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1-2 そして始まり

 キャシーは改めまして、と佇まいを改める。


 あたりはカビ臭く、深い洞窟の奥だが風は流れている。ライドは不思議なものだと何度目かの首を傾げる。


「文化は完璧にこなせる個人の中からは生まれない。それが文化史を考えた森の人の導師の結論だな」


 キャシーは前置きする。


 「記憶は継承されるたびに劣化する。森の人の死は感情が消えて精霊に還るまで千年くらいあるんだってな。それが寿命だな。だから森の人は自分たちが文化の担い手だって信じてるな。土の人も塀の人に比べれば長いし、老化も遅いけど、森の人から見れば同じだな」


 キャシーは、指で丸を描きなが地面に木と石と壁を描く。


「でも森の人の想像通りの現実はないんだな。それは人数と記録。森の人は伝える必要がない。だから文字がないな。そして数が少ないのに、まとまって生活しない。だから分業ができないんだな。基本、敵がいないし、食べるのにも困らない。で、経験は誰にも継承されないし、活かされなくなったな。精霊術は汎用性が高いから、時間をかければ個人の必要なものは全部一からできるって」


 話をするキャシーが活き活きしている。熱意ある話をライドは好む。自分にないからだ。ライドは少し落ち着きをとり戻して口元を緩める。


 そしてまた、この時間はキャシーも落ち着きたかった為に設けられたのだろうと思う。


「対して土の人や塀の人は文字が残す。記録は不完全でも経験だな。誰かの失敗、成功を手段と結果を選べる。協力できる人数がいて、同時に色んなことを並行できる。でも同じ文字を扱う土の人も、塀の人に抜かれたんだな。逆転したのはここ50年って言われてるな」


 キャシーはびっ、と指を立てる。ここがキャシーの興味の中心だと。


「土の人の寿命は塀の人の倍。人数は1割。そして塀の人の土の人の後塵を拝していた。土の人は職人気質で、塀の人よりずっと仕事時間も長い。土の人が人数の差を補えなくなった理由は情報。簡単に言えば交易、流通だって言われてるな」


『情報? 実式には情報をやり取り手段があるのですか? キャシー女史』


「そうだな。遠話って言ってな、象形図を分けて持つ2者の間では、条件揃えれば距離に関係なく会話ができるな。まあ、実式が普及しても鍛冶や芸術、建築あたりはまだまだ土の人が上だけどな」


『離れた相手と、いつでも?! 劣化のない情報をやり取り?! 生活も戦争も様変わりするぞっ!』


「戦争って。まあ、ソドムはミラジでゲシュタット、元領主様だもんな。話を戻すとな、塀の人は小さな街に分断してて、土の人より少ない人数で生活をしてた。それが実式より前から街同士の交流が生まれて差が縮まり始めてたんだな。そこに実式が加わって一気に逆転な。あともう一つ、森の人は物語に注目してるんだな」


「物語?」


「そう。土の人にとって記録は事実、残した人か事実に基づくことに責任を持つんだな。推測は子供落書きと同じ扱い。たらればで自分だったらどうするのか? とか、考えても口に出さない。でも塀の人の物語は、全部たらればな。でも裏付けのないご都合の中に誰かの切っ掛けになることもある。何かを便利だと思えば、その空想を現実にするために努力する。目標になれるんだな。そして、そんな発想は手が空いてる人数が多いほど、活きてくる。数に圧倒的に勝る塀の人向けの仕組みだな」


 ライドは首を振る。


「物語は手段や教訓を示すものだ。それは更新され続けるから役にたつ。空想を目標にして現実を合わせるのか? ものを作るのには役に立つだろうが、それ以外は無駄に聞こえるが」


「未来の自分の生活はどんなふうに便利なっているか、とか考えてみたらどうかな? 例えば犯人探し。その手法、過程、わからないことが見えてくるとワクワクしないかな? 日々の生活の問題や苦しい気持ちなんて、同じ境遇の人が読んでて自分だけじゃないって思えたりするし、同じものを見ても人が変われば見え方が違うな。そして、物語は都合のいいハッピーエンドを作れる。希望になる。ライド君のいう教訓に近いけど、読み手が自分の視点で読み取れるんたな」


「文字を学ばねばな。興味はある」


「嬉しいな。私、文学少女だからっ」


 キャシーは声を大きくするが、自分の声の大きさに驚いて身を縮める。しかし、声がなくなると、訪れるのは静寂、そして、水の音だけだ。キャシーはしばらくその静寂に耳を澄ませたが、表情を強張らせると立ち上がって服の土と泥を払う。


「誰も、いないみたいだな。もう少し先かな? ライド君、一緒にきてな」


「いく。暇なんだ。目的があまりない。キャシーの仲間はこの階層から下に逃げたんだな?」


 ライドの言葉に一瞬眉をひそめたが、キャシーは肯定し、跳ねるように先に進む。


 足元は地面ではなく、瓦礫の堆積に変わる。どこを踏んでも崩れるが、反面、どこを踏んでもすぐには崩れない。


 巨大な空間が広がる。


 先ほど粘性体が居た地底湖より大きい。天井まで、軽く見積もっても大人200人はある。無駄に広い空間だ。


 ライドはこの真上にに幾つかの集落を確認している。ここは集落跡の中では最下層だ。そして、ここだけが機能、安全面で良いとは思えない無駄に広がる天井がある。

 

「普通は上も利用する。こんな空間は怖い。脆くなる。それにここは風がある。精霊が渦巻いてる。上より強い。大体何を食べていたんだ? これほどの広さだ。人が少ないはずはない。上でも食材の痕跡がない。何もないのに食材が使われた跡がある。わからない」


 ライドの呟きに、キャシーが「土の人みたいな感想だという。


「地上は人が住みやすい場所じゃないからな。俺のいる場所は」


 そして、この場所には大蛙や蛇もいると加えて先ほどの粘性体を鼻で笑う。


「負けたことがないのか、学んでいないのか、知恵がある割には阿呆だ」


 壁が遠いここなら衝撃は逃げやすく、体積を増やす食料も上より豊富だと。


『粘性体はもっと強い方がよかったのかい?』


 ソドムはそう揶揄したが、ライドはもう少し、自分自身の確認がしたかったと残念がった。


『君の言動も若者らしい自信に溢れてるな。それが過信じゃないといいんだが』


「俺にあるのは自信。過信は根拠のない自信だ。行動の慎重さと自信は両立するぞ? 準備に必要な情報が行動の成否を判断する基準を与えてくれる。過信には基準がない。攻め時にも引き際にも理由がない。たから判断ができない。逃げ道のある粘性体が死ぬまで戦った。逃げ場を失った獣の発想だ。逃げ場を作ることができない」


 揶揄したつもりのソドムが、返事に詰まる。その様子に前を歩くキャシーはそっと振り返り、ライドの足元を見る。キャシー自身にも違和感があるからだ。


 崩れた足場をキャシーは跳ねて歩く。崩れるから、その前に移るる為だ。しかし、ライドは普通に歩いて見える。足元が崩れないわけではない。足場の強度が予めわかっているかのようなを見せる。何か技術を使って、楽にしている様子がない。むしろ、技術もいらない当たり前のことのように平然と歩く。


「ここはな。うちらの地上の街並みを意識してる。態々街の真ん中に川を通す景観を作ってな。かなり難しいな。塀の人の技術とは思えないな」


 キャシーはこの崩壊した街を塀の人のものだと断言する。


「うち、実家は鍛冶屋でな。黒鉄扱う結構有名な石元なんだけど、黒鉄って大体1500年くらいの石なんだな。種類は違うけど、この瓦礫、2千年より短いってことはないと思うんだな」


 キャシーの言葉に、ソドムが土の人は意思を弄れば年代がわかる種族だと注釈する。ライドは単なる慣れじゃないのか? と肩をすくめる。


『2千年だと、私の頃、自称してきた神の押し売りの時代だと、神代の時代だね。私たちの街を守っていた巨獣もよく神の乗り物にされてたよ。巨獣と話せる神官がいなくなったからね』


 ライドはそんな昔のこと考えたこともないと、肩をすくめる。


「でもここ探すのは辛いわな。かといって叫ぶのも怖いしな。どこ探そうかな?」


「今は動く人影はないぞ。それに出てきても蛇程度だ。呼びかけを試してみたらどうだ? いるならこの辺りという考えに同意する。10人ほど下に鉱物の類の獣がいる。俺2人分の大きさだ。鉱物の類はようがなければ動かない。キャシーの仲間が通ったあとに来た可能性は先に考える程可能性は高くないはずだ」


 見えない場所への言及に、キャシーは疑問を口にするが、ライドは「目だけが視界を得る手段じゃない」と笑う。


 ライドはソドムの助力なしで答える。


『君はもう言葉をモノにしたのか?』


「簡単な言葉の羅列ならな」


 と、キャシーが突然足を滑らせた。ライドばひょいと襟を掴み比較的平らな場所に下ろす。


 しかし、キャシーが動かない。


 ライドがキャシーの顔を覗き込むと、表情は強張り、目は泳いで、瞬きを忘れ、掌で顔を覆っていた。


「ま、ま、ま、まず」


 震える唇から音が漏れる。


『死が、死ぬ。やばい。怖い。足、足が、動かない』


 ライドは一つため息をつくと「精霊術かな?」と呟く。


 精霊術は感情を誘導できる。どんな言葉でも甘く響かせれば頷かせやすくなると。


「恐怖に駆らせれば動けなくできる。それはあくまで誘導だが、慣れてない者には効果が高い」


『キャシー女史は土の人なのだろう? 土の人に精霊術は効果が低い。それが私の常識なんだが。とりあえず戻らないか? キャシー女史はこの時代の数少ない協力者だ。失うには惜しすぎる』


「だがキャシーの望みはこの先にある。精霊の流れは〈力〉の動きで追える。原因を片付けたほうが早い」


『君の2倍の身長といえば巨人だぞ?』


「さっきの粘性体は5倍」


 ライドば苦笑する。粘性体の外観について、誰も言葉にしていなかった。


 ライドは瓦礫や水の上を足で掴み、駆け抜ける。地面に張り巡らせた〈力〉の上を脚の裏で掴む。広い空間は戦士の歩法の難度が下がる。すぐに直径大人10人弱の大穴を見つけると飛び降りる。下はすぐに平坦になり、巨大な芋虫が通った跡かのような道がいくつものびる。


 ライドは小さく、複数の人の通った痕跡があるとのべ、その迷路のような道を当たり前のように進んでいく。


「なんだ? 入った途端地面の中に〈力〉が生まれた。下の縦穴よりまだ下だ。何かの縄張りだったらしいな」


『準備は? 行き当たりばったりに見えるんだが、頼むから安全にいってくれよ? ライドが消えれば私はまた闇に放り出されるんだからな?』


 怯えたソドムの声にライドは「準備なら済んでる。あとは相手を見てからだ」とあくびまじりに笑う。


「ソドムは蟻や赤子の中に迎えにいくのに何を準備するんだ? 本人確認程度じゃないのか? ま、足元の〈力〉の群れには注意する。動けば逃げるから心配するな。そろそろ目的地、半球の空間だ。端が崩されてるが、これはこいつが作った空間か? 意思を伝えてきた。ソドムみたいな話し方のやつだ」


『もう見つかってるのか?! なんていってるんだ?』


「交渉というより独自ルール説明かな? 聞く意味ないぞ? 強者がルールを科すのは逃さない為。弱者なら時間を稼いでもその言葉に意味がない。従えば逃げ道は無くなるんだからな」


『向こうのほうが格上ってことじゃないのか?』


「力は隠すものだ。あれはそれを探れない程度。気にしないでいい。それよりここは血の臭いが強い。発生源はバラバラだ。場所も、形もだ。あれの遊びに付き合った結果だろ。言葉を話す獣は俺の済んでる場所だと珍しいんだが、よく会うな」


 ライドの前には半円の崖に囲まれた円形の天井と平らな地面が広がっていた。そして中央ではなく、反対の壁側に微動だにしない影が一つ鎮座している。


 武器のように黒光りする硬質な鱗。股を開き、踵を揃えて爪先立ちで座る。長い腕は胸元で指先を上にして交差し、その指先には刃物のように鋭く長い爪を持ち、指を揃えて伸ばしている。爪の長さが大人の顔より長い。指と爪だけで、ライドの上半身はあり、正面からは見えないが、その背中側には2本の腕が畳まれていた。手足、体、全てが細くて華奢だ。その細長い顔の口には下向きの長い牙が並び、顎を隠す。頭には後頭部側に2本の湾曲した角生える。


 体重は見た目の10倍はある。石より硬い何かの塊。座位でライド2人分。折り畳まれた長い足を伸ばして立ち上がれば、ライド6人分を超える。


 ライドは微風と吹き抜ける音を残してその異形の足を拳で掴んで見る。もちろん、優しくではない。


 動き始める異形を持ち上げて横に放り投げる。異形の科したルールが後ろの壁を叩けだった。念のため、ルールに従ってライドは後ろの壁を崩してみる。


 何も起こらない。

 そんなものだろう。


 ライドは肩をすくめると、あたりに転がる鉄の塊、武器を物色する。先ほどの異形の足に触れた感想は、「硬い」だ。〈力〉の流れから察するに、表面の鱗は打撃の衝撃を分散させる能力が高い。細く縦に長い体躯は関節が柔らかく、威力を逃すのが得意らしい。素手で殴ったのでは、こんな弱い相手に粘性体並みの時間がかかる。引きちぎった方が早いくらいだ。しかし、今足元には、犠牲者たちの武器が転がっている。ライドはそれを振るってみたいと思っていた。


「まさか人と獣の争いだとは思わなかったんだ。悪かったな。仕返しはしておく。仲間も連れてくる。弔ってもらう。そのくらいしかできないが、武器は使わせてもらうぞ」


 ライドの周囲に精霊の気配が集まり、火柱が立つが無視する。周りの石が煤ける程度の制動の甘い精霊術は、ライドの〈力〉の範囲内では毛皮すら焦がせない。


 鱗の巨人の勢いのついた長い腕は、長い足で踏み込むと大人10人を超える長さになる。しかし、弱く遅い。硬いだけ。粘性体の腕の方が余程早く、威力も高い。地面を豆腐のように鱗の巨人の切り裂く爪は埃は埃のようなものだ。体に触れたところで、ライトの体が揺れることはない。当然怪我などない。


 周囲に青白い光が走る。しかし、ライドは綺麗だなと思うだけだ。


 鱗の巨人が異常に気がついた。そして、ライドも武器を選び終え、棒の先に角張った太い板を重ね合わせた武器を数本手に取った。


 選んだのは戦棍だ。叩く。その使い方は見てわかりやすい。何より打撃は衝撃で相手の時間を奪える。この点をライドは好んでいた。


 鱗の巨人の体が上下に分かれて宙を舞う。硬かろうが、体の体積で分散しきれない衝撃を受ければ砕けて四散する。石はその容量が低く、水は高い。


 しかし、条件を満たせば結果は同じだ。


 ライドは振るった戦棍を確認する。棒の部分が少し曲がったが、宙を舞う鱗の巨人の体を別の方向に持ち替えて殴ると問題なく使えた。脅威の硬度と粘りの両立。あり得ないと思ってきた素材がここにある。それを加工するこの地の技術にライドは戦慄した。


 粉々になった手足の長い鱗のわ巨人が、空気に溶け込むように消える。


 同時に11体の鱗の巨人が闇から染み出すように姿を見せる。〈歪〉だ。〈歪〉を利用する獣。故郷でそれができる多くはない。


 ライドが再び戦士の歩法にはいる。


 9体の胴と足が宙に分かれて飛び散った。そして程なく空中で粉々に四散して降り注ぐ。残る2体も同じ運命を辿る。


 ライドは体の回転を逆回転と使い分け、狭い範囲で戦士の歩法を維持するように務めた。重戦士の発する衝撃と合わせれば、一瞬の停止もできる。持てる経験と技術は全て注ぎ込んだのに、その直径は大人2人程度を縮められなった。


 ライドは眉を顰める。身体機能は今考えられる最大限だ。本来なら〈力〉の総量をすべて注ぎ込んだ状態だ。


 それでいて〈知覚〉や用途の多い戦士の歩法を維持できているのに、この程度。ライドはすでに致命的な欠陥を確信している。その上でできる限界を探った。なのにこの程度なのか。時間と経験を共にした技術や経験がごっそり削られ消えてしまった。その現実にライトの心を虚無感か襲う。


 だが、ライドはすぐに気持ちを切り替える。戦士にとって自分に対する評価に価値はない。戦士の矜持と呼ばれる鉄の掟は、集落で暮らすための指針だ。しかし、守るべき故郷のない戦士にとって、矜持に何の意味があるのか? ふと感じた疑問が脳裏に張り付く。

 

「終わった。戻る」


『そう、なのか?』


 ソドムの誰何の言葉に何も返さずライドはキャシーの元に戻った。


 キャシーはけろっとした顔で、手を振り、走り寄ってきた。暗闇をものともしない。明かりは周りを照らし出すのに不十分だが足取りはしっかりしている。


「ライドが何かしてくれたんだな!? いきなり圧迫感が消えたなっ。ても、なんかライドは臭いな?」


 鼻をつまみながらも喜ぶキャシーに、ライドはおそらく酷な結果だと告げる。


 血の臭さの理由。キャシーは顔を青ざめさせたが、しっかり頷いて先ほどの場所までついてきた。


 武器や頭蓋骨の数から、全員殺されたと確認された。


 逃げられないのはおかしいが、先ほどのキャシーの様子が答えだと考える。恐怖で判断を鈍らされた。このライドの仮定にキャシーは同意する。


 キャシーは幾つかの変わり果てた姿を抱きしめた。そして、一つ一つの頭蓋骨に別れを告げる。その後で袋に遺品を集め始めた。


 ライドは、供養のための手段を聞いたが、手伝いは要らないと断られた。


「仇討ってくれたな。ありがとう。形見は集めたな。こんな場所で時間を取るのは危険だわな。ライドが何を相手にしたのかわからないけど、こんな焦げたばかりの地面や傷跡見れば、長居はやばいことくらいわかるわな」


 キャシーが見せた遺品集めは、ライドにとっては異様な風景だった。が、それが土の人の流儀ならばと別のことに集中した。


『長居したと思うぞ?』


 ソドムの指摘の通り、すでに次の食事時は過ぎている。


 性別もわからない死者の部位が多いがキャシーの話では多くは男で女は3割ほどだという。キャシーは時々思い出話を語っては咽んでいた。血生臭さは身体機能が弱ければ意識の危うい水準だが、キャシーは平気なようだ。身体機能が生来高いようだ。その骨格の成せる業か。


「うちらの部隊ってな、元貴族が多いんだな。だから信頼が高くて、終戦後も色んなことで声をかけてもらえてたな。それでも、最近は争いも少なくてな。傭兵団としての維持に困ってたんだな。今回の大仕事は全員で動く最後の機会だって言ってた。でもどう見たって無謀だわな。洞窟に塀の人が入ってどうするのかいな? でも、みんなで考えて、相談して、ここまでは最高の結果を残せたんだな。誇らしいわな」


 そう話したキャシーは、仲間の最後に納得いかないと何度も呟いていた。最後にこんな終わり方はないと。


「そうか。他に気になることはないか? 散らばる仲間が方々に集められていることとか。この場所に俺が倒した相手はずっと座っていたんだ」


 ライドの問いにキャシーは首を傾げただけだった。


『何が気になるのか、教えてもらえないか? 私は見えているものが識別できない。気になって仕方がないんだ』


 ソドムの問いに、ライドは難しいな、と呟いた。


「下から上がってくる力は、故郷では生贄を使った精霊術より強い。それが無数だ。キャシーの仲間を生贄にした程度では得られないと思うんだが。だが近くに大きな〈歪み〉があって、〈歪みの獣〉がひしめいている。死者を生贄にしたことに違いはない」


 〈歪み〉。時折話すライドの言葉をソドムは理解できない。それはキャシーも同じだ。2人とも視界の外の話をするライドの特技の一つとして括っている。


「急いで帰った方がいいな?」


 少し寒気を感じたように腕をさすり、キャシーが荷物をまとめる。血のにおいの強い荷物だが、戻って手入れをすれば、その臭いは抑えられるという。


 その途中、大空洞と化した遺跡の中央で、キャシーは寒気に体を震わせた。


「寒さじゃないな?! 私にそんなもの感じる特技、ないんだけどな?!」


 堪えきれずにキャシーが声を荒げる。震えの理由は恐れだ。


 ライドはキャシーに少し上を示す。そこには、啜り泣く声と子供が宙で縁を描き、常にこちらに体の正面を見せながら笑っていた。


「鳥の翼を持った赤子。御遣いだわな」


 キャシーの言葉にライドは「とり? つばさ」と首を傾げる。


「模倣だ。あれは生き物ですらない。浮くのは雲や精霊だけと相場が決まっている。キャシーを蹲らせた鱗の巨人の亜種と言った方が近い」


 ライドは興味を示したソドムに簡単に状況を説明する。


『赤子の模倣ね。キャシー女史は御遣いだと言ったんだな? 笑顔でキャシー女史に恐れを振り撒くあたり、貴族的だな。極論、親の愛情も可愛いと感じるから生まれる利害関係。貴族は利をもたらす存在には常に笑顔を向ける。恐怖を感じる鋭さは重要だ。実験道具には手間暇も金もかける』


「なんだか、怖い話だな。きぞく? 俺にはわからない意味合いみたいだ。だが、舌なめずりが聞こえそうな赤子もどきが現れたとき、キャシーは塀の人は好意的だったといってた。今も操作しようと精霊を動かしているようだ。塀の人と土の人に、精神的な差は感じないんだが精霊の成り立ちは違うらしいな。そして俺は塀の人に近いらしい。操作される気はないが」


 キャシーはライドの影に隠れていたが、不意にライドの毛皮の裾を引き、赤子の模倣を指差した。


「なあ、捕まえられない? そうしたら山岳の悪魔の最後の仕事が達成で終わるんだな。みんなも浮かばれる」


 しかし、キャシーの言葉が終わるより早く、うっすらと闇に光を放って浮かぶ赤子の姿が変化した。


 口元に笑顔をはりつけたまま、眉間に皺を作り、眉を逆立てる。


「指差されるのが嫌か」


 キャシーは短く悲鳴をあげる。あたりの地面から無数の金色の光が差し込む。


「キャシー、投げるぞ」


 ライドは「見つかってもすぐに喰われたりしない。ましだろ」と説明にもならない言葉を口走りながら、キャシーの首根っこを掴んだ。


 ライドの手の先からいきなりキャシーが消える。赤子のような翼の生えた存在が目玉を動かす。



 投げられたキャシーは踏み潰された猫のような声をあげながら、不思議な景色の中を通過した。その間、その目はライドを捉え続けた。


 地面を跳ね回るボールのように転げるまで。


 石に打ち付けられ、全身の痛みに唸り声を上げたキャシーは周りの自分を呼ぶ声に、そこが逃げ延びた仲間が集まる中継地点だと知る。


 何故? 駆け寄る2人の塀の人男を見ながら、キャシーは背中の荷物の無事を確認して安堵した。


 頭に聞き覚えのある声か響く。


『静聴せよや。静聴せよや。神の御心ぞ』


 それは御遣いが空をかけ、この洞窟に吸い込まれたあの日に聞いた。複数の音の重なりだった。



 キャシーを放りると、ライドもまた地面から金色の光の原因が現れる前に、赤子の模倣の前から姿を消した。


 数百に増えた赤子の模倣があたりを探しに飛び回る。


 その様子を監察する。ライドは〈歪み〉を通って別の空洞に移動しただけだ。〈歪〉を認識できるなら、目と鼻の先にいる。〈歪み〉を重ねて遠くに飛ばしたキャシーはの芸当は曲芸だ。〈歪〉を通せる距離は命の数に左右される。対して今は単純に一つの〈歪〉の反対から半身を突っ込んで覗き込んでいるにすぎない。


 〈歪〉の闇の中では、獣の頭蓋骨と、ギョロリと光る目がライドを見つめる。その姿に体はない。あるのは亀の前足のような手の骨と頭の骨。


 歪みの獣だ。それが数十。


 ここには上下はないが距離はある。折り畳まれた空間の先々に別の景色が広がり、意識を向けると空間全ての道の見え方が変わる。移動手段として便利だが、真価は障害物を無視し、気配を殺して移動できることにある。この利点の通用する相手には無類の強さを発揮する。つまり狩のお供だ。また戦士にとっては空中での足場としての利用も重要だ。


 数十の歪みの獣が集まる様子は異常だ。しかし、ライドは〈歪み〉の獣を気にしないし、〈歪みの獣〉もライドに近づかない。


 普通は一匹も見つからないことの方が多い。この現象が引き起こされる原因に心当たりはある。


 観察するライドの目に、赤子の模倣の動きは皆一様に映った。目や体は同時に動き、同時に止まる。

 

 〈知覚〉で捉えたその数は、万に届く。ライドは周囲に届く限りの〈力〉を〈知覚〉すると、ため息をつく。一つ一つの〈力〉が粘性体の親玉と比較して遜色がない。対しては耐久力はない。石を投げても通り抜けるが、力を込めた拳なら通過するだけで消えると確信する。


 攻撃特化。脆さを数で補う獣。


 個々に別れているのも耐久力を補うためか? 衝撃で時間を奪えない。水でも単体なら衝撃で一時的に押し留められるが、個々では範囲外の個体に打撃の衝撃は伝わらない。同一の精霊が元になっているのは見て取れる。復活能力としても働く仕組みだ。しかし、その素である精霊を砕けば良いと知っている。ライドにとっては馴染み深い特性でしかない。


 中々厳しい相手だが、〈歪み〉を認識していない。いつでも隠れ、休めるということだ。ライドは口元を緩める。


 何事かを話し続けるソドムに会話の中断を伝え、ライドは初速から戦士の歩法で駆ける。時間の概念のない精霊に、時間軸の差は生まれない。精霊は常に相対する存在の時間軸に倣う。しかし、数十の個体が一瞬で四散した。


 身体能力の差は、正面で相対する限り絶対だ。獣が子孫に求めるものは知恵より体の強い個体である理由でもある。


 ライドの体の強さは、上限まで行き届いた身体機能の強化と合わさり、戦士の歩法がなくても風の壁の向こう側で怪我を負わない水準にある。目すらだ。


 敵意がライドに集まり、壁面から染み出すように赤子の模倣が補充される。全てをこの場で埋め尽くせない。これも本体を同一の精霊の塊に頼る獣の特性だ。精霊に時間や距離の概念はないが、こちらに具現化すれば影響を受ける。肘と肘をくっつけては歩きにくいように、距離の概念が生まれた精霊には心地よい密度が生まれる。


 赤子の模倣が浮かべるのは無邪気な微笑み。それは自分の優位を疑わないが故にではない。単なる造形だ。


『静聴せよや。静聴せよや。我は神の御遣い。御心ぞや』


 赤子の模倣が同時に歌い、周囲に黄色い炎柱が数十本立ち上る。赤い熱の光が足元の石や土を、粘性の高い液溜まりに変え、天井から赤い雫が垂れる。


 手足の長い鱗の巨人とは比較にならない熱量。人が作り出すなら多くの生贄を必要とする精霊の塊が具現化している。しかし、ライドは気にしない。どのみち直撃しなければライドの戦士の歩法の壁は越えられない。その間にも数百の赤子の模倣が消える。さらにライドは時折足を止めて見せては挑発し、日柱を誘う。面を作って襲いかかる火柱だが、〈歪み〉を利用するライドには関係がない。単なる隙だ。


 すでにあたりは溶けた岩の流れる炎の光で照らし出され、輝いてすらいた。


 その景色が突然、急激な冷気と共に蒸気で塞がれる。溶けた岩は黒く塊り、光の消えた空間を闇が支配する。足元の液だまりが氷になり、周囲に暴風が吹き荒れ、呼吸が急激にキツくなる。洞窟での人との戦い方を知っている。


 これだから知恵のある獣は始末に負えない。ライドは内心で愚痴る。


 長引けば上方にも影響がでる。


 知恵は獣に対して人が用いる武器だ。数倍の数、数倍の力、それが準備された罠の前でゼロになる。しかし、少しでも知恵が回る相手に対しては、罠では仕留めるのが難しくなる。補助として隙を作る役割が中心となる。


 ライドは繰り返される風の膨張、収縮にさらされ、強引な戦士の歩法の運用を余儀なくされる。足の張りを感じ、休息の時期だと判断する。赤子の模倣に苛立ちと戸惑いの気配が漂い、隙も大きくなった。潮時だ。


 だがライドは休息を断念する。突然、火柱の中に白い柱が混じり、冷気の質があたりの空間まで凍りつくような異質なものに変わったからだ。躱したはずのライドの皮膚が焼け、急激な冷気に足首がとられる。


 暴風が破壊的な烈風に変わり、瓦礫が壁に吹き飛び地形が変わる。さらに地面が激しく上下に揺れ動き、戦士の歩法の維持ができない。


 攻撃の頻度と精度が増した。


 赤子の模倣が自分の攻撃に高揚しているのが伝わる。敵自身の把握していない変化が起きている。


『神の御心ぞや』


 頭に鈍痛が走り〈知覚〉が霞む。


 下からだ球体の〈力〉の塊が登ってくるのが明確に〈知覚〉される。距離は大人千人弱分。


 一千人の距離?!


 ライドは距離と鮮明な〈知覚〉に驚愕する。本来なら、戦闘時に維持できる精度ではない。


 ライド自身の身体機能は相変わらず上限。戦士の歩法への〈力〉の配分に不足はない。さらに〈知覚〉が強化された。


(俺の、俺の力が! 内向きの力がなぜ外にあるっ!)


 絶えず使い続ける自分のものだからこそ、見つけられた変化があった。戦士の歩法を維持する外向きの〈力〉より、なお広く、薄く外に漂う内向きの〈力〉。


 内向きの〈力〉は身体機能の向上のために使われ、命を維持する全てを賄う内臓のようなもの。


 〈知覚〉の争いでは〈力〉の差し合いが牽制の手段になる。〈力〉の制御を狂わせて有利を手に入れる。この差し合いは外向きの〈力〉で行われるもので、内向きの〈力〉は普通考えない。干渉できれば決着を生み出す一手だが、それだけ干渉できないからだ。内臓を直接引っ掻き回すようなもの。


 死ぬ。ライドは命の危機を感じるとともに、この間抜けな結末に自分を呪う。


 故郷を捨て絆を捨てる。封印されれば2度と会えないと知りながら受け入れ、皆の願いを優先したというのに、〈あれ〉の残滓さえ掴めず死ぬ。


 ここが技術も道具も全てが自分の想像より高い世界だと知っていたのに何故こうも危機感が薄いのか。


 間抜けな自分への怒りが溢れたとき、ライドの〈知覚〉の視界に別の景色に重なった。赤黒い霧。洞窟の入り口。肩口に感じる妹のか細い呼吸。それは幼き日の記憶。死と隣り合わせのライドを悩ませ続けた心の外傷、消えない幻影。


(克服したんじゃなかったか)


 長らく見なくなった幻影に悪態をつく。見なくなったのは克服したからではなかった。認識外の死を意識する必要がなくなったからかと理解する。


 地面が細かく、大人の身長ほども波を打つと、ライドの戦士の歩法が止まる。ライドは重戦士の衝撃で炎や氷の柱を相殺する戦い方に変更する。衝撃の発散を中心とした戦い方は、より強度の高い戦士の歩法を超える壁を作り出し、指向性を持たせて衝撃が相手の動きを阻害する。狩における相手の弱体化を図る要だが、衝撃の影響の及ばないほどの格上からは逃げることも叶わず食われるしかない欠点がある。壁役は、相手を見誤れば自分だけは逃げられないということだ。それ故に臆病になる。


 赤子の模倣の攻撃は全方位だ。しかも途切れない。指向性を持たせる本来の重戦士の戦い方はできないが、ライドは経験と技術でカバーする。


 その離れ技に観客はいない。ライド自身にとっては然程珍しくもない対応だが、重戦士と軽戦士を併用しつつ、さらに重戦士の衝撃を〈知覚〉で感じた方角に反射的に放射する。その激しい衝撃が、遠く離れた天井の一部をも崩し始める。


 ライドは崩壊は振動のためだと理解する。〈知覚〉に映る巨大な塊はすぐ下だ。真円の穴が地面を溶かし、何百もの赤子の模倣が、金色の紐を引き上げながら地面を突き破る。爆音と共に地面を崩し、粘性体の親玉に似た姿が引き上げられる。粘性体より大きさは一回り小さいが、〈力〉はより強い。それが半透明の金の繭に包まれて蠢いている。その体は液体は液体だが、武器と同種の鉱物が溶けたもの。それが刃を作り出してはまた溶ける。


 この異形は地上に放たれてはならない。ライドは機械的に判断する。


 ここはライドの故郷ではない。しかし、人の営みがある。ライドが集落を失い、地上を彷徨い、そして、再び集落を見つけた時、この判断は願いであり、ライドにとっての絶対に変わった。その強い想いが〈知覚〉を塞ぐ幻影を払い除ける。戦士の矜持にとって、集落の維持が何より優先される。ライドはその理由に命を差し出してでも同意する。


 雑念が消え、目的への最短距離しか見えなくなる。〈歪〉に映る地面を足がかりに、ライドは戦士の歩法に達して空を駆ける。地面でなければ振動は関係ない。そのまま白い柱が皮膚を焼く痛みを無視し、進路上の6体の赤子の模倣を屠る。


『とまれよや? とまれよや? お前の誰かが死んでしまうよ?』


 赤子の模倣の声が脳裏に響く。精霊を用いた強制力のある言葉を遊びと一笑する。興味を覚えない。


 ライドは繭の底に逆さに着地、繭を引き裂き、人の頭程度の穴があける。黄金の繭の中身、金属の液体が露出する。ライドは右腕を深々と突き刺す。腕は金属の液体が作り出す硬質な刃でズタズタに切り裂かれ、裂かれた肉が捕食されるのがわかる。


 今のライドに繭の中身を退けるに足る身体機能はない。


 それでもライドは〈手〉を生成するために集中する。この身体機能なら、細い子の体でも〈手〉を生み出すだけなら、なんとかなる。しかし、時間はかかる。間に合うかは賭けだと思った。しかし、迷わない。無意識に間に合うとわかっていたから。


 ライドの口から唸り声が上げる。右腕に多数の血管が浮き立ち、青い筋が首や右頬に広がり、右目から出血する。腕の骨が砕ける。それが激痛になるより早く、ライドの右半身から霧のように血が噴き出す。体が〈手〉の生成で生まれる負荷に負けた。


『誰に死んで欲しいの?』


 苛立ちの混じったくすくす笑いが重なる。行幸だ。苛立ちは隙でしかない。ライドの口元に笑みが浮かぶ。


 敵は常に優秀だ。守るものがあっては目的は果たされない。なのに態々隙を作るというのだ。呆れた若造だと思った。


 ライドの背中に数十の白い火柱が直撃する。〈手〉が生成するライドにそれを阻む手段はない。しかし、ライドの背中は火傷で爛れただけだった。赤子の模倣はこの火柱で骨まで焦がしたと信じ、ライドはこの怪我を命に届く怪我だと集中を増す。


 そして、〈手〉が生成される。


 繭が内側が膨れ上がり、ついでに膨れた部分が陥没して凹む。


 粘性体によく似た存在は、小さくしぼみ、繭の隙間から液だれとなって抜け落ち、縦穴を落下する。赤子の模倣はその後を追う。


 ライドは左手で右手を押さえると、落下する繭から離れ、脇の下を抑えて右腕の止血をする。感覚はあるが無残だ。肘から下は肉が骨に沿って縦にこそげて骨が露出し辛うじて繋がるが、指1つ動かない。ライドの身体機能を持ってしても腐ると直感する。切断するしかないがそれは後だ。落とせば体の均衡が変わる。それは熟練した戦士長がありえない隙を生み出すほどのものだ。ライドも自身を例外と捉えない。動かなくても腹に服で巻きつけて固定する。


 赤子の模倣は全てが潰れた粘性体を追って下に降りた。しかし、半数以上は残った。その取り留めもない思念は言葉を形成できず、和かな造形の笑みから滲む怒りが見て取れる。しかし、尚その視線は自分の優位を疑っていない。


 ライドは無表情に視線合わせる。


 抱える問題は2つ。内向きの〈力〉の露出に気が付かれないことと、そして、赤子の模倣がこれ以上のライドの〈力〉の抽出に思い当たらないこと。


 あの繭の再構築に戻るはずだ。


 ライドは赤子の模倣の目的が先程の眉だと確信する。今残る赤子の模倣は邪魔をするライドの排除だろう。これまで赤子の模倣が本気で他人を排除しようとしてこなかったのは、あの繭、または中身への慢心と自信だ。


 しかしそれが崩れた今、赤子の模倣は地上へと続く道を確保するために動くと見る。キャシーの望んだ赤子の模倣の地上への連れ出しに繋がるだろう。


 この地の地上か。ライドはかつて一瞬垣間見た、見た色鮮やかな景色を思い出す。赤黒い霧の晴れた世界は眩しく、青く、美しかった。キャシーの話を聞く限り、〈そら〉というものは青く、赤黒い霧のない世界なのだと想像する。


 地上への憧れと興味が強くなる。

 

 地上での暮らしはライドの故郷では夢だった。ライドは時を超え、それは実現していると信じたい。しかし、楽園を見て語りあった夢とは違う。キャシーの話を聞くライドは、故郷ではあえて考えないようにしていた懸念が強まったことに内心、ため息をついていた。集落が滅びに瀕せず、周りに人しかいないなら、富を奪い合う相手は同じ人だろう。当たり前にも思える結論だ。小さな集落ですら

平穏が続けば人同士は争うのだ。人同士の命の価値が下がるのは当然か?


 だからこそ、故郷を知る前に地上で生きることへの現実を体験したかった。この技術の発達した人の作り出す集落を見たかった。 


 そのためには一度、この赤子の模倣を全て下に下がらせなくてはならない。キャシーとその仲間が地上に戻る時間を稼ぎ、説明や便宜を受けられる環境を維持しなくては見たのもがわかりませんでした、で終わりかねない。


 ライドの〈力〉を自分の〈力〉に上乗せできる相手だ。常に格上だ。欠陥を抱えたままでの長期戦など自殺行為にしかならない。ライドは遠巻きに囲う赤子の模倣を前に簡単なストレッチを繰り返し、赤子の模倣の行動に合わせて戦士の歩法を再開した。


 

「我々山岳の悪魔には最早戦線の維持はできません。ご帰還のご決断を」


 汚れ、傷ついた兜を小脇に抱えた初老の戦士が恭しく片膝をついて控える。その所作は鍛え、傷に塗れた様相とは似つかない美しさがある。


「生き延びた我々が安全に引き返せる相手は多くはありません。この洞窟で自由に動ける戦力である土の人は参加しますまい。状況が変わっていないことは、我々も確認しております」


「それはセリーヌ様への侮辱か? 仕事を失敗したから計画を白紙に戻せ? 虫が良すぎる。打開策は? 手ぶらで謁見を願うとは信じられないな。貴公は元貴族だろう? 長い傭兵生活を過ごすと常識も忘れるのか?」


 30代半ばの甲冑の男が、不機嫌を隠さず初老の謁見者を叱責する。


 上質な装備と高い騎士の技術を習得した証が胸に揺れる。戦士として初老の男より上の地位を示す証だ。


「言葉が汚いな。サミュエル。主人の許可なく発言していい場ではない。これは主人の認めた正式な謁見である」


「・・・・・・はっ」


 30代の男は短く返事をすると、彫像のような直立の姿勢に戻る。サミュエルと呼ばれた男を諌めたのは、恭しく控える傷だらけの戦士と年齢の近い初老の男だ。装備や階級は30代の男と同じだが、指導的な立場で諌める。


「ハリー殿は補給4隊の隊長でしたね」


 そんな騎士の間に彫像のように座るのは、所作の美しい女性だ。歳の頃はサミュエルと呼ばれた騎士と同じ、30代半ば。こんな岩肌に綺麗な布や調度品を持ち込んだ場所に似つかわしくない高貴な威圧感を遺憾無く発する。それは計算と修練で積み上げられた振る舞い。貴族が貴族として身につける身分証だ。


 動きやすい長袖にズボンの姿。それはこの場に必要な実益を優先しているということ。実益より立場を優先させる貴族子女の役割としては珍しい。


 意匠に飾られた陶器のよう。美しく、飾られることに価値を見出したかのような姿だが、発された声には熱い血の沸るものだ。その声と併せて見れば、その目や口元は確たる意思と自分への信頼に満ち溢れていると思い知らされる。


「はっ」


「方針を決めるのは第一隊。あなたではありません。第一隊の行く末をあなたは見ていない。なのにその死を確信しているかのようない振る舞い。要らぬ疑いを私に?」


「そのようなことはございません。我々が遭遇した敵は喰らった相手の姿を模し、複製を作る異形でありました。その中に第一隊、隊長モーゼス以下、第二隊を含みました。全員ではありませんが、実式での捜索でも姿は見られません。我々の目的は御遣いへの道を整えることですが、それ以上に傭兵として必要な義務がございます。それは依頼主の安全。生き残りが合流した時、すぐに動ける体制を整えるため、お目通りを願った次第」


「ここは御遣い様によって浄化された地。化け物など存在できようはずもない。いよいよ作り話まて持ち出すとは」


 再び口を開いたサミュエルに、すぐに叱責が飛ぶ。


「ハリー殿。報告は承りました。お下がりなさい」


 セリーヌと呼ばれた女性は、丁寧に指先をハリーの背後に向ける。


 返答を含まない指示と所作は、貴族の意思表示としてはかなり強い拒絶だ。権限のない提言に聞く価値はない。言外にそういっている。貴族の所作や服飾には多様な意味が込められている。それは貴族は尊重されるべきという基本理念がもたらしたややこしい副産物だ。しかし、貴族の常識や謁見はその副産物の中で動く。貴族との会話が知識のない者を排除する理由だ。


 ハリーは短い返事と共に引き下がる。


「何がしたいのか、傭兵はわからん」


 サミュエルは仮面の下で舌打ちする。


「その傭兵がいなければここまで辿り着けなかった。お主自身、大見得を切って助けられたこと3度。こんな狭く足場の悪い洞窟でなければなどと言い訳にならない言葉を繰り返すなよ? 破格に広いこの洞窟だが、こんな悪条件で戦えるのは傭兵の中でも彼らだけだ。精鋭などその力をほとんど発揮できない」


 山岳の悪魔が異名の通り、彼らが特殊なのだ。初老の男はそう続ける。不便な場所を地の利に変える。慣れている。それが傭兵だが、彼らは群を抜いている。七年前の南北戦争では、北の通商連合の英雄、カーンを討ち取るほどだ。


「私はあの子に同意する。セリーヌ。移動の用意を」


 何もない空間から凛と陶器の端を弾くような声がする。


「熱と振動、風が強い。私とレンドレルの制御を外れてきた」


 この狭い空間のどこに隠れていたのか、突然、壁際から唾の広い帽子に、植物を編み込んだ外装を意匠を凝らした木製胸当て姿の、10代後半の少女が現れる。濃緑色の外套や衣装に、先ほどの紺の装備。わずかに露出する指先や唾の下から覗く顎は白磁の如く白くなめらか。


「精霊の制御に2人いながらですか? 起きていることを把握できていますか?」


 先ほどとは打って変わり、中央に座る女性が平素な声と素振りで問い返す。この洞窟内で快適に過ごせるのは、彼女ともう1人の精霊使いのお陰だ。


 鍛えられた戦士は環境にも強くなるが、一般人はそうはいかない。この洞窟には不思議な風の流れがあるが、それでも常に底冷えし、体調を維持できない。しかし、現実にこの天幕は実に快適だ。洞窟なのに調理に火を使うこともできる。


「下に精霊が近づかない場所が生まれた。ここから3km外だと岩壁が赤と黒を繰り返してる。風は嵐。熱がどちらかに偏ったらセリーヌは死ぬ」


「お前もか? 耳長! 仕事がこなせないから計画を変えろだと?」


 黙れと言われても幾度も口を開くサミュエル。耳長と呼ばれた女は気にせずセリーヌと会話を続ける。


「精霊術では生み出せない熱。長老や学院の古い同族、それに一部の塀の人ならできる。でも彼らではない」


「耳長風情が、私を無視するのか?!」


「いいげんにしないか、サミュエルっ。お前は次の帰還者として地上に戻す。退出し、準備を。数日以内にキルケニーの来客があるのは覚えているな?


「私は健常だ! 私に落ち度があるのなら、それは耳長に精神を乱されているのだっ」


「退出を命じたはずだが?」


「っ‥‥‥申し訳ございません」


 感情を殺した声で謝罪し、サミュエルは鎧を鳴らして退出する。


「不名誉ではない。8ヶ月だ。サミュエル家の名誉は守られた」


 背中にそう言葉を贈られるが、若い騎士は聞く耳を持たずに去る。


 セリーヌはそんなやり取りを見ながら上品に微笑む。先ほどのような彫像らしさはない。側近にしか見せない姿だ。


「サミュエルは地上に待つ者がいる身。これで良い。それはそれとして、ティパーツ。下に精鋭と相当する相手が複数いると言っているようですが、どんなに困る相手でも意思あるものの争いにすぎません。時間はかからないでしょう。範囲を絞って効果を維持できますか? 様子を見ましょう」


「帰らないの? なら私が弱音は吐けない。お姉さんだから。わかった。ここを守るだけなら余裕」


 大きな鍔から覗く白磁の唇が、呆れたように言葉を紡ぐ。そしてまた、壁に吸い込まれるように消えた。


「サミュエルではありませんが、私も耳長は好きになれません。この調査での奴等の功績は認めますが、セリーヌ様のこの頑固な拘りも奴らの仕業に思えてなりません。彼女は学院のご学友でしたな?」


「ええ。彼らは彼らの思惑で人に近づいています。ですが実式は我々に最早なくてはならぬもの。精霊の仕組みを解することで明らかになり、人の手で操る手段が増えました。ですが精霊を知る者でなければ進まない分野が消えることはありません。数学、薬学。古い学問も今なお研究され、終わりはないでしょう? それにしても、あなたも不注意ですよ? ティバーツが我々の話を聞き漏らすと思いまして?」


「‥‥‥彼らに環境の大小は関係後ない。精霊に最も近い生き物でしたな。ですが、セリーヌ様にもご帰還願いたい。それは私の本心です。戦時中に家族を亡くし、先の短い私とは違います。セリーヌ様は地上から我々に下知すれば良いのです」


「使命が突き動かすのです。私とて日の光は恋しい。ですが後々のため、穏やかな日々を迎えられるよう血を流すのは我々貴族の務めです」


 セリーヌは、厳かに目を閉じ、右手の手首を折って指を胸につけるすぐさを見せる。そして、「さて」と柏手を打つと、貴族の所作を感じさせない軽やかな動きで、公務は終わりと告げる。女性としての時間だと。


「人には適度な楽しみと息抜きがなくては続きません。お茶の準備を、メーナ。あなたも休息の時間です。山岳の悪魔は帰還し、護衛の任を継続すると言いました。いつも通り監督者に任せなさい」


 そそくさと侍女と腕組み、奥へと消えていく主人を見送り、初老の男はそっとため息をつく。


「ジュヌなどに降嫁などされず、ご活躍を期待ておりましたぞ。長くお仕えするものとして」


 王家の第6皇女。初老の男にとって、セリーヌの頭脳は予言と同じだった。彼女は貴族の争いの中でも全てを統べるだろう。そう思っていたというのに、十年前、戦時中に未亡人となったセリーヌは、突如、ジュヌ教という小さな教会の司祭に嫁入りした。しかし、初老の男にとって、この降嫁はセリーヌの才能を無駄にするのものではなかったことは認めている。「使命」「責任」と言った奇妙な動機が気に入らないが、まるでチェスを指すように、彼女の目的への行動は冴え渡った。


 今回の「御遣い」捜索などまさにその結晶だ。「御遣い」の護送が主目的ではないことなど、裏を見てきた初老の男にすれば明らかだ。


 長年、〈封印の地〉と呼ばれ、人の立ち入りを拒み、貴族間の争いの犠牲者が葬られてきたこの洞窟は当たり前のように〈動く死者〉の巣窟になった。人の寄り付かなくなったこの地に〈御遣い〉が潜り込むと、封印の地の古い記録を持ち出し、古の都ベルローレンの地下都市の噂を広め、学院を通じてレドール侯爵の歴史好きを利用し、遺跡と発掘に興味を持たせた。同時に統一国家を揺るがす暴動へと発展した〈御遣い〉騒動を収めるべく、この洞窟でレドール侯爵を相手とした発掘目的に動いた大商人、ハッシュベル商会の、商売相手としてのレドール侯爵との間を、落ち目だった南部のサミュエル伯爵家を抱き込んで潰した。売り先がなければ骨董品などゴミだ。この販路を奪い、大商人ハッシュベルを手駒に変えた。暴動鎮圧で疲弊したローレン子爵はこの地下洞窟を版図に入れているがためにジュヌ教の聖地にされていた。集まる人と相次ぐ暴動の火種。子爵の疲れと弱みを背景に、〈御遣い〉の招待という夢のような手段を承服させた。許可をハッシュベルに出すようにだ。こうしてハッシュベルが独自に出資し、準備した調査、陣地、傭兵と言った全てを販路を奪うことで総取りにした。


 初老の騎士はその悪辣さに驚きながらも予言ののような行動力に舌を巻くとともに、方針と勝敗の決着地を選ぶ〈後衛〉として、セリーヌ様が世代を代表する策士だと確信した瞬間だ。軍事方面に偏った軍神レドール侯爵など相手ではないと。


 初老の男はセレ国統一の立役者、レドール侯爵を嫌ぅている。それは珍しいことではなく、南部では主流だ。


 初老の男は天幕から外に一歩足を踏み出す。天幕の防音の実式の範囲外に出ると実に様々な音に晒される。広さでは小さな村ほどもある縦長の空洞に、所狭しと天幕が張り巡らされ、料理屋、色町、劇場、賭博場と言った娯楽場がひしめいていた。本来なら上流階級向けの劇場と色街や賭博場がこんなに近くに並ぶのは地下の狭い空間ならではだ。


 この洞窟で日常を取り戻すには、こう言った設備が必要とされた。だから許された。


 ここはハッシュベル陣地。


 洞窟の調査の進捗に併せ、補給路とともに下へと移動する生活の場だ。


 実式の光に満たされ、雰囲気作りや調理のための火が制限なく使われる地獄の真ん中に存在する楽園。


「これが統一国家の力」


 初老の男は統一という夢を支持する。敵がいない、そのことへの弊害を認識しるが、人の敵は人だけではない。しかし、どんな敵が現れようと人は人と奪い合う。騙せるから。弱味を把握できるから。都合の良い手軽な相手を探せるから。最もよく知るが故に、戦う前から安全に勝ちを用意できるから。なくならない争いの大小を問うより、この大きな力がなし得る現実に夢を託す。


 足首が痛い、腰が痛い。


 歳だと言いたくはないが体は正直だ。心は老いた自覚はないのに、身体に気遣って動くうちに老いに慣らされていく。もう2度と回復しない絶望と、回復に期待するほのかな希望。そんな初老の男の残りの人生を決める転機がこの調査だった。


 そして、翌日、山岳の悪魔の生き残り、第4補給隊の本隊の帰還し、一刻かすぎた時、変化は訪れた。


 激しい振動と崩れゆく地下遺跡の中から、金色の光が差し込むと連絡があった。男が到着する頃、現れたのは輝く口の裂けた赤子の姿が2つと、皮膚や肉を垂れ下げ、骨の露出した右腕を抱える大男だった。


「御遣い様! セリーヌ様を早く!」


 そう叫び、召使を主人の元に送りながら、初老の男はその場から前に進めずに決着を見届けた。


(あれが、御遣い様なのか?!)


 姿形は記憶の中そのものなのに、輝く赤子の姿にギョロリとした目が、怪物にしか見えなかった。かつて空を仰ぎ見た時には至福を讃えて見え笑みが、陶器で作られた造形だと見て取れる。2体同時に動く目は不気味でしかない。


 その手が光るが、何かをする前に大男に左腕で薙がれ、膝で潰され、そこにいたのが幻であるかのように消える。


 それを行った大男は肩で息をしながら、初老の男の方に目を向けると、その場に座り込んだ。


 大男は腕のみならず右の首や耳と目の間からも内側から噴出したような裂け目があり、衣類のなくなった上半身には2割を超える火傷が見られた。腰紐に結かれたズボンに相当する衣類は黒い毛皮を巻いただけ、靴も履いていない。


 味方だと思ったのか? 違うだろう。初老の男の周りには武器を抜いた兵士達が御遣い様を害した害虫を駆除すると息まいている。初老の男は無意識に彼らを制止していたが、制止しなければ突っ込んでいたかもしれない。


 いや、どうだろう? 初老の男が一歩も進む気になれない。まるで物理的な壁があるかのようだ。


「ゼフ様、数日前報告した武闘派結社の生き残りに似てますっ」


 前に歩かず、横にずれるように近づき、初老の男に報告する。彼はハッシュベル陣地の治安を預かる責任者だ。ローレン子爵領からではなく、セリーヌ様が王都から借りて来た腕利きの衛兵。彼は数日前、補給部隊を襲った街の下層街を牛耳る武闘派結社と争いになったが、その時、毛皮に身を包んだ大男に鎮圧した武闘派構成員の解放を迫られたという。


 結果どうなったのか? 東の縦穴と呼ぶ巨大な空洞を、その大男は跳ね降りて逃げたと報告する。縦穴の幅は並みの戦士が飛び越えられるような距離ではない。精鋭か、そこに迫る戦士だ。だが、それほどの相手なら衛兵では蹴散らされると確信できる。捕らえた構成員は皆連れ去られたことだろう。でも、現実はそうなっていない。


 このハッシュベルで捕縛する構成員を解放しに来る様子もなかった。


「ゼフ殿!」


 今度はなんだと視線を声の主に向けると、先日、セリーヌに謁見を申し込んだ傭兵団の生き残り、ハリーが10人ほどの傭兵を連れて近づいて来た。ハリーのすぐ後ろにいるのは顔が見えないほどの丸い、細くて弾力のある植物の茎で編んだ帽子をかぶって、下半分しか見えない少年と、樽としか言いようのない骨格でありながら、軽々と跳ね回る土の人だ。傭兵団の専属商人だったか? その3人だけが、初老の男、ゼフの元に近づき、残りはまるで座り込む大男への壁になるように最前列で相対した。


 彼らは動けるらしい。慣れか?


「重い風が上がってきた」


 初老の男、ゼフの耳に声だけが届く。幼い少女の声。聞き慣れてしまった声に鼻を鳴らす。


「繰り返すが我らの礼儀では不躾だ。また声だけかっ」


「我らの礼儀をお前にわかりやすくいうなら、今回は塀の人への義理だ」


 先日、セリーヌ様との謁見の場に現れた森の人と違い、時間や感覚のズレを感じない受け答えだ。それでもこの声の主が森の人には違いない。


 精霊には時間や距離の感覚がない。その言葉は単なる言葉遊びではない。森の人を退かせるにも、とらえるにも、昔は精鋭でなければ不可能と言われていた。時代の流れが克服する技術を産んだとはいえ、相変わらず精霊の影響を超えたものでなければ困難には違いない。


 森の人の強さの根幹は精霊に尽きる。自身の能動的な行為なら、全ての行為て結果を選べるということ。悪魔と呼ばれる異界からの来訪者と同じ特徴だ。だから森の人を悪魔と同列に見る風潮は強く、公言する領地や教会がある。


 結果を選べるとはどういうことか? 例えば腕を切り落とされたとする。しかし、その腕は傷ひとつなく存在する。切ったという事実がなくなり、勘違いになる。矢を放たれたとする。避けたはずの矢は脈絡なく目の中に突き立つ。避けたことが勘違いになり、動く的の目を射抜く神業が残る。


 起きうる可能性から結果を選択できるということ。対抗するなら気がつかれずに死をもたらすか、可能性の存在しない状況を作るかだ。


「この状況は変えられない結果と信じたいが示せるか? レンドレル」


「私も繰り返そう。自分以外の結果に影響を及ぼせるのは勝負ごと程度だと。結果を変える力はない。そしてあれは人ではない。災害だ。下手なことは考えるな」


 起伏こそ少ないが、苛々が伝わる感情豊かな声だ。森の人は気長で感情に乏しいと誤解されやすい。時間の感覚が長すぎることと、表情のない造形のせいだ。ゼフの知る森の人は子供のように好奇心旺盛で気が短い。


「いうではないか。結社の構成員には見えんかな」


 大男は座りながら下を向いているが、何かを必死に探っているようにも見えた。が、それもしばらくすると収まり、大男の顔が気の抜けたぼんやりとした表情に変わると周囲の圧も消えた。

 

「ゼフ殿っ!」


 人波を掻き分け、再度ハンスに呼びかけられる。


「あの者との交渉は我々に任せてくれないか? 先日話した私たちの命の恩人だ」


 その提案への拒絶はすぐ隣から吹き上がる。ハッシュベル陣地の治安責任者からだ。


「法螺をふくなっ。あれは結社の人間だっ。我々が捕縛し、然るべき罰を与えるっ」


「悪いが問答は受けんよ。我々の恩人への侮辱はうけん。ここで違いに鉄錆を増やすことも厭わん」


「なっ! 我らの権限を犯すのか!? 領主様への反逆と見做すぞっ」


「さて、まずはゼフ殿のご判断を仰ごう。私ども3人の命の恩人であるとと共に、我々、山岳の悪魔にとって、仲間の遺品への恩人でもある。我々には妥協も容赦はない。全てを賭けよう」


 和かに話しているが、ハリーの目が笑っていない。狂気に溢れているだけでなく、そのつもりで話をしている。それは仲間との話がついていることも示唆している。前線で起こった狂気から日が浅い。彼らの精神状態は危険だ。


「衛兵の出番は、傭兵が失敗した後で問題ない。山岳の悪魔が制御できるならこの場を任せる。その後の処遇はセリーヌ様に判断を仰ぐぞ?」


 瀕死の犯罪人、そう不満を叫ぶ衛兵隊長を、ゼフは強引に肩を組んで黙らせる。レンドレルはあの大男を結果を選べない相手と示唆した。だから、セリーヌ様ではなく、ゼフのところに来たのだと。戦う以外の判断で解決しろと。言葉は通じるのだろうと思う。


 みると大男は唇を小さく動かしてしきりに何かを話している。誰と話しているのか?


「セリーヌ様だ」「セリーヌ様」「こんな場所にどうして」


 金色の刺繍をあしらった正装の貴賓、セリーヌの到着だ。


 御遣い様への敵。そんな殺気立った雰囲気が急速に和らぐ。


 自分達と一緒に危険に従事する元王族、セリーヌは神にも近い尊敬を集めている。自然と道が生まれ、跪く。


 その道の中をハンスの後ろに控えていた髪の逆立つ土の人の女と、顔が見えない丸い被り物をした少年が、簡易の謁見を従者に申し込みに走る。


 その不敬な態度が、傭兵団がまわりと馴染めない理由なのだが、この傭兵団は大半が元貴族という変わり種だ。事情を知らない多くの者にはそう見えてしまう。ゼフはため息をつく。本人たちもわかっていないわけではない。ただ、貴族は優先事項があれば効率を優先するよう教育される。


 ハンスも肩をすくめてゼフに道を開く。悪いなとくちびるが動く。忌々しく鼻を鳴らして返す。


 ゼフは急いでセリーヌの元に向かう。何を提言したのか知らないが、軽々しく謁見を許すわけにはいかない。しかし、セリーヌもまた、貴族らしく効きを感じて礼儀より実を優先させた。離れた位置からゼフに手を挙げ、謁見を許可すると合図する。


 これでまた仕事が増える、ゼフは心の中で歯噛みする。軋轢の対処は治安責任者や商隊の責任者の仕事だが相談の窓口はゼフになってしまっている。


 これは護衛の仕事ではない。


 しかし、上に対して雑談で情報を伝えられる護衛騎士は相談役にされ易い。特にこんな洞窟で突っぱねては、調査は勿論、護衛の任すらままならなくなる恐れがある。それではセリーヌの信頼を得られない。つまり増える仕事を容認しなくてはならないということだ。


 だからこそ、今回の人選は柔軟で潰しのきく人選を行なったはずなのに、柔和だったサミュエルは最早言葉を口にするのを抑えられないほど参っている。


「一つ確認があります。キャシー。あなたが託した手紙はあの者が手に入れたもの。間違いはありませんね?」


 所作は柔らかだが、断固としたもの。そして珍しく焦っていた。


 セリーヌの正装の理由は自ら呼び寄せた賓客、護衛の騎士団を連れて来たキルケニー伯爵の次男シャビを迎えるため。にも関わらず正装のまま現れたのは焦りに他ならない。ゼフの要請だけなら着替える時間は十分にある。


 セリーヌが計画変更を余儀なくされる何かが起きている。


「ゼフ殿も実式で彼を見てほしいですね」


 幼い声で語られ、ゼフは考え事から現実に戻る。丸い顔の見えない被り物をした少年が、小振り樫のき木の杖を指で器用にまわす。


 高価な実式の元素代替道具だ。


 ゼフも実式の嗜みはある。実式を動かすために必要なものは3つ。象形図、元素、そして2つを繋ぐ触媒。


 触媒は大抵血が使われ、象形図は基本の記された紙を元に脳裏に描く。しかし、元素は自前では用意できない。よく使われるのは蝋だが、資金があれば少年のように樫の木の杖や、セリーヌ様の指輪と言った元素を蓄積すること道具を用意することが多い。


 セリーヌ、そしてハリー、土の人の目が実式の反応を示す輝きを持っていた。


 ゼフは頭を振る。実式による精霊の元となる物質界の依代、元素の感知を行っている。しかし、ゼフはこの場で同じ景色が見れるほど習得していない。


 その表情は一様に感嘆と険しさが同居している。


「彼はライドって言うんだけどな。周りに膜が覆ってて、それも意思を持ってるんだな。名前はソドム。ソドム=ゲシュタット」


「その話ぶりだとまるで二つの意思があるように聞こえるな」


 ゼフは苦笑まじりに間違いを訂正したつもりだったが、土の人の女は間違いはないと肯定する。


 学院でこの世のあり方、精霊術に長けた森の人の長老からの知識を思い返すなら、意思は塊として安定できない存在であり、必ず肉体の主導権争いが起きる。そして、敗れた方が霊として精霊の源、元素に還る。その世界のあり方に反している。


「ゲシュタットといったか? ミラジの生き残りか」


 ゼフはわかる部分の疑問を口にする、ゲシュタットとは、統一戦争終盤前に脱落したミラジの旧支配者の家名だ。


「そう、旧ミラジの領主様だな。ミラジの存続や家名を気にしてたけど、残した家族のその後が気になって仕方ないみたいだな」


「あの少年には結社の仲間の疑義がある。分離して捕らえられればいいのたが」


「私は反対だな」


 トサカのように髪を逆立てた土の人が隣の16歳を名乗る少年を見る。


 丸いひだの集まった帽子の下の目はゼフからは見えないが、首を振って応える。彼は少年だが伯爵家の人間だ。そして、あまり知られていないが、家を出ているが、低位の継承権を維持している。つまり、親、伯爵の意向で動いている。


「彼自身が我々の命の恩人であり、傭兵隊最後を看取った相手です。傭兵団は最上級の礼を尽くします。そのような考えはよくよく吟味の後てお願いします」


 少年の断固とした言葉に落胆する。これが伯爵の意向とは思えない。単なる子供の宣言だ。しかし、その意向をセリーヌが支持を表明する。


「ソドムトノの特異性は言うに及ばす、あの少年も同じです」


「わかりました」


 ゼフは一礼で自身の疑問を頭から除外するが、眉を顰めて首を振る。


「実式の欠点だな。情報が早すぎる」


「扱う側の選択肢と手段が増えたということです。情報の重要性はまだ貴族の間でもその価値を掴みきれていないんですよ。楽しみじゃないですか」


 16歳とは思えない微笑を口元に浮かべ、少年は「我々に直接の交渉役をください」とセリーヌに直言する。


 倍は年齢の違う元王族であり、この調査の後ろ盾に対して不躾な口の聞き方だ。身分がどう変わろうが、持って生まれた血の位は変わらない。


 しかし、正式な場ではないこの場では、互いに貴族であるなら別の意味が含まれる。セリーヌ様は指揮官でも責任者でもなく、同行者だ。対して今はキルケニーの第二位の継承権をもつ次男が指揮可能な軍事的な兵力を揃えて訪問している。そうなると指揮権は自動的により位の高い貴族に委譲される。この場合、セリーヌ様が用意した傭兵や治安の責任者ではなく、キルケニーの次男に指揮権と責任がうまれる。


 この少年は傭兵だが、発言は立場としては兄の直接の代行者として扱われる。それがわからない子供ではない。


「こんな場所で時越えの秘術が行われることはありません。学院に確認しています。全てはあの大男を覆う膜、ソドム=ゲシュタットの特異性に起因していると考えます。情報封鎖の可否は現場判断に委ねられましたが、そういう水準で動き始めたとお考えください」


 少年の断定的な直言に、セリーヌは柔らかく承諾と、手を差し出して任せるとの仕草を見せる。


「交渉はディーン殿に。その報告は細かくお伝えしてください。依頼者として私は同行しております」


 交渉は任せるが、雇われ側の判断は許さない。そう言っている。貴族として、どちらが筋違いか? セリーヌだ。しかし、セリーヌの不興を買う危険は、後ろ盾に領主がある程度で避けられるものではない。キルケニー伯爵自身は統一国家セレの立役者、〈後衛〉として、〈補助〉として海千山千の猛者だ。総取りができるような相手ではないが、目の前にいるのはその子供だ。


 ディーンと呼ばれた少年は、帽子を取ると、一拍置いて「勿論でございます。傭兵団、山岳の悪魔はあなた様の手足にございます」と恭しく貴族の最上位の礼を返す。口では傭兵団の立場を述べながら、その対応は平民のそれではない。二律背反。貴族の返答の中ではよく見られるが、それを使いこなすことは簡単ではない。だがゼフは自信があるのだろうとため息をつく。


 この少年は傭兵団のお飾りではない。学院で高等生への試験資格を飛び級で獲得した天才であり、中等生退学後の傭兵団でも補給管理や物資補給に並々ならぬ手腕をみせ、辣腕の〈補助〉としてゼフは認識をあらためている。


 噂など年齢を見れば鼻で笑われる類のものだ。どんな天才でも人同士の関わりからしか学べないことは多い。


 天才は既知の条件から組み立てる能力に秀でた者を指す。その力は与えられた課題解決に絶大な力を発揮する。


 しかし、その条件、現状を作り出し、支えるのは常に家族や日常生活という要素の中で生きるその他大勢であり、その行動は喜怒哀楽に塗れ、天才の思い描く綺麗に整った想像の中には存在し得ない、だから若造は若造でしかないのだ。


 しかし、傭兵という日常で生活するこの少年は、喜怒哀楽に塗れた世界への理解を実績で使ってみせた。


 大男と言っていい少年を改めて見る。身の丈は2m前後、そして、その露わな上半身は均整の取れた逆三角形の筋肉の塊。戦士としては油を絞りすぎに思えるが、筋肉の筋がわかるほどの絞り切った体躯で石切作業者の中でも目を引くほどの太さを持つ。なぜ均整が取れているのか不思議なほどで、ある種の芸術品だ。


 焼き切れた黒い毛皮は腰巻きの役割しか果たさず、靴もない。泥まみれで血まみれ。この少年自身の出自にも多いに疑問と興味をそそられる。


 その目は虚空ばかり凝視し、殺気だった集団を気に留めていない。それでいて物理的とも言える強制力で、誰も前に出させない。意識を向けない殺気の使い方などあり得ない。膜と表現されたソドム=ゲシュタットの影響たろう。


「ライド殿、覚えておりますか? 私たちは先日助けて頂いた者です。キャシーとはその後も共に行動したと聞いています」


 少年ディーンは助命の礼をよく通る声て語り、大男の側で深く一礼する。衆人監視の中での初手は大切だ。最も重要なことを内外に示す最高の機会。当たり前だが、普通は位の高い者の意義を伝えることが求められる。


 しかし、ディーンはこの機会をこの大男の少年の警戒を和らげる御機嫌取りに使った。


 独り言が始まる。


 最初、一言大男は口を開いたが、あとはディーンの言葉と、時々土の人の女キャシーの言葉が響くだけだ。


 ソドムは声を発しない。


 ディーンのよく通る声は訓練で身につけたものだ。聞き手を惹きつけるには、声量と滑舌、そして音程が重要だ。貴族は幼い頃からそれを訓練する。言葉回しの回しの妙と、訓練の賜物で、周りが静かに会話を見守る空気が生まれる。


「ソドム殿。あなたには我々にとってお迎えするべき客人を手にかけた嫌疑があります。私達はソドム殿を反逆罪に問います」


『自衛のためなら神を弓引くことが許されるとでも? 先程の方々は御遣い様です。偉大なるジュヌ神のご加護を受けし、ジュヌ教の使徒です」


 ディーンの言葉に、ゼフは訂正を要求する。ディーンは一拍置いて「国の礎たるジュヌであらせられます」と言い直す。


 少し背中が震えたところを見ると、笑っているようだ。


「概ねその通りです。ソドム殿はゲシュタット家の出身で伯爵位。2代目、皆にわかるよう、肯定ならこの少年を頷かせて下さい」


 ディーンの言葉に少年が頷く。ゲシュタット家、そして2代目。これだけで分かる者には重大なことだとわかる。


 ゲシュタット家は28代にも渡るかつてのミラジの名家だ。その2代目は失われた歴史の生き証人であることを示している。


 精霊術による時越えは肉体の限界から300年を超えられない。500年以上前の記録はミラジにしか残らず、1,000年の寿命を定める森の人がミラジ周辺以外では、500歳を超える者がいないのだ。全て死んでいる。その謎の解明は貴族の命題の一つだ。


「旧ミラジ伯爵殿。ご生還のお祝いを申し上げます。元の領地の返還は致しかねますが、私も貴族に連なる1人。祖先に当たる御身の帰還には胸が熱くなります。ソドム殿は見えない、だからこの少年の意思を残している。回りくどい言いまわしは不要とは強烈な優先の意思表示は受けたまります。少年のこれほどの怪我、僕なら気を失う自信がある。その治癒を探るためにここにいる。ご主張を要約するとこんな内容でよろしいですね?」


 ディーンはソドムとの言葉をまとめながら会話を続ける。聞こえるように語ることがセリーヌ様への報告を兼ねているつもりらしく報告に戻る様子がない。


 和かに静かに佇むセリーヌから、不機嫌な気配がひしひしとゼフに漂っている。なんとかしろとの催促か? だが、ゼフとしても困る。



「ソロ国? 聞き覚えがありません。〈巨牛の守護せし都〉ミラジ。その呼び名も同じです」


 ディーンは情報を整理する時間を欲してか、会話の内容を単純に反芻する。


「ありがとうございます。ではソドム殿。我々の要求をお伝えいたします。この地に封じられし魔を滅ぼし、平和をお与え下さる御心に害意を持って応えた罪に対して、自発的な贖罪を求めます」


 ディーンの言葉の後に、長い沈黙が訪れる。ソドムの反論だろう。しかし、ディーンは断固とした口調で続ける。


「罪を償う唯一の手段です。ご自身の罪を謙虚にお考え下さい。神の愛は無限でも、人の慈悲は有限です』


 芝居かかった言葉だ。相手には治癒を求める弱みがある。交渉に置いて、見せていい手札ではない。


 そんな失策をしつつ文句を言う口にするのを元伯爵に、本当に伯爵なのかと疑問を持つが、昔は陰謀の水準も低かったと納得する。


「反省の意思がおありのようだ。清き赤子。背に純白の羽をお持ちになられる天の御遣い。ソドム殿にも聞こえたはずです。慈悲深き御言葉が」


 ゼフは脳裏に響いた「傾聴せよ」と喚いていた声を思い出す。


「聞こえなかった、と。残念です。お聞きになられれば、その御心の理解に大きな助けとなったことでしょう。今はただ償うことです。」


 ディーンはそう言葉を残すと、初めて、セリーヌの方に歩み戻り、簡易に謁見を申し込む、


「あの腕は切落とすしかないでしょう。制御の面でも安心です、ですが、ここであの存在を御身に従える機会でもあります。ご確認を頂きたく」


「私にあの者を預けると?」


「今後の話合い次第でしょう。ですが、この場はセリーヌ様のみと判断します」


 深く最上位の礼をとって傅くディーンに、セリーヌは和かな笑顔のまま、間を置き、考えを巡らせる。


「ソドム殿は治癒とあの少年の処遇についてなんと言っていますか?」


「見た目のの通り、他人への移動はできないようです。それゆえに少年の処遇については強い呪いの言葉を持っております。死に物狂いで守る。何者にも容赦する気は無い。神、赤子、王、貴族、全て例外はないとのこと」


 不敬にすぎるが、自分の価値をよくわかっているとも取れる。嫌な相手だ。


「私の元にお連れなさい。試してみましょう。可能性があります」


 ゼフはセリーヌの言葉に疑問を覚える。報酬を求めず試す。恩を売るともいうし、次に繋げるために印象をよくする手段ともいうが、これは現状の敗北、または目的未達を受け入れる行為だ。セリーヌの嫌う一手だ。


 しかも目の前の男は御遣い様を害した存在だ。セリーヌに従うと決めているか、ゼフの胸の内がざわめく。


「ゼフ、私のお願いはいつ叶えてくださるのですか?」


 柔らかい声。しかし、復唱のないゼフに向けられるセリーヌの目には叱責がある。ゼフは慌てて疑問を胸に閉じ込め復唱する。



「ゼフ殿。彼を連れ帰ればそれだけてこの調査の成功を強弁できるよ。伝説でしかわからない不老不死の手掛かりなんだ。存在そのものがね」


 不老不死、何を馬鹿なと思うと同時に、こんな場所に依代を持たずに存在し続けたソドムに寒気を覚える。常識の外の出来事だ。


「神の御意志はジュヌ教信者の前で粛々と伝えられるべきものです。御遣い様をお迎えする償いの意思をここへ」


 ディーンの言葉に少年はぶっきらぼうな仕草だが、素直に従う。立ち上がって動く。それだけの動作だが音がない。暗殺者として育てられたのかと思うほどだが、とてもそうは見えない。そして、その一歩、一歩、距離を縮められると周りで殺気立っていた群れが距離を取ろうと下がっていく。自然とセリーヌは傭兵、そしてゼフが1番前になる。セリーヌは側で跪く姿に赦しを与え、先導するように前を歩いた。セリーヌもこの異様な気配にあてられたのか、貴族らしからぬ行為だ。しかし、ゼフは気にしていられない。近づくだけで動悸や息切れを感じさせられるこの少年を拘束し、歩かねばならないのだ。


「我々にお任せを。彼から受ける圧力は彼への敵意への反射ですよ。この洞窟で見かける相手からはよく受けるものです」


 御遣いの浄化された地に悪魔はいない。そんなこの調査隊の意思に沿って、傭兵団は悪魔との直接的な表現を避けていた。


「任せる」


 ゼフは言葉を絞り出すように下知する。しかし、内心は疑問でいっぱいだ。


 この少年は悪魔に連なるものなのか? 

 喉が渇く。

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