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キマイラに捧ぐ  作者: 春戸稲郎
八月・終わりの物語
23/31

迫られる覚悟

 

 ………………

 ルス、ねぇ、ルス。

 どうしたの、ケイサク。

 こっちに来て。

 ああ……ルスはあったかいねぇ。

 ケイサクのカラダもアタタかいよ。

 そっかぁ……

 ……最近、なんだか、寒い気がするんだ。

 ねぇ、僕は、生きてるのかな。

 ケイサクは、イきてる。ルス、そうオモう。

 僕もそう思う。

 そう思うんだけど……空虚っていうのかな。

 どこかに心臓を置き忘れたみたいに、体の真ん中が、寂しいんだ。

 生きてる気がしないんだ。

 ルスには、よくわからないよ、ケイサク。

 うん……そうだね。

 僕にもわからない。

 ……ああ、ルスはあったかいねぇ……

 ………………


 それから何度、慶作くんの母親に対して、ふたりで罵詈雑言を並べあったかは、数え切れません。

「あの女は、人の形をしたケダモノだ。ケイサクを見てない。お金しか見てないよ」

 憤慨しながらリーさんは、ダイニングテーブルの上に店屋物のうどんの丼を並べていました。玄関前がマスコミで埋め尽くされているので、買い物にも満足に行けず、食事は出前に頼っていました。

 テーブルを布巾で拭く真奈美さんは、辛そうに首を振りました。

「でも、もうどうにもならない。……慶作くんが強く生きてくれることを祈るしか……」

「マナミ、本当にそうか? 本当に、ケイサクをあの悪魔に渡すしかないのか?」

「それ以外にないのよっ!」

 真奈美さんは布巾を握った右手を振り上げ……しかし、テーブルに振り下ろそうとする寸前に、力を緩めました。

「……わたしと真作さんに、夫婦としての法的な繋がりはない。他人のわたしではどうすることもできない。たとえ裁判を起こしたって、他人のわたしでは、母親のあの人に勝てない。『引き取る』と手を挙げてる人がいるんだから、施設に預けるわけにもいかない……」

「それじゃあ……マナミ、妊娠してないか? シンサクさんの子供、できてないか?」

「確実にしてない。……真作さんは、そういうところ、きっちりしてたから」

 殺害された夜に真作さんが言及していた〈家族でないといけないこと〉が、最悪の状況で証明されていました。

 慶作くんへの報告の機会を待たずに婚姻届を出していれば、一緒に暮らせていたかもしれません。これから家族になる慶作くんに対する礼儀を守ったが故に、彼と家族になれなかったとは、皮肉と呼ぶには、あまりにも酷な運命でした。

 階段を降りてくる足音が聞こえ、ふたりは目を見合わせ、夕食の準備を再開しました。

 開いた扉から台所に現れたのは、陰鬱な表情の慶作くんでした。

 それは、リーさんのいうところの〈わかっている〉慶作くんでした。

「……リーさん、真奈美先生……何か、あった?」

 うつろな目をした慶作くんが気遣わしげに尋ねてくるので、真奈美さんは穏やかな表情を作りました。

「いいえ。どうして?」

「大きな声が……聞こえたから」

「ごめんなさい。なんでもないの。……さぁ、ご飯にしましょう。うどんは食べれる?」

 精一杯の優しい表情のふたりに迎えられ、慶作くんは目を伏せました。

「僕は……これから、お母さんと、暮らすんだよね?」

 脆く、不安そうな表情の慶作くんに、真奈美さんは溢れ出そうになる涙を堪えながら、慶作くんの前に膝をつきました。本当なら義理の息子になるはずだった少年に、母親のように視線を合わせました。

「慶作くん。あなたは強い。あなたは賢い。今はとっても辛いでしょうけど、これから、嬉しいことも楽しいことも、きっとたくさんある。あなたならどんな苦しいことも乗り越えられると信じてる。だから……泣きたいときは、泣いていいの。あなたはまだ子供なんだから、もっとわがままをいっていいの」

 あまりにも多く叶わないことがあるのを真奈美さんもわかっていましたが、できる限り希望を感じさせる言葉を使いました。慶作くんが心を閉ざしてしまうのを防ぎたいと思ってのことでしょう。

 しかし、そのときの慶作くんの思案は、別のところにありました。

「ルスは……ルスは、どうなるの? お母さんの家でも、一緒に暮らせる?」

 その質問の答えは重要だとわかっていたので、真奈美さんはあらかじめ、慶作くんの母親に尋ねていました。

 ペット?……そんなもの、わたしが帰ってくるまでに、そっちで処分しといてよ。

 返ってきた答えはろくなものではありませんでした。

 慶作くんの母親の回答をそのままいえるはずもなく、真奈美さんは目を伏せ、黙って首を振りました。

「……そう……そうなんだ……」

 覚悟していたのか、慶作くんは、ゆるゆると息を吐きました。

 その後、三人で夕食を摂りましたが、慶作くんはろくに食べることもできず、すぐに二階の自分の部屋へと引き上げていきました。

 リーさんと真奈美さんは、自分たちの無力さを嘆きました。


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