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キマイラに捧ぐ  作者: 春戸稲郎
八月・終わりの物語
28/31

ふたりめ

 

 それから三時間後。

「ただいまー」

 両手に大きなレジ袋をいくつも提げたリーさんが帰ってきました。

「ちょと遅くなった。ごめんなさいよ、ケイサク。すぐに昼ご飯にするね」

 やれやれと、リーさんは息をつきながら、廊下にレジ袋を置きました。

 そのとき、ふとリーさんは、静か過ぎる家に違和感を覚えました。

「……ケイサク?」

 呼びかけても、返事はひとつもありません。

 聞こえてくるのは……おそらく風呂場からの、水道の音だけ。

 何かがおかしいと頭で感じるのと、ただならぬ異臭を鼻で感じたのは同時でした。

「ケイサクっ!」

 何かが起きている。それだけを悟ったリーさんは、土足のまま家に上がり、風呂場に飛び込みました。

「……!」

 そのときその場で見た光景を、リーさんの頭脳は、認識することを拒みました。

 一切の思考を停止させたリーさんの前には、慶作くんが立っていました。


 慶作くんは全裸で……彼の白い肉体は、血にまみれていました。


 むせ返るような血の匂いの満ちる風呂場にいた裸の慶作くんは、両腕が肩から指先まで血で覆われ、胴体や顔にも返り血のような赤い斑が付着していました。

 呆然と口を開けたまま放心しているリーさんが、意図なく視線を下ろすと、慶作くんの両手に、中華包丁とノコギリが握られているのを捉えました……が、目では見ても、まだ状況を理解することができませんでした。

「おかえりなさい、リーさん」

 淡々と慶作くんはそういうと、どういうつもりか、血塗れの腕で口元を拭いました。痒かったのでしょうか。しかしそのせいで、慶作くんの口元は大きく血で汚れました。

「け……ケイサ、ク……?」

 リーさんの頭に、少しずつ、言葉が戻ってこようとしていました。


 しかし、湯船の中から誰かの脚が飛び出しているのを見つけてしまい、またしても思考が吹き飛びました。


 へなへなと全身から力が抜けて、リーさんはその場に尻餅をつきました。

 それを見て……慶作くんは、薄く笑むのでした。

「早かったね。……いや、僕がもたもたしすぎたせいかな。驚かせちゃったね」

 そういって慶作くんは、左手に握っていたノコギリを、風呂場のタイルの上に捨てました。がしゃん、という音に、腰を抜かしたリーさんの体は、びくりと反応しました。

 白、黒、赤……服を脱いだ慶作くんは、その三色で構成されていました。

 白い肌、黒髪、血塗れの少年が、一歩、リーさんに近付くと、彼女は息を喘がせながら、震える腕を使って後ずさりしました。

 いったい何が起きたのか、リーさんの脳で思考を組み立てることはできませんでしたが、すぐに逃げ出さなければならないということだけは、本能的にわかっていました。

 しかし、恐怖と混乱のせいで、体がまったくいうことを聞きません。

 そんなリーさんに、慶作くんはさらに一歩近付き……包丁を振り上げました。

「ごめんね、リーさん」

 ……最後の瞬間まで、リーさんは、悲鳴ひとつ上げられませんでした。


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