28:絶望の淵
炎に呑まれ、変わり果てた町を二つの人影が駆け抜けていく。
片方がもう片方の手を引き、必死の形相で瓦礫が転がる通りを走る。途中に横たわる黒炭を、少し前までは生きて動いていたであろう何かに見ない振りをし、背後に迫る脅威から只管に逃げる。
「ティ、ティガ君…!」
「足を止めるな、レノン! 捕まったらその辺に転がってる奴等と同じ目に遭うぞ!」
荒い息を吐き、不安気な顔になる犬人の親友を引っ張り、虎人の少年が叱咤する。
学園が休みになったこの日、唐突に始まった惨劇。彼自身も何がどうなっているのか全く理解が追い付いていないが、それでも足を止めたら自分達は一巻の終わりなのだという事だけはわかっていた。
ふと、ティガの耳がある音を捉え、慌ててレノンと共に真横に跳ぶ。二人は地面を転がり、破壊されてできた建物の亀裂の中に飛び込み、息を潜める。
すると、その場に幾つもの足音が近づき、ティガとレノンのすぐそばまで迫っていった。
「…どこに行った、あの犬と虎の餓鬼共は」
「探せ! 近くに必ずいる筈だ! 見つけ次第殺せ! 出来損ないの血は一滴たりとも残すな!」
どかどかと無遠慮に街を徘徊し、挙句道端の骸を蹴り退かし、謎の武器を持った集団が少年達を探し回る。
相手が子供であろうと一切躊躇わない、自らと姿の異なる人種を全て否定する為、悪魔の形相となった彼らが街を進む。
「……!」
「声を出すな…! 絶対にだぞ……!」
ティガとレノンは、彼らがこの場を離れる事を願って必死に息を押し殺す。
自衛の手段はあるにはある。しかし、数えきれない人数の暴漢がどこから来るかわからず、その上得体の知れない武器を有している彼らに立ち向かう勇気は、微塵も出てこない。
呼吸すら止める気で、沈黙を貫いていたティガとレノン。
標的が見つからず、苛立った様子で瓦礫を蹴り飛ばしていた集団の声が、やがて少しずつ遠ざかっていく。
しばらくしてようやく、集団の放つ音は一切が聞こえなくなり、炎が揺れるぼうぼうという音だけが聞こえるようになった。
「……行ったか?」
恐る恐る、といった風に外に目を向け、辺りを探るティガ。
敵がいなくなったのならば、さっさとこんな所から離れなければ。期待を抱きつつ、そろそろと片足から外に踏み出そうとする。
だが、突如聞こえてきた激しい足音と無数の怒号に、ティガは慌てて物陰に引っ込んだ。
「―――待ちやがれ、雌猫が!」
「逃げんじゃねぇ!」
「うおおおおおおおおおおお!」
ぱん、ぱんっと武器を構え、引き金を引きながら走ってくる暴漢の集団。
彼らが追いかける、黒い毛並みの猫人の少女が、眼に涙を溜めて駆け込んでくる。
やがて彼女の目が、物陰から様子を伺っていたティガとレノンの姿を捉え、走る速度をさらに上げた。
「そこ入れて! お願い入れて!」
「なっ…⁉ ば、馬鹿! こっちに来るな!」
態々息をひそめる二人に向けて大声で叫ぶ少女に、ティガは目を吊り上げて声をあげかけるが、すぐさま我に返って音を抑える。
しかし少女―――シオンは構わず、凄まじい加速を見せると、ティガ達のいる空間に頭から突っ込む。
中にいたティガとレノンを巻き込みながら、ごろごろと荒れ果てた建物の中を転がり倒れ込んだ。
「お前、何してくれたんだ! 見つかっちまっただろうが!」
「僕達……こ、殺されちゃうよ!」
「奥! 奥行って! もっと奥に!」
抗議の声を上げる少年達に、シオンはぐいぐいと彼らの身体を押して促す。
数々の悪態が頭に浮かぶティガだったが、言い争っている場合ではないとすぐさま立ち上がり、レノンの手を引いて建物の奥に向かう。その後を、シオンも大急ぎで追いかけていく。
「こっちだ!」
「他の亜人共もいたぞ!」
数分前まで土産物屋として繁盛していたであろう、建物の中の暗い奥へと走る少年少女達。
それはやはり見られてしまっていたようで、武器を持った暴漢達が次々に亀裂に飛び込み、後を追いかけてくる。
男達は中に入ると、亀裂から差す光と自前の灯火器でどうにか光の消えた屋内を見渡す。
そして微かに見えた、奥の扉を潜る猫の少女の尻尾を目印に、邪魔な物置き台や商品を蹴散らして駆け出す。しかし武器や体格が仇となり、扉に辿り着くまでにかなりの時間を要してしまった。
「待て、餓鬼共! くそっ……邪魔だ! どけ!」
扉を蹴破り、これまた狭い廊下へ飛び出す暴漢達。
横に広がれず、仕方なく一列に並んで更なる奥へと走る彼らは、暗がりの向こうで灯火器が照らし出す、三つの小さな影を見つけ出した。
「いたぞ、あそこだ!」
「追いかけっこは終わりだ……大人しく死ね、出来損ないの屑共!」
行き止まりだったのか、廊下の奥で一塊になって立ち往生している少年少女達に、集団の先頭に立つ男が銃口を構える。
まずは一番前にいる標的、散々手を煩わせてくれた黒猫の少女の心臓を狙い、ゆっくりと引き金を引き絞ろうとしたその時。
少年達を後ろに隠し、棒立ちになっていた少女が、懐から杖を抜いて集団に突き付けた。
「―――そら、一直線だ」
少女がそう呟いた直後、杖の先端に光が灯り、ばちばちっ!と眩い雷光が迸る。
集団の先頭の男が目を見開き、引き金を引くも時すでに遅く。
放たれた雷光は男の胸の中心に突き刺さり、続いてその後ろの男の胸に、さらに後ろの男にと次々に突き刺さっていき、彼らの心臓を感電させていく。
「ぐ、がっ…!」
「て、めぇ……!」
集団は一斉にびくんっ、と身体を震わせ、やがて一人ずつその場に崩れ落ちていく。
驚愕の表情で目を見開いたまま、ぴくぴくと痙攣を繰り返す彼らを見下ろし、シオンはふーっと安堵の息をついた。
「……よ、よよよよし、なななな何とかなったぞ」
「なってねぇよ!」
がたがたと震え、暗がりでわかりづらいが真っ青な顔になったシオンに、背に庇われたティガが怒号を上げる。隣のレノンはその場に蹲り、悲痛な嗚咽をこぼしていた。
「お前…! 俺達を巻き込んで危ない作戦に付き合わせやがって! 女だからって容赦すると思うなよ⁉」
「それは申し訳ない……返り討ちにするにはああする以外に方法が思いつかなかったから、つい」
「返り討ちにするどころか、危うく誰か一人撃ち殺されかけてたぞ!」
びっ、とティガがシオンを睨みつけながら後ろを指差す。
そこには亀裂が走った壁があり、中心には銃弾が一つめり込んでいる。
集団の戦闘の男が咄嗟に撃った銃弾が、シオンの顔の横を掠り、彼らの背後まで通り抜けたのだ。
「んんっ…まぁ、取りあえずこれで危機は去った。ひとまず一息つこう」
そう言って、集団が持っていた灯火器を取り上げて持ってくるシオン。
少女は少年達の前に灯火器を置き、明かりを確保してから、ずるずるとその場にしゃがみ込んで壁に背を預ける。
ティガはまだ言い足りず、険しい顔で口を開きかけるが、やがて諦めたようにその場にどかっと腰を下ろす。レノンも同じく、おずおずと彼の隣に腰を下ろした。
「……これから、どうしよう」
「どうするったって……どうしようもねぇだろ、俺達じゃ。誰かが助けてくれるのを待つ他にねぇよ」
「そんなの、何時になるかわからないじゃないか……それに、助けてくれる人なんているのかな」
「……俺だって、わかんねぇよ」
情けない声を漏らすレノンに、ティガはがしがしと頭を掻きむしって返す。
何とか逃げ延びる事ができたとはいえ、自分達はまだ半人前ですらない学生。大勢の暴漢達を対処できるような力量はない。
誰かに助けを求めようにも、こんな事態が国中のあちこちで起こっているのなら、自分達を助けぬ向かう余裕なんてないかもしれないのだ。期待をしても、無駄かもしれない。
「僕達はここで……あいつらに殺されるのかもしれない。あの武器で撃たれて……粉々の破片になって、どこの誰かもわからないようになって、永遠に忘れ去られるんだ」
抱えた自分の膝に顔を伏せ、レノンがぐすぐすと鼻を鳴らす。
逃げる途中で見た、他の犠牲者の憐れな末路。謎の銃弾を受けた者が、身体の中から爆発を起こし、木端微塵に吹き飛んでしまう光景は、少年に拭いきれない精神的外傷を残していた。
ティガは後ろ向きな考えをこぼす親友に苦言を返そうとしたが、彼の考えを否定することができず、グッと唇をかみしめて黙り込んでしまう。
もう、自分達は助からないのかもしれない。
そんな絶望に、少年達の心が折れそうになった時だった。
「―――多分、大丈夫だと思う」
不意に、自身の体を休めつつ、少年達の呟きに耳を傾けていたシオンが告げる。
陰鬱な雰囲気を完全に無視し、気楽そうと表現できる言い方で話しかけてきた黒猫の少女に、少年達は胡乱気な目を向ける。
「あ? なんでそんな事が言えんだよ」
「師匠がいるから」
「お前の師匠が…? 魔術師、だよな?」
ティガの問いに、シオンはこくりと頷いて見せる。
自信ありげな彼女の態度に、ぱっと表情を明るくさせるレノンに対し、ティガはなおも疑いの眼差しを向け続けていた。
「師匠、人間が煩くするのがこの世で一番嫌いだから……その内思いっきり切れるだろうね」
「こんな状況で、魔術師が一人味方になった所で何の役に立つんだよ……あいつらの銃は魔術師を殺す為の武器だぞ! 一発撃たれて終わりだろ」
「師匠が負けるとか死ぬとかはまずないよ。強い……って言うか理不尽の権化だし」
「だから、人間が一人加わったところでどうなるってんだよ! 妄想も大概にしろよ、馬鹿女!」
ばんっ、と地面を叩き、都合のいい妄想を垂れ流しているとしか思えないシオンに怒鳴るティガ。
こちらを勇気づけようとしているのか、それとも現実を認識したがっていないのかは彼には判断がつかなかったが、平静でいられる余裕を彼は持っていなかった。
レノンがおろおろと、親友と少女を交互に見やって困惑する様を横に。
シオンは無表情のまま、鋭い目で睨みつけてくるティガを見つめ返し、ため息交じりに口を開いた。
「師匠は人間じゃないよ……強いて言うなら―――〝災害〟かな?」
シオンが、とある魔術師の弟子である少女がそう呟いた直後。
どんっ!と。
彼らが身を潜める建物を大きく揺るがす爆音が、街の何処かから轟き、余韻がいつまでも響き渡っていった。




