言い切れない。しかし、腕が失われるよりは大抵の不具合は飲み込もう。
それに強い薬には副作用はつきものだ。害意の有無もわからない。ただ腕が治った後は、1日に2回は解毒を試みようと心に決める。
薬に心得はあるとライドがいうと、ディーンに注意された。薬の知識がある平民は毒殺の犯人にされ易いと。思考力を奪われ自白すれば、平民なら他の証拠は不要で処断されるとか。元々塀の人はその数のせいか、個人の命の価値が低い。権力者に利用される嫌な構造だ。
それでも毒は便利で重要だ。脅威への対抗手段は主に毒だという。時越えの人が伝える脅威は、主に当時の毒が効かない相手になる。つまり、この地では常に毒を意識して獣を撃退して来たようた。故郷でも毒は使われるが、毒の強い獣から採取して利用するだけだ。
ライドが唸りながら考え込んでいると、前から土の人が歩いてくる。思わず鼻をつまむ程酒臭い。
道で土の人とすれ違うのは初めてだ。今更だが違和感感じる。
土の人は男で、ライドの胸と腹の間に頭がある。筋肉で膨れ上がった肩、樽のような体型、それでいて動きは軽快。顔をほぼ覆い尽くす髭と太い眉毛のせいで老人に見えるが、露出する腕周りの皮膚は瑞々しく張りがある。髭は腰まで伸び、複雑に結わえている。これがが塀の人のお洒落に相当するとは聞いている。
「キャシーか。こんなとこに塀の奴を連れてくるなよ。通りが塞がっちまう」
「ジィ?」
「チィだ。いい加減覚えろっ。この先に行くなら右に行け。柱に会え」
「ふーん、鐘は終わり? 皆は?」
「鐘は別だ。金床を作ってる」
キャシーと土の人の男は知り合いのようだ。キャシーの口調が違う。立ち話の後、そのことを指摘すると、口調と髪型は商売の看板だと答える。塀の人と土の人は互いに顔の認識が難しい。しかし、商売は顔を覚えて貰わなくては始まらない。その為の策らしい。
「ディーン。あのな。叔父が父に会えって。多分、どこかに加担したな。周り、気をつけた方がいいかも」
その言葉に、ディーンが「嘘だろ?」と声を出す。ライドもあたりを伺う。
「30数人だ。もう包囲されてる」
「土の人をどうやって懐柔したんだ?! 一先ず、ライドは隠れて。僕は貴族だ。庶子でもね。でもライドがいると衛兵の追及から逃げられないかもしれない」
「分かった」
キャシーか何かを言いかけたが、それより早くライドは近場の壁を蹴り、家の影で視界を遮り、岸壁の外に続く石の管の上に上る。
程なく人影が湧き上がるように現れ、敵意が立ち上る。何かの合図があったのだろう。一斉に動いた。
土の人だけではない。塀の人もいる。キャシーの叔父は見当たらない。キャシーの実家とは別の勢力だろうか?
「おい! デカイのが居ないぞ!」「探せっ!」「こいつら締め上げた方が早いんじゃないか?!」
集団は、ライドの姿が見えないことに苛立ち、騒ぐ。
「何事だ! 領主様公認の地下調査の行く手を阻むとは! 責任者は誰だ!」
ディーンが金属の板のようなものを胸元から取り出す。身分に相当する何かだろう。
「教会に向かう集団とは別口か?」
『ライドの〈知覚〉は距離が縮まる動きじゃないと気がつがないのかい?』
「近づく動きも、弱いと分からない。ここは小さな数が多すぎて紛れる」
〈知覚〉は所詮、優秀な目の代わりでしかない。隠れる技術全てが有効だ。
『〈歪〉は?』
「行ける。でもあの集団の目的が気になる。あれではシャビの仲間でもそうは止められない。俺は精鋭相当なのだろう? 何がしたいんだ?」
『衛兵を呼んで拘束させるつもりじゃないか? この狭い通路は逃げるのに向かない。かと言って、怪我を負わせれば衛兵のいい口実になる。捕まえた後は別の領地に秘密裏に移動して、情報を聞き出すとかね。拷問か、懐柔か。時間はかけられないから前者かな。犯罪者は教会の管理権より優先される。平民に対する在り来たりな拘束の手段だ。犯罪者と疑われないためには、見つからない以外に手はないだろうね。ディーン君の判断は早かった』
「仕掛けたのは貴族か? ディーンは稚拙だと言っていたが」
『そう思うよ。雑だが即効性のある手には違いない。時越えの人が起こした問題は貴族であれば、管理者が処理する。でも、教会は治安組織を持たないし、貴族じゃない。治安の職務か優先される。衛兵の責任者は買収済みだろうね。教会に向かう集団は教会から追い出すための囮かな? 捕らえれば、ライドは管理者不詳のただの犯罪者だ。誰が保護しても問題にならない』
集団は、感情で共感する者を取り込むと少しずつ大きくなる。
大衆は大勢が信じれば正しいと思い込む。大勢が思い込めば、衛兵は現行犯として職務を遂行できる。仕掛け人は複数いる可能性が高いという。
「聞いただけの情報を信じるか?」
『短時間で調べる手段がないからさ。犯罪に関わらず、情報は時間との勝負だよ。だから大衆は発信する者の自信と人数で判断する』
「毒より怖いな?!」
『怖いのは使い方さ。どっちも命に関わる大事だ。ラキドの今の発言も情報だ。私はライドが毒への強い対処法を持っていると見るね。集めた情報から相手を縛る。それが人同士の狩だよ』
思わず引きつる。この狩の獲物はライドだ。綺麗に先手を取られ、あっさり追い詰められた。
「何の情報を取られてな?」
『ライドの今日の予定だ。衛兵の監督者を買収して、その管轄範囲に誘い込む。教会から外に追い出してね。同時に集団を扇動して案内する。準備に時間がかかる。事前にその時間があることを知らないとこの手は打てない』
「ならトフソーかな? 朝、俺の予定と、ディーンが来ることを話す」
『言葉がまだ聞きにくいね。でも違うと思うぞ。昨夜の子供の誘拐の真偽も分からない。どっちにしても火のない話じゃない筈だ。暴動で子供を失った親が感情的に同調するとしたら、実際に起きていないと難しい』
ここにライドを誘導したのはキャシーだ。キャシーに今日、合流の予定はなかった。しかし、直前の対応を思い返すと突発だったように思える。
別口の襲撃者に捕まったか?
分からない。
『思惑が絡み合きすぎだ。解けないね』
ソドムもお手上げのようだ。ライドは呻き声を上げる。つくづく知恵の回る敵は御し難い。
「誘拐犯は何処なの!? 隠さないでっ」「御遣い様の敵! そして子供を攫う邪教徒だ! 放っておいたら、どんどん生贄にされるぞ!」「坊やはどこっ!?」
ディーンが求めた交渉の声は、すぐに集団の声にかき消される。集団はキャシーとディーンを囲み、また他の者は怒声を上げながら周りを探す。
「野郎! 出てこいっ!」「近くにいるはずだ!」「御遣い様にお赦しを頂かなくては!」
聞こえてくる声の主張は千差万別。一貫性がない。
ライドは捜索に走る者の視界から隠れて移動する。追手はライドの場所を掴んでいない。監視者に見えていないのか?
そして、監視者も動いてくれなければライドも手がかりが得られない。潮時だろうか? すでに見切りをつけて撤退したか?
追手は見つからなければ自分の優位を確保し続けられる。今に拘る意味はない。
『街だ! 虫は外に出たぞっ』『封印解けてまだ数日よ? 簡単に抜けられる程浅くなかったと思うわ』『現実だろ! そんなことより反応が想定より大きくないか?』
今度はなんだ。ライドは集団からの声かと思ったが、突然頭に走る言葉は実際の声ではなかった。
そしてこの囚われるような不快感。
緊張が走る。〈知覚〉が振動している。未知の技術だ。〈知覚〉で先手を取られるのは不味い。炙り出さなくては次も先手を取られる。
一瞬頭に走った恐怖にライドの口から言葉が漏れる。
「いきなり害虫呼ばわりか」
『?!』
声を出すと〈知覚〉の振動が消える。相手に届いたようだ。
ライドは故郷では〈知覚〉に絶対の自信があった。
幼い頃、地上で生き残れたのもそのおかげだ。〈知覚〉で勝れば先に存在を確認し、接敵の争いでも動きを事前に知ることができる。
逃げることに関して、これ以上に重要な技術はない。
この地域の技術は全てが優れている。その差は途方もない。だから〈知覚〉でもライドより優れた者がいると覚悟はしていた。
しかし、現実になると焦る。行動を制限される。それは思いの外辛い。勝る相手から隠れるためには、〈知覚〉を抑制する必要がある。何とも酷い矛盾だが、現実だ。抑制すれば、別の劣る相手から狙われやすくなる。
『害虫? 何か居たのか?』
「一方的に〈知覚〉て捉えられた。俺の〈知覚〉を辿ってな。範囲を狭くして様子を見る」
驚きはしたし衝撃だったが、優れた技術と緊張感は歓迎する。先人の作り上げた道を走り抜けること。それが早く強くなる為に有効な手段だ。
その足がかりを捉えたとも言える。
そして、緊張感が夢現のようにふわふわした気分を生きている実感に変えてくれる。
『情報を与えない方が良かったね。君からは確認に行けないんだ。君を見張っていた監視者を思い返してみてくれ。何もしてこないのは、一方的に捉える有利を手放す気がないからだ。勿体ない』
相手はもう〈知覚〉で会話はしないだろう。情報を盗み聞く機会が失われた。ライドは指摘されて項垂れる。知恵の回る相手との狩に対応できていない。何故一呼吸立止まれないのか? 目覚めてからライドがよく感じる疑問だ。この衝動の強さ。これが若さか?
『少し離れよう。衛兵が来る』
「分かった。〈歪〉て移動する。丁度気になる動きを捕らえている。この地の戦い方を知る良い機会だ」
『どのあたりだい?』
「塀の外だ」
『範囲を狭めても視覚外か。広いね』
「俺もそう思う。500m先だが余裕だ。こっち方面には生き物が少ない。〈歪〉て200mまで近づく」
〈歪〉の先から地面を抉る音がする。ソドムが何か言い始めたが、遮るように薄暗く、一面黄色の景色に飛び込む。
そこは腰より高い直線の植物が生茂っていた。その先は地面が2m以上高さに捲れ上がり、砕け、砂が空に舞い上がっていた。薄暗いのは降り注ぐ土や小石の所為だ。そんな地面の隆起が線状に蛇行しながら続いている。
先頭で道を作る姿は5人。1対4の争いだ。皆、金属の防具に身を固めている。追われる女戦士は先を走る馬車を守ろうとしているようだ。
しかし、程なく倒れるだろう。この包囲された形勢は如何ともし難い。そのことを女戦士に理解できていないとは思えない。それだけの〈力〉を感じる。なのに諦めた様子がない。心の強い戦士だ。包囲する4人の男の目的は女戦士の命だ。馬車に隙があっても何もしない。ただ、女戦士は気がついていないのか馬車から離れる気配がない。
周囲に目を向ける。少し離れて、侵入者を警戒する者が3人見える。〈歪〉で内側に現れたライドには気付いていないようだ。
武器は全員斧槍。包囲する側の個々の〈力〉はシャビの仲間と同じくらいかそれより少し上。戦士長候補までもう少しと言ったところだ。しかし、今包囲する4人が繋げる攻撃は、戦士長に引けを取らない。一撃の威力は故郷では素手しか無かった戦士長を超える。前後左右から襲いかかる打撃は、それだけで数段上の技量と同じような速度を実現する。
対する女戦士は、怪我が無ければ十分戦士長だ。故郷の常識では、戦士の歩法を使えば女戦士は包囲する4人を圧倒できる。しかし、この争いを見るライドは、女戦士は戦士の歩法は使えないと納得する。ライドの故郷で口にすれば、起きたまま夢を見た、と笑われる現実が目の前にある。
戦士の歩法は戦士の〈格〉を変える。素手の子供に囲まれて負ける完全武装の一人前の戦士がいるだろうか?
〈格〉とはそれ程のものだ。しかし、包囲する4人の技術は、その常識を見事に破壊する。
この技術は狂気だ。崩れた足場が戦士の歩法を妨げる。それだけの起伏がある。そして包囲する者も同じ足場の上で移動する。戦士の歩法を使わせないだけではない。包囲する互いの攻撃が互いの動きを阻害しない曲芸の様な動きを移動しながら制御してみせる。
こんな真似、〈知覚〉で互いを認識していても無理だ。それを格上の戦士相手の反撃を受けても維持し続ける。普通なら躱しようのない攻撃を包囲が生み出す間合いの広さで捌き切る。あまりに凡庸性がない技術だ。
まず、包囲する格上の相手に捌かせない威力が必要だ。攻撃頻度が多くても、弾かれ、反らされては成り立たない。次に包囲する相手との身長差が大き過ぎても小さ過ぎても間合いを調整できない。広過ぎればその隙間から突破を許し、狭ければ攻撃は上下に偏り、単調になる。単調になればすぐに弾かれ反らされるだろう。そんな技術にどれだけの労力を注ぎ込んでいるのだろうか?
しかし、価値はある。嵌れば凶器だ。ライドが見る限り、嵌れば牽制すら無傷で行えない。続く攻撃を防げず受けてしまえば、繰り返される刃の雨に打たれて即死する。何を思いついても実行できる隙がない。間合いが取れない。内側からは打てる手がない。逆に、外側からなら石一つ投げ入れるだけで崩壊しそうに見える。包囲者は背を向けて全ての注意を内側に向けている。見張りはこの欠点を補う為にいるのだろう。
その包囲の中、女戦士は幾度となく、牽制を繰り返し、傷を負いながら隙を伺う。
包囲される女戦士の技術は此方も途方も無い。ほぼ防いだ上に反撃までしてみせる。
鉄。それが強化され、間合いの扱いから戦い方全てを変えた。理解できたのはこの一点だ。ライドの故郷で使われる石や硬い木では〈力〉で補強しても上限が低く、役に立たない。だから故郷では補強の技術は見向きもされなかった。
しかし、鉄は違う。地下で使った黒鉄は、補強なしでも今のライドの〈力〉に数撃耐えてみせた。ここの技術を学べば世界が変わる。その確信がある。
女戦士の右肩から胸にかけて刃が入る。深くない。そう分かっていたから何もしなかった。しかし、動きが急に鈍る。既に負っていた背中の傷と左太腿の傷は深く、出血も多い。積み重なったか傷の影響で限界を超えたのか。兜の下から見える唇が目に見えて赤味を失う。失血ではない。呼吸の余裕を失ったらしい。
ライドは行動する。人同士の争いに参加することを戦士の矜持はよしとしない。だが、言い訳がましい逃げ道だが、攻撃しないなら別だ。
この争いはどちらが正しいのか分からない。この女戦士は死すべき犯罪者なのかもしれない。
それでも構わない。ライドの目的は別にある。体外に止まる〈力〉は他人に扱われるとどうなるのか? その答えを得る為に、追い詰められた戦士を求めた。追い詰められた者は常識に囚われずに利用できる全てを感じ取る。
ライドの命には届かない、手頃な相手は目の前にいる。ライドは地面を蹴り出し、無造作に包囲する男達の間に入る。
途端に立ち眩む。体に刃が2度ぶつかる。〈知覚〉を含めて体外に放出する〈力〉を遮断する。すると立ち眩みは一瞬で消える。そして再び外向きの〈力〉を発揮。ライドは手近な男の襟首を掴み後方に放る。
包囲者は1人が飛ばされると、全員があっという間に四方に散る。
口笛が一つ。それだけで振り返ることもなく走り去る。見事な引き際だ。見事すぎて白昼夢かと思う。
辺りが静まり返る。
背中に衝撃。ライドはぶつかった斧槍の刃先を掴むと、足元に手で軌道を変える。女戦士からのふらふらの一撃だ。この一撃が、戦士の歩法の最中に放たれれば、戦士の歩法を制限するライドには致命傷を与えられたたろう。しかし今は、手で武器を掴み、加速して軌道を変え、地面に刃を突き立てる。女戦士は違和感を覚えるだろうか? 既に意識は飛びかけている。攻撃を終えた女戦士が白目を剥き、肺に残った僅かな空気が、唇から漏れ力が抜ける。
ライドは女戦士の体を掴むと、ゆっくり座らせる。
「なん、だ?」
女戦士が肩で息を吐き、むせ返る。すぐに意識を戻したか。女戦士の身体強化は失神で切れた。疲労が噴出していることだろう。
背中と足の怪我は重傷に見えるが、血は止まっている。朝の女の子供といい、この地域ではこれが普通なのか?
「立派な戦いだった」
ライドはそう評する。あの状況で全力で抗い続けた姿には感動を覚える。
先を行くロバと荷台が方向転換する。
ライドは女戦士の武器である斧槍を拾うと、座ったまま動けない女戦士の脇に立て掛ける。そして、女戦士の対面に右半身の痛みに顔を歪めながら座る。
女戦士は鉄兜の下に見える厚めの赤い唇から砂や血を吐き出す。首を持ち上げ、兜の奥からライドを睨む。
塀の人の年齢では30前後の女だ。肩には板状に繋いだ鉄を厚手の服に縫い付け、喉を守る突起のある鉄の胸当てを着ている。この胸当ては前も後ろもボロボロだ。胸当てを信じてを見越して無理な牽制をしたと見る。手の甲は分厚く密度高く編んだ布をつけ、腰から膝にかけては、円形の小さな鉄の輪を無数に縫い込んだ上着が見える。大人1人分の重さはありそうだ。
「こど、も、かい? 何だか分かんないけど、助かったよ。この辺りに住んでるのかい?」
「そうなるな。無理に話すな」
「少し、高揚してるのさ。それにしても、大きい、ね。でも鍛え過ぎじゃないかい? 若いうちは、背が伸びなくなるよ。今でも十分、でかいけどね」
「そうなのか?。もう頭一つくらいは伸びる予定だ」
「予定、かい? はっ、はは。初めて聞いた、よ。さて、連れも来たね。自己紹介は、都合で省略させて貰うよ。君の目的は、何だい?」
「子供の誘拐があった。犯人に見られるのが嫌でな。それらしい子供を追ってい来た」
此方に戻る馬車の中に、動き回る子供を〈知覚〉で見た。ライドはその情報から咄嗟に嘘をつく。
「そいつは、残念、だね。でも、この子達は違うよ。他を当たりな」
「それを確かめに来た」
ロバと荷台が地面の平らな場所で止まる。金色の植物は無残に踏み潰されている。
若い女戦士が御者台から跳ねるように降り立つ。その背後の荷台から4人の子供が姿を見せる。
「師匠!」
新た現れた女戦士は、今のライドより少し年上、塀の人年齢で20歳程だ。頭に額だけを金属で守る布をまく。薄い褐色肌に、燃えるような赤い癖毛を持つ女だ。しなやかな肢体と動きは、俊敏な雌鹿を思わせる。特に太い眉が印象的だ。気の強い彫りの深い顔に良く合って見える。
鉄製の胸当てと小さな鉄の輪が縫い込まれた布服は、目の前の女戦士に似ているが、ずっと薄く、軽量。質の良さそうな赤いズボンに、腰には厚手の布を巻き、足元は膝下まである革を舐めした靴を履く。武器は斧槍だが、槍の両脇に刃を申し訳程度でつけただけで軽い。
頭から腰まで真っ直ぐで、常に体が次の行動を準備して見える。その動きはライドの理想に近い。ライドの姿勢は膝を少し曲げ、下腹を出すように前屈みだ。咄嗟の時に一瞬でも早く動く為の癖だが、攻撃は基本、常に円運動で、この姿勢では阻害になる。目の前の女戦士のような姿勢が正しい。
「師匠! ご無事で!」
「肩を、貸してくれ、ないか? 足に無理させたよ」
若い女戦士が、傷ついた女戦士に肩を貸すのを見届け、ライドは身軽に荷台の方に先行する。
「おいっ! 貴様! さっさと何処かにいけ! 物乞い風情が近づくなっ!」
若い女戦士の制止の声を無視し、ライドはさっさと馬車の脇に立つ4人の子供に近づく。
3人の子供が怯える中、1人だけ怯えた様子のない姿勢のいい子供がいる。
『その子は貴族みたいだね。態々村人の格好をさせてる。関わらない方がいい。複雑になるかもしれない』
「誘拐はあったんだろう? 助けたのは人攫いで、追い払ったのは衛兵かもしれない」
あんな腕の立つ衛兵はいないと言うソドムの意見は一先ず置いておく。
「親元に帰りたいか?」
ライドは開口一番、子供に尋ねる。その言葉に、怯えた3人が押し黙り、目に涙を浮かべる。
「何者だ? 名乗りもせず。礼儀を知らないのか?」
表情一つ変えず目の前の子供の1人が問いを返す。
「クレイルだ」
ライドは一呼吸悩んだあと、父の名を借りて答える。ライドの名前は〈時越えの人、ソドムの宿主〉の看板がついている。後々好ましくないと思った。
「私はシャルだ。先程の問いに答えよう。私達はまだクレイルのことを知らん。故に、あの2人に問うが良い」
「俺もあの2人を知らない。だから、嘘を付く理由のない本人達に問いに来た。あの2人は信頼されているか」
「信頼する者だ」
ライドは平静を装うが1人の子供の応対に内心右往左往する。見た目は10歳程だと言うのに妙な圧力を感じる。
「貴様っ! そこを離れろっ!」
後ろから追いついた若い女戦士が、女戦士に肩を貸したまま、ライドの首に武器を近づける。
「ローレンで昨夜子供の誘拐があった。野営地という場所だ」
「忠告だ。この問題に立ち入るな。お前は何も見ていない。真っ直ぐ後ろを向いて帰れ。少年」
「お前達は誘拐犯か?」
武器を首に当てる。無用心だが警戒した様子がない。無手とはいえ、ライドが戦士に見えていないのか?
「死んだっ!」
直後、怯えていた子供の1人が大声を上げる。
「母ちゃんも父ちゃんもにいちゃんも弟も!。皆死んだっ」
「会いたいよぉ」
3人が3様に涙を浮かべてライドを見上げる。ライドとしては、脅すつもりも泣かせるつもりもなかった。
『屈んだらどうだい? ライドは子供から見たらいるだけで威圧してるようなもんだ』
ソドムの言葉にライドは右半身の痛みに眉を潜めながら屈む。
「この子らは親の遺志継ぎ、追手の狙いを散らす為に此処にいる。帰る場所がないのだ。食っていけぬ」
物怖じしない子供がじっとライドを見上げる。大きな子供らしい目だが、淡々としている。
「慎んで下さい。情報は与えるべきではありません」
「この者は追手とは違うのだろう? それに奴等に顔を知られている。自業自得とはいえ無関係では居れぬ。この者を追い返すのは、また目標を分散させる為ではないのか? また知らぬところで誰かが死ぬのか? もうこれ以上はいい。好まぬ。この者とてロニより年下ではないのか?」
子供の言葉に、若い女戦士が、舌打ちし、ライドを睨む。嘘がつけない性質らしい。
「一時的な、隠れ家くらいなら、用意できる。途中まで、だが、来るかい? 謝礼、だ」
「師匠がそれで良いのなら。それよりここに留まり続けるのは危険です。早目に離れましょう」
若い女はその太い眉を引き締めると、馬車の荷台に怪我をした女戦士を乗せ、応急処置を始める。
見たことのない道具が沢山だ。ライドは興味があったが、ホロをかけられ、視線を塞がれた。
『貴族のお家騒動かもしれない』
「3人は子供は巻き込まれたか」
ライドの言葉に、ホロの向こうで、知覚に映る若い女戦士がこちらを振り返る。ソドムの推測はあたりの様だ。
ライドは〈こむぎはたけ〉という敷き詰められた金色の景色を眺める、遠くから恨めしそうに此方を伺う数人の男達が見える。ソドムはこの〈はたけ〉の持ち主だろうと話す。文句をいいたいが、怖くて近寄れないと。
戦士には見えない男達がこの隆起した岩場を均すのは大変だろう。手伝う気はないが同情する。
怪我をした女戦士は、暫く呻いていたが、眠りにつく。ライドは出発の時、馬車の後方の足場に腰掛ける。中では幼い子供達が身を寄せつつも、女戦士に枕を作ったり、布を掛けたりと気にかけている。随分懐いている。数日の付き合いには見えない。
馬車が動くと、ライドは空から降り注ぐ日差しを浴びて楽しむ。風と熱が心地良い。熱をもたらすのは火と地上の光だけだ。
この集団の状況は見えない。しかし、荒事なら振り払えば良い。単純だ。
この見晴らしの良い場所に、監視のような存在は見えない。撒けたと思う。
狙いがソドムである以上、教会からは暫く離れた方がいいだろう。ナリアラの提案は渡船だ。ライドとしても時間が欲しい。
「今幾つだ?」
物怖じしない子供が、ライドの側に来る。幌のヘリを掴みライドの木枠に寄りかかって座る。
「18だ」
「私は11才だ。7つ上だったか。許せ」
シャルと名乗った子供の声が柔らかい。怪我をした女戦士からライドが恩人だと聞いたかららしい。
「誘拐された子供を探すついで一つ頼みがある。私達はジュヌ教信者として、この街に逃れてきた農村の者だ。だが、途中で襲われた。2人、ローレンで別れた。後で、落ち着いたらで良い。姉をサティ、弟をザードという。保護して貰えぬか? あの二人には親がない。生きにくいなら、共にいこうと」
「シャルが平民を名乗るのか?」
ライドはその不釣り合いな発言に笑う。
「だが乗ろう」
ライドの返答に、シャルは初めて子供らしく笑う。
「さっき敵の目をそらすと言ったな。その2人が囮か。ならシャルには姉がいた筈だ。別行動をとるのも作戦か?」
「姉は体調を崩した。結果的にはそうなったかもしれぬ。今は隠れ家にいる。場所は分かっている。そちらは、私が必ず迎えに行く。そう約束した」
「そうか。一端の男だな」
「そうありたいと思っている」
一度笑い始めると、子供の男は子供らしく表情豊かな側面を見せる。
「シャル様、自重して下さい! どこの手の者とも分からぬ者です。少年! 君はどこの組織の意向を受けた!? 衛兵か?! 君はこの情報をどこに売り込むつもりだ?!」
「誘拐犯の容姿が褐色の大男、俺は迷惑している。それだけだ」
「知らぬ方がいいものもあるっ。例えば、お前が病気の子供の情報を漏らしたとする。それまでにシャル様が迎えに上がれなければどうなる?」
ライドを出汁にシャルを叱責したか。その言い分は尤もだ。シャルも認識したらしく、ここまでにしよう。と、話を切り上げ馬車の奥に戻る。
『御者の彼女も育ちか良いみたいだね。でも随分警戒してる。気を失った女性と違って余裕がない』
ソドムの言葉に、意識を失っている女に目を向ける。
布の袋を頭の下に敷いて横たわる。この揺れだ。何もなければ、起きた時には痣だらけだろう。
兜をとった女の年齢はやはり30前後で色気のある容姿をしていた。顔の作りは童顔気味で可愛げがある。白い肌は塀の中でも見たが、ライドにとっては珍しい部類だ。髪は後ろに結い上げている。唇が厚い。鍛え込まれ、成熟した均整の取れた女性の肢体だ。
先程からソドムは何かと横たわる女性を絡めて話す。この女戦士はソドムの好みらしい。後でからかってやろうとライドは口元を緩ませる。
雌鹿の様な女戦士はそのまま誘拐犯の吹聴に対する見解を語る。余計な話をされるより雑談の相手をする。そういったところか。犯人を大柄な男にすれば、居心地の悪い男が親に見えない子供連れに注目する。すると領地の監視の目が増え、女戦士達が外に追い出されるという絵図だろうと見解を語る。見方が変われば意見も変わる。これが雌鹿のような女の思う現実か。
『トフソー殿への連絡はどうする?』
「暫く離れようと思う。教会も巻き込まれなくていいだろう。顔は出す」
『定期的にだ。頻度も相談が必要だ。〈歪〉の扱いだけは注意してくれよ』
「何度も聞いている」
『大事なことだ。何度でも言おう』
ソドムが「悪用するなよ」と釘を刺す。
馬車に揺られる。心地よい時間だ。ソドムや雌鹿のような女戦士から年寄り臭い時言われるが、精神的には壮年を終える年齢だ。仕方ないだろう。
問題は制御できていない〈力〉が引き起こした事態だ。その欠陥は想像を越えて厄介な可能性を示した。対応に悩む。