37:不死にして不生なる復讐者
目を閉じ、来るべき最期の時を待つアレフ。
今日この瞬間の為に用意した爆弾の威力はすさまじく、ラルフィント共和国に住まう全ての人々を、痛みなくあの世へ送ってくれることだろう。
熱が、衝撃が、全てを跡形もなく吹き飛ばしてくれるその時を待ち―――
―――数秒も過ぎても何も怒らない事に、彼はようやく気付き愕然と目を見開いた。
「……⁉」
息を呑み、瞼を開いた彼は、手にに握りしめたままの起爆装置を何度も押す。
しかし、装置はかちかちと虚しく音を鳴らすだけで、何の反応も起こさせなかった。
「な……ん、だと…⁉」
「馬鹿者め。その程度の策など、己が予想できないとでも思ったか」
がっ、と師の腕がアレフの首を掴み、万力のような力で締め上げながら、空中に浮き上がらせる。
気道を塞がれたアレフは苦悶の声を挙げ、首を掴む師の腕を掴み返し、しかし微塵も退かす事ができずただ藻掻くばかりとなる。
口の端から泡を吹き、目を血走らせる男を見上げながら、師が面倒臭そうに告げる。
「冥途の土産は、お前の分だ……よくもまぁ、聞いてもいない事をべらべらと話して、時間を稼がせてくれたな。即座に押していれば、それで全て終わっていただろうに……」
「な、ん……どういう、事、で…!」
「お前の頼みの綱の爆弾は、そこらで不燃性の塵にでもなっているだろう……悪かったな、自殺の邪魔をして。お前のような屑と心中するなど、御免だったからな」
首を絞める大男の手の中から、みしみしと軋む音が聞こえてくる。その度にアレフが藻掻き苦しみ、掠れた声をこぼして足を振り回す。
着実に死に近づいている男を前に、師は平然と、何の感慨もない様子で語り続ける。
「侵食支配……とでもいうべきか。まぁ、詳しく説明してやってもいいが、理解はできまい……時間の無駄だな」
師はおもむろに、アレフの首を絞める方とは逆の手を掲げ、背後に鎮座する、銃弾を製造する機械に掌を向ける。
ごきごきと手を鳴らし、宙を握りつぶすような仕草を見せたその瞬間。
規則正しい速度で動いていた機械が、突然べこべこと凹み出す。
まるで紙風船か何かのように、分厚く中身が詰まっているはずの機械が、原型を留めない程に変形し、やがて表面に亀裂が走っていき、そして。
ぼんっ!と。
真っ赤な炎を噴き上げて弾け飛び、無数の破片となり果ててしまった。
「……⁉」
「まぁ……こういう事だ。随分時間をかけて作り上げた物なのだろうが……御愁傷様としか言えんな」
かちゃかちゃと、肩を揺らして仮面を鳴らす師。
世にも珍しい、仮面と黒衣の大男が笑う瞬間を目の当たりにし、かつての愚王の弟は目を見開いて慄く。青褪めた顔が彼の驚愕をこれでもかと語り、震える体が彼の恐怖を示す。
師はしばらくの間、男を掴み上げたまま愉しげに佇んでいたが、やがて急に声を途切れさせ、仮面の奥の冷たい目を細めた。
「…質問をしたのは必要な情報を引き出せないかと思っての事だったのだがな……あの糞餓鬼の遺物について何か知れるかと思ったが、跳んだ外れ籤を引いてしまったな。全くの時間の無駄だった」
「く、くそ、がき…⁉」
「そう…己をこんな姿に変えた、どうしようもない糞餓鬼だ」
苦痛に顔を歪めたまま、困惑の声を漏らすアレフ。
師はその声に応えてから、おもむろに自身の仮面に手をかけ、弟子でさえ知らない己の顔を晒し出す。
そこに在ったものに、アレフはひゅっと息を呑み、首を絞められる苦しみも忘れて目を見開く。
仮面の下にあったのは、平たい顔立ちをした中年の男の顔だった。
探せばどこにでもいそうな、美しいわけでもなく、さりとて不細工でもなく、厳つさが目立つ顔立ちに鋭い目をした男の顔だ。
だが、彼の左目付近は―――まるで木乃伊のように乾き、皮膚が消え失せた異形のものと化していた。
生きながらに乾き、死んでいるかのような悍ましい顔に、アレフは言葉も出なくなる。
「……! ばけ、もの…!」
「そうだ、わかるか、この己の歪んだ有様が……糞餓鬼のやらかした失敗の所為で、生者でも死者でもなくなった、数千年もの時を彷徨い続けさせられる羽目になった化け物だ。肉体が死のうと、腐敗しようと、魂が縛り付けられたまま彷徨わなければならん……我ながら何と醜い化け物であろうな」
生きながらにして死んでいる、或いは死にながらにして生きている。
生物としての範疇を大きく逸脱した、あまりにも悍ましく醜い姿を、師は目の前の男に見せつける。
彼こそが自分を怪物に変えた元凶であるかのように、決して消えない憎悪の対象であるかのように、焦点の合っていない右目と、鬼火のような光が灯る左目で睨みつける。
「己をこんな姿に変えたのが奴だ……己の技術と知識を目的に己に近づき、己の弟子を名乗って禁術に手を出し、挙句失敗しその尻拭いを己に押し付けた屑の中の屑だ……! その後も己は、彼方此方で醜態を晒し続ける奴の後始末をさせられているのだ……滑稽だろう、我ながらそう思う」
異形の顔を歪ませ、悪鬼のような笑みを見せる師。
遥か昔に味わった怒りが、今も尚彼を燃やし突き動かしており、アレフ達を遥かに凌ぐ狂気が目から覗いて見える。
それを目の当たりにした瞬間、アレフは初めて心の底から後悔を抱く。
―――自分達は一体、何を相手にしていたというのだろうか、と。
「あの糞餓鬼はもう、随分前に始末したつもりだったが……奴の遺物がそこら中に散らばっているようでなぁ。その手掛かりになればと思ったんだが、失望した」
「…! ならば、もう……」
「だが……それとこれとはまた別だ。お前は、あの糞餓鬼とそう変わらん……今はもう、殺したくて仕方がない。お前の作り上げてきた全ての物と共に、この世から消し去らねば気が済まん」
師の背後では、ぼん、ぼんっ、と立て続けに爆発が起き、工場内の機械が一つずつ粉砕されていく。
アレフを始めとする、自己の人種を至上と妄信する集団が、20年の時を経て作り上げてきた執念の産物が、跡形もなく消え去っていく。
自分のこれまでの行いの全てが無意味と化していくような光景に、腸が煮えくり返るような屈辱を感じるも、それはほんの一瞬で長くは続かなかった。
「お前が、己の目に入らぬ場所で暴れるのであれば、己は特に干渉するつもりはなかったのだがな…以前と同じく。……だがお前達は己を巻き込んだ。己の弟子を死に追いやった……今、こうなっているのは、お前達が招いた結果というものだ」
「く、か、は……!」
「もうあの子は戻ってこない……お人好しで、そのくせ向う見ずで、自分と同じ境遇の子供を拾っては己に泣きつくような、情けなくも心優しかった……死を前にしてなお、己を気にかけるような、あんな死に方をしてはならなかった子だ……‼」
徐々に抵抗する力が弱くなってくる男を見上げ、再び自らの血のように輝く目を向ける。
平坦だった師の声に、やがて明確な怒りが滲み始める。愚かな男の現在の過ちと、彼の兄とその親族が引き起こした過ちに向けて、並々ならぬ憎悪の炎を燃やし、吐き捨てるように告げる。
アレフの表情が、徐々に愕然としたものに変わっていく。
男の語る過去、姿、あらゆる情報が頭の中を駆け回り、かつて耳にしたとある人物の存在へと至らせていく。
「お前……まさ、か……!」
「執行猶予は過ぎた……与えられた時間の中で、己の行いを正さなかったお前達に、もう遣り直す機会はない。己の愚かさを悔やみながら、永遠に苦痛の中を堕ちていけ……」
アレフが、彼の者の正体に辿り着いた直後。
ごきん!と。
アレフの首が直角に折れ曲がり、彼の全身がびくんっと大きく痙攣する。
断末魔の声もなく、その命を絶たれた男は未だ何もかもが信じられないといった表情で宙を凝視し、物言わぬ骸をその場に遺したのだった―――。
「―――虚しいものだな、復讐というものは」
がしゃん、がしゃんと鎧を鳴らし、地下通路を一人で戻りながら、師は詰まらなそうに呟く。
彼が歩いた後の通路は、壁の土が生き物のように動き、次々に埋められていく。
狂人達の作り上げた工場、無数の兵器を生み出してきた場所が、一切の痕跡を残さずに消されていった。
「お前は憎むなと言ったが、己にはそんな聖者のような真似は出来ん……恩知らずで、強欲で、他人の言葉にふらふらと乗せられる、愚かな馬鹿者共を赦す事など、出来ん」
ずるずると、師の周囲に黒い靄が発生し、巨体の全てを包んでいく。
靄が晴れていき、眼帯と黒髪を持った魔女の姿に変わった師は、自身の片顔を隠す眼帯に触れ、眉間にしわを寄せる。
そこに在る傷は、本来の身体の持ち主が死ぬ前に受けた、人間の醜さを表す証であった。
「お前は弱者に僅かな金銭で薬を売り、他者を救う事を躊躇わない稀有な人間だった……なのに人は、お前を妬み疎んだ屑共に殺された。……お前を汚らわしき魔女と罵った連中によって、無残に命を奪われた……どうしてそんな連中を赦す事ができようか」
師の脳裏に浮かぶのは、かつてこの国の民を助けようと奮闘していた、魔女の身体の本来の持ち主―――アザミ・レイヴェルの姿。
彼女は、暴君の暴政に虐げられ苦しむ人々に、師から教えられた薬をほとんど無償で与えてきた。
彼女の妹弟子、シェラも彼女に拾われ、慈しまれ、多くの愛情を受けてそれを返そうと試みてきた。
だが……それを疎んだ旧ガルム王国の王族・貴族の魔の手によって、何者にも代えがたかった命を奪われた。
燃え盛る家の前で、致命傷を受け横たわる彼女。そこへシェラも縋りつき、滂沱の涙を流して悲しみを露わにしていた。
同じく、死に瀕した弟子の元へ急ぎ駆け寄った師に、アザミは最後の力を振り絞り、優しい笑みを湛えてこう告げたのだ。
―――お師匠……どうか、私の身体を使ってください…。
どうせこの身は、土に還る定め……その前にどうか、お師匠様のお役に立たせてください。
―――見る事も、聞く事も、嗅ぐ事も、味わう事も、触れる事もできなくなったとおっしゃるあなたの、代わりの身体にしてください。
―――私という存在が消えるまで……お傍に置いて下さいませ…。
自らの命が終わる瞬間にまで、師を想い続けた弟子。
師弟の関係とは大きく異なる彼女の想いに、師は何も言葉を返す事なく、彼女を強く抱きしめた。彼女の呼吸が止まる瞬間まで、無言でじっと抱きかかえたままでいた。
やがて、アザミの呼吸が止まった頃……師の姿はその場から消え去り、目を真っ赤にした妹弟子と、大きな傷をその身に遺した姉弟子がその場に残される。
姉弟子はゆっくりと体を起こし、虚空を見上げて佇む。
優しい顔を冷たく強張らせ、姉弟子は―――いや、姉弟子の肉体を借りた師は、虚空を見据えて久方ぶりの呼吸を、何度も何度も繰り返すのだった。
自らの弟子を奪った憎い敵への憎悪を、押さえつけるようにして。
「…もう少しだ。もう少ししたら……お前を解放してやれる。お前は嫌がるだろうが……お前の肉体をこれ以上酷使する事は、己が絶えられんのだ」
虚空に小さな声で告げてから、師は再び黒い靄を全身に纏う。
鎧の大男の姿に戻ってから、師は通ってきた通路を土に埋めながら、遥か先の出口……その先にいるもう一つの標的を目指し、鬼火のように左目を光らせる。
「さて―――最後の獲物を仕留めに行くとしようか…」




