17:蠢く悪意
「くそっ! 亜人の雌が! 汚らしい人間の出来損ないが‼︎」
甲高い音を立てて、長机の上に置かれた皿が叩き落とされ、粉々に割れていく。
皿の上に乗せられた、見るからに高級そうな料理も一緒に落とされ、ぐちゃぐちゃに潰され、無残な様を晒す。
それを行った男、オーフェンは獣のような荒い息をつき、今度は己の拳を長机に叩きつけた。
「この儂をまるで異常者のように扱いおって! 儂を誰だと思っておる! ディスフロイ家当主だぞ⁉︎ 紛う事なき貴族! そもそもの格が違う、選ばれた一族の長だぞ!」
昼間の騒動、息子が関わった一件の責任を問うため、理事長の元へ単身乗り込んだはいいが、話も真面にできないままに追い出された。
嘗てはガルム王国の重鎮の一人であった貴族の血を引く彼にとって、理事長の態度も発言も、決して受け入れる事の出来ない恥辱であった。
「獣畜生の分際で、この儂を邪魔な塵のように扱いおって…! 奴隷の分際で! 女のくせに! 愛玩動物のくせをして! 安い娼婦の分際で! くそっ!」
唾を撒き散らしながら吐き捨て、近くに置いたワインの瓶を掴む。
グラスに注ぐ手間も惜しみ、オーフェンはガブガブとそのまま煽る。口の端から赤い雫が溢れるが、構わず喉に流し込んでいく。
襟元も赤く染め、下品にげっぷをこぼし、オーフェンは据わった目で息子を睨みつける。
「ジェダ! お前の失態だぞ! たかが野良の魔術師如きにあしらわれよって……情けない! 何のためにあんな馬鹿に高い杖を買い与えてやったと思っている⁉︎」
「……申し訳あり―――」
「喋るな! 腹が立つ! 言い訳など聞きたくもないわ、馬鹿息子め!」
感情のままに、オーフェンがまだ机から落ちていない料理を皿ごと投げつける。
べちゃりとジェダの顔にステーキが張り付き、ソースで顔も服も真っ赤に汚れるが、ジェダは俯いたまま黙り込んでいた。
「お前は! お前はディスフロイ家では数少ない才を持っているのだぞ⁉︎ それを活かせずして何とする⁉︎」
「……腹立たしいですが、亜人共にも才がある者がおりますから」
「そうだ! 忌々しい! 何故獣に魔術など使える!? 儂でさえ使えぬというのに、腹が立つ! 平然とした顔で、馬鹿みたいに派手な真似をしてみせて! 己が人間より高尚な生き物だと思っているのか! 馬鹿にしおって!」
傍から見ればオーフェンのその姿は、才の無い者が才ある者を妬み、一方的に殺意を募らせているようにしか見えない。
他人にできる事が自分にできない事を僻み、罵る事でしか自分を慰める事ができないのだ。
「儂に魔術の才があれば…! 儂がこんな恥をかく事もなかった…! いや、そもそもこの国がこうも狂う事もなかったはずだというのに……‼︎」
バシバシと何度も机を叩き、怒りを露わにするオーフェン。
ぐびぐびと酒瓶を傾け、一本を空にしてしまうと、がらんと勢いよく投げつけて粉々に叩き割る。
ばらばらに飛び散るガラスの破片を睨みつけ、鼻息荒くまた机を拳で叩く。
「時代が! 時代が違えばあのような下賤な連中に好き勝手をさせる事はなかったのだ! あの時代ならば……儂がお前の歳の頃であれば!」
「…革命が起こる前、ですか」
「そうだ! あの忌々しい革命さえ成功しなければ、ディスフロイ家がここまで落魄れる事はなかったのだ!」
運ばれてくる次の料理すら叩き落す父に、理不尽な八つ当たりに耐えていたジェダが目を細める。
彼らがいるのは、窓もない閉ざされた空間だった。
とある屋敷の地下深くまでを掘り、石で四方を覆った狭い空間。明かりは天井のランプ一つだけで、部屋の隅まで届かない程度の明るさしかない。
自分達の有する住まいではない、とある人物の屋敷の一室。
優遇されているとは消して言えないその部屋を眺めながら、ジェダはぼそりと呟いた。
「…我が家は確か、奴隷商売や召喚で富を成していたのでしたか」
「そうだ! 卑しい亜人を態々仕入れてやって、物好きが買って行っていた! 何の役にも立たない塵に価値をつけてやっていたんだ! 感謝される謂れこそあれ、何故それで責められねばならん⁉︎ 商売の苦労も知らん馬鹿者共が、やれ自由だ権利だと喚いて、ディスフロイ家の名を地に貶めおった! 何たる屈辱だ、畜生共め!」
―――かつて、ラルフィント共和国がガルム王国という名であった頃。
国民にとって、亜人は〝商品〟の一つであった。
獣の耳や顔、尾を持った異形の姿。力が強い者が多く、反対に頭の出来は然程良くないと思われていた、
当時の国民、それも上流階級や王族にそういった考えが強く広まっていて、過激な者は武力で排除し、あるいは躾と称して手酷く暴力を振るうなど、動物以下の扱いをしていた。
それが終わったのは、今から三十年近く前の事。
黒い鎧を纏った大男を筆頭とした亜人と一部の人間による一団が、王族・貴族に反旗を翻したのだ。
無論、王族・貴族側はそれに軍を差し向け、鎮圧を図った。
しかしそれは虚しい抵抗となった。
王族・貴族側が有する軍の人数は革命軍の三分の一程度。その上革命軍側は、囚われていた奴隷を開放し頭数に加え、さらにはどこから調達したのか大量の物資と武器を手に入れており、ガルム王国で起こった戦乱はあっという間に決着がついた。
王族と貴族はほとんどが処刑され、彼らに関わりのあった商人なども、相応の処罰を受けた。
その後、亜人を亜人と呼ぶ事を禁じる法律や、他人種に対する差別への取り締まりが始まり、他人種間における蟠りは消えていった。
いや、ない事にされていったのだ。
未だに他人種に対する差別意識を持つ者達は皆、表向きにはそれを隠すか、街から追い出されるかの二択となった。
オーフェン・ディスフロイが今、ここで五体満足で生きていられているのは、彼が身代わりを立てたから。
囚われる父を見捨て、使用人の一人を自分と同じ格好に変えさせ、自らは恥を捨てて日陰に潜み続けたからだ。処刑される父と自分に化けさせた使用人の姿を見る事なく、恥辱に顔を歪めながら再起の時を探し続けた。
その後、今の主人の配下に下る事で、オーフェンは今日まで命を繋いできた。
今や、主人の許し一つなければ贅沢もできない身。激しい怒りと憎しみに身を燃やし、彼は再び頂点に這い上がる事を望んでいた。
ぶつぶつと恨み言を唱えていたオーフェンだったが、やがてその表情がにやりと醜悪に歪む。
口元をワインで赤く汚し、まるで血肉を漁っていたかのような顔を見せる。
「だが、こちらには閣下がおられる……遠い未来に、あの栄光の時代が戻ってくる手はずとなっておる。儂等の役目は、それまでに掃除の邪魔になる塵を片付けておくことだ」
「……なるほど、あの女ですか」
「ああ、そうだ。あの女は必ず閣下の計画の邪魔になる……早々に処分せねばならん」
父の言葉に、ジェダも次第に顔を笑みに歪めていく。
彼の脳裏に、自身を追放した半森人の女もそうだが、その原因となった目障りな黒猫の少女の顔が思い出される。
「……ならばいい的があります。あの魔女が今、唯一抱えている弟子が」
「ふん、あの餓鬼か。役に立つのか? あんな小汚い小娘一人……」
「ええ、おそらくは。そうでなければ、人間嫌いと自ら述べるような女が、私の前に割って入るとも思えません」
自分に恥をかかせた女、自分を取るに足らない存在のように軽くあしらった魔女。彼女の目を思い出すだけで、ジェダの腸は煮え繰り返った。
同時にジェダは思い描く。あの顔を、如何なる手段を持ってでも苦痛に歪める事ができるならば、と。
魔女の傍にいるただ一人の弟子。その存在は、比類なき力を見せつけた魔女の、数少ない弱点としてジェダの目に映っていた。
「…やれるのか? 一度は敗北したお前が」
「まだ負けてなどいません。やり方を少し間違えただけです。やりようによっては、あの魔女を排除するだけじゃない……首輪をつけて操る事も叶いましょう」
にたり、と悪魔のように醜い笑みを浮かべ、提案するジェダ。
オーフェンは出所の不明な自信を魅せる息子に疑わしげな目を向け、黙り込む。信じていいものか、任せていいものか、と天秤にかけているようだ。
しばらくの間沈黙していたオーフェンは、やがてちっと舌打ちをして目を逸らす。
「……いいだろう、もう一度機会をやろう。それに失敗したら、お前にもう次はない」
「有難き幸せ―――」
ジェダはその場に立ち上がり、父に向けて深々と頭を下げる。
もう息子に興味を失ったのか、オーフェンは億劫そうに立ち上がると、膨れた体を揺らして出入り口に向かう。
父親が去るまで、首を垂れたままでいたジェダは、やがて表情の消えた冷たい顔を上げた。
「…いい気になるのも今の内だ。お前の寿命も、そう長くはないだろうさ。俺がいつまでもお前の言う事を聞き続けていると思うんじゃねぇぞ、糞親父―――」
ぼそりと、憎悪を粘度のような濃さに詰めたような呟きをこぼし、ジェダはフッと鼻を鳴らす。
ぱきぱきと、父親が割った酒瓶を踏み砕き、こぼれたワインに醜悪に笑う様を映すのだった。




