14:愚か者への処罰
カチ、コチ、と時を刻む時計の音だけが、広い部屋に響く。
部屋の奥の壁は、全面が窓となっていて、学園の入り口と街の景色を映し出している。
その他の壁は、天井まである巨大な本棚で占められ、その中は無数の本で埋め尽くされている。どれも分厚く、難解な内容が記された物ばかりだ。
そして、大窓の前には机が置かれ、学園長であるシェラが席に着いていた。
険しい顔で、自分の前に立っている男子生徒、その付き添いに一人の男性教師が並んでいた。
「―――それで、事態は報告にあった通りだと認識してよろしいのでしょうか?」
感情が凍り付いているかのような無表情で問うシェラ。
それに、正面に立つ男子生徒ジェダは不満げな顔でそっぽを向く。自分がこの扱いを受けている事に、納得ができていない様子だった。
「学園内での無断での魔術の使用……他人種への差別的発言……普段から上がっている報告も合わせれば、あなたのしでかした事は決して見過ごせるものではありませんよ」
「学園長……今回は不幸なすれ違いがあったからで」
「あなたには聞いていません、口を閉ざしていなさい」
鋭い目で生徒を睨みつけ、淡々と罪状を述べるシェラにフェムトが口を挟むが、学園の長は耳を貸さない。過ちを犯した若者に対する対応に、甘い言葉は不要である、という態度だ。
「当学園に入学する際、あなただけではない、全生徒には誓っていただいたはずです……決して姿形を理由に蔑み、お互いの学びの邪魔をしてはならない、と。それが、当学園で魔術を学ぶ者の最低限の礼儀であり、義務であると」
「……」
「当学園において……いいえ、現代においてあなたの行いは恥ずべきもの。せめて、表に出さず心の中に留める事が、何故できないのですか?」
シェラが問いかけるが、ジェダは固く口を閉ざしたまま何も言わない。
ヒクヒクと痙攣する蟀谷から、相当に苛立っている事はわかったが、相手が学園で最も地位の高い相手だからか、必死に耐えているように見える。
「お言葉ですが、学園長。ディスフロイ君には悪気があったわけではなく……本人から見て実力不足と思われた受験者に対し、彼の言葉が足りなかったという不幸な―――」
「相手を貶め、傷つけ、危うく殺してしまいかねない暴力が、人の為だなどと妄言を垂れる気ですか?」
再び口を挟もうとしたフェムトにぴしゃりと言い放ち、強制的に黙らせる。
自分の生徒の弁護を、というよりは生徒の風始末で自分が非を被らないようにしたフェムトは、ぐっと険しい表情で黙り込む。
血の繋がりはないのに、ジェダとフェムトは実によく似た顔を見せていた。
「当学園の目的は、優れた人間を輩出することではありません。人を傷つけかねない、世に混乱をもたらしかねない才を己の力で制する事ができるよう、教え導く事です。血筋や人種など、この場においては全く何の意味も持たない考えなのですよ」
ジェダは二十代半ば。世間的には、既に成人し働きに出ていてもおかしくない年齢だ。
本来であれば、社会において余計な衝突が無いよう、世に合わせた巧い生き方をしていなければいけない年代である。
しかし、ジェダは一切の反省を見せない。自分の間違いを認めない、それが過ちであると決して認めようとしない。
自身が優れた存在であるという自負が、彼の思考を歪な形の鋼の様に固めてしまっているのだ。
一向に進まない話に、シェラの眉間に皺が刻まれ始めた時だった。
「―――お待ちください! この先は学園長の許可が下りなければ…!」
「ええい、どけ! 息子に会うのに何故赤の他人の許可がいるんだ! 離せ、亜人の雄が!」
学園長室の扉の向こう側から、教員と何者かが言い争う声と音が聞こえてくる。
騒がしいその声が耳に届くと、ジェダとフェムトはにやりと価値を確信した顔に、シェラはくしゃりと顔を歪める。正反対の反応を見せる三人のもとに、勢いよく扉を開け放ち、その男が姿を現した。
「おい、学園長! 息子に指導とは貴様、何様のつもりだ!」
「父上…!」
唾を吐き散らし、ずかずかと無遠慮にシェラの元に進み出てきたのは、肥えた小柄な中年の男。
大きく突き出た腹を揺らし、薄い髪を必死にまとめて厚みを作った、眼だけはギラギラと鋭い光を放っているその男こそ、ジェダの父親。
オーフェン・ディスフロイ、いろいろと黒い噂が絶えない、元貴族だとも言われる嫌われ者の資産家である。
「…事情を何もご存知ではないのですか? あなたの御子息は、他所からわざわざやって来た受験者の娘さんに暴力を―――」
「そんな事はどうでもいい! 貴様、私の息子に指導をして評価にでも響いたらどうする! 栄えあるディスフロイ家の嫡男の人生に傷がつくのだぞ! どう責任を取るつもりだ!」
シェラの話も真面に聞かず、ギャンギャンとしつけのなっていない犬のように吠えるオーフェン。
重そうな体を揺らし、シェラに指を突き付けて怒鳴りつける。彼女が一切表情を変えていない様を見て、より一層目を吊り上げていく。
「平民の小娘が何だ! どうせ無力な野良のくせに、何故こっちが気を遣わなければならん! こっちは態々学園に通ってやっているんだ! 一度の試験程度、ただで通すなど気を利かせる事もできんのか⁉」
「……魔術士試験は、本人の実力と人間性を測り資格を与えるものです。学園の入学の資格は皆平等、どこの誰であろうと忖度はしては―――」
「煩い! 煩い煩い! 言い訳など聞きたくない! さっさと息子を合格させてその小娘を追い出せ! 息子の人生に傷をつけるな! 私の邪魔をするな!」
きーん、とジェダやフェムトを耳鳴りが襲うほど、喧しく騒ぐオーフェン。
シェラの反論にも一切耳を貸そうとせず、息子と同じかそれ以上の傍若無人振りを見せつける。
シェラはじっと黙ったまま、身勝手で人間性に大きな問題を抱える父親を見つめる。すると不意に、学園の長の眼が微かな光を発し始める。
オーフェンが彼女の光る目に気付いたその直後。
ズッ、とシェラを中心とした空気が急速に冷却され、室内が凍り真っ白に染め上げられていく。
元気に騒いでいたオーフェンは「ヒッ」と小さな悲鳴をあげ、膝から力が抜けのか、どさっとその場にへたり込んだ。
「……さて、落ち着かれましたか? 埒が明きませんので、無理矢理大人しくしていただきましたが」
「な、ななっ…な、な、な……!」
「勘違いなさっているようですが……こちらも慈善で学園を営んでいるわけではありません。あなたやあなたの息子のような愚かな人間が身に余る力を手に入れないように、我々は教えを説いているのです」
シェラは、生ごみに向ける物と大差ない冷たい目でオーフェンを見下ろし、淡々と語る。
ガタガタと震えるオーフェンや、思わず後退っていたジェダとフェムトも、突然の魔術の行使に驚愕し、戦慄の表情を浮かべていた。
「本来であれば、入学の時点で弾いておくべきでしたが……迂闊でした、教員の一人が金銭に釣られて試験を通してしまうとは。甘く見ていた私の失態でもあります」
はぁ、と深いため息をこぼし、シェラは目を伏せる。
冷気はやがて引っ込み、周囲を染める白氷もじきに溶け始めたが、冷やされた室内の空気はなかなか戻らない。オーフェン達を脅し、黙らせているようだ。
「通ってしまった以上は、一人前に教え導こうと思っていましたが……やはり腐った人の心を変える事は不可能のようですね。一度でも謝罪の言葉があるのなら、今回の事も大目に見ようかと思っていましたが、仕方ありません。実に残念ですが、これもあなた方の為です」
ぎろり、とシェラの目がジェダを射抜く。
反射的に身構え、顔を強張らせる生徒に向けて、シェラは冷淡な声で告げた。
「ジェダ・ディスフロイ。あなたへの執行猶予はもう、とうの昔に過ぎ去りました……あなたには退学処分を申し付けます」
「は……はぁ⁉ ふざけるな婆! 何故私の方が出ていかねばならない⁉」
「これだけ説明して、どうして自身に非が無いと思えるのか不思議でなりませんが……これは決定です。あなたがこの学園に足を踏み入れる事は二度と許しません」
処分を言い渡した瞬間、ジェダは表情を変え、シェラの机にバンと両手を叩きつける。
悪鬼の形相で凄む彼だが、シェラは眉尻一つ動かさず、ため息交じりに再度告げる。
「せめてもの礼儀として、これまであなた方が払ってきた学費はお返ししましょう。こちらとしても、あなた方との繋がりは完全に断ち切っておきたいと思いますので」
「ば……馬鹿にしないでいただきたい! そんな事、認められるわけがないでしょう⁉」
「あなた方の認可は必要ありません。慈善事業ではない、と先程申しあげたとおりです」
「ふ、ふざけるな亜人の雌如きが! 我々に命令するなど何たる無礼か……身の程を知れ長耳の婆が!」
「そういう発言が原因なのだと何度言えば……いえ、もうどうでもいい事ですね」
詰め寄るジェダとオーフェンの前で盛大にため息をこぼし、シェラは席を立つ。
おもむろに机の引き出しを開けた彼女は、中から銀色のベルを取り出し、チリンチリンと可愛らしい音を立てさせる。
すると、学園長室の扉を開き、屈強な牛人の男達が入室してくる。
「な、何だ貴様らは! 離せ、私を誰だと思っている⁉」
「や…やめろ! 汚らしい亜人が私に触れるな、くそっ!」
二人の牛人はそれぞれ、ジェダとオーフェンの背後に回ると後ろから羽交い絞めにし、ずるずると外に引き摺り出していく。
追い出しに向かう牛人の二人も心底嫌そうな顔をしていたが、これも仕事と割り切りたいのか、唇を噛んで無言で学園長室を後にする。
最後の最後まで口汚く喚き、醜態を晒した男達が姿を消すと、シェラは気だるげに天井を仰いだ。
「お…お疲れ様です、学園長。あの、その…だ、大丈夫でしょうか? あんな風に力尽くで追い出して、もし学園の印象を下げてしまったら―――」
「フェムト・ドグマ……あなたにも処分を下します」
「へっ?」
騒がしい二人が去るや否や、擦り寄ってくる男性教師にも、シェラは冷たい目を向ける。
目を丸くした教師は、自身の最たる上司が自分に対し、道端の小石でも見るかのような興味の薄い目を向けている事に気付き、どっと顔中から冷や汗を流す。
「あ、あの…わ、私への性分…とは……?」
「彼への指導の際……あなたは何をしていたのですか? 問題を起こせば宥めるだけ、しかも何の解決にもなっていない。貴方は一体、どんな仕事をしていたというのですか?」
「そ、それは……その…」
文字通り氷の冷たさを見せるシェラの追及に、フェムトはもごもごと口元を濁らせるだけ。
とても教師には見えない情けない様を見せる彼に、シェラは深いため息と共に彼に背を向ける。
「魔術を教える力は評価していたのですが……残念です。今回の一件には、あなたの監督不行き届きもあるとして、そうですね……減給5年程度にしておきましょうか」
「そ、そんな! 私は良かれと思って…この学園の為を想って!」
「学園の為? あなた、まずそこから勘違いをしていますね。一体何年ここで働いているのですか―――ここは魔術の才を持つ少年少女が、力の使い方を誤らない為に来る場所……生徒の為にある場所ですよ?」
縋りついてくるフェムトに、シェラはぎろりと怒りに満ちた目を向ける。
小さく悲鳴をあげ、後退る男性教師を放置し、学園の長たる女傑は席に座り直す。
「魔術を危険だと理解しておきながら、他者を傷つけるために力を振るう……そのような者に当学園に通う資格はありませんし、そのままにさせている者に教員たる資格はありません。しばらく、反省しておく事です」
「……! ~!」
冷酷に吐き捨て、もうフェムトの事を見る事さえしなくなったシェラ。フェムトは見る見るうちに顔を憤怒で歪め、ギリギリと悔しさを表し歯を食い縛り、軋ませる。
しかしやがて、だらりと肩を落とし、よろよろと覚束ない足取りで学園長室を後にする。
扉がばたりと閉じられると、シェラはだらりと机の上に顔を伏せ、唸るような呻き声を漏らした。
「……教育者とは、こんなにも疲れるものなのでしょうか。あの頃からは全然想像がつきませんよ……」
シェラは目を細め、ふと机の上のとあるものを―――一つの写真立てを見やる。
その中に収められた一枚の写真。数人の幼い亜人の子供達に、金と黒の髪をそれぞれ有した森人の少女達、そして鎧を纏った大男が映ったそれに手を伸ばす。
「あの頃が懐かしいですよ、ねえ様。地位も資金もありませんでしたけれど……あの頃の方が、もっと充実していた気がしますねぇ」
写真に写る黒髪の森人―――師が見せる魔女と同じ顔をした少女の顔に触れ、口角を上げる。
学園の長となった森人の女は、その時だけはまるで少女のように儚げに見えた。




