11:人間至上主義
時は、約十分前にさかのぼる。
試験会場である学園の中庭にて、シオンが開始時刻を待っていた時の事だ。
「…続々集まって来たな。でもやっぱり、私と同年代の受験者はそんなに多くない? もし受かったら、私が最年少って事になるのかな…?」
ぞろぞろと、午前の筆記を終えた受験者達が、今度は筆記具の次に自前の杖を持って中庭に出てくる。
自前の教科書を引っ張り出す者、人に見られないようこっそりと練習を行う者、緊張の所為か顔を真っ青にしている者。などなど受験者達は様々に時を待っている。
数にして、千人近いだろうか。卒業生を含み、自立した術師に弟子入りした、外部からやって来た希望者も大勢いるのだから、数えきれないのも当然の話であろう。
そのうちのごく一部が、魔術士の資格を得る。
狭い関門を潜れなかった者は、次の試験に向けて挑むか、魔術に関わる別の道を行くか、すっぱりと諦めるか。いずれにしても、生涯で非常に重要になる日であることは確かだ。
「……また胃が痛くなってきた。うむぅ……」
花壇の縁に腰を下ろし、中庭と受験者達を眺めていたシオンが思わずこぼす。
学園に到着するまでは、胸の中でパンパンに膨らんでいた自信が、空気を抜かれたように萎んでしまったようだ。
が、棄権することは考えない。
魔女アザミの弟子である自負を、ここで潰すわけにはいかないからだ。
(師匠は来年にまた来てもいいって言ってたけど、何度も落とされるのは勘弁してほしい……できるなら一発合格がいい。本番前の練習ができればいいけど……ここじゃ流石に迷惑か)
自前の杖、鴉の頭が柄についた指揮棒のような杖を懐から取り出し、悩むシオン。
大勢の受験者が密集しているこの場で術を使うのは、試験官からの印象もよくはないだろう。周りの受験者達も、遠慮しているのか緊張した面持ちで時を待っている者が多い。
(待つしかないのか。なら、精神統一でもして……)
背筋を伸ばし、目を閉じて深呼吸を繰り返す。
どくどくと騒がしく脈打つ自分の心臓を落ち着かせ、試験官たちの前でだけでも平静を保てるように、と自分なりの準備を始めた時。
「―――おい、そこの雌猫」
びきっ、とシオンのこめかみに血管が浮き立ち、思わず瞼を開く。
苛立ちに突き動かされ、シオンはぎろりと、自分に不名誉な呼び名をつけた声の主を睨みつける。
目に映ったのは、眩しいぐらいに明るい色合いの格好だった。
髪は金髪、眼も宝石のように鮮やか、肌も染み一つない健康的な美しさ。それを新品同様の衣服―――この学園の学生服で覆った、一目で金持ちとわかる姿の若い男だ。
端正な顔立ちをした、さぞ人気がありそうな男だが、彼がシオンを見る目は強く嫌悪感に満ちている。道端の生物の死骸でも見ているかのような視線だ。
「……何か?」
「口を開くな、亜人め。とっとと私の前から失せろ。視界に貴様らのような害獣が映るだけで、私の気分は最悪になる。獣人ごときが私を煩わせるな、塵め」
問い返したシオンに、男は唾でも吐き捨てそうな勢いで、罵倒の言葉を突き付ける。
昨今では誰もが使う事を躊躇うような差別用語を平然と吐き、顔を歪める。
唐突な罵倒、そして拒絶の態度を見せつけられたシオンは、ぽかんと呆けて男を凝視してしまう。
「何をしている、さっさと消えろと言っているんだ。気持ちの悪い畜生め」
「……そう命じられる謂れはない。私は受験者で、ここに用がある。赤の他人にそんな事を言われても困る」
「知った事か! 私が消えろと言っているんだ! そんな事も理解できない程に馬鹿なのか⁉」
反論をするシオンだが、男はそれを無理矢理ねじ伏せるように、濁流の如き勢いで罵倒を続ける。
まるで会話になっていない、一方的な要求ばかりをぶつけられ、シオンは目を点にしながら固まる。同じ人間を相手にしていないような気になり、混乱ばかりが思考を占める。
(……ああ、まだいるんだ。こういう輩)
シオンの脳裏に浮かんだ、〝人間至上主義者〟という言葉。
人間―――世間一般的には猿人とされる者達の一派が喚く、己らこそが生態系の頂点たる生物で、それ以外の人類を語る人種はそれ以下の存在である、という頭の悪い主張だ。
かつて存在した宗教の教義を真に受け、他人種を平気で見下す狂信者達。
獣の特徴を体に残す人種を嫌悪し、酷い時には浄化という名目で排除しようとすることもあったという、過激な性質を持った種類の人間。
当然、そうでない者達からは蛇蝎の如く嫌われており、しかししつこくどこかから現れ続けている。
この国においては、とある時代を境に減少の一途を辿っていた筈なのだが、よりにもよって今日、しかも自分の前に現れるとは。
シオンは心の底から、偶然というものを恨みたくて仕方がなかった。
「……あんたの言い分だと、他人種は受験の資格なんてないって言ってるみたいだけど。本気で言ってるの?」
「口を開くなといっているだろう! …当然だ。魔術師は至高なる人類の技術の集大成。この世のあらゆるものを支配し、自在に操る事ができる最高の力だ。そんな代物を、貴様ら獣畜生共が行使しようとするなど、あってはならない事なのだ」
「……この学園は、そういう差別を禁じてるはずだけど」
「黙れ亜人の雌が! ……それがそもそも間違っている。獣畜生が人間の真似をする時点で間違っているのだ。まぁ、学園長が亜人なのだから、そんな勘違いを起こしても仕方がないだろうがな」
話が通じない、とシオンは早々に匙を投げ、男から少しずつ距離をとり始める。
シオンが問う度に一々罵倒を挟み、そして身勝手な自論を語り出すのだから、律儀なのか何なのか。
気づけば、シオンと男の周りには空間ができている。
巻き添えになる事を恐れ、いつの間にか素知らぬ顔で二人から離れていたのだ。
「……はぁ、わかった。どこか見えない所に行けばいいなら、行くからもう絡んでこないで」
「いや、駄目だ。この国から出ていけ。貴様ら亜人が視界に入るだけで気分が悪いと言っただろう。外で野垂れ死ね、貴様らなど」
「……はいはい、そうするから」
関わる事が本気で面倒臭くなり、シオンはげんなりと肩を落とし、立ち上がって歩き出す。
無表情でいられなくなるほど、シオンの方が気分が悪くなっていた。
(どこかその辺に身を隠すか……他の受験者は真面な奴の方が多そうだし、その辺に隠れさせてもらおう。それにしても……面倒臭い奴に捕まったな)
気怠さを隠すことなく、シオンは学園の出入り口に……と見せかけて、中にはの隅の身を隠せそうな場所を探して進む。
頭のおかしい狂信者の命令を真に受ける気はさらさらなく、同情的な視線を向けてくる受験者達の中に紛れ込みに向かう。皆、進んで道を開けてくれていた。
とにかく、至高だ優れた種族だと煩いこの男の前から離れよう、とシオンが背を向けた時だった。
「あのような獣を飼う学園の質も知れたもの……いや、あの格好からして、どこぞの野良魔術師の子か。道理で品性が足りんわけだ! 薄汚い田舎者の飼う亜人なのだから、当然の事だがな‼」
その瞬間、ピタリとシオンの足が止まる。
カッと目を見開き、呼吸までもが一瞬止まる。信じられない言葉を聞き、自分の正気を疑いながら、シオンはゆっくりと男の方へ振り向いた。
「……今、何て言った?」
ぎょろり、と眼球を回し、男を睨みつける。
ぶわっと膨れ上がる黒猫の少女の殺気に、すぐ近くに居た受験者の一人、学園の制服を身に着けた熊の亜人の青年がぎょっと慄く。
「お、おい…お嬢ちゃん? 落ち着けよ?」
「誰が野良で、誰が品性が足りなくて、誰が薄汚い田舎者だって……⁉」
「あ? 貴様の飼主に決まっているだろう。貴様のような塵屑を弟子にするような輩など、同じだけ下らない雑魚に決まっている……何を一丁前に苛立っている。近づくな、汚らしい」
一切悪びれる事なく、次々に罵りまくる男。
悪意に満ちた言葉の数々が放たれる毎に、見る見るうちにシオンの眼が金色の光を放ち始めている事に築くことなく、むしろ得意気に語り始める。
受験者達は本能的な恐怖を覚えて後退り、二人から離れていく。
「雌猫の師なのだから、汚い年寄りの婆猫か。相当しわだらけで、醜い姿をしているのだろうな。はっ、今ここにおらずとも私を不快にさせるとは大したものだ! 逆に感心するよ!」
「……しろ」
「あ? 何だ雌猫……何だ貴様、その目は」
口を休めず、罵り続けていた男は、ようやくシオンの様子が変わったことに気付き顔をしかめる。
爛々と輝く瞳にではなく、各下で、己に傅くべき獣が己に反抗的な目を向けている事に、さらなる嫌悪と苛立ちを抱いていた。
そんな彼に向けて―――シオンは杖を握りしめ、荒々しく前へと一歩踏み出した。
「訂正しろ、いけすかない糞野郎‼」
ヒュッ、とシオンが鴉の杖を振るう。
直後、バチバチと杖の先端から光が漏れ、男と周囲を明るく照らした。




