13:形だけの謝罪
「あいだだだ」
火傷を負った頬に塗り薬を塗っていると、シオンが顔をしかめて呻く。
アザミはそれを冷ややかに無視し、容赦なく黒猫の少女の痛む箇所に薬を塗り込んでいく。
「売り言葉に買い言葉、とはお前の為にあるような言葉だ。あの程度の輩に本気で腹を立ててどうする」
「だって……むかついたから」
「その程度で腹を立てるから、お前はいつまでたっても半人前なのだ」
むー、と不満げに唇を尖らせる弟子に、師は無言で薬を塗り込む。
そのたびに顔を歪め、抗議の声が上がるが、その全てを無視して治療を行う。
「先に手を出したのがどちらであれ、感情のままに動こうとした時点でお前の負けだ。己の名に恥じぬように、などと言うくせに、結局はこの様か」
「……」
言い返す事ができず、シオンはぷいと目を逸らす。
だが、その表情は不満げなものではなく、自らの行いを恥じる居心地の悪そうなものとなっていた。
「…だってあの野郎……師匠の事、馬鹿にした」
「それがどうした…あれの思考がすでに手遅れな程にいかれているのは明白。先程も言ったが、それを真に受ける事が間違いだ。流せ。聞かなかった事にしろ。それが利口な行動というものだ」
淡々と語り、医療品を片付ける師。
シオンは唇を噛みしめ、俯きながらやがて声を漏らす。
「……そんな、師匠を馬鹿にされても平気な顔ができるみたいな、薄情な奴になるんなら…利口になんてなりたくない」
心の底から悔しそうに、ジェダの暴言を否定できなかった自分自身を恥じ、責める弟子。
師はそれを無言で、無表情のまま眺めていたが、やがて小さくため息交じりに目を伏せ、シオンの頭を撫でてやった。
目を細め、心地よさそうに喉を鳴らすシオン。
ふと彼女は、何やらこちらに近づいてくる、騒がしい足音がある事に気付く。
「―――申し訳ありませんでしたぁぁぁぁあああああ‼」
どどどどど…!と、地響きが起きるような勢いでやって来る人影。
教員の制服を大きく乱し、決死の形相で駆け込んできた一人の中年女性が、シオンと師の足元に滑り込み、深々と頭を下げてくる。
思わずその場で飛び跳ね、後退るシオンの隣で、アザミが冷たい眼差しとともに口を開いた。
「なっ……な、な、何……何⁉」
「……そうか、モトイ。お前の抱える生徒だったか」
「その通りでございます! まことに……誠に申し訳ありませんでしたぁぁ! これらの責任は、私の監督不行き届きにございます! ですから何卒、何卒学園への責任追及はご容赦をお願いいたしますぅぅ!」
流石にぎょっと目を見開き、突如現れた女性を凝視するシオン。
戸惑う彼女を放置し、師と女性は何やら知己である事をほのめかしながら言葉を交わす。といっても、黒髪の女性の方が必死に懇願するばかりであったが。
「……師匠、この人は?」
「今朝のヒミコと同じ、〝漂流者〟の一人よ。今はここで教師をやってるわ……道徳の」
「…道徳の?」
「道徳の」
シオンは改めて、師の足元で土下座したまままぶるぶると身を震わせる女性を見つめる。
長い黒髪を後頭部で団子状にした、伏せていてよくわからないが四十代半ば頃であろう女性。一瞬だけ見えた顔立ちは、特に目立つ事はないが優し気だったように思える。
羞恥も面子も放り捨てたような姿で、とても人に道徳心を教えるような人格者には見えない、とシオンは失礼を承知で思ってしまった。
「……それが何で土下座?」
「さっきのアレの担任教師……らしいわよ」
師の端的な説明に、シオンは思わず「えぇ……」と声を漏らしてしまう。
道徳を教える教師の教え子が、先程のような差別主義者。今の見た目も相まって、ますます教師問い情報が信じられなくなった。
「…こちらも挑発に乗った未熟者。これ以上咎めるつもりはないわ……だけどね、それ相応の処罰を望むわよ」
「それは勿論…! なんですが……」
アザミが面倒臭そうに告げると、やってきた女性―――モトイと呼ばれた彼女は顔を上げ、不安と申し訳なさに満ちた目を魔女に向ける。
疑惑の眼差しを送るシオンの隣で、アザミが何か察した様子で目を細めていると。
「彼は……ジェダ君は」
「おやおや、これはこれは魔女殿! 我等が学び舎によくぞお越しくださいました!」
説明しようとしたモトイの声を遮り、無駄に大きな声がかかってくる。
涙目で固まるモトイを放置し、シオンが振り向く。そして、近付いてくる二人組を目に映し、げっ、と嫌そうに顔を歪める。
一人は、先程泣きべそをかいて逃げていったジェダ。気持ちを取り戻したのか、シオン達を見下す視線を向けて、しかしもう一人の後ろに隠れるように歩いてくる。
彼を庇うようにやって来たのは、モトイと同じ教員の制服を纏った中年男性だった。
黄味がかった赤毛を整髪剤で固め、形を整えた頭部に、新品同様に奇麗にされた制服。袖から覗く手にはしみ一つなく、全体的に生真面目そうな外見である。
その上香水をつけているらしく、彼との距離が縮まると、花の香りがシオンの鼻に漂ってくる。
しかし、その匂いを嗅いだ途端、シオンは不快感を感じて思わず後退っていた。
「……あんたは?」
「申し遅れました……私はフェムト、魔術科の教師です。まぁ、万年平教師ですので、魔女殿のお目にかからないのは当然ですが」
「どうも、アザミ・レイヴェルよ」
自虐を挟み、親し気に話しかけてくるフェムトと名乗る教師。
アザミは彼を横目で見やり、僅かに会釈するだけに留める。その後ろに、シオンが顔をしかめながら身を隠した。
「この度は私の教え子と、魔女殿のお嬢様の間にすれ違いがあったようで……彼を指導している私が代わって謝罪に参りました。大変失礼いたしました」
「すれ違い、ねぇ……」
「彼としては、自分が挑む試験には同等以上の実力者が相席すべき、そうでないのなら考え直すべきだ、という考えがあったようでして……個人的な感性で、お嬢様は力不足だ、挑むのは無謀だ、危険だ、と勝手に判断を下してしまったようでして。それがお嬢様には伝わらず、このような結果に…」
朗らかに話しつつ、ジェダにも考えがあっての事だ、と弁護をするフェムト。
一件の原因を善意によるものだ、となかなか無茶な解釈を語っているが、アザミは特に口を挟むことなく黙り込む。
隣でシオンが苛立った顔をしている事も無視し、問題児の教師はにこりと笑う。
「ジェダ君の言葉が足りなかった。そしてお嬢様はそれを察せられなかった。なので、この場は喧嘩両成敗という事で……ここで遺恨は断っておきませんか?」
「……そうね、これ以上は時間の無駄だわ」
「寛大なお心に感謝します……さぁ、ジェダ君。今後は注意しましょう。人間の言葉は、簡単には伝わらないんです」
フェムトの言葉に、ジェダはチッ、と舌打ちをこぼしながら軽く頭を下げ、踵を返す。
その後を、アザミ達に会釈をしたフェムトが肩を竦めながら追う。その直前、彼は一度立ち止まり、アザミの方へ再び口を開く。
「魔女殿も……この場は未熟な生徒達が切磋琢磨する場、多少の無礼や失態は仕方ないものと受け入れていただけると、我々としては幸いなのですが。まぁ、お互い気を付ける事としましょう」
そう言って、フェムトは今度こそその場を後にする。
二人の男達が去った後、魔女とその弟子、そして始終無視され続けた女教師が、示し合わせたようにため息をこぼした。
「……余計な手を出さないで、大人しくしてろって事?」
「まぁ、そうでしょうね…」
「申し訳ありません! 本当に申し訳ありません!」
シオンとアザミの呟きに、モトイが再び、地面に額を擦り付ける勢いで謝罪をする。
ぺこぺこと頭を下げ、憐れな姿を見せる彼女に、魔女は懐から煙管を取り出す。
「言葉遣いこそ対等だったけど……内面はあの糞餓鬼と同類ね。あの手の教師は、多いの?」
「…ごく一部、です。ですが、生徒の何人かは、彼に心酔する者がいます。これまで目立った事件は起こさなかったので、学園も表立って裁く事もできず……」
「あんなのが他に何人もいるとか、嫌すぎるんだけど……」
「申し訳ありません! 申し訳ありません! 申し訳ありません!」
泣きべそをかいて頭を下げ続けるモトイを見下ろし、煙管を燻らせるアザミ。
しばらくの間、宙に広がる白煙を見上げていた魔女は、不意に肩を竦めて立ち上がる。
「早めに処分する事をお勧めするわ……あの手の輩は、いつか大きな過ちを起こして、周りの大人数を巻き込んで自滅する。そうならないうちに逃げるか、どこか遠くに流す事ね」
「は、はい……今回は流石に問題です。学園長に報告も上がっている筈です」
「そう、ならいいわ。……まぁ、こういう害虫は最期までしぶといものだろうけど、頑張りなさいな」
振り向くことなく、歩き出す魔女。その後を、黒猫の少女が慌てて立ち上がり、追いかける。
モトイはその背中を見送り、不意に腰を上げて声を上げる。
「ま、待ってください! ……ここに、学園の教師になって下さる事は、できませんか?」
「…どうして?」
「あなたのお力があれば、どんなに危険な思想を持った人が来ても大丈夫だと思うんです! もう、道徳とか言葉でどうにかできるような話じゃないんです! 平和のためには、暴力を振るってくるような奴には、同じ力で対抗するしか―――」
「……黙れ、愚か者」
興奮で息を荒くし、目力を強めて語るモトイ。
自分でもほぼ何を言っているかわかっていない様子の彼女に、魔女はふーっと大きく煙を吐き出すと、冷たい氷の視線を向け、告げる。
「力をもって生徒を制御するなどと……戯言を抜かすな、人間が。都合のいい時に、力ある者を頼るな。吐気がする」
その目は、ジェダやフェムトに向けていたものと全く同じものであった。
道端の小石を見下ろすような、興味の欠片もない冷めた目。どうでもいいものを見るような一切の感情が浮かんでいない無の視線。
衝撃を受け、固まるモトイを残し、魔女は弟子を連れ、学園の門へ向かっていった。




