蛇蝎と呼ぶのも生ぬるい
………………
ルス……ルス……
どうした、ケイサク。
……お父さんは、死んだんだ。
うん。
お父さんは死んだ。
うん。
お父さんは殺されて死んだ。
うん。
お父さんは死んだんだ。
どうしたの、ケイサク。カオがコワいよ。
そう……僕は、怖いんだ。自分がわからなくなるんだ。
ふとすると、お父さんが死んだことを、忘れてるんだ。
それが、コワいの?
怖いよ。受け止めるべき大切な人の死を、忘れているんだもの。
……ルスには、よくわからない。
いや、本当に怖いのは、僕が僕でなくなりそうだからだ。
ケイサクは、ケイサクでなくなるの?
…………わからない。わからないから怖いんだ。
僕は今、まともなんだろうか。正常な人間なんだろうか。
ケイサク……ルスには、ケイサクは、ヒトにミえるよ。
幸いにも、そうだね。僕はまだ、人だと思う。……ああ、でも、怖い。
ケイサク……
自分を見失うのが、怖い。
………………
真作さんの連載が打ち切られたとき、あっさりと夫を見限って息子を捨てた女が、かつての伴侶の死を知って、息子が暮らす家に乗り込んできました。
女はこういいました。
「慶作は、うちで引き取りますから」
もちろん、多少なりともその女に良識を垣間見ることができれば、リーさんも真奈美さんも信じて託すことができたかもしれません。
しかし……全身をブランド品で固めた厚化粧の、四十前の派手な女は、挨拶はおろか仏壇に手を合わせることさえしませんでした。事件があってからの慶作くんを支えてきたふたりに対しては、感謝するどころか敵意をむき出しにしていました。
あんたたちの目的はわかっている。
この子の受け継ぐ遺産は渡さない。
言葉にせずとも、慶作くんを支えてきたふたりの心情を完璧に誤解していた態度でした。
リーさんに慶作くんを遠ざけさせ、真奈美さんは正直な憤りを女にぶつけました。
「これまで慶作くんに一度も会おうともせずに、真作さんの葬儀にも来ずに、いきなりそんなことをいうなんて、ひどすぎます!」
女は真奈美さんを小娘と侮ったのか、ふんと鼻で笑いました。
「わたしはわたしで忙しかったの。あなたには関係ないことだけど、理解してくださる?」
「ええ、確かに関係ありません。あなたの事情とは関係なく、慶作くんは今、深く傷ついて、悲しんで、混乱しています。本当に自分の子供が大切なら、どんな事情を差し置いてでも、すぐに来るべきです。あなたに慶作くんを引き取る資格があるとは思えません」
「ふーん」
女はせせら笑う表情のまま、腕を組み、真奈美さんを見つめました。
「あなた、真作の何なの? 恋人?」
その女の口から愛しい人の名前が出てきて、真奈美さんには虫酸が走りました。
「……あなたにはいいたくありません」
「それなら黙ってなさい。資格について偉そうに云々される筋合いがない。わたしには慶作を引き取る権利も資格もある。血の繋がった親子ですもの」
その点について、真奈美さんはぐうの音も出ません。
真作さんに兄弟はおらず、彼の両親は共に鬼籍に入っていました。真作さんと付き合いのある親類縁者はないに等しいといえました。
いくら親しかろうと、真奈美さんと慶作くんは他人同士です。
父親から受け継ぐはずの著作権も含めた遺産が目当てだったとしても、血の繋がりのある母親が慶作くんの親権を求めて名乗り出るのは妥当といえなくもありません。
もっとも、真奈美さんの指摘する〈資格〉は、そういう意味ではありませんが。
「慶作くんは、事件のせいで心に傷を負っています。今は専門家のケアが絶対に必要です」
「そんなもの、必要ならわたしが手配する。くれぐれも勝手なことはしないで」
「……あなたには、母親としての適性を感じません……!」
「いってくれるじゃない。これでもわたし、ふたり目の旦那との子供を育てているのよ」
もう別れちゃったけどね、と、隠す素振りも見せずに女はいいました。真奈美さんには、女が育てているという顔も知らない子供が、慰謝料と養育費をせしめるための人質にしか思えず、気の毒になりました。
「とにかく、慶作はうちで引き取ります。赤の他人がごちゃごちゃ口を挟まないでちょうだい。……ちょっと、さっきの外人の家政婦を呼んできなさいよ」
居丈高な命令に、真奈美さんは唇を噛みながら従いました。
居間に呼び戻されたリーさんに、女はいいました。
「今月の下旬に引き取りに来るから、それまで慶作の世話をしてちょうだい。わかった?」
「な……!」
リーさんと真奈美さんは、そろって怒りと驚愕を露にしました。
「あんた……本当にケイサクの母親か? ケイサクをひとりにするつもりか?」
「どうしてなんですかっ。これから一緒に暮らすんでしょう? なんで今これからでも、慶作くんと一緒にいてあげようとしないんですかっ」
口々に問われた女は、至極面倒そうに、こう答えました。
「明日からわたし、海外旅行なの。日本にいないの。だからその間の世話をしろっていってるの。これでわかった?」
それを聞いて、ふたりは開いた口が塞がりませんでした。




