反対尋問
『反対尋問』
登場人物
黒岩リュウジ 被告人 中年男性
検事 若い女
弁護人 若い男
清水サオリ 弁護側の証人
小峰ソウイチ 検察側の証人
滝本ユリエ 被害者の母親
裁判長 声のみ。ただし他の登場人物は裁判長が目の前にいるかのように芝居をすること。
拘置所職員 男性 制服
裁判員 観客
開幕
客席に対して立つように、舞台中央に証言台が置かれている。下手に弁護人が座り、さらに下手に黒岩が手錠をかけられて座っている。黒岩の隣に制服職員が座り、上手に検事が座っている。
裁判長「起立!」
弁護人、検事、被告、職員が起立する。
アナウンス「裁判員のみなさんもご起立下さい」
職員 「(客席に)みなさんのことですよ…。ほら、立って、立って!」
観客、立つ。
裁判長「(観客が立つのを見計らって)きをつけ! 礼!」
全員で礼。
裁判長「着席」
全員着席
裁判長「では、起訴状を朗読して下さい」
検事 「(起立して)被告は平成27年12月4日、午後7時ごろ自宅近くのホームショップで包丁と雨合羽を購入した。被告のかつての教え子が偶然アルバイトとして当店で働いており、被告に間違いないと証言している。午後9時32分ごろ、雨合羽を着て、D県まさなみ市にあるアパートの、被害者の部屋に窓から侵入。これにも目撃証言がある。用意した包丁で滝本ユウ19歳、森野メグミ18歳、福原ジロウ19歳の三人を次々に刺殺した。被告は被害者たちが殺人、殺人幇助の容疑がかけられたにもかかわらず、少年であったために服役しなかったことに不満を抱いていた。本件の被害者の足取りを執拗に追跡しているウェブサイトが存在しており、被告がそのページを検索、閲覧していたこと、サイトに『罰を与えなければならない。こんな奴らは生きている資格がない』『目の前にいたらぶっ殺してやる』などといったことを下品な言葉で書き込んでいたことが自宅から押収されたパソコンから確認されている。被告は犯行後自宅にもどる途中、まさな川に脱いだ合羽と包丁を投げ捨てた。これも警察の捜索によって発見されている。被告の自宅からは買ったはずの雨合羽も包丁も発見されていない。以上の事実に対して殺人罪を以て起訴するものである。…以上です」
裁判長「被告は姓名と年齢、職業を言いなさい」
黒岩 「黒岩リュウジ。48歳。教師です」
裁判長「起訴事実を認めますか」
黒岩 「自分は人も殺していなければ、包丁も合羽も買っていません」
裁判長「では、検察側の証人、証言をお願いします」
小峰、上手側から登場。証言台に立つ。
裁判長「姓名と年齢、職業を言って下さい」
小峰 「小峰ソウイチ。16歳。高校生です」
検事 「被告はあなたの小学校時代の担任ですね」
小峰 「はい」
検事 「あなたは被告の顔をご存じですね」
小峰 「はい」
検事 「あなたは12月4日、『ホームセンター・イマイ』で被告に会いましたか」
小峰 「会ったというか…、接客をしました」
検事 「被告は何を購入しましたか」
小峰 「1050円の刺身包丁と、735円の雨合羽です」
検事 「何時くらいのことですか?」
小峰 「7時少し前です」
検事 「あなたの家は、被害者のアパートの筋向かいですね」
小峰 「はい」
検事 「あなたは、被害者のアパートから窓から侵入していく被告の姿を見ましたか?」
小峰 「はい」
検事 「それは何時くらいのことですか?」
小峰 「9時32分ごろです」
検事 「ありがとうございました」
裁判長「弁護側、反対尋問をどうぞ」
検事が舞台を歩き回るのに対し、弁護人はほとんど席の前に立って話す。
弁護人「会ったというより接客をしたということですが、言葉は交わさなかったのですか
」
小峰 「はい」
弁護人「なぜですか」
小峰 「忙しかったですし、うれしくもなかったですから」
弁護人「忙しかったのに、なぜ7時ころだとおぼえているのですか?」
小峰 「上がりのすぐ前だったからです」
弁護人「包丁と雨合羽を買ったと、よくおぼえていられましたね」
小峰 「レジの記録で確認しました」
弁護人「9時32分ごろということですが、なぜそんな細かい数字で覚えているのですか?」
小峰 「テレビを見ていて、コマーシャルの間にふと窓の外を見たら、雨でもないのに合羽を着て窓から入ろうとしている男がいたので気になったんです。警察がテレビ局に問い合わせたところ、21時32分10秒にコマーシャルタイムになったということだそうでした」
弁護人「では、多少の誤差があったとしても7時少しまえ、9時32分ごろというおおよその時刻に間違いはありませんね」
小峰 「はい」
弁護人「ありがとうございました」
小峰、上手に退場。
弁護人「裁判員のみなさん! 被告は26年もの間教職にあり、小・中・高全てに勤務し、その高潔な人柄は多くの卒業生に慕われています。彼が殺人など犯すわけがありません。さらに、被告の無実を証明する重要な証人がいます」
裁判長「では、弁護側の証人、証言をお願いします」
清水、下手から登場。証言台に立つ。
裁判長「証人は、姓名、年齢、職業を言ってください」
清水 「清水サオリ。16歳。高校生です」
弁護人「被告はあなたの小学校時代の担任ですね」
清水 「はい」
弁護人「あなたは被告の顔をご存じですね」
清水 「もちろん」
弁護人「あなたは12月4日の、おおよそ午後7時半から8時半までの間に、被告を見ましたね」
清水 「はい」
弁護人「どこでですか?」
清水 「U県のかなえ町です」
弁護人「かなえ町にはなにをしに?」
清水 「母の実家に遊びに行きました」
弁護人「ありがとうございました。…U県はD県の隣の隣であり、新幹線もつながっていません。証人が見たという時間に幅があったとしても、被告が7時にまさなみ市で包丁や合羽を買うことも、9時32分に殺人を行うことも不可能です。完璧なアリバイです!」
裁判長「検察側、反対尋問をどうぞ」
検事 「あなたは、小学校時代、給食に出てくるバナナをどうしても食べられずに泣いているとき、被告に『そのバナナをつくっている国に、バナナを食べられない子供がたくさんいるんだ』と言われ、無理やり食べようとして吐いてしまい、それを見た被告に『おまえは人間のクズだ』と言われたことを覚えていますか?」
清水 「…はい」
弁護人「裁判長! これは本件とは関係ありません!」
検事 「あなたは被告が好きですか?」
弁護人「そんな感情など関係ないでしょう!」
検事 「殺人罪において、殺意のあるなしや、被害者に対する感情は判決に関係してきます。感情が関係ないとは言えません」
弁護人「裁判長! 検察は証人の被告に対する感情を乱すことによって、証言をあやふやなものにしようと画策しています!」
検事 「あなたは、被告が好きですか?」
清水 「簡単には答えられません」
検事 「被告に対して複雑な感情を抱いているあなたが、被告の無実を証明するために証言台に立った勇気を尊敬します。ただし、あなたは自分が見たままを答えればいいのであって、無理をして被告をかばってはいけません。法廷において虚偽の発言をすれば偽証罪に問われます。おわかりですね?」
清水 「はい」
弁護人「裁判長! 検察は証言を誘導し、脅迫までしています!」
検事 「さきほどあなたは、被告に会ったとは言わず、被告を見たと言いましたが、言葉を交わさなかったのですか?」
清水 「はい」
検事 「なぜですか?」
清水 「遠かったからです」
検事 「どれくらい遠くですか?」
清水 「20メートルくらいでしょうか」
客席のいちばん後ろに小峰が黄色のコートを着て座っている。
検事 「(客席を指して)裁判員席の後ろの傍聴席で黄色いコートを着ている人がいますね」
清水 「はい」
検事 「ここからあれくらいの距離ですか?」
清水 「はい」
検事 「確かに被告でしたか」
清水 「はい」
検事 「よく思い出して下さい。見間違えということはありませんか?」
清水 「ありません」
検事 「あの人を見て何か気がつくことはありませんか?」
清水 「は?」
検事 「何でもいいですから。何か気づきませんか?」
清水 「…趣味の悪いコートですね」
検事 「それだけですか?」
清水 「はい」
検事 「反対尋問を終わります」
清水、下手に退場。
検事 「被告に聞きたいことがあります」
裁判長「いいでしょう。被告は証言台へ」
黒岩、証言台に立つ。
検事 「先ほども言いましたが、虚偽の発言には偽証罪が適用されることがあります。ご存じですね?」
黒岩 「もちろん」
検事 「あなたは、ウソをついてしまった児童に対して『おまえの人生ウソばっかりか』と言ったことがありますか」
黒岩 「…記憶にありません」
検事 「『子供がこんな程度だったら、親もたかが知れてる』と言ったことがありますか」
黒岩 「記憶にありません」
検事 「あまり昔のことを記憶にとどめないようにしているようですね。では、公立、私学の小学校の児童代表の集まる会で、『公立の先生はやさしいかもしれないが、私立は体罰なんか関係ねえからな!』と言ったことを覚えていますか」
黒岩 「記憶にありません」
検事 「中学校に勤めていたとき、クラスの生徒を挑発して、その子があなたをにらみつけてきた時、その場にいたクラスの他の生徒全員に『おまえら見ろ! これが敗北者の眼だ!』と言ったことを覚えていますか」
黒岩 「記憶にありません」
検事 「高校に勤めていたとき、『おれはいつ辞めてもいいから、平気でおまえらを殴る』とクラスの生徒たちに言ったことを覚えていますか」
黒岩 「記憶にありません」
検事 「そのように言ったことを覚えていせんか」
黒岩 「…はい」
弁護人「裁判長! 検事は、本件とは無関係の事柄を利用し、被告の人格を裁判員に歪めて伝えることによって、評決を検察側に有利にしようと画策しています!」
検察 「あなたが被告を高潔な人柄だと言っていたから、それについて検証しているだけですよ」
弁護人「26年間教師をやっていればそんなことだってある。あんたは被告の26年からマイナスのエピソードをかき集めているだけだ!」
検事 「(黒岩に)学校教育法に体罰の禁止がうたわれていることをご存じですか?」
黒岩 「…はい」
検事 「あなたが高校につとめている時、生徒に執拗に往復びんたを加え、その生徒がついにあなたに殴りかかってきた。その結果彼が退学になったことを覚えていますか」
黒岩 「…はい」
検事 「あなたは、その時の自分の行為に正義があると思っていますか」
弁護人「(黒岩に)誘導だ! 答えるな!」
黒岩 「(弁護人をにらんで)時には、愛の鞭も必要だ!」
検事 「つまりあなたは、自分に正義があれば、法を犯してもかまわないと思っているわけですね」
間。
弁護人「被告が厳しい指導をしていたことは確かです。しかし彼の指導によって多くの児童、生徒が希望の上級学校に進めたことも事実です。彼は多くの卒業生たちに感謝されています」
検事 「(黒岩に)あなたは、夢を叶えられなかったら敗北者だと考えていますか?」
黒岩 「どんな子供だろうが、やればできる! 誰だろうが勝利者になれる!」
検事 「努力すれば誰でもオリンピックに出られるのでしょうか? そんなことはないでしょう。オリンピックというのは、『本当に選ばれた者しか出ることができない』から価値があるのです」
黒岩 「それは極端な例でしょう」
検事 「なるほど。では、わかりやすくするために単純化しましょう。あなたは努力して教師になった。例えば子供たち全てが英語の先生になりたいと考えたとします。努力すればどんな子供でも英語検定一級を取ることができるでしょう。しかしそうなったら、英検一級を持っていても先生になれない子が出てくる。英語の教師はそんなにたくさん必要ないからです。これはどんな仕事にも言えます。どんな職業も需要数というものがある。誰でも東大には入れない。どんな学校にも定員があります。原理としてはオリンピックも同じです。あなたの教育方針は自動的に敗北者を作っている」
黒岩 「自分は、せめて自分のクラスだけでも、みんなに自分の夢を叶えさせたいと思っただけです」
検事 「あなたのクラスからは、『敗北者』が出たことはないのですか?」
間。
検事 「そんなに若いころから『敗北者』の烙印を押されたら、その子の一生の傷になると考えたことはないのですか?」
黒岩 「そこから発憤してほしいと思ったのです!」
検事 「発憤しなかった子は、あなたの思い通りにならなかった。それが『敗北者』なんですか?」
黒岩 「あんたはきれい事ばかり言ってる! 教師は、時には憎まれ役も勝ってでなけりゃならないこともあるんだ!」
検事 「…それはわかります。(寂しそうに)私だって、他人の秘密を公共の場所で暴き立てるのが仕事です。きれいなことばかりやっているわけじゃない…」
裁判長「検事は、法廷で私語をするのはやめなさい」
検事 「失礼しました…」
弁護人「(立ち上がって客席に向かい)今のは私語なんかじゃありません! 検事は、裁判員のみなさんに、『被告には後ろ暗い秘密がある』という先入観を刷り込もうとしている! 悪辣な印象操作です!」
間。
検事 「実は、みなさんに会わせたい人がいます」
裁判長「どうぞ」
検事 「入ってきてください」
小峰、黄色いコートのまま上手から登場。
検事 「彼は弁護側の証人とは小学校で六年間同じクラスでした。しかし清水証人は彼に気がつかなかった。被告を見たのとほぼ同じ距離で気がつかなかったのです。当日被告をU県で見たという証言の信憑性は崩れたと考えるべきでしょう」
弁護人「(吐き捨てる)なんだよ、この茶番は…」
弁護人、手を挙げる。
弁護人「反対尋問をお願いします」
検事 「この証人への尋問はさっき済んだはずです」
裁判長「検察側がこのような方法を取った以上、認めましょう。弁護側、どうぞ」
弁護人「つまり検察側は、目撃証言というものがいかにあやふやなのかを立証してみせたわけですね」
検事 「全ての目撃証言ではありません。弁護側の目撃証言をです」
弁護人「検察側の目撃証言は信じられると?」
検事 「はい」
弁護人「あなた、自分の発言を虫が良すぎるとは思わないんですか?」
検事 「検察側の証人は、20メートルも離れていたわけではありません。言葉を交わさなかったとはいえ、目の前で接客したのです」
弁護人「小学生と高校生とでは背丈も顔つきも大きく変わっているはずです。目の前で再会しても、気がつかなくても不思議じゃない。20メートル離れていた所で同級生がわからなかったからと言って、担任もわからなかっただろうというのはおかしい。この何年かで被告の顔つきがそれほど変わっているとは思えません。だいいち、40人近くいる同級生よりも担任の方が印象が強くて当たり前でしょう」
検事 「だからこそ、すぐそばでレジを打っていた証人の言葉は信じられる」
弁護人「(小峰に)あなたはさっき、被告と話ができてもうれしくないと言いましたね」
小峰 「はい」
弁護人「どうしてですか?」
小峰 「まあ、めんどくさかったからです」
弁護人「あなたは被告が好きですか?」
小峰 「好きではなかったですね」
弁護人「なぜ?」
小峰 「給食の時間がいやでした」
弁護人「あなたも偏食家だったんですか?」
小峰 「いいえ。ウチは親父が働かないので、家でロクなものを食べてませんから、何でも食べました。まあ、好き嫌いがないのはただの体質かもしれませんが」
弁護人「ならばなぜ給食が嫌だったんですか?」
小峰 「なんだか禅の言葉らしいんですが、『いただきます』の前に、『自分がこれを食べる資格などないのに』とつけなければならないのがとてもいやでした。親父は今でも、『おまえなんか産まれなければよかった。カネがかかるだけだ。飯を食わせてもらえるだけ有り難いと思え』と言います。学校でも似たようなことを言わされて、本当に自分に価値がないと思い知らされているみたいでした」
弁護人「あなたは事件の日、レジでは被告の顔を見ましたか」
小峰 「はい」
弁護人「自宅からは、被告の顔を見ましたか」
小峰 「たしかに黒岩先生だったと思います」
弁護人「顔そのものを見たのですか?」
小峰 「顔は…、見ていなかったのかもしれません」
弁護人「なぜ被告だと思ったのですか?」
小峰 「レジで見た時と服装が同じでした」
弁護人「その人物は、雨合羽を着ていたのではないですか?」
小峰 「半透明の合羽だったので、透けて見えたのです」
弁護人「透けて見えた服装はどんなものでしたか?」
小峰 「グレーのトレーナーに、ブルーのジーンズでした」
弁護人「なぜその時通報しようとしなかったんですか?」
小峰 「やっかいなことに巻き込まれたくなかったんです」
弁護人「反対尋問を終わります」
小峰、上手に退場。
弁護人「今聞いた通り、証人は筋向かいの家に侵入した男の顔を見ていない。合羽を通して見た服装から被告だと推量したにすぎない。しかもその服装はいたってありきたりのものだ。百歩譲ってホームセンターで包丁と雨合羽を買ったのが被告だったとしても、レジにいた人物と、侵入した男は別人だとも考えられる。証人はレジで知り合いを見た印象が残っていたため、同一人だと思い込んでしまったとも考えられます」
検事 「被告の自宅からは、包丁も合羽も発見されなかった!」
弁護人「買わなかったとしたら、あるはずがない」
検事 「あなたはさっき、『証人はレジで知り合いを見た』と言った!」
弁護人「『百歩譲って』と言ったでしょう」
検事 「詭弁だ!」
弁護人「だいいちこのような、被告に対して偏見を持っている人物の証言など信憑性がない」
検事 「証人は被告を、『好きではなかった』と言っただけです。それだけで彼の証言を疑うのはおかしい」
弁護人「雨でもないのに合羽を着て、窓から家の中に入った。誰が見ても怪しい。しかも証人は自宅の中にいて危険はない。にもかかわらず通報しなかった。証人の良識を疑わざるを得ません」
検事 「それは、被告に対する偏見とは関係がない!」
弁護人「証人は、弁護側を陥れるための芝居に協力した! それによってかつての恩師を窮地に立たせることがわかってそうしたんです! もしかしたら自分の行為によって被告を絞首台に送ることになるかもしれないんですよ! 証人が被告に極端な偏見を持っているのは明らかだ! そのような人物の『証言』を証拠として採用するなど、愚の骨頂だ!」
検事 「あなたは被告を、『高潔な人柄で多くの人に好かれている』と言った。『しかし証人のように、被告に極端な偏見を持っている教え子もいる』と言いたいのですか? 『こんな人物が殺人を犯すなどあり得ない』というのは、あなたの論理ではおかしいのではないですか?」
弁護人「被告を好きでない教え子がいるのと、殺人を犯すのは別でしょう」
検事 「高潔な人柄と殺人は関係がない?」
弁護人「26年も教師をやっていれば、色んな子供に出会います。被告と相性が悪い卒業生も時にはいるでしょう。被告と関わった卒業生などいくらでもいるのに、検察側は被告に不利な証言をさせる役と、被告を陥れる罠に協力させる役をたった一人の人間にさせるしかなかった。被告と関わった卒業生の中で、証人がとびぬけて偏見を持っていることは明白です」
検事 「裁判長、弁護側の言う『高潔な人柄』についてですが、被告に確かめたいことがあります」
裁判長「認めます。被告人は証言台へ」
黒岩、証言台に立つ。
検事 「(黒岩に)あなたは、『もう死にたい』と言っている女子生徒に、『死ぬ死ぬ言っている奴に限って死なないんだよ』と言ったことを覚えていますか?」
黒岩 「はい」
検事 「その根拠は何ですか?」
黒岩 「そんなことを言う奴は、そう言えば誰かに同情してもらえると考えているからです。要するに甘ったれているんです。そんなことを言う奴はいくらでもいましたが、26年間教師をやっていて、本当に死んだ奴を見たことがありません」
検事 「あなたのクラスではありませんが、あなたが勤務している高校で自殺者が出たことがありますね」
黒岩 「はい」
検事 「その子は、周囲になにか漏らしていましたか?」
黒岩 「いいえ。何も言わずに逝ったそうです。人間が本当に死ぬときは、そんなものです」
検事 「あなたはその子以外に、自殺した人に会ったことがありますか?」
黒岩 「いいえ」
検事 「サンプルとしては少なすぎるとは思いませんか?」
黒岩 「サンプルってどういうことだ!」
検事 「もしかしたら、『死ぬ』と口にして死んだ人もいるんじゃないですか?」
間。
検事 「あなたは、たった一人の例だけを見て、『死ぬと口にする者は死なない』という命題を導いたのですか?」
黒岩 「一人だけの例というのは、『死ぬと言っている奴は死なない』ということではなく、『何も言わずに死んでいった』ということです!」
検事 「あなたは、『死ぬ死ぬ言っている奴に限って死なないんだよ』という言葉をかけた卒業生が、まだ生きているかどうか知っていますか?」
黒岩 「まさか…」
検事 「知っていますか?」
黒岩 「…いいえ」
検事 「あなたは、その子が卒業しさえすれば、自分にはもう責任がないと思っているのですか?」
黒岩 「いいえ!」
検事 「安心して下さい。その子は存命しています。しかしあなたが彼女にこの言葉をかけたのは、あなたの学校から自殺者が出た時よりずっと前です。つまりあなたは、本当に自殺者が出る前から『死ぬと言ってる奴は死なない』と言っていたことになる。これは本当にあなたの体験から出た言葉なのですか?」
間。
検事 「誰かが言っていた言葉が気に入ったから、そのまま言っているだけじゃないですか?」
間。
検事 「あなたがこの言葉を気に入ったのは、『死ぬ』とか言っている生徒がうっとうしいから、そういう子をだまらせるのに便利だったからじゃないですか?」
間。
検事 「あなたはもともと、生命の尊厳といったものに無頓着なんじゃないですか?」
黒岩 「命の尊厳を大事にしているからこそ、軽々しく『死にたい』とか言っている奴が許せなかったんだ!」
検事 「だから黙らせたということですか?」
間。
検事 「以上です」
間。
黒岩 「裁判長、検事に聞きたいことがあります」
裁判長「認めます」
検事 「裁判長!」
裁判長「弁護人というのは、もともとは被告の代理人です。反対尋問の権利が弁護人にある以上、本人にも認めるべきでしょう」
黒岩 「あんな証言だけで検察庁はおれを起訴した。それでもおれを有罪にできなかったら、あなたの失点になるんですか?」
検事 「もちろん」
黒岩 「反対に、おれを有罪に出来たらあなたの出世につながる?」
検事 「すぐにではないとしても、上司へのポイントかせぎにはなるでしょうね」
黒岩 「あなたは! そんな下らない理由で! 無実の人間を罪に落とそうというのか!」
検事、黒岩に顔を近づけて言う。
検事 「あなたが殺したんだ」
黒岩、検事をにらみつける。
検事 「(笑いながら)これが『敗北者の眼』なんだ…」
黒岩、検事に飛びかかろうとする。職員、黒岩を制止する。
検事 「裁判長! 被告に退廷を命じて下さい!」
裁判長「被告は席につきなさい! それから検事は、いたずらに被告を挑発するのをやめなさい!」
職員、黒岩を無理やり被告人席に座らせる。黒岩、息が荒い。職員、黒岩の腕をしっかりとつかんでいる。
弁護人「反対尋問を受け継ぎます!」
裁判長「認めます!」
弁護人「(検事に)あなたは超能力者ですか?」
検事 「は?」
弁護人「よく考えて答えて下さい。あなたは超能力者ですか?」
検事 「いいえ」
弁護人「あなたは神ですか?」
検事 「いいえ!」
弁護人「あなたは本件の目撃者ですか?」
検事 「いいえ」
弁護人「あなたは神でも超能力者でも目撃者でもない。そして自供もない。被告は捜査段階から一貫して無実を訴えている。もともとあなたはだれが犯人かなど知らない。それでもあなたは被告が殺したと断言した。しかしそれは、小峰証人の言葉からの推測にすぎないのではないですか?」
検事 「わたしは被告が犯人だと確信しています」
弁護人「反対尋問を終わります」
検事 「裁判長! 弁護人への反対尋問を請求します」
裁判長「認めます」
検事 「(弁護人に)あなたは被告を無実だと考えていますか?」
弁護人「当然です」
検事 「あなたは神ですか? 超能力者ですか? それとも目撃者ですか?」
弁護人「全て違います」
検事 「あなたは本来、被告が無実かどうかなど知らないはずですよね! そしていまだに被告の無実を証明できていないのではないですか?」
弁護人「私は被告の無実を確信しています」
検事 「反対尋問を終わります」
弁護人「裁判長! 反対尋問を…」
裁判長「どうぞ」
弁護人「検事は、平成27年12月4日、午後9時32分ごろ、どこにいましたか?」
検事 「は?」
弁護人「検事は本件の犯行時間、どこで何をしていましたか?」
検事 「裁判長! ひどい侮辱です! 弁護人を退廷させて下さい!」
弁護人「あなたは、私が被告の無実を証明できないと言う。しかしあなたも自分の無実を証明することができない!」
長い間。黒岩、落ち着いた呼吸にもどる。職員、手を離す。
検事 「…12月4日の夜、当時交際していた広谷テツヤという男と、いしま市内のホテルにいました…」
間。
検事 「来なくていいと言ったのに! わたしの担当している裁判を見に来たんです! それで、『おまえみたいな強すぎる女とはとても一緒に住めないよ』って! あの夜にフラれたんです! 大好きだったのに! 結婚したかったのに! 彼が十九の保育士と結婚すると後で聞きました…」
弁護人「配偶者の定員は一人に一名ですからね」
検事 「彼はきっと、私が他人の秘密を執拗に暴く姿を見て嫌気がさしたんでしょう…。さっきの私語は、決して裁判員へのアピールなんかじゃない。本音なんです!」
弁護人「失恋の原因ですが、あなたの職業のせいではなくて、陰険で理屈っぽい性格のせいじゃないですか?」
検事 「あんたも十分陰険で理屈っぽいだろうが! しかもあんたは、殺人者を庇うためにそれを使っている!」
弁護人「(客席に向かって)裁判員のみなさん! 検事は被告が殺人者であると、みなさんに何気なく刷り込もうとしています! しかしこの人は(検事を指さす)、本当は何も知らないんですよ!」
検事 「広谷に確認すれば、簡単に裏が取れるでしょう。私は無実を証明しました!」
弁護人「あのですね…。私が本件を挙げたのは、一つの例にすぎません。あなたが産まれてから二十八年間…」
検事 「二十七年だ!」
弁護人「虚偽の発言は偽証罪を適用されることが…」
検事 「約二十七年だ!」
弁護人「あなたが産まれてから約二十七年の間、さまざまな事件が起きましたが、あなたはその全てに無実を証明できますか?」
検事 「わたしはどんな事件にも容疑をかけられたことがない!」
弁護人「容疑をかけるというのは、疑うということです。何者を疑わしいと思うかは、人それぞれです。私はどんな事件に関しても、あなたを疑わしいと思ったことなどありません。(黒岩を見る)同じように、被告を疑わしいなどと考えたことなどありません」
間。
弁護人「反対尋問を終わります」
間。
裁判長「議論は出尽くしたようですね」
間。
裁判長「では、最終弁論に入る前に、遺族の処罰感情を確認します。ご遺族、どうぞ」
滝本、下手から登場して証言台に立つ。
裁判長「姓名と年齢、職業を教えて下さい」
滝本 「滝本カズコ、62歳。主婦です」
裁判長「あなたの被告に対する思いを述べて下さい」
滝本 「なるべく苦しんで死んでもらいたいです」
間。
滝本 「ユウを産んだとき、わたしの人生であんなにうれしかったことは一度もありません。一日ごとに、ひと月ごとに、一年ごとに、どんどん可愛くなって…。あの子が一歳になったころ、わたしがちょっと部屋を出ただけで、『ママ、どこにいるの…』とパタパタと探し回っているのが障子ごしに聞こえる、あの小さな足音がはっきりと耳に残っています」
間。
滝本 「だけど中学生になったころ、あの子は変わりました。主人と別れたのは、わたしのわがままだったのでしょう。それがあの子が変わった原因なのか、とにかくわたしに責任があることは確かです。あの子がついに殺人を犯したとき、わたしは自分の手であの子を殺そうと思いました!」
間。
滝本 「だけどできなかった。もちろんこれもわたしのわがままです。小さかったころのあの子の面影がちらついて、どうしてもできなかったんです…。子供を勝利者と敗北者の二つにしか考えられないあの男には、(黒岩を見る)ただの甘えにしか見えないでしょう」
間。
滝本 「たしかにわたしたち親子は人生の敗北者でしかなかった。もちろん、世間からの指弾は相当なものがありました。脅迫電話はひっきりなしにかかってくる。家の壁に『人殺しを育てた家』『とっとと自殺しろ』と大きく落書きされる。チャイムがひっきりなしに鳴って、『殺人者の家を見せろ』と大声で言われる。家の外から『被害者にすまないと思わないのか!』『出てこい! 死ね!』と怒鳴られる。外出どころか、家の中にいてさえも心の休まる時間など一秒もありませんでした」
間。
滝本 「それでもユウはわたしの子です。二人で、世間からの指弾に耐えて生きていこうと思いました。この先何年、何十年この地獄が続くかわからないけれど、二人で生きて行こうと思ったんです! その矢先、あの子は勝手な正義感に酔ったキチガイに殺されてしまいました!」
間。
滝本 「わたしは…、あの時! 一度は自分の手で殺そうとまで思ったあの子が! ユウが! 自分にとってどんなに大切だったかを思い知らされました!」
間。
滝本 「わたし以外の被害者の遺族は誰も出廷していません。いまになってさらし者になるのが嫌だったのでしょう。もちろんわたしだって嫌です。しかし処罰感情を述べる者がいなければ、刑が軽くなってしまうかもしれません。わたしはもともとさらし者なんですから。この男の家族も、わたしたちのようになればいい! まして冤罪のヒーローになるなど、あってはならないことです!」
間。
滝本 「一方で、この男が何か反省している姿が見られるかもしれないとも思いました。しかしさっきから聞いていれば、下らない言い訳と屁理屈しか言っていない。容疑をかけられただけとか言ってたけれど、容疑をかけられたならそれだけの理由があるはずです。しかしこいつの態度には、反省する姿などまるでない!」
黒岩 「やっていないことには反省できない!」
裁判長「被告は今は発言することを許されていない! 次に不規則発言をしたら今度こそ退廷させますよ!」
滝本 「この男こそ人間のクズです。いや、人間じゃありません。ゴキブリです! そんなことを言ったらゴキブリに悪い。ゴキブリ以下です!」
間。
滝本 「この男は今まで好き勝手に生きてきました。だから嫌われていた。嫌われ者として生きてきたなら、嫌われ者として死ねばいい!」
間。
滝本 「以上です」
間。
裁判長「わかりました。下がってください」
滝本、証言台を降りる。
裁判長「弁護側、最終弁論をどうぞ」
弁護人「遺族のお気持ちはよくわかります」
滝本 「おまえは何にもわかってない!」
裁判長「静粛に! 今はあなたが発言する時間ではありません!」
弁護人「しかしその気持ちは、被告に対してではなく、真犯人に向けるべきものです。
もともとこの裁判は何を争っているのでしょうか。自供もなく、被告は捜査段階から無実を主張している。従って犯人しか知り得ない事実など被告の口から出ることなどなかった。凶器も死体も被告と全く無関係の場所から発見されている。物的証拠など何もない!
被告に対する容疑は、小峰証人の目撃証言のみに依っています。しかし小峰証人が被告に対して大きな偏見を持っていることは明かになっています。さらに、目撃証言を信頼すれば、清水証人の証言によって被告のアリバイが成立します。アリバイ崩しもできていないのに有罪判決などあり得ない。
反対に目撃証言を信頼しないとすれば、被告にアリバイはなく、証拠もないことになります。被告が無実である証拠もなく、被告が犯行をおこなった証拠もない。この場合判決はどうなるべきか。もちろん無罪です。
挙証責任は原告側にある。これは法学以前の常識でしょう。審議中に明らかになった通り、無実が証明できなければ有罪になるのであれば、我々はとても普通に生活していくことはできません。
(客席に向かって)裁判員のみなさんには、裁判とは何かを思い出していただきたいです。裁判とは、原告が事実を立証できているかいないかを洗うためのものです!
最初の問いにもどりましょう。この裁判で争っていることは何か? 検察が起訴事実を立証できたか、否か?
無論立証できていない。この裁判で検察側がやってきたことは、被告に対する誹謗、中傷。ネガティブキャンペーンでしかない。
検事は、被告の教育方針を『子供を勝利者と敗北者に選別するものだ』と曲解した。これは検事自身が、かつての恋人の配偶者の定員に入り込めなかったことを、被告の論理にあてはめれば自分も敗北者になると、言われてもいないことを勝手に解釈した。まさに私怨です!
最後に、裁判員のみなさん、一人の男が青天白日の身になれるか、あなたがたにかかっていることを忘れないで下さい。生死を決める責任があることを自覚して評決に臨んでください!
…以上です」
裁判長「続いて検察側の最終弁論をどうぞ」
検事 「弁護側は、20メートル向こうで見かけたという証言と、目の前で接客した証言の二つを共に『目撃証言』と呼び、故意に混同しています。弁護側の主張はまさしく詭弁、いや詐欺に近い。遠くから見かけた者とすぐ目の前で見た者とでは、近くで見た者の方がはるかに信憑性が高いことは常識で容易に判断できます。
弁護側は小峰証人が偽証をしているかの印象を裁判員に与えようとしていますが、『法廷で虚偽の発言をすれば偽証罪に問われる』ことは審議中何回も強調されたことです。それでも小峰証人が偽証していると言うのであれば、立証しなければなりません。この責任は弁護側にあります。
さらに、『自供がない』ことを検察の失点であるかのように強調していますが、『自白は証拠の王』とされていた時代ならともかく、『自白がある』ことが証拠として採用されない以上、当然自白がなくても有罪判決は下せます。むしろ『自白がない』ことは、捜査段階において被告が不利なことを強引に言わされた事実がない、つまり正当な捜査が行われたことを証拠だてています。
弁護側は物的証拠が無いと言われるが、小峰証言が証拠です。たった一つしかないと言うが、一つでも三つでも証拠は証拠です。本人の自白はともかく、第三者の証言は証拠として採用されます。そうでなければ、衆人環視の中で殺人が行われたとしても、凶器を処分されれば有罪判決を出せなくなってしまいます。
(客席に向かって)それに裁判員のみなさん、お気づきでしょうか。弁護側の最終弁論から『被告の高潔な人柄からして殺人を犯すなどあり得ない』という主張が消えています。
確かに、審議で明らかになった通り、被告の人格が高潔であるなどとはとうてい言えない。弁護側は『教育方針』という言葉を使われたが、被告の様々なエピソードからは、子供じみた権力欲しか見られません。
無論現場においては、『教室では先生が王様』といった態度が必要だったのでしょう。それによって成績が伸びた子も、いじめに遭わなくてすんだ子もいるでしょう。
しかし被告は、そんな狭い世界の常識を外の世界に持ちだした。被告のパーソナリティーに遵法精神も、生命への敬意もないことは審議で明らかになった通りです。被告にとって大切なのはただ『自分が正しいと思った』ことだけなのです。
『少年法の制限によって、犯罪を行った者たちが野放しにされている』。確かに少年法には不備があるかもしれません。この場で言うべきことではないので立ち入ることはしませんが、色んな意見があっていいでしょう。しかし法律は国民の投票によって作られた国会が作るものであって、被告が作るものではありません。しかし被告のふるまいはまさしく『おれが法律だ』。西部劇の世界観です。
狭い世界で権力者としてみとめられているうちに、その思いが被告の中で化け物のように膨れあがっていった。そして何の罪悪感もなく三人の男女を次々に突き殺していった。
とうてい更正の見込みなどない。厳罰に処するべきです」
裁判長「では検察側は、求刑をして下さい」
検事 「死刑を求刑します。…極刑以外ありえない」
間。
裁判長「では、本日は閉廷します。判決については、後日、裁判員の評決のあと言い渡します。…起立!」
全員起立する。
職員 「(会場に向かって)だから…、裁判員のみなさんも立って下さい。ほら、立って、立って!」
観客、起立する。
裁判長「気をつけ! 礼!」
全員礼をする。直る。
緞帳がおりてくる。
閉幕
アナウンス「裁判員のみなさま、おつかれさまでした。退廷の際には、お手元のアンケート用紙に、有罪か無罪か、有罪の場合は量刑をどれくらいにするかを明記して、会場外のアンケート箱にお入れ下さい。…ありがとうございました」
了