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キマイラに捧ぐ  作者: 春戸稲郎
八月・終わりの物語
26/31

捧げる

 

 深夜。

 パジャマ姿の慶作くんは、暗闇の中、ベッドから体を起こしました。

 妙に冴える両の目を覆うように、顔に両手を当てます。

 真作さんの死後、ろくに眠れていなかったのに、頭は冷たく醒めていました。

 どう、すべきか。

 慶作くんは考えはじめました。真作さんの決定によってルスと別れることが決まったあの日のように。

 あのときは、「別れる日までどのように過ごすべきか」そして「どうすればルスを取り戻すことができるか」を考えていましたが、今回は違いました。

 ルスと一緒にいるために、自分はどうすべきか。

 今回ばかりは、周りに流されてルスとむざむざ別れるわけにはいきません。ルスの生涯に責任を持つと真作さんと約束を交わし、二度と離れないとルスに誓ったのですから。

 唯一残った家族、そして亡き父との約束は、絶対に裏切ることはできません。

 顔に両手を当てたまま、慶作くんは考えました。

 これから状況がどのように変わり、どの時点でどのように行動すればいいのか。

「……どうすれば……どうすれば……」

 これから数日後に母親が迎えに来て、慶作くんは遠い地で母親と暮らすことになります。

 ルスと一緒に暮らせるのであれば、そこがどこで、誰と同居することになっても慶作くんは許せました。

 現状、誰かの庇護がなければ日常生活を送ることなどできません。そして自分を産んだ母親だけが保護者として名乗り出ているので、慶作くんには〈親〉を選ぶことができません。行く先はひとつです。

「ああ、皆と別れたくない。離れたくない。……愛海ちゃん、リーさん……」

 慶作くんは、どんな状況も耐えられます……ルスと一緒に暮らせるのであれば。

「どうしてこんな……どうしてこんな……どうしてこんな……」

 夏の夜。静かな夜。暗闇。時計の秒針の音。窓の外の蛙の鳴き声。

「……ああ、誰か……助けてくれればいいのに……」

 誰も助けてはくれません。

「真奈美先生を、お母さんと呼びたかった……」

 自分自身で考えなければなりません。

「………………死にたい」

 死ぬわけにはいきません。ルスがいるのですから。

 しかしこのままでは、ルスと別れなければなりません。これから家族となる母親が、彼以外の何者も帯同を許していないのですから。

「……考えよう」

 選択肢はふたつ。

 ひとつは、母親にルスの飼育を認めさせること。

 あながち不可能でもありません。慶作くんの親権を主張したのも、彼が相続するはずの遺産……金が目当てなのですから、餌代を考慮しても将来大きな金づるになりえると、ルスを見て判断してくれれば、新居でも飼育を認めてくれるかもしれません。

 母親を説得してみる価値はあるといえます。

「……そうだね……普通は、そうだ……それを目指すことが普通だ……」

 慶作くんは、顔面の皮膚を掴むように、爪を立てました。

 それが妥当な方策だということはわかっていました。しかし、考えようによっては他力本願でしかないともいえました。

 もしも母親を説得できなければ、ルスと別れることになります。よしんばルスも一緒に引き取られたとしても、「早々に売り払ってしまったほうが得だ」と判断されれば、結果は同じです。

「……あの人に、下駄を預けることは、できない……」

 自分を産んだ……自分を子宮からひり出したあの女の何もかもを、慶作くんは信用していませんでした。

 ならばどうすべきか。

 選べる選択肢は、もうひとつ……ふたりで逃げること。

 日常の何もかもを捨て、ふたりだけで生きていくこと。

 無論、母親を説得するつもりではありました。しかしそれが叶わない場合、ルスと一緒にいるためには、その方策しか残されていませんでした。

 慶作くんが皮膚に爪を食い込ませながら顔を両手で覆い、思考を巡らせていると……

「ケイサク、ネムれないの?」

 いつの間にか、ルスがベッドの脇にいました。手をどけて視線を向けると、ルスは心配そうに、ヤモリの前足をベッドの上に乗せていました。

 気遣うように顔を覗きこんでくるルスの頭を、慶作くんは撫でてやりました。くるる、とルスは目を細めて鳴きました。

 慶作くんは、穏やかな表情でルスを見つめていました。

 そうして、思いました。

 選ばなければならない。

 自分に関する何もかもを、今までのように抱えることは、幼い自分にはできない。

 いや……違う。

 ()()()()()()()()()()()()()()()。自分でも抱えられるように。

 決めなければならない。

 覚悟を。

 愛に殉じて地獄の底まで堕ちる覚悟を。

 慶作くんは、ルスのヤモリの前足に、そっと自分の手を重ねました。

「僕はきみが好きだよ、ルス。世界で一番大切だ」

 自分の前足に重ねられた慶作くんの手に、ルスは顎を乗せました。

「ウレしい。ルスも、ケイサク、スき」

「僕は、きみと一緒にいる。これからずっと。死ぬまでずっと」

「ルスもオナじ。ケイサクとイッショにいる」

「……僕がどこかに旅に出るとしたら、きみはついてきてくれるかい?」

「ケイサクとなら、どこにでもついていく」

「……そう。……ありがとう」

 慶作くんは、ルスのヤモリの手を取り、キスをしました。

 そのときの慶作くんの目は、穏やかで冷たい、優しい狂気を宿していました。

「ルス……明日から、旅行の準備を始めよう」

「どこにイくの?」

「わからない。でも、ここではないどこかに行かなければならないのは、確かだ」

 ルスを守る。

 ルスのそばを離れない。

 それだけが慶作くんの使命でした。

「きみを……お姫様にする。……きみを完成させる。そのときがきた」

 何を捧げてでも、ルスを守る。

 何を捧げてでも、ルスのそばに。

「きみに、愛を詰め込む」


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