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【試読版】創世の賢者【一応完結】  作者: 春風駘蕩
第0章(お試し版)黒猫少女と仮面の師匠
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03:城塞都市グレンデル

 漆黒の装いの大男―――師と黒猫の少女―――シオンが、無言で森を進む。

 鬱蒼と生い茂る草木を押し退け、ぬかるんだ土を踏み越え、黙々と前を目指して歩き続ける。


 師は散歩でもするような気楽な歩調で、シオンはぴょいぴょいと跳ねるように軽い足取りで、薄暗く歩きづらい地を早々と抜けていく。

 やがて、大きな川の前までたどり着いた時。


「……ちょ…ちょっと、待ってよ…!」


 ふと、二人の背中に、不意にそんな掠れた声が届く。

 二人が一旦足を止めて振り向いてみれば、ふらふらとよろめきながら、保護した少女・ヒミコが荒く息をついて睨んでくる姿が見えた。


「あ、あんた達……歩くの速過ぎよ…、こっちは、ずっと……あの熊から逃げるのに必死で、疲れ切ってんのに……」


 汗をだらだら流し、膝に手をつき、息を切らせるヒミコ。

 普通の女子高生であった彼女は、長時間歩き続ける事など、それも人の気配が全く感じられない険しい道を進んだ経験など一切なく、疲労困憊で今にも倒れそうになっている。


 シオンが彼女の身を案じ、駆け寄って背中を摩るのを横目に見ながら、師は虚空を見やって黙り込んでいた。


「それに……何よ、この道は……歩きづらいったらないわよ、ほんっとに……」

「それは仕方がない。他の道は獣の縄張りだらけだから、貴女を連れてったら確実に狙われる。こっちの道の方が安全」」

「だからって…!」


 卑弥呼がちらりと振り向き、睨みつけると追ってきた道を振り返る。

 岩がごろごろ転がる坂に、広く深い泥の道。樹の根が張り出した凹凸の激しい道もあれば、草木が天然の罠となった箇所もあった。


 今向かおうとしているのも、激流の川の上に、倒木が倒れてできた天然の橋だ。その倒木も大量の苔で覆われていて、渡りやすそうとは思えない。


「あんた達、あんな道をよくもああ軽々と渡れるわね…?」

「慣れてるから」

「…どんな生活してるのよ、あんた達」


 何という事はない、という風にその場でトントン跳ねてみせるシオンに、ヒミコは呆れるほかない。

 全面びっしりと苔に覆われ、ぬるぬるとしていそうな倒木の橋の上で、よくも体勢を崩す事なく立っていられるのか。慣れているなどと言う理由だけでは到底納得できそうもない。


「……あんたのそれ、本物……なのよね」

「ん? それがどうか?」

「いや、だって……コスプレかと思って」

「コス…? 本物か偽物なら、これこの通りだけど」


 じっと耳を見つめられていることに気付き、シオンは自ら三角の耳をぴくぴくと震わせる。

 糸で操っているわけでもない、機械で動く音も聞こえない、生物らしい柔らかさを見せつけるそれに、ヒミコはますます頬を引きつらせていった。


「……は、はは。間違いなく、現実か……そうか、そうだよね。あんだけ走り回って、苦しいのに、夢なわけがないもんね…」


 事故で意識を失い、気がついたら見知らぬ森の中にいた。そして猛獣に追い回され、物語の住人のような二人組に救出された。

 まるでありふれた小説のあらすじのような経験に、乾いた笑い声がこぼれてしまう。


 自分は間違いなく、今まで自分がいた世界とは全く異なる世界にいるのだと、否応なく認めさせられた。


「……どうして」

「ん?」

「どうして助けてくれたの? …っていうか、助けられたの? あんな深い森の中で……誰も気づかなさそうなのに、あんな丁度いいタイミングで」


 現実をうまく受け止められずにいたヒミコだが、危機が去ってしばらくしてから少しずつ、冷静さを取り戻していた。


 通ってきた森は深く広く、樹海と呼ぶに相応しい不気味さを醸し出している。

 もう既に自分がどの方向にいたのか、どう通ってきたのかもわからないほど入り組んだ自然の迷路なのにどうやって、ああも測ったような時機に現れる事ができたというのか。


「さぁ? 私は師匠についてっただけだから、詳しくは知らない。〝異界漂流者(ドリフター)〟の保護の依頼はみんな師匠が受けてて、私はやった事がない」

「ド…ドリフター?」

「ん。貴方達みたいな、他所の世界から紛れ込んだ人達の事をそう呼んでる」


 コクリと頷き、シオンは前を、師の方を見やる。

 先ほどからずっと、一言も発さずに佇んだままの彼に、シオンは変化に乏しい表情のまま肩を竦める。


「やっぱりその……異世界転移とか、召喚とか、そういう事なの?」

「やっぱりの意味が分からないけど、多分そういう事。原因不明に、他所の世界とこっちの世界の間に道ができて、人や物が流れ込んでくる……らしい」

「らしい……って」

「誰もそれを証明した人がいないから。漂流者もそんなにたくさんいるわけじゃないし」


 そういってシオンは、懐に手を突っ込み、ずるずると丸めた紙を取り出す。

 古びたそれを渡され、ヒミコは訝しみながら開き、中身を覗いてみる。そして、ハッと息を呑み固まった。


 記されていたのは、数十もの見覚えのある名前。自分の名前を含んだ表がそこにあった。

 それは間違いなく、担任教師の手元を覗き込んでみた事のある―――出席表に間違いなかった。


「これをもとに、貴方達異界漂流者を探してきた。…といっても、探してきたのは全部師匠だけど」

「……この、○印と名前が消されてるのは」

「見つかった人と……駄目だった人。○の方が圧倒的に少ないんだよね」


 ぱらぱらと表をめくり、記された○と消された名前の数を比較し、小さくため息をつくシオン。


 一方でヒミコは目を見開き、百数もの名前が並んだ表を凝視し立ち尽くしていた。

 消された名前の箇所を流し見てみれば、自分も知っている名前が幾つもある事に気付く。それはつまり、こんなにも多くの同級生達がこの世界で見つかっており。


 そして、自分が知らない間に、決して少なくない数の少年少女達が、死んでいるという事だ。


「……おい」


 表を手にわなわなと震えるヒミコに、苛立った様子の声が届く。

 ハッと我に返り、血の気の引いた顔で振り向くと、ずっと黙ったままでいた師がヒミコに顔を向けていた。仮面に隠れているのに、待ち侘びているような雰囲気を感じる。


「いつまで喋っている。さっさと戻るぞ、もう門も開いている頃合だ」

「ん、了解」

「え、あ、はい……」


 相変わらずの奇妙な声で急かす仮面の大男に、その弟子はいそいそとついていき、異世界の少女はおっかなびっくりといった様子で後を追う。

 滑る倒木の橋をゆっくりと渡り、向こう岸にを目指し少しずつ前に進む。


 ようやく岸にたどり着く、その時になって不意に、師が立ち止まって声を漏らした。


「……その前に、顔を変えておかねばな」


 小さく呟き、師はスッと虚空に手を伸ばす。

 その直後、師の周囲に突然黒い靄のようなものが現れ、師の全身を包み込んでいく。


 倒木の橋を渡り、バクバクと騒ぐ心臓を落ち着かせていたヒミコは、靄に包まれる師に気付いてギョッと目を剥く。


「……は?」


 そして、やがて靄が晴れていくと、彼女は困惑で固まるのだった。


          ― ◇ ◆ ◇ ―


「あーっと……魔女様にお弟子さんに、新しくこっちに来ちまった嬢ちゃんが一人、と。あいよ、確かに確認しやしたよ」


 ペラペラと書類をめくり、目の前に立つ()()()()()に目を向ける、甲冑を纏った中年の男。

 頬に傷を持つ、年季が入った外見の彼は、しばらくすると書類を目の前の相手に返し、軽く会釈をしてみせる。


「あいよ、確認いたしやした。おかえりなさい、魔女様」

「ええ……あんたもご苦労様」

「いえいえ、魔女様こそ、こんな朝早くからお疲れ様でさぁ」


 ふっ…と笑みを浮かべるのは、長い耳に艶やかな黒髪を持ち、縁の広い尖り帽を被った妙齢の魔女。

 全身を余すことなく黒い布で覆い、起伏の激しい身体の各所をベルトで引き締めた彼女は、眼帯で覆われた顔を騎士に向ける。


 照れ臭そうにがしがしと頭を掻いていた騎士は、次いで魔女の背後に佇んでいる黒猫の少女と、見慣れない衣服の少女の方を覗き込んだ。


「…んで、その子が件の異世界の住民さんですかぃ?」

「ええ、この後コンドウのところに連れて行くわ」

「団長、ただでさえ何人も抱えてんのに大丈夫なんですかねぃ? 来る奴全員、引き取る気じゃないでしょうが……」

「さぁ? そのへんは彼が決める事よ。私は依頼を果たすだけ…」

「まぁ、そうなんですがねぇ」


 片を竦め、大きなため息をつく騎士。

 彼は異世界からの流れ者であるという少女の前に歩み寄ると、心底同情した様子で生温かい視線を向ける。


「あんたも大変だねぇ、遠い遠い世界で幸せに暮らしてたのに、わけもわからねぇうちに知らない世界に放り出されて……なんかあったら、おっちゃんを頼りな? できる事はしてやるからよ」

「ど、どうも…」

「んじゃ、照会はこれで終わりって事で。どうぞ、お入りくださいな」


 何処か軽薄な態度をちらつかされ、やや引きながら頭を下げる異世界の少女。


 魔女は騎士に再度会釈を向けられ、自身も小さく頷き、足早に歩き出す。

 その先に開かれた入り口―――見上げるほどに巨大な兵と、これまた巨大な門に向けて、弟子と漂流者の少女を引き連れて、その場を後にする。


 騎士は魔女の背中を見送り、彼女の姿が見えなくなってから、自分に課せられた仕事へと戻った。




 目の前に広がっていた光景に、ヒミコは再度唖然としていた。

 魔女とその弟子に連れられ、どこまでも続いて見える塀の方へ連れて来られたと思えば、見上げるほどに巨大で重厚な門が口を開けて待っていた。


 あんぐりと口を開けて立ち尽くしていれば、西洋の顔立ちをした騎士姿の中年男性が、何故か()()()()迎えてくる。

 今度こそコスプレのように見えたが、態度は至極真面目で演技には思えない。


 呆気に取られているうちに、何やら中年男性と魔女とのやり取りが終わり、同情の視線と言葉をかけられ、魔女達と共に門を通された。

 そして、門の向こう側に広がっている光景に、またしても度肝を抜かれてしまうのだった。


「―――すっご…」


 魔法と科学とファンタジーを混ぜ込んだなら、こんな景色になるのだろうか。

 一目見たヒミコの脳裏に浮かんだのは、そんな感想だった。


 建物も道路も人の格好も、歴史の教科書で見たことがあるヨーロッパの文明開化時代のものと、さして変わらない。歴史に通じていなくても、絵で見た事がある景色だ。

 それが目の前にあり、いつの間にか映画や絵本の世界に迷い込んだかのように思える。


 だが、真に驚愕すべきは背景の方ではない。

 街を歩く人々、そのほとんどが自分と大きく異なる様相をしていたからだ。


 獣の耳や尾を持つ、獣人と呼べる者達。蜥蜴人間(リザードマン)(オーガ)森の住民(エルフ)鍛冶の一族(ドワーフ)といった、物語においては必須というべき種族が、平然とした顔で街を闊歩していた。

 着ぐるみや変装などでは間違いなくない、確かな生き物としての存在感をこれでもかと放っていた。


 現実をしっかり認識したつもりだったのに、実際には全く受け入れられていなかった、頭のどこかでまだ夢だと思っていたのだと実感させられた。


「ん。グレンデル……っていうか、共和国の技術革新は日進月歩だから、毎日来てても何かしら変わってる。ずっと滞在してる私でも、時々驚かさられる」

「いや、そういう事じゃなくて……」


 隣でシオンがズレた同意をしてくる間も、街の景色から目を離す事ができない。

 驚愕と困惑、同時に強い期待と高揚に苛まれ、ヒミコは自分の胸の内が熱くなっていることに気付く。まるで自分が、物語の登場人物になったかのような、そんな気分だった。


「…いつまでも呆けてないで、さっさと行くわよ」


 呆然と、頬を赤く染めて立ち尽くしていたヒミコに、黙々と先に進んでいた魔女が呼びかける。

 置き去りにされていた事に気付き、ヒミコは慌てて魔女の後を追い、シオンもすぐに速足でついていく。


 魔女の後を追う間も、視界の全てに映る未だに正気を疑うような存在の数々に、目を奪われ続けるヒミコ。

 辺りをきょろきょろと見渡し、感嘆の息をついていた彼女は、しばらくして少しずつ興奮を抑えられたようで、おずおずと魔女に―――仮面の大男だったはずの存在に話しかける。


「……あの、あんたさっきの師匠って人…なんだよね」

「そうだ。あまり公言するなよ、後々面倒な事になる……もし公言しようものなら、己はお前を処分しなければならん」


 一切振り向かないまま、魔女はヒッと怯えるヒミコにそう答える。

 その際発された声は、仮面の大男の時に出していた奇妙な声であり、ヒミコはますます驚愕と困惑の視線を向け、魔女を凝視する。


「な、何でそんな恰好に? いや、目立つからってのはわかるけど…」

「あの姿では色々と不便な事があってな……例えば」


 語っていた師は不意に立ち止まり、ヒミコとシオン、二人を一緒に見やる。

 訝しげに見つめてくる二人の少女に、魔女の姿をした師は目を細め、面倒くさそうな表情で告げた。


「〝顔を隠した全身黒づくめの大男が、年頃の女子供を連れている〟……何をしていなくても騒ぎになるとは思わんか」


 ストン、と腑に落ちる。

 それを生まれて初めて体験したヒミコは、ついで師に同情の視線を返す。


 師はそれを無視し、再び黙々と歩き出してしまったので、ヒミコとシオンはすぐさま小走りでついていく。


「えっと……なんか、そんな苦労をさせてまで助けに来てもらっちゃって、すみません……」

「謝罪は必要ない。己は依頼をこなすだけだ……それと、この姿の己はアザミと呼べ。周りにはそう名乗っている」

「それでも、あの……えっと、ありがとうございます、アザミさん」


 歩きながら、ぺこりと師に頭を下げる。

 やたらと高圧的、というか突き放すような言い方をしてくる謎多き相手ではあるが、彼、若しくは彼女のお陰で自分が助かったのは確か。

 最低限の礼儀を通さなければという想いで、ヒミコは深く首を垂れる。


「私は気にしないけど、師匠は気になるみたいなんだよね」

「…あんたは気にした方がいいと思うけど」


 シオンがまたズレた考えをこぼす姿に、ヒミコは思わず半目になる。誰のための気遣いで、悩みなのかをまるでわかっていない様子に、師の苦労を慮り頭を抱える。


 師はそれを横目で見やり、ため息交じりにまた口を開いた。


「……お前の身柄は、この先のギルドで別の猿人に預ける。お前とはそこでお別れだ」

「えっ―――」

「己の仕事は、お前を保護し約束された場所に連れていくことだけ。それ以降の事は、自分で何とかするか、その猿人に頼るがいい」


 師が淡々と告げる決定に、ヒミコはさっと顔から血の気を引かせる。

 会って数時間という短い間柄ではあるが、見知らぬ地に一人きり、そんな恐怖から救い出してくれた恩人として、ヒミコは師を認識している。


 なのにここに来て置き去りにされるなど、ほとんど死刑宣告をされるようなものだった。


「ま、待ってよ! あたし、こんな所に一人ぼっちにされたくないよ! な、何でもするからあんたと一緒に―――」

「ヒミコ、落ち着いて」

「断る。己は可能な限り、人間と一緒にいたくはない」


 悲壮な顔で、縋りついてくるヒミコに鋭い目を向け、師は立ち止まる。

 そして、止まった先に開いていた入り口―――〝翼獅子の瞳(グリフォン・アイズ)〟と書かれた建物に向け、少女を促した。


「案ずるな……ここにいるのは、お前もよく知っている人物だ」

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