15:陽が沈む
茜色に染まる空が、首都を赤く染める。
当の先端に備え付けられた巨大な鐘が揺れ、荘厳な音を掻き鳴らす。
学園に通う生徒は寮へ、あるいはそれぞれの下宿先へと向かい、制服を脱ぎながら一日の疲れを落としに行く。それを見送ってから、教師はまだ大量に残っている仕事と格闘するために校舎へ戻る。
街でもその日の仕事を終えた者達が、欠伸をしながら職場から出ていく。
ギリギリと軋む金属音が鳴り響く工場はそのまま稼働を続け、夜中の勤務の者達と交代し、自宅への道を辿っていく。
店を営む者達も、その日の営業を終えて鍵を締める。最後に残った店主に売り上げの計算や金銭の保管を任せ、従業員達も帰り支度を始める。
中には就寝前に一杯ひっかけて帰るつもりの者もおり、そのために開かれる夜の店のおかげで、街の活気はまだまだ衰える様子がない。
ぽつ、ぽつと店先に明かりが灯り始め、癒しを求める労働者達を優しく、しかし時に強引に誘い始めていた。
帰路に就く者達の中には、魔女とその弟子の姿もあった。
魔女は心底気だるげに肩を竦め、弟子は全身に包帯を巻いて不機嫌な顔で、街の住民が何事か、と振り向くような姿で通りを歩く。
それに反応する事なく、魔女と弟子は無言のまま、賑やかに誘う声が響く商業区を抜けていく。
やがて二人は、周りより比較的静かで人気の少ない、小さな宿屋の前に辿り着く。
小柄な老婆が一人で営む、他に部屋を借りる者が一人いもいないような寂れた宿屋だ。
「…ん、あぁ、いらっしゃいませ……初めてのお客さんだねぇ」
「こんばんわ、嫗。今夜も世話になるわ」
「こんな襤褸宿にようこそおいでくださいました…」
魔女と弟子は老婆に小さく会釈をしてから、慣れた様子で上がり奥に向かう。
ぎしぎしと煩い廊下を抜け、一番奥にある扉の前に立ち、錆びついた鍵を開けて中へと入る。途端にむわりと鼻につく臭いが二人に降りかかった。
「……あぁ、疲れた。今日に限って鬱陶しい事ばかり起こった」
「…その疲れの原因は、お前の振る舞いにも会ったと思うがな。今更どうでもいいが」
開く度に軋む音がするような、痛みが激しい扉を開き、ベッドと机が一つだけある狭い部屋に入る二人。
シオンは奥に行き、壁にかけられたランプに明かりを灯してから、染みだらけの小汚い寝具に勢い良く腰掛ける。寝台もまた傷みが激しく、シオンが乗った衝撃で酷い軋みが生じた。
「師匠ぉ、いい加減ベッドだけでも真面な宿に泊まろう。寝返りうつたびにギィギィ煩いのはもう、うんざりだよ」
深く沈む、柔らかいのではなく発条が劣化してほぼ反発力がなくなった寝台の上で、シオンがうんざりした様子で師に乞う。
切なさに顔を歪め、見つめてくる弟子の前で魔女は―――師は黒い靄と共に姿を変え、黒衣と鎧を纏った姿になる。
「……小洒落た宿は好まん。お前が寝る場所だけあれば十分だ」
「そういう問題じゃなくて…」
「それに、金のかかる宿は人も多くて目立つ。気軽にこの姿にも戻れぬ。金がかかるから安全であるわけではない……この宿の媼は半分痴呆が進んでいて、客の顔も認識できていない。己が泊まるには最適だ」
「……そういう尤もな理由は、最初に言ってくれないかな」
思わず、じとっと咎めるような眼差しになるシオン。
しかし長年の付き合いから、師が今更その性分を変えてくれるとは思えず、諦めてため息をこぼす。
「師匠が人に注目されるのが嫌いなのはわかってるけど、そこまでする必要があるの?」
「ある。人の視線は鬱陶しくてかなわん。中には勝手に己に期待を寄せるような輩もいるのでな……面倒事とはなるべく縁を切っておきたいのだ」
「……その割には、臨時講師とかを引き受けるんだね」
「金が要るからな」
「……養われてる身だから、これ以上は言わないでおく」
師が稼いだ金を最も使う立場にあるために、つい目を逸らしてしまうシオン。
好きで養われているわけではない。自身に必要な費用は自分で稼ぎたいとは思っているものの、冒険者の仕事も儲かるわけではない。高額な依頼は、同じだけ優秀な人材でなければ受注も叶わない。
自分の食い扶持を稼げる程度の一人前には、まだまだ程遠いのだ。
「試験にさえ受かれば、冒険者位階も上がってもっと高位の依頼も受けられるのになぁ」
「受かれば、な」
シオンの呟きに、師は意味深に言葉を濁す。
その妙な反応が気になり、シオンはごろりと寝台に横になりながら視線を向ける。
「……ダメだったと思う?」
「お前の行いは正当防衛……に、一応は認識されるだろう。多少暴れ過ぎたかもしれんが、大半の原因は相手の糞餓鬼の暴走によるものだ。お前に非を唱える者はそういまい」
「そっか……よかった」
ほっと安堵し、不機嫌に強張っていたシオンの表情が少し和らぐ。
どこの誰とも知らない他人の癇癪のせいで、自身の人生が狂わされるような結果にならなくて済んだ、と心から安心していた。
「受かってたらさ、師匠……一緒に難しい仕事もできるね。北の国のドラゴン退治とか、南の国の遺跡の調査とか……冒険者らしい仕事を、いっしょにさ」
「…冒険に夢を見過ぎだ、馬鹿者。わざわざ命の危機と隣り合わせになりたいか、物好きめ」
「だって、師匠はずっとそういう冒険をしてきたんでしょ…? 師匠がどんな人生を歩んできたのか……色々、知りたいって、思ってるんだ…」
うつらうつらと、半ば夢見心地になっているシオンは、静かに佇んでいる師を見上げてか細く語る駆ける。
だが師は、必死に瞼を開き続けようとしている弟子を他所に何やら思案する様子を見せる。
「だが、問題はあの糞餓鬼と、その親だ。あの手の輩は決して己の非を認めまい。シェラの事ゆえに、立場や権力に媚びてそのままにする事はなかろうが……処罰を受け入れず、何かしでかす可能性も―――」
他人種に対し、尋常ではない嫌悪感を見せた生徒。
地位や名誉を持つ相手には一応遜った態度を見せるものの、師が拒絶する姿勢を見せるや否や、即座に激昂し凶器を振るってきた男。
あの男がこのまま大人しくしているとは思えない。
術師としての格の差を見せつけ、死を目前にちらつかせて脅したものの、それがいつまでも効くかと問われればはっきりとは答えられない。
あの極端な差別姿勢が、勝手に生まれるとも思えない。おそらくは同じかそれ以上に多人種に対して忌避感を抱く何者かの影響を受け、現在のようになったのだろう。
それが何者か。ラルフィント共和国建国の歴史を顧みれば、自ずとどういった人物であったのかは想像ができた。
そう、気を抜いている弟子に伝えようとした師であったが、相手が既に寝息を立てている事に気付き、口を閉ざす。
「……暢気な奴め。試験以前にその性分で世を渡れるのか、まったく」
呆れた口調で吐き捨て、目を細める。
しかし師はシオンの傍に寄り、放置されていた毛布を引っ張り出し、シオンにそっと静かにかける。
深い眠りの中に落ちた弟子を見下ろし、しばらくの間、安らかな幼い顔立ちを見下ろす。火傷を隠す包帯が痛々しく、気づけば白い肌に鋭く尖った指先を伸ばし、しかし寸前で止めて引き戻す。
「……起きた時のために、夜食でも作ってやるか」
小さく呟き、シオンから目をそらす。
ふと、煌々と輝く壁のランプを見やり、師が仮面の奥の目を細める。
すると、ゆらゆらと揺れていた灯火がふっとひとりでに消え、部屋が暗闇に包まれる。
静寂の中、シオンの息遣いだけが響くのを感じつつ、師は彼女に背を向けて部屋の外に向かう。
扉の軋みを最低限に抑えられる様に気を配りながら、静かな寝息を立てる弟子を再び見やり、扉を閉じて歩き去っていった。




