21:嫗の話
「……」
わいわいと騒がしい街の大通りを、シオンは一人頬を膨らませて歩いていた。
ずんずんと荒い足取りで、すれ違う町の住民達から胡乱気な視線を受けつつ、鋭い目で虚空を見つめて前を目指す。
その後を歩く師―――今は魔女の姿となった彼が、冷めた目で弟子を見やっていた。
「いつまでむくれている気だ。お前にできる事はないと言っただけ……事実を突き付けられて拗ねるな、未熟者」
「拗ねてない。苛ついてるだけ」
「それを拗ねているというのだ」
師の言葉にきつい口調で返し、一切視線を向ける事なく、ギルドと師を背に進む。
依頼を一つ終えた後に遭遇した事件。自分達が見た経緯の全てを報告し、組合に新たな仕事を積ませた後からずっと、シオンはこうして膨れたままでいた。
事件直後から続く弟子の苛立ちに、魔女もいい加減うんざりした様子を見せる。
「いい加減機嫌を直せ。あの場を見ただけで、どうやって犯人など捜すつもりだ。その手の経験者に任せておけばいいだろうに」
「…そうやって、自分には関係がないなんて言って、何もしないのは嫌い。ああいうのは見るだけで怒りが込み上げてくる……命を何だと思ってるんだ」
弟子の怒気を声に孕ませた返答に、ふっと呆れたため息をこぼし、肩を落とす魔女。
表情とは真逆に、感情が簡単に上下しやすい厄介な性分の持ち主である彼女には、止めたところで何の意味もないようだ。
「先日の昼間の馬鹿にいいようにやられるような塵芥が、随分でかい口を叩くものだ。何処からそんな自信が出てくる」
師がそう呟くと、シオンの肩がびくっと跳ねる。
ずんずんと地面を踏みつけていた足が止まり、ぎぎぎ…とぎこちなく、シオンが引き攣った顔で師に振り向く。
「……さ、作戦を立てて」
「お前、自分が策を講じられるほど知能が高いと思っているのか? それも、あの程度の輩の挑発に簡単に乗せられるような単細胞が。煽られて真正面から突っ込んで終わりだったではないか」
「……き、奇襲で」
「逸って飛び出すのが関の山だ。相手が現れるまで我慢なんぞ、お前に出来るものか」
「……わ、罠」
「薬も満足に作れぬお前が、人に気付かれぬ罠など張れるものか。何なら自分で気付かずに嵌まる可能性すらあるぞ、お前の鈍さを考えれば」
「う、うぅ…」
萎む声で策を口にするも、師はその尽くを罵倒の言葉と共に否定する。
師とはいえ、自身の全てを信用していないのがまるわかりな言葉の数々に、我慢しきれなくなったシオンはだんだん涙目になっていく。
しかし告げられる言葉は皆、普段から言われ続け、自覚している事ばかりであったため、何一つ言い返す事ができなかった。
「出来ぬのなら、無理をして首を突っ込もうとするな。邪魔になる前に下がっていろ」
「うぅぅ…! 師匠の鬼畜…! そこまで言わなくたっていいじゃない…⁉」
「ここまで言わねば、お前は止まらぬであろうが……能面顔のくせして、好奇心旺盛で突っ走らずにはいられぬ猪激情家の小娘が」
ため息交じりに冷たく吐き捨てられ、シオンはぱくぱくと口を開閉させる事しかできない。
何とか言い返す言葉を探し、あー、うー、と意味のない声を発していた少女は、やがて諦めたのかふんっと鼻を鳴らして踵を返す。
どすどすと、先程よりも荒い足取りで歩き、遠く去っていく弟子を見やり、師は肩を竦めてみせた。
「…それだから、お前は未熟者だというのだ。この程度で腹を立ておって」
もうとっくに弟子の姿は見当たらないが、特段焦る必要もない。
他に候補などない少女の目的地に向けて、師は魔女の姿のまま目を細め、のんびりとした歩調で歩き出した。
ふんふんと鼻を鳴らし、地面を踏みつけながら歩いたシオン。
彼女はやがて、師と共に泊まっている襤褸宿に辿り着き、無遠慮に扉を開いて中に入る。
「師匠のばか……私が弱っちい雑魚だなんて知ってるのに、あんな遠慮なく。繊細さが足りないんだよ、あの人は」
唇を尖らせ、宙を睨み、不満を口にするシオンは、老婆に断りなく宿内に置かれた椅子にどかっと腰を下ろす。
埃がぶわっと舞い上がり、視界を灰色に染め上げるが、まるで気にせずぶすっと頬を膨らませる。
師が容赦なく発し、今もぐさぐさと心に突き刺さったままの言葉の矢。それが与えた傷は、当分癒えそうにない。
口論でも早々に負けてしまい、日頃の積み重ねで、少女の中には山の様に苛立ちが募っていた。
「いつもいつも未熟者って、小娘って……いい加減、私の事も認めてほしいのに。何年修行してると思ってるんだよ、師匠の馬鹿。阿保。石頭……」
師への悪口を幾つもこぼし、目を据わらせる。大抵何かある毎に罵られて、慣れたつもりになっていたが、今日この日に限ってはなかなか苛立ちは解消されない。
悶々とした気分を引きずり、汚い椅子の上で足を浮かせて、暇を持て余していた時だった。
「―――けんかでもしたのかい」
「⁉」
突然聞きなれない声に話しかけられ、シオンはびくっと椅子の上で飛び跳ねる。
きょろきょろと辺りを見渡し、何処の誰だ、何時から居たのか、と冷や汗を垂らしたまま声の主を探す。
そしてやっと、受付台から顔を覗かせ、シオンを見つめていた事に気づいた。
「だめだよ、仲のいい子とは仲がいいままでいないと…あとあと後悔するからね」
「…? えっと…おばーちゃん、いきなりどうしたの?」
「あたしがお前さんぐらいのころにもね、仲のいい子がいたんだよ……でもね、ささいなことでけんかして、それっきりになっちまってね」
むにゃむにゃと口を動かし、寝惚けているような表情で突如語り出した、ひどく痴呆が進んでいるという老婆。
来る度に新規の客だと迎えてきた彼女が、不貞腐れるシオンを見て何か思い出したのか、優しい口調で話しかけてくる。
案の定、会話は成立していなかったが、シオンはすっかり怒りも忘れ、老婆の話に意識を削がれてしまっていた。
「やさしい人でね……あたしらをたくさん助けてくれたんだ。あのころは大変なことがたくさんあったもんで、あたしらはみんな苦労しててねぇ。あの人がいなかったら、今ごろこの世にはいなかっただろうね」
「……あの頃って、革命が起こったとかその時代の話?」
「みんなやせほそって、おなかがすいた、くるしいって泣いててねぇ……あの人はじぶんだけがまんして、たべものとかくすりとかをとってきてくれてねぇ。ほんとにありがたい……神様みたいな人だったんだ」
やはり、会話が成立しないと、シオンは思わず顔をしかめる。
自分の過去と重ねて、助言をしてくれているようだが、聞きたい事を教えてくれないようで話が噛み合わない。仲違いしてそのままだった、ということぐらいしかわからなかった。
「なのにねぇ、あたしらは恩を仇でかえしちまった……たくさん助けてもらったのに、あの人をうらぎっちまった。それがねぇ、ほんとに心残りなんだよぉ……」
「……覚えては、おく」
「だからねぇ、けんかしてもすぐ仲直りしなきゃいけないんだよ……じゃなきゃ、一生こうかいするからねぇ」
適当に相槌を打っていたシオンだが、老婆はもうシオンに話しかけていた事も忘れてしまったのか、寂し気な表情で虚空に向けて呟くばかりになってしまった。
何となくもやもやとした気分になったシオンが、椅子から立ち上がって老婆に近づこうとすると。
「……何をしている、馬鹿弟子」
軋む扉を開き、黒衣の魔女が姿を見せる。
鼓膜に刺さる嫌な音にびくっと肩を震わせ、シオンははっと、追いついてきた師に振り向いた。
「お、お帰り師匠……いや、何かこの人が気になる話をしてたから」
「痴呆が進んだ媼だ。話す内容に然して意味はあるまい。真面に付き合おうとするな、時間の無駄だ」
「……師匠、無慈悲なのは私だけじゃないんだね」
ぶつぶつと呟き続けるままの老婆を見下ろし、冷たく吐き捨てる師に、シオンは表情を引きつらせて後退る。老婆に対しても容赦がないのか、と戦慄の眼差しを向けて。
対する師は、ずるずると広がる黒い靄に身を包み、黒い鎧の大男の姿に変わる。老婆が目の前にいても、己の異能を晒す事に全く躊躇いを見せなかった。
「呆けは本人にはどうしようもないんだから、優しくしてあげればいいのに」
「それに意味があるのならな。…部屋に戻るのならさっさと行け、邪魔だ」
「……仲直りとかする以前の問題だし。こんな人に今後何かあるわけないよな……」
がちゃがちゃと鎧を鳴らし、奥に続く通路を塞いでいるシオンを急かす。迫り来る巨体に、そしてやはり向けられる厳しい声に、シオンは小さく呟きながら顔をしかめる。
師はそんな視線など一切気にせず、シオンの隣を通り過ぎ、借りた部屋に向かって進む。
シオンも険しい顔のまま、ため息とともに溜飲を下げ、師の後についていこうとした時。
「―――あたしらのせいで、賢者様もお怒りになられた……もうにどとあんなこと起こらせちゃならないんだよ、ほんとうに…」
「…? 賢者…?」
ぼそり、と老婆がこぼした嘆きの言葉に、立ち止まったシオンは訝しげに首を傾げる。
何の話をしているのか。気になった黒猫の少女は、もっと詳しく話を聞きたいと耳を側立たせるが、老婆は虚空を見つめて黙り込んでしまった。先程まで饒舌に喋っていたのが嘘のように静かになっている。
シオンは眉間にしわを寄せ、じろりと強く老婆を見つめる。圧を発して、また話し出すのを待ってみるが、老婆はもう二度と口を開かなかった。
「…さっさと来い。いつまで待つつもりだ」
「いや、だって気になっちゃって」
「時間の無駄だと言ったはずだ。戯言に付き合っている暇があるくらいなら、新しく術を教えてやる」
急かす師の言葉に、シオンはぴんっと耳を立てて目を見開き、大急ぎで師の元に駆け寄る。
老婆への興味を完全に断ち切り、豪華な餌を前にした犬のようなきらきらと輝く顔で、師の前に直立する。
「何してるの師匠、早く術教えて、早く早く」
「……現金な奴め」
師がそう吐き捨てると、シオンはぱたぱたと上機嫌に部屋に向かう。一変した弟子の機嫌に、師は仮面の奥から心底呆れた目を向ける。
師はふと、受付台の向こうで黙り込んでいる老婆を見やり、どこか嫌悪感を感じさせる視線を向け、小さく呟く。
「……今になって後悔するとは、お前達の面の皮はどれだけ厚いのか。謝罪した所で、あの子は戻ってはこないのだ……頭を下げられたとて、己の気は一向に済まんがな」
弱々しい姿で、虚空を見つめる老婆を睨みつけていた師は、最後にぎり、と仮面の奥で軋む音を響かせ、部屋に入りその巨体を隠す。
後に残された老婆は、虚ろな表情でいつまでも虚空を見つめ続けたのだった。




