一章 選択の時 2
ライドがストール=レドール率いる赤大蟻討伐の後衛まで帰り着いたのは翌日も遅い時間だった。
ジャニルを出迎えたジュールは、「委細を学院から聞いている」と怒りと苦渋で満ちた目を向ける。
「ジャニル殿。貴公の働き以外はな。それに少年。そのボロボロの格好は見るに耐えん。着替えを用意させる」
ジュールもまた、ソドムの依代としてではなくライド個人の力を疑う1人だ。ソドムに憑依されていないことを実式で知っている。ジュールとジャニルは〈発動型〉の実式を使う。ソドムの触手に気が付いている上で、敢えて無視している。ソドムはもう、見えてることを気にしないことにしたようだ。話すなら、話しかけてくれと、ライドに言伝を頼んでいる。
ここは篝火を焚かれた野営地。屋外だ。辺りには仮眠を取る兵士が溢れている。戦況は楽ではないようだ。
「兵士は疲れていますね」
ライドは敬語を頭で組み立て尋る。
「蟻のくせに巣穴に立て籠もりおってな。その巣穴に問題があって今立ち往生している」
ジュールの言葉に、ソドムが『ガスだ』と呟く。
赤大蟻体液は、巣穴に猛毒の風を充満させるらしい。白煙と呼ばれる喉に痛い風だとか。厄介だ。
『大量の水があればいい。森の人の出番だな』
ソドムはそう評し、ジュールも学院に応援を依頼していると答える。
「今頃学院に協力要請を? それ、赤大蟻を開放する前にやっとくことじゃない?」
ジャニルの指摘に、ジュールは頷く。私の失敗だと。
「知見がなくてな。黒大蟻を基準にした。学院に問合せをしたのは一昨日だ。明日には協力者が到着する。だが学院からは俄には信じ難い醜態も耳にした。騎士院生が無様を晒したらしいな?」
ジュールは昨日の騎士院生の青年を思い出してか、渋い顔になる。
「あの風の柱はここからでも見えた。厄介な兵器だ。かと言って赤大蟻を野放しにはできん。だがジャニル殿。あの空の真下に護衛対象もまとめて野営し、護衛対象一人逃がせなかった。この経緯が解せん。ローレンの騎士院に問いただしたら生徒に責任を擦りつけよった。連絡もないとな。学院からは騎士院教員の指示があり、生徒は抵抗していたらしいと報告があったそうだ。そう伝えた上での返答だぞ? 私はもうろくしていると馬鹿にされたのか?」
「ごめんなさいね。そこにいなくて。言った言わないの喧嘩は嫌よねぇ。でも、この件はどっちにしても教師の責任は免れないと思うんだけど」
「説教に呼びつけたら後援を寄越すそうだ。生徒を叱りつけてもどうにもならん。同伴はつけるだろう。その者に問う。生徒には問えん」
「心中お察し申し上げますわ。でもちょっと対応が異常じゃなくて? 領主様に問い合わせた方がいいんじゃないかしら?」
「宰相に連絡した。調査するとのことだ」
ジュールは渋面で皺深くする。
「あの準貴族の宰相はよく分からん。ローレンでは重用しているようだな」
ジュールの視線がライドとミンウの上を走る。その動きをジャニルが止める。
「先に休ませてくれない? 坊や達は大変だったのよ」
「見ればわかる。よかろう。それに聞いても平民では証言にならん。それより私は貴公がいつになったらフードを取るのか気にしている。当たり前の礼儀を示してくれる時を待ち侘びているぞ」
「残念。私達別働隊はフードを取らないの。これが正装だもの」
ジャニルとジュールのやりとりの間にもミンウは船を漕ぐ。
「少年。兵の邪魔にならぬよう端で横になれ。座敷が必要なら係の者に言え。許可は出してある。それと、着替えろ。身丈に合うものがあるかはからんが、使い古しの病床服くらいあるだろう」
ジュールは、体より2回りは大きい鎧同士が擦れる音を立てて、その場から離れる。
ジャニルも離れようとするが、ライドは「少しいいか?」と呼び止める。
「あら? こんな夜更けに私にお誘い? 剛毅ね。それにライドちゃん疲れてないの?」
「ああ」
「でもミンウちゃんは先に寝かせましょうね。もう寝ちゃってるじゃない」
指摘の通り、ミンウは椅子と机に寄りかかって既に眠っている。ライドはミンウを抱えるが起きる様子はない。
ライドはミンウを兵士から少し離れた入り口の近くの空きに寝かすと、休憩する兵士達から少し距離を取る。煩くして睡眠の邪魔はしたくない。
「聞きたいことは兵士についてだ。何故あんなに短い刃渡の武器を使う? 持ち手のついた円形の鉄板も赤大蟻相手では顎に捕まる。適当とは思えない」
多くの兵士が身につける幅広の武器では外殻は抜けないし、させたとしても抜けなくなる。丸い盾は腕に固定して力は込めやすいが、捕まれば外せないことが欠点になる。素人目にも相応しくない。
「それが聞きたいこと? まあいいわ。対人用の武器だからよ。赤大蟻用に武器も準備した様子はないわ。計画しての解放じゃないのね。結果は過信だった。脅威の強さは差が大きいのに黒大蟻と一緒に考えたのね」
ジャニルは面白そうにライドを見る。
「彼らは衛兵。ローレンやキルケニーの街の紋章が混じってるわ。急募したのね。盾が丸いのは相手の顔に押しつけて使うからよ。盾で押し倒せば相手は頭を前にできないし、肩も動かせない。あとは盾をどけたら柔らかい場所を狙って刺すだけ。押された方は盾がどかないと、突き上げるのも難しいわ。前に重心が動かないもの。昔からよく知られた衛兵の基本戦術よ。赤大蟻相手に使う装備じゃないのは確かだけど、使ったことのない武器でじゃ怖くて使えないでしょ? 間違って仲間を傷つけかねないもの」
慣れた武器はその刃先まで腕の延長のようにわかるらしい。不思議だ。偏った〈知覚〉ではなかろうか?
「ジュールが身につける鉄の鎧は? あれは一度潰れれば、自分では脱ぐことはできない。体に食い込んだままになる」
「そうね。ご指摘の通り。諸刃の剣の側面はあるわ。ちなみにライドちゃんは精鋭は何で強いか分かる人?」
「自分の時間軸が周りより早くなる」
「あら詳しい。なら、動かずに同じ効果を得る方法もご存知かしら」
「自分ではなく、周りを〈風の壁〉より早く動かす。それでも同じだ」
「隠す気もないのね。余計な気を使わなくて助かるわ。ジュール卿は後者。あの鎧は鱗式の鎧を応用した芸術品よ。ジュール卿が強化すれば、並の精鋭じゃ傷つけられないわ」
更に鱗状に組み合わされた鉄の板は、仮に潰せても反り返り、体側に食い込まない工夫がされているという。
得られる効果は〈強靭さ〉。ライドの故郷では〈重い〉と表現する。
技術には自身の行動を最大化する側面と、相手の行動を阻害する側面がある。この考え方は、ロニの動きから、この地域も故郷と変わらないとみる。特に後者の側面は技量が勝る者の強さの要だ。しかし、これを活かすには条件がある。相手に与える痛みや衝撃力が、相手の動きを止められること。相手の欠点を狙っても止められないようでは牽制にもならない。この場合、技術のもたらす利点の半分が失われることになる。
死喰い人を相手にする時には誰しもがこの〈重さ〉の効果を思い知る。
体を切られ、刺されたながら、〈重い〉相手は自分の行動を強行する。一呼吸遅れても関係がない。
人の腕は軽戦士の身体の動きより遥かに早い。打撃や痛みと言った衝撃力が身体の〈重さ〉を上回るなら、僅かでも早く攻撃が届いた方が、相手の攻撃を無効化する。しかし、〈重さ〉が衝撃力を上回るなら、常に攻撃が遅れた方にも打撃を与える権利が発生する。この時、先に攻撃した側は動きを止めて隙を晒していることになる。
ジュールの鎧はこの作用を人為的に作り出すものだ。聞くだけで重戦士とは相性がいいとわかる。
ただ、重戦士の戦い方は誰でもできる訳ではない。重戦士は停止状態から、移動も攻撃も〈力〉を瞬間的に放出して行う。その放出に耐えられる断面積の大きな体格がなくては自滅する。耐える力は筋力と筋肉の断面積が生み出す。
重戦士は、同格で正面から戦うなら、軽戦士より強い。打ち出す衝撃には相手の行動を阻害できる効果があり、狩のような集団戦では特に顕著に現れる。
しかし、生き方に影響を与えるほどの欠点もある。衝撃で止められない格上からは逃げる自由もない。食い殺されることが確定する。
狩りで遠征を嫌うのは大抵重戦士だ。
吸血鬼は重戦士であり、軽戦士でもあるとライドはみる。重戦士としての体への負担を回復力で補える。更にこの回復力が相当な〈重さ〉に結びつくだろう。治ると分かっていれば、痛みは慣れ、無視できるものだ。
話は戻る。人に対しては刃や穂先の鋭い武器が有利だ。痛みは最も効果的な衝撃力だ。しかし、それは大型の獣や赤大蟻のように痛みを感じず、外殻の厚い相手には意味がない。兵士の持つ鋭い刃は軽く、硬い外殻は通らない上に重心を動かすこともできない。赤大蟻は〈重さ〉の効果を得られることになる。
ライドは隠れ家に身を隠していた時、兵士の武器の違いによる赤大蟻への効果に注目していた。結果、数こそ少ないが棍棒を持つ兵士だけが技術を活かしていた。この地には〈鉄〉という、夢の素材がある。武器と相手の特徴さえ間違えなければどんな敵にも優位に戦える。それ程のものだ。
しかし、使い慣れない武器はその強さ故に簡単に味方に対して取り返しのつかない事故を起こすか。ジャニルの指摘に顎に手を当てて考える。この地は人が多く、集団戦では狩の持ち場が武器の長さに対して近すぎる。
「慣れた武器に勝るものはないわ。自分に合った武器を探すのも大変。そりゃ何でも使えれば素敵だけど、それができる子は稀よ」
そう言ってジャニルは腰から細く長い銀色の剣を抜く。打撃による衝撃力を捨て、刺突に特化した武器だ。
「私はこれね」
ジャニルは刀身に軽く口づけする。
まるで木のような質感で、年輪のような模様が刻まれる。しかし、木ではない。見るだけで力を感じるほど、硬く、鋭い。ジャニルの手にあるその刃は、見ているだけで警戒を呼び起こされる。刺されて止められない。貫かれる確信だ。
ジャニルは刃を収めると、フードを取り去り、木により掛かって腕組みする。その目は柔かにライドに向く。
「格好いいでしょ? 美形のこの姿」
ジャニルは笑う。そして闇を指差す。そこには微かな篝火の光の中、長い腕で四つん這いの石人形が幾つも鎮座する。
「あれは石人形っていうの。最近の主力兵器ね。元は石だけど、付与系の実式の最新技術の結晶よ。衝撃を放てる丈夫さがその証。ちょっと酸に弱いみたいだけど、ライドちゃんはどう戦う?」
「戦わない。並べられたら近づけない。衝撃が重なった場所では赤大蟻が砕けたのを見た。衝撃が互いに相殺しないとなれば数は脅威だ。やらなければならないなら、上からだな」
「そうよね。風の柱から降りる時、ライドちゃんは〈窓〉使ってたもの。別の景色が見える人。だから困るわ」
ジャニルが言葉の終わりに衝撃をライドにぶつける。
ライドは音を立てて一歩下がる。ジャニルの仕掛けは分かっていた。ジャニルは〈知覚〉の差し合いをせず、まるで行動を知らせるように衝撃を発した。しかも、衣服が破れない程度に拡散させて。これでは多々吹き抜けた強風だ。しかし、だからこそ何を確認したかったのか予想できる。
ライドがどの程度の動きで、どの程度の〈力〉が発生するのかを、だ。
「驚がない。誇らない。警戒も十分。動きは素人なのに判断は手慣れすぎ。何処の人かしら」
「山の集落の出身だ」
ソドムと決めた架空の出身を貫く。ソドムの時代に死の山と言われたローレン北の雪山だ。
問題はジャニルならそんな村はないことを確認に行けてしまうことだが、時間は稼げる。
その答えに合わせて、ジャニルは何処かで誰かと話を始める。〈知覚〉に触れないところを見ると、遠話だろう。
「ああ、うん。今確認したとこ」
ジャニルは誰かに語りかける。そして、それが終わると改めてライドに向き直る。
「ローレンの地下からの調査隊が戻る一週間くらい前ね。セレ国の人の住む版図全域に薄く圧迫感が生まれたわ。〈千里眼〉を使える人にしか分からないものね。中心はローレンよ。遠くに離れるほど、方角ははっきりするけど、近づくと濃度の差が小さすぎて方向が分かはなくなるわ」
「俺が原因だと? ないな。ローレンには何か封じているんだろ?」
「勿論、封印が解けた可能性も無視してないわ」
「御遣いは敵だ。報告は聞いてないから? 粘性体の親玉のような外観の運び出そうとしていた。地下の岩盤を溶かし、巨大な縦穴を作りながらな」
「初耳だけど?」
「俺がディーンに伝えた」
「信頼されなかったのね。個人の体験話ほど不確かなものはないわ。布が揺れても天変地異になるから」
ジャニルはため息をつきながら、ライドを一瞥する。
「御遣いが作ったって縦穴はどこ?」
「山岳の悪魔が最後に辿り着いた広い空洞の側だ」
「調べるわ。でも逆にライドちゃんを知っちゃったから手伝って欲しいことができたんだけど、お願いできないかしら? 報酬は相談に乗るわ」
ライドは警戒を強める。まともな依頼ではないだろう。
『巻き込まれない為にはミンウ君を置いて逃げるしかない。君は行動すれば誰かに捕まる』
ソドムは赤大蟻から逃れた翌朝にそう言ってライドに選択を迫った。しかし、ライドは聞き入れなかった。周囲を包囲、警戒され、ミンウを連れて逃げきれなかったからだ。ミンウは自分が連れ出した子供。その状況が幼い日の傷に重なった。しかし、それはライドの個人的な理由だ。
しかし、ソドムの意見が変わる、
『悪くない。いや、いいね。多分、大きな利にできる。乗って欲しい』
ソドムが良いならライドは乗り気だ。荒事を含む気配に、機会のなかった懸念の確認ができるかと期待する。
「少し、質問を追加させてくれ。実式はどうやって生まれたんだ?」
「話が飛ぶわね。少しならいいわよ」
「森の人が学院で完成させたと聞いた。精霊に対抗しうると。森の人にとっては種族の利を捨てる行為だ。そこまで追い詰められたのか?」
新たな技術は過去の技術の上に成り立つ。だから古い技術は淘汰される。それがライドの故郷の常識だ。
しかし、実式と精霊術は互いに利点があり両方存続している。不自然だ。それにセレ国統一前は、塀の人の勢力は分散していたと聞く。森の人が協力を申し出れば、塀の人が譲歩する。森の人を味方に、最低でも敵に回らなくできる。なのに森の人が譲歩した。
(森の人から見れば、塀の人との約束は常に破られる。寿命に差がある)
森の人が塀の人と協力すること自体が考え難い。例えばライドの故郷で世代交代は50年ちょっと。これは第一線に立てる体力の期間だ。塀の人では20年と言われるらしい。世代が変われば、状況に合わない約束事は破棄される。何十年使われない約束なら無くなっても誰も気にしないだろう。この時、森の人の都合を考えるとは思えない。
森の人にとってその時間は一瞬ではないのか? そんな相手に種族の特徴と言われるほどの利点を差し出す。想像できない。この条件は森の人から申し出なければ引き出せない条件だ。つまり、現在の精霊術と実式の技術が両立するのは、森の人の計画に思える。
この疑問を口にすると、ジャニルは「そんなこと考えるのはソドムちゃんかしら?」と苦笑いする。
「森の人にその決断をされせた理由は2つ。一つは人の嗜好で、もう一つは当時の技術ね」
「嗜好? 森の人は見た目は綺麗だと聞いている。愛玩か?」
「田舎者の発想じゃないんだけど突っ込んで欲しいの? 生憎もっと気持ちの悪い理由よ。不老不死は人の野心を掻き立てるものよ。体に取り込めば自分のものになるって思い込んじゃうくらいね」
食ったのか。自分と姿の似た者を。
飢えて排泄物や死体の一部や、自分の体に手をつける。そんな話は聞くが、姿似を「食った」と聞くと胃が痙攣する。
「生きたままよ。森の人は怪我に強いの。でも死ぬと死体が残らないわ」
「正気か? いや、正気か。正気を失えば、欲が本能を上回れない」
「何言ってるのか分からないけど、問題は一攫千金になるほどの値段がつくことね。買い手は幾つも仲介を挟んで隠れるわ。一対一じゃ精鋭でも捕まえられない相手でも、お金の魅力のためには何でもするものよ。何でもね。それでもまだ高い壁。依頼人が死ぬまでに達成されることもまずないわ。でもその壁が技術で引き下げられた時期があるの。多くの人が森の人狩に名乗りを上げたわ」
その技術を〈かやく〉と言った。破裂する粉で、小さな鉄を飛ばし、精霊の守りを抜いたらしい。
精霊は鉄に作用し難いとか。
しかし、不思議な話だ。精霊が作用するからこの世にも物がある。自身を作る精霊を支配するのが戦士長だが、作用し難い〈もの〉と言われてもピンとこない。そういえば、精霊のいないという〈死せる大地〉の話を思い出す。機会があれば森の人にきいてみたい。学院生なら何か知っていると見る。
「精鋭にとっては意味ない技術ね。向かって走れば怪我するけど、離れるように動けば指で摘まめるわ。それに訓練しても狙い通りに飛ばない武器よ。構造上の問題でね。でも少し練習すれば誰でも狙った方向に飛ばせるの。子供でも威力は同じ。だから数を揃えて並べて使い易かったわ。〈かやく〉は高価で軍事的には広まらなかったけど、森の人狩りには普及したの」
年に1人前後の犠牲者がでたらしい。未曾有の被害数だとか。
数分の1であれば森の人も妖魔の被害に遭っている。しかし、妖魔相手なら、森の人の命を奪える力は滅多になく、怪我が治ればいずれ隙をついて逃げ切れるとか。森の人は部位欠損すら一月で復活する。しかし、塀の人に捕まった場合はそうはいかない。意識が戻ることはない。故に逃げられない。そして、塀の人は信じた効果が生まれなければ、食べる部位を拡大し、死に至らしめる。例えば心臓、例えば脳だ、
意識がないとはいえ、食われる恐怖と苦しみは想像したくない。
「実式は〈かやく〉の技術を潰す為に森の人が持ち込んだのか」
「そ、森の人はのんびり屋だから。一刻も早く実式を完成させて広める為に持ち込んだの」
森の人の中に、事前に〈かやく〉を知り、対策を考えていた者がいる。だが、どうやって技術を潰すのか?
「実式は〈かやく〉を作動させるの。例えば遠話の象形図の片割れを互いに世界の端に持って話しながら平行に歩くじゃない? その間の〈かやく〉は作動するわ。範囲は上下に直径2mくらい。今なら実式使った入れ物に入れて遮断できるけど、それでもそのままじゃ利用できないし、側で誰かが実式を使えば大変な目に遭うわね。精鋭には大したことなくても、〈かやく〉を使うのは使うのは精鋭じゃないもの」
「概要は分かった。それで俺に何を望む? 少し離れた場所に5人見つけた。関係あるのか?」
ライドは〈知覚〉は使えると、改めてジャニルに示す。この情報は、今後共に行動するなら隠す意味はないと思っている。
「昨日、騎士院生の動きがわからなかったわよね? 何で今は分かったの?」
「実体のない〈力〉だけの存在があった。精霊にも見られる特徴だ。それに俺の〈千里眼〉の精度は動いていない相手がわかるほどじゃない」
「精霊に詳しいのね。その通り、その私の雇った傭兵についての相談よ。塀の人の中でも数世代に1人くらい精霊術を使える人の子が生まれるわ。瞳術師もね。そんな子は気味悪がられて、大抵裏組織に流れつくの。彼等はちょっかいかけられちゃったの。やった相手はライドちゃんも声を聞いたんじゃない? 昨日、馬鹿笑いしてたから」
馬鹿笑いと言われて、思い当たる声はある。
知識や技術以外、成長しない吸血鬼にとって先天的な技術は魅力的。さらにそう言った出自だけに吸血鬼に嫌悪感は低く、人の社会に復讐心が強い。気持ちの強さは身体機能ほどではないが、吸血鬼化の重要な要素だという。
「どこまで特定できてるんだ?」
「ネビュラって名前の吸血鬼よ。今いる場所とか行動内容を除けば特定済みね。元お仲間だし」
「吸血鬼化しても精鋭に達しなかったんだな。時間を戻れるなら、ザストーラという奴もか」
「同意するわ。精鋭ならここも行動範囲でおかしくないわ。でもそうじゃなかった。私の〈千里眼〉の範囲に彼はいないわ。無限に時間を戻れる訳じゃなければ来ないわね」
「ジャニルは自分の意思で吸血鬼になった。それだけの覚悟や目的があった。だが命拾いしただけの吸血鬼に食事が制限できるのか? 信用を失わないのか? 何故増やす?」
「概ね心配の通りね」
ジャニルはその危険より大きな脅威に対抗する戦力が欲しいからだと話す。
「王に会えるのは私たちの中でも一部だけ。それに無秩序にはならないわ。説明は難しいんだけど皆脅威に対して必死よ。他人への恨みが深い子を集めちゃってるけど、人としての自分を失うと気がつくのよ。どんなに憎んでいても人の営みが消えてなくなることは望まないってね。心は人を辞められないのよ」
「よく分からないが、どうしても許せない復讐相手はいるだろう? それは止めない。王も認めているのか?」
「想像にお任せするわ。本当は失う前に気が付きたいんだけどね」
ジャニルは肩をすくめる。
「風の柱も脅威に対するため?」
「そ。彼らは少しでも進行を遅らせたい。私達は少しでも協力者が欲しい。それが武闘派のレドール派なら尚のこと」
「脅威は今の軍の敵じゃないんじゃないのか?」
「勿論、今の軍力は破格よ。史上初の統一国家だもの。でも脅威も千差万別。多くの国が消滅した脅威もあるの」
予め減る分を補充する。一体どんな情報があるのか? 普通なら勝利を重ねる戦力に酔いしれる。
「ザストーラ。時を遡れる相手とはどう戦う? 近づけばより有利な未来を選択される。その間隔を広げられれば物量で選択肢を無くして勝てるだろうが、それは気がついた後の話だ」
『馬鹿な仮定だな』
真面目に答えるライドに、ソドムは難色を示す。
「物量による正攻法よ。それにザストーラちゃんの存在は確認できてないの。まだ可能性の段階よ。でも、瞳術師はザストーラちゃんの嫌がる物量を崩す一番の手段でしょうね」
その彼女が自分の存在を示してきた。
「私は明日か明後日には森の人を連れて奇襲に出る予定。でも居なくなったら軍に仕掛けるとか、意思表示する必要ある? 私の足止めにはならないわ。人員が足りないなら、応援を頼むだけ。同行する森の人は明日、ジュール殿の陣で合流するわ。ローレンの守りの時間を稼ぐには、もう風の渦を人質に取れないと相手を惹きつけられないもの。この情報はまだ数人しか知らないことよ」
情報が漏れた線は考えにくいとジャニルは断言する。
「例外はザストーラちゃん。そして、もしいたら、奇襲部隊なんて、数の少ない弱者なのよね」
ジャニルはため息をつくと、ライドを試した時とは別の意味で木にもたれかかり、闇の中で枝葉を見上げる。
どんなに隠しても、未来を知っているなら既知の行為だ。
『君は時々〈補助〉の顔を見せる。ディーン君が〈後衛〉向きの〈補助〉なら、君は〈前衛〉向きだな』
「比較にならないがな」
『方向性の話だよ。でも未来は分からないね。私は君とディーン君の立場が逆転しても驚かない』
ジャニルはソドムとの会話をじっと見ているが、口元が緩い。言葉を挟む機会を窺って見える。
ライドはソドムとの会話の切れ目で話しを切り上げ、ジャニルに話しを促す。
「よく見えてるじゃない。ちょっとお仕事する気ない? 報酬は関係する内容情報を共有すること。破格でしょ? 先行投資したいの。だから取引相手にしてあげる。この関係、ソドムちゃんなら育ててくれるわよね?」
曖昧な報酬だ。しかし、ソドムはその言葉に小躍りする。
『ナリアラ女史とシャル君の手配書を崩せる目処がたてるのに、願ってもない提案だ。ジャニル殿への利は私に任せてくれればいい。存分に利を考えよう。問題はライド、君だ。やるなら、この先途中棄権はなしだ。ナリアラ女史とシャル君の自力救出の道が出来そうだ。そのかわり、精神的にも楽な道じゃない。でも、私はやりたい』
ライドは小さく頷く。
「概略を聞かせてくれ。俺に対する懸念を中心で中身は枠だけでいい」
『ああ。私は下手人をナリアラ女史の代わりの正当な犠牲者にする。真犯人をその為に守る。真犯人に下手人を切り捨てさせるのさ。それでレドール侯爵に納得させる最後の手土産は、体を手に入れた後の私だ。真犯人を引き出す利が小さいなら、手間をかけて予定を変更する意味はない。問題は真犯人の動機には理由があるはずだからだ。先にそちらの話を聞いていたら、ライドはそちらについたかもしれない。その水準の理由だ。だから、私達の敵は正常な正義感を持つ相手か、職務と秩序に忠実な、統治に必要な人材になる』
『そうか。予期してたよ。誰かを助けてもその皺寄せが誰かに来る。貴族を除けばな。かなりやる気を削がれる理解だが悩む気はない。必要ならやる。戦士の矜持を外れてもな。何も変わらなくても、目の前の現実くらい、気分の良いものであって欲しい。だから、俺はナリアラとシャルの味方でいい」
『いい答えだ』
ライドは笑う。嘲笑ではない。諦観でもない。ライドなりに見つけた判断基準だ。あまり変わらないなら、真面目な貴族の邪魔をしない方が、領地の暮らしは早く向上する。それが、もっとも皆の為になるかもしれない。それも生き方だろう。しかし、平民に冤罪を押し付けるその行為は受け入れ難い。
「その約束は何が担保になる?」
「縁故に担保はないわ。形のない不安定なもの。でも、社会で地位があると、そんな不確定な縁故でも、繋がるうちは大きな利につなげられるのよ。詳しくはソドムちゃんにね。元伯爵で元商人、更に研究者で政治犯。ソドムちゃんって多才なの。だから引き出しも多いはずよ」
ジャニルの言葉にソドムが反応する。
『しっかり押さえてくれるじゃないか。この関係から、どちらがより多く利を手に入れられるのか。楽しみだね』
口調や強さがこれまでと違う。陸に打ち上げられた魚が水の中に戻されたような力強さがある。これがソドム本来の姿か?
「でもこれじゃ、私、命乞いと勘違いされないかしら? 私はソドムちゃんに身体をお土産に来たのに。アルタイフの住人さん?」
「罠の可能性のある身体は欲しくないそうだ。それと、アルタイフの住人とはなんだ?」
「あら? 知っててその体になったんじゃないの? ちょっと先走っちゃった。近いうちにわかるから今は内緒ね。王との謁見で示されるはずよ。この機会をまずは活かしてね?」
口を滑らせたのではない。ソドムは早速、ジャニルが情報を開示したと見る。この謁見。ジャニルにとっても目的のあるものだと知る。
ジャニルが何を見ているのか?
(しかし、精霊術への風当たりの強さは想像以上だな)
ライドは情報を整理しながら、改めて息を飲む。故郷では精霊術師が多かった。だから相互監視が働いた。しかし、精霊術師の少なすぎるこの地では、一方的に洗脳、扇動できる存在だ。それだけで権力者に嫌われる。学院が生まれ、精霊が見えるものに変わったことで森の人との関係は改善しつつあるが、今度は塀の人が精霊術師の場合、森の人を冤罪に貶め易い問題点がある。
瞳術師ネビュラは精霊術師でもあるとか。相当偏見に満ちた人生だったことだろう。
ジャニルの雇った傭兵とは、ライドだけで話をした。傭兵に違約金を渡して帰らせる。何も揉めなかった。むしろ傭兵は胸を撫で下ろし、嫌悪感を残して去っていく。見届けるとライドは傭兵が残した焚火を消す。
この地の常識の疎いライドには、ソドムとジャニルの見立てに不安がある。
夜明け以降、ジュールの軍に合流する森の人は瞳術師のこれまでの努力を洗い流すだろう。一度軍に捕縛されるは、再び動く為に警戒をとかせる為と見る。
そんな簡単に行くのか? しかし、ソドムは催眠系は、精鋭でもない集団に対してほぼ無敵だと吐き捨てる。行動に有効な手段だけで無数にあると。それを避けたいなら、意志を奪うか殺すしかないが相手は吸血鬼だ。意識を奪うことはほぼ無理で、死からは縁遠い。
「な、なあ、あんちゃん。は、話聞いてくれっ。化け物だっ。逃げないと殺されるぞっ」
補給物資。ジャニルがそう呼んだのは生きた人間だ。荷台の上に乗せられた木製の箱の中から声がする。隙間はあるが密閉されているように見える。
「俺から見ればあんたも化け物と変わらない」
「分かってねぇ。あんちゃん! 分かってねぇよ! 王が動がなきゃ何ねぇような化け物なんだよっ。言葉にするのもおっかねぇっ! 言っても誰も信じねぇっ。でも、マジなんだっ! お前も喰われるぞっ。荷車のままでいいんだっ。連れてってくれよっ!。早く離れるんだっ。あんちゃんも殺されるんだぞっ」
焚火が付いている時に確認したのか? それとも〈知覚〉で見ているのか? 闇の中、補給品はライドの外観をを知る口ぶりだ。極限の環境で〈知覚〉が芽生えた可能性もある。早い者なら灯なく洞窟を歩くだけで身につく技術だ。
「貴族を騙して偽物掴ませたんだよっ! 俺達平民はそんなんで重罪にされちまうっ。化け物の餌にされるほどのことかよっ。頼む! 俺にも親も子もいるんだ」
嘘だろう。ライドは興味を失い補給品から背を向ける。
荷台の周りには時折白い塊漂う。これは闇に輝く恨みや憎しみの集合体だ。定期的に殺す腕の良い地上班に見られる特徴だが、トドメ役にだけ現れる。四散するまで約一月。もしくは、生み出した本人が死に、朝の光を浴びること。現れるだけでも相当数の死に関わる証拠だ。
例えば、ジュールの軍にはいない。それほどの命に関わったということだ。
ライドは男を無視してあたりを探る。
抑えた〈知覚〉では、目を閉じて歩かされるように不便だ。それでもほかに手段はない。
と、ライドの細長く振り回す「知覚」に人の姿が映る。
「来客だ。ソドム」
『視界は散らしてるよ。終わったら一声掛けてくれ』
「分かった」
先程の傭兵もそうだがランタンの明かりだけでは足元が見えても何処に向かって進んでいるのか分からない。だから夜間の移動は避けられてきた。これはライドの故郷でも同じだ。しかし、霊峰アンデレフェルトが昼夜問わずが輝いて以降、状況は変わった。赤大蟻が解放された夜、ロニが夜間の移動を決意したのも同じ。霊峰が出現して2年と聞く。すでに生活の一部に取り込まれると思うと、逞しさを感じる。
来客は3人。今の紐状の抑えた「知覚」では姿が分かり難いが、1人は離れた場所に残り、2人が来る。片方は戦士長だ。
ライドは身体をほぐす様に跳ねる。技量差に不安はあるが、歯が立たないほどじゃないと思っている。もっとも実際に確認するのは初めてで不安はある。
しかし、必要だ。
現れたのは軽装の戦士と、金髪碧眼の彫刻の様な造形の子供の女だった。見た目ディーンより年下。塀の人の年齢で12、13才程度に見える。ジャニルとは別の意味でこの世のものとは思えない無機質な〈美〉だ。作り物ではない瑞々しさを感じさせる。そして癖一つない髪の間から突き立つ耳は、顔の半分もの長さが見て取れる。
(これが森の人か)
その目立つ身体的特徴から、ライドは話に聞く森の人だと判断する。
その無機質な美に、故郷の知り合いを思い出す。もっと頼りになる仲間で嫌味な男の友人だ。その彫刻のような造形が、少し顎を上げ、細目で此方を見下す様な表情になる。精霊や精霊術師同士の交信する時の表情だ。
一番に口を開いのは、精鋭。森の人の隣に立つ、森の人より頭半分は高い軽装の男だ。
「吸血鬼の協力者? 君は自分がしていることはわかってんの?」
軽快な口調だ。この地域の年齢で30前か。
その男は話しながら腰の剣を鞘ごと外すと後ろに放る。
怪訝な顔のライドには男は満足気に口元を緩めてみせる。
「生意気なガキは黙らせた方が早い。そうだろ?」
何とも分かり易い提案だ。ライドは思わず口元を綻ばせる。こういう分かり易さが嬉しい。
狙いはソドムか?
掴めば勝ちだ。ライドはそう見定める、それほどライドの身体機能は男より高い。しかし、外向きの〈力〉を抑えるライドの〈力〉を、目の前の精鋭は勘違いしたらしい。だが、そう簡単にはいかない。気がつかれるのは初手。普通は戦士の歩法なしの素手同士の殴り合いで相手を掴めないことはあり得ない。しかし、今はライドだけが戦士の歩法を使えない。
そして技量で劣る。
この地域では、一つ前の動作が次の予備動作として機能している。否、どんな行動をしても次に繋げる動作がある。
「かかってきな。初手は譲るよ。俺は優しいんだ」
「本当、優しいな」
技術差があり過ぎて、ライドには身を守って様子を見れる自身はない。
相手が仕掛ける瞬間も見定めにくい。結果、間合いを過剰に取るライドに、男は鷹揚さを見せてきた。逃げられると面倒。そういうことだろう。初手を譲るとの言葉に嘘はない。そう直感したライドは腕を突き出して突進する。男の身長は1.8m、2mのライドが腕を伸ばせば、腕以外に素手の男が狙える場所はない。掴んでくれれば尚ありがたい。
腕はもっとも細かく、正確に、そして素早く動かせる人の部位だ。ライドは最初から風の壁の半分程度の速度で走る。
男は少し驚いた様子を見せたが、すぐに風の壁を越える。早く、良い判断だ。
激しい音。ライドの体を打ち付ける風。服の一部が音を立てて破れる。距離の近い大木が根元付近の幹から砕けて倒れる。男の戦士の歩法は、予想外に未熟な様相だ。周囲への風や音への消費が大きい。ただ、音を出して困るのは精鋭の方の筈だ。ジュールに知られるのは怖くないのか?
しかし、流れる音や風は拡散せずに途中で止まった。
精霊だ。補給物資の入る荷台の横に立つ森の人か操っている。
いきなりジャニルの補給物資を奪われた立ち位置だが、ライドは目の前の男に集中する。必要ならジャニルが動く。その手筈だ。
ライドの顎が、下から上に男の掌で打ち抜かれる。ライドの腕を躱す男の動きを掴んでいたのに、男の掌の方が先に顎に到達した。肘を直角に曲げた掌は顎までの距離が近く、動き始めた時には直ぐ側だった。〈知覚〉の差し合い勝っただけでは間に合わない。
直後に持ち上がった体の膝が払われる。地面を掴めていないライドの足は、簡単に地面から離れて宙を舞う。
視界が縦方向に回る。
男が空中で器用にライドの体を縦回転させた。地面に叩きつけようとする男の手から逃れ、ライドは地面を転がる。その直後、ライドの立つ周囲の地面が砕け、ライドは再び足場を失う。男がライドの周囲だけ、静駅の男は戦士の歩法の為の地面の保護をやめ、足を踏み込んで粉々に割った。
こうも簡単に動きを止められる。
軽戦士の恥だ。ライドは宙に浮く体に連続て打撃を受ける。ライドが対応できない状況を活かした大振りの強い攻撃だ。崩れた地面に再度転がされ、その直後、上からの全力の一撃に、地面と打撃の間に挟まれる。男が強化した地面が、その打撃を逃しきれずに軋みを上げる。
地面を挟まれると、衝撃を身体に散らしにくい。体を上に起こされると打撃を防いだり、躱し難い。
やられ放題だ。
男の肘をライドは額で受けて血が滲む。本来なら子供と大人の身体機能差があるにも関わらず一方的な殴られ役だ。
しかし、男の打撃には予測できる範囲だった。打撃の技術は故郷と大差がないのかもしれない。
威力は鉄の武器で補う発想か? 鉄の武器なら下手な技術を上回る安定した衝撃が生み出せる。
ただライドにとって面白くない状況は続く。反撃の腕は常に空を切る。
そして可能な限り、衝撃を散らして受け止める。これは故郷では、戦士が生きる要の技術だ。獣の中には打撃部だけで数十メール四方を超えるものも少なくない。戦士の歩法でも逃れ難い一撃が生み出される。しかし、躱せないからといって体の部位で受ければ、戦士としての命が終わる。どんなに〈力〉や筋力で補強しても、元になるのは体格の大きさと断面積だ。だから、故郷の戦士は体が大きいのが当たり前だった。
しかし、この地の戦士は比較的線が細い。この体格で打撃力を分散可能な相手しか想定されていない。この範囲に入るのは、身の丈の大きく変わらない相手で、この範囲なら回避の方が受けるより優位だ。この地の技術は偏っている。武器に切り刺しに偏った形状が多いことからその可能性は疑っていた。
敵が大型化すると、刺し傷や切り傷は毒を巡らせる為以外の効果を失う。戦棍でも傷が与えられないのは変わらないが、衝撃で動きを阻害する効果は多少相手が大きくても有効だ。それすら効果のない大きさの敵には〈手〉の技術なしでは戦えない。なのにこの地の技術にはその気配がない。
ライドは方針を変え、相手の打撃や掴みかかる時の間合いを調整し、相手の殴る手首を傷めさせることにする。
防げないし、避けられない。そして、痛みは大したことはない。なら有効な手段だ。〈知覚〉で上回る分予測し易い。
相対的に身体機能の高い相手への打撃は影響は小さくなり、殴る方の反動は増加する。
ライドは男の動きを観察していて一つの技術に気がつく。男は球状に自分の〈力〉を満たした空間を作っていた。轟音を立て、風を起こす戦士の歩法は単に未熟の産物と言うわけではないか。この球の中では風の影響がない。服も髪も大して動かない。頭上と足元に厚みがないが、横方向に対しては侵入するもの全てを〈知覚〉でき、満たされた〈力〉異物のが動きを強く阻害する。
勿論、音や風に消費される分、足や体力への負荷は高く速度は上がらない。
それでも初心者にありがちな致命傷の原因の一つ、意識を失った時、無防備に風の壁の境に投げ出される心配が薄れる。
「お前、何、なんだ?」
腕を抑え、間合いをとった男は肩で息をつき、怯えた目を向ける。
先程のやりとりで男の手首は折れた。戦意喪失のきっかけになったようだ。
そもそも、ライドがこれだけ動いているのに〈力〉の移動に鈍感すぎる。ライドなら迷わず逃げる。武器を自ら捨てた判断ミスは取り返せる範囲にない。
「歩いて探し物か?」
さらに呆れた対応をみせる男にライドは声をかける。
戦士の歩法は可能な限り維持するものだ。トボトボ歩いてどうするのか?
ライドは剣を持つ手を振って注意を引く。男は初めて探し物がライドのての中にあると気がついて顔が歪む。
「あり得ないだろ」
「慣れてるからな」
自分のより早い相手から生死をかけて逃げる。数知れないほど経験した。運を除けば〈知覚〉で拾った命だ。
「がっかりだ。精鋭は僕達に並ぶと聞いていたが。目的は終えたぞ」
森の人の言葉。ライドは荷車が壊され、中の男がいないことに気がつく。
中の男の〈力〉が低すぎて、走っていても気が付かなかった。それが離れる方向なら尚更だ。
「男か?」
ライドは森の人の声に違和感を覚える。森の人は糞と鼻を鳴らして肯定する。どうやら女にしか見えない丸みのある顔つきだが男らしい。
「壁の人は命の価値がおかしい。やはり個体に意味はないな。むしろ個別にみればない方が世界の命の為になる」
森の人の言葉は、激しさに反してゆったりと紡がれる。
「あの男にまとわりつく白い塊が見えないのか?」
「塀の中で起きることは日常で、ここで起きることは特別なのか? そこに差はない。どちらも日常、どちらも塀の人が認めて生かしてきた命だ」
「あの男の扱いは過去の罪に対する対価だ。あの男には命を奪う権利はない」
「過去に罪のない塀の人などいるのか? 獣の命を奪い、食う。まあ、そこは価値観の違いだ。我らにとっては食べ物になり得なくても、それを食う塀の人は蛮人だというにと止まる。お前たちのこの文化には価値がある。敬意を持つよ。だが、同族を餌にされて平然としている吸血鬼の扱いは理解できない。放っておいてもすぐに消えて、また増える命だからか? それをいうとお前達は怒り散らすのに」
「毒には毒を。人外にならねば倒せない敵がいる。集団としての命の価値は数だ。それを増やす為に判断し、行使する貴族という仕組みがある」
「血統を残す仕組みのことか? 血統を残す為にその他を犠牲にする仕組みで、数を増やす仕組みとは初耳だ」
森の人が鼻を鳴らす。
『貴族の自己犠牲は統治代行者としての責務、建前だ。平民の数が余程多くなければ前線にも出てこない。むしろ血を流すことを許さない』
それどころか、ソドムは貴族には罪の定義も曖昧だという。失敗の責任とは取り返す目的に過ぎない。罰は命の価値を自分の都合で書き換えた者にのみ行われる。それを決め、判断するのは自分自身だとか。貴族は尊重される、その判断は他の貴族に不利益を与えない限り尊重される。精々貴族の間の評価は下がるだけと。
(その方が納得だが)
この地の仕組みは夢のような人格者を求めるかと勘違いした。しかし、そういった長を持つならそれは素晴らしいとも思っていた。
あまり信じていない夢ではあったが、残念には思う。
森の人は更に言葉をつなげる。
「私の知る貴族制度は、敵を作って価値を奪い、負債を敵に押し付ける道だ。成果は早さだけを求め、中身は確認せず、失敗があれば発案者を責める。結果、まともに考える者はいなくなり、情報はゴミばかりになる。こんな仕組みが有難いのか? 更にそれを正当化する力まで与えられている」
森の人は例として、考える力を育む機関に作り変えるのは簡単だと話し始める。発表の場と正当な褒賞や行使の権限を与えればいいと。
だが貴族はそれをしない。間に入り、手続きを作り、参加権を制限し、自分の意に沿った方向に誘導すると。
「目の前の現実を無視するのか? 男は生きて逃げ延びる為に、奪って調達する。誰かが死んでも様子見か?」
「塀の人にとっては日常。それを取り立てる意味はなんだ? 死ぬことで利益が生まれることもあるのだろう? 先程の吸血鬼の話がそれだ」
森の人はよく聞く話だ。理解はできないが。と付け加える。
ライドは森の人と話しながら、背中の戦士の動きを注視していた。ライドの目的は時間稼ぎも含まれている。
しかし、いつまでなのか? 違和感の溢れる森の人との会話を続けながら苛立っていると、後ろの戦士は岩のような気配と合流した。その気配がいきなり地面に沈む。精霊術なら地面の下に潜るのも進むのもお手のものだが、術師だけに有効な手段ではなかったか?
森の人が辺りに目を回す素振りを見せる。音が消えたことを気にしたか。確かに耳がいい。森の人の耳は建物の中の蟻の足音を聞き分けるときく。大きな音に弱そうだが、戦士の歩法が起こした爆音でも平然としていた。耳の良さは機能ではない。精霊の働きなのだろう。
森の人とライドの間の地面が盛り上がり、その中から2つの体が浮き上がる。どちらも生きていない。ただ、片方はそれが正常で、もう片方は全身が砕けて命を失った。その違いがある。命を失ったのは、先程争った戦士だ。戦士は戦士長だった。落石でも潰れないはずの体が歪に砕かれている。
少し間を置いてもう1人。地面から染み出す。女顔の森の人は右手を胸に軽く会釈する。森の人流の挨拶か。
現れたのは別の森の人。身の回りに侍らせる精霊の気配が複数ある。その総計は赤子の模倣より強烈だ。
殺気なく、石を退かすように人の命を奪った。それが目の前の男の塀の人に対する認識だと知る。
その姿に子供の女が鼻筋に皺を刻んで言葉を投げかける。
「随分、馬鹿な森の人がいたものだと。まんまと騙されたのですね」
「いえ、彼は素ですよ。命のあり方に興味があるようで、吸血鬼の話を聞いたら飛び出してしまいました。あなたの心臓の偽装にも騙された。見事でした。私の本音としましては、同族の注意力のなさに涙が出そうです」
そう話した直後、新たに現れた森の人の指の動きに合わせて、風の刃が走り抜ける。
短い悲鳴。
能面のような顔。今の会話からこの行動に出るとは予測できなかった。〈知覚〉で動きは分かったが、体に強張りが走ったことを自覚する。
つまり、ライドは騙された。知恵のある者はこれだから困る。
風の刃の先にあった子供の女の片足が宙を舞う。飛ばされた足は地面に落ちるより早くチリに変わり、一呼吸もせずに素足が回復する。子供の足ではない。大人の足だ。それどころかさほど若くもない。
新しく現れた森の人とレンドレルとは呼ばれた女顔の森の人が少し顎を上げる。精霊を介しての会話だ。レンドレルは顔を紅潮させて怒りをたぎらせて見える。故郷でも、精霊使いは表情が乏しい。感情を伝える手段にならない為だが、森の人は別格のようだ。
それにしても異様な風だ。
吸血鬼の身体機能は高い。死体に変わった戦士長の倍はある。ライドのように身体機能の向上に〈力〉注力していると見る。それが重さのない風であっさり切断された。薄い鉄並みの身体機能を持つ足がだ。
本来軽いはずの風に重さを感じた。
属性が水なら分かる。十分な重さがあり、上位精霊なら〈力〉がある。しかし、風に重郷は想像ができない。
この地では精霊術も文明並みに発展したらしい。この攻撃力は破格だ。キャシーの話とは差がある。
「初めまして。レーヴェと言います。塀の人。この子はまだ性別が定まったばかりの子供です。教育が必要な年齢です。無礼にはご容赦を。そして、ソドム殿。初めましてレーヴェです」
『ソドムです。レーヴェ殿は森の人ですね? 拡散した私の端を掴まれるとは思いませんでした』
「学院で実式を教えております。導師と呼んで頂けると嬉しく思います。役職とは別の思い入れがありますので。ああ、あなたに接触することで記憶を確認されることは承知しております。別に困ることがないので気になさらず」
口調が今のままで話していた森の人と違い、間伸びしていない。塀の人と同じ速度で話す。
ライドは額に触れ、滲む血を確認すると膝の埃を払う。
争いは終わった。もうライドの耳にもジャニルが逃げ出した男と此方に向かってきていた荷台を連れてくる音がする。荷台も関係者だったらしい。仕掛けられてから準備して間に合う立ち回りだろうか? 森の人の登場といい、計画に巻き込まれた感じがする。
逃げた男の前に現れた商人は犯罪を犯した商人「フホウドレイショウ」と呼ばれた。そして、ここは夜、隠れ里に向かう最も安全で迷い難い道だとか。
〈想像以上に得たものが多い)
ライドは残務処理に追われるジャニルを横目に、森の人同様周りに立ち尽くす見学者になっている。ジャニルの恨み言が聞こえてきそうな絵面だが、森の人が動きそうにないので、ライドも倣う。ソドムは何か言いたそうだが、口にはしなかった。
ライドはニマニマと掌を開いたり閉じたりする。死者を冒涜する趣味はないが、それでもまさかこの程度の間にこれ程の訓練成果が得られるとは思ってもみなかった。しばらくは鍛錬の精度不足に悩むことはない。
同時に可能性として遠ざけて来た現実も目の当たりにした。
外向きの〈力〉なしでは戦士の歩法は使えず、当然、身体機能で10倍以上優っても戦士長には勝てないことだ。特に鉄の武器を持つ戦士長に素手で挑むのは無謀。体感的には素手と比較して50倍前後の打撃力を生み出せる。逆にいえば、同格同士なら、武器が初めに当たった方が勝ちだ。
守るも攻めるも武器。そして、当てて躱すのは技術。その技術を受ける範囲内にいながら、ライドにはどちらもない。




