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キマイラに捧ぐ  作者: 春戸稲郎
八月・終わりの物語
27/31

ひとりめ

 

 ……夜が明けて、慶作くんが一階の居間に降りてくると、リーさんと真奈美さんが揃ってカーテンの外を覗いていました。

「昨日までたくさんいたのに、急に消えたな」

「ねぇ。どうしたのかしら。……あ、慶作くん、おはよう」

 窓から振り返った真奈美さんに、慶作くんは、穏やかな表情で、おはようございます、と返事をしました。

「なにか、あったの?」

「テレビカメラが消えたよ、ケイサク。久しぶりに静かだ」

 慶作くんが窓の外を覗くと、確かに家の前の路地から、昨日までひしめき合っていたマスコミが消えていました。

 自分たちにまつわる情報を、テレビも新聞も遮断していたリーさんと真奈美さんには与り知らぬことでしたが、過熱した報道合戦によって、小学生である慶作くんの顔までもがワイドショーで流れたことにより、ネット上でマスコミに対して嵐のような非難がぶつけられていました。その朝の変化はその結果でした。

 そのことをネットニュースで知っていた慶作くんは、しかしそ知らぬふりで、「ほんとだね」などといいました。

「まぁせいせいするな。そろそろ買い物しなければならない。いろいろ足りないよ」

「……わたしも、一度アパートに戻りたいな。買い物は何時から行くの?」

 真作さんが亡くなった夜から、慶作くんをひとりにしないように、真奈美さんはほとんど自宅アパートに帰れていませんでした。

 ふたりはお互いに出かける時間を相談しはじめました。

 そこへ、慶作くんが手を挙げます。

「僕は大丈夫だから、ふたりとも、ゆっくり出かけてきなよ」

 それを聞いたふたりは、まずは驚き、次に哀れみ、慶作くんに気を遣わせないようにしようとしました。

 しかし慶作くんは、微笑みさえ浮かべながら首を振るのでした。

「本当に大丈夫だって。そりゃあ悲しいし、苦しいけど、もう混乱はしてないよ。……そんなに心配なら、愛海ちゃんに来てもらおうか?」

 慶作くんからの提案に、愛海ちゃんが来てくれるならと、ふたりは頷きました。

 自分の部屋に戻った慶作くんは、スマートフォンから愛海ちゃんに電話をかけました。

「もしもし。……うん、僕だよ。……今日さ、うちに来てくれる?……いや、話がしたいんだ。別れる前に、大事な話をしたいんだ。二度と会えなくなるかもしれないからさ」

 そう頼むと、愛海ちゃんは「朝ごはんを食べたらすぐに行く」と答えました。

 愛海ちゃんが来てくれる。リーさんと真奈美さんにそう伝えると、ふたりはようやく慶作くんに留守を任せることを決められました。

 三人で朝食を摂り、リーさんと真奈美さんが洗い物や洗濯をするのを、慶作くんは手伝いました。

 そうしてしばらくすると、愛海ちゃんがやってきました。

 入れ替わるようにして玄関に立ったリーさんと真奈美さんは、尚も心配そうな様子で、子供たちを見つめました。

「何かあったら、すぐに電話するのよ、慶作くん」

「わかってます」

「アミ、ケイサクのこと、よろしくな。わたしは昼に帰ってくるから」

「うん。ふたりとも気をつけてね」

 子供たちに見送られ、リーさんと真奈美さんは家から出て行きました。

 玄関の扉が閉まると、気丈に保っていた愛海ちゃんの顔が、悲しげに沈んでいきました。

「慶作……もう二度と会えないって、本当なの?」

 今にも泣き出しそうな愛海ちゃんに対して、慶作くんは、寂しげに微笑むのでした。

「そうなるかもしれないね」

「絶対ってわけじゃないんでしょ。大学生になったら、大人になったら……」

「そんなに先のことはわからないよ。案外、お互いに、相手のことを忘れてるかも」

「やだ!」

 愛海ちゃんが大声を張った拍子に、彼女の目から涙が零れ落ちました。

「……やだよ。……そんなこと、いわないでよ……」

 肩も声も震わせて、愛海ちゃんは慶作くんの言葉を拒絶し、否定しました。

 そんな彼女の背中に、慶作くんは手を添えました。

「いったでしょ? そんなに先のことはわからないって」

「……いつかまた、どこかで会える?」

「かもしれない。……ここで立ち話することもないよ。あっちでゆっくり話そうよ」

 さぁ、と慶作くんが促すと、愛海ちゃんはのろのろと居間へと向かいました。

 愛海ちゃんが居間に入っていくのを見届けると……慶作くんは、表情を消しました。

 がちゃりと、玄関の扉に鍵をかけました。

 そうして……傘立てに刺さっている、ある物を見つめました。

 それは、真作さんが数年前に、息子と遊ぼうと考えて購入した野球道具のひとつである、金属バットでした。

 まだ真新しい金属の棒を、慶作くんは無造作に引き抜きました。

 そうしてしばらく、じっとそれを見つめていました。

 そのときの慶作くんの目は、何か別の、体温の低い生き物のようでした。

 ふぅ、と軽く息を吐いた慶作くんは、金属バットを肩に担いで、「お待たせ」と、居間に入っていきました。


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