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キマイラに捧ぐ  作者: 春戸稲郎
五月の物語
8/31

熱病

 

 とある雨の強く降る日、風邪で寝込んでいた慶作くんは、くるる、という音に起こされて、目を覚ましました。

「……わぁ」

 目を開けると、ベッドの上端から、ルスが逆さまに慶作くんの顔を覗きこんでいました。

 ルスが家族の一員となって最初の数日間は、興奮して部屋を飛び回らないようにケージを設置していましたが、落ち着いてからはブリーダーさんにそれも返してしまっており、いつも動かないルスでもその気になれば、部屋の中を自由に飛び回れました。

 ルスは、慶作くんの前髪をひと房咥えて、くいくいと引っ張ります。

「いたた。やめてよ、ルス」

「ルス、オヤスミ、ルス、カワイイネ、ルス」

 人の声真似をするようになったルスは、当然ですが脈絡なく言葉を発します。

 慶作くんは、すぐにルスの訴えを悟りました。

「……そういえば、朝ご飯、まだだったね」

「ゴハン! ゴハン!」

「ごめんね、ルス」

 慶作くんは、額に手を当ててから、ゆっくり体を起こしました。

 今朝、どうにも体が重くて食欲も湧かなかったために、体温計を使ってみたところ、三十七度を越えていました。

 以前に慶作くんは「学校を休むとお父さんに迷惑がかかる」として、無理に登校したことがあるのですが、体育の授業で倒れてしまい、結局真作さんに迎えに来てもらう羽目になりました。苦い思い出のひとつです。

 無理をすると余計に周りに迷惑をかける。そう学んだ慶作くんは、その朝も、仕事場にいる真作さんに学校を休む旨を電話で伝えていました。

 水分を摂ってしっかり寝てなさい、と真作さんにいわれたとおり、慶作くんはベッドで横になっていたのですが、ルスの餌のことをすっかり忘れていました。

「おいで、ルス」

 パジャマ姿の慶作くんは、左腕にルスを止まらせ、階段を降りました。

 時刻は午前十時。懸念していたとおり、朝よりも体温が高いような気がします。

 雨音だけが満ちる静かな家の中で、慶作くんは冷蔵庫を開けました。

「……あれ?」

 冷蔵庫の中に、ルスの餌に使える鶏肉が残っていませんでした。

「ああ……そういえば昨日、から揚げだったっけ」

 冷凍庫の中に鶏肉のストックはあったのですが、先ほどから「ゴハン! ゴハン!」と唄っているルスに解凍を待たせるのは、少し酷だと慶作くんは思いました。

 土砂降りの雨の日に風邪をひいた状態で買い物に出るわけにもいきません。仕事中の真作さんにも、今日は早めに来てもらうことになっているリーさんにも、今は頼めません。

「……これでいいかな?」

 どうしたものかと考えた末に、慶作くんは、いつもおやつにしている魚肉ソーセージを二本取り出しました。

 自分の部屋に戻ってルスを止まり木に移し、魚肉ソーセージの包装を解きます。

「ルス、ご飯だよ」

 慶作くんがルスの顔の前で、バナナのように包装を剥いたソーセージをちらつかせます。普段とは違う餌に、ルスは少しだけ警戒しましたが、一口かじってからは、頭を前後に揺らし、夢中になってソーセージにかじりつきました。

 安心した慶作くんは、もう一本のソーセージに歯を立てました。

 ふたりでもぐもぐと食事を摂りながら、

「ルス、おいしい?」

「オイシイ、オイシイ」

「そう。よかった」

 自分の言葉を繰り返しているだけだとわかりつつも、ルスと会話をしているようで、慶作くんの体調の不快さが少しだけ和らぎました。

 これも餌代の節約になるかもしれない、ということが理由のひとつ。そしてもうひとつは、ルスと同じものを食べているということが嬉しかったので、それから数日間、慶作くんが魚肉ソーセージを食べるときには、ルスにもそれを分け与えました。


 すっかり風邪も治った金曜日の夜。

 仕事を終えたリーさんが帰ったのを見送った慶作くんは、ひとりルスの絵を描いていました。写真や動画を送っても真作さんは喜んでくれましたが、絵を描くとさらに興味を持ってくれたので、暇を見ては鉛筆を取っていました。

 ルスはほとんど動かないので絵にするにはいいモデル……なのですが、その夜はどこか、様子が変でした。

 しきりに壁や止まり木に顔を擦りつけては、羽根をむしり取ろうとするのです。一年中換羽しているハネカエドリですから、ときどきそんなことをするのも慶作くんは何度も見ていましたが、その日はあまりにも落ち着きません。

 慶作くんはスケッチブックを置きました。

「ここ? ここが痒いの?」

 嘴の横を、慶作くんが人差し指で優しく掻いてやると、ルスは気持ち良さそうに目を細めました。手を止めると、もっとしろ、といわんばかりにルスが頭をこすり付けてくるので、慶作くんはしばらく指を動かし続けました。

 すると……

「わっ」

 突然、ごそりと、ずるりと……ルスの嘴の周りの羽毛が、こそげ落ちました。

「ご、ごめん! ルス、大丈夫?」

 自分が指で羽根をむしり取ってしまったと思った慶作くんは、すぐにルスの顔を覗きこみました。

 しかし、ルスは何の痛痒も見せません。むしろ清々したかのように落ち着きを取り戻しはじめていました。

 そして羽根がいっぺんに抜け落ちたルスの地肌は……奇妙なことに、いわゆる〈鳥肌〉ではありませんでした。

 覗き見える青黒い地肌に、指でそっと触れてみると……硬質な感触。

 鳥類の肌とは思えない感触でした。

「……明日、お父さんに……」

 慶作くんが見た限り、病気とは思えませんでした。もしかするとハネカエドリの地肌が元々そうなのかもしれません。お父さんに伝えるのは明日でいい。夜も更けていたので、そう結論付けて、慶作くんは眠りました。

 明けて土曜日。

 目を覚ました慶作くんは、ぐっと伸びをして、いつものように、おはようとルスに挨拶しました。

 しかし、

「ひっ!」

 昨夜から一変、見知らぬ姿に変貌したルスに、慶作くんは小さな悲鳴を上げました。

 死んでいたわけではありません。ルスは相変わらず、止まり木にじっとしていました。

 大量の白い羽根が抜け落ちた新聞紙の上、止まり木に佇む白い鳥。

 その頭が……別の生物になっていました。

 すっかり羽毛が抜けた顔は青黒い鱗で覆われ、黒だけだった目に白い縁が現れ、「ルス、ケイサク」と声真似をする嘴の内側に、鋭い〈歯〉が並んでいました。

「る……ルス?」

 恐る恐る慶作くんがルスに近付くと、その背中にたてがみのようなものを見つけました。

 そっと触れてみると、しかしそれは羽毛ではなく、透明な〈背びれ〉でした。

 慶作くんは、言葉を失いました。

「さ……さか……」

 混乱する頭で考えます。

 どうしてルスの体の一部が、魚になってしまったのか。

 大声で誰かを呼びたくて、しかし誰もいないことを思い出します。

 どくどくと動き続ける心臓を両手で押さえる慶作くんは、荒い息を繰り返しながら、あることを思い出していました。

『この世で一番怖いのは、悪い奴じゃない。パニックになった人間が最悪なのさ』

 それは真作さんの漫画の登場人物の台詞でした。

 目を閉じて、深呼吸をします。

 落ち着こう。ルスのためにも。

 思い出した漫画の一場面とは、状況も、台詞の意図もまったく異なりますが、とにかく慶作くんは冷静さを取り戻しました。

 ルスの前に腰を下ろし、改めて考えます。

 これまでの何が原因で、ルスの体に変化が起こったのか。

 成長するとこうなる、ということは考えられませんでした。ブリーダーさんもそんなことは一言もいっていません。新種とはいえただの鳥としてハネカエドリを扱っていました。また、病気だとも考えられません。羽毛が抜け落ちたことはともかく、背びれまで生えたことまで病気で説明できるとは、小学五年生でも考えられませんでした。

 ならば最近の生活の変化によって、なんらかの〈素質〉を持つルスが変貌してしまったのだと考えられます。

「何が……何が原因で……」

 慶作くんが腕を組んで考えこむと、ルスが顔を上げました。

「ルス、ゴハン、ケイサク、ゴハンダヨ」

 それは単に、慶作くんが一番語り聞かせる言葉を、ルスが真似をしただけのことでした。

 しかし、慶作くんにひとつの可能性を気付かせるには、十分でした。

 すぐに慶作くんは台所に行き、冷蔵庫を開けて、食材を物色しました。

 今晩のメニューにするためか、包装された牛肉の細切れがありました。慶作くんはそれを持って部屋に戻り、ルスに与えました。

 ルスはぱくぱくと、魚のような歯の生えた嘴で肉を食べはじめました。ルスが牛肉をついばんでいるのをじっと見つめていた慶作くんは、しばらくお父さんには秘密にしよう、と考えました。

 もしかしたらこれは、すごいことが起こるかもしれない。

 そんな、不安と昂揚、懸念と期待の入り混じる気持ちで。


 しばらくの間、ルスに牛肉をあげたいんだ。

 贅沢だな。鶏肉でよくないか?

 たまにはいい物を食べさせたいんだ。お願い。

 ……そんな風に、買い物に行くリーさんに頼み込み、慶作くんはルスに牛肉を与え続けました。

 数日後の朝。

「………………」

 慶作くんの期待と不安が、的中しました。

 鳥を食べる野生のハネカエドリは、換羽によって羽の色を変えるが、日本での飼育下では白にしかならない。

 その理由を、慶作くんは自力で解き明かしました。

 ハネカエドリの羽が白い理由。それは、白い羽毛のニワトリしか食べていないから。

 さながら鶏卵の黄身の色が、それを産むニワトリに与えるエサによって変化するように、食べた鳥の持つ羽毛の色が、ハネカエドリの新たな衣装となる。

 ……そこまでなら、まだ、〈不思議な生態の鳥〉として納得でき、真作さんにも喜んで報告できました。こんな発見があったよ、と。

 これは……これは、お父さんには、いえない。絶対にいえない。

 新たな変貌を遂げたルスを見て、慶作くんは息を飲みました。

 牛肉を与え続けた結果、ルスの体は、カラスほどに大きくなりましたが、そんな変化は些細なもの。

 重要な変化は、ルスの頭頂部にありました。

 ルスの頭に、小さな小さな、角が生えていました。

 それはまるで……牛の角のようでした。


 このとき、慶作くんは確信しました。

 ハネカエドリ……ほかはともかく目の前にいるルスは、()()()()()()()()()()()()()()

 魚肉を食べれば魚の特徴を、牛肉を食べれば牛の特徴を獲得する。

 そして獲得した特徴は、ルスの体で融合する。


 目の前の、魚と牛の特徴を得たルス。

 慶作くんの胸は、高鳴る鼓動を抑えられませんでした。

 不安からではありません。

 期待と興奮が全身を駆け巡り、彼を笑顔にさせていました。




 僕は、世界でたったひとつだけの奇跡と、友達になっている。


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