24:ただこの日を楽しむ
「まったく、師匠の物臭振りにはほとほと呆れる……あむ」
たれがたっぷりとかかった串焼きを頬張り、シオンが半目で虚空を睨み呟く。
腰かけた長椅子の左右には買い集めた屋台の料理が積まれ、既に空箱がわきの屑籠に放り込まれている。
師と共に祭を謳歌するつもりで、しかし誘っても全く応じてくれなかった彼の者に対する苛立ちで、弟子は一人自棄食いに興じていた。
「せっかくのお祭なのに…はふ、人混みが嫌だからって来ないなんて……はむ、それも祭の醍醐味だろうに…あぐ、勿体ない事だ……んぐ」
師への文句を口にしながら、まるで何かの作業のように屋台料理を口に運び、平らげていくシオン。見る見るうちに傍らに置かれた容れ物の山が減っていき、残骸が屑籠の中に放り込まれていく。
少女の見た目以上の量があった筈なのに、ものの数分で全て片付けられてしまった。
「ふぅ……ん、もう終わりか。まだ一分目なのに」
何もなくなった長椅子の上を探り、落胆の声を漏らす。
近くを歩いていた他の観光客から、信じられないものを見る目を向けられている事も気にせず、まだまだ空腹を訴える腹を摩って立ち上がる。
「一種類だけじゃやっぱりだめ、全然足りないな……次は南地区を見てみるか」
耳を立てて人の声を探り、鼻を聞かせて食べ物の臭いを探り、目を凝らして行った事のない場所を探り、国内の面白そうな箇所を目指し、シオンは軽い足取りで歩き出した。
それからシオンは、ラルフィント共和国の隅々を歩き回った。
試験で使用するだけであった学園、つまりはかつての王城をぐるりと一周し、鐘を備えた塔や講堂を含む建築物をじっくりと見渡し。
現在は騎士団の本部兼宿舎として使われている、有力貴族が邸宅として建てた、純白に輝く壁と広い庭園が特徴的な宮殿を見学し。
遊興施設として建設され、今は美術品や古代の遺物を展示してある博物館として残っている巨大な屋敷を巡り。
高く聳え立つ、巨大な時計が頂点で時を刻む尖塔や、黄金を丸ごと彫った幾つもの天使像が並ぶ構内が噂となっている大聖堂の中を見渡したり。
共和国の中心を流れる大きな河に渡された、河の中心に建った二つの塔がある、変わった造形の橋を渡り―――。
悪名高きガルム王国が栄えていた頃を示す、数々の財を尽くした建造物を目に付く物から次々に回る。
忌まわしき歴史として破壊される事なく、新たな国の名所として残されたそれらは、純粋に芸術作品の一種として目を惹き、訪れる者達を飽きさせない。
「おぉ……これは凄い、凄い……けど」
シオンも例に違わず、ラルフィント共和国が誇る名所の数々に、単純に感嘆の眼差しを向け、ほぅと息をついていた。
かれこれ朝から周り初めて半日近く経っているが、観る場所はまだまだ残っている。なるほど、三日も祭の日程を設けるわけである。
好奇心に胸を弾ませるシオンだが、やはり、どうしても寂しさを紛らわせることができなかった。
一人で巡る名所の数々は、師と共に堪能したいという想いが湧きあがり、より師が来てくれなかった事への悲しさを強めた。
「……師匠の馬鹿。面白いのに、なんで来ないんだよ」
大勢の観光客達が渡っている橋を横目に、川辺の手すりに背中を預ける。
半目で天を仰ぎ、深いため息をつく。目を閉じ、ざわざわと騒がしい人の声や川の潺に浸りながら、しばらくの間黙り込む。
ささくれだった自分の心が落ち着くのを待ち、黄昏ていた時だった。
「やぁ、お嬢さん。今、暇してるかな?」
「……ん?」
不意に声をかけられ、シオンは不機嫌そうな声を漏らして正面を向く。
いつの間に来ていたのか、じゃらじゃらと煩い貴金属を身に着けた、見るからに軽薄そうな犬人の男達が二人、シオンに歩み寄ってきていた。
「ここらじゃ観ない人だよね、観光で来た人なのかな?
「一人じゃさびしくない? 俺らと一緒に回ろうぜ、絶対その方が楽しいって」
顔立ちも整い、慎重には不釣り合いな凹凸の激しい身体つきをしたシオンを見つけた彼らは、あわよくば口説き落とそうと近づいて来たらしい。
しかし、彼らと相対したシオンの表情は、すでに酷く冷めていた。
「……結構です」
一目見た瞬間から、シオンは馴れ馴れしい男達に嫌悪感を抱き、その場から立ち去ろうとする。
着崩した衣服に生白い肌は、真面目な人間にはまず見えない。親し気に話しかける裏で、間違いなくよからぬ厭らしい事でも考えている態度であり、これ以上近付いてほしくない種類の人だった。
しかし、シオンの拒絶を理解できていないのか、それとも無視しているのか、男達は立ち去ろうとするシオンをしつこく追いかける。
「絶対一緒の方が楽しいって! ほら、うまい料理出してくれる店教えてあげるからさ」
「もう十分食べてきた」
「だったらお酒! 楽しく呑んで騒げる場所があるから、そっちに行こうぜ! な? な?」
「お酒呑める歳じゃないので」
つかつかと速足で歩き、誘いを拒否するが、男達は食い下がり諦めない。
上等な得物が、手応えも感じさせないまま逃げようとしている事で、次第に男達の顔には焦りと苛立ちが滲み出始める。
「いいから…! ちょっとぐらい付き合えっての―――」
ついには焦れたのか、男の片方が目を吊り上げ、シオンの手を強引につかんで引っ張る。
その途端、シオンの顳顬にびきっ!と血管が浮き上がり、掴まれていないもう片方の手が拳を握りしめる。
礼儀も作法も弁えていない無礼な男達のしつこい誘いに、我慢の限界に達したシオンが強烈な一撃を見舞おうとしたその刹那。
「おいおい、女を口説くならもうちょい引き時と選んでいい相手ってもんを覚えろよ」
「いでででで⁉」
がしっ、と突然武骨な手が男の手首を掴み、軽く捻り上げてしまう。
軟派男の片割れは、いきなり襲い掛かってきた痛みに顔をしかめ、思わず相手を睨みつける。が、その相手を―――鎧を纏った初老の男を認識した途端、男の威勢は見る見るうちに萎んでしまった。
「き、騎士団長……」
「今日は楽しいお祭りの日だ。留置場で三日間終わらせちまうなんてしょっぱい思い出なんざ、残したくはねぇだろ?」
ぎりっ、と男の手首を握りしめ、獰猛な笑みを浮かべて告げる騎士コンドウを前に、男達は見る見るうちに真っ青になる。
こくこくと何度も頷く彼らを睨み、コンドウは舌打ちと共に手を放し、顎をくいっと上げて促す。
大慌てで走り去っていく男達の背中を鋭い目で見送ってから、コンドウはにっと快活な笑みを浮かべてシオンに振り向いた。
「コンドウ……」
「よぉ、嬢ちゃん。災難だったな、大丈夫か?」
「……余計な事を。二度と軟派なんてできなくなるようにしてやろうと思ってたのに」
「それされると、俺ぁお前さんの方を逮捕しなきゃならなくなるから、勘弁してくれ」
不満げに見つめてくるシオンの肩を叩き、苦笑を浮かべるコンドウ。
シオンはしばらく老騎士に咎める視線を向けていたが、やがてため息と共に目を逸らす。責めるのは道理が異なると考え直したのだ。
「見周りの途中で見かけたんで、ついでに挨拶でもと思ったんだが……あー、先生は今日は一緒じゃないのか?」
「…察して」
「ん? 一緒に来なかった……あぁ、いや、来てくれなかったのかい」
陰鬱な表情で俯老いたシオンに、コンドウは大体の事情を察してまた苦笑する。
人間嫌いな偏屈な魔女、あるいは鎧の大男。彼の者の気性の難しさは、最初に出会った頃から目の当たりにしているため、弟子である少女の気持ちはよく理解できた。
「せっかく誘ったのに……人の気持ちも知らないで、師匠はほんとに意地悪」
「そうかいそうかい―――参ったな、俺ぁこういう話題は苦手なんだよな」
小声で呟き、コンドウは居心地悪そうに目を逸らす。
自覚があるのかは定かではないが、難儀な相手に難儀な気持ちを抱いてしまった少女を見下ろし、がりがりと頭を掻くコンドウ。そういう悩みに付き合った経験が皆無であるため、どう宥めた者か全くわからないのだ。
「その上、この嬢ちゃんはどうも先生にそういう感情を……ったく、あの人にゃ困ったもんだ―――まぁ、あれだ。たんまり土産を持って帰って、あとで二人で食えばいいんじゃないか?」
「……それしかないか。うん、そうする。ありがとう、コンドウ」
「おう、俺の分も楽しんでってくれって言っといてくれ」
一応、納得のできる策であったのか、シオンは渋々といった様子で肩を竦め、コンドウに一礼する。
パタパタと走り去っていく黒猫の少女を見送り、老騎士はため息交じりに肩を落とす。
「魔法使い……じゃねーや、魔術師様のお弟子さんは大変だねぇ。…さて、俺も見周りに戻らにゃならんな」
ごきごきと首を鳴らし、自分の役割を果たすために踵を返すコンドウ。
本来の巡回の道へ戻ろうとしたその時、ふと彼の足が止まる。
自由に街中を行き交う町の住民や観光客達。人種による違いは多少あれど、遠目からは蟻のように細かく見分けがつかない人混みが広がる中。
一人、どこか見覚えのある顔立ちが横切っていった気がしたのだ。
「……小早川?」
一瞬、凍り付いたように動きを止めたコイン胴は、我に返るとすぐさまその一人の―――かつての教え子の一人で、数年前に行方不明になった少年の面影を持つ者の後を追いかける。
道を行き交う大勢の人々を掻き分け、ほんの一瞬だけ見えた男を必死に探し、コンドウは街中を走る。
何度も見失いそうになりながら、その度に必死に彼の後姿を探し、見つけては即座に後を追う。それを何度も繰り返し、どんどん表の通りから外れた場所へ入っていく。
そしてついに近藤は、とある路地裏に入っていく元教え子の姿を、はっきりと自身の視界に捉えた。
「おい、小早川!」
迷う事なく、路地裏に入り怒声を上げるコンドウ。
勝手にいなくなった事への怒り、無事に生きていた事への安堵、今まで何をしていたのかという疑問と、あらゆる感情を込めて元教え子の名を呼ぶ。
だが、その声に返されたのは元教え子からの言葉ではなく、重い金属の光を放つ何か。
そして、ぱんっ、と微かな破裂音とともに迫り来る、赤く厚い光の塊。
それが何かを理解するより前に、コンドウは胸に強い衝撃を受け、ついで自身の鳩尾がかっと熱く燃えるような感覚に苛まれる。
「―――バイバイ、くそうっとうしい先生」
唖然と立ち尽くすコンドウの前で、光を放ったその男―――眼鏡と白衣を纏い、長い筒状の軟化を構えた痩身の男が、醜悪な笑みを浮かべて別れの言葉を吐く。
その言葉を認識した直後、老騎士はどさっと音を立て、その場に倒れ伏す。
彼が倒れた真下からは、どくどくと大量の血が溢れ出し、彼と彼の周囲をどす黒い赤色に染め上げていった。




