38:思い出した名
「―――先生! 近藤先生!」
「頼む…、目を開けてくれ…!」
耳に届いた悲痛な声に、静かな眠りの中にあったシオンの意識が浮上する。
重い瞼を無理矢理抉じ開け、誰が騒がしく喚いているのかと、なぜか動く度に痛みが走る体に叱咤し、視線を向ける。
そして、一人の男性の周りに群がる数人の男女を視界に映し、シオンは訝しげに眉間にしわを寄せる。
「……ここ、は」
視線をずらせば、天井から照らされた小さな灯に照らされ、いくつもの人影が蠢いているのが見える。
うっすらと見えた窓に目をやれば、淡い紫色をした西の空が徐々に明るくなっていく様が見える。もうじきに夜が明けるのだろう。
そこでシオンは、ついさっきまで自分がしていた事を思い出し、はっと息を飲んで脳を覚醒させる。
呻き声を漏らしながら、無理矢理起き上がった。
「アルコール、もっと持って来て!」
「新しくできた包帯、ここに置いておきます!」
「簡易寝具は重傷者にお譲りください! 軽傷と判断された方は、どうか一箇所に集まって座ってお待ちください!」
ようやく覚めた眼で辺りを見渡してみると、ばたばたと白装束の男女が走り回るそこは、妙に見覚えのある空間である事に気付く。
酒の匂いが染みついた酒場と、併設された受付台。普段から師と共に仕事の為に通っている、冒険者組合の中だ。
しかし、今は机と椅子が片付けられ、何も無くなった床に幾つも布団が敷かれ、それぞれに負傷した人々が寝かされている。
身体に巻かれた包帯に血を滲ませ、苦悶の声をこぼす彼らの周りを、白衣を着た医師らしき男達が駆け回っている。その隣には、看護師らしき男女が何人も付き従っている。
「大丈夫です! 外にいる暴漢達は皆、騎士団と冒険者達の尽力によって鎮圧されました! 皆さんは安心して治療に専念してください!」
誰も彼もが、手当てを受けながら不安気な顔をする中、組合の職員の一人が大きく声を上げ、宥める。
半数程度はその言葉で安堵のため息をついていたが、残る半数は尚も不安気に目を伏せたまま、隣にいる家族と身を寄せ合う姿を見せる。
身勝手な思想で、多くの命を奪った人災は、生き残った者達の心にも深い傷を残祖ているようだ。
「わたし……あのくそやろうと、たたかってて…それで、どうしたんだっけ……?」
シオンは自分の額に触れ、分厚く包帯が巻かれている事を確認しつつ、自身の記憶を辿ろうとする。
容赦なく魔術を振るうジェダを相手に必死に応戦して、隙を突いて反撃をして、我を見失った奴に返り討ちにされかけ、そして―――。
「…おもい、だせない…?」
不意にずきりと走る頭痛に、シオンは記憶を辿る事を中断させられる。
自分がこうして五体満足で生き残っている以上、あの男に勝ったのだろうが、どのようにして勝利したのかがまるで思い出せない。記憶に靄でもがかかっているかのようだ。
「…まぁ、勝ってるならいいや。……そういえば、あいつらはどうしたのかな」
戦いの結末は全く思い出せないが、徐々にぼんやりとしていた意識がはっきりしてきたシオンは、倒れる前に見つけた虎人と犬人の少年達の姿を探す。
自分と同じく生き延びていれば、と二人の安否を案じて辺りに視線を向けていた時だった。
「輸血だ! 早くO型の血、持って来い! 急げ!」
「先生…! 大丈夫だぞ、絶対助かるからな! 絶対だ! だから……だから諦めんなよ!」
組合の床に寝かされ、治療を受ける人々。
その中の一人の元に、血に濡れた鎧を身に纏った数人の騎士達が、必死に呼びかける姿が目に入る。
シオンは首を伸ばし、夢中で叫ぶ男女の間にいる、血濡れの男性の顔を覗き込む。そして、それが自分もよく知る人物だと気付くと、ひゅっと息を呑んでその場に凍りつく。
「コンドウ……⁉」
「こんな…! 畜生、小早川の野郎…! 絶対許さねぇぞ、あの野郎‼」
ヒジカタやオキタ、トウカやイトウ、そしてヒミコといった面々が膝をつき、どくどくと流れ出す血を止めようと躍起になっている。
いくつもの輸血用の袋に管が取り付けられ、コンドウの血管に繋げられているものの、その全て無為にこぼれ出ているような状態であった。
「先生! 目を開けてくれよ、先生! 頼むよ!」
全員が涙を流し、懇願の悲鳴をあげる。
医師も懸命に重症患者の治療にあたっているが、その表情は暗く、手の動きも鈍い。もうとっくに手遅れだと、悟ってしまっているようだ。
シオンもまた、知人の窮地にごくりと唾を飲み込み、じっと無言で様子を見守っていると。
「……きこえて、らぁ。うるせぇ……な」
ぽつりと、閉ざされていたコンドウの瞼が開き、掠れた声が漏れ出てくる。
イトウ達ははっと目を見開き、互いに目を見合わせると、小さく咳き込むコンドウの顔を一斉に覗き込む。
「…は、は。どう、やら……まだ、ちっとだけ、じかん……のこって、た、みてぇ…だな」
「先生! だ、大丈夫だぞ! 絶対助かるからな!」
信じられないと、瞠目し言葉を失う医師を横に退け、虚空を見上げるコンドウに呼びかけるヒジカタ。意識さえ戻ればなんとかなると、顔中涙や鼻水で汚しながら安堵の息をつく。
だが、コンドウの目が彼らの顔を映す事はなかった。
どこか此処とは異なる、遠く離れた別の場所を見ているように、焦点の合っていない目で天井を見上げたままでいる。
「ぉう……こばや、かわのやつぁ…どこに、いきやがっ……た。あんの、やろう……めいっぱい、せっきょぅ……して、やらにゃ、ならね、ぇ」
「…先生、あいつは」
「こんな、おおぜい、に……こん、だけ、心配……かけ、させ、やが、って……こん、ど、こそ……ぶん、なぐって……やらぁ」
記憶が混濁しているのか、自分が何をされたのかも覚えていない様子のコンドウ。
自分の体の状態もわかっていないのは、彼にとって唯一の不幸中の幸いだったかもしれない。
弱々しく笑いながら、かつての生徒の事を気にかける元担任教師に、事実を伝えようとしたオキタ。
しかしそれをトウカが止め、涙に濡れた顔を横に降る。悲痛に顔を歪める彼女のその動作で、オキタもヒジカタもぐっと息を詰まらせ、顔を手で覆って天井を仰いだ。
「…見つけたら、絶対ふん縛って連れてくよ。約束……するよ、先生」
「……あぁ、そうかぃ。おれも……ちっと、ばかし、ねむくなって……きた、ところで、よ」
うっすらと開かれていた瞼が、徐々に閉ざされていく。
麻酔が効いている所為か、ほとんど夢見心地の中で、コンドウの呼吸はみるみるか細く、少なくなっていく。
「明智、新井……大伴、桂……小早川、斎藤……北条……毛利……与謝野……渡辺」
時折声を途切れさせながら、一つ一つ大切そうに名を呼び、それぞれの顔を思い浮かべていく。
イトウやヒジカタ達は、自分の名が呼ばれると滝のように涙を流し、悔恨と悲嘆で全身を震わせ、その場に身を伏せていく。
不意に、閉じかけていたコンドウの瞼が大きく見開かれる。まるで、長年見つからなかった宝物が、ひょっこりと目の前に飛び出してきたかのように。
「……ああ、そうだ。やっと…思い、出せた……」
虚空を見上げたまま、驚愕の声をこぼしたコンドウが、くしゃりと顔を歪める。
脳裏に浮かんだその名、顔、声。あらゆる情報が一気に蘇り、ぼろぼろと嬉しさと悔しさで涙が溢れ出してくる。
ずっと探していたのに、ずっと近くにいた事実に気づけなかった自分自身を恨みながら、安堵の息をつく。
「そうか、そうか……お前、だったのかぁ。そうかぁ……何で、今になって…思い、出し、ちまうか、なぁ……!」
此の場にいない誰かを思い、悔しげに歯を食い縛りながら、大量の涙を溢れさせるコンドウ。
自身に困惑の眼差しが集中している事にも気づかず、ぶるぶると身を震わせて、虚空の先を見つめ続ける。
そしてやがて、彼の瞼が再びゆっくりと閉じられていき、呼吸もより緩やかになっていく。
最後に彼の顔に浮かんだのは、不甲斐ない自分自身に向けられた、心の底から呆れた嘲笑で、微かな呟きを最期に―――彼は永遠の眠りについたのだった。
「俺ってやつは……ほん、とに―――」
「先生…!」
もう、呼び掛けに応える事のなくなった元担任教師に縋り付き、元生徒達は声を上げて嘆き悲しむ。
最期の最期まで教子達の事を気にかけ、人生の殆どを掛けて助けようとした、教師の鑑と呼ぶに相応しい稀有な男。
そんな彼に凶刃を向けた元同級生に怒りを燃やしつつも、彼の教子達はその場から動く事ができず、ただ滂沱の涙を流す他ばかりとなっていた。
「……コンドウ。どうして、あんたがそこまで苦しまなければならなかったの……?」
シオンもまた、目の前で息を引き取った知人の姿を凝視し、呼吸も忘れるほどに固まっていた。
つい数日前まで、確かに言葉を交わしていた男が、見るも無残な姿に変わり果て、身を案じて者の裏切りによってこの世を去った。
あまりにも救いがない……理不尽としか言いようがない今生の別れに、最早どう語りかければいいのかわからない。
「っ…! ……師匠は、どこに…?」
目の前の悲劇から目を逸らすように、別れてから姿の見えない師の姿を探すシオン。
だが、事態の収拾……というよりも、自身の機嫌を損ねた、騒動の首謀者の下に向かった師は、未だ戻ってくる様子は見受けられなかった。




