8話
翌日、僕は3年の間お世話になった小屋の前に立
っていた。いざ、ここを離れるとなるとやはり感
慨深いものがある。
「もう準備は済ませたのか?」
声の主はもちろんクロバさんであった。
「はい、長い時間お世話になりました。ありがと
うございました。」
今までの3年間で学び得たことと比較するとこの
言葉だけではこれっぽっちも感謝を伝えきれな
い。毎日のように続いた鍛錬は辛いこともあった
がそれを乗り切ることができたのは、師がクロバ
さんであったからだと思う。
「うむ。お前なら大丈夫だ。自信を持て。最後に
私の願いがあるのだが聞いてくれないか?」
「はい。」
「私からの願いは一つ。憤怒、憎しみにまみれた
剣を振るうな。人々を救う希望の刃を振るえ。全
ての人から愛され、好かれ、頼りにされるそんな
剣士になって欲しい。」
クロバさんはいつもの口調でそう言った。だけ
ど、僕の中で兄の声とクロバさんの声が重なっ
た。確かに、僕は兄を殺されたことに憎しみを抱
いている。だが、僕が剣士になったのは復讐のた
めじゃない。兄さんと約束したことを果たすため
だ。そして師からの「願い」
「ええ。分かりました。クロバさんの願う刃を振
るいます。僕が剣士としてある限り。」
「ああ。よろしく頼むぞフェイ。」
「あのクロバさん」
ここで僕は話を切り出す。いつかクロバさんの元
を発つ時に伝えたかったことを。
「ん?」
「その、僕に剣士としての名をいただけません
か?」
「何?」
僕は剣士としての名が欲しかった。剣士として新
たに踏み出すための勇気を。これから起こるであ
ろう激戦に敗北を喫しないだけの鋭利で強靭な矜
恃を。そして、兄と同じ立場に至った証として。
「そうか。剣士としての名か..」
そして数分の後、
「よし決まった。お前の名はクロトだ。ん?気に
入らなかったか?異論はないか?」
新たな自分の名を聞いて固まっていた僕を見て名
前が気に入らなかったのではないか?とクロバさ
んは思ったらしい。
「まさか、気に入らない訳ないじゃないですか。
クロト。僕の剣士としての名。ありがとうござい
ます。クロバさん。」
「なに、気に入ったのなら良かった。そうだ。お
前に渡すものがあってな。少し待っててくれ。」
そう言うと小屋の方へと戻っていき、1分もかか
らない内に戻ってきた。
「これだ。」
そう言いながら手渡したのは1本の剣。その剣は
一般の人から見ればただの黒い剣だ。だが僕には
分かった。分からないはずがなかった。
「この剣は...」
「この剣はお前の兄が使っていた剣だ。普通なら
ば自分専用の剣を精製するのだが、お前はこれを
使いたいんじゃないかと思ってな。」
切先から、持ち手まで綺麗な状態が保たれてい
る。この剣の管理が行き届いていたのが見て分か
る。美しい色合いを陽の光を反射し帯びていた。
渡された鞘へと黒剣を納める。これで本当にクロ
バさんとは一時的にお別れだ。
「それでは行きます。お体にお気をつけて。」
「ふん。お前に心配される程落ちぶれちゃいな
い。」
「そうですね。」
お互いに軽口を言い合って僕はこの場を後にす
る。クロバさんと別れることに悲しさを感じてい
るのは事実だ。だが、この国を見てみたいという
願望があるのも事実。悲しみと期待を胸に足を踏
み出す。
そしてこの日、最弱の剣を振るう一人の少年が剣
士としての物語を紡ぎ、歩み始めた。