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一章 知らない人々 3

 洞を奥へと進む。


 足元は相変わらず水が染み出し、流れ、滑りやすい。緩やかな傾斜のある道から幾度か大きな段差を降りる。


 辺りには時折粉砕された骨の死体がある。先行した戦士が倒したものだ。


 ライドは灯りを頼りに先行したとされる〈山岳の悪魔〉の後を追っている。キャシーは、彼らはこの先に進み今も活動していると言う。ライドの〈知覚〉は人の気配を捉えないが、生存は否定しない。〈知覚〉に反応しないのは、距離が遠いか動かず身を潜めているかだ。


 キャシーの話では人型の粘性体の被害にあったのは補給や救護を担当する第3隊。傭兵団の中核をなす第1、2隊は人型の粘性体が襲撃した時には先行していた。その部隊は人型の粘性体程度の敵にやられる筈がないという。


 ライドは奥に進む前に、キャシーと会った場所まで戻り、遺品となった武器を拝借した。


 ライドは今の自分の打撃力に不安を感じており、その補填の為だ。


 この地域の武器の材質は〈鉄〉と呼ばれ、拝借した物は、その中でも上質と聞く。強度と粘りを確かめ、手が震える。ため息が出る程美しい。それを加工する技術もだ。想像するだけでうっとりする。戦士としてこれに感動がないなら偽物だ。


 ライドは造形が美しい戦棍3本を手に取った。


 奥に進む道は明るい。それは四角い灯り、ランタンが2つある為だ。一つはライドの持つもの。もう一つはキャシーの所持品だ。複数の灯りを用意するのは地下探索では基本らしい。地下の獣は暗闇が得意で、暗くて困るのは人だからと言う。ちなみにキャシーは夜目が効く。しかし、明るい方が見やすいとか。それは納得だ。


 ライドは想像以上に多い水の流れを感じながら、先程の粘性体を思い出す。


「あんなのが地下にいるんだな。地下も危険になったもんだ」


 ライドの常識では地下にはあんな獣はいない。いるのは地上だ。


『地下は元々危険だと思うが?』


 ソドムの言葉に曖昧に頷く。キャシーが言うには、封印された化け物がこの地下にいるという。そんな場所が他にもたくさんあるのだとか。しかし、今回、キャシーと仲間の目的は脅威の討伐ではない。〈かみ〉の〈みつかい〉が、この地下に入り、彼らを見つけて地上に案内する為だとか。


 地上に人が住む。その言葉は何度聞いても頬が緩む。


『地下に住むなんて、土の人みたいな〈塀の人〉だな』


 それがキャシーのライドへの感想だ。


 ちなみにキャシーは土の人であり、塀の人とはキャシーと共に助けた2人の男のような人を指すらしい。ソドムも塀の人だとキャシーは断言する。


 ライドは〈知覚〉を広げ、傭兵団の足跡を追う。


 歩く間はキャシーとの会話はできない。思っだ以上に、ソドムの触れる範囲は狭い。


『彼女を連れて、威力偵察かい? 危険すぎないか?』


「常識の違う時越えの人を、長はどう扱うんだ? ソドムは〈はくしゃく〉で、〈きぞく〉の中では長に属するんだろ?」


 〈きぞく〉とは、此処での長の勢力の総称だ。長にも階級があり、それが〈はくしゃく〉であり、〈こうしゃく〉だ。


『成る程』


 ソドムの言葉は、ライドの懸念をどの程度汲み取っているのか? ソドムは少し間をおいて言葉を続ける。


『貴族は時越えの人を懐柔するな。強い力は取り込んでこそ貴族の器を示せる』


「懐柔?」


 宝や食料を献上されたくらいで収まるとは思えない。


『集団の中で仕事を与える。生活させるのさ。友人や仲間を作らせてやり甲斐や達成感、そして、住民と親交、街への愛着を持たせる。貴族はその中での問題に便宜を図る。欲しいのは信頼だ。適当な褒賞代わりに華美ではないけど平均以上の生活を担保する』


 時越えの人は基本、行動的で生活力があるとソドムはいう。それはそうだろう。対してソドムは普通に兵士として雇い、必要なら技術も与えると言う。


『大抵の不満は、問題のない暮らしができて、解消できる手段があれば飲み込める。人は好意的な変化が続くことを喜びと受け止め易い。日々が楽しい時はそんなものだよ。これは有能な者を囲う時の常套手段で、時越えの人に特別用意した方法じゃない』


「周りと馴染めない上に、力が強い時越えの人はどうする? 贅沢がしたいだけの者もいる筈だ」


『別の権力者に引き抜かれる。私なら使いこなせる。敬意を得て見せる、とね。腫物扱いで豪華な生活をさせた例もある。持ち上げて、気分良く動いて貰う。時越えの人が手元にいても、動かせなければこれも貴族の器を疑われる』


 ライドは面食らう。そこまで与えるだけの余裕が貴族にはあるという。ライドの故郷の長には到底無理だ。


『それに、どんなに強くても人は人だ。手元に置いておけば命を握っているも同然だよ。毒を入れる機会は幾らでもある。謝礼、催し物、女とね。その安心感が権力者を柔軟にする。ライドが貴族の元に行けば、貴族は機嫌をとるんだ』


「代わりに人同士の争いに駆り出されるんだな」


『貴族は基本、人同士で争っている。ライドの故郷は人同士の争いがないのかい?』


「ある。ただ、俺は戦士だ。戦士は戦士の矜持に従う。戦士は基本、人同士の争いに参加しない」


『それには自衛も含まれるのかい?』


「いや」


『なら問題ない。例えば輸送部隊の護衛とかね。荷物や人を賊から守る仕事は多い』


「襲われないように手は打つぞ。態と襲わせるなら話は違う」


『問題ないね。疑問は解決したかい?』


 ソドムが脱線から復帰する。不安は減っても悩みが増えたと伝えると、それは仕方がないと澄ました声を返す。


『貴族の行為は白黒は曖昧だよ。誰かへの悪行は誰かへの善行。その逆も然り』


 ライドはため息をつくと、目の前にフラフラと現れた骨と皮のような人の姿の頭を粉砕する。キャシーが騒いでいるが、後で聞くことにする。


 此処で立ち止まると動き出した人の姿に囲まれる。何しろ多い。何故動き出した死体が多いのか? キャシーは一つの解答を持っていた。この地下は入り口程、身なりの良い動き出した死体が多いらしい。長の勢力が不都合な相手を捨てる場所として使っていたのだと言う。


 逃げて、隠れて、それでも地上の獣に集落ごと食われたライドにとっては理解に苦しむ命の軽さだ。


 ライドがソドムから話を聞く間も、キャシーはちょろちょろ動く。何かあると直ぐにトテトテと短い足をバタつかせ、道を逸れる。


 行動の予兆を掴めない。安全の確保とは真逆の性質だ。ランタンを持たされているのは、迷子にならないように周りが気づく為ではなかろうか?


 そんなキャシーだが、人型の粘性体に対峙した時には話しかけて気を逸らし、灯りをつける時に使った〈実式〉という技術で視界の確保や武器の補助をしていた。戦う力がなくてもできることはあると言い、あの不利な状況で逃げ出さなかった。その度胸と義理堅さは称賛に値する。


 と、ライドの毛皮の端がキャシーに引っ張られる。振り返るとキャシーが腰あたりの毛皮の裾を掴んで震えている。


 話があるのか。灯りの元に浮かび上がるキャシーの顔色が冴えない。いや、明らかに様子がおかしい。足取りも危ない。覗き込むと顔は強張り、目が泳ぎ、顔に表情がない。傍に寄り、会話を持とうとするが、手元が震えてソドムを感知する為の準備が覚束ない。


 突然の変化だ。辺りを見回しても理由に見当がつかない。


 ライドはキャシーの周りをくるくる回って、会話が成り立つ場所をを探す。キャシーは何やら呟いている。それが聞こえる場所が見つかれば良い。


『ま、まずい、まずい、まずい』


 キャシーは怯えた声をあげる。ソドムがすかさず声をかける。


『キャシー女史。どうしました?』


『死が、死が迫ってきてるな。死ぬ。やばい。どうしよう。怖い。と、止まっちゃった、もう足が、足が。動かない、も、もう、動けない』


 そう言い残すと、キャシーはその場に座り込む。顔色が悪い。瞬きも忘れて縮こまる様子はただ事ではない。


 ライドは怪訝に眉をひそめる。知覚で〈力〉ある存在は見つけているが、まるで大したことがない。しかし、その傍に〈力〉だけの存在を見る。これは精霊術を最低限準備段階に用意している証拠だ。精神への作用は精霊術の範疇だ。そう考えるとこれが原因だろうか?


『何かないか? 息苦しいとか。幻覚作用のある草や水とか。精神作用だとしたら危険だぞ。土の人は種族的に精神作用に極端に強いんだ。その彼女がこれだと君も危ない』


「何もない。ただ、この先に待ち伏せはある。片付けてみるか?」


『まず戻るべきだろう。それにしても距離があるみたいだが、よく見つけるな。骸骨の時といい、君は耳が異常に良かったりするのか?』


「技術だ。地下で暮らすには必須のな。だけど説明は後で。見えない、聞こえないのソドムには使えないからな」


『それは悔しいね。で、ライドは今のところ問題ないんだな?』


「ああ、だがキャシーの知りたい傭兵団はどうする?」


『見捨てたら、キャシー女史の協力は得られないだろうね。それは避けたい。君が問題ないなら、行くかい?』


 ライドはランタンをキャシーの隣に置くと滑るように加速する。隠れないなら洞窟でも〈歪〉を探すより走った方が断然早い。明かりは要らない。〈知覚〉を周囲に集中すれば、色がない視覚だ。むしろ視線の通らない場所も見えるし、〈力〉の移動も感覚以外に視覚で細く見える。


 突起物は、足に触れる前に抵抗もなく消滅する。起伏が激しいここでは鍛錬不足のライドの戦士の歩法は楽ではないが、経験で補える範囲内だ。程なく傾斜が終わり、拓けた空間に出る。粘性体の親玉のいた場所よりは小さいが、広さは大人50人、高さは大人20人分はある空洞だ。


 生臭さが充満している。戦士の歩法中は分からなかったが、立ち止まると相当に血生臭い。


 中央に微動だにしない影が一つ。気配は冷徹の一言。武器のように黒光りする硬質な鱗を持つ巨人がいる。股を開き、踵を揃えて爪先立ちで座る。実に変な格好だ。座っていても頭の位置はライド2人分は上にある。立ち上がればライド5人分を超えるだろう。長い腕は胸元で指先を上にして交差する。その指先には刃物のように鋭く長い爪がある。爪の長さだけでも大人の顔より長い。正面からは見えないが、その背中側には2本の腕が畳まれている。手足、体、全てが細くて華奢な異形だ。全身を硬質で細かな鱗が覆っている。


 細長い顔。口から生える下向きの牙が、顎を隠す程長く伸びる。頭には後頭部側に2本の角が湾曲する。見覚えがない獣だ。見覚えがある獣が恋しくなる。だが、種類として似た獣は知っている。倒しても何も残さず消える邪魔な厄介者だ。


 ライドはその傍に無造作に積み上げられた血生臭い山を見る。


「ソドム。バラバラな死体の山だ。30人分はある。キャシーの探す傭兵団かも知れない。その横に大人5人くらいの高さの巨人が座っている。鱗が硬そうだ。背中にも腕がある」


『大人5人? 9m? ここはそんなに広いのか? いや、それよりも戦うなよ? 倒すには数も道具もない』


「問題ない。それにとっくに見つかっている」


 戦士の歩法は、動き始めと終わりに音と衝撃が生まれる。これを小さくはできてもライドにはまだ無くせない。今はそよ風程度に抑えるのが限界だ。


「動き始めた」


 ソドムは絶句するが、ライドは苦笑する。ソドムは見えない以上仕方ないが、この巨人は弱い。この水準で発揮できる特殊能力などたかが知れている。


 ライドの周囲に精霊の気配が集まり、火柱が立つ。


 無視。


 火はライドに届かない。周りの石が煤ける程度の制動の甘い精霊術だ。ライドの〈力〉の範囲内にあれば毛皮も焦げない。戦士の歩法で軽減するまでもない。ライドは火の光に照らし出された敵を観察しながら歩みよる。


 巨人が立ち上がり、炎の中にいるように見えるライドに長い手を伸ばす。勢いをつけた腕は大人20人を超える距離を一気に詰める。


 遅い。指先ですら戦士の歩法に届かない。地上班の中堅どころと言った相手か。爪先が脇の地面を抉ってライドに迫る。折角触れてくれるというのだ。面倒がなくて良い。爪はライドの肩から側頭部を打つ。避けずに予想と実際の認識のスレを確認する。巨人の爪は、ライドの首の角度を少し動かすに留まる。その威力に予測とズレはない。試金石には使えたか。


 ライドはその爪を掴む。手足の長い鱗の巨人は引き上げようと力を入れるが、ライドの腕も体も動かない。


 ライドは足から地面に〈力〉を張り巡らせている。この行為を地面を掴むと呼んでいる。


 その間にこの巨人の〈光〉をソドムか感知できるか聞く。


「触れてる。何か見えないのか?」


『‥‥‥何も見えないね。石の像だったとかいうおちかい?』


 その間、他の攻撃もなく、ライドが手を離すと、目の前の気配は再び座る姿勢に戻り距離をとる。


 周囲に青白い光が走る。ライドは綺麗だと思いながら、躱すことなく間合いを詰め、戦棍の一振りで巨人の腕と右上半身を粉砕する。


 硬い。


 素手では鱗を砕かないと命に届かないだろう。しかし、脆い。動きを見る限り鱗の内側は人と同じような柔らかな構造かと思ったが、鱗同様中も脆く、粘りもない。ライドは飛び散る破片を見ながら、戦棍の威力に酔い痴れる。


 〈叩く〉行為をライドは好んでいる。受け手は衝撃を分散させ易いが、硬いほど分散させる許容量は低いのが一般的だ。粘りがないからだ、そして分散しきれなくなればその部位は壊れる。しかし、硬さに拘らずとも、十分な衝撃を生み出せるなら、最も脆い部分、例えば関節を一撃で破壊できる。この当てた場所以外への蓄積が便利だ。


 戦棍は赤く熱を持ち、掌に熱を帯びる。一瞬失念していた可能性に慄くが、掌に感じる熱は火傷に至らない。この筋力では難しいと思っていたが、十分な身体機能に達しているようだ。〈力〉の分配を間違えたか?


 その直後、辺りの闇から染み出すように座った格好の手足の長い鱗の巨人が9体現れる。少しずつ顔の形や角の位置が違う。〈歪〉を通ってきた。


「追加だ。9体増えた」

『9体? えっ?』


 ライドは戦士の歩法で、先に襲いかかる。確認を終えた今、用はない。立ち上がる前に9体の胴を薙いで全て粉砕する。ざっと一呼吸。


 回転と逆回転を使い分け、戦士の歩法を維持する。十分な加速後は一瞬の停止は飲み込める。更に衝撃を発して、周囲との相対的な速さは維持できる。


 そもそもその衝撃だけで鱗が無力化する程度の相手だ。


 しかし、ライドにも移動の余裕がない。ここは広いが戦士の歩法で動ける直径は、2、3mには抑えなくてはとても殴れない。普通の戦士長では一歩間違えば、風の壁を超えた部分と越えていない部分に挟まれ、体の一部がネジ切れる恐れがある。ライドは怪我にもならないかもしれないが、今は何とも自分がわからない。危険は避けるに限る。


 9体の敵を叩く間に手元の武器が歪む。曲がる度に逆側から叩いて真っ直ぐに直す。3撃同じ方向で振るえば完全に折れ曲がりそうだ。しかし、折れる気がしない。〈礎〉と呼ばれた石ほどの硬さはないが、粘りはそれを超える。


 消えゆく手足の長い鱗の巨人を見送り、ライドは少しずつ動かして、体の節々を確認した。結構無理をした筈だが関節の軋みや痛みはない。若さか? 


「終わった。戻る」


『そう、なのか?』


 ライドは短くソドムに伝えると、元来た道を走る。キャシーはけろっとした顔で、とてとて走り寄り、すぐにソドムを探す手順にはいる。


『何したわいな? 急に怖さが消えたな!』


 ライドはキャシーに死体の山があることを告げ、先程の空間に戻る。話の内容にキャシーは眉を潜め、残りの仲間を心配していたが、現地で切り裂かれた死体の山を見て絶句する。割かれた身体の一部が散乱し、肉の焦げた不快な臭いが篭っている。この死体は探していた傭兵団の残り全員分があった。


 手足の長い鱗の巨人の動きは素人でも追える。勝てなければ逃げるだろう。それができなかったとなると、まともに戦うことすら出来ずに蹂躙されたとしか思えない。あの程度の〈力〉に心に影響を受けるとは、傭兵団は相当に弱い。


 キャシーは幾つかの変わり果てた姿に近づき別れを告げる。そして袋に遺品を集め始める。手伝いは要らないと断られた。


『仇討ってくれたな。ありがとう』


 遺品を集め終わると、ライドの側にきたキャシーが硬い声で呟く。


「弔おう。作法を教えてくれ」


 キャシーがのそのそと動き出すと、まだ模様の残る布を取り出し、用意を始める。


 しかし、キャシーの準備が終わる前にライドの〈知覚〉に多くの気配を捉えた。数は無数。真っ直ぐ向かってくる。移動は遅いが、壁を無視して移動する分速い。個体の〈力〉が手足の長い鱗の巨人の倍はある。


 ライドはキャシーを抱えると空間の歪みを見渡し、移動する。走っては加速にキャシーが耐えられない。キャシーが喚くが、〈歪〉を通して利用する。本来は危険な賭けだ。〈歪〉の獣にキャシーが見つかれば、いつか必ずキャシーは食い殺される。しかし、このままでは迫る何かからキャシーを守れない。群体としての〈力〉は巨大な粘性体に匹敵し、強い敵意を振りまいている。一斉に攻撃が繰り出せる分、攻撃力は遥かに高い筈だ。


 数の暴力。しかし、体力が保てば、片付けられると読む。


 建築物があった場所まで戻ると、キャシーの仲間の目と鼻の先の距離にキャシーを下ろす。そして〈歪〉から手足の長い鱗の巨人のいた空洞を覗く。


 明かりは要らない。現れた存在自体が淡い光を放っている。金色で、背中に翼の生えた赤子の群れだ。


 宙を舞う赤子の群れは何かを探している。あの空洞で探して見つかるのは手足の長い鱗の巨人を倒した者だ。


 壁が意味をなさない相手を狭い通路でで迎え撃ちたくない。その点、この空間の広さは都合がよい。ライドは戦場をここに見定める。赤子の模倣は〈歪〉が見えていない。ライドのすぐ鼻の先を掠めて通るが気がつかない。


 倒すのにどのくらい時間がかかるだろうか? しかし、適宜休めるなら負けはない。〈歪〉が認識できない相手なら、やりたい放題だ。そう見る。


 今一度見定める。赤子の模倣は裸で背中には複数の白い突起を持つ生き物だ。翼のような突起は一枚で赤子を包み込める大きさがある。その数は視界内に数十体。しかし、〈知覚〉内には数千体。蟻以外でこれ程の数は故郷で見たことがない。


 赤子の模倣は音もなくゆったりと宙を舞う。壁をすり抜け、一定速度で同じ方向に円を描く。表情は張り付いたように一様だ。質量ある幻影。〈力〉の塊。


 実体はなく、個体より強い〈力〉を通過させれば消滅する。何処かに本体がいるということだ。視線や動きが常に同時であることからそう確信する。


 ただ場所は分からない。


 ライドの脳裏に空に浮かぶ唯一の獣の記憶が蘇る。その落とし子と性質が重なる。もし同じなら、この姿が多くの人が願う姿なのかもしれない。


 一体何なのか?


『少し情報交換をしよう。先程の9mの巨人は‥‥‥』


「後だ。その巨人より強い敵が数千だ。壁を無視して飛んでくる。金色の赤子の模倣だ。これを先に進ませると集落が滅ぶ。倒すぞ」


『数千? 赤子? えっ?』


 ライドは、金色の赤子の模倣の注意が反対に向いたところで〈歪〉に飛び込み急襲する。急襲は成功。


 振り返ると〈歪〉を通してキャシーと目が会う。後ろにはキャシーに気がついた者達が集まろうとしている。しかし、他に〈歪〉が見えてる者は居ない。一度で認識するキャシーには〈知覚〉の素質を感じる。ソドムは、土の人は地下で暮らすと言っていた。ならば〈知覚〉は本来必須のはずだ。


 ライドは走り抜けながら、赤子の模倣を粉砕し続ける。手応えは手足の長い鱗の巨人に近い。〈力〉の割に脆いのはその性質の問題だ。


 敵意がライドに集まる。壁面から染み出すように赤子の模倣が補充される。無邪気な微笑みが変わらない。この顔は造形で変化しないらしい。


『静聴せよや。静聴せよや。我は神の御遣い。御心ぞや』


(ソドムと同じ手法か。〈かみ〉とやらがこいつらの長の名か?)


 赤子の模倣が同時に歌い出す。これは頭に響く轟音だ。その言葉と共に周囲に黄色い炎柱が数十本立ち上る。あたりの地面が赤身を帯び、熱の光を放つ。火柱は繰り返すたびに目に見えて規模を落とし、急速に息苦しくなる。足元の石や土が粘性の高い液溜まりを作り始め、天井から赤い雫が垂れる。


 今のライドの戦士の歩法では、一晩と持たずに火傷に至る。歩法なく直撃されれば大火傷だろう。手足の長い鱗の巨人とは比較にならない精霊の強さだ。


 精霊の高位化を当然のように具現化する。故郷でも強力な部類の獣だ。


 更にそのふざけた数は攻撃力で真価を発揮する。あたりは熱の赤い明かりで満たされ、空洞内がハッキリ見える。


 ライドは赤子の模倣の100体以上は屠った。しかし、まだたったの100だ。


 赤子の模倣の動きに意図が感じられる。互いの精霊術の影響を受けず、同士討ちが狙えない。どうにも良くない。


 辺りが湯気で曇る。


 次に現れたのは氷の柱。赤い光は黒い塊に戻り、光の消えた空間を闇が支配する。足元の液だまりが氷になり、地面が掴みやすくなるのは有難い。と、周囲に暴風が吹き荒れ、一瞬足元を掴み損ねる。戦士の歩法は攻防の命綱だ。冷や汗をかく。


 赤子の模倣は呼吸を攻める気か? 繰り返す熱と冷気、そして風の膨張と収縮が生み出す暴風の中でそう考える。人との戦い方を良く分かっている。本来、知恵は獣に対して唯一人の勝る武器のはずだが、知恵の回る獣はいる。そういう敵は始末に負えない。


 度重なる強引な方向転換で足に張りを感じ始める。そろそろ一時休憩を取る頃合いか。


『静聴せよや。静聴せよや』


 変わることなく平然と赤子の模倣の処理を続けるライドに、戸惑いの気配が漂う。効果ぎ一向に出ないせいだろう。


 その火柱に突然、強烈なものが混じる。白い炎。近づくだけで熱い。戦士の歩法で軽減した上でだ。不味い。一瞬本体が現れたのかと思ったが、繰出される炎柱が次々と白い炎に変わる。熱で皮膚が赤くなる。ライドの息が上がる。空気の薄さがライドの身体機能を越え始めた。このままでは長くは持たない。しかも攻撃間隔が短くなり、むしろ離脱の隙が消える。


 赤子の模倣の処理数はまだ1000を越えたばかり。この白い炎柱は想定外だ。


 〈知覚〉で感じる赤子の模倣の〈力〉が急に膨れ上がる。精度も上がった。


 ライドは防戦を強いられ攻撃に移れなくなる。それと同時に小さな振動が空洞全体を震わせだす。それはあっという間に空洞全体を覆う揺れに変わる。


『神の御心ぞや』


 頭に鈍痛が走り〈知覚〉が霞む。原因は頭への過負荷。大人1000人弱の距離のまま、戦闘を行っていた。


 ゾッとする。


 戦士の歩法を含め、想定通りの配分はできている。なのに身体機能の強化も維持されている。何処から〈力〉をとってきているのか? 疑うまでもなく、自分に異常が起きている。今の筋量や質で賄える〈力〉の範囲を逸脱している。この変化は敵の強化と同じ理由か?


 ライドは意識的に〈知覚〉範囲を抑える。嫌な予感しかしない。この状況では戦えない。すぐに撤退しなくては。


 しかし、考える間にも足元の揺れが激しくなる。視界が歪み、地面が波を打つ。戦士の歩法を維持できなくなる。


 余裕がない。命の危険を感じる。


 ライドは戦士の歩法を捨て、迎撃姿勢中心の戦い方に変更する。不用意に中断されれば立て直せる自信がない。


 ジリ貧な一手だ。


 熱から逃げ、火柱を衝撃で遠ざけたいか、防ぎきれない。


 〈知覚〉に巨大な球がせまる。大きさは直径大人50人分。それが下から上って来る。間もなく目の前の通路を突き破って現れる。


 轟音と共に天井の一部が崩れ、広い空洞が崩れ、別の空間が現れる。何百という数の赤子の模倣が金色の紐を牽引しながら上昇する姿が現れる。


 目の前には見覚えのある巨大な縦穴が作り出されている。現在進行形でだ。


 赤子の模倣に引き上げられる球は、粘性体の親玉に似ていた。まだ小さい分、耐久力は低いが〈力〉は倍以上強い。明らかな上位種だ。


 それが半透明の金の繭に包まれて蠢いている。巨大な粘性体と違い、その体は液体ではなく固体が多い。多足の昆虫のような部分や溶けた岩があり、刃物のような武器も体内から出入りする。そう言った固体の間を埋めるのは、蠢く内臓のような粘土だ。


 赤子の模倣はこれを地上に放つ気か?


 ライドはまだ地上を見ていない。折角目覚めたのにその姿を一目も見ずに崩されるのは我慢ならない。何より集落を守るのは戦士の務めだ。


「ソドム! あれに意思はあるか!?」


 ライドは掠れた声にならない声を上げる。呼吸が足りない。


『〈光〉は微かに見える。でも接触できない。ライド。君はさっきから何と戦ってるんだ?』


「あとだ!」


 無理矢理絞る声が掠れる。揺れが収まり間隔が一定に近づく。その瞬間に、戦士の歩法で新たな縦穴に向かって走る。すれ違いざまに、6体の赤子の模倣を屠るが、今回のライドの目的は、赤子の模倣ではない。新たに現れた繭に包まれた生き物だ。


 ライドは縦穴の縁から上に飛び上がり、逆さに足で着地する。繭の周囲には守るように赤子の模倣が10体張り付いていた。粉砕する。


 繭に人の頭程度の穴が空き、中身が露出する。繭の中身は精霊術の影響を受けるのか、集まる赤子の模倣が攻撃を躊躇する。しかし、長くは続くまい。


 ライドは覚悟を決めて右腕を繭の中に深々と突き刺す。繭の中身は侵入するライドの腕を硬質な刃でズタズタに切り裂き、捕食しようとする。こうも簡単に身体機能を上回れるとは目覚めて初めての恐怖だ。やはり弱体化は痛い。


 ライドは突き刺した掌から〈手〉を作り出す。そう決めた。賭けに出る。発動だけなら今の身体機能でも届くかもしれない。


 ライドの口から絞り出すような唸り声が上がる。右腕に多数の血管が浮き立ち、青い筋が首や右頬にまで広がる。同時に腕の中で骨が砕ける。それが激痛になより早く、ライドの右半身から霧のように血が噴き出す。


 体が〈手〉を生み出す負荷に負けた。〈手〉はそれを利用した戦い方全ての基本だ。それすらまともに作り出せない我が身があまりに情けない。


 ライドの背中に火柱が直撃する。しかし此方は擦り傷レベルだ。先程の白い光はどうしたか? 余程この塊が大切らしい。しかし、次の炎の群れは、威力を抑え、数でライドだけを仕留めに来るだろう。


 それより早くライドの作業が終わる。


 繭が内側から膨れ上がり、繭を突き破った後、上部が陥没するように凹む。それは一瞬で体全体を覆い、程なく繭の隙間から液だれとなってすり抜け、落下する。慌てて集まる赤子の模倣はその後を追って下に降りる。


 ライドは左手で右手を押さえると、落下する繭から離れ、壁を跳ねて駆け上がる。そして、見覚えのある柱が見える〈歪〉に向かって転がり、すぐさま脇の下を抑えて右腕を止血する。感覚は指先まであるが、無残だ。肘から下は肉が骨に沿って縦にこそげて骨が露出する。辛うじて繋がってると言っていい。指1つ動かない。


 〈力〉ある存在の牙の中に腕を突っ込んだのだから当然の結果だ。


 右腕の肘から下は切断するしかない。回復はしない。腐って落ちる。


 封印前の仲間がいれば治療を頼むこともできた。今使える手はないのか? 今の人の技術に頼れるか?


 切り落とすのは最後の手段。ライドは上の毛皮を破り、止血と動かない腕を体に固定する。


 背後の地面から3体の赤子の模倣が滲み出る。ライドは建造物の柱を蹴り崩して赤子の模倣を崩落に巻き込む。


 ライドの〈力〉を張り巡らされた柱は赤子の模倣1体を巻き込み、消滅させる。感動をくれた建築物を自ら破壊するとは業腹だが、命には変えられない。ライドは叫び声とともに、左手で残った一体の赤子の模倣の頭を潰す。


 〈力〉の出力を戻せば右半身の出血は収まる。しかし体のバランスが取れない。右の肋も折れた。腹筋や背筋、尻や太腿も肉離れが酷い。痛めている。戦士の歩法は使えない。それどころかまともに戦えない。それでも火柱を避け、最後の赤子の模倣の体を踏み潰す。


 白い火柱が崩れた石の柱を溶かしてあたりに風を起こす。


(死ぬかな)


 このまま、群れが追ってくれば厳しい。〈歪〉は生き物の密度が高くなると距離が稼げなくなる。逃げきれない。


 何も成すことなく死ぬとは言わない。繭の中の生き物の出現は防いだ。ただの時間稼ぎだが、ないよりはいい。しかし、情けない。封印前と変わらないではないか。完結させれれず終わりを迎えるなんて。


 だが後続はなかった。〈知覚〉を伸ばすと、下に向かって移動する群れを見つける。


 一息つく。だが問題は新たに発生している。周りを取り囲む今の人々だ。ライドから距離をとって取り囲んでいる。


 その数30人ちょっと。1人はキャシーだ。その脇で何か声を上げている2人にも見覚えがある。粘性体と戦っていた2人の戦士だ。


「ソドム。簡単に状況を説明する。いいか」


『待ってたよ。何が何だかさっぱりだ。キャシーからも情報を得たいね』


「赤子の模倣品のような金色で浮いている奴がいた。1100は叩いた。ただ、残りはまだ数千だ。そいつは縦穴を作りながら直径大人50人くらいの繭を運搬していた。繭の中身は生き物の肉の塊だ。虫だの人の武器だのの寄せ集めだ。それは地底に落とした。赤子の模倣はそれを追って地底に移動した。今はキャシーの連れに囲まれてる。友好的じゃない。俺は右手損壊。右肋骨と右半身は筋肉断絶、背中は大火傷だ。簡単に言えば動けない」


『無理するなと言っただろうっ! わ、私にとって君の安全に優先するものはないっ』


「交渉を頼む」


 ライドはそこまでいうと、口を閉じて水分を探る。喉がヒリヒリと焼ける。水が欲しい。右腕からの出血を止めたが、それまでの出血量が多い。


 正直、動くのは厳しい。ライドは膝をついたまま、下を向いて〈知覚〉で状況を伺う。敵意が溢れている。キャシーと2人の戦士を除き、剣呑な雰囲気だ。キャシーと言い争う金の刺繍の女の号令を待っている。


 金の刺繍の女が指導者か? 暫くすると、キャシーと顔の見えない被り物の小柄な男が近づく。顔の見えない被り物の男は平然とライドの隣の空間に触れる。キャシーは今回、紙も道具も使わない。顔の見えない被り物の男に追従する。


 どうやって確認したのか? それでもソドムに正確に接触する。


『ボロボロだわな。さっきの地震や凄い風もライド君の仕業かいな? 治療は少し我慢してまずは質問に付き合って欲しいな。あそこの神官様がお冠てな。で、武闘派結社から更生しようとしているライド君じゃなくて、時越えの人ソドムと話し合いがしたいんだな』


 キャシーの言葉に、ちらりと金の刺繍の女を目を向ける。取り囲んでいる周り今の人は聞き耳を立てている。


 キャシーがライドを武闘派結社と呼んだ。金の刺繍の女の後ろには、ソドムより前に、12の死体を生み出した場所にいた戦士がいる。


『キャシー女史。悪いが私は周りが見えない。早く治療をお願いしたいんだが』


 ソドムの答えをキャシーは黙殺する。この会話は当然、キャシーと顔の見えない被り物の男にも聞こえている。


『こんにちは。時越えの人ソドム殿。キャシーが紹介してくれないから、名乗らせて貰うよ。僕はディーンだ。さっきキャシーと一緒に助けてもらった者さ。ありがとう。命の恩人』


『初めまして。ご覧通り色々事情がありまして体がありません。ご容赦を』


『ソドム殿は周りが見えない。態とこの少年の意思を残しているんですね?』


『彼の存在は私の最優先事項です。回りくどい言い回しは不要です』


『この怪我、僕なら気を失う自信がある。では彼の命が残るうちに話を進めましょう。私達はソドム殿を反逆罪に問います。これは司祭様に降嫁された元第6皇女セリーヌ様の御意志です。申し開きは?』


『何の罪か分かりませんね、自衛行為です。神の名を伺っても?』


『偉大なるジュヌ神のご加護を受けし、ジュヌ教であられます』


 ディーンの言葉に、金の刺繍の女の後ろ、護衛らしき男から怒声が飛ぶ。


『国の礎たるジュヌであらせられます』


『セリーヌ様の願いですか?』


『概ねその通りです。ソドム殿にも身元を示して頂きたい。世界は7年前に統一されました。陣営を気にする必要はありませんよ』


『統一ですか。まずはお祝い申し上げます。私はソドム=ゲシュタット、ミラジの元領主です』


『ゲシュタット? ミラジがソロ国の象徴だった頃の領主の家名ですね』


『ソロ国の名は聞き覚えがありません。私がいた当時の呼び名は、〈巨牛の守護せし都〉ミラジです。国の名はミスト。私は3代目です』


 ディーンと名乗る少年がソドムの言葉を反芻する。周りに聞かせるためだ。しかし反応はない。


『伯爵であられましたか』


『国も王もない爵位はありえません』


『分かりました。それではソドム殿。この地に封じられし魔を滅ぼし、この地に平和をお与え下さる御心に害意を持って応えた。これが唯一にして最大の罪。この罪への自発的な贖罪を求めます』


『セリーヌ様の手足となれと?』


『罪を償う機会です。今一度、自分の罪について、謙虚にお考え下さい。神の愛は無限でも、人の慈悲は有限です』


 芝居かかった少年の言葉だ。外部にはどう見えているのか。


『御遣いと呼ばれましたか? それをお連れしろと?』


『反省の意思がおありのようだ。愛らしい清き赤子。背に純白の羽をお持ちになられる天の御遣い。ソドム殿にも聞こえたはずです。慈悲深き御言葉が』


「傾聴せよ」と喚いていた声を思い出す。しかし、ソドムには聞こえなかったらしい。


『罪を認め、償うことです』


『それが治療の条件だと?』


『確認しましょう。キャシー、あとを頼むよ』


 ディーンはそう言葉を残すと、奥で此方に睨む女の方に戻る。


『ライド君は教会で更生の道を歩むことになるな。一応、聞いておきたいんだけど、ソドムが力を貸しているのは本当かいな?』


『見た通り、ライドも時越えの人だよ。私がしているのは翻訳と知識、そして相談相手だ。でも言葉については伏せて欲しい。私がライドしか見えないのは本当だ。だから何かあればライドを死に物狂いで守る。その敵には何者にも容赦する気は無い。邪魔なら誰でも殺そう。神、赤子、王、貴族、全てだ』


 ソドムの強い言葉にキャシー息を飲む。紳士的な口調のソドムに狂気が宿る。躊躇が感じられない。


 ただ、現実には、今はどんなに息巻いても今は何もできない。ただの脅しだ。


 ソドムはキャシーからライドの怪我や、周囲の気が立っている理由を聞く。


 突然地震や突風が襲い、息苦しさと〈みつかい〉とやらの声と言った超常現象が続き〈かみ〉への俄か信者が増えたのだと嗤う。


『ライドの怪我は重症だな。背中は火傷と水膨れ、右腕は肘から下が魚の開きみたいだな』


 暫くすると、話合いを終えディーンという少年が小走りに戻る。顔の下半分しか見えない大きな被り物が揺れている。


 赤と青の縞模様。被り物の材質は布ではない。細くしなりの強い何かをまとめたものだ。ディーンからは見えても外からは見えない造りだ。


『お待たせしました。償いの意思に慈悲が賜れます。神の御意志はジュヌ教信者の前で粛々と伝えられるべきものです。償いの意思をここへ』


 ディーンの言葉を、ソドムが噛み砕いてライドに伝える。


『どうやら私達はジュヌ教に監禁されるらしい。ただし治療込みだ。方法は分からない。片膝を立てて座って、ディーンに頭を垂れて』


 腕の治療とは驚きの展開だ。ライドはディーンに向かって座り直し、頭を垂れる。周囲が厳しい表情で此方を睨んでいたが安堵が広がる。


『君は地上までの3日、猛勉強だ。少しでも早く日常会話を習得しないと。セリーヌ様は優しいけどお堅い』


 金の刺繍の女が、誰かの到着を待つ間、ディーンがライドに耳打ちする。


「少しは話せるな。わからない、多い、言葉、けどな」


 ライドは脂汗を流しながら、覚えたての言葉を紡ぐ。思ったよりいい発音だ。キャシーとの会話で単語の切れ目や発音は随分学べた。


『文法がおかしいね』


『突っ込むところはそこかいな!』


 キャシーの声にあたりが静まり返る。ディーンとキャシーが何でもないと周囲に言葉をかけるが、多くの者が此方をチラチラ注目する。


 キャシーは他に人を近づけないよう立ち回っている。助かる。


 ディーンといい、キャシーといい、粘性体から救出した礼だろうか? 協力的で助かる。


『キャシー女史。今のはパズルを組み合わせたようなものだよ。ライドは内容をよく分かっていない』


 ソドムの言葉に、ライドは頷く。その通り、自由に文章を繋げる自信はない。


『どれだけ覚えてるのかいな。私の口調まで移ってるし』


「全て」


 ライドはキャシーの問いに、会話を幾つか再現する。ソドムを介したキャシーとの会話で聞いた声になぞるだけだ。それでもキャシーは目を丸くする。記憶力はライドの特技だ。それが未来でも通じるなら嬉しい。残念ながら意味は分からない。


 しかし、これは体力を削られる行為だ。痛みで脂汗が滲み出す。


 暫くすると、護衛の2人を従え、金の刺繍の女が護衛を伴って近づく。


 あからさまではないが、周りの者達は、いつでも武器を抜けるように気を張っているのが分かる。


 ディーンがソドムに接することなく何かを述べる。ソドムの名前が出たのはわかる。言葉を並べ、お待たせと話す。


 キャシーがそわそわする中、ライドは言われるままにそっと固定した毛皮を外す。考えるだけで時間がかかる。腕から布を取り除くと、ボロボロと崩れた右腕の肉がぶら下がる。白く、土色の物体だ。骨や腱が露出する様は、見慣れているが、ここまで酷い怪我は初めてだ。しかも自傷と言われても否定できない。


 辺りから息を飲む声が上がる。気持ちはわかる。ライドも自分の腕ながら、切断以外に考えつかない有様だ。激痛に耐え続けて、頭がくらくらする。


 ディーンが金の刺繍の女から、恭しく小さな石の加工物を受け取る。何かの栓で蓋をされた陶器の瓶だ。


 途端に金の刺繍の女の背後の護衛から、怒気と殺気を受ける。護衛の男は諌めるように刺繍の女に言葉を発するが、刺繍の女は取り合わない。


 片膝をついて陶器の瓶を受け取ると、ディーンはまず、ライドのズタズタな右腕の下に円を複数組み合わせた文様のある白い布を広げ、床に右腕をつけるよう求める。既に止血の済んだ腕だが、血が滲み出している。


『痛いだろうけど動いちゃダメだ』


 瓶の中身は水のように見えた。ライドが見つめる中、腕に垂らされた液体は、腕に当たると白煙を上げる。


(痛えっ!!)


 ライドは微動だにしない。が、意識を保つので精一杯だ。単に痛み以上に、腕を切断せずに済むかもしれない期待が優っただけで、体力は限界に近い。


 ライドは目眩をこらえる。


 ディーンが布をそのまま腕に巻きつけ、ライドの体に固定する。


 三角巾だ。布も知らないライドだが、その肌触りを楽しむ余裕も、腕の吊るし方に興味を向ける余裕もない。歯を食いしばる。


『今日一番の衝撃みたいだね。君の光が凄く揺らいでいる』


 ソドムが茶化す。


『体の切り傷は、明日には治りそうだな。腕は酷いからよくわからないけど7日位?』


 キャシーの言葉に内心で青筋を立てる。こんな傷が7日で治る訳がない。体の傷もそうだ。明日に治るとは随分吹っかけられたと思う。


 しかし、ライドはこの2日後、怪我の治りの遅さに、呪いがあったのか? と逆に心配されることになる。ソドムにもだ。骨折でも3日程度で自然治癒するのが常識らしい。ライドの常識では30日は掛かる。口には出せなかったが、今の人は自分とは人種として決定的な何が違う。そう理解した。

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