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1-1 ある日


 これは光か? 視界がぼやけて白く見える。耳も聞こえが悪い。


 男は目ではなく感覚を使って周囲を〈見る〉。色のないその風景を、微かに映る視覚と空想が補正する。


 木々の葉が輝き、彩が踊る。水滴が輝き、風の味が清涼感を持って口や喉を通る。音を噛めば明瞭な音階が漣のように走るようだ。


「ボケっとしないで。これから飛ばすから。いいね?」


 そんな俺の頭を柔らかな手が挟み込む。自分の頭を見下ろす馴染みの深い顔がある。


 緑色の癖毛に白い肌、緑の目をした女だ。その成熟した色香と裏腹に、膨れた子供のような表情を浮かべている。


「頼む」


 男は短く答える。ほとんど意思のない条件反射のような答え。男にとって、必要と思えることなら、求めてられれば応えたい。それだけだ。その目に力はなく、何も考えていないことは周りから見てもわかる。目の前にいる女は、男の意識を確かめるように目を覗き込む。


「暫くお別れだ。千年を生きるお前にとっては然程長くないだろうがな」


 血の滲む口元から漏れる男の言葉に、女は少し安心したように一息つく。


「逆でしょ? あなたには一瞬でも、私にとって違うの、目覚めた時には共に生きる女だとは限らないから」


「それが見送る言葉か?」


「私を無視して周り見てる奴に言われたくないんだけど」


 女の背後側からは、地面が天まで捲れ上がるこの世の終わりの様相が近づいる。しかし、男は心配はしていない。仲間は強い。この女もだ。


 地面が捲れ上がる原因は、空の先にある景色の裂け目を目指して昇る白い歪な姿だ。こうして全身を見るのは初めてだ。いつもその一部を壁のように目の前にしながら戦ってきた。男の感覚の届かない遠くを飛ぶその姿に、改めて感嘆する。


 男の頭に少し強めの抱擁。目の前の女が男の出血で血まみれになる。女は身の丈の半分ほど浮いている。


 男にはもう〈あれ〉を追いかける余力はない。腕も足もズタズタ。しかし、男の並外れた体力が数日命を保証する。


「回復すれば戻ってくる。その時、あなたが必要だから。今のことは任せて。〈あれ〉の活動が始まる前にちゃんと準備してよ? 目覚めた先の人より、私を思い出して優先してよ?」


 女の軽い口付けに男の瞼は閉じる。身を包む暖かな糸は初めてではない。


 回復の繭。その心地よさに意識を失う。しかし、うたた寝程度の浅い眠りで目が覚める。普段ならこの糸から目覚める時は、熟睡した後のような快適な気分だけに、男は何かを失敗したのかと跳ね起きた。男が必要とされる事態が起きたのではないかと思ったからだ。


 しかし、目を開くとそこは真っ暗で、光のない地下空洞だった。


 景色の違いに急いであたりを確認する。まずは命を脅かす存在の有無。次に地形だ。


 周りに力はなかった。そして、集落に適した平面の空洞が幾つもあり、地上に感覚が届かなかった。地上で暮らすことに失敗したのかと落胆する。


 地上は憧れだ。食べ物、素材、光、熱地下では得難い全ての恵みがあった。しかし〈獣〉の楽園で、人は餌。呼吸するだけで蝕まれ続ける強い酸の霧が立ち込め、生きるのに向かない厳しい場所だ。その問題を一つずつ解決し、最後、あれを取り除けたと思ったのにまだ何か足りなかったのだろうか?


「どこだよ」


 覚えのない地形だ。声の調子、体の調子。寝不足のような感覚以外は快適だ。怪我は完治した。


 目覚めたということは、〈あれ〉が戻ってくるということだ。伴侶はそう言っていた。動くのに早すぎることはない。


 男が視界の代わりに広げる技術は、故郷の集落で〈知覚〉と呼ばれている。地下で暮らすためには必須の技術だ。地下は行き止まりが多く、狭く通りにくい地下水脈を通らねばならないこともある。なければ溺れて死ぬ。


 その範囲は子供でも半径大人の身長として1人から2人、優れた戦士なら100人程は全周囲で把握する。死角はない。ただ遠いものは重なるせいで、距離が長くても見える範囲は然程広がらないのが残念な特徴だ。


 しかし、戦士にとっては違う。地上の獣相手にするためには距離が必要だ。自分に影響を与える〈力〉の移動や存在が、いつ、とこに、どこから、現れ、自分にどう被害を与えるのかを瞬時に理解できる。さらに自分の身体機能を正確に知った上でなら、どの抵抗でどのように結果か変わるのかすら想定できる。距離が必要なのは、どんなに理解が早くても、自分が認識できなければ意味がないから。獣の攻撃は物量だけでなく、早さも普通に風の壁を越える。体の大きさも破格で、人から見れば遠方、間合いの外からの攻撃が多かった。そして、男はこの技術に自信がある。平時なら半径大人千人分に及ぶ。幼い日に集落が滅んだ後、地上で生き延びたのも常に相手の先手を打ち、先手を取らせなかったからに他ならない。


(磯臭! それにこの滑らかな岩肌は? 水は上の地下水脈からか。先に地下湖があるな)


 男の〈知覚〉には細い柱が立ち並ぶ様も見える。普段なら自然の産物とは思わないが、今自分の手の届く範囲に異質な岩の成れの果てがある。


 だから無視した。男はそこまで確認して、少し息苦しさを自覚する。


(大抵のやつは窒息するな。ここは風が流れてないのか?)


 男は気を落ち着かせるのに一つ息をついた。少なくともこの世はまだ続いている。まずはそれでいいだはないか。


 今いるのは男の身長の5倍の高さ、幅は3倍程度の細い滑らかな柱が立ち並ぶ行き止まり。先は水没した下に捻るように続く穴があり、大人100人ほどでまた水の上に出る。道はまだ奥へと続いている。


 上下で動き回る〈力〉の小さな存在にも今一度集中する。人の形はしているが人ではない。埋葬が不十分で霊に操られた成れの果てだと思う。〈知覚〉では色はわからないし、凹凸も離れるほどぼやけるが、その関節の固まったかのような動きには馴染みがあった。


 墓地か、滅んだ集落の廃墟か?


 男は窪んだ岩から体を起こし、踏み出す。そして、その第一歩目で違和感を覚えて、立ち止まる。


 歩幅が短い。足だけではなく、体全体の尺が若干小さい。触れれば身につける獣の鞣し革に随分余裕があるし、体全体が細かった。


(俺の丈が? 老いたか?)


 残念だが、できることは第一線て戦士として壁になることたけではない。割り切る。


 自覚がないまま、男は口元を綻ばせる。再び踏み出す足取りは軽く、好奇心が心踊っていた。


 身の危険のない未知の場所。食料となる獣は豊かだ。地上で1人で暮らした経験が、ここを遊び場で、宝探しの舞台だと認識させていた。


 男は動物の皮を鞣した服を縛り直す。悪いことばかりではない。地下での暮らしは体が小さい方が便利だ。


 妙に浮ついた気分を、男は今後の方針を考えることで気を引き締める。


(まずは協力者だ。歩き回れば人の住む場所もあるはずだ)


 封印が解けた。このことは伴侶の知るところだろう。しかし、ここまで探り当てるのは難儀だと感じる。すぐには合流できない。


(体と認識を一致させないとな。鍛錬で近づけるには違いすぎる。適当な獣を探すのにはやっぱり上に出ないとか?)


 男は慎重に行動しようと決める。封印された時間は長いのたと自覚する。


 凹凸のある地面を進む。


 〈力〉を広げ、地面を足が掴む。その感覚に問題はない。足元の小さな岩の凹凸は平に地面に広げる〈力〉で崩れて散らばる。その気になれば、指先一つ壁に接すれば、自分の体を垂直に振るのも大した作業ではない。地上に出る戦士として認められるなら普通のことだ。


(人が立ち入った形跡もない。放置されて長いな)


 あたりの地形から得たその確信と違和感を、心に押し込んで考えを逸らす。


 地下水に身を沈め、男の体格にとっては厳しい洞穴を、体をぶつけては崩して進む。それは男の望む姿ではない。地面に広げた〈力〉は、体が通れる幅に次元に粉々にして然るべきなのに、その速度も程度も圧倒的に低い。逆に身体や呼吸が楽すぎる。体内に入る前に水が必要な分風の状態に変化すれば十分なのに、先ほど目覚めた場所の10倍では効かないほど快適だ。


(身体機能に振りすぎ‥‥‥くそっなんで調整が効かない? まずいな。とても戦える状態じゃない)


 身体機能にこれ程〈力〉を割けば他が疎かになる。


 此処の環境が無意識に体にこの状態を強いたのかと疑問に思う。この状態が体に馴染んでいる。そして体の状態が分からない。


(子供が入れば死んだかもしれないな。長い上に曲がりすぎたし、突起が多い)


 地下水脈は元々危険だ。〈知覚〉が足りずに出口の見えない場所なら入るなど自殺行為。


 しかし、子供はそれをやる。幼い頃に溺れかけるのは誰もが経験する苦い思い出だ。


 水を出ると、男はむせるような腐った臭いに襲われ、鼻や口覆う。無駄に高い身体機能を調節して感覚をうすめるが、ゼロにはしない。5感はどれも生き延びるために欠かしてはならないもの。そう男の経験に染み付いている。


 奥に微かな光が見える。消えかかった赤い光だ。熱を感じる。しかし、人はいない。壁の凹凸が人に見えなくもないが多すぎる。しかし、多すぎるとの懸念の方が現実だった。腐臭を放つ人の死体が其処彼処に転がっている。全て五体満足ではない。欠損し、壁にもたれて死んでいる。経過時間はどれも30日は超えないが、同じ日にできた死体はないように見える。しかも、致命傷でありながら、ここまで来て動けなくなって死んだ。そんな姿だ。膨れ上がり、蛆と小蝿にまみれた姿はどうしても目を背けたくなる。


(動き出しそうだな)


 正式な手続きで埋葬されない死者は霊の住処になる。そして、あたりには白い浮遊物がすでに集まって見えた。


(これが、今の人)


 男は死体を見つめる。姿形は男の知る人と同じだろう。腐敗が進んだものは性別も年齢も分からない。


 外傷はが酷い。


 その体には牙とは思えない刺し傷、切り傷がある。足を中心に体の骨もぐちゃぐちゃだ。地面を調べるが、やはり運んだ相手の足跡がない。分からない。次に着ているものに注目する。獣の皮を剥ぎ、鞣した服ではない。何かで硬め、鞣されている。それを加工し、石並みに硬い黒光する何かで止められている。硬いくせになんと柔軟なものだろう? 思わず見惚れる。


 その下に着込む衣は柔らかい。足まで覆うが、なんの動物のどの部分を使ったものかわからない。


 蛆の湧いたドロドロに汚れた一品を洗って使いたいと思ったが、男には小さすぎた。男は冥福を祈ると、明かりの方に進む。その手前で、道の先に大きな空間をみつける。縦穴だ。この道はそちらに向かう程広くなる。


 とてつもなく広く深い。綺麗な円で垂直に上下に伸びている。天井は程なく〈知覚〉したが、底は見えない。


 灯は地面に転がっていた。素人でもわかるほど、元の形ではない。ひしゃげている。男は恐る恐る持ち上げる。中心から光が漏れ、油の臭いがする。男の知る灯りといえば松明だ。しかし、地下では使う場所を誤ると息が苦しくなる。それに対して、この光は煙がない。風を使う量も少ない。


 何と便利な。男は灯りに照らされた手を見ながら、ふと手に皺がない時がつく。先ほど潜った水たまりに戻り、今の自分の姿を確認しようかとも思ったが、水で膨れたたけかもしれないと気にするのをやめる。


 男の興味は自分よりいつでも周りにある。この明かりの側に転がる死体は、新しい。数日以内だ、白く濁った目の傍や口元から爪の先程の蛆が走るが、爪の半分ない。首は曲がり、左半身は骨が内臓に達する怪我がある。懐から何かを取り出そうとしたところで死んだ。そう見える。しかし、何故こんな体で動けたのか? 動きてきたような跡しか灯に照らし出されない。


 懐から顔を覗かせている何かをみる。白く薄いものだ。血で汚れており、折り曲がっても割れない柔らかさがある。


「使わせて貰う」


 灯を手に、男は死体に語りかける。すると虚空を見つめていた白く濁った眼が動き、死体の男と視線が合った。男はギョッとする。霊が入り込んでいる様子はないし、生きていたら恐怖しかない状態だ。当然呼吸などしていない。


 その死体が折れ曲がった首を動かし、体を揺すって動こうとする。しかし、その潰れた半身では動けるものではない。


 死体は手にした封筒を男に突き出すように手を出す。

 

 その周囲に、濃密な湯気のようなものが集まるり始める。霊だ。


 順番が逆だ。男は時間が常識まで変えたのかと慄く。


 目の前の死体は霊が染み込むと苦しげに震え、手に握っていた何かが舞い落ちる。


 男が拾い上げると、動き出した死体は急に視点を失い、視線から力が消えた。今度は意思のない目虚空に投げながら、その体か小刻みに震え始める。名もなき霊達が新たな体に喜んでいる見慣れた風景だ。


 男は軽く拳を振り抜き、動き出した死体の頭を粉砕する。供養か介錯のつもりだ。


 そして拾い上げた何かを手元の小さな明かりにかざす。託されたのだろうか? 見ず知らずの他人に託すとしたら遺品だろう。だが、残念ながら渡す先が分からない。この地の集落を見つけたら、その長に渡せばいいだろう。そう考えて付着した指先を篩い落として懐に入れる。


 頭部を破壊された男の体からは、白い霧のような霊体が染み出している。別の依り代を探す為だ。霊は頭に集まる。頭を失うと霊は新たな依代を探す。そして、この場所に候補が其処彼処に転がっている。


 男は埋めることを決める。それが故郷での慣わしだ。今の常識は知らないが、男にとって動き出した死体を放置するのは生者への冒涜だ。


 男は奥の縦穴に向かいながら、天井を観察しながら指先で穴を開ける。手は届いていない。〈力〉の塊を指先から投げただけだ。同格では微風にしかならない遊びでも、格下なら立派な攻撃はなる。天井を一部砕き、通路ごと埋める予定だ。上方の空間に影響を与えるつもりはない。あくまで天井の一部を落とす。これは男にとって一般的な作業だ。人が住めるように、岩盤を整え、新たな居住区を確保するのは戦士の務め。男は手慣れた手順で崩壊の規模を見積もる。


 暫くすると、縦穴の上から硬い物を打ち合わせる音が聞こえてきた、その中には人の声が混じっている。甲高い音。石では砕けるだけの〈力〉のぶつかり合い。数は25。この通路に転がる死体を思い出す。最大の損傷は落下によるものだと思うと合点が行く。切り傷や刺し傷はこの打ち合う大型の調理用具でできたものだろうか? 獣になんの役にも立たない小道具に思えるが、人が人に振るうには十分だ。その争いは人を意識して、獣を意識していない。


 その理解が男を慎重にさせる。


 男の時代でも他の集落との関わりは、同胞の存在への喜びよりも問題への懸念の方が強い。騙すからだ。しかし、故郷では人同士が殺し合わない暗黙の了解があった。奴隷として使役した方が余程為になる。


 音は程なく収まって聞こえなくなる。男は相手の〈知覚〉を潜るつもりでゆっくり動く。〈知覚〉に触れる感覚はないが、それは戦いの最中だからだと思う。


 縦穴は直径大人50人分。自然にできたものには見えない。垂直の円柱状で、壁面が滑らかだ。下は〈知覚〉を変形させて一方向に延ばしても辿りつかない。これ程の大きく均等な円柱に男は緊張した面持ちで首を振る。不気味だった。


 上は大人100人程度で天井があり、別の地面が横からせり出して、縦穴を断ち切っていた。周囲には苔が生え、この状態になってからも長い時間の経過を感じさせる。また、男と同じ高さの反対側に男の立つ穴と似たような道がある。縦穴が分断したように見える。


 男は縦穴の上を見上げる。男が立つ場所の真上は壁面は崩れ、光か漏れてる。人の存在を示す光だ。


 男は自分の立ち位置と比較して、落下の軌跡を推測する。あの穴から落ちればここに来ると。


 怒鳴り声が聞こえる。だが言葉が聞き取れない。耳が悪くなったか? 男は耳の穴を指で弄る。縄張り争いに人の生死をかける。なくはない。争う者同士も地上に出られない、戦士になれない者の小競り合いだが大っぴら過ぎる。食うに困ることはないだろう。この洞窟には蛇が多い。なら長の後継争いとか? 違うだろう。男は自分の経験からは可能性にたどり着けないと諦める。


 痛みを与えて脅している。

 猟奇的だと思う。


 男は意識をずらす感覚で、周囲の空間に浮かび上がる〈歪〉を探る。見えるのは周囲の空間が繋がる別の道だ。〈歪〉から通常の空間を見ると此方の世界は大きく波打って見える。その波の頂き同士を繋ぐような形で道ができる。行きたい場所を指定出来ないし、間にいる生き物の密度が多いと、波が小さくなって、近距離しか繋がらないが、〈歪〉の見えない動物を狩るには実に使い勝手がいい。


 男は手にしていた灯りを置くと、天井付近の〈歪〉に体を忍ばせる。掌を天井に当ててぶら下がる。


 確認したいことがあった。可能性はあるという理解と不思議と故郷のどんな離れた集落でも遭遇しなかった現実を。


 すぐ下の崩れた壁から聞こえる声が明瞭になる。耳が悪かったのではない。何を話しているのか分からなかった。おもわず目頭を抑える。


 このまま下にいる集団の後をつけ、集落で隠れ住んで会話を覚えるか? 


 隠れられ続けるのは楽ではないが、比較的現実的に思える。生活の形態や別の常識も見て確認できる。しかし、男は別の手段を思いつき、目を輝かせた。


 内心の慎重を求める結論とは真逆の行為だ。男はその誘惑に負けると、壁の一部を砕く。パラパラと音を立てて落下する。そして、下からは、予想通りの短い会話が生まれる。なんだ、どうした、何があった、みてこい、見てくる、その類だろう。それを記憶する。そして、当然、確認に来る。眼下に黒光りする硬質な被り物をする男の後頭部が現れる。上を確認するが、男は元いた通路に戻ってやり過ごす。岩を濡らす水は天井にはなかった。それを土と混ぜて黒くなった泥を顔に塗りつける。簡単な変装だが意外とわからなくなる物だ。


 壁の裂け目の奥から聞こえる単語は、状況を制限するほどありきたりのものになるはずだ。


 考えて実行する。男は口元を緩め、目を輝かせる。笑っていた。天井から崩れた壁に手をかけ、一息に崩れた壁の淵に降り立つ。


 強い血の匂い。天井にいてもわかっていいのではないかと思える強さだが、嗅覚を制限していたせいで分からなかったが、死体だけで12あった。残りは遠くに去ろうとしている。生きているのは8人。そのうち3人は足を尖った棒に貫かれ、血を流し、硬くて尖った一つの刃には当然1人の所有者がついている。


 真っ白な肌に茶髪の変わった容姿をした男が2人。残りは男と同じで褐色肌に黒髪の容姿だ。座らされた男は若く逞しい青年だ。筋肉が太く、相当な出力にも耐えられる戦士の素養の高い体躯だが、活かす気がない程、〈力〉は素人だ。


 人同士の争いに介入する気はない。戦士が集落で守るべき心得を故郷では矜持と呼ぶ。戦士は命をかけて集落全ての命の糧を守るもので、他の雑事に介入したり、気を回してはならない。唯一の例外が集落の存続に関する場合だ。この曖昧な一文が適当に解釈されることになるが、今は関係がない。


 この状況で、どちらかに加担しない道などあるだろうが? そう思えない。早々に退散するしかないが、どう解釈されるのかわからない。


 突然の来訪者に、今を生きる人は呆気にとられた顔をしている。


 男はなるべく和かに、泥を塗りたくった顔に笑顔を浮かべる。そして、右掌を左胸に当て、首だけ下に曲げる。男の常識ては、目上に対する礼だ。


「私はライド。ライド=フォン=クレイルともうします。初めまして。皆様の長にご挨拶申し上げたい。お目通り願えないでしょうか?」


 男は名乗る。集落の戦士長、母親のフォンと、生まれた時には既に他界していた父親のクレイルの子だ。下に妹が2人と弟が1人、兄が2人居た。ただ兄2人は生まれた時には他界済みだ。妹の一人は幼くして病に倒れ、もう一人の妹は目の前で地上の生き物に食われ、弟とは集落と最後を共にした。


 帰ってきたのは誰何と思しき反応だ。その声に強い警戒が滲む。


 名乗りすら伝わらないのか? ライドは試しに先程から繰り返されていた単語を口にして相手を指す。そして自分を指差して「ライド」と呼ぶ。


 名前なら誰かが反応するだろう。しかし帰ってきた反応は、血まみれで座らされる青年の笑い声と、勝者側の怒声と殺気だった。


 大型の石包丁のような黒光りする刃を男、ライドに向ける。敵意に晒され、ライドは縦穴に逃げた。


 悪い噂になるのは明白だ。得るものより損をした。


 ライドは縦穴の壁を蹴りおり、広さのある横穴を見繕うと、飛び込むように転がり込む。元の道より下。大人300人分は下に降りた。


 今度はカビの臭い強い場所だ。嗅覚の程度を戻したライドは、〈知覚〉てあたりを見渡す。そばにライドが気にする必要があるような〈力〉はない。奥に立ち並ぶ立ち並ぶ太さが均一な円柱に惹かれるように歩みを進める。すると多量な光が目につく。気を燃やす赤とは違う、黄色っぽい光だ。


 その発生源は、柱に吊るされた灯りの箱の群れだ。先ほどライドが拾った壊れたものとは違う。


 しかし、ライドはその箱を目指した足を急速に円柱へと変える。円柱の柱はライドが2人で抱える太さでライトの顔が映り込んでいた。柱だけではない。均一にならされた床も、払えば磨き方次第で顔が映り込むような床だと気がつく。


 何故これ程美しい? 無我夢中で撫で回す。感触は石だ。それも獣を解体する時に使いやすそうな石。天井は半球を描き、色違いの石で美しい文様が描かれている。ライドは天井を見上げてくるくる回る。柱に映る自分の姿を忘れ、心を躍らせた。


 これ程のものを作り出せる集落の力とは如何程のものなのか。故郷では聞いたこともない。


 ライドの興味は柱に吊り下げられた箱に移る。四角い灯の台座部分の蓋を開き、臭い水を少し指につけて嗅ぐ。この灯はこの水を吸い上げて燃やして光に変えていると知る。油と似ているようで違う。臭いが独特で、拭き取らなくても指に残らない。


 程なく更に上から岩の崩れる音が響き、縦穴に砂埃が舞う。


 通って来た横穴が崩れた。死者の群れへの祈りを捧げる。


 ライドはその場に座り込むと、灯りを発する四角い物体の解体を試みる。組み直せるように慎重に行う。


 螺旋状の溝で削られる棒や定間隔で彫り込まれた穴は精巧だ。作り方を考えたライドは目眩を覚えて頭を抑える。方針は立つが道筋がない。


 解体するだけで食事一回は飛ばした気がする。この箱の素晴らしさは構造だけではない。材質の差、発想の差。その意匠たる獣の顔は、光が当たると、銀色の凹凸面がキラキラと光る。意匠の部分は材質が違う。恐る恐る指で摘んだ感触としては柔らかくて軽い。それをまた組み上げる。


 流石に空腹を覚えて休憩がてらに用を足し、〈歪〉を覗きながら獲物を狩る。差し当たって蛇だ。その肉は淡白だが食べやすい。ライドは自分の身の丈の5倍を越える蛇を見つけると、手を伸ばして掴む。うねるように口を開いて襲いかかる蛇の頭をもう片手で握って潰す。掌より遥かに大きな頭が潰れ、のたうつ蛇の胴体を引きちぎって手元に欲しい量だけ引き入れる。太さは大人の胴体ほとだ。あたりの蛇の中では小ぶりだ。


 ライドは蛇の皮を剥くと、足元の石を拾って掴む。その手の石が赤く熱を発して黒ずむ。そして、肉を焼いて食べる。感覚的には久々感はないがないが、滴る肉汁を感じるかのように美味しかった。封印の間の時間はほぼ流れないはずなのに久々の食事のように思えた。


 ふと思い出して、灯りを揃え、円柱の表面に映り込んだ自分の姿に目を向ける。疑問に眉を顰めて、手足を動かす。そこに映る姿は紛れもなくライド自身だ。それでも顔を近づけてまじまじと見る。そこには髭すら生えてない少年が映っている。


 見覚えはある。地上で生きていける自信を深めた18歳の頃だ。体格も近い。縮んだ身の丈の感覚と一致する。しかし、服装は封印前のものだ。そして18歳の時よりよく鍛え込まれている。筋力の質が高い。だが、同時に悲しさと寂しさを覚える。首の太さ、腕の力瘤、胸や足、体の厚さ全てが薄い。命懸けで身体に積み上げて来た成果が見当たらない。だが、確かに膝や腰、足首の調子はよく、痛みがない。体に気を取られないと、身軽で楽しく見えるのかと思う。


「伴侶に会うのに恥ずかしくはないか。でも若すぎないか?」


 もう少し加減してほしい。この細い体では自分が放つ打撃に弾かれる。そんな打撃など威力は半減以下だ。


「参ったな」


 そして、外見に顔を顰める。かつては汚れているで済んだ今のライドの外観は、洗練された今の人を見た後では、汚らしい様相だ。


 黒髪を後ろで縛り、塩気でベトベトしている。


 顔は泥まみれ。着ている毛皮は頭と手を通す穴を開け、腰紐で締めただけ。ボロボロで破れている。


 動物の皮を編み込んだ靴も同じ。


 話し合いには相手に応じた装いがいる。集落で30年以上暮らし、未知の集落との交流に腐心した経験がそう語る。


 まずは今の常識を知る必要がある。言葉だけではない。


(だか、なんなんだ? 此処は。上に向かって街を作り変えている。繋がりがない。下から逃げる為?)


 この素晴らしい建築物の集落跡を〈知覚〉で探る。上に一つ、下に4つ。それぞれの階層では建築物の水準に明確な差がある。天井に飛びつき、一部の慎重に指で崩し、ライドが通れる穴を作って上の階層に上る。すると地面は鏡ような石畳や柱はなくなり、無骨な掘抜きの洋式に退化する。下から2番目の階層と似ている。しかし、大きな違いがある。既に枯れているが、集落の中央に通る大きな水路と思しき石畳が、各家に通じている。飲み水かと思ったが、排泄を流す場所のようだ。


 そして、炊事場所の小いさと家ごとに個別にあることに驚く故郷では、炊事は集団で戦士が行うものだ。地下では火が炊けないからだ。しかし、住居の上には回る羽根があり、中の風を上の階層に逃す仕組みになっていた。下にはない複雑な仕組みだ。


 また、埋葬場所はあるのに、関節のおかしな歩く屍をちょくちょく見かける。故郷の集落の10倍はある階層全てを回る気はないが30以上いる。動いていない屍は、その倍はいるのではなかろうか? その違和感は、石の外径以外、入り口や蓋と言った家具、衣服や火の残渣ないことにある。


 初めは水で洗い流されたと思ったが、周辺には磯の匂いの強い水が良く染み出している。しかし、水で洗い流せば隅に残る筈の特有の土がない。まるで埃が埋まる前に舐め上げたようだ。なのに骨に近い歪な死体が霊に動かされて徘徊する。


 この現象には心当たりがある。粘性体の食事の跡だ。しかし、広すぎる。


 ライドはこの廃墟の探索で数日を過ごした。食事は大型の蛇や蛙だ。しかし、勘が鋭く、狩は想像より苦労した。何しろ〈歪〉の反対まで認識する。


 見えてるわけではない。だからこそ、なおさら驚いた。狩られ慣れている。


 ライドはこの間もそっと今を生きる集団に近づいては言葉を記憶した。もう姿を見せるようなことはしない。彼らは何かを探して地下に潜っているらしい。少数の戦士が率いる戦士未満の者が多数、生活拠点を移動しながら進んでいるようだ。蛇や蜘蛛を狩るつもりなのかもしれない。良い食事だ。しかし、ライドから逃げるように避け、もうこの辺りにはいない。ライドは2度ほど締め殺した蛇を捜索者の前に置いた。


 目覚めてから8日後、突然ライドの耳に理解できる言葉が飛び込んだ。ラキドは身を伏せてあたりを探る。


『誰かっ居るんだろ?! 何か聞こえるなら応えてくれっ! なんでもいい! 動物なら吠えてくれ! 頼むっ』


 声を発せる存在はそばにない。だが声は近い。意味がわからない。目覚めて初めて、身の毛がよ立つほど警戒する。


 相手を見つけることで遅れをとったのは、いつ以来か? この50年、そんな経験はない。手足が震える。先手を打つことこそ生きる為の条件だ。


『応えてくれっ!』


 耳からではない。反響がない。頭に聞こえる呪術の類か? 


 叫んでいた声はすぐに細くなり、諦めたように消える。再び訪れる静寂。


「どこだ?」


 ライドは小さく呟く。気のせいでないなら放置はできない。


『声? 言葉? 分かる。分かるぞっ! 何だこの言葉? 私は何で分かるんだ? でも分かる。もう一度言ってくれ! 夢じゃないのか?! 誰かっ! いるんだろ、いてくれっ』


 〈知覚〉をどんなに凝らしてもわからない。過剰な〈知覚〉への〈力〉の偏りに、あたりから蛇や蛙が一層遠ざかる。また一つ面倒が増えてしまった。


「姿を見せろ」


『待ってくれ! 気味が悪いのは分かる。でも、形を作れないんだ。信じてくれっ!』


「人か?」


『そうだ。そのつもりだっ。私は精神と肉体を切り離したんだ! その意味も分からず不老不死を目指したんだ! 気のせいじゃないよな? 私は私の想像と話をしている訳じゃないよな?』


「ここにいるんだな?」


『目で見て、耳で聞いて、ものに触れる。それは奇跡なんだ。君はその恩恵に気がついていないっ。私もそうだった! 今の私は雑音を聞き、ただ波打つ模様だけを見る何もない意志の塊だっ。でも君の周りだと君の声が聞こえる。私は確かにここにいるっ!』


「何故俺を? まるで聞こえてることが分かってたみたいじゃないか」


『君が私にどう見えているのか見せてあげたいよ! 君は光だ。巨大な光だ。他と交わらない一個の存在。突然現れた強烈な輝きっ! その光に集中する程に音が、声が聞こえたんだ! なら、私の声も届くかも知れない! そう期待するだろう?! 私は取り残されてたんだ! 何もできなかったんだ! いつそ死ねれば死にたかった! なんで狂えないのか自分呪っできたんだ!』


 声の相手の興奮は伝わる。興奮し過ぎだ。ライドはその声の主は十分正気ではないと思った。


 怪しい声だか、言葉の通じる相手はライドも望むところだ。


「どんな声が聞こえたんだ?」


『君の名前はライド=フォン=クレイルだ。聞き覚えのない家名だが興亡はよくあるからね。ちなみに私はソドム=ゲシュテッド。多分昔の元伯爵だ。君は誰かに解放しろと繰り返していたよ』


 ライドは「へぇ」と目を細める。ソドムと名乗る何かは、ライドと現地の言葉が分かると言っている。通訳が見込める。これは望外な幸運だ。仮に悪意ある通訳で騙されても、致命に至らない範囲で動けば問題は起こらない。


 ライドは記憶することに関しては自信がある。揚げ足取りのライドだ。ソドムの想像より早く語彙を掴み、素知らぬ顔で試してやろう。これは勝負だ。


 ライドはこの手の騙し合い、化かし合いが好きだ。


「盗み聞きか。なぜその時声をかけなかった?」


『叫び続けたさっ! 届け、届けと、繰り返した! 今ようやく、やっとだぞ?! 本当に私はついに幻聴に辿り着けたのかと寂しくも嬉しかったんだ』


「無茶苦茶言う。これでこの会話が俺の空想だったら、いよいよお迎えが来たかと思うところだ」


『それは私の不安だ!』


 そう返すソドムにライドは笑う。


「俺の言葉は今の人に通じない。今は幾つの言葉があるんた? ソドムとは何故言葉が通じると思う? そもそもソドムの声は頭に響く。精霊語か?」


『まさか、君は時越えの人か? いや、どんな偶然でもいい。私の答えだが、言葉は一つだ。今は知らないがね。2つ目は私は君の発する声しか聞こえない。精霊語ではないはずだが、意思を拾ってきるのは同じかもしれない。悪いが私もわからないことだらけなんだ。ここがどこだかも見えないからね』


 〈時越えの人〉。意味は分かり易い。


 ライドは床に耳を近づけるが、声は岩を伝う様子もない。


『君に近づく距離、といっていいかもしれない。君の光しか見えない私には他に計れる指標がないんだが、離れても近くても届かない。しばらくは近すぎたらしい。焼かれて消えるような感覚の側を彷徨っていた。こんな感覚も嬉しい』


「死ぬ可能性を楽しむとか、変人扱いされなかったか?」


『なんの自由もない私が手に入れた死の可能性への自由だ。ふふふ。この楽しさはわかるまいっ。この幸福感はっ!」


 ライドはソドムに対して、違和感が消えていくのを感じて立ち上がった。ソドムの考えの軌跡がわかる気がする。意思で繋がったせいか?


 ライドは頭の中にある部屋を思い浮かべる。情報を分類するライドなりの記憶の心象だ。記憶の出し入れ。幼い日に身につけた生きる為の技術だ。弱者に必要なのは地の利と存在する全ての敵の動きを同時に把握し続けることだ。


「この言葉を訳せるか?」


『ライドが意味を介していないなら、私にはどう聞こえるのだろう? 興味深い。やってみてくれ』


 記憶している言葉をなぞると、ソドムの意識から『発音が悪い』との言葉が流れ込んでくる。


『まずはそのままはなそう。状況の推測もつけようか?』


「頼む」


 先程の争いは、座らされていた体格と言う才能にあふれた若者が犯罪を犯した者で、武装した側が治安を維持する側らしい。


『見逃せば〈かね〉と女、このまま連行すればお前の家族はいなくなる。典型的な貧民街の犯罪組織や結社の兵隊さんに思えるな。そこに君が乱入した。解放しろ、と連呼してね』


 ライドは虚に笑う。言葉の意味の予想とは現実の乖離が激しい。


 ちなみに〈かね〉とは持ち物を交換するときに使う共通の価値をもつもので、便利な四角い灯りは〈ランタン〉と言うらしい。


『通貨もランタンも知らないとはね。今の言葉を私が知り、君は知らない。時越えの人かと疑ったんだが、違うようだ』


 ソドムはライドの知らない単語を知る。有難い反面、難しい状況だと認識を改める。嘘は真実の中に混じると見分けがつきにくい。


 しかし、反面、ライドは楽観的にも考えた。ソドムとは〈合う〉。話せば話すほどそう思う。


『まあ、そんな疑念より気になることがある。言葉をどこまで覚えてるんだ? もう100は超えたぞ? 君が人の形をしているのがわかったけど、今度はどんな頭をしているのか不安だな。実は頭が2つあるとかいわないか?』


「記憶は得意でね」


『ライドの住んでた場所でも言葉は同じだったんだろ? 私も言葉の違いは初めて聞く。封印と言ったか? 時越えには違いないと思う。でもそれだけとは思えないね。なら、別の生き物でも不思議はないだろう?』


「見えないのか? 今はランタンを持っている。俺が光と言っていたな。ランタンの光が見えていたんだろ?」


『違う。私の視覚は多方向を向いている。それが全て重なって見えるらしい。君のお陰でたどり着いた仮説だ。周りが全部岩だから今まで気が付かなかった。君の光は灯と別だ。表現が難しい』


 目がないのに見えるとはなんなのか? ライドにとってはそちらの方が謎だ。


 ライドは疑問を「不確か」という情報として処理する。迷いたくないからだ。迷えば餌になる。そう体に染み付いている。


「時越えの人、その意味はわかりやすい。だが、俺は俺の故郷に用事がある。ここは下に向かって古い集落が連なっている。もしかして下に進むと別の地上があるのか?」


 固有名詞がある。それはライドのような封印を受けた存在が初めてではないことを意味する。しかし、ライドはその疑問は口に出さず、問い直す。


『そんな話は聞いたことがない。でも夢のある話じゃないか。降りてみるのかい?』


「やってみた。それほど深くない。日の2割も落ちれば底に着く。何かいるようだが警戒されて隠れられた。その下は空洞がなかったな。そして、人の集落はこの辺りにしかない。そもそも、俺も長くは居続けたくはない。風がなさすぎる。だが、意味があるなら掘ってでも試すぞ。上はどうやらソドムと同じ言葉を話す場所らしいからな」


『下に降りて風がないのは当たり前だ。でもそんな危険を犯すより、私と同じ言葉の者に聞いたらどうだ?』


 何か気になったようだがソドムはありきたりの答えを返す。ライドの常識でもこんなに深い場所に集落は作らない。逆に集落跡があるからこそ、風の存在が当たり前であり、どこに穴があるのか、精霊術で引き込む作用させられるようになったのだと思っている。建築物を見ればわかる通り、此処の技術は高すぎる。


 ライドは精霊を見えないが、精霊術師は馴染み深い。同居していた、しかし、今は精霊術を扱える人は別の集団に分かれて暮らしているらしい。


 賛同はできないと伝える。精霊術は、馴染みがなければ抵抗できない。精霊術は相手の感受性に直接手を加える手段がある。思考や感情を誘導できる手段だ。対抗できなければ共同生活はできない。しかし、すでに共同生活は無理だと返された。


「外見が違うわけでもないだろうに」


『違うだろ? あの長い耳、造形は人のようで人じゃない』


 ライドは首を傾げる。しかし、問い直すより気になる変化を捉え、其方に集中する。


『それでも時越えは精霊術でしかできない。普段は交流を嫌う彼らは伝承で見る限り時越えには協力的だ。彼らなりに利はあるんだろうね』


「聞けば教えてくれるのか? この地の日常ですら俺やソドムには価値の高い情報じゃないのか? 年月が経っているのだろう? でも俺に払えるのは労力だけだ。安く利用される。人同士の争いが盛んなら、矜持に反する。見過ごせない状況に巻き込まれるのが怖い」


「ライドの住む場所についての話は価値が高いだろ?』


「話は後だ。死人が出てるかもしれない」


 ライドはソドムに宣言すると立ち上がる。一瞬で探索中の廃墟の前に石を積み上げて、割れないように指で穴を開け、印を残す。


 片方は人に見えない、人型たが胸から別人の足を生やす人などいない。下に向かわず上に向かった自分が恨めしい。


『どうしたんだ?』


「人と獣の争いだ。新しい廃墟の方が何か残ってると上ったのが裏目に出たな。昼過ぎに気がついたが気にしなかった。両方人の形で、片方が強いのに状況は変わらなかった。争いだと思わなかった」


 ライドは舌打ちする。


『いくのか? 君は言葉を知られちゃならない。警戒されてる。人を助ければ信用されると考えているなら間違いだ。現実は状況だけで処理される。不安要素は疑えだ』


「恐れるな。ソドム。それでも構わない」


 ライドはニヤリと笑う。その声にソドムは怪訝に尋ね返す。楽しんでいる。ライドを見る者が居れば、そうとしか見えなかっただろう。


『随分と、その、乗り気だな?』


「俺が死んで目印がなくなるのが怖いのか?」


『勿論だ』


「この周りに俺に怪我を負わせられる存在はない。いつでも逃げ延びられる」


『情報は拡散される。今地下にいる人全てが君を警戒するぞ?』


「それが戦士の矜持を諦める理由にはならない。利用できない獣は全て消す。それが犠牲者を防ぐことになる」


 ライドは風もなく姿を消す。ランタンには光を閉ざす扉がある。それを閉めて移動する。臭いはあるが熱は弱く、煙一つでない光。


 ライドはランタンを、地下生活における〈知覚〉の立場を変える技術だと思う。ライドは潜伏する間、一度も〈知覚〉に触れた感覚を受けなかった。便利な道具が〈知覚〉を不要にし、弱めたと仮定した。


「人を襲っているのは2体だけ。あとは後ろで見学だ。2つ先の空洞だ」


『2つ先? 空洞? 見えているんだろう?』


「ああ」


 ライドはさらに〈知覚〉で見に行く。人を襲う半透明な存在は粘性体だと思って。ただ、鎧や髪の毛、表情に至るまで人そのものだ。毛の動きだけでなく、表情や筋肉や骨を感じさせる動きを再現する粘性体に眉を顰める。ライドは上から足元の岩を溶かすように砕き、開いた穴に滑りこむように下に降りる。


 粘性体は突撃するだけ。歩けても走れないようだ。


 とはいえ、地上班の戦士並みの〈力〉を持つ粘性体に対し、襲われる人は〈力〉の弱い素人だ。地上班になる為の初めの壁、大蛙にすら苦戦する〈力〉だ。粘性体は突っ込むだけだが投石のように早いはず、それだけの時間軸の差がある。しかも、人の大きさの粘度の高い液体であり、小石ではない。


 間に合わない。


 そう思ったが、相対する素人戦士は片手に持つランタンのような素材の板を操り、安定して捌いて見せる。


 立ち位置を衝突してから変えているのに見事に逸らす。ライドはその動き、技術に魅せられた。いや、その逞しい精神性にもだ。体力の消失と共に食われるだけの絶望の中、連絡役に生き延びる役目を与え、諦めて楽になる道を選ぶことなくしぶとく粘る。それは多くの戦士が望み、望まれる姿であり、できない行為だ。


 その場にいる人は他に2人。顔が見えない程大きな被り物をした小柄な男と、見学する人形と会話して見える女だ。


 その女にもライドは目を奪われ二度見する、明らかに人と違う、背の高さは大人の女の6割程なのに2人以上の重さを持つ樽体型だ。しかし肥満ではない。動きは機敏で筋肉の塊。骨格から違う。顔つきはふっくらし、幼子に近い丸い形だが、髪の毛は逆立っている。寝癖ではない。


 次に後方に待機する粘性体を見る、数は11。その体からは人の手足の一部が飛び出し、半透明の体内では胸部から上のない人の残骸が目に映る。腹部は骨が溶け、下っ腹は内臓が泡を発する。衣服もほぼ同時に溶けている。ただランタンと似た材質は消化できず、足元に排出されて転がっていた。


 そんなライドの〈知覚〉の視線の中で、地面からむくりと粘性体の塊が立ち上がる。人の感触、硬質な防具、衣服までも再現してみえる。


 個体かと思っていた粘性体は全て足元で繋がり、本体は奥にいるらしい。


 この粘性体は群体だ。群体全てに指揮官の資格があり、その上で調和している。〈知覚〉に映る〈力〉や触れに行って妨害した感覚からそう確信する。この粘性体は〈知覚〉を扱う。目覚めて初めて出会う故郷の臭いのする相手だ。


 素人への攻撃を妨害され、不思議がっていた粘性体がライドに気がつく。


 しかし、ライドは自分の状態に強烈な違和感を感じ、速度を落としていた。


 足元に〈力〉を巡らせ地面を掴む。体外に〈力〉を巡らせ、風の壁を円滑に取り除く。〈知覚〉を広げて見える範囲を強化する。戦士の歩法の基本行動だが、それは身体機能を抑えて行う。〈力〉の総量は身体機能の強化の上限だ。


 なのにライドの身体機能は限界のまま。割り振ったはずの〈力〉が外から補充されている。


 これは朗報ではない。制御ができず、外から制御されかねない異物を取り込む可能性が高いということ。ライドの長年の経験が警鐘を打ち鳴らす。


 ライドは意を決して不安を押し殺す。ライドにとって人の営みの存続は絶対だ。地上に放り出され、再びその存在を目にした時、それは理由を超えて絶対の価値だと確信した。営みが存続することが全てだと。それは矜持ではなくライド自身の願い。


 ライドは再度加速して、相対する人と粘性体の間に割りこむ。


 右腕で粘性体を横に薙ぐと2体の粘性体の上半身が同時に消え、水滴が壁に叩きつけられる。粘性を失った水滴は意志を失った結果だ。本来なら岩を穿つ勢いのある飛沫たが、ライド自身が地面に巡らせた〈力〉に衝突して潰れる。


 ライドは腕で口元を隠し、板を持って粘性体の突撃を捌いていた男の肩を掴み、方向転換させて背中を押す。男の硬質の被り物の下から覗く顔は壮年。ライドは同年齢程度と見る。言葉は通じなくても意味は伝わると信じたい。 


 小さな破裂音と微風が空洞を駆け抜ける。


 その現象に今を生きる3人が足を止めて驚くが、辺りを見回した時には粘性体の大半が消え去り、壁の前でライドが立ち止まっていた。


 戦士の歩法は戦士長が戦士長たる所以だ。この歩法の中では時間軸が変わる。体感速度は平穏な日常のように変わる。この変化は急激で、初めて立ち入る戦士は戦士の歩法前に頼っていた多くの技や動きができなくなって戸惑うものだ。立ち止まれず、常に軽く走りつつげ、風景の変化も日常さながらなのに足の動きは重く、外のものにぶつけた時の反動は遥かに大きく、日常共違う異質な空間。


 しかし、戦士の歩法の優位は変わらない。ライドには戦士の歩法に数十年の経験がある。


 なのに壁が迫り来るのを避けられず、仕方なく戦士の歩法を中断する。足が重く、細かく動けなかった。


 8体の粘性体がら消化中の遺体ごと血霧に変わり、あたりに熱を帯びた霧が立ち込める。


 普通に一体倒すと残された粘性体から表情が消え、溶けるように奥へと引く。退却ではない。ライドは相対していた3人に下がれと手を振る。


 ソドムに大見得切っておきながら、ライドは今の自分の状態に不安しかない。通じなければ多量の液体に飲まれて死ぬ。守れる気がしない。粘性体が知性を持とうが、最も効率的な対応は変わらない。


 奥にいる何かの〈力〉が顕になる。巨大だ。ライドの暮らした集落なら余裕で包み込まれる。広がれば先程の廃墟ですら、大部分を収めてしまいそうだ。


 ただ吠えるように〈力〉を誇して挑発するだけで動く様子がない。今、粘性体が収まる巨大な空洞は、元は地底湖の1つだったのではないかと思う。


 知恵がついたが故の選択か。


 奥の人などいつでも狩れる。力を示したライドには絶望を味合わせたい。そんな意思が見え隠れする。


 後悔させてやろう。


 ライドは都合の良さに胸を撫で下ろしながら、獰猛に眉を釣り上げる。しかし、頭の中で描く行動は冷静だ。現実と脳裏に描く身体機能の乖離を確認する好機と確認事項を列挙し始める。この大きさ、この〈力〉の獣。今のライドが衝撃過多を作り出せるとは思えない。


 ライドが奥に移動を始めると、呼応するように巨大な気配が動く。喜んでいる。捕食ではなく、勝利を喜びとして感じる知性がある。


 程なくライドは、粘性体の巨大な姿を見下ろす細い道から空洞に出る。元は川だっただろう水路は天井は高いが粘度が高い粘性体は素早く流れることはできない。だから一部を伸ばして遊び、本体は大きな空洞に徐々に移っていたようだ。


「ほぼ湖だな」


 呆れるライドは眼下の粘性体をそう表する。奥行き大人2,000人以上、幅600人以上、高さ大人6人分か。水面から大人2人分はある4本指の腕を無数に突き出しては沈める動作を繰り返す。まるで手招きだ。粘性体の作り出した爪が岩に触れると抵抗なく爪の形に抉ることから表皮は消化液そのものと見る。その水面に腕の代わりに大小無数の笑顔が浮かんで口を「おいで」という単語の形に動かす。脅かす意識がない。


 内包する複合意識の多さは対応できる数を表す。勝てない相手は何百集まっても勝てない類の獣だ。格下殲滅は得意だろうが同格以上への対応はどうだろうか? これだけ知性が高く、粘度があれば自分の体積だけで様々な手が打てる。


 ライドは天井を逆さに歩く。


 別に好んでいない。歩けるからといって逆さは不愉快だ。しかし、これだけ大きな敵全体を眺め、最高の初撃を作り出すには好ましい。


 天井を離れ、〈歪〉に映る地面を蹴り戦士の歩法へと移行する。風の壁を越える速さに余裕で追従する粘性体の腕。しかし、ライドが通り過ぎた空間を追いかけ、岩に刺さり、空切り割く。ライドは段階的に加速する。戦士の歩法にも速度差がある。


 ライドは伸ばされた大木のような邪魔な腕を薙ぎ払い、飛沫に変える。目の前の口を開く人の顔に飛び込む。単に包み込もうとする粘り気のある液体。そんなものでは制御の効かないライドの外向きの〈力〉の内側にある毛皮にシミひとつ作れない。


 床を踏み締めると同時にあたりの粘性体の一部を消し飛ばす。


 欲しいのは遊びのような身のない攻撃ではない。力と力のぶつけ合いだ。


 苛立ち、怒り、全周囲から押し潰すような意思。


(まずは7割)


 何度も繰り返し、慣れ親しんだライドの理想の一撃。攻撃の基軸を試す。当てても防がせてもよし。空振りさえしなければ、相手を固め、場合によっては獣の関節を壊せる一撃だ。


 しかし、体が軋んだのはライドだった。足は勿論、腕や背中、腹や足まで反動が走り、関節や筋肉が張る。


 (薄いっ)


 体の断面積、筋量が、反動の衝撃を分散させるのに足りてない。自分が作り出せる範囲の衝撃を自分が飲み込めない。


 一撃は大人10人程の範囲を全てを霧に変え、辺りを水蒸気の熱気で包む。粘性体が大きく波打ち、歪む。


 たった10人!


 衝撃の大半がその巨大な体に飲み込まれた。その粘性が広範囲の体躯に衝撃を散らす緩衝材になった。


 自身の弱さに歯噛みする。この体で出し得る封印前の技術の7割を使いこなせない。身体強化が突出しすぎて、戦士の歩法が安定しないこともあるが、それだけではない。〈力〉の総量がわからない。制御のしようがない。


 我武者羅に動き、届かない〈力〉を探る。分かったことは、制御できる以上に〈力〉の総量が多いということ。初めから制御できるはずがなかったということ。


 理解できない。


 しかし、対応しなくてはならない。軽戦士としての移動速度による戦士の歩法から、衝撃を放ち、あたりの風の壁を動かすことで突き抜ける最短の重戦士の歩法に切り替える。威力と敵の行動制限を重視する狩における班の要、盾役だ。問題は単独では対処できない格上には餌の運命から逃げられないこと。それでも重戦士の戦士の歩法で重要なのは体の強さ。身体機能可能な現状とは相性は良かった。


 範囲も威力も向上した打撃を繰り返す。数百に体が耐えられる程度、体力が保つ範囲に抑えても重戦士の戦い方なら余裕がある。


 粘性体としての認識を失った湯が、踝よりも高くなる。それでもライドはより広い範囲の足元を掴み、打撃を繰り返す。


 継戦能力は封印前の数十分の1だ。身体機能はこの体格の上限まで強化しているにも関わらず〈力〉が制御でない為に2割に満たない。基本技術が幾つか使えない有様だ。経験や熟練で補う。これでは故郷での熟練した上位の戦士長並みだ。最上位の友人や知り合いには歯が立たない。


 粘性体は叫び声を上げながら逃げようとするが、それを許すつもりはない。広げた〈力〉の範囲は〈力〉を失った相手しか通れない。つまり、お湯に変われば流出する。お湯並みに砕かれて脱出に集中する知性のある相手だということが気がかりだが、それは仕方がないと諦める。


 徐々に小さくなる。


 核のない獣は大抵粉々にすればただの物質になる。それでダメなら、食べるか、溶かすかだ。そして粘性体の親玉は消滅した。最終的にお湯は膝下に及んだ。


 ライドは坂を登り、腕を強く振るう。〈力〉の乗った腕は周囲の風を掴んで空洞内の蒸気と熱気を打ち払う。風が轟音を立てて洞窟の中を走り、熱風の代わりに涼しい風が流れ込む。べっとり張り付いた汗が引く。冷たい風が気持ちいい。


 張りを覚えた肩や肘、膝や股関節を中心に状態の確認と手入れをする。若返りなどありえない。確かなのは戦力の低下だけだ。


 ライドは一息つくと、灯りを取りに天井の穴に戻る。灯りの光はもうすぐ消えるが、貰えるなら欲しい。返す為にも確保は絶対だ。


 しかし、穴に戻ると足を止める。


 大人5人程度先の凹凸の陰に、特徴的な髪型をしたずんぐり女が居た。ライドは灯りを持つ腕で顔を隠す。


 戦闘中の〈知覚〉範囲は歩行時の2割程度に狭まる。近くの動きを見落とさない為には、それなりの〈知覚〉濃度が必要だ。遠方になればなるほど、到着までに対処可能な強い〈力〉がわかればいい。


 強烈な髪型の女が、ケホケホと咳き込む。そして、ライドと目が合うと女は硬直する。しかし、深呼吸を繰り返すと、よろよろと近かづいた。女はライドの横を通り過ぎ、奥の空洞を見下ろせる位置までいくと、ペタンと膝を折って座り込む。動く死体より弱い女だ。なぜ1人なのかわからない。


「ソドム、厄介ごとだ。こんな場所に1人のこのこついてきた女がいる」


『美人かい?』


 間髪置かずに頭に声が響く。興味がある。そんな声だ。随分余裕が出てきたようだ。この手の話題は、今も昔も変わらないと苦笑する。


「大人の6割程度の身長で、筋肉質な寸詰まりの女だ。赤子に拡大したような顔立ちだな。髪を態と逆立たせている。意味がわからない」


『土の人じゃないのか?』


「土の人?」


『知らないのか? 地下に住処を作って暮らす人族だよ』


 それが条件なら,ライドは土の人だ。しかし、こんな骨格の知り合いは居ない。


『私が生活してきた頃は最も身近な亜人だ。地下暮らしだけど国は一つしかない。集まっても分断してまで争わない人種だよ。一緒にいるってことは、人と土の人の仲は良好なんだろう』


「あじん? とはなんだ?」


『人と同じ知性と文化を持った別の種族だ。肌の色違いを含めた異文化人と同じ扱いだな。土の人は戦士の素質が高い。樽の様な体には酒と筋肉が詰まってる。いや、酒臭いのは男だけか。土の人の女性は滅多に外に出ない。よく分からないね』


「樽か。確かに」


『ライド。接触するなら挨拶を教える。私の挨拶は昔のものだろうが、ライドより通じる』


「頼む」


 ソドムは会釈、挨拶、自己紹介、目上、目下と矢継ぎ早に対応の違う言葉を並べる。ライドをそれをひとつ返事で分かったと返す。


「立場が複雑だな。それだけ人が多いのか。どのくらいいるんだ?」


『参考だぞ? 大きな領地で5万人。小さな宿場で1万人だな。幾つあるのか知らないが20以上はあったはずだ』


「俺のいた場所では全てで8万人いなかった。その30万人の中で時越えの人はどのくらいいるんだ?」


『知られていたのは2人だ。隠れて過ごす時越えの人もいる。それでも10人はいないと言われていた。だがどこでも言葉は通じた。言葉の普遍性は神の存在を証明する根拠の一つにされるくらいだ。言葉が違うと知られるのは危険だ』


「それは無理だ」


 すでに隣で話している。〈かみ〉が何なのかわからないが、ライドとしては相手が態々1人できた機会を逃したくない。ランタン、廃墟、歴史、生活、状況、知りたいことは山ほどある。相手が命を取引材料にできる今なら、ライドの労力や情報は買い叩かれずに交渉ができる。


 ソドムと話す最中、女はこちらを振り返り、眉をひそめて非難の声を上げる。暫く無視していて、ソドムと話していたが、気がつく範囲の準備を終えるとソドムに聞いた挨拶を口にする。女はキョトンとした顔をして、その後、似たような言葉を返した。


 ソドムの挨拶は通じた。


「女は側にいる。見えるか?」


『全く。でもさっきライドと争ってた敵には小さくても確かな光があった。随分怯えてたな』


 ああ、ソドム。お前だったのか。ライドは粘性体の様子を思い出して数回頷いた。あの獣は集中していなかった。逃げる判断が遅れに遅れ、ライドの試験台として機能した。ライドなら、ソドムのような不気味な声がすれば即座に離脱する。


 (光。力の強弱か?)


 考えるライトの前で、女は自身を指して「キャシー」と発音する。その後、ライドに指を向ける。


 ほとんどランタンの光は消えているのだが、女の動きに躊躇いはない。


「ライド=フォン=クレイル」


 ライドは一語ずつ区切って答える。それを聞いた女は、改めて「キャシー=セテス」といい笑顔で右手を出す。


 これはソドムに聞いている。ライドは手を差し出そうとして、毛皮の内側で掌を拭く。女の手は殆ど汚れておらず、ライドの手は乾いた泥で汚れている。握った女の手は、体の割に大きく柔らかくはあったが、節が大きく硬かった。


『ここがどこだか教えてほしい』


 ライドは聞き覚えた単語を繋げてソドムの言葉で話す。ソドムを介して意思の疎通が図れないかと期待した。


 即座に、ソドムから『知らないが?』とツッコミが入る。それと同時にもう一つ声。


『ここ? 地下だわいな』


 直後にキャシーは悲鳴をあげて手を振り解き、後ろに下がる。悲鳴はソドムからも上がる。


 驚く2人を置いて、ライドは小さく拳を握って、口元を綻ばせる。


 ライドは顔を隠すのをやめ、キャシーに笑顔と体の側で掌を相手に見せた。ライドの故郷では害意のないことの印だ。


 灯りが消える。


 しかし、キャシーと名乗った女はそのことを意に介さない。見えている。そう確信する。


『ライド! 今の声は?!』


「握手を求められた。そのまま言葉を交わした。ソドム。女はキャシーという。今はソドムの声に驚いている」


『ライドと触れてるだけで? いや、おかしいぞ、それは。もう一度やってみてくれないか?』


 ライドはキャシーの目を見て笑顔を作り、今度はライドから握手を求める。女は恐る恐る手を伸ばす。


「驚かせたこと、まずは謝罪したい」


 ライドは自分の言葉で語りかける。意思の疎通が図れると期待したが、キャシーは首を傾げる。


『ダメだろ?』


 小さな沈黙の後、ソドムの声がライドに響く。ライドは無表情に残念だと告げる。


『私はライドの中にいるわけじゃない。景色に常にライドらしい姿がある。キャシーと接触させる読みはいいが、私は動いている』


 ライドは「ここはどこ」と呟きながら再現を試みた。簡単には行かなかったが意図を理解したキャシーは協力的で、程なくキャシーの表情が輝いた。


『聞こえたなっ。言葉が通じないより驚きだわな!』


 ライドはキャシーと苦笑いを交わす。思いは同じだろう。それでも、意思が通じたことは素直に嬉しい。


 問題はこの状態が維持できないことだ。すぐに外れてしまう。ソドムは無意識に、位置を微妙に移動し続けているらしい。


 ランタンから光が消え、辺りが暗くなる。ライドは〈知覚〉で見えるが、キャシーは違う。隣で観察した上で、〈知覚〉を広げる様子が見られない。しかし、この迷いのない動きは夜目が効くという水準ではない。


 そう考えていると、キャシーは闇の中、灯があるのと変わらぬ動きで懐から茶色に劣化した薄い布と真っ白い塊を取り出し、別のものに乗せる。


 キャシーは明りの前で座り、四角い箱を分解し、布を入れ、再度組み立てる。数瞬後、期待通り灯りがあたりを再び照らし出す。消える前より明るく、何より光が白い。赤くない光。それは地上の光だ。ライトの目が驚きに丸くなる。


 そのランタンをライドに渡す。どうやらライドのために灯りを用意してくれたらしい。


 キャシーはさらに作業を続ける。硬く平たい物の束取り出し、灯りを作り出したものとは違う模様の描かれた1枚を取り出す。そして、肩に掛けた荷物入れの中から再び白い塊を取り出すとその模様の上に置き、左手の人差し指の腹を親指で押した。そこには針で刺した小さな傷が生まれ、血が玉を形取って模様の上で滲む。


 描かれた模様と白い塊が一瞬、青い光を放ち、白い塊は解けるように消えた。キャシーの指先の傷は、指を擦るとすぐに消えた。それ程小さな傷だ。


 キャシーの目に青い光が宿る。


 暫くして、女はライドの傍に視点を定めると紙を握りしめて立ち上がり、ライドの正面右側の空間を撫でるように掌を動かす。


『ここかいな?』


「聞こえた!」『そこだ!』


 キャシーの声に、ライドとソドムの声が重なる。


『ライド君ともう1人。この光ってるのは誰かいね?』


『初めまして。キャシー女史。私はソドム=ゲ‥‥‥いえ、ソドムと申します。故あってこの様な姿でのご挨拶となり心苦しい限りです』


『あれ? 元素が喋って、えー、意思があんの?! 人って、えっ?! エェッ! これは大発見かいなっ!? 因み君はに元素って分かる人かいな?』


 キャシーの問いにライドは首を振る。


『私も同じです。ご説明頂けませんか?』


 キャシーは顎を指で擦ると、上を向いて悩む。


『元素は精霊の元だわな。精霊がこの世界に影響を与える為に利用する依代。それを元素って呼んでるな』


『精霊世界は便宜上の言葉では? 古来から精霊は共存していたはずだと記憶しておりますが』


『ソドムは昔の学者さんかいな? 学院って言葉は知ってるのかいな?』


『知らない組織ですね。学ぶことは好きですが』


『ソドムは時越えの人っぽいな。こっちのは、何でいうか、やばい? 言葉が変とか誰も信じないな。2人は昔からの知り合いかいな?』


『いえ、数日前からの付き合いです』


『ソドムに質問。連合歴とか統一歴とか聞分かるかいな?』


 再び沈黙。ライドは〈れき〉からわからない。尋ねると、日々の周期を370日として、4周期で1年と数える時間の呼び方だと答えが帰ってきたら。


 ライドの故郷と変わらない。故郷では地底湖の生き物の変化で季節を見ていた。


『どこの生まれかいね。知られてない場所なんだろうけど、あ、お礼が前後しちゃったな。助かったな! ありがとう。生きたまま食われるとか嫌だわいな。別の死に方を希望するな。ちなみにライド君は何歳かな? 人の年齢は見慣れてきたけど、若すぎない?』


 触れている状態なら、翻訳がいらないのは大きい。声に出さず、意思だけで会話が成り立つ。ライドも言葉は出さずに返す。


『18歳だと思う』


 ライドは記憶を探って答える。


『倒し損ねた獣が再来する前に目覚める封印を受けた。目覚めたのはここの少し上の横穴だった』


『ライド君は典型的な時越えの人だな。精鋭も精鋭。さっきの戦い、凄かった。精鋭同士の戦いは見慣れてるつもりだったのに怖かったな。でも森の人がこんな場所まで入り込んで時越えの秘術はないなぁ。封印って言い方も気になるし。うん。2人とも問題児だな。今は時越えの人は集められて管理されてるからな』


 キャシーはライドを指して、君は処置なし。言葉を話せるようになるまで誰とも会わないようにと続ける。


 ソドムがそわそわした声を上げる。


『私はどのくらい前の者だろうか? まだミラジはまだあるのか? 今の領主は?』


『城塞都市ミラジ? うん。今は商人都市と名乗ってるな。サレムってのが首謀者。前は誰だっかな? ゲシュタット? うーん。聞き覚えあるな。あ、私たちのとこ来れば知ってそうなのいるな。でも君はどうしよう。最終的には一緒に来て欲しいんだけどな。言葉の勉強も捗るし。いっそ、君は話せない、ソドムに乗っ取られてる、とかどうかな?』


『それはいい案ですね』


 キャシーとソドムは盛り上がっているが、ライドは合流に不満だ。友好的であっても利用されに行くようなものだ。


『精鋭の時越えは300年。それ以上は体を持ち越せないし、森の人の秘術は1人に1人だけ。そう教わったな。君の住んでた場所のことは、術者の森の人を探すのが1番の近道だな』


 キャシーの話す〈せいえい〉をライドは故郷の戦士長だと判断する。戦士として格の違う単一戦力との説明だ。


 戦士の歩法は存在する。それは〈知覚〉を扱う戦士がいることと同義だ。


 しかし近くにはいない。


 キャシーは調査のため、幾つもの小隊で来ているというが、大蛇にも苦戦しそうな〈力〉しか見つけられない。低い戦力しかいない理由に悩む。


 だが、ライドはそんな疑問よりも興味を引かれた話がある。キャシーが地上で暮らしていると言ったことだ。色々聞こうとしたが、予備知識のないライドはキャシーの興味を引く質問はできず、ソドムに攫われた。そのソドムが驚いていたのは統一〈こっか〉という集落の統治形態についてだった。


『少し現実離れした理想だね。本当なら相当な国力だ。従来の〈脅威〉も脅威じゃない』


『勿論、過去の封印は討伐が進んでるな。すごい数だわいな。一体どれだけ封印されてたんだか。でも〈時越え〉する人が出なくなるのはいいことだな』


 キャシーはさらにソドムの現場についても説明した。ライドの上半身を覆う膜のようなものらしい。ライドは気持ち悪いと身じろぐ。


『で、ここからどうする? 聞きたいことは山のようにあるが、キャシーは何でここに1人で来たのか不思議でならない』


『知性ある粘性体なんてとんでもないなっ。放っておけるかいな。君が食べられたならそれはそれ。私はそのことを伝えに戻らないとみんなで全滅するわな! 人数が増えると動きが悪くなるんだな。特に頭の硬いイケイケの指導者がいると、自分だけは生きて帰る用意をするくせに、皆は帰らせないんだな。こんな無謀な調査は終わらせないと。いっちゃった皆んなのためにもやらずに引けないな』


 ライドはキャシーを新米戦士に見られる倒錯状態と理解する。健常なのに恐怖にやられ、失われた死者とまだ生きている自分の区別が曖昧になっている。


『でもライド君が倒してくれたからな。気楽になったな。今度は奥に残った仲間を迎えに行かないと。隠れて息を潜めてるはずだしな』

 

 キャシーは思い出したように立ち上がり、行かなきゃと口にする。


『ライド君が一緒に来てくれると嬉しいな。途中で聞きたいことがあれば教えるよ? 色々聞きたそうだったのにソドムを優先してごめんな?』


『行こう。此処から下か?』


 ライドは間髪入れずに承諾する。願ってもない状況だとほくそ笑む。


『いや、戦力として使われてるんだぞ?』


 ソドムは一人冷静だ。キャシーが離れたのを確認して、ライドを嗜める。


『でも私も、賛成だ。怖い相手は居なくなったのだろう? なら、キャシー女史はライドの味方になる可能性がある。これは幸運なことだ』


 ソドムにも否応はない。


 ライドはキャシーの手を取ると粘性体のいた蒸気の中を降りる。勿論、お湯が冷えた後、露出した岩肌に。


「鈍い。食べる。飯、持つ。運ぶ」


 そして見つけたものを指さして単語を羅列する。キャシーとソドムが接触してなければライドができる意思疎通の手段は覚えたての言葉の練習だ。考える時間があれば、記憶から文を組み建てられるが、それでは時期を逸する。口にして、ソドムの修正を受け、復唱した方が早い。


「保存食になる。あれは食べるか?」


 ライドは修正した言葉を再度並べる。指の先には茹で上がって、もたつく大蛙が1体いる。粘性体から逃げ、穴にお湯が流れ込んだ。体長は大人2人に満たない程度。体重は大人10人くらいか? 腹を突き出し、2足歩行で歩くか跳ねる。前足はお飾りだ。灰色のイボに滑りのある液体で体を覆う様はライドの故郷と変わらない。同じだということをライドは嬉し移動いった。


 キャシーはライドの提案に反対する。あの腹の中にはこの辺りを歩く霊に乗っ取られた死体も詰まっていると。


 別に胃を食べるわけではない。ライドは疑問を口にする。


「何食べる? キャシー。塩気、土の匂いはする」


 蛙の胃袋と同様の理由でキャシーに顔を赤くして反対された。同時にライドは、ソドムとキャシーから〈土の人〉以外で土を食べることを驚かれた。


 別に土なら何でも食べるわけではない。塩気のある、食べられる土があるだけだ。


「言いそびれたが、俺の故郷では地下で暮らしている。狩のために地上に出るが、地上の獣は強い。戦士は死に物狂いで肉を手に入れるんだ。地上は酸の薄い雲が立ち込めているから、身体機能が弱ければいるだけで死ぬ。その元は空の赤黒い雲だった」


 封印前にはその雲は晴れた。


 ライドは最後に見た鮮やかな色と光を思い出すが、空想か現実か、自信をなくして口をつぐむ。


『ライドは見た目だけだと判断がつかないな。それにここは地下で遺跡は地上にあったものが埋もれたわけじゃないんだろう? そして塀の人の遺跡だとキャシー女史は言った。私の傍にもそう言った歴史があったのか、それともここがライドの暮らす場所と近いのか、興味深いね』


 ライドは迷い込むと困ると口を曲げる。俺は故郷の脅威に用事があると。


「問い合わせ。生活の役割。キャシーは?」


 ソドムとライドの修正が早くなり、会話も段々早くなる。ライドの慣れが早い。ソドムとキャシーは内心びっくりだ。


「キャシーの職業は何ですか」


 訂正後もライドはもごもご言葉を繰り返している。口に発音を馴染ませるためだ。


「私は道具屋をしてるんだな。ローレン街に住んでる。ソドムが暮らしてたっていうミラジの隣だな。戦時中の補給基地でな。不恰好な砦が施設に利用されてる崖沿いの街な。まあ、それは塀の人の歴史で、私たち土の人は昔から塀の人と暮らしてたんだけどな。今はカルバニ=ローレンって、子爵が領主してる。レドール侯爵派閥最大の武闘派、キルケニー伯爵の弟さんだな」


『土の人が地上で暮らしているのかい?』


「昔からな。土の人の国は通貨や金属加工の聖地だけど、私は行ったことないな」


 ソドムの伝えたい言葉もライドが復唱している。


 その間にも粘性体のいた空洞からどんどん下に降る。流れ落ちる湯気と熱気のせいで汗が吹き出す。


 ライドは、キャシーは地底暮らしに適して見えると言った。暗闇をものともしない目と、上下の動きに強く、小さな背丈がその理由だ。


「他に土の人が来てないから目立つのかいな? さっきソドムも言ったな。私たちは元々地面の中に街を作ってる種族な」


「同じ街に住んでる。なぜ他に見ない? 地下に適しているのに?」


「ちょっと私達の中で塀の人への不信が高まっててな。私は傭兵団の仲間と一緒だから来てるけど他は要請されても行きたがらなかったんたな。そのな、去年、御遣いってジュヌ教の天使そっくりな集団が空から現れてな。この洞窟に入ったのな。それだけなら単なる物語が現実になったって超常現象なんだけど、多くの塀の人がおかしくなってな」


 キャシーは、御遣いが「全てを平等に」と合唱し、塀の人が意味不明な信仰のように崇め始めたのだという。


「御遣いか空から来た時は、大変だったんだな。声が木管楽器と共鳴して、頭が割れるかと思ったな。それは私たちも塀の人もだな。でも終わったら塀の人だけ、心地よい音だったって笑い初めてな。だから土の人は塀の人はまともじゃなくなったと思ってるな」


 その後、塀の人の領地では暴動が各地で起きたという。その御遣いの声は本来聞こえるはずのない全土に響いたと。


 暴動とは何か? そう聞いたライドに、キャシーは老若男女の命が失われる破壊活動だと答える。


 ライドは一瞬、鬼のように顔を歪めたが、すぐに肩をすくめて落ち着く。


「激情家、というわけでもないのな」


 キャシーのその呟きはライドの耳に届いたが、復唱はされなかった。


「俺が周りを見ている。問題は見落とさない。だが、ここは安全ではない。大人数の移動は見つかりやすい。特に大蛇は〈力〉の移動に敏感。力だけならここに来ているキャシーの仲間は、餌と認識される」


 大人数での移動で会話を制限する意味がない。キャシー達が餌になることなくここまでこれたのは別の理由があるはずだ。ライドはそう問いかける。


「調査隊のことがいな。ライド君から見たらそうかもしれないけど、大蛇にやられるような弱い兵士を連れてないな。でも、大蛇より怖い相手を恐れて、強い部隊が先行して安全を確保しながら進んできたな。その強い部隊かあのネバネバに分断されたんだけどな」


「仲間を取り戻して、また進むのか?」


 ライドは、大型の包丁や板と言った道具、そして、その道具を扱い、格上の人型の粘性体を捌き続けた男の姿を思い出した。


 キャシーは前を歩きながら首を振る。


「もう先行打撃の役目は果たせないな」


「守る相手が多い。不足する。帰る為の迎えは用意されている。来る前に」


「用意はしてるな。でも、私たちの目的は2つ。一つはジュヌ教の御遣いを連れて帰って、暴動を止めることな。塀の人は階級社会だな。貴族が生活の場を作って維持する。平民が必要な物を納める。食べ物も、道具もな。でも、いい生活ができるのは上の階級だけなんだな」


 キャシーはそこで言葉を止めてライドの様子を窺う。ライドの格好は未開の蛮族だ。集団が小さければ役割がもたらす差も小さい。反応が気になった。


 しかし、ライドは一つ当然だと返す。


「俺に対する懸念はソドムから聞いている。俺はキャシーと話している間もソドムの話も聞いている」


 ライドはそう言って、頭を指でトントンと叩く。キャシーは器用だと返した。


「俺の故郷でも集落が集まった時、階級が強まった。必要ないと思ったが、大きな集落の長は手際が良かった。問題は単に長の恩恵を受けるだけの集落の民が、周りを見下し自分の能力を勘違いしたことだ。だが俺は止められなかった」


「すごい勢いで、聞きやすくなるな」


 キャシーはライドの言葉の変化に目を丸くする。ライドは頭を指し、選ぶ言葉に慣れてきたと話す。


「暴動は全土に広がってるな。凄惨な鎮圧もな。放置するよりマシって判断だな。領主の力はガタ落ち。でも選ばされてる。で、近いうちに脅威に対抗できなくなるくらい弱くなるったら言われてるな。解決の為、ジュヌ教と協力してきたんだな。そして、もう一つが、この洞窟の言い伝え。昔から禁忌の場所って伝わるんだけど、脅威が脅威じゃなくなるともう一つの言い伝えが注目されてな。古い街があるって、土の人のものだと思ってたけど塀の人の街だったな。ここに埋もれた宝や資料は歴史の資料として持ち帰ることになってるな。考古学って言って、学院で生まれた考え方なんだな。過去から学べば未来の危機にも準備ができる。その考え方をレドール侯爵が気に入ってるからな」


「遺跡は見つかった。帰らないのは御遣いのせいか?」


「それだけじゃないわな。神は超えられない試練は与えない。それがこの調査隊の指導者の口癖でな。見つけるまで帰らない気なんだな」


「金色で赤子のような姿、背中に翼が生える、だったな。俺は竪穴の底まで行ったが見ていない。超えられない試練は普通だ。この下はさらに〈力〉が強い。喰われるだけだ」


「特別な命なんてないわな。飢えて死ぬし、食べられて死ぬ。事故でも死ぬし、さらに人なんて同族殺しが当たり前。動物と同じかそれ以外だわな。でも教会は人を特別だって教えるんだな」


 キャシーは卑下してるわけじゃないと付け加える。ただ馴染めないだけだと。


『キャシー女子は、平民が、とか貴族が、とかは言わないようにしてるのかい? 平民として暮らしているようだが』


 ソドムの問いにキャシーは、部外者だからかな、と呟く。


「私たちも領主に収める側だな。土の人の指導者以外は平民扱いだから。てもな、学院にいたせいか、貴族が平民を死ねばいいだなんて思ってないことも知ってるな。自分の生活を誰が支えてるかは理解してる。その上でそういう役割だってな。学院の教育者に森の人が多いせいもあるんだろうけど、どう転んでも犠牲は出るからな。平等を謳うだけの理想家の言葉なら聞くに堪えない。何を目的に垣根を下げるのか。そこが重要だと思うな」


 キャシーは急激に変えて犠牲者を出そうが、ゆっくり改革を進めて、その間生まれ続ける犠牲者に我慢を強いようが、大差はないと切り捨てる。


 ライドは「難しいな」と唸る。人の数が圧倒的に少ないライトの故郷では、常に最後に残る命の数が最優先事項だったと。しかし、犠牲の数の大小など比較できない。ソドムの説明に納得した様子を見せる。


 キャシーにはライドのそんな様子が不思議に見えた。


「なあ、話は変わるんだけどな。ライド君とソドムが時越えした相手ってなんなん? ライド君が勝てなかった脅威って?」


 キャシーの問いにライドは少し間を置いて答える。


「体の大きさは強さだ。粘性体の何十倍の体格と高さがある白い4足歩行、手の数はよく変わる。俺の故郷では〈あれ〉と呼ばれた。名前はない」


『山を登る津波だ。私はその脅威と戦ってない。戦える力を求めた結果、こんな姿になってしまってね。今の私は理論上は不死だ。でも、力どころか意志しか無くなってしまったよ』


 ソドムはさらにソドムの暮らしていた頃のミラジは〈巨獣の守護せし都〉と呼ばれていたと話した。


『世界が滅んだ時に生き延びた街だと呼ばれていた。地下には土の人の道が沢山ある。そして街より大きな雄鹿が守っていた。その巨獣と会話ができるのは神官だけと言われてたが、私がいた頃はすでに、かつて会話できる人がいた、 が正しいと思ったよ。それでも巨獣は塀の人、土の人、森の人、あらゆる物理的な脅威からミラジを守った。でも最後の脅威に負けた。前線から戻った兵士は口々に津波は生き物だと言っててね。巨獣も喰われたと聞いている。粘性体の一種だったのかもしれない。まあ、キャシーに会えて、人が滅んでないと分かって嬉しいよ。退けた言い伝えはないのかい?』


 ライドは「大きさの桁が違うな」と眉を顰め、キャシーはそんな言い伝えはないと首を振る。


「学院にも記録はないな。でも巨獣には心当たりがある。時越えの人を詐称するのに利用される大きな鹿の骨が海岸沿いにあってな。それがソドムの知る雄鹿だと500年以上前になるわな。なんで500年かって言うと文明が失われて世界の技術水準が後退したって証明した学院導師がいるんだな。この調査を担当した森の人か考古学を始めたんだけどな。ちなみに、500歳以上の森の人もみらしの近く以外にいないんだって。みな人知れず犠牲になったみたいだな。つまり、封印できない何かだった」


 キャシーはそう言って、当時、この発表は教会から非難轟々だったらしいと話す。智慧に値しない冒涜と呼ばれたと。


「教会の創世記に神の加護を受ける塀の人の興亡記なんてなかったからな。神の創生記は数百年から千年。常に加護の元で発展してきたって。それが今じゃその断絶に神の試練とか名前をつけて取り入れてる。言ったもの勝ち程度の集団が知恵を語るなっつーの。学院出身者は大抵教会が嫌いだわな」


 キャシーは、神の力で劣化しないとされる新たな証拠を生み出してまで学院の発表に反対を唱える教会が、貴族や住民の支持を失って淘汰されたと話す。


 他の物証と繋がって広がり続ける説と、他の物証に反してばかりで、鼻で笑われるようなとんでも解釈をつけて物証の否定を試みる作り話の差だと笑う。


「そんな神や教会が貴族に反旗を翻した時、殺し合いを何ていうと思う? 浄化とか解放とかだな。自分達が一方的な施行者なんだって意気揚々だな。でも本気で反撃されると考えてないから、笑えることになるのな。土の人国にもよく手を出してな。金がないから、通貨を作ってるとこを狙うとか単純な理由でな。狭い地下で背の高い塀の人が何かできるかなんて分かりそうなものなのにな」


 ライドは舌打ちしながら身を捩らせる。


 今度は中々感情を整理できないようだ。その理由をキャシーが聞くと「人を殺さないと何もできないのか? 脅威がいるのだろう?」と返答する。


「ライド君の住んでる場所では殺人は起きないのかいな? あり得ないと思うんだけどな」


 ライドは尚も歯噛みしながら首を回し、あると肯定する。


「戦士は人同士の争いに関わらない。それが戦士の守るべき規範、戦士の矜持だ。なのに俺は長選出の争いに加担した」


「うわぁ。なくならないって言っても、殺人者は珍しいんだけどなっ。うわぁ」


 キャシーが大袈裟に身を縮めて見せると、ライドは目に見えて狼狽えた。


「森の人みたいな反応だな。責められると困るんだな。ライド君もかな?」


 ライドは腰に手を当てて肩を落とすとため息をつく。


「今の言葉にソドムが驚いている。森の人と共存してるのか、と」


「学院内ではそうだな。でも殆どは森に閉じ籠ってるな。学院が森の人の壁の人の社会への玄関口になってる。森の人に対してだけ、学院は居住権の発行許可を持ってるんだな」


「森の人とはなんだ? 俺とキャシーのように骨格から違うのか? 塀の人の中にはまとまっては入らないように聞こえる。上手くやれるのか?」


「もしかして、森の人の心配かいな?」


 キャシーは一瞬呆気に取られ、その後笑い声を上げる。


「危険なのは塀の人だわいな。精鋭だって森の人を倒すのは難しいし、追い払うだけ。逃さないことすら難しいな。精霊術の手数と使いやすさは別格で寿命はないし、老化もない。トカゲの尻尾みたいに腕も足も生えるし、頭が潰れようが首が切り離さなければ死なないな。協調性や道徳はないし、同じ森の人同士でも自分が1番だって互いに高慢張り合う生き物。学院は森の人に道徳や生活様式を教育する場所でもあるのな。そのまま塀の人の街に放り出せないから。ついでに反省機能をつける場所だってのがレーヴェ導師口癖だな」


 キャシーは、レーヴェ導師とは学院の創設者の1人である森の人だと付け加える。


「見下す相手の住処に入る理由がない。学院にそんな機能をつけても誰も来ないだろう。レーヴェという森の人に強制できる力があるのか?」


「レーヴェ導師は森の人の中で特殊な地位で、成人の証をだせるんだな。それを求めて森の人は学院に来るんだな。森の人の思い込みは凄いからな。実際に塀の人の街に入ると衝撃で一晩中立ちすくんだりな。今の塀の人の発展は目まぐるしいからな、鍛治とか美術品なんかは土の人が上だけど、ほぼ全般的に塀の人が抜いたな。森の人は精霊術が使えて、集団工事を1人でやれるけどそれだけな。どんなになんでもできても、頭は一つ、手は二つ。同じこと一部ができて、人数で補えるなら、数がいた方が断然早いもんな。森の人は時間の縛りもなくてできることも多いな。癪だけど頭ももいいし。でも全て一から自分でやらないと信用しないのな。学院に残る森の人は、同族からその悪癖を取り除きたいんじゃないかって思うな」


 キャシーは、森の人は会話の最中でも平気で考え事をするなど、相手のことは考えない。急かすと鼻で笑うと肩をすくめる。


「そんな森の人が塀の人の街を自由に歩ける許可が降りるとハマるんだな。居住権が欲しくて学院に戻ってくる。泣きそうな声で懇願するんだな。びっくりするわな」


「想像できない。文化とは狩をしないことか? ランタンを作るのにも、大量に部分部分を作る専門がいた方がいいのはわかる。代わりに狩りに出る者が、全ての食料を賄うのか? できるのか?」


 ライドは肩をすくめる。


「いい道具が生まれれば狩も楽になるし、穀物の収穫量も増えるわな。そして、何を作っても通貨があれば食料が買える。通貨に価値がある社会を貴族が守る。だから色んなものが生まれて発展するんだな。通貨って、土の人の国で生産してるんだけどな、見てみ? 凝ってるでしょ? この鉱石自体、結構貴重なのな。地中深いところで、塀の人は採掘も加工も難しい。偽造は死刑だからな」


「通貨は食べられない。その価値は貴族が保証するのか? 何と交換する?」


「ライド君の生きる場所には通貨がないんだよな? 金属なら金。食べ物なら小麦と交換できるな」


 説明されたライドは〈きん〉も〈こむぎ〉もわからないと首を振るが、通貨には興味深々だ。キャシーから借りた青い金属を触って、覗いて、忙しない。


『ランタンに光をつける時、火を使わなかったと聞いた、私の時代にはない技術だね。なんですか?』


「実式な。学院で学べる」


 ソドムの言葉にキャシーはまだ50年程度の新しい学問だと話す。


「精霊術を一般化して扱う学問だな。条件や手順で精霊を物理的に動かす。塀の人が始めた研究だけど、完成させたのはレーヴェ導師な。精霊術を使えない塀の人が精霊と物質を繋げるわけがないな。昔は象形学って言って、ミラジで研究されてたな」


『私の後の時代だね。聞き覚えがない』


『知らないのかいな。残念。実式は森の人の優位を売り渡す所業って、レーヴェ導師は同族の長老から追放されたらしいな。ちなみに長老ってのが成人認定できる森の人な。でも、導師の動機の方が私は気に入ってるな。当時な、塀の人が爆発する粉の技術で森の人を簡単に殺したり捕まえたりして、人身売買が横行したんだな。その技術を潰すためだな。レーヴェ導師はこれを止めるには塀の人自身に使えなくさせるしかないって考えたらしいな。森の人の時間感覚は遅すぎるから、対抗策を森の人に求めるのは諦めたのな。この実式ってな、使うと側の爆発する粉が全部吹き飛ぶんだな。元々、精霊と相性が悪いから、森の人守りを突き抜けて精鋭にもでない殺傷能力を持った武器なんだな。でも、精鋭には役に立たない武器で、軍で捨てられたものが森の人狩りに使われたんだって」


『先見の明のある森の人なんて気持ち悪いね』


 ソドムの言動にライドは「森の人が嫌いなんだな?」と確認する。答えは是だ。道徳のない彼らは精霊術で相手の感情を操るとキャシーが同意する。


 ライドにとって、精霊術師は同じ集落の中でも多かった。そして、近くにいるからこそ、抵抗の手段にも慣れ、不利益をさせなくできる。


「精霊術は、知れば抵抗ができるようになる。慣れれば共に暮らせる」


「無理だと思うけどな」


 キャシーは言葉と裏腹に、強い語調で否定する。


「森の人にとって、他の生き物の一生は私たちの2〜3年だな。私たちにとって状況は変わるものだけど、森の人にとっては変わらない一瞬。考え方に与える影響は大きいな」


「森の人は塀の人の文化に興味を持ってる」


「知識としてな」


 煮え切らずに言い淀むキャシーの隠れた言葉をソドムが塀の人や土の人を牧羊のように飼育したいのだと引き継ぐ。


「ソドムの時代から変わってないのかいな。でもそうだな。学院に来た森の人は塀の人の文化は見下すだけで興味ないな。でも、街にでた森の人は、それが合理的って話すな」


 森の人は数が少ない。どんなに頑張っても街は作れない。塀の人の文明を支える分業か成り立たない。


 でも寿命のない森の人なら仕組みを維持し、もっと上手く運営し続けられると。


「発展もなさそうだ」


 キャシーの説明を聞いて、ライドが苦笑する。


「森の人の導師も同じ見解だな。その理由は文字と同じな。その辺、その森の人が立ち上げた文化史って話になるんだけど、聞くかいな? そろそろ疲れたし休憩や食事どきだな。あ、私はいいや」


「俺も腹が減ってきていた」


 ライドはほっとしたと笑う。逆にキャシーは表情を固くして我慢すると固辞した。しかし、結局、ライドが焼いた蛇の肉を食べた。腹は減っている。壁際にキャシーと並んで腰掛ける。カビ臭いが、下は湿っているからだ。2人が並んだ様は子供と大人だ。遠目には幼児が手を伸ばして大人の腕を掴んでように見える。


 実態はキャシーがソドムに触れやすいだけだ。ただ、ここまで落ち着くまでの過程が騒がしかった。


「どっから出してきた! その肉っ」「何この太いの、まだ動いてるがなっ!」「石を割らずに熱するって、どんな握力かいなっ!」「だからっ、どっから蛇の頭出したのかいなっ! どこが小さいのなっ。頭だけでライドより大きいわなっ」


「お互いさまだ。文化の違いは驚きが沢山だということだ」


 ライドの困ったような答えに、キャシーが「全員精鋭の国かいな」との呟く。


 別の文化圏の住人。そんな異常な発想が言葉の違いと生活様式の違いで当たり前のようにお互いに浸透していた。


 この場所が異常だから。後々、キャシーはそう表した。普段なら神を語らない塀の人以外でも敵だと警戒すると。


「話を聞く前に確認したい。ソドムから聞く話から、俺は〈かみ〉と〈きょうかい〉をこう理解した。いいか?」


 ライドは、キャシーの森の人の〈ぶんかし〉の話の前に、知りたいことがあると割り込んだ。


「俺の今の理解を訂正してくれ。〈きょうかい〉は〈かみ〉という名の保護者に感謝を捧げる共同体だ。保護者には種類かあり、皆が己の保護者を頂きに据える。教会は神の代行者として住民を統治する貴族に神の意思を正しく伝える役割を担う。そして住民には感謝を求め、この過程で読み書きや道徳を教育する」


「貴族側の視点ではな。今までは規模が小さかったけど、今は盛んだな。暴動で領地からものがなくなって、貴族を詐欺呼ばわりし始めてるな。農村が貴族に食物を納めず、信者になってそっちに私財の全てを送るからな。領民からは状況を変えるリーダーが生まれない。どんな言葉も貴族の甘い汁を自分が代わりに得たいだけって言われるからな。信用されるのは楽しそうで、救われたって名乗る人が多い集団だな」


 キャシーは先ほどの快活さとは打って変わって、言葉のキレを失う。表現に悩んで見えた。その言葉をソドムが継ぐ。


『信者は指導者についていけば必ず救われると信じてる。だから縋る先のない者にはその自信が輝いて映る。でも考えてみてくれ。その為に日々犠牲になる信者はいないのか? 豊かな資源はないのに。信者も理想に辿り着く為には犠牲が必要だと考えているんだ。その中で自分が犠牲にならない為にはどうする? 信者となる新人が持ちよる私財を、自分が手に入れるしかない。楽しそうなのは何のためなのか。そして、問題は脅威に対して彼らは素人集団だ。指揮は採れない、道具も訓練も準備がない。そして脅威は人じゃない。主義主張に意味がない。喧嘩では勝てない。神や指導者に縋る信者が仲間を食い散らかす捕食者になにをする?』


 ソドムの声が低くなる。しかし、どちらの説明に対しても、ライドの眉はひそめるばかりだ。


「飢えるのに狩には出ないのか?」


「農村なら狩に出るな。ても領地民には狩ができる人がいないな。通貨で食料と安全は買えるからな。学院なんてその極みだな。知恵を蓄えて貢献する」


 ライドは曇った表情のまま、一応の納得を示す。


「キャシーが直面している問題は、貴族という従来の長が、物やそれに変わる何かを生み出せない弱い長に変わるかもしれない。その理解でいいか? もう一つ。貴族は〈かみ〉との繋がりはないのか? 多くの住民は〈かみ〉に親しんで聞こえる。良し悪しを教えるのだろう?」


「貴族は神から統治を委任されたって立場だな。教会は大抵、貴族の権威を認めてるな。でも、一部が対立してる。人々の運命も生活の為の知恵も教会が神を通じて発信したものだって。貴族は元はその手足だったって。そんな時代、土の人の記録にもないんだけどな。人の代表はいつだって武闘派の王。ちなみにジュヌ教は貴族にべったりな。そして、今一番支持されてるのもジュヌ教。御遣い様々」


「「ミラジは文明の断絶を逃れたと言った。なら、一番強い集まりだ。言葉を統一したのはミラジか?」


「わからないな。記録がミラジにしかない。土の人の国も滅んでるんだな。そのミラジにだって領主発行の公的文書を除けば少なくてな。ミラジでソロ教会って、古い教会の復権があったんだけど、その時に焚書って言って、本を焼いて教会の国を作ろうとしたらしいのな。お陰で記録に残る細かいことは時越えの人の記憶を繋ぎ合わせて確認してる。学院はそうやって事実を物証に繋げて昔の姿を復元してるんだな」


 キャシーの言葉に、ソドムも似たような話を知っているとライドに話す。


『ミラジより南の山麓に地面に埋もれて発掘された遺跡が発掘された。これは元々地上にあったものが、埋もれた遺跡でね。土の人は千年を超える可能性を示唆したんだけど、記録らしい記録はなかった。木に文字書いたものが数百年土に埋もれても残るのにゼロだった。かけらもなくてね。学院の調査と似てるね。私たちが記録を知りかしたかった理由は、その遺跡の建築方式が、当時の私たちの最新技術と同じだったからだ。石を切り出して積み上げても大きな建物は作れない。均一じゃないから石の弱い部分が潰れて崩れるんだ。その為に大きな建築物を作るなら、一から石を作り出した。それを重いものから下に積み上げる。遺跡はまさにそう作られていた」


 キャシーとソドムはしばらく歴史の話と技術の話に興じた。しかし、ライドはわからない。黙って聞き、言葉の記憶と練習に費やした。


「ソドムとはそのうちお酒でも飲みながら、話したいなっ」


 キャシーは楽しそうだ。ソドムもだ。ライドは取り残されたように半眼で聞いていたが、やがて森の人の文化史の話に移り始めた。

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