40:惨劇の終わり
「ひっ……ひぃいい…!」
燃え盛る町の間を、無数の人影が進んでいく。
ずるずると足を引き摺り、口や体中の傷口から血を流し、かっと見開いた目で目前の得物を見据えながら、幽鬼のような足取りで迫っていく。
それを悲鳴をこぼしながら凝視するのは、銃器を持った暴動集団の一人。
銃口を向け、引き金を引き絞る彼だが、弾切れになった銃は最早ただの邪魔な棒きれでしかない。振り回せば多少役には立つかもしれないが、そうするほどの余力は今の彼に残っていない。
「や……やめてくれ! お、おお、俺が悪かった! 頼む! い、命だけは助けてくれ……!」
がたがたと見っともなく全身を震わせ、命乞いをする男に向けて、人影は―――復讐鬼と化した住民達は、各々が手にしたものを掲げていく。
それは包丁であったり、割った硝子瓶であったり、ただの瓦礫の塊であったり、しかし人体に振るえば、十分に殺傷能力を発揮する凶器の数々であった。
住民達はそれを目の前の男に―――自分達の家族を、友人を奪った憎い仇に向けて、ゆっくりと振り上げていく。
「な、なぁ…! 本気じゃないだろ……ひ、人殺しはよくないだろ⁉ お、俺はただ……断れなかっただけなんだ! あいつらが怖くって、し、仕方なく連中に手を貸してたんだ! あんな頭のおかしい奴等とは違うんだ! ほ、本当だ!」
顔中を涙と鼻水と唾液で汚し、体中から冷や汗をかき、股間を生温かい液体で濡らす男。
彼が一言ずつ発する度に、迫り来る住民達から発せられる怒気が膨れ上がっている事にも気づかず、何が何でも死にたくないと懇願する。
自分自身が、どれだけ醜悪な笑みを浮かべて人々を虐殺していたのか、全てを見られていた事も知らずに、必死に住民達を宥めようとする。
「や、やめ……やめろやめろやめろ! それ以上近付くな! お、俺はこんな所で死ぬはずじゃ…! 違う……違う、違うんだ! 俺は、俺はあんな屑共とは違―――」
「それが……俺達に何の関係がある」
じりじりと後退り、背後の壁に阻まれてなお逃げようとする男に向けて、住民の一人の熊人がゆっくりと、瓦礫の鈍器を振り上げる。
見上げる程の巨体に、それを上回る大きさの瓦礫。目の前の男など比較にならない重さのそれが、男の周囲を影で覆い尽くす。
「お前がどれだけ謝ろうが、後悔しようが……俺の妻は返って来ないんだよぉおおおおおおお‼」
血の涙を流し、咆哮を上げた熊人の男が、頭上に掲げた瓦礫を叩き落とす。
瓦礫は男の下半身に被さり、ぐちゃりと耳を塞ぎたくなるような音を響かせ、紙のように薄く押し潰す。
男の生命力はしぶとく、それだけではまだ死ねず、掠れた絶叫を上げて悶え苦しむ。
白目を剥き、残った上半身を痙攣させる男の元に、熊人の後ろに控えていた他の住民達がぞろぞろとやって来る。
「や……ゃめ…ろ……!」
大量の血を吐き、怯えた目を向ける男に、住民達が雄叫びと共に襲い掛かる。
血飛沫が辺りに飛び散り、さらなる男の絶叫が天まで上り、国中に木霊していく。
そんな自業自得ながら憐れな結末を迎える者が、国中のあらゆる所に現れる。
自分自身が行った過ちを、多くの者達に反対に味わわされながら、国を揺るがしたどうしようもない悪人達は、今度こそ尽く滅ぼされていったのだった―――。
歴史にもきっと残されるであろう、惨劇が起こった夜が明けた朝。
燃え盛る町を鎮めるように、天を覆い尽くした分厚い雲から、いつしか大雨が降りだした。
それなりの衝撃が走るような大粒の雨が、無数に降り注ぎ街を濡らす。破壊され、砕けた建材を流し、濁流と共に河の中に呑み込み、勝手に片付けていく。
その中には、これまでに流れた多くの人々の血も混ざっており、彼らの痛みを和らげようとしているかのようにも見えた。
そんな、目を覆いたくなるような景色の中を、シオンは一人で歩いていた。
激しく息を切らせ、湧きあがる嘔吐感に目を潤ませ、時折体勢を崩しかけながら、一心不乱に前だけを見据えて先を目指す。
「―――おい! こっちに担架持ってきてくれ!」
「医者は…医者はまだか……! 治療……治療してくれ…! 痛ぇ…痛ぇよ……!」
「誰か! 誰か夫を助けて下さい! 誰か…!」
脇を見れば、崩壊した建物の跡の間で何人もの人々が動き回り、棒を手に瓦礫をひっくり返している姿が目に映る。
瓦礫の隙間から覗くのは、血塗れであったり、原型を留めていない人であったもの。
惨劇の中を生き残った住民達が、泣き叫ぶ事を我慢し、自身の家族や友人、知り合いが生きている事を願って救助に励んでいた。
「…! 師匠……」
シオンはそんな彼らを横目に、悔し気に唇を噛み、首を振って彼らから視線を逸らす。こんな光景を見続けていると、いつか頭がおかしくなってしまいそうな気がしたからだ。
やがて少女は、豪雨で生み出された水煙の向こうが変わらやって来る、大きな黒い人影に気付く。
がしゃん、がしゃんと金属音を響かせ、雨の中でもわかる赤い眼光を見せつけて、師は一歩ずつシオンの方へと向かってくる。
シオンはほっと小さく安堵の息を吐き、未だ負傷の所為で覚束ない足を無理矢理動かし、彼の者の元へと駆け寄った。
「師匠……よかった、生きてた」
「お前もな。……だが、勇ましく出ていった割には随分な有様だな」
「…うん」
皮肉を返され、シオンは視線を脇に逸らす。じろりと鋭い目を向けられ、以前のように言い返す事もできず、居心地悪そうに虚空を見下ろす。
「……何も、出来なかった」
身勝手な思想を語り、多くの人々の命を無慈悲に奪った輩にせめて一矢報いたいという想いで、師から杖まで借りて挑んだ。
だが……その結果は、本当に一矢を報いただけで、我を失った相手に反撃されて気絶。その後何が起こったのかは記憶にないが、いつの間にか相手はいなくなって対決は終わってしまった。
敵を打ち倒したわけでもなく、誰かを助けたわけでもない。
何の役にも立たずに、ただ力尽きて治療を受けただけという、どうしようもなく情けない結果に終わったのだ。
「ごめん、なさい。弱くて……師匠の、弟子なのに」
「…馬鹿が。そんな事はどうでもいいと、いつも言っている筈だ」
沈痛な表情で俯く弟子の頭を、師は籠手で覆われた手でがしがしと乱暴に撫でつける。
ぼさぼさのにされる髪を押さえ、不安気な表情で見上げてくるシオンに、呆れた言葉を吐いた師はふいと目を逸らす。
師はシオンの脇に手を回すと、軽々と少女の体を持ち上げ、赤子の様に抱え上げてみせる。
「さっさと組合に戻れ。お前……治療の途中で抜け出して来ただろう。最後まで受けて来い」
「…でも、他にも一杯助けないといけない人が…」
「それは、お前の役目ではない……いいからもう寝ていろ、傷に響く」
救助を待つ者の声が、瓦礫の下から微かに聞こえてくる事に、シオンは師の鎧を押して抗議の声をこぼす。
師はそれを一蹴し、シオンが勝手に離れないように強く彼女を抱き締める。顔を前に向けたまま、仮面の奥の血の色の目で、冷たく我が身を顧みない弟子を睨みつける。
「自惚れるな、小娘。今のお前如きに救える命など、一人たりとも居はしない。未熟者の馬鹿者が、他人の命を慮るよりも前に、自分の身を守る事を先に考えろ……そうできないのなら、お前は今ここで破門だ」
容赦のない言葉を返され、シオンはすぐに口を閉ざす。
師は黙り込んだ弟子を睨むのをやめると、無言のまま廃墟と化した街を歩き、無数の瓦礫と生存者たちの間を通り抜けていく。
周囲から聞こえてくるのは、痛みを訴える悲鳴や悲痛な慟哭。あるいは懸命に救命活動を行う者の雄叫びや怒号。
その誰もが、伸ばした手が届かない事で痛々しく泣き叫んでいる。家族や友人、名も知らぬ者を救えないと嘆く声で、聞く者の心を痛めつけ、傷を残した。
「……師匠、私、強くなりたい」
ぽつりと、惨状から目を逸らしていたシオンが師に向けて呟く。
それを聞いて振り向く事なく、立ち止まる事もない師に、シオンは顔を両掌で覆いながら、嗚咽を含んだか細い声で語り続ける。
「自分も守れない、弱っちい雑魚だけど……師匠に顔向けもできない、どうしようもない屑だけど。師匠に置いて行かれないくらい……師匠と一緒にいられるくらい、強くなりたい…!」
「……」
「それまで……師匠、私の前から居なくならないで。絶対……師匠とおんなじくらい強くなるから。約束、するから……」
頬に雫を垂らさせ、歯を食い縛りながらそう告げるシオン。
ふるふると小刻みに震える体を腕の中に感じながら、師は無言で仮面の奥で目を細め、そしてやがて小さく舌打ちをこぼす。
「……馬鹿弟子が、黙って寝ていろ」
悪態をつきながら、縋りついてくる小さな体をより強く抱きしめる。
無意識のうちに、雨で体を冷やさないようにと背中を丸め、自分が買鎖になるようにしながら、自らの最後の弟子を組合へと連れていく。
そんな彼らに注目する者は、今この場には、誰一人としていなかったのだった。




