10話
そんなことが起きていたことなど露知らない僕は
ここ《ギロナ区》を歩いていた。クロバさんに別
れを告げた後、僕はとりわけ向かう所も無くてと
りあえずクロバさんからもらった地図を参考にレ
イズ区から一番近い北東方向の紅の守護者が統率
する領地ギロナ区へとやってきたのだった。何で
もギロナ区は紅の領地の中で一番物流が盛んで中
心地らしい。必然的に人口はレイズ区と比べると
2〜3倍程多くなる。レイズ区のように区の人みん
なと顔見知りで名前すら知っているような小さな
規模ではない。僕のこれまでの人生の中でこれほ
どの人がいる場所へと足を運んだことはなく、現
在、人、多いなぁ...と軽く感動していた。
だが、僕は違和感もまた感じていた。というのも
彼らが空元気で明るく振る舞っているということ
ではなくて、でも言葉で表すには難しい。とにか
くそんなことを考えつつギロナ区を散策している
と不意にどこからか鼻をつまみたくなるような強
烈な異臭が漂ってきた。
「この匂いは..」
匂いの元へと走って向かう。匂いの発生源はすぐ
にわれた。道の中央で人だかりができている。
人が多すぎてとてもではないが、中心にある存在
を視認できない。
「あの、どうしたんですか?」
周囲の人に問いかけると一人の女性が答えた。
「死体だよ。」
「…」
思わずに唖然としてしまった。死体だと言われた
ことに対して唖然としたのではない。
「これで9人目。全て剣士さんよ。」
「あ、あの。」
僕は女性の話を遮った。どうしても聞きたかった
から。
「ん?」
「どうしてそんな無表情でそんなことを」
そう、先程僕が唖然とした理由は人が死んでいる
この現場を見て慌てるどころかさも当たり前かの
様に振舞っていたのだ。それは目の前の女性だけ
ではなく、他の人も無表情のまま死体が回収され
る様を眺めているのだ。死体の状態は最悪だっ
た。心臓部を貫かれたことが目に見えて分かる。
腐敗が所々進んでいて、常人ならば吐き気を催す
のも無理ない。それなのに、この人たちは。
「どうして」
答えはすぐに返ってきた。
「さあね。私たちは見過ぎたのかもしれない。い
つの間にか何も思わなくなった。またかって。」
そのうち、死体は運ばれていき人だかりもまだら
になっていった。僕はその場から動けないでい
た。
「何が」
独り言を言う。
「ここの人をこんな有様に」
すれ違っていく人には聞こえない程度の小さな独
り言。すれ違い、流れていく人の動き、変わる風
景がスローモーションの様だ。時が遅く感じる。
「な、なんだと!」
背後から聞こえた怒鳴り声にも聞こえる大声によ
って意識が戻る。何を考えるでもなく自然と僕の
足はその声の元へと向かっていた。
「どうかしたんですか?」
「私の娘が、攫われた...」
「誰にですか?それとも今騒がれていたゴースト
にですか?」
つい、僕の声が低くなってしまったかもしれな
い。が、目の前の男は気が気でないので、そんな
僕の様子には気づいていなかった。
「ええ、そのゴーストによって私の娘が…」
弱々しい声で確かにそう言った。そしてこうも付
け加えた。
「私の娘だけではありません。他の少女たちも同
じ目に。」
「……」
僕は無言で男の言葉に耳を傾けていた。そうか、
剣士を殺すだけでなく一般の何の罪もない人たち
をも。ふつふつと先程まで抱いていた熱い何かが
僕の中で蘇ってきた。
「あなたは剣士様ですよね。どうか、どうか私の
娘を、少女たちを助けてください。お礼は何でも
いたしますから。」
必死に僕に向かって訴える。周囲の人がつい顔を
向けてしまうほどの声量で。僕はその答えを無言
で返す。すると男は勝手を言って申し訳ございま
せんでしたとその場を立ち去ろうとする。
「待ってください。」
「え?」
それを引き止めたのはもちろん僕。さっきの無言
は断りの意ではない。
「正直に言うと僕はまだゴーストと戦ったことが
ないんです。このギロナ区にも来たばっかりで。
既に何人もの剣士が命を絶たれたのなら、僕で
は力不足かもしれません。ですが、こんな頼りな
い僕でいいなら僕は戦い抜きます。」
「ああ。ああ、ありがとうございます!本当にあ
りがとうございます!」
涙を流しながら男は僕にお礼を仰る。
「それでは、名前をお聞きしてもよろしいです
か?」
「私はオーレンと言います。ここギロナ区の区長
を務めております。」
え?区長さん?!もしかして凄い偉い人なんじ
ゃ…僕はそんな人に頭を下げさせたのか。区長さ
んのお願いなんだ。何としてでも助けださない
と。
「失礼申し訳ございません。無礼な態度を。」
「いいのですよ。堅苦しくされると私が困ります
から態度は変えなくていいですよ。」
「それでは、遠慮なく。オーレンさん攫われた日
は、本日ですか?」
「ええ。」
なら、まだ助けられるかもしれない。今の時刻
は、ちょうどお昼時を少し過ぎたぐらいだろう
か?
「それでは、この場所に6時に再び集まるのはど
うでしょうか?少し準備があるので。」
「6時ですか?」
オーレンさんの表情が少し曇った気がした。理由
は分かっている。
「娘さんたちは大丈夫だと思いますよ。今まで剣
士しか襲っていませんからね。そのゴーストは。
急に殺すなんてことにはならないでしょう。それ
に、今彼らがどこにいるのかわかりますか?」
「分からないです…」
彼らの居場所が分からないのなら…
「分からない以上むやみに動き回るよりも情報を
手に入れて、万全の状態を整えます。」
「でも、やはり…」
「心配になるのは分かりますが、どうか僕を信じ
てください。」
笑みを浮かべて優しく伝える。不安を抱かない様
に。これ以上の心配で心に負担をかけないよう
に。
「わかりました。あなたを信じます。えーと、」
「クロトと言います。」
「うん。クロト君。私も手がかりを掴むために集
合するまで頑張るよ。何かあったら僕のところま
で来て欲しい。すぐにわかるはずだから。」
「はい。それではまたここに。」
「はい。」
その後僕はゴーストの聞き込みで時間を費やし、
得た情報を元にあるものを身につけてオーレンさ
んの待つ数時間前のあの場所へと向かった。