31:囚われの教師達
ラルフィント共和国率魔術学園の地下には、封印された地下牢が幾つも存在する。
これは、かつてガルム王国が繁栄していた頃、反逆を企てた者や罪人、商品として捕らえた他人種を閉じ込めておく為に作られたものであった。
王族や貴族は、気に入らない者達に適当な罪を着せて投獄し、度々部屋が足りなくなった事から、増設に増設を加え、今や蟻の巣か迷路のように入り組んだ造りになっていた。
誰も使わなくなった今は入り口が封印され、入れないようにされていた筈なのだが、暴動集団はこれを教師や生徒達を捕らえる檻として開放した。
そして一晩の間に、数百人を越える教師と生徒達が放り込まれ、殆どの牢が埋め尽くされていた。
「おら! さっさと入れ畜生共!」
一人の羊人の女性が背中を蹴られ、湿った石畳の上に倒れ込む。
前面を降りに塞がれ、他の麺は石の壁が広がる檻の中。掌と膝をつき、呻き声を漏らす女性を愉しげに見やり、銃を持った男が口を三日月のように歪め、鉄製の扉を思い切り閉じる。
がしゃん、と甲高い金属音が鳴り響く中、同じ牢に入れられた年嵩の女教師が銃を持った男達を睨む。
「あ、あなた達! 自分が何をやっているかわかってるの⁉ 犯罪よ犯罪! どんな屑でもやらないような最低な事をやっているのよ! 聞いてるのこの盆暗!」
鼓膜に刺さる甲高い声に、中年教師の前にいる男だけでなく、同じ牢の中にいる者達も顔をしかめる。
元々が自尊心が高く、歳下や新人の教師達を見下す態度が目立っていた彼女は、自分がまるで罪人のような扱いを受けている事が我慢ならないらしい。
男が冷たく、何の感情も感じ取れない眼で見下ろしている事に気付かないまま、不満を罵声に変えてぶつけ続ける。
「私に妙な事したら只じゃおかないわよ、人殺し! わかったらさっさとここから出しなさい! もし傷一つでもつけようものなら、絶対に地獄を見せてや―――」
唾を吐き散らし、目を吊り上げていた中年教師。
すると彼女の額に、不意に大きな穴が開けられ、背後にびちゃびちゃと血肉の破片が飛び散る。
「うるせぇんだよ、婆……汚ねぇ声で叫んでんじゃねぇ」
目を見開いたまま、ゆっくりと地溜の中に倒れ込む中年教師に吐き捨て、煙を上げる銃を担ぐ男。
恐怖に顔を引き攣らせ、事切れた彼女から距離を取る他の教師達をじろりと見やり、彼は苛立ちを込めた声で吠える。
「腐った婆に枯れた爺共! お前らは老い先短い役立たずだ! 俺達を愉しませる事もできねぇ、従順な奴隷にもならねぇ絞り滓だ! 処分されたくなきゃ黙って一生此処で大人しくしてろ! 屑共め!」
牢の中の教師達、歳を重ねた女達や老いた多種類の人種の男達を見下ろし、口汚く罵る。
一定数はいた筈の若い女性達や女子生徒達は、こことは別の部屋に運ばれており、多くの男達の相手をし、滾った欲望の処理をさせられている。
この男だけが、この牢における見張りを命じられ、悶々と我慢を強いられていた。
「くそっ……あいつら、さっさと代わりやがれってんだ。臭い爺婆共の相手なんざしてられっか、胸糞悪い…!」
牢の鉄柵を蹴り、ぶつぶつとぼやきながら一旦、その場を離れる銃を持った男。
彼の姿が見えなくなってから、老の中の教師達が身を寄せ合い、沈痛な表情で囁き合い始める。
「オルフェ教頭…! もう我慢なりませんわ! こうなれば無理矢理にでもここを脱出して外に助けを……!」
「落ちつきなさい、レイリン先生。そんな事をしても我々が無駄死にするだけ……好機を見出さなければ何も解決などせんわい」
「その好機とはいつ来るのですか…⁉」
息を潜め、興奮する別の女教師を宥める教頭。長く貯えた髭を撫でつつ、荒ぶりつつある自身の精神も落ち着かせようと、学園長を務める彼は深く息を吐き出す。
無残な骸を晒されている部下を見やり、悲痛に顔をしかめながら、自棄になりかけている女性に語り掛ける。
「連中が持っているのは、魔術師にとって天敵と呼べる代物。そしておそらくは、この暴動に参加している者全員が所持していると思われる。…敵の数も把握できていないのに、無闇に突っ込むのは得策ではない」
「だからこのままでいると⁉ いつ殺されてもおかしくはないのですよ⁉」
「危ういのは私達だけではないだろう。連れていかれた若い子達や生徒達の事も心配せねば……もし我々が迂闊に暴れれば、彼女達が人質にされかねん」
「だからってどうして私達がこんな思いをし続けなければ…!」
他者の生死を気にしていられる状態ではなく、女教師は座り込んだまま地団太を踏む。
自分さえ助かればいいというような態度を見せる彼女に、オルフェは険しい目を向けつつも、仕方のない事だと女教師に憐れみの目を向ける。
「……いまだ姿の見えぬ神よ。願わくば、この身を代価にこの者らをお守りくだされ」
小さく天井を仰ぎ、誰にも聞こえないような声で呟き、オルフェはいるかどうかもわからない神に祈る。
彼とて、あの暴動集団の手によって惨たらしく殺されてもいいわけではなく、他者を気遣っていられるほど余裕もない。
しかし、他の者達よりも長く生きている彼は、近付きつつある師に対してある程度の覚悟はできており、ほんの少しだけ冷静さを保っていた。
だが、やがて彼の表情は怒りに歪み、床に拳を強く叩きつける。彼の脳裏には、一人の憎たらしい部下が浮かべる醜悪な笑みが浮かんでいた。
「フェムトの馬鹿者め……! 嬢ちゃん…理事長への恩義を忘れたのか、畜生にも劣る男め…!」
食い縛った牙を軋ませ、怒りを露わにするオルフェ。
長くシェラと共にいた彼は、彼女を裏切った教師に対する殺意をこれでもかと高め、再度床を殴りつける。
その姿に怯え、先程の女教師がびくびくと身を震わせ、オルフェに縋るような目を向ける。
「わ、私達…! これからどうなってしまうのでしょうか…⁉」
女教師の言葉に、周囲の教師達がさっと気まずそうに目を逸らす。
どうなるかなど、この状況では想像するに難くない。容赦なく打たれた中年女性教師の事を思い出し、次は我が身かと身構えてしまう。
このまま、死体の山の一部となる以外に先はないのか、と全員が暗い想像に沈み始めていた時だ。
―――ぎゃあああああああああ……‼
と、何処からともなく響き渡ってきた絶叫に、オルフェたちははっと目を見開く。
次いで、何処かへ去って行った筈の、先程中年教師を撃って脅しをかけた男が、ごろごろと通路を転がってくる。
「何だ…⁉ どうした、お前……っ⁉」
男はオルフェ達のいる牢の前で止まり、白目を剥いた顔面を晒して横たわる。
いきなりの事に、つい案じる声を上げたオルフェは、男の無惨に変わり果てた顔を見て息を呑む。
男の顔は、左半分が原型を留めない程に腫れ上がり、異形のように変貌していた。
皮膚が風船のように膨れ上がり、顔中の血管が浮き上がって網目の様になっている。その上顔全体が青紫色に変色し、藻掻き苦しんだ跡の表情で固まっている。
あまりにも悍ましい最期を晒した男の有様に、オルフェの後ろで女性教師達が少女のような悲鳴をあげていた。
「これは……毒か。それも恐ろしい程に致死性が高いもの……一体誰が」
牢の中にいる事も忘れ、事切れた男の元に近づこうとしたオルフェ。
彼が牢の扉に触れたその時、扉は軋んだ音を立てて、ゆっくりと開かれていった。
ぎょっと目を見開き、自分の手と鍵の開けられた扉を交互に凝視するオルフェ。
困惑の表情を浮かべていた彼は、ふと視界に奇妙なものが映った事に気付き、周囲に気を張りながら視線を移す。
その先に見つけたもの―――通路の真ん中に陣取り、一匹の黒い小さな蛇を目の当たりにし、オルフェの表情がまた変わる。
「あなたは……!」
目を見開き、呆然と固まるオルフェの前で、蛇は口に咥えていた鍵を放り捨てる。
理解が追い付いていない様子の彼に、蛇は赤く血のように光る片目を細め、苛立った風にしゅーっと鳴き、暗闇に良く響く声を発する。
「…さっさと行け、小僧。己が手を貸してやるのはここまでだ―――」
生物の物かも怪しい奇妙な声を発した蛇は、ずるずると身体をくねらせ、通路の奥の闇へと姿を消してしまう。
漆黒の身体が見えなくなるまで、背後で様子を伺っていた教師達に小突かれるまで、オルフェは動く事もできず、驚愕の顔を浮かべたままでいたのだった。




