〈ルス〉
ゴールデンウィーク明けの月曜日。ほかの子供たちは、終わってしまった連休とずっと先の夏休みに思いを馳せてため息のひとつでもつきたくなるそんな日に、慶作くんはうきうきと弾むように、学校から帰っていました。
「ずいぶん楽しそーね。慶作」
隣を歩く愛海ちゃんは、連休中はずっと塾に行かなければならなかったので、彼女の口から出てくる言葉には愚痴や皮肉が入り混じっていました。
しかし、慶作くんは気付きません。
「うん。楽しいよ」
「……そう。……そんなに可愛いの? そのハネカエドリって鳥」
今度は嫉妬が混ざりましたが、やはり慶作くんは気付きません。
「うーん……可愛いよ。でも渚辺さんが思うような『可愛い』じゃないかも。飼いはじめてからちょっと大きくなったし」
「大きくなったって、どのくらい?」
「ハトくらいかな。思ったより大きくなったけど、可愛いよ」
「……もー! いい加減、独り占めしないでわたしにも見せてよー!」
通学路で、愛海ちゃんは慶作くんの腕を掴んで揺さぶりました。
「『ペット飼いはじめた』って聞いてから、わたしずっと待ってたんだからね!」
「ご、ごめん。ペット飼うの初めてだったし、愛海ちゃんずっと塾だったし、いろいろ落ち着いてからと思って……」
「言い訳はいいから! ほらほら!」
愛海ちゃんが慶作くんの腕を引っ張って、ふたりは通学路を走りました。
自宅にて、二階の自分の部屋の扉を開ける前に、慶作くんは愛海ちゃんに振り返って注意しました。
「おとなしい鳥だから、あんまり刺激しないでね?」
「暴れたりするの?」
「たぶん大丈夫だと思うけど、かわいそうかなと思うし……」
そういって慶作くんは静かに扉を開けます。後ろにいた愛海ちゃんは背伸びをして部屋の中を覗きます。
部屋の隅、広げた新聞紙の上に据えられた、背の低い頑丈そうな止まり木に、白い鳥が羽を休めていました。
慶作くんはその鳥の大きさをハトに例えましたが、長い尾羽とすらりと上に伸びた背中は、どちらかというとオウムを思わせるシルエットで、首の周りは羽毛が厚く、まるで襟巻きを巻いているようでした。
床を見つめていた白い鳥は、慶作くんが入ってくると、くるる、と小さく鳴いて、顔を向けます。しかしすぐにまた、床に視線を戻しました。
「ただいま、ルス」
「〈ルス〉?」
静かに扉を閉め、慶作くんが「ルス」と呼んだ鳥の前にふたりは腰を下ろしました。
「この子の名前? 留守番してるから〈ルス〉?」
「それもちょっとあるけど……ルスのお父さんとお母さんは、コスタリカから来たんだ」
「コスタリカ……ってどこ?」
「中米の国。ジャングルが多くて、いろんな種類の生き物がいるんだって」
「ふぅん?〈ルス〉はその国の言葉なの?」
「うん。スペイン語。……明るい名前がいいと思って、〈光〉という意味」
ハトほどの大きさの白い鳥、ルスがくつろぐ止まり木には、〈LUZ〉と書かれたかまぼこ板が吊られていました。
名前の意味を聞いた愛海ちゃんは、もう一度、ふぅん、と頷きます。
「……ねぇ、この子、全然動かないけど、病気じゃないよね? 羽根もいっぱい落ちてるけど大丈夫なの?」
「それは大丈夫。ハネカエドリは、一年中換羽するってブリーダーさんがいってた」
「〈かんう〉?」
「羽毛が生え変わることだよ。ほかの鳥は年一回とか二回とからしいけど、ハネカエドリは一年中、少しずつ羽毛を変えるらしいんだ」
ブリーダーさんから聞いたハネカエドリの生態を、慶作くんは得意気に披露します。
「換羽はすごく体力を使うらしくて、だからハネカエドリはあんまり動かないんだって」
「ふーん。真っ白できれいね」
「元々住んでたジャングルではいろんな色になるらしいんだけど、日本では、なんでか白にしかならないみたいだけど。環境のせいかな」
「カメレオンみたいね。ルスは何を食べるの?」
「鶏肉」
「えっ?」
愛海ちゃんが目を丸くすると、声に驚いたのか、止まり木のルスも顔を上げました。
「鳥が鳥を食べるの?」
「僕も驚いたけど、鳥を食べる鳥はほかにもいるらしいよ。ワシミミズクなんかフクロウなのにほかのフクロウも食べちゃうらしいし」
「そうなんだ。ルスは鶏肉以外は食べないの?」
「さぁ。でも、さっきもいったけど、換羽にすごく体力使うから、結構大食いなんだ。だから餌は安い鶏肉がいいだろうってブリーダーさんが」
ふたりがそんなことを話していると、頭を動かして、くるる、とルスが鳴きました。
まるでせがむようなルスの態度に、慶作くんは微笑みました。
「『餌』とか『ご飯』って言葉は、もう覚えたみたい」
「頭いいんだね。可愛い」
「ね? 可愛いでしょ? ちょっと待ってて。ルスのご飯持ってくるよ」
慶作くんは部屋を出て、細かく切られた鶏肉の乗った皿を持ってきました。
「手を出して」
「大丈夫? つっつかれない?」
「じゃあ一緒に」
慶作くんは自分と愛海ちゃんの手に刻んだ鶏肉を乗せて、「ご飯だよ」とルスの前に差し出しました。
嬉しいのか、二度三度、ぱたぱたと白い翼を広げたかと思うと、ルスはふたりの掌に乗った鶏肉にがつがつとかぶりつきました。
肩を並べ、餌に夢中になっているルスを見て、ふたりは笑います。
「くすぐったい」
「よく食べるでしょ?」
「そのうち『慶作、ご飯ちょうだい!』って喋りだすんじゃない?」
「かもね。インコみたいに声真似するらしいよ」
「えー? 冗談だったのになー」
ふたりの手の中から肉がなくなると、お代わりをせがむように、ルスはまた、くるる、と鳴きました。