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キマイラに捧ぐ  作者: 春戸稲郎
九月・始まりの物語
31/31

少年の答え

 

 灰色の壁の薄暗い部屋。

「慶作くんとルスは、末永く、幸せに暮らしましたとさ。めでたしめでたし」

 すりガラスを背負うパイプ椅子に座っていた〈重要参考人〉は、静かに言葉を紡ぐ。

「……そのようになれば良かったのでしょうけど。そうはなりませんでした」

「ふむ。……どうなったのかね」

 重要参考人の正面に、机を挟んで座る壮年の男性が尋ねた。

「刑事さんならわかるでしょう。どこにも定住できない、逃げて隠れての生活で、幸せになれるはずもありません」

「確かに指名手配犯は、逮捕されたときに安堵するものだがね。わたしが聞きたいのはふたりの正確なその後についてだ」

 壮年の刑事が机に肘をついて身を乗り出すと、そばに控えていた若い刑事もまた、重要参考人を威圧するように机に手をついた。

 死にましたよ、と重要参考人はいった。

「慶作くんも、彼の愛したルスも、もうこの世にはいません。……西江賀慶作くんの物語は、これでおしまいです」

「……そうかい」

 壮年の刑事は深く息を吐き、右手で目頭を揉んだ。

 二日がかりの独白が終わり、取調べはここからが本番だった。

「それじゃあ……少しずつ質問をさせてくれ」

「どうぞ」

「まずは、そう……きみの話を聞き続けてはいたが、改めてここから尋ねたい」

 刑事はまっすぐに、目の前に座る〈子供〉を見つめた。

「きみは誰だね」

 それに対して、重要参考人であるひとりの子供は、微笑みで視線を受け止めた。

 小柄で、中性的な顔立ちの、可愛らしい……

「……刑事さんは、どう思われておいでですか?」

「わたしがどうこうじゃない。きみに答えてほしい」

「それでは自由に述べさせてもらいます。あなた方は犯人を逮捕したつもりでしょうけど、わたしは西江賀慶作ではありません」

 重要参考人がそう答えると、若い刑事が、こら、と強い口調で注意した。

「きみの名前を聞いているんだ。ふざけずにちゃんと答えてくれないと困る」

「ふざけてなどいませんよ。わたしはまだ名前を持っていません。そしてあなた方のために答えているのです。『間違った人間を逮捕していますよ』と」

「名前を持たない人間がどこにいるんだ」

「ここに。……この回答でそちらが不都合なら、『黙秘します』と答えましょうか? 名前が必要なら、名無しの権兵衛とでも、ジョン・ドゥとでも、記録してください」

 そこまで喋ると、重要参考人の子供は、何かに気付いたように、くすくすと笑った。

「いえ、この場合は……ジェーン・ドゥ、ですかね」

 取調べを受けている、まだ小学生ほどの子供に、ふたりの刑事は沈黙した。

 彼が……否、()()が何をいわんとしているのかが、わかっていたから。

「刑事さん。痛恨だとは思いますが、そろそろ間違いをお認めになってください。いくらわたしが西江賀慶作くんにそっくりだからといっても、誤認逮捕であることは事実です。……わたしは、女なのですから」

 そのとおり。

 ふたりの刑事の目の前にいるのは、西江賀慶作にあまりにも似ている、別人だった。

 四日前、平日の昼間に学校にも行かずにひとりで歩いていたところを不審に思った警察官が声をかけたことがきっかけで、連続猟奇殺人事件の被疑者として捜索中だった西江賀慶作と断定され、補導された。

 写真資料からも、学校関係者からの証言でも、まず間違いないとされた。最後の目撃者である西江賀慶作の母親でさえも、取調べを受けている最中の〈彼女〉を見て、「この子です」と断言した。

 しかし……取調べを始めたときから、「人違いです」と少女は答えていた。

 わたしは西江賀慶作ではありませんし……そもそも女ですよ?

 少女の同意の下に身体検査を行い、確かに性別の違いは確認された。そして彼女の指紋もまた、西江賀慶作とは異なるものだった。

 完全に別人ではある。

 しかし、「誤認逮捕でした」と謝罪して解放するには、少女はあまりにも似すぎていたし……あまりにも事件について知りすぎてもいた。

 ぼりぼりと白髪頭をかいた壮年の刑事は、質問を変えよう、と口にした。

「わたしたちは、きみをどう呼べばいいかな。名前がないんじゃ困るんだ」

「どう呼んでもらっても構いませんが……さしあたり、〈ヒカル〉とでも呼んでください」

「うん。ヒカルさんだね。ありがとう」

 壮年の刑事は頷きつつ、さてどうしたものかと考えた。

「ヒカルさん。きみは確かに、科学的には西江賀慶作くんではないといえる。しかし、それではなぜ、きみは今回の事件そのものや、事件に関わった人物をよく知っているのかな」

 ヒカルと名乗った少女が二日に亘って紡いだ〈西江賀慶作〉の物語。

 その大部分が真実であることが、裏取りによって明らかになっている。

 その中には、七月三十日に西江賀真作が雑誌連載中の漫画の最終回を脱稿したこと、西江賀真作と浦野真奈美が婚約したことなど、総合すれば、死亡した人間を除いて西江賀慶作だけが知る事実さえ含まれていた。

 それでは、「ヒカル」と名乗る少女の正体とは?

「きみは、今回の事件の関係者の誰かと、知り合いなのかな?」

「黙秘します」

 あまりにもあっさりと峻拒され、若い刑事が詰め寄ろうとするのを、壮年の刑事が手を挙げて制止した。

「きみは、今回の事件を知りすぎている。他人の空似とはいえ、西江賀慶作くんでないと知りえない情報までをね。……無関係ではないのだろう? 正直に話してくれるまで、わたしはきみを引き止めざるを得ないんだが……」

「黙っていることはそれなりにありますが、すでにたっぷり、正直に話しましたよ。わたしが語ったことはすべて事実です。あとはそれに基づいて、引き続き西江賀慶作くんを捜索すればいいのでは?」

 見つかるかはわかりませんが、とヒカルは笑う。

「わたしを拘束し続けるというのも、無理な話です。私の正体がなんであれ、ともかく西江賀慶作ではないのですから。いったい何の罪状の容疑でわたしを勾留するおつもりで?」

 雄弁に語るヒカルは、そこで指を一本立てた。

「仮に……もしも仮に、あなた方が想像力を働かせて、『西江賀慶作が何らかの方法で肉体の性別を変えた』と考えたとしても、わたしがその方法を自白しなければ、あなた方はそれを実証できない。外科手術以外にそんな方法を、あなた方は知らないのですから」

 たとえ話ですけどね、とヒカルは強調した。

 壮年の刑事は深いため息をついた。

「きみはいろいろと思い違いをしている。わたしたちは、ありとあらゆる方便を使ってでも、きみを拘束して、取調べを続けるよ。……仕事としての義務もあるが……とにもかくにも、三人もの人間を殺した犯人を、野放しにするわけにはいかないのでね」

「そうですか。……その様子では、やはり刑事さんたちは、わたしを西江賀慶作であると見ているのですね」

「無関係だとは思っていないよ」

「わかりました。ではなんなりと、お聞きになってください」

「ではもう一度。きみは何者だ?」

「しつこいですね。しかしあえてお答えするのなら……西江賀慶作が愛し、そして彼を愛した者の結晶が、わたしです」

 これを最終回答とさせてください、とヒカルはいい切った。

 ……ヒカルに対する取調べは、彼女の夕食の時間まで続けられた。


 女性警察官に連れられて取調室を出て行くヒカルを見送ると、壮年の刑事は背広の内ポケットから煙草を取り出そうとした。

 が、建物内が今年から禁煙になったことを思い出し、空のまま手を引き抜いた。

「池田さん、お疲れ様です」

「おう」

 若い刑事からの労いに鷹揚に答えつつ、池田と呼ばれた壮年の刑事は手元の資料に目を落とした。

「その……ルスとかいう名前の奇妙な生き物、本当に存在したんですかね」

「写真や映像にまで記録が残ってるんだ。信じるしかないだろうよ」

 ヒカルの話に出てきた生物研究所から得た資料である。もしもそこの研究員から証言と証拠が得られなければ、刑事たちも絵空事として信じなかっただろう。

「とりあえずは……逃走後の足取りの捜査、ですよね」

「だな。ルスとかいう生き物の死骸が見つかれば上出来だ」

「……本当に死んでるんですかね。西江賀慶作の母親の証言では、角や尻尾はともかく、ほとんど人間の形をしているそうじゃないですか。人に紛れて今も生きてるってことは考えられませんか?」

「それはないな」

 断定に、若い刑事が不審な顔をしたので、池田は説明した。

「〈西江賀慶作の物語〉をまるっと信じるとしてだ。犯人(ホシ)はルスと一緒にいるために三人も手にかけたんだ。今さらふたりがばらばらになるはずもなかろうよ」

「はぁ……そういわれてみれば、確かに。では確実に死んでいると?」

「あの子が『西江賀慶作もルスも死んだ』と言ったんだ。おそらく本当に、この世にふたりはもういない」

「残ったのは、西江賀慶作とよく似た少女だけ……面倒なことになりましたね」

「公務員の俺らに面倒でない事件なんざねぇよ」

 池田は手に持った資料を机に投げた。

 とかく、今回の事件は、面倒であることこの上なしだった。

 いっそのことヒカルには、最初から「何も知らない。わたしは別人だ」と証言してほしかった。しかし取調べを始めた際に「西江賀慶作の物語なら話せる」として関連をほのめかされた以上、投げるわけにはいかなくなった。そして「連続猟奇殺人事件の被疑者少年を補導」と報道されてしまったため、今さら「人違いでした」などと申し開けるはずもない。警察の威信に関わる。

 黙っていれば釈放されたものを、ヒカルが物語ったのには、彼女なりの理由があった。

 誰かには、真実を話しておきたかったのです。

「……だったら全部話せってんだ。ガキが」

 ぶつぶつと呟きながら、池田は椅子から立ち上がった。

 取調室を出て、自動販売機で買った缶コーヒーを片手に、ふたりの刑事は庁舎の外で煙草を吸った。

 蒸し暑いその夜はよく晴れていて、都会にあっても星を見つけられた。

「ヒカルは、ルスの死骸をどうしたんでしょうね。というかそもそも、どこまで西江賀慶作と関わりがあったのか……」

「さぁな。あの口ぶりは俺たちに死骸を見つけられないと高を括ってるみたいだが……」

「……池田さんは、どっちだと思っていますか?」

「あん?」

「西江賀慶作とヒカルが同一人物かどうか、です」

 問われた池田は、煙を吐き出すまで答えを待たせた。

「……どうだかな。実は西江賀真作に愛人がいて、その子供であるヒカルが慶作を庇おうとして捕まったっていうのは……無理があるか」

「DNA鑑定の結果はまだですが……池田さんは、ヒカルは西江賀慶作ではないと?」

「そりゃそうだろう。人間の体が正常な男から正常な女に変わるわけがない。それこそ、ルスとかいう化け物でなければ……」

 そこで、はたと、池田は言葉を止めた。

 後輩刑事を見つめたまま、口に手を当てて、何事かを考えはじめた。

「……まさか…………いや、まさかな」

「池田さん?」

「まさかそんなことは……しかし、説明が、ついてしまう……?」

「池田さん? どうしたんですか?」

 落ち着こうとして煙草を口元に運ぶ池田の右手は、心に浮かんでしまった推理によって、震えていた。

「まさか……まさか……西江賀慶作は、ルスを……()()()()()?」

 信じがたいその可能性は、しかし、ありえるとすれば、西江賀慶作とヒカルを結び付けてしまう。

 思い起こすのは、ヒカルの話に出てきた、あの小説。

 フランケンシュタイン。

 西江賀慶作はかつて、「もしも」の展開を想定していたという。

 もしもフランケンシュタインと怪物の性別が違い、怪物から求婚されたとしたら。

 西江賀慶作は、自分ならどうするだろうと考え……人型の合成生物(キマイラ)となったルスを前にして、答えを出してしまったのでは?

 すなわち……()()()()()()()()()()()()()、と。

 恐れに歪んだ表情を浮かべた池田は、とうとう震える手から煙草を落とした。

「人型になった……人に近くなったルスの細胞を、西江賀慶作が体内に取り込むことで、ルスと融合した? だから西江賀慶作の体は女になった……?」

 池田は翌日から、極度の心労と体調不良により捜査から外れることになる。

 思い出されるのは、取調べにおいての、ヒカルの言葉。


 ……西江賀慶作が愛し、そして彼を愛した者の結晶が、わたしです……


「ひ……ヒカルという少女は、今……西江賀慶作であり、同級生の渚辺愛海であり、家政婦のズオン・リーであり、家庭教師の浦野真奈美であり、……最も愛した存在の、ルスである……? はは……まさか……そんな、まさかな……」

 は、は、は……と。

 静かな夜に、ひとりの男の震える笑い声は、すぐに溶けて消えてしまった。
























 警察署内の留置場で、かすかに、歌が。



 きら………かる …そら……しよ

 ……たき…ては みん………てる

 …らき……かる おそ……ほし…



 か細くも楽しげな歌は、闇に染み込んでは消えていく。



 きら……ひか… ……らの……よ

 かな………いな みん……ねがい

 ……きら……る おそら……しよ



 留置場の廊下には、点々と、白い物が散らばっていた。


 小さな、白い羽根。


 それらがまるで、道しるべのように、点々と……






これにて完結です。

お読みいただきありがとうございました。

ぜひ感想をお聞かせください。


春戸稲郎

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