14話
「兄さん、兄さん。どうして僕一人なの?一緒に
行こうよー。」
「ごめんな、フェイ。ごめんな。」
何も知らなかった、無垢だった歳にして10の僕の
問いかけに、兄は、僕の頭を撫でながら謝罪し
た。兄の瞳には涙が溜まり、頬を伝っていた。
兄の涙をみたのは、初めてだった。いつも意地で
も見せようとしなかったから。今でも鮮明に脳裏
に刻まれている。
「おばさん、兄さんが。」
そんな兄の様子を見て、あれこれを察することの
できる歳ではなかったから、この場にいたおばさ
んに質問を投げかけたのは当然だったのかもしれ
ない。
「大丈夫。お前は何も心配しなくていいよ。お兄
ちゃんにしか頼めない用事を頼んだだけだから。
だから、今日は一人で行ってきてくれない?」
おばさんは、いつもの優しい笑顔で僕に接したつ
もりだったろうが、無理に繕っていることが当時
の僕には分かってしまっていた。でも、その違和
感が何なのかは分かるはずがなく。
「分かったよ。僕行ってくるよ。でも今日だけだ
からね。」
と答えて、家を発つ準備を始める。その間、おば
さんと兄さんはずっとなにやら喋っていた。
「じゃあ、行ってくるよ。」
問題なく準備は完了して出発する。だが、
「フェイ、おいで。」
おばさんに呼び止められおばさんのそばへ歩み寄
ると、強く抱きしめられた。
「ちょっと、おばさん、恥ずかしいよ。」
「うん、ごめんね。でもあと少しだけ。」
抱きしめられている間、僕はずっとされるがまま
にしていた。少しの間を置いて改めて出発する。
「兄さん、帰ってきたら剣技を教えてね。」
この時、兄さんには、僕の言葉は届いたはずだっ
たが、返事は返ってこなかった。
これが3人で交わした最後のやりとり。
………
「かっは、はあはあ」
意識が朦朧とする中、夢から覚め目を開ける。
「生きてるのか」
これが素直な感想だった。壁が崩れてきた時は、
死を覚悟した。もうここで終わるのだと。だが、
実際にはこうして生き延びている。ボロボロにな
った体で生きているはずがないのにも関わらず
だ。
「運が良かったのか?」
どうやら僕は、潰れていなくて、真上から落ちて
きた天井部分いわゆる屋根の部分が偶然にも僕に
覆いかぶさる様にして直接のダメージを受けるこ
とから守ってくれた。それに、天井部の形は三角
形型であるから、空洞がありその空洞部分にちょ
うど収まっている状態だ。だが、致命傷を負わな
かったというだけであって、やはり相当の痛手を
負っている。斬られた胸部が痛む。まだ、止血で
きていないのかもしれない。辛い。苦しい。痛
い。といったマイナス思考が頭にこびりついて離
れない。
また、
「どうすれば、あいつに勝てるんだよ」
考えても考えても答えは見えない。あのゴースト
に勝てる気がしない。イメージすら作り出せな
い。そもそも、ここを脱出できるかどうかという
根本的なものも当然のごとくある。もう、なんか
どうでもよくなってきたな。この苦しみから逃れ
たい。目を背けたい。楽になりたい。僕はベスト
を尽くしたと思う。これなら、天の神様も許して
くれるだろう。そういえば、あの女の子たちはち
ゃんと帰れただろうか?僕は助けることができた
のだろうか?頭がぼーとしてくる。何も考えられ
なくなってくる。兄さん。ごめんなさい。僕に
は、できなかった。為せなかった。約束を果たせ
なかった。そして、閉じられるその瞳。閉じた瞳
の奥で蘇る。兄さんと交わした約束を。
助けを求める人を助けること、苦しんでいる人を
助けること。そして、自分を信じて「諦めない」
こと。そうだ。僕はまだこんなところで死ぬわけ
にはいかないんだ。何が、楽になりたいだ。自分
自身がとても腹立たしく、憎らしくもあり、情け
ない。僕には、やらなければいけないことがある
んだ。自身の左腕に巻かれた、赤い布を握りしめ
る。立ち上がれ。まだ戦えるだろう。立て!
兄さんの代わりに僕が物語を紡いでいくんだ。兄
さんの成せなかった夢を。己を奮い立たせる。な
によりも、僕は「エース」に会うまでは僕は!
ビシッとヒビが入る音が静寂の夜闇に響く。
「すまんな少年。」
久しぶりという程ではなかったが、あの時一瞬命
の危険を感じたことは否定できない。強くなる。
ただ。漠然と思うことはそれだった。だがもう少
年はいない。崩れた瓦礫に背を向けて去ろうとし
たその瞬間にビシッビシッとした音が響く。言わ
ずもがな、それは後方から響いてきた。後方へと
視線を向けると、
「まさ、か。」
視線の向いたそこには、瓦礫で押しつぶされたは
ずの少年の姿があった。だが、ゴーストが驚いた
のは、少年が生きていたからではなかった。い
や、生きていたことにも多少の驚きはあるが、そ
れは、その驚きを凌いでいた。ゴーストが見据え
る瞳に映し出されていたのは、少年の手に握られ
た夜闇に浮かぶ漆黒の空を思わせる深淵の如き黒
き剣であった。