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【試読版】創世の賢者【一応完結】  作者: 春風駘蕩
第0章(お試し版)黒猫少女と仮面の師匠
23/42

22:祭典に備え

 陽が沈み、ちらほらと星が瞬き始めた夜の始め。

 その日の学業を終えた生徒達が校舎を出て、自身が泊まる下宿先や寮に戻り、学園全体がしんと静かになり始めた頃。


 学園の理事長室の窓辺で佇み、明かりが灯り始めた街を眺めていたシェラ・レイヴェル。

 人形のように冷徹な表情で、無言のまま夜景をがめていた彼女は、やがてため息とともに声を漏らす。


「あと3日……今年も何事もなく終わればいいのですが」

「ですな。まぁ、昨年も多少の乱闘があった程度でしたし、問題がないとは思いますが…」


 夜の街を眺めるシェラにそう話しかけるのは、赤黒い鱗が全身を覆う竜の貌を持った老人。

 シェラの下で教頭の座に就き、教員や職員達の管理を一手に担い続けている、彼女とほぼ同じ時間を過ごてきた竜人(ドラコ・サピエンス)の老兵である。


「油断は大敵、という言葉もありますわい。皆気をつけてはおりますゆえ、あなた一人が気に病む必要はありますまい」

「そうだといいのですね……」


 街の大通りを見れば、ぞろぞろと作業着を身に纏った屈強な男達が、建材を担いで何処かに向かう姿が目に映る。

 彼らの向かう先、丸く開けた広場には、既に屋台のような小さな建物が建てられていて、飯屋や土産物屋の店主達が用意を始めているのが見える。


 悪徳貴族や王族を排し、国の方針が大きく変わった事を祝う催しに向けての準備が着々と始められているのを見て、シェラの胸中には期待よりも不安が大きく膨らんでいた。


「こうも不安になるのは、先日の一件が原因でしょうか。大事な節目の日に面倒な事を起こして、本当に迷惑な話ですね…」

「奴に関しては、本当に申し開きもありません。奴の性根の腐り具合を見抜けず、情けない話です」

「先生がいなければ、開催自体危ぶまれたかもしれませんのに……何を考えているのか」


 尋常ではない差別意識を表に出す元生徒と、それを助長させているであろう親。

 二人を二度と学園に近づけさせないようにしたが、これでずっと大人しくしているとは到底思えない。


 オルフェは険しい顔で頭を下げ、シェラに最大限の詫びを入れる。

 学園における二番目の地位を得ておきながら、役目を全うできなかった事に対し、彼は強く自責の念を抱いていた。


「あなただけを責めるつもりはありません。ですが……多少の言及は覚悟していてください。それと、職員の大幅な人事異動も」

「心得ております…」


 一年で最も忙しくなる日が近いというのに、やる事があまりに多すぎると、シェラとオルフェは思わず痛む頭を押さえる。

 険しい顔で、しばらくの間黙り込んでいた時、理事長室の扉が叩かれる音が響く。


「…どうぞ」

「失礼します。建国祭参加に関する書類で、急遽必要になった書類ができましたので、ご確認をしていただこうと思いまして」


 シェラが応え、入室してきた眼鏡をかけた鼠人(ミュリダ・サピエンス)の男。書類関連を纏める事務職に就いている彼は、大量の書類をシェラの机に山積みにする。

 その量の凄まじさに、シェラ達は咄嗟に大きなため息をこぼしてしまった。


「…わかりました、今夜中に片付けておきますから、深夜0時頃に取りに来てください」

「承知しました。…お手数をお掛けします」


 即座に表情を切り替え、書類に手をかけるシェラに一礼する眼鏡の鼠人。

 まず一番上に置かれた書類を手に取ったシェラは、ふと思い出したように男に視線を向ける。その目は、どこか期待を抱いているように見えた。


「……それで、頼んでいた件については?」

「それなんですが…」


 シェラに問われると、眼鏡の鼠人は懐から封筒を取り出し、彼女に手渡す。


 鼠人の彼は、学園の書類整理に精を出す一方で、学園に不利益を齎しかねない情報を収集し報告する役目を担った、シェラに個人的に雇われている間諜でもあった。

 主に生徒の実家や国の裏を探り、後ろ暗い商売や罪に手を出していないかを調べ、必要があれば国にも報告して対処を求める、極秘の存在である。


 数日もの時間を費やし、収集してきた情報をまとめたそれを、男は何故か困った様子で表情で預ける。

 シェラは頷くと、封筒を開けて中に収められていた数枚の書類を取り出し、素早く隅々まで目を通していく。すると、徐々に彼女の目つきが鋭くなり、訝しげに歪められ始めた。


「……これは、事実ですか?」

「は、理事長が怪しいと踏まれました場所は全て念入りに、極秘に調べましたが……特にこれといったものは見つかりませんでした」

「そうですか……考え過ぎだった、という事でしたらいいのですが」


 じっと書類を睨みつけ、肩を落とす半森人(ハーフエルフ)の女。

 当てが外れたという事で、酷い落胆を抱いた彼女は一気に疲れた様子を見せる。


 そんな彼女に、オルフェが困惑した様子で口を開いた。


「何処も白、暴動(クーデター)を起こす気はないという事ですかぃ? 理事長の考えるような、武器を秘密裏に製造して決起するという計画が動いているとは、この情報を見る限りとても思えないのだが……」

「何時になるかは定かではありません、ただし確実に何かが起こるのは確かです。ここ数十年は、表向き平和が続いて見えますが……嵐の前の静けさという言葉もあります」


 シェラはなおも書類を確認するが、怪しい箇所は一つもない。

 しかし、どうしても違和感を感じたシェラは、目を皿のようにして何度も書かれた内容を確かめ続ける。


「ですが、ここに書かれているものはどれも生活用品ばかり……女性用の化粧品か医療用備品にしかならないようなものばかりですよ?」

「…麻酔は量を間違えば麻薬になります。日常に存在する便利な道具は、常に危険なものと隣り合わせなのですよ」

「それはわかるが……ここにあるものでそれらしいものは見当たりませんがね」


 調査に入った場所は、ディスフロイ家のような猿人以外の人種に対して排斥意識を持つ家柄。

 革命以前には奴隷売買に加担していたり、虐待を加える姿がよく見られた貴族や商人、当人やその子供達の家であった。


 しかし、その家に流れているものはどれも日常に使用されるものばかり。

 火薬に使われる硝酸や毒物に数えられるものなどは、危険視するほどの量は確認できなかった。


「…少し、気を張り過ぎていたのかもしれませんね。ご苦労様でした。こちらの仕事は確認しましたので、しばらくお休みなさい」

「はい。……どうか、お気を楽に。あの時代は終わったのです」


 気遣いの言葉をかけ、眼鏡の鼠人は一礼してから背を向け、理事長室を後にする。

 扉が静かに閉じられると、シェラは途端に疲れ切った顔になって天井を仰ぎ、眉間を摘みながら肩を落とした。


「過去に囚われているのは、私も同じ……か。情けない話ですね。許さなければ、いつまで経っても何も変わらない……変えられない。わかってはいるのですけどね―――」

「理事長……いや、嬢ちゃん」


 小さく呟き、胸元の首飾りを弄るシェラ。そして、それを悲しげに見つめるオルフェ。

 中に封じた写真、かつて師や姉弟子と共にいた頃に映したそれを握りしめ、荒ぶる自身の心を抑え込もうとするように深呼吸を繰り返す。


「―――姉様を殺した者達を、私はどうしても許す事ができないのですよ」」


 不意に瞼を開き、虚空に向けられた半森人の女の目は―――冷たく猛る憎悪に燃えていた。

 かつて目にした光景が、今になって瞼の裏に蘇り、怒りと憎しみが再燃し始めた。



 ―――ねえ様…!

    死なないでねえ様!


 記憶の中で、シェラは泣き喚いていた。

 燃え盛る森の中心、崩れていく我が家の前で、ぐったりとした姉弟子―――アザミに縋りつくばかり。


 炎に照らされてなお、血の気が引いた肌を見せる姉弟子が。

 片眼を焼かれ、ぽっかりと黒く焦げた穴を開けさせた大好きな人が、少しずつ市へと近づいていくのを、止める事ができなかった。


 自分にあらゆるものを与えてくれた姉弟子が、自分と同じく敬愛する師の腕に抱かれ、掠れた声で師に何かを呟いていた。


 ―――どうか、恨みなど持たないで…。

    そんな事をしてもお師匠が虚しくなるだけ……何も救われません。


    こうした人達は、知らなかっただけ……大切な事を教えられないまま、間違った事だけを学んできてしまっただけなんです…。

    先生みたいな人達が教えればきっと……私達みたいに、平和に暮らせるはずなんです。


 血を吐き、涙を流しながら、錨や憎しみとは無縁の穏やかな表情を見せ、アザミは師の頬に手を伸ばす。

 冷たい仮面の奥、誰も知らない隠された素顔を覗き込み、アザミは一生懸命に語りかける。


 ―――だから……怨まないで、憎まないで。

    それは、私の弔いになんてならないから……。


    真に私を想って下さるのならば……どうか、私を一緒に連れて行って。

    私の事を、忘れないで―――。


 師は何も言わず、少しずつ冷たくなっていくアザミを見下ろし、やがて片手で優しく頭を撫で始める。

 師の弟子はほっと微笑みをこぼすと、やがて瞼を閉じて沈黙してしまう。


 笑みを浮かべたまま、無残な傷跡を遺した骸へ変わり果てたアザミに、シェラは絶句しやがて精一杯の悲鳴をあげる。

 師がただ、無言でアザミを抱える姿を他所に、シェラは彼女の死を嘆き、彼女を殺した者を恨み、何も出来なかった自分自身の弱さを呪った。


 人間の愚かさを示すような業火は、彼らが過ごした場所を焼き尽くすまで、消える事はなかった―――。



「……さっさと終わらせて、寝てしまいましょう。オルフェ、あなたもですよ」

「了解……」


 波が通り過ぎていくのを感じながら、シェラは姿勢を正すとオルフェに命じ、自分は書類の山に手を伸ばす。

 胸の内に燻り続ける憎悪の火種が完全に消えるまで、オルフェが退出してしばらくし、時計の針が頂点を越えても、半森人の女は只管仕事との格闘に没頭する。


 机に向き合うその横顔は、苛立ちと共に寂しさを混じらせて見えた。




 そして夜が明け、陽が沈み、また明けてを繰り返す事三度。

 街の住民達が待ちに待った建国祭が、幕を開けた。

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