35:覚醒の予兆
「うぐっ……あぁっ⁉」
足元で起こった爆発により、シオンの身体が空中に吹き飛ばされる。
街中に広がる業火、焼け焦げた瓦礫を蹴散らしながら、全身に痛みを刻まれたシオンが、罅割れた地面を転がる。
衣服を焦がし、全身に食らいつく熱に、思わずシオンの口から苦悶の声が漏れ出る。
露出した肌には既に何か所も火傷ができ、じりじりとシオンを苛む痛みが走る。以前の衝突と全く同じ状態で、胸中に悔しさが広がるばかりだった。
「ふぎっ、くっ……こんちくしょうめ…!」
口の中を切ったのか、鉄の味がじわりと広がってくる。
シオンは震える手を地面に突き、ぺっと口の中に溜まった血を吐いて、再度ジェダを睨みつけた。
「は、はははははははは…! どうだ…! 身の程がわかったか、雌猫が! …はぁ、はぁ」
「調子に……乗るな!」
かつ、かつ、と靴音を鳴らし、じらすようにゆっくりと、燃え盛る炎の中から悠々と姿を現す狂人。
シオンはその余裕ぶった態度にむかむかと苛立ちを覚え、師から預かった杖の石突をかんっと地面に叩きつける。
シオンの操れる、雀の涙ほどに頼りない魔力が杖に集まり、先端に雷へと変換される。
小さな球体が、細く、先がとがった弾丸の形状へと変わると、シオンはそれをジェダに向けて、鋭い速さで発射する。
「はっ! 無駄だと言っているだろう⁉」
しかし、雷の弾丸は炎の蛇に呑まれ、あっと言う間に消えてなくなってしまう。
大きな口を開け、弾丸を呑み込んだ蛇は不満げに轟音を響かせ、シオンに向けて体をしならせ、勢いよく襲い掛かる。
炎の蛇は、慌てて飛びのいたシオンの足元に激突し、石畳に大きく亀裂が走る。
ばらばらと飛び散る意思の破片を見やり、シオンは苦々しく歯を食い縛る。
「哀れだなぁ……雌猫、あの魔女の弟子という恵まれた地位を得ておきながら、その程度の実力しかない雑魚の中の雑魚! ただ無様に死ぬだけの塵屑! 心の底から同情するよ、はははははは…!」
地面を転がり、傷だらけになっていくシオンを見下ろし、ジェダが狂喜に満ちた声で嗤う。
しかし、既にいくつもの砲弾を放った彼の意気は上がり始めていて、身の丈を越える大きさを誇る杖を支えるのに苦心している様を見せている。
「……そっちだって、もう大分限界が近いように見えるけど。自分の身の程をわかってないのは、そっちだって同じなんじゃないの…?」
「黙れ、雌猫! はぁ……黙って死ね!」
悪態をつくシオンにまた激昂し、肩を上下させたまま、杖の先端から炎を放つジェダ。
シオンはそれをどうにか飛び退いて躱し、同時に自身も杖を構え、先端から小さな雷の弾丸を発射する。
凄まじい勢いで宙を裂く弾丸。しかし、どうしても炎の壁に阻まれ、ジェダに届ける事ができない。
「いい加減……鬱陶しいと言っている‼」
顔中汗まみれになった、目を血走らせたジェダが杖を振り下ろし、周囲に浮かばせていた炎の蛇を操る。
鎌首をもたげた炎の蛇が奇声を上げ、シオンに食らいつこうと再び飛び掛かる。
しかしその時、シオンは避ける為に跳ぶのではなくのではなく、前へと飛び出す。
頭上を往く蛇の下を通り抜け、杖をまっすぐ前に突き付け、先端に雷を収束させていく。
「―――行け!」
ただの弾丸ではない。限界まで圧縮させた力、暴発する寸前まで魔力を込めた、彼女の全身全霊を込めた一発が、轟音を立てて放たれる。
雷の弾丸は炎の壁を貫くと、真っ直ぐにジェダに向かって走る。ぎょっと目を見開いた彼は、咄嗟に杖を持っている利き腕を前に突き出し、掌で受け止める。
そして、ばしっ、とジェダの腕に痺れが走り、ジェダの動きが一瞬強張った。
「ぐ、ぬ…! おのれ……この、猪口才な…!」
自由に動かなくなった利き腕が、だらんと力なく垂れさがる。手にした杖も離れてしまい、がらんと鈍い音を響かせる。
すぐさま反対の腕で拾い上げようとしたその時、彼の手をまた雷の弾丸が貫く。
「ぐああああああ⁉」
「ただ派手なだけで、狙いも真面に定まってない雑な攻撃……私の事を嘗め過ぎにも程がある」
ばちばちと帯電する杖を下ろし、肩を上下させるシオン。
両腕を封じられたジェダが、怒りと苦しみが混じった咆哮を上げる様を見やり、ほっと安堵の息を吐く。
「き、貴様…! この私に、私の手に……よくも、よくもぉ…!」
「痺れさせただけ、殺すつもりはない。その内然るべき場所に突き出して裁いて貰うから……それまで、大人しくしていて」
痺れに苛まれ、指一本動かせなくなったジェダが、怒りの声を上げて喚く様を冷たく見下ろし、シオンは告げる。
もう、瓦礫の山を飛び回るほどの余裕は、詩音には残っていなかった。
立っているだけでやっとの疲労の中、最後の力を振り絞り、目の前の凶刃の額に杖を突き付ける。
彼女の言葉に、ジェダはその場に膝をついたまま、かっと目を吊り上げて声を張り上げる。
「ふざ……けるなぁ! 貴様の様な塵屑に捕らわれるくらいならば、潔くこの場で―――」
額に、放電する弾丸を突き付けられていてもなお、威勢よく罵倒の言葉を吐くジェダが、ぐわっと大きく口を開く。
歯を剥き出しにし、垂れ提げた舌に向けて真っ直ぐに落とし、ぶっつりと食いちぎろうとした刹那。
ばしっ!と、シオンが放った雷の弾丸に脳天を貫かれ、ジェダは白目を剥いて沈黙し、その場に倒れ込んだ。
「……正直、この場で殺してやりたいけど、そうしたらあんた達と同じだから。だから、殺さない……不服だけど」
狂気の顔を晒したまま、ぴくりとも動かなくなったジェダを見下ろし、吐き捨てる。
すると、シオンは唐突にぐらりと体を傾がせ、がくりと膝をついてしまう。からん、と手からこぼれる杖が、甲高い音を町に響かせた。
そんな彼女の元に、ティガとレノンが恐る恐るといった様子で姿を見せ、近付いていく。
「…だ、大丈夫か」
「ひどい……傷だらけだ」
「私の事はいい……とりあえず、これで奴は動けないだろうから、そこらにある何かで捕まえておかないと」
シオンは彼らにそう告げると、力が入らない手足を無理矢理動かし、未だ爆音が鳴り止まない街を見やる。
暴動集団の一人を何とか無力化で来ただけで、敵は国中のいたるところに蔓延っている。
仕事を終えるには、まだまだ先が長いと、シオンは自身を苛む疲労に舌打ちをこぼしながら、どうにか立ち上がる。
「お、おい! 無理は……」
ティガがシオンの顔色の悪さを心配し、レノンと共に引き留めようとする。
構わずシオンは、覚束ない足取りで、轟音が響く方を目指す。傷口から血が滴っているのにも構わず、痛みを堪えて歩き出した。
その直前、シオンの耳に、聞き覚えのある鈍い金属音が届いた。
「…! 離れろ!」
ぞっ、と背筋に寒気が走ったシオンは、ティガとレノンに振り向き、思い切り真横に蹴り飛ばす。
二人から抗議の声と目がシオンに向けられた直後。
彼女に炎の塊が襲い掛かり、衣服と毛を炎上させながら吹き飛ばす。
突然の事に、倒れ込んだまま目を見開くティガ達の前で、シオンはごろごろと地面を転がり、痛々しい姿を晒して倒れ伏した。
「…! が、くぁ……!」
さらに広がる火傷の痕に苦しめられ、シオンは血反吐を垂らしながら身を震わせる。
痛みでまともに動かなくなった体を無理矢理動かし、自分を襲った炎が飛んできた方向を恐る恐る見やる。
「…は、はは…! はははぁはあはあああ…! ひゃーはははは、はは!」
ぐらぐらと軸が定まらない体を立たせ、杖を引きずる男。
白目を剥き、明らかに正気を失った様を見せつけるジェダが、不気味に嗤いながら大量の炎を発生させていた。
自身が燃え盛るのも構わず、炭のようになっていくのも構わず、自身の魔力を片っ端から炎に変換し、周囲のあらゆるものに引火させる。
敗北に対する屈辱か、痛みを受けた所為か、狂った男は自身の魔術を暴走させ、好き勝手に暴れ始める。
「ひゃははははははははは! きひははははは!」
「く、そ……意識も真面じゃないのに、迷惑でしかない奴だ―――おわっ⁉」
悪態をつくティガが、至近距離で暴発した炎に弾き飛ばされ、レノンと共に瓦礫の山に突っ込む。幸か不幸か、瓦礫の山は彼らに迫った炎を防ぎ、代わりに粉々に砕け散る。
ジェダは視界も定まっていないのか、炎を無茶苦茶に放ち周囲の何もかもを破壊し、焼き尽くす。
最悪な事に、実力者である事を誇っていたジェダの魔力は膨大で、彼の魔術は尽きる様子を全く感じさせなった。
「ひははは! ひゃは、ひゃぁあああ~!」
「……こ、の」
じりじりと肌を焼く熱に、シオンが倒れ伏したまま悪態をこぼす。
容赦をしたつもりはなかった。しばらく動けなくなるくらいの一撃を食らわせ、沈黙させたつもりだったのだが、逆に厄介な存在を生み出させてしまった。
「こう、なったら……もう、息の根を―――!」
悔し気に歯を食い縛り、顔をしかめるシオン。
最早、殺しを忌避する余裕などなく、覚悟を決めなければならないと、シオンが杖を強く握りしめ、立ち上がろうとした時だった。
辺り構わず炎を撒き散らしていたジェダが、ぐるんとシオンに顔を向ける。
そして杖を構え、ぼうっ!とこれまでとは比べ物にならないような、遥かに巨大な炎を作り出したのだ。
「ひはははは…! ヒャハハハハ―――死ね、塵屑」
一瞬、ほんの一瞬、はっきりとした言葉を吐いて、ジェダの杖から炎が発射される。
空気を焼く業火の炎が、大量の酸素を消費しながら宙を進み、辺りを明るく照らし出し、熱波を撒き散らしながら黒猫の少女に迫る。
シオンは膝立ちになり、部割と前髪を巻き上げる業火を前にしたまま一歩も動けず、炎に呑まれようとし。
―――彼女の両の目が、黄金色に輝いた。
そして彼女の目の前で、炎の塊が大きく膨れ上がり……太陽のような眩い光を放ち、全てを真っ白に染め上げた。
ごっ!と、光を中心に暴風が吹き荒れ、大小問わず数多の瓦礫を吹き飛ばす。
気を失ったティガとレノンも同じく宙を舞い、瓦礫と共に遠く離れた位置に落下する。
遅れて、地響きのような轟音が辺り一帯に響き渡り、振動で半壊した建物が次々に崩れ去っていく。膨れ続ける光を中心に、壊れた町がさらに粉々になる。
そしてやがて、光は小さく萎んでいき、轟音の余韻を残して消える。
真っ白に焼き焦がされ、跡形もなくなった街の中心に一人、黒猫の少女を残して。
「…………」
暴走した狂人の姿も、先に負った傷跡以外には何も身に受けていない状態で、シオンはただ無言で佇んでいた。
放射状に痕が残った、灰塗れの地面の中心。底の見えない、地下深くまで続く穴が現れたその前で。
金色に目を輝かせ、膝立ちになっていたシオンは、やがてふっと目から光を失い、ゆっくりと身体を傾がせる。
力を失ったシオンが横たわる寸前、大きな手が割って入り、少女を抱きとめた。
「……騒がしいと思って来てみれば、随分とまぁしでかしたものだ」
瞼を閉じ、静かな寝息を立てる弟子を見下ろし、師が苛立たしげに呟く。
真っ白な灰しか見当たらない周囲を見渡し、そんな景色を作り出した少女を忌々しげに見下ろす。
「……あの馬鹿弟子め、封印を破りおったか。念に念を入れて何百二も重ねて施していた筈だが……一部に穴が開いたようだな……何れにせよ、面倒な事になったものだ」
傷だらけになったシオンを、師はゆっくりとその場に寝かせる。
痛々しい傷跡を確かめ、懐から取り出した薬の瓶や包帯で、師は簡単な治療を施し始める。
この先へ向かうつもりであったが、急ぐ用事でもないと意識を弟子に集中させる。ぐっすりと眠ったままのシオンに呆れつつ、深く肩を落とす。
「対策を考えねばならんが……まぁ、そのうちでよかろう。いや……自分で何とかさせるのもいいか」
火傷痕に自作の軟膏を塗り、擦り傷に包帯を巻き、一通りの治療を終えると、師は億劫そうに立ち上がる。
そして、弟子が開けたであろう巨大な穴を見下ろし、暗く遠い底を覗き込んだ。
「手間が省けた…な。地中深くに潜った奴を追うには如何したものかと考えていたが、よもや此奴の暴走が役に立つとは。……あとは其処等の奴らに任せるか」
がちゃがちゃと鎧を鳴らし、師は穴の縁に立つ。
そして、眠り続けるシオンに横目をやってから、穴に我が身を躍らせる。
ひゅぅぅ…と、風切り音を響かせ、深い穴の底へ消えていく師の巨体。
彼が姿を消した後、瓦礫を掻き分け、気を失っていたティガとレノンが恐る恐る顔を覗かせ、様子を伺った。
「ど、どうなったんだ……⁉」
「あいつ…あれ、居なくなってる…?」
狂気に呑まれ、破壊を齎していた男が姿を消し、代わりに変わり果てた景色と巨大な穴が残っている。
そんな光景の中心で、しんと沈黙している少女を凝視し、少年達は呆然となるばかりであった。




